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ジョヤスキーノ・ロッシーニ Gioachino ROSSINI, セビリアの理髪師 Il Barbiere di Siviglia 2019/2020シーズンオペラ 全2幕イタリア語上演 日本語および英語字幕 新国立オペラパレス、原作:ピエール=オーギュスタン・カロン・ド・ボーマルシュ、台本:チェーサレ・ステルビーニ、作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ、指揮:アントネッロ・アッレマンディ、演出:ヨーゼフ・E・ケップリンガー、再演演出:澤田康子アルマヴィーヴァ伯爵:ルネ・パルペラ、ロジーナ:脇園彩、バルトロ:パオロ・ボルドーニャ、フィガロ〔何でも屋・理髪師・狂言まわし):フローリアン・センペイ、ドン・バシリオ:マルコ・スポッティ、ペルタ:加納悦子、フィオレッロ:古川健一、隊長:木幡雅志、アンプロージオ:古川和彦 図1 チラシより 図2 場内配付資料より 図3 当日のチケット半券 資産家の遺児で魅力的な娘、ロジーナを我が物にしようと時期を待っている感じの借間の主人で医者のバルトロと、アルマヴィーヴァ伯爵との恋の駆け引きに、何でも屋で知恵もののフィガロが狂言まわし役でからむ喜劇。全員好演で目茶苦茶に楽しめた。 特にロジーナ役の、オペラよりミュージカル俳優を思わせる伸び伸びした演技が光った。オペラの所作としてはもしかしたら型破りの域なのかも知れない。然るに、役柄からロジーナの声には、甘く瑞々しく、そして若葉のようなソフトな深みを予想したのだが、チョットヒステリー気味(?失礼)のオールドミス(活発な若い方にごめんなさい)の様な角張った堅さが感じられてしまい、ニャンスケには一寸違和感、期待とはチョイと違っていた。自分的には残念。そういう演出あるいは指揮者指示なのでしょうか?ロジーナを演じた脇園彩は、今回海外から招待された声楽家の一人である。 舞台進行をイメージした作曲。舞台進行の中での雷鳴や風雨音などの効果音が、太鼓や金管楽器のパートとして始めから見事に奇麗に楽曲の中に取り込まれている。先週観たヴェルディのリゴレットで、今の演劇や映像媒体ドラマでは効果音が使われている雷音や風雨音、作曲家によって楽曲に書き込まれていることへの再発見的な驚きに触れた(2020/2/26記事)。同じことをロッシーニもやっていたのだ。19世紀半ばには効果音を既成楽器の演奏によって楽譜の中に取り込むことがオペラ作曲の定法になっていたということなのであろうか?ロッシーニの略歴を見ると、何でもやってみたくなる才気煥発手八兆口八丁の男だったようである。セビリアの理髪師はその面目躍如、やりたい放題の作品なのであろう。 今回の脇園彩の舞台上の動きは、ロッシーニの意図を体現しているのかも知れない。 ニャンスケ一行、変な日本語の“本格的”オペラが嫌で、ずっとオペラを敬遠していたため、原語上演日本語字幕方式になってからのヨーロッパ著名作曲家のクラシックオペラは去年4月から見始めたのであった。始めに見たのがフィレンツェの悲劇、そして5月にドン・ジョバンニを見て驚いたのであった。ドン・ジョバンニを巡る女性たち、何れも欧州出身の現地で活躍されている一線の歌い手、中に一人日本出身の人がいるはずなのだが、遠くの席では全く判らない。つまり声や動きでそれと判るようなことが全くなく、完全に世界の中のオペラ演者なのである。日本のオペラは完全にフェーズが変わっていた。。。それがあの時受けた衝撃だった(2019/5/30の記事)。 今日、また衝撃、それは、あのドン・ジョバンニを巡る女性たちの一人を演じていた女性が実は今回のヒロイン脇園彩だったのだ。もちろん、アーティストを国に帰属させて数を争うなど馬鹿げた話である。しかし、ある地域の人々がどのくらいアクティヴかを測る手立てとして、そこの出身者がどの程度外で活躍し、その地域が重要な人々のいる場所として注視訪問されるかということで有るならば、今回のように、顕著な印象を得た二つの上演で、その顕著な印象が同一人から発されたものであったということは、一寸寂しいのである。もちろん現在大勢のアジア系の声楽家が世界で活躍されており、日本出身の方も少なくないとはインプットされているものの、脇園彩クラスが次々と誕生してくることを期待してしまうのも、今や素人オペラファン・ニャンスケの心情なのである。Rossini ロッシーニ / 歌劇『セヴィリアの理髪師』全曲 ジェルメッティ&マドリード・レアル劇場、バーヨ(S)、フローレス(T) 【DVD】HMV&BOOKS online 1号店ナクソス ミュージックストアナクソス ミュージックストアナクソス ミュージックストアロッシーニ:歌劇《セヴィリアの理髪師》[DVD]CD&DVD NEOWING
2020.02.27
