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世界ボクシング機構 (WBO)バンタム級タイトルマッチ(5月6日 ・東京ドーム)で同級5 位の武居由樹(大橋)の 挑戦を受ける王者のジェーソン・モロニー(オー ストラリア)が30日、東京都内で練習を公開し 「記憶に残る】夜にした ーい」と穏やかな表情で意 気込んだ。 シャドーボクシングを 1ラウンドのみ披露。格 闘技のK-1出身の挑戦 者について「普段とは違ったパンチが来ると思っ ている。(武居が)何を持ってきても対応でき るだけの準備を整えてきたつもり」と自信を示し 1た。 視察した元世界王者で 大橋ジムの八重樫東トレレーナー(北上市出身)は 「雰囲気を持ったいいチ ャンピオン。やれること は全部やってきた。(王者の)思考の上を行かな いと勝てないと話し た。
May 1, 2024
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https://number.bunshun.jp/articles/-/860494NumberWeb ボクシングPRESS井上尚弥が「怪物」と評した“天才アマ”は、なぜプロに行かなかった? ロンドン五輪出場・須佐勝明が明かす、23歳で一度引退した理由杉園昌之 2024/02/01 11:00井上尚弥が自著『勝ちスイッチ』(秀和システム)で「怪物」と評した須佐勝明。アマの天才ボクサーは23歳で一度、競技人生を引退する。その理由とは――。(Number Webインタビュー全2回の第1回/後編へ続く)モンスターが認めた「怪物」… かつて井上尚弥が「怪物」と評した天才アマチュアボクサーがいた。2階級で4団体王座統一を果たす「モンスター」の異名が、世界のボクシング界にとどろく前の話である。プロ入り前の高校3年生だった井上は、9歳上のその先輩に教えを請い、「第2の師匠」として仰いだという。あれから齢を重ねて、現在は39歳。2012年ロンドン五輪男子フライ級(52kg)日本代表の須佐勝明は、「師」という言葉を聞くと、照れ臭そうな笑みを浮かべていた。井上本人から直接、言われたわけではないが、人づてに耳に入れたことはある。「そう言ってもらえるのは、ありがたいですね。当時の尚弥君は左のジャブで組み立てるときに被弾する場面もあったので、自分のパンチだけを当てるために細かいバックステップのアドバイスをしたんです。距離をうまくごまかすような戦い方を少し教えると、より相手のパンチをもらわなくなりました。もともと父親の真吾トレーナーと磨いてきたものもあり、どんどん強くなっていって」『打たせず打つ』は須佐の信条。プロの猛者たちとスパーリングを繰り返し、高校、大学、社会人と200試合以上経験して築き上げたものである。アマボクシング界ではレジェンドと呼ばれ、センスあふれるステップワークで見る者を魅了した。原点は「絶対にあいつらをぶっ飛ばしてやる」 幼少期から英才教育を受けてきたわけではない。福島県の会津若松市で生まれ育ち、将棋、相撲、スキー、ソフトテニスなどに興じ、中学校時代は長距離ランナーとしても活躍。会津地方の駅伝大会ではエース区間の1区を任されたほど。初めてグローブを手にしたのは、会津工業高校に入ってからだ。親友に誘われて、ボクシング部に入部。運動神経には自信を持っていたが、リングの上では勝手が違った。スパーリングで先輩たちにコテンパンにされてしまう。負けん気の強いやんちゃ坊主は、我慢ならなかった。「絶対にあいつらをぶっ飛ばしてやると思ったんです。泣くほど悔しくて練習に打ち込みました。そうしたら、1年生の県大会、東北大会とすんなり優勝しちゃって。これは自分に向いていると思っていたら、2年時にインターハイに出場すると1回戦で敗退。そこから、本気になりました。次は絶対にインターハイで優勝してやるぞって。気がつけば、どっぷりはまっていましたね」八重樫さんのようなボクシングがしたい 高校時代にお手本としたのは、同じ東北地区で全国的な実績を残していた2学年上のボクサー。足をうまく使い、絵に描いたようにヒット・アンド・アウェーを実践するスタイルに目を奪われた。のちに世界3階級制覇王者となる八重樫東あきら(現大橋ジムトレーナー)である。