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さて、波乱の幕開けをした夏休みの続きを書こう。夫は私が娘達と大町温泉に1泊して、山の家に1人寂しくもう1泊した次の日、観光客でにぎわう高原電車の駅に帰って来た。高原のホテルでランチを食べさせたり、山小屋でゆっくり休ませたりしたのには私の下心があったから。すっかり英気を養った夫の運転で、その2日後の早朝、私は再び信濃大町の駅前に立っていた。4日前、娘の夫を見送った時確認しておいた駅前駐車場に車を置き、立山アルペンルートの旅を計画通り始めた。大町からバスで扇沢へ。お盆も終わったと言うのにトローリーバスの発着場にはたくさんの観光客が並んでいた。私の手には長野県側から富山県側に抜けるバスやケーブルカーやロープーウェイの乗り継ぎ表がしっかりにぎられていた。とにかくその日は夕方までに予約変更して再予約しておいた宇奈月温泉まで辿り着かなければならないのだから。スタートトロリーバス、車窓はすべてトンネルの中、16分 トンネルの中でバスを降りると、ダムに抜ける歩道を歩く。そこもトンネル。富山県側から来る人とすれ違った。 トンネルを抜けると黒部ダム。ダムを歩く。15分。そこから見下ろせば虹を作り出しながら放水する黒部ダム、見上げればこんな感じ。2,500mを越える山々が雪渓を見せて青く光っている。ダムの上を歩いてケーブルカーの乗り場へ辿り着くと、整理券を渡され説明を受ける。係りの人が黒部平から降りてくるケーブルカーを待つ間、面白おかしく説明をしていた。「ケーブルカー、その次はロープーウェイ。間違わないでくださいね。ちゃんと富山側に辿り着いてくださいね。こんなに何度も説明しても、ここにまた帰って来てしまう人が必ずいるんです。1日に何人もいるんです」フーン、そんなにどじな人がいるんだ。係りの人はうるさいぐらいに何度も説明をしている。ケーブルカーの次はロープーウェイ、景色を見ればさっき通ったところか違うかぐらい分からないわけが無いじゃない、と内心思った。ケーブルカーは山の中を登る。トンネル5分。外は見えない。ケーブルカーを降りると黒部平。はるか眼下に黒部湖とさっきまで居たダムが見えた。次はロープーウェイに乗って大観峰を目指す。ロープーウェイ乗り場のある建物の中は観光客でごった返していた。「今日は臨時便が出ます」と言うアナウンスだ。それ急げ、今のところ順調に進んでいる。ちょっと入場料のもとを取ろうとがんばってディズニーランドのアトラクションからアトラクションを渡り歩いている気分。山の中腹に白く四角に見えるのが次の目的地、大観峰。ケーブルカーに乗るため長い列の後ろに並んだ。そこかしこで団体さんたちも列を作って並んでいる。その時夫が言った。「ここ違うんじゃない?ケーブルカーって書いてあるよ。」「え!」おお、危ない危ない。ケーブルカーでまた長野県側の黒部ダムに帰ってしまうところだった。また再びあのおじさんのところに帰り、1日何人もいる間違える人の1人になって、罰が悪そうな顔をして、もう一度整理券をもらってケーブルカーに乗リなおす所だった。夫にせかされて反対側にあるロープーウェイの乗り場に急いで並び直した。夫が冗談も皮肉も何も言わないのが不気味だ。無事ロープーウェイに乗って大観峰へ。外が見える。自分が立山を登っているのがはっきり分かった。富山県側に向かっているのは間違いなかった。大観峰でまた次のトロリーバスを並んで待つ。だって、これだよ。 ↑長野県側に戻るロープーウェイ ↑富山県側に行くトロリーバスこの2つのゲートの距離はほんの7メートルぐらい。同じフロアーで、外の景色が見えない建物の中。これじゃあ、「帰ってこないでください」と言われたって間違えるよ、とつぶやいた。夫は黙って、売店で売っている長野の名物「おやき」を見つめていた。不気味。