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図1.本公演のチラシから抜粋 図2.本公演のチケット半券 リゴレット オペラ全3幕 字幕付イタリア語上演 ニュープロダクション東京文化会館大ホール 作曲:ヴェルディ、指揮:柴田真郁、演出:松本重孝リゴレット:須藤慎吾、マントヴァ公爵:笛田博昭、ジルダ:佐藤美枝子、スパラフチーレ:伊藤貴之、マッダレーナ:鳥木弥生、ジョヴァンナ:河野めぐみ、モンテローネ伯爵:泉良平、マルッロ:月野進、ボルサ:井出司、チェプラーノ伯爵:相沢創、チェプラーノ伯爵夫人:相羽薫、小姓:丸尾侑香 今回の上演、須藤慎吾、笛田博昭、佐藤美枝子の主演3名とマッダレーナを演じた鳥木弥生が極めて好演。真四角にキチッと纏まった国際水準のオペラ。確りと纏まったチームワークの良さを感じる。完成度も高い。 私ニャンスケの宿主は以前、オペラが嫌いであった。それは、多分、クラシック音楽教育の問題点と直結していた。志す若者に先ず要求されるのは、楽譜通り正確に演奏すること。音を外すのは論外。テンポも強弱も譜面通り。楽譜通りに出来るようになった後で、はじめて感情表現を交えた膨らみの加味が許容されるようになる。有名音楽大学に入るためには、お勉強も出来ねばならない。語学も文法通り。そして普通の学校授業を終えた後、何時間も音楽漬け。有名音大に入る人間は皆優等生のあそびを知らない純粋培養的で、人間的成長についてはこれからみたいな、お坊ちゃんお嬢さんになってしまう。オペラは演劇である。人間力が演技力を決める。しかも、若くして頭角を現さねばトップスターにならない。 次に言葉の問題。数十年前までは、ヨーロッパのクラシックオペラを日本語で上演することが普通であった。しかも、音符一つを五十音の内の一つの音に当てはめるという暗黙の規則が出来てしまっていた。そのため、音符一つに一音節あるいは一単語が載るヨーロッパ言語の表現より著しく情報量が減った言葉になってしまう。音程リズムと詞との整合性が困難なのはいうまでも無い。要するに翻訳オペラは、原曲の歪な残骸になってしまう。聴いてはおれんかったのだ。 然るになのだ。宿主がオペラ嫌いでいた半世紀近くの間に、目茶苦茶に変わった状況がある。 先ず、カラオケの浸透である。また、ウオークマンから始まってスマホ利用まで、音楽を常に耳にしていることが常態になってしまっていること。日本人の音感とリズム感が一変してしまった。宿主のようなリズム音痴音程音痴は今の世の中極めて極めて希である。 次いで、字幕付原語上演が定着したこと。これも携帯電子機器の進歩と同じくエレクトロニクスの進歩に起因する。そして、これにより、使われている日本語の変なイントネーションと意味の通じない内容に絶望する事態が回避できるようになった。 そして最後に、外国語に親しむのは単位を取るためや受験のためなど、所謂お勉強のためではなく、コミュニケーションのためである、というあたりまえのことを漸く若い世代の内に受け入れている状況が出てきて、オペラ歌手を目指す若い人々の間であたりまえになってきているらしい。 これら三項目の大きな状況変化が、日本のオペラを世界のオペラの仲間に入れて良さそうなレベルに持ち上げて来た由縁であろう。 新国立オペラパレスでは、ヨーロッパで活躍している主役級の歌手を数名招聘し、日本の歌手と組み合わせて上演している。日欧の差が詰まってきているため、違和感のない舞台が出来ている。しかし、今回の藤原歌劇団の舞台と比べると、新国立では個々がバラバラで舞台芸術としてのまとまりが今一だったことが感じられる。新国立オペラパレスの上演方式は、日本のオペラが西欧追従の西欧に学ぶスタイルの残滓と言うことが出来るのかも知れない。今回の藤原歌劇団の作品は、気心が知れたもの通しがやっているチームワークの良さがあったように感じられた。 今回の上演を観て、気になった点もある。何故公演が1日だけなのだろうか。二日目も出ているが、メンバー総代わり。1日だけの公演というのは、まるで成果発表。非商業演劇的になっていない。舞台は客の反応を見ながら熟するもの。一夜限りでは、何も残らないのではないか。事情は種々あろうが、オペラも連続(あるいは週1など断続的)公演を行う方向はとれないものであろうか?客席との連携のような生きた舞台構成には、繰り返し公演が重要であるように思える。 リゴレット、第三幕の冒頭と終盤に、この悲劇の基調をなす有名なアリア、La donna è mobile〔女は移り気〕がマントヴァ公爵によって歌われる。女性蔑視、女の敵が歌うに相応しい、しかし素晴らしい歌曲。相方は中学の時、この曲に清々しい叙情的な詩を付けた歌を男性音楽教師の授業で歌わされたんだそうな!その教師、相方の言に依れば芸大出だったそうな。原曲の意味を知らないで歌わしていたら阿保教師,知って歌わしていたならば破廉恥セクハラ教師。いずれにしてもその教師には浮かぶ瀬無しの感あり。 父リゴレットが愛嬢ジルダを拐かした公爵を討たんと画策し、殺し屋スパラフチーレに協力を頼む。