「八重樫さんのようなボクシングがしたいなと思いました。本当にかっこよくて。自分のスタイルを築いていく上で基盤の一つになりました」 高校生の須佐にとって、インターハイ制覇がすべてだった。当時は五輪出場も、プロの世界チャンピオンになることも微塵も考えていなかった。最大のライバルは、拳闘の世界に誘ってくれた幼馴染の遠藤広大。階級こそ違ったが、同期の仲間よりも大会で良い成績を残すのがモチベーションになっていた。「高校2年時は遠藤がインターハイのベスト8で僕は1回戦負け。3年時もあいつが優勝で、僕はベスト8でした」後楽園ホールで試合をしたかった…村田諒太には「絶対に舐められたくなかった」…プロのジムから出禁になったことも…オリンピックに一緒に行こう…10くらいのプロジムからオファー…ロンドンに行ける気がしてきて…#2に続くhttps://number.bunshun.jp/articles/-/860495NumberWeb ボクシングPRESS村田諒太が井上に「須佐先輩に教えてもらいな」…「須佐さーん」とかわいい感じで来る…俺もプロへ行ったら……井上が本当にすごいのは……パンチの命中率は、ずば抜けています…アマチュア時代には“隠れていた”井上の真価…階級の壁は、むしろ「新たな井上尚弥が見えるかも」…自分も違う場所で負けないようにしよう…結局、僕はボクサーなんだな…
Feb 2, 2024
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https://number.bunshun.jp/list/kw/%E5%85%AB%E9%87%8D%E6%A8%AB%E6%9D%B1Number Web八重樫東関連記事八重樫東 「尚弥、頼むからジムに来ないでくれ…」井上尚弥に感じた“本当の恐ろしさ”…スパーリングで戦った八重樫東が証言「次の動きが読まれていく」森合正範Masanori Moriaiボクシング2023/12/24八重樫東「やってやるよ、こいよ」両目がパンパンに…いま明かす“怖かった”あのロマゴン戦の心中「僕はヤンキーではないけど」「尚弥と似ていた」森合正範Masanori Moriaiボクシング2023/12/24「目がふさがった状態で…壮絶な打ち合い」日本人が思わず感情移入した…八重樫東と井岡一翔“あの激闘”の真実「負けたのに周囲の反応が」森合正範Masanori Moriaiボクシング2023/12/24「あごが外れて…ぶらんぶらんと」161cmの伝説的ボクサーが“ボコボコにされた”世界戦「普通の人なら失神している」八重樫東の衝撃森合正範Masanori Moriaiボクシング2023/12/24「大谷翔平君と尚弥はゆとり世代の成功例」大橋秀行が語る井上尚弥の“本当の強さ”とは? マス・ボクシングで感じた衝撃「ロペスと同じだ…」森合正範Masanori Moriaiボクシング2023/10/09「ナオヤはグレート」“井上尚弥20~23歳に敗れた男達”が味わった怪物の正体「それは知らなかった…」なぜ“KO回避”したのにガク然?NumberWeb編集部Sports Graphic Number Webボクシング2023/08/01「エグすぎる筋肉」解剖学者が驚愕…井上尚弥“フルトン戦TKO勝利”を生んだ究極肉体のヒミツ「上腕と前腕のサイズ感が変わらないのはすごい」NumberWeb編集部Sports Graphic Number Webボクシング2023/07/27井上尚弥のKO量産は「筋力によるものではない」現トレーナー・八重樫東が語る“間近で見たモンスター”の天才性「井上尚弥のままで引退させる」日比野恭三Kyozo Hibinoボクシング2023/07/22井上尚弥30歳に…弟・拓真が「夢だった兄弟同時王者に」と語った日、世界的識者が「イノウエはNo.1ボクサー」と絶賛する理由とはNumberWeb編集部Sports Graphic Number Webボクシング2023/04/10〈井上尚弥の次の世界王者へ〉異色のボクサー武居由樹が“初めて手こずった”防衛戦から見えた期待感 那須川天心との対戦を望む声も大きいが…橋本宗洋Norihiro Hashimotoボクシング2023/01/31「今だから言えますけど…」モンスター井上尚弥29歳が告白する“減量のキツさ”「12月のバトラー戦、前ももがつりそうだった」渋谷淳Jun Shibuyaボクシング2023/01/15「背筋も喜んでるわ」井上尚弥29歳が語る“自分の筋肉”…なぜ先輩・八重樫東にトレーニングを依頼した?