August 30, 2010
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旅立つ君へ今昔のMixi見てきたよ。君がアメリカの大学卒業して帰って来てまだ2年ぐらいしか経ってないんだね長い長い年月だったような気がするのにあまりにいろんなことが有り過ぎて思い出せないあれは君がアメリカの田舎の大学在学中の話だったのか、2年前に帰って来た後の話だったかもうごちゃごちゃでわからない大学院に行こうか日本で就職しようか悩んで帰って来て、銀行に勤めて、やっぱり勉強したくて銀行辞めて、アルバイトしながら勉強続けて。 私はいつも君は白樺の木みたいだと思って見ていたよ。風が吹けば折れまいとしてがんばって結局がんばりすぎて小枝をポキリと折ってしまう。心配で、なぜそんなにがんばるんだろう、「葦のようにたまには風に流されてごらん」 と思うときもあった。「見ていられないよ」と思うこともあった。何を悩んだ?いくつ悩んだ?ふふふ、それらは人生の肥やしになったかい?ずーっと前に私が言った言葉を覚えている?「若い時の悩みは成長の証しだよ」って。いつもいつも悩んでいた君にもう一度その言葉を伝えよう。しかし、まあ、風で白樺の小枝が折れたって、うちの山小屋の白樺の幹はびくともしないけれどね。 私はいつも言っていたね。「アメリカには何時帰るんだい」って。今夜、お別れの夕食会の後で黒い犬を連れて夜道に消えていく君を見送る時、私はこう言ったのが聞こえたかい。「ニューヨークに行ってらっしゃい」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー若い友人が3日後にニューヨークに旅立つ。とりあえずは5年間の大学院生活で。でもきっと帰って来ないんだろうな。若い白樺がアメリカという地に根を降ろし、しっかりと根を張って、暑い夏にはふさふさと緑の葉を生い茂らせた堂々たる大木になっている様子が目に浮かぶ。
August 28, 2010
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私と夫の夏休みは大変な一日から始まった。先に長野の山の家に行って楽しんでいる長女夫婦と次女たちを追いかけ、私達も山の家で合流して、その翌日は栂池まで行き高原をハイキング、大町温泉で温泉に入り、そのまた翌日東京に帰る娘達と別れ、立山アルペンルートの旅をする。富山県に抜けたら、その夜は宇奈月温泉に泊まり、早朝のトロッコ列車に乗って黒部峡谷で遊び、その足で電車を乗り継ぎ大糸線の旅をし、大町に置いておいた車に乗って山の家に帰る。とまあ、長い長い盛りだくさんの旅をするつもりで、2軒の旅館とトロッコ電車の予約をしておいた。さて問題の14日、出発日。夫の会社にアクシデント発生。山の家に向かう車の中でひっきりなしに夫の会社から電話。助手席の私は秘書さながら、夫の代わりに電話を取り、名前を聞き、折り返し掛けることを相手に告げる。夫はSAに付く度、その電話の主に電話を掛けなおし、指示を出す。勝沼を出る頃、夫はついに翌日山小屋から帰ることを決定、羽田からの飛行機の手配、九州、羽田のホテルの手配を指示していた。そして私は、山の家にいる娘達に大町の旅館1人欠員、宇奈月の旅館の日程先延ばし(キャンセルはしない。転んでもただじゃ起きないとはこのこと)を依頼した。トロッコ電車の予約も先延ばしする。(絶対乗るのは諦めない)翌朝、娘の運転する車はJR最高路線を走る高原の小さな駅で東京に帰る夫を送るために停車した。「行ってらっしゃい」山の家、滞留時間10時間。夫はバカンスの私達をホームに残し高原電車とともに小さくなって行った。「さあ出発」長女夫婦と次女と私は予定の1人を欠いて、一路大町を越え、白馬を越え、栂池高原に。