ところが、公爵はあたらしくスパラフチーレの娘マッダレーナに甘い言葉をかけている。公爵への愛を捨てきれないジルダは、公爵を討たんとするスパラフチーレの刃に自らが立ちはだかってしまう。この公爵邸への進入から最後に扉から放り出された死体袋の中身がわが娘と知るリゴレットの悲嘆まで、三幕は、La donna è mobileの歌声とともに雷と激しい雨が背景である。 この雷と雨の音、ヴェルディの楽曲の中に、太鼓や弦楽器などのパートの楽譜に効果音として聞こえるように書き込まれている。つまりヴェルディは作曲の過程で細かい舞台装置、舞台展開、雨や雷鳴の視覚効果まで、細かい演出を決めるような曲作りをしていたのである。20世紀後半には様々な映画で、効果音と音楽が一体化してつくられることが常道になっている。この作品はその100年前のものである。ヴェルディは映画テレビのための音楽の作法を19世紀半ばに既に、多分楽しみ半分で、行っていたのである。ヴェルディ:歌劇《リゴレット》/プラシド・ドミンゴ[DVD]【返品種別A】Joshin web CD/DVD楽天市場店DVD/ヴェルディ:歌劇(リゴレット) (解説付) (輸入盤)/クラシックその他/KKC-9537 [4/30発売]サプライズWEB魅惑のオペラ(第25巻) ヴェルディ リゴレット (小学館DVD book)【輸入盤】『リゴレット』全曲 シュテルツル演出、マッツォーラ&ウィーン交響楽団、ストヤノフ、S.コステロ、他(2019 ステレオ)(日本語字幕付 [ ヴェルディ(1813-1901) ]
2020.02.26
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データ題目:真面目が肝心The Importance of Being Earnest 日本の演劇人を育てるプロジェクト 文化庁海外研修の成果公演、開場:恵比寿・エコー劇場、作:オスカー・ワイルド、翻案/演出:大澤遊 ジョン〔ジャック)・ワージング:采澤靖起、アルジャノン・モンクリーフ:池岡亮介 グウェンドレン・フェアファックス:那須凜、セシリー・カーデュー:大川永 ブラックネル卿夫人:井上薫 チャジブル卿:舘野元彦、リディア・プリズム:森下まひろ レイン/メリマン:荒谷清水 図1 宿主の入場券半券 図2.宣伝ちらしより図3.場内配付資料からの抜粋 観客の内容理解への手助けが有効適切!直截なニャンスケ的感想:ずれた題に引きずられて歪んでしまった芝居。この芝居、基本プロットだけで充分に笑いがとれる。だから、芝居は面白かった。出演者皆好演。また、配布パンフレットが客の理解を助けるための工夫いっぱいでつくられており、制作側のエンタテイメント提供者としての熱意いっぱいである。だが寂寥感あり。要するに、後述する邦題の悪さがテーマのおもしろさ、最後にドッと来るべき落(おち)を大きく損なってしまったのだ。翻訳論: この芝居、いうまでも無く、肝心なのはearnestという言葉である。日本語と英語に精通しないと、earnestの含んでいる意味合いを的確に表現することが難しい。Earnestには、保守性、暗さ、地味に下積みでコツコツ、といったニャンスはない。真っ直ぐで、純に追い求めていく。学術であれ、芸術であれ、求愛であれ、果敢で真剣で真っ直ぐなのだ。真面目という日本語は、暗い奴、気の利かない堅物、青い、といったニュアンスにあふれている。青さだけは若干earnestに重なるとしても、真面目は青白さを想起するがearnestが想起するのは新緑の黄緑であろう。オスカー・ワイルド小考: 作者ワイルドはいろいろな逸話・伝説の人である。途轍もない頭脳の持ち主であった。そのため日常生活・社会性・創作等々あらゆる面で常人からは思いも寄らないことを自然にやってしまい、奇人・反社会的人間と仕分けされてしまっていたのではないかとニャンスケは思慮するのである。 ドラマ構成: このドラマは三重四重のどんでん返しが用意されていて、観客は呆気にとられ、抱腹絶倒である。ワイルドの作品は表の筋だけでなく、それが暗喩するもの、風刺、厳しい時評などが並列的に織り込まれている場合が少なくない。一度観ただけではとてもそこまでは思考が展開できない。 Earnestが、自分と友人双方の女性を騙すための偽名だっただけではなく、主人公青年の生みの親がearnestな人で、主人公の本当の名前はEarnestだった、等々いろいろな意味でearnestが出てきて、兎に角Earnestであることが肝心なのだ、という落の筈なのである。出演者も皆好演でそれこそearnestに取り組んで居られることが舞台から発散してくる。だが、最後の一語がearnestでなく真面目という日本語だったので、翻訳芝居お勉強芝居の範疇に落ちてしまった。再び翻訳論・蘊蓄:翻訳時にearnestを真とでも置き換えておけば結構いけるのでは、とはニャンスケのポケッとした独白なり。 最初に「真面目が肝心」という邦題を付けてしまった最初の翻訳者がどなたなのか、敢えて調べてはない。