「お尻がデカイとよく言われます」渋谷淳Jun Shibuyaボクシング2023/01/15[ロングインタビュー]井上尚弥「4団体統一ボディはまだ進化の途中」渋谷淳Jun Shibuyaボクシング有料2023/01/12「もちろん断然優位だ」井上尚弥に死角なし? 米リング誌の編集長も確信する“4団体統一”「バトラー戦以降もエキサイティングな未来がある」杉浦大介Daisuke Sugiuraボクシング2022/12/12日本人王者対決は激闘に…2団体統一・寺地拳四朗の名参謀が語った勝因とは?「京口選手の怖いところは…」「あの回は助かりました」渋谷淳Jun Shibuyaボクシング2022/11/03師匠・辰吉の薬師寺戦を超えられるか? 京口紘人が“因縁の相手”寺地拳四朗との日本人王者対決を語る「立場は自分の方が格上」杉浦大介Daisuke Sugiuraボクシング2022/10/31「那須川天心との対戦はある?」K-1出身・武居由樹26歳の答えは…5連続KO勝ちでタイトル奪取も「ボクサーとしての完成度は40%」渋谷淳Jun Shibuyaボクシング2022/10/25K-1王者からボクシング界の頂点へ…武居由樹をハードに育て上げた“古川会長の教え”とは「小学校の友達に『全然違う人だね』と(笑)」渋谷淳Jun Shibuyaボクシング2022/10/25《衝撃KOデビュー》“次世代モンスター”今永虎雅(22)とは何者か? 井上尚弥を上回るアマ戦績も「全く別の世界。騒がれるのは苦手」栗田シメイShimei Kuritaボクシング2022/07/04[スペシャルインタビュー]井上尚弥「次なる王道へ」渋谷淳Jun Shibuyaボクシング有料2022/06/161 2 3 NEXT >>Number Web八重樫東関連記事八重樫東 “スーパー高校生”井上尚弥の衝撃… 国内トップクラスのプロを“ボコボコ”に「そのときですね、尚弥はかなりのところまでいくんじゃないかと」渋谷淳Jun Shibuyaボクシング2022/06/06「小学生のころはお父さんも選手で一緒に練習」井上尚弥の才能はどんな環境で磨かれたのか?「飢えたような目」をした父と歩んだ少年時代渋谷淳Jun Shibuyaボクシング2022/06/06“武尊のライバル候補”から“井上尚弥の同門”へ…武居由樹が3連続秒殺KO勝利で証明した「元K-1王者がボクシングでも強い理由」橋本宗洋Norihiro Hashimotoボクシング2021/12/24「最後は転んでゴールすると思いますよ」激闘王・八重樫東が語っていた“引退を決断する日”日比野恭三Kyozo Hibinoボクシング2020/09/23カッコいい引退はできないので……。世界戦TKO負け、八重樫東の不屈。日比野恭三Kyozo Hibinoボクシング2019/12/26<タフファイターたちの記憶>八重樫東・三浦隆司「倒された。だからこそ」日比野恭三Kyozo Hibinoボクシング有料2019/11/253度のKO負けから再起の八重樫東。「試合がしたくなくなったら終わり」日比野恭三Kyozo Hibinoボクシング2019/11/15“侍ファイター”田口良一。ボクシング統一王者の知・勇・仁。安部龍太郎(直木賞作家)Ryutaro Abeボクシング2018/02/05井上尚弥相手でも、絶対に逃げない。田口良一が「強いヤツ」を探す理由。二宮寿朗Toshio Ninomiyaボクシング2018/01/21内山、三浦らが引退する中、現役を続ける八重樫の心境。~ジムの会長さえ引退を勧める中で……~前田衷Makoto Maedaボクシング有料2017/11/08テレビ局の利害、会場、ベルト……。田口と田中の統一戦を阻む要素とは。ボクシング拳坤一擲テレビ局の利害、会場、ベルト……。田口と田中の統一戦を阻む要素とは。渋谷淳Jun Shibuyaボクシング2017/07/24<徹底レポート>ローマン・ゴンサレスと拳を交えた男たち。