栂池はそれはそれは美しかった。時々霧がさあと緑の山や建物やすべてを包む。「私も旅行遠慮するわ」とは言わなかった後ろめたさがちょっと霧のように心を通り抜ける、なんてことはなく、2時間の湿原ハイキングを楽しんだ。その夜は、大町温泉に宿泊。予定通り。1人欠員。温泉はすばらしかった。料理も美味しかった。夫には言えないや。翌朝、長女は車を運転してもう1人の企業戦士の彼女の夫を大町駅に送って行った。その日に羽田を発たなければならなくなったという。車で娘達と帰り、もし渋滞に巻き込まれたら、飛行機に乗れないからと、彼は電車を選んだ。3人になった。メールチェックした次女が言う。「あああ、月曜日帰ったら外出だ」ここにも企業戦士が1人。私を山小屋に送って、その足で東京まで運転出来ない次女(免許証は持っている、高速は怖い)を乗せて、1人で運転して帰る長女もまた、翌日からは仕事場だ。朝、旅館を8時に出発して東京に着くのは夜になるだろう。16日の夜、狸や狐や鹿の出る山の家に1人私を残し、企業戦士たちは帰って行った。1人になった。夫が帰って来るまで私は山で1人。
August 24, 2010
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日本語プライベートレッスンのキムさんが韓国に帰った。10月に赤ちゃんを韓国で産んで、また赤ちゃんを連れて日本に帰ってくる。キムさんと一緒にトイプードルのチュマンも韓国に行った。チュマン、本当の名前は彼をペットショップでジュウマンで買ったから「十万」。でもキムサンは「チュマン」と発音する。そして韓国のご主人の実家から写真を送ってきた。日本のアパート4Fの暮らしから突然広いところに出て、喜んで走り回るチュマンの写真。韓国に帰ったゼリンさんからは息子のジュンちゃんの」テコンドーの写真、カナダにカウチサーフィンとやらに行ったフランス人のジルダからはカナダの絵葉書、フランスのステベンからはまた日本に来たいという文章が入った夏の便りが届いた。ドイツからもヨハンナが「もう夏休みが終わっちゃって仕事に戻った」と便りが来た。我が家の次女も泊めてもらったことのあるバレンシアの別荘に今年も行ったのかな。「スイス旅行で日本人に会ったよ。日本語たくさん話して楽しかったよ」と言っている。その日本人もきっとにこにこして日本語を話す青い目の女の子に親しみを感じたに違いない。オレゴンのリナからは連絡無いのに、リナのおばあちゃんとママからはそれぞれ英語と韓国語の便りをもらった。家族でハイキングに行った写真とともに。そしてリナもママもそれぞれの学校で教師としての仕事に戻った。アメリカやヨーロッパはもう長い夏休みが終わろうとしている。日本は夏休みの真っ只中。そしてそろそろ秋風が吹くんじゃないかという頃、我が家の夏休みが始まる。今日から長野の山の家に行ってきます。来週の日曜日までブログ留守にします。
August 14, 2010
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青春18切符を使っての旅、第2弾はどこに行こうかな。今回は目的地を明確に決めよう。候補は1.身延山まで行って帰ってくる。 2.益子まで行って陶器の街を見る。 3.御殿場線を利用する。こう、暑くちゃ益子の街中など歩いてはいられないだろうし、身延のお山まではバスを乗り継がなきゃ行けない。そこで、今回の目的地は、「東海道線で三島まで行き、クレマチスの丘で遊び、御殿場線で帰ってくる」に決定。 出発総武線から大船で東海道線小田原行きに乗り換え→三島へ三島駅にはクレマチスの丘行き無料シャトルバスが迎えに来ていた。実は夫には今日は御殿場線の旅、ついでにクレマチスの咲いているところに行くとしか行ってない。