昔、外国文学者・翻訳者は「偉い」先生で、例えば、ワイルドの著作を読む人は真面目という日本語をearnestと同義語として捉えるという程度の“英語常識”がなければだめです、みたいな感覚があったのではなかろうか。工夫修正を要するのは翻訳者の原稿ではなく、欧米の表現に対応していない日本語の方だ、というような! この劇、趣旨を生かす翻訳にするためには、名前を日本名の「真」だとか「誠」などにでもして翻案劇にせざるを得ないのではないか。The Importance of Being Earnest (Revised Edition)A Trivial Comedy for Serious People【電子書籍】[ Oscar Wilde ]楽天Kobo電子書籍ストアThe Importance of Being Earnest (Wisehouse Classics Edition)【電子書籍】[ Oscar Wilde ]Ready Reference Treatise: The Importance of Being Earnest【電子書籍】[ Raja Sharma ]The Importance of Being Earnest by Oscar Wilde (Book Analysis)Detailed Summary, Analysis and Reading Guide【電子書籍】[ Bright Summaries ]About Oscar Wildes 'The Importance of being Earnest'【電子書籍】[ Christoph Haug ]The Importance of Being Earnest (English Edition)【電子書籍】[ Oscar Wilde ]
2020.02.24
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結構神出鬼没なニャンスケ一行、この日2020/1/26は玉電三軒茶屋駅の駅ビル付属のような劇場・世田谷トラムシアターにいた。いや、この言い方は違う。東急世田谷線の三軒茶屋駅に付随したシアタートラム。この日観る芝居は唐十郎作「少女仮面」。 この芝居のラインナップをまとめるとトライストーン・エンタテイメント、トライストーン・パブリッシング主催、少女仮面、劇場:シアタートラム、作:唐十郎/演出+美術:杉原邦生、伝説の大スター・春日野八千代:若村麻由美、地下の喫茶店「肉体」にやって来た少女貝:木崎ゆりあ、貝と共に来た老婆:大西多満恵、腹話術師:武谷公雄、ボーイ主任:大堀こういち、ボーイ1:井澤勇貴、ボーイ2:水瀬慧人、水飲みの男:田中佑弥 「少女仮面」と「少女都市からの叫びは」、題名が似ているため、何となく似た芝居と思っている様な解説や宣伝文が時々観られる。 一つの台本を百人が読めば百通りの解釈が出るだろう。その百通りの理解の仕方で、舞台をつくれば百通りの芝居が出来る。台詞はシェイクスピアの原作そのままで、背景や俳優の衣装所作を全て歌舞伎風に仕上げて、あっと愕くスペクタクルな舞台を創りあげ、ロンドンで大好評を得た蜷川マクベスなど、端的な例である。一人の演出家が、少女都市からの叫び声と少女仮面の両方を、その類似性を強調すること意識しながら、例えば主役女性の役を同一俳優に演じてもらうなども試みながら、演出すれば、多くが納得してしまうかも知れない。図1。少女仮面 入場券半券 図2. 少女仮面パンフの一部 しかし、そういうことでは埋め尽くせない大きな違いが「少女仮面」と「少女都市からの叫び」の間にはあるようにニャンスケは思慮するのである。唐十郎の初期の作品では珍しく、この作品は、同じアングラ芝居仲間である鈴木忠志のために描き下ろした戯曲であった。そして、鈴木忠志の劇団「早稲田小劇場」には、当時注目新人であった白石加代子がいた。唐十郎が白石加代子の演技・初舞台などを観て直ぐに本講を書いたようなタイミングではなかったか。「少女仮面」は白石加代子、これを書いて鈴木忠志に渡したら必ず彼女がやる、という確信の元に、白石加代子の台詞回しと所作をイメージしながら書いた作品と感じられる。 この芝居で浮かんでくるのは演ずることの精神性と、可視化される演技に対応出来る肉体との両立性あるいは相剋などを軸とした演劇論である。演劇論を演劇の凡そ全てを知っているスピリット〔霊〕が、若い女優志願者に語る。類似コンセプトの先例作は種々あるのではないかと創造するが、ニャンスケの乏しい知見から浮かんでくるのは、ガストンルルー原作の「オペラ座の怪人(phantom of the opera)」である。演劇のspiritを語るに、オペラ座の怪人の如く、spiritが、舞台に立ちにくい風貌や五体不満足な容姿である必要はもちろん全くないはずだ。若くして先頭に立ち、ますます自信の理想を目指して研鑽しようとする強靱なspiritも、次第に五体が裏切り始める。そんな老いへの葛藤と進化する舞台論。