~八重樫東/高山勝成/新井田豊/松本博志~渋谷淳Jun Shibuyaボクシング有料2017/02/06八重樫東から井上尚弥へのエール。「今やったらロマゴンに勝てる」Number編集部Sports Graphic Numberボクシング2017/01/31世界王者たちにも世代交代の波が。「U-15」勢の台頭に内山高志は――。ボクシング拳坤一擲世界王者たちにも世代交代の波が。「U-15」勢の台頭に内山高志は――。渋谷淳Jun Shibuyaボクシング2017/01/05八重樫「生き残りました」の初防衛。内山敗戦で気づいた崖っぷちの心。渋谷淳Jun Shibuyaボクシング2016/05/10山中慎介がまさかの連続ダウン――。余裕のV10が絶体絶命に変わった理由。渋谷淳Jun Shibuyaボクシング2016/03/07井上は米進出目前、八重樫は激戦必至。W世界戦に世界のボクシング界が注目。渋谷淳Jun Shibuyaボクシング2015/12/29再起戦で株を上げた井岡。三つ巴戦は実現するか。~打倒ロマゴン、井上との夢対決~前田衷Makoto Maedaボクシング有料2014/10/05見る者の心を打つ業の深い“探究心”。八重樫東が探し続けた「新たな自分」。阿部珠樹Tamaki Abeボクシング2014/09/18ロマゴンは「尚弥なら倒せる」!?八重樫東が語った、王者の強さと隙。渋谷淳Jun Shibuyaボクシング2014/09/08>Number Web八重樫東関連記事八重樫東 ファンに喝采を浴びた八重樫の「ロマゴン」発言。~“強い奴と戦う”ボクサーの本能~前田衷Makoto Maedaボクシング有料2014/03/08八重樫、村田、井上の「前座試合」が、日本ボクシング“いい時代”の証だ!阿部珠樹Tamaki Abeボクシング2013/12/11井上尚弥に抗った“特製”左フック。予期せぬ名勝負を生んだ男の意地。阿部珠樹Tamaki Abeボクシング2013/09/04プロ3戦目で日本ランク1位を圧倒!“怪物”井上尚弥は何が凄いのか?渋谷淳Jun Shibuyaボクシング2013/04/17井岡一翔の右ストレートが証明した、ボクシングにおける1.36kgの物理学。阿部珠樹Tamaki Abeボクシング2013/01/096つの“数字”で振り返る2012年のボクシング界。~プロアマ問わず目立った記録~前田衷Makoto Maedaボクシング有料2012/12/21井岡vs.八重樫の激闘を徹底検証。本物の世界戦で本物の王者を見た!渋谷淳Jun Shibuyaボクシング2012/06/21史上初の2団体王座統一戦、“大穴”は下馬評を覆せるか。~井岡一翔vs八重樫東戦プレビュー~渋谷淳Jun Shibuyaボクシング有料2012/06/19偉大な王者の前で感じた拳をめぐる時代の違い。~ボクシング界の現状を憂う~前田衷Makoto Maeda
Dec 24, 2023
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https://hochi.news/articles/20231222-OHT1T51237.html?page=1井上尚弥“八重トレ”で体重が増えてもスピードが落ちない究極ボディーをゲット「つまり状態は前回より上」2023年12月23日 5時0分スポーツ報知 # スポーツ# ボクシング◆プロボクシング ▽WBA、WBC、IBF、WBO世界スーパーバンタム級(55・3キロ以下)王座統一戦12回戦 WBC&WBO王者・井上尚弥―WBA&IBF王者マーロン・タパレス(12月26日、東京・有明アリーナ) 日本男子2人目の世界4階級制覇を成し遂げた井上尚弥。階級アップを念頭に入れて、バンタム級だった2021年秋からは、元世界3階級制覇王者の八重樫東トレーナー(40)の指導を受け、さらなる肉体強化を図っている。“八重トレ”は単なる筋肉強化ではなく、体全体を連動させてパンチの破壊力をいかに増大させるかというもの。体重が増えてもスピードが落ちないという、理想的な“不条理”がモンスターをさらに強くする。 まるで筋肉のヨロイを着けたような井上のボディー。