本当はね、クレマチスの丘には美術館が3館、文学館が1館ある。美術館があまり好きじゃない夫に最初から告げれば、目的地を変えられそうなので目的地の近くまで秘密にしておいた。さて、バスを降りるとおもむろに告げる。やっぱり!「えー、先週何とか作家の文学館に行ったけど、本とか使っていた机とかしかなかったよ」まあ、そう言わずに、私の1番好きな作家なのだから我慢してくださいな。最初は井上靖文学館。実は私はこの文学館に学生の頃1回、その後夫ともう1度訪れているのだった。しかしながら夫は覚えていない。〇10年前だといっても、来たことぐらい覚えていないのだろうか。この忘れっぷりに思わず、私は他の人と来たのだろうかと自信をなくすほどだった。受付には以前来たときと同じおじいさんがいた。???そんな訳無いか。20年以上、おじいさんでいるわけが無いものね。だんだん記憶に自信が無くなる。文学館を出ると向かいのベルナール・ビッフェ美術館へ。ここへも2回来ている。「ここは覚えている?この蟹の絵見たよね」「覚えてない」「他の人と来たんじゃない?」といういつもの冗談も出ない。これは重症だ。美術館は増築して大きくなっていた。ビッフェは絵の中に大きく自分のサインを入れる。彼はそのサインを毎年変えたんだそうだ。それは同じように見えて微妙に違っている。自分でそのサインを覚えられるのかな、と見ていると、サインの中に年代を入れ込んだものがいくつか有った。やっぱりね。自分でも覚えられないんだ。文学館と美術館を囲む一帯はうっそうと木が生い茂る森になっていた。昔来た時はススキの原だったような気がしたが。森のつり橋を渡り丘を登る。この先は新しく出来た地域だ。「次はイズ・フォト・ミュージアムね。」美術館はあまり好きじゃなくても、写真が大好きな夫だから今度はいいかな、と誘う。しかし残念ながらそこは予想に反して、芸術写真の美術館ではなく、写真の歴史のようなものだった。私もちょっとがっかり。これは火山が噴火しないうちに次に移動しなければ・・。その横に有った和風レストランの入り口に揺れる「氷」の旗に気を惹かれるも、次の美術館、ヴァンジ彫刻庭園美術館に入る。今までの屋内に展示された絵や写真や本とは違って、ここには広い芝生の庭園に開放感たっぷりに、彫刻が配置されている。私達はところどころ庭の大きな楠の木の下に、クレマチスの花咲く花壇の中に、バラ園の木漏れ日の中に置かれた椅子に座って休んだり、写真を撮ったりゆったり過ごした。私達がその庭園に置かれている彫刻になったような時を過ごした。変わり番こに撮る写真も何故か、芸術的。 高原の風が通り抜けるイタリアンレストランのテラスでピザとバジルのスパゲッティを半分こして食べた。さっきの鬱蒼と木々が茂る文学館の有る地域は記憶の彼方に。だけど、きっともう思い出しているよね。ずっと昔、ここへ来たことを。あの細い、細いビッフェの自画像を見た記憶を。そしてまたバスに乗って戻った三島から、私達は本日の青春18切符、目的の御殿場線に乗った。ブログ友達のhancoromoさんが、御殿場線は何も無いところと教えてくれた。いやいや、御殿場線はいっぱい、いっぱいすばらしい絵がある美術館。各駅停車の電車がひとつ駅を移動する度、電車の窓枠の中の絵は田舎の風景から、森の風景になり、橋の風景が現れ、見たことも無いような大きな雪を頂かない富士が現れ、その富士が角度を変え、表情を変え、過ぎ去る。駅に着き人々が乗り景色が動けば、赤い鉄橋が窓枠のキャンバスに現れる。そして梅林を描き、小川が流れ、稲穂が揺れる田園を描いて、最後に海辺の町を描いて電車の美術館は国府津の駅に着いた。ステキなところだったね。今日の旅は良かったね。きっと記憶のアルバムに仕舞って置こうね。御殿場線という美術館に大満足で岐路帰路に着いた2人だった。「氷」を食べ忘れた!