それはホンマものの大スターが語っても良いはずだ。少女仮面の主人公として実名が出ている春日野八千代は作品のつくられたときはまだ50才代であった。卿の感覚ならまだ新人。ご本人のご意向如何に関わらず、演劇の霊として春日野八千代を祭り上げてしまったのがこの芝居なのだろうか。 霊自身は気さくでユーモラスな善意の塊であっても、それでは周囲が許さない。怪しげな地下喫茶室が入り口で、擦った揉んだが準備されている中、語りかけるためには女優を目指す娘が春日野八千代に会うために、その後見夫人と執拗に追い求め、後半、対話による私論展開になるーーーーー 唐十郎-鈴木忠志-白石加代子、この3者による50年前の演劇論は、今に新しい。若き白石加代子が演じる春日野八千代はロゴスそのものの熱情がほとばしっていたであろう。 然るに、あの頃築いた大衆の連帯感と創成への息吹は何処に行ったのか、今は、嘘しか話すことができない空虚な宰相を引きずり下ろすことも出来ずに意図的円安による国際的経済力後退に始まる馬鹿のミクスじり貧の道を辿るのみなのか。 文科省予算など獲らないほんまの演劇は何処へ? 若村麻由美の持つカリスマ性と木崎ゆりあの存在感は、特に前者は初めて目の当たりにして、思っていた通りだったという満足感。この二人の女優は夢を感じさせてくれている。 ニャンスケ、一縷の微弱な光明を時として感じつつも、暗闇の中なのだ。唐十郎 1 少女仮面/唐版 風の又三郎/少女都市からの呼び声 (ハヤカワ演劇文庫) [ 唐 十郎 ]楽天ブックス【中古】単行本(実用) ≪日本文学≫ 少女仮面/唐版 風の又三郎【中古】afb
2020.02.22
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2020/1/24 ニャンスケ一行、ラ・ボエームを観る。ジャコモ・プッチーニ作曲、ラ・ボエーム La Boheme、イタリア語上演 日本語・英語字幕 新国立オペラパレス、原作:アンリ・ミュルジェ、台本:ジュセッペ・ジャコ-ザ/ルイージ・イッリカ、作曲:ジャコモ・プッチーニ、指揮:パオロ・カリニャーニ、演出:栗國淳、出演:ミミ:ニーノ・マチャイゼ、ロドルフィ:マッティオ・リッピ、マルチェロ:マリオ・カッシ、ムゼッタ:辻井亜季穂、ショナール:森口賢二、コッリーネ:松位浩、ベノア:鹿野由之、アルチンドロ:晴雅彦、バルビニョール:寺田宗永、門番:秋本健、物売り:中川誠宏、軍曹:細岡雅哉、税理士:照屋睦、子供:本坊稜貴/境究武〔アンダーアスタディ)図1.パンフレットと半券より 宿主もその相方も、相変わらず、何事にも予習をしない。一方、観劇の日、劇場までの経路や開場時間を調べているのは、いつも宿主である。ということは相方より宿主の方が多少まともなんだろうか?2020年1月24日、新国立劇場オペラパレス、着席して直ぐに二人は配布されたあらすじを読み始めた。それまで、今日観るオペラの題目がLa Bohemeであることを二人とも確とは認識していなかった。そして二人とも、「『ボエーム』って何だ?」という感じであった。少し前、Madam Butterflyを観た後、世界ではどんなオペラが観られているのだろう? 蝶々夫人なんで日本でしか公演されていないのではないか?というような興味から世界オペラランキングなるものを当たってみた。オペラ上演は圧倒的にヨーロッパの劇場である。劇場が沢山あり上演数が多いのはベルリン、モスクワ、サンクトペテルブルグ、パリ、ウィーン、ロンドンなど。日本での上演数は欧米の数に比べて殆ど誤差範囲内。そして、世界にはいろいろなオペラランキングがあるが、Madam Butterflyは10位辺りにいることが多いことが判った。(蝶々夫人観劇記は2019年7月18日記述。) 上位の定連には魔笛(2019年10月18日の本稿)、椿姫(La Traviata)(2020年2月13日の本稿), カルメン(未観賞)などのニャンスケに記憶のある題名と並んでLa Bohemeの名が何処でも上位にあった。La Bohemeって何だろう?場内配布のあらすじを読み始めて直ぐにサラッと見えた。またまた言葉の壁で何でも無いことが見えてなかったのだ。ボエームとはhの発音が出来ないフランス語読みでのボヘミアンのことだったのだ。パリの一角カルチェラタンの周辺に集まってきた芸術化志向の流浪風の人々がボヘミアンと呼ばれるようになって来た。その連中の物語なのだ。 しかし、芸術家志望で集ってくる人々をボヘミアンという言葉で指すことはいつから始まっていたのであろう?これは観劇の後で調べたことなのだが、Opera La Bohemeのstoryの原作者とされているHenri Murgerが1851年にまとめた、Bohemian lifeを舞台とした小品集、Scenes of Bohemian Life、の序論に見事な歴史的流れがまとめられている。(https://note.com/catotriptyque/n/ne969eb59d0e0、2020/2/17 2:00) ニャンスケ的理解でまとめれば、ボヘミアの独孤性は17世紀宗教戦争の頃から始まる。宗教改革の先端を走ったボヘミアは神聖ローマと戦うことで、ヨーロッパの長い戦乱の時期、30年戦争が始まる。ボヘミアの民は流浪のロマの人々と重なる。19世紀に入りパリ周辺に集まってきた進取の気鋭盛んな芸術指向の人々が、ボヘミアスタイルと呼ばれるようになり、それをある意味で定着、そして公知にしたのが決定づけたのがHenri Murgerであり、またそれを評判のopera として更に世界に広めたのがプッチーニであり、この作品La Bohemeだったのだ。初演1896年。指揮は若き日の、かの大指揮者、トスカニーニ。トスカニーニの音は、熟年期以降のものであれば、音盤とデジタル技術を通して、元の息吹が充分感じられるものを我々は聴くことが出来る。 若いミミは貧しいロドルフィの部屋に同棲する内に結核にかかってしまう。ロドルフィのミミの健康状態への危惧と分かれた方がミミの健康に良いのではないかという思いを、逆に気遣ったミミは、自ら田舎で静養すると偽り、分かれて街の片隅に一人住いする。やがて症状が重篤になる中で、ミミは懐かしいロドルフィたちの住む破れアトリエを訪れ、再開して、ロドルフィの部屋で死を迎える。的確にまとめられている配布されたあらすじは図として下に示す。 図2 場内配付資料より あらすじ 抜粋 ニャンスケはこのオペラを観つつも、様々な想念・疑念に囚われてしまった。 何だか似ている。一途に純な心を持った若い女性の、思う相手を心遣いながらの孤独な死。La Traviata, La Boheme, そしてMadam Butterflyまでも. さらに、La TraviataとLa Bohemeでは、死は、貧しさ・栄養不良とカラッとしない喚起と日差しの悪い居室に由来する、1950年代までは不治の伝染病とされていた、結核によるものであった。作者の視点は死に行くヒロインにおかれている。そして、La TraviataとLa Bohemeでは、前者は良家のボンボン、後者は貧しい画家であるが、何れを問わず、ヒロインの相方にも寄り添っている。蝶々夫人は一寸違い、ピンカートンは酷い奴という役割で終始していたように記憶。欧と米の違いなのだ。 今に至るまで、何処でもオペラの観客は低所得層ではない。日本の劇場入場料は異常である。一桁高い。だが、一桁値段が下がっても、観劇料は安くない。オペラ鑑賞は、欧米では正装である。勿論べらべらの安上着とボロネクタイ、引っかけられたら破けそうなロングスカートと肩の出たドレス、そんな服装でも、客席では兎に角正装。表に出るときは、中の服が見えないコートをピッタリ羽織り、早足で人通りの多い明るいところを、車(19世紀は 馬車)その他の手段を用いて最短距離で夕食の場、ホテルあるいは自宅等へ。そんな中流上流の客層が皆、貧しい若い女性の死の物語La TraviataやLa Bohemeを、素晴らしいオペラと称え、たぶん哀惜と感動と、喝采の中で観ていたのである。 今回観たヒロイン、ミミを演じたニーノ・マチャイゼは、ミミ役でデビューしたベテラン歌手で、ミミ役は当たり役なのだという。死の床での細く消え入るような歌声が会場隅々まで染み渡るように通っていく。これは素人ニャンスケの感覚では物凄い芸なのだ。もちろん、世界の主役級は皆やってのけていることなのではあるが! プッチーニは現在頻繁に上演されているオペラ作曲家の中では最も現在に近い。ニャンスケ一行が観たのは、大いに楽しめたジャニス・スキッキ(2019年4月26日の記事)、悲劇的な若い女性を描いた蝶々夫人とLa Bohemeの3つだけであるが、古典的作曲家の時代から見ると背景となる題材が多様化して来ているように思える。 今回のボエームに関するまとめとして:ボヘミアンの生き様と野生・繊細・心揺さぶる愛の凝結した作品、それが舞台に具現できていた。喝采。プッチーニ: 歌劇 ラ・ボエーム [DVD] ぐるぐる王国DS 楽天市場店プッチーニ: 歌劇「ラ・ボエーム」[DVD] / オペラCD&DVD NEOWINGDVD/クラシック/プッチーニ:歌劇(ラ・ボエーム) (限定版)/UCBG-9104サプライズ2カラヤン/プッチーニ:歌劇「ラ・ボエーム」【中古】 プッチーニ:ラ・ボエーム 全曲 /ミレッラ・フレーニ,アドリアーナ・マルティーノ(S),ジャンニ・ライモンディ(T),ローランド・パネライ(Br),フランコ 【中古】afbブックオフオンライン楽天市場店
2020.02.18