August 11, 2010
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旅で一番楽しいことは、その旅の計画をしている時かもしれない。いざ旅に出てしまうと、あっと言う間にその旅は終わってしまうから。7月の第3週の日曜日夫と青春18切符を使って旅に出た。デビュー戦としてはまず近場で小手調べと、房総半島一周の鈍行の旅に出たのであった。朝、久里浜港からフェリーに乗った。(これは有料、別料金)房総半島、浜金谷の駅で、「ただいま職員居りません、御用の方はお声を掛けてください」と窓口に掛けられたメッセージボードの脇から、奥でイスに座って昼寝を決め込んでいた駅員を強引に起こして、その日の青春18切符スタートスタンプを押してもらってから、鉄道の旅はスタート。鈍行だから、30分も行かないうちに電車は終点の館山に着いた。電車はここで安房鴨川行きに乗り換える。海辺だからきっと海水浴客で込んでいるだろうと、先に半島の先を目指したのだが、それらしき客は誰も乗ってこない。地元客だけ。「なんだかすごく田舎の風景だね」と夫に呼びかけるが、「え!、えええ!」すでに夫は爆睡中。「もう?」40分足らずで安房鴨川に着き、今度は外房線勝浦行きに電車を乗り換える。昼食は勝浦でとるように市内のレストランをwebページで出してきているから次の降車駅は勝浦に設定してあった。しかし、館山の駅でもらった房総半島観光パンフレットに勝浦海中水族館というのを発見したので、「ここに行きたい」と勝浦の一駅手前の鵜原で途中下車に変更。海中水族館はそこから歩いて15分。鵜原駅一駅前の上総興津のホームに電車が滑る込み始めた時、夫が叫んだ「海中水族館はここから7分ってホームの看板に書いてある」私達は予定の駅より1つ手前で電車を降りたのであった。そして看板を良く見ると「 ここから車で7分」!。「おかしいな、まだ寝ぼけているのかな」と嘯く夫に大笑いし、私達は駅前のタクシーに乗る。タクシーは鵜原の駅前を通って海中水族館のある浜に。1,500円。海中水族館を出て、さて時刻を見ると鵜原の駅に勝浦行きの電車が来るまで後、15分。駅までは歩いて15分。多分間に合わないね。ちょうど折り良く目の前に止まったタクシーに乗り、「勝浦までお願いします」と告げた。何故か頭の中には鵜原駅までは間に合わない、電車が出てしまう。という考えが占めていたのだった。そしてタクシーは発車してから5分で鵜原駅の前を通過して勝浦方面に向かった。鵜原駅ホームには電車を待つ人たちが居た。夫と私は顔を見合わせ、「ここで降りたら、まだ電車は来てなかったよね」「変更します。ここで降ろして」と叫べない私達であった。勝浦までタクシー、1650円。まあ、それでも冷房の効いたレストランで予定通り、大盛り天丼と海鮮丼を食べて再び外房線、蘇我行きに乗った。 外の景色はキラキラした海辺の景色から、夏の風に穂がなびく田園地帯へと変わっって行く。「綺麗だね」と夫に話し掛けると、またもや爆睡中。窓の外は緑の風が吹き、夏の日差しが照りつける田舎の風景。その中でがたんとごとんと音楽的に揺られながら船を漕ぐのもまあいいか。「蘇我に着いたよ。乗換えだよ」そしてまた、出発した浜金谷の駅を目指して内房線に乗り換える。ここからは東京湾沿い、線路からは遠い浜辺には化学プラントが立ち並ぶコンビナートが見える。五井、姉ヶ崎、木更津、君津。また乗り換え。ホームには逗子行きの総武線電車が止まっていた。見慣れた色の電車だ。 「これに乗ると東京を回ってわが町に帰れるよ」夫が言った。寝ていた割には頭は冴えてる?しかしね、フェリーの切符は往復で買っちゃってるのよね。そして夕日が落ちる頃、朝来た浜金谷の駅に到着。フェリーに乗って帰宅。青春切符を使って巡ったこの旅、安かったのか高かったのか。青春切符大ベテランの隣のおばさんに報告すると、「勿体無い、何でそんな近いところに行くの。名古屋とか仙台とかにも一日で行かれるのに」そして今週末は、青春18切符第2弾。御殿場線の旅。何を目的として旅に出るか、これからインターネットでそれを探そう。
August 5, 2010
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