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「少女都市からの叫び声」劇場:Space早稲田、演出:小林七緖、音楽:諏訪創、振付:スズキ拓朗、プロデューサー:流山児祥、少女・雪子:山丸莉菜、男・田口:井村タカオ、有沢:山下直哉、ビンコ:原田里央、医師・乞食老人・老人・兵隊:勝俣美秋・佐野陽一・祁答院、老人・兵隊:大久保鷹、乞食老人・連隊長:中原和宏、フランケ醜態博士:伊藤俊彦、看護婦・フランケの助手:星美咲・江口翔平 La Traviataでパパタナシュに圧倒された翌日、2019年12月6日、ニャンスケ一行、今度は地下鉄早稲田駅の近く、Space早稲田という、昨日とは対照的に小さな劇場にいた。観るのは「少女都市からの叫び声」である。1昨年3月28日に粱山泊のものを観た。今回は流山児。ただチョットそれだけではないファクターが掛かっていたように思う。1粱山泊公演についての感想は2018年4月23日付けの欄に記載してある。 見終わった直後の率直な感想、粱山泊の舞台より判りよい。当然のご意見として「一寸待て一昨年の舞台をもう一回見たら、ずっと理解が進んだのでは?」というのが出て来るだろう。たぶん違う。今回の舞台の方が説明的だったのだ。 重篤な田口の脳裏に浮かぶ幻影の中で、ガラスの子宮を持つ,あるいはガラス細工で出来ているような、繊細な美少女が彷徨する。それはフランケ醜態博士の田口への手術とそれによる治癒で終わる。そして、芝居の大部分は少女の彷徨の物語である。 2018年の粱山泊の公演では、友人有沢が恋人とともに病床の田口を訪れる辺りや、終盤と田口の視る幻影の間が中山ラビの歌声で糊塗され、舞台と客席、つまり劇場空間全体が幻影の中の「ガラスの子宮を持つ少女」に集中し、舞台印象は全てガラスの少女にかかっていた。自然に、視点は少女の視点に重なり、そこに皆の思いが方向付けられていた。客層がそういう方向付けに対応出来る若い層でなくなっていたこと、そして舞台装置が、その歳よりサイド向けになっていたこと、チグハグ感がぬぐえなかった。しかし、ドカドカと積み込まれたsur-realism感、あのボロボロになった青春の残滓感、といったようなものは圧倒的であった。 今回の公演、話の筋道は大部すっきりしているのだが、この戯曲では肝心の筈の、被破壊感がない。芝居の頭と尾が現在の一見平穏風な、かりそめ現実に確りと綱ばれてしまったため、「ガラスの子宮を持った少女」は、一つのお話として、額縁に入れられたように対象化されてしまった様なのだ。 新しい方向を探るとき、そこに生まれてくるものは既成概念を凌駕する。寺山修司や唐十郎の活動は既成概念を打破し、それ故に様々な形で妨害を受けてきた。時代と共に、新規でそれ故に疎外されてきた芸術が、古典として祭り上げられるようになってくる。祭り上げられて模倣者が出てきたとき、もうその活動は新規性を失う。 今回の公演が『日本の演劇人を育てるプロジェクト:新進演劇人育成事業、文化庁委託事業「2019年度次代の文化を創造する新進芸術家育英事業」』というような仰々しい副題を付けた政府援助公演となったとき、もはやその斬新さは過去のものになり、口当たりの良い娯楽に変質していく道を歩み始めたのであろうか。 早稲田が野生を失って一寸野性風、一寸在野風を気取った官僚集団になってしまったかも知れないことと、今回のSpace早稲田の公演はニャンスケの脳裏で符合してしまうのだ。 出演されている方々、芝居自体は、それなりに面白かったです。それなりに良かったです。 図1 少女都市からの叫び声 パンフレット表図2 少女都市からの叫び声パンフ裏唐十郎コレクション(3) 少女都市からの呼び声 [ 唐十郎 ]楽天ブックス唐十郎コレクション 3 少女都市からの呼び声 戯曲篇 / 唐十郎 【全集・双書】HMV&BOOKS online 1号店
2020.02.14
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原作:アレクサンドル・デュマ・フィス、台本:フランチェスコ・マリア・ゼアーヴェ、作曲:ジュセッペ・ヴェルディ、 ヴィオレッタ:ミルト・パパタナシュ、アルフレード:ドミニク・チェネス、 ジェルモン:須藤慎吾、フローラ:小林由佳、ガストン子爵:小原啓楼、ドゥフォール男爵:成田博之、ドビニー侯爵:北川辰彦、医師グランヴェル:久保田真澄、アンニーナ:増田弥生、ジュセッペ:中川誠宏、使者:佐藤勝司 オペラづいている宿主は12月5日、又もや初台のオペラパレスにいた。今日はVerdiの人気オペラ、常にオペラ上演ランキングの上位にいるLa Traviataである。このオペラ、日本では椿姫という題で知られている。欧米諸国では、La Traviataと言う題名はこのオペラの固有名詞の様に使われていつ。厳密には翻訳しにくい言葉らしい。The Fallen Woman, 堕落させられた女、と言うような意味のようである。 何故、日本では椿姫としてしまったのか。外国作品を翻訳する際、客の好みそうな、あるいは日本人の西欧文化へのあこがれを利用しようという魂胆から、原題とは全くニュアンスの異る題名が付けられることが屡々である。そして、それが固定化されてしまうことが少なくない。それによって、日本語の題名に馴染んだ客は、作品に誤ったの先入観を持ってしまう。オペラ椿姫も、日本の市井の人々から、そういう誤解を持たれ続けた作品の一つなのであろう。 このオペラの元ネタはデュマAlexandra Dumas filsの小説とシナリオ、その原題はLa Dame aux camelias, or The Lady of the Camelias,である。実家に椿の園がある娼婦になった若い女の話であった。その上演を観て触発されたヴェルディが書き上げたのが、主人公の名前をヴィオレッタにしたオペラであった。当初は主人公の名前をもちいてヴィオレッタという題で上演されたが、あたらず、内容を修正して改題して上演したところ大当たり。それがLa Traviata。だから、邦題をLa Traviataとは別に付けたかったなら、椿姫ではなく菫嬢とでもすれば良かったのかも知れない。菫姫も許容内か? いろいろなグループがオペラ上演の統計を取っている。なかには、2018-2019、世界で一番上演されたオペラがこのLa Traviataだとしているものもあった。何れの統計でも、La Traviataは5本の指には入る。 今回、宣伝では、ヴィオレッタ役のミルト・バパタナシュとアルフレード役のドミニク・チェネスのヨーロッパオペラ界の現在注目を浴びている若手ホープ二人を呼び上演、と言うような触れ込みになっていた。しかし、たぶん開幕数分後には、舞台がヴィオレッタを演ずるミルト・パパタナシュの圧倒的なパーフォマンスに席巻されていた。 カーテンコールで垣間見える歌手・関係者間の人間関係、上限関係などから、ミルトが圧倒的な才能と実力を兼ね備えた若いトップスターで、皆から尊敬と人気を勝ち得ながら、フランクで謙遜な人であることが充分に窺えた。海外からの招待演者の中でも正にセンター位置であった。ミルトは、ヴィオレッタ役でデビューし、そのヴィオレッタ役が当たり役となって、今はヴィオレッタ役の第一人者になっているという。 ヴィオレッタは、貧しさ故、ある年令になれば娼婦となって糧を得ていくという生き方が自然であるような環境にいた。そして、恵まれた美貌と才知で、瞬く間に高級娼婦として社交界の花となっていった。富と高級娼婦としてのそれなりに確固たる名声に恵まれる状態になっても,ヴィオレッタは娼婦であるという引け目と普通の家庭生活への憧れを抱きつつ、良き人であり続けていた。そんなヴィオレッタへの求婚に成功したのは良家の一見好男子風アルフレードである。ヴィオレッタは生活力のないアルフレードと、蓄財を取り崩しながらパリ郊外での家庭生活委を始める。 ところが、アルフレードの父親は息子が娼婦に騙されて財産を奪われていると誤解し、ヴィオレッタを追い出してしまう。 財産も家も奪われ、住んだ田舎屋で、兼ねたから兆候のあった結核が悪化してきたヴィオレッタは急速に衰え、死の床にいる。誤解を知った父はアルフレードを伴ってヴィオレッタの方に向かう、アルフレードとその父の訪問・再会と和解。それは現実なのか、死の床でヴィオレッタがみた幻影なのか。息も絶え絶えのヴィオレッタの死の床のアリアが終わり、それまで青基調だった舞台の色が急に赤紫の光り基調に代わり、ヴィオレッタが白衣ですっと立ち、希望に満ちた表情で「いつの間にか痛み新しい未来が感じられる。サア生きよう。」と、素の台詞で舞台中央前面から客席に語りかける。 このLa Traviataの結末解釈、キリスト教的な人間観あるいは死生観とミルト・パパタナシュの人となり、それに演出家の独創、この三者がモザイク的に融合した見事な舞台であった。 蛇足ながら音楽的なお勉強感想:オラトリオやカンタータでヴォーカルが器楽と相まって多重な音の流れを創出する、交響曲の更なる多層化が実現。これがモーツァルトに依って18世紀に到達されたオペラ構成の頂点の一つ。一方、20世紀には舞台芸術としてはミュージカルが発展し、また映画という新しい世界が出てきた。器楽演奏・効果音などは、舞台展開を進めるコーディネータ・指揮者であり、映画・映像の場合は、全てがプリセットされて観客に提供されるようになる。 ヴェルディは19世紀のオペラの典型なのだろうか。アリアを軸に舞台が数個の大きなブロック〔幕〕で構成される。そのアリアとそれを結ぶのがソプラノテナーの掛け合い、アンサンブルなど。それ等の進行を支える基調をつくっているのがオーケストラ、という役割分担のスタイルが明確に出ている。【輸入盤DVD】【ネコポス送料無料】VERDI/LAZAR/HUBERT / TRAVIATA 【DM2020/1/17発売】【輸入盤DVD】【ネコポス送料無料】VERDI/VASSILEVA/PINI/TREVISAN/GIORDANO / LA TRAVIATA【輸入盤DVD】【ネコポス送料無料】VERDI/GIMADIEVA/LONDON PHILHARMONIC ORCHESTRA / LA TRAVIATA【新品】 Verdi: La Traviata [DVD] [Import]あめりかん・ぱい
2020.02.13
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