大橋秀行会長(58)はほれぼれするような目で見つめる。「今回は練習量が増えた。それもまた進化です」。ここ数試合は70~80回だった実戦練習が116回に増えた。「バンタム級では体重を落とすためだけの練習もあったが、今回は試合のためだけの練習。スーパーバンタム級の体になっている。普通、階級を上げればスピードは落ちるが、体重が増えてもスピードは生きている」。それを可能にした一つが八重トレだ。 バンタム級だった21年11月、井上は「まだまだ筋肉はつけられる」と、今後の階級アップも念頭に八重樫氏へ指導を願い出た。同氏は自身の経験や様々な専門家のもとへ足を運んで知識を蓄え、独自のトレーニング法を考案。当初、井上には「できない動きもあった」という。ボクシングに特化した動きは抜群だが、バスケットボールなどの球技は「普通だった」。だが、適応能力も高く「すぐにできるようになった。できない動きをやれるようになることは、そのまま彼の“幅”になる」(八重樫氏)。 当初は練習のきつさに、井上は筋肉痛を訴えてスパーリングを休んだこともあったが、八重トレを重ねるうち、成果が表れた。1か月後のディパエン(タイ)戦の前にはSNSで「体脂肪率は3%ジャスト」と明かしている。 「筋肉をつけたからといって、パンチ力が上がるものではない。同じ体重同士で戦うのだから。体重をどれだけパンチに乗せられるか、なんです」と八重樫氏。キャンバスをしっかりと足でとらえ、腰→上体→腕と動きを連動させることで、無駄なくスムーズに体重が乗ったパワーが拳に伝わる。「トレーニングにはそれぞれの目的があり、その時に必要だと思う練習をさせる」。規定体重は1・8キロ増えたものの、それは筋肉量につながるから、スピードを落とさずにパワーも増す“不条理”が成り立つのだ。 井上もそれを自覚している。「フルトン(7月、米国)戦から、コンディション作りに伸びしろがあると感じていた。転向2戦目の今回は、より筋肉量を残しながら減量している。調整の段階で動けています。つまり(状態は)前回より上」。井上には勝利の2文字が見えている。(谷口 隆俊) ◆八重樫 東(やえがし・あきら)1983年2月25日、岩手・北上市生まれ。40歳。黒沢尻工3年で高校総体、拓大2年で国体優勝。アマ戦績は56勝(15KO・RSC)14敗。2005年3月にプロデビュー。11年にWBA世界ミニマム級王座を獲得。13年にWBC世界フライ級、15年にIBF世界ライトフライ級王座を奪取し、国内3人目の世界3階級制覇を達成した。20年9月に現役引退。通算戦績は28勝(16KO)7敗。現在は大橋ジムのトレーナー。大橋会長(左)とポーズを決める井上尚(大橋ジム提供)大橋会長(左)とポーズを決める井上尚(大橋ジム提供)■練習打ちあげ 〇…井上が22日、横浜市の大橋ジムで、世界戦前最後の練習を実施。練習を見守った大橋秀行会長(58)は自身のSNSで「バッチリの仕上がりです 26日楽しみにして下さい」などと手応えを口にした。井上は21日までに、2度目の抜き打ちドーピング(禁止薬物使用)検査を受けたことをSNSで報告。タパレス陣営も、ドーピング検査の模様を収めた写真などをSNSで公開するなど、ともに態勢は整った。
Dec 23, 2023
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https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/fight/2023/12/21/post_54/web Sporttiva井上尚弥を鍛え上げる八重樫東と鈴木康弘 ふたりに白羽の矢が立った理由と効果とは?2023年12月21日 10:15 公開本間 暁●取材・文 text by Homma Akira山口裕朗●撮影photo by Yamaguchi Hiroaki見る者多くを驚嘆させる比類なきパフォーマンスは、日頃の鍛錬があるからこそ。そして今の井上尚弥のフィジカル面を2年前からつくり上げているのが八重樫東と鈴木康弘というふたりのトレーナーだ。共にこれまでの経験で得た叡智で、時に「怪物」を追い込むことで井上の潜在能力を引き出してきた。12月26日、マーロン・タパレス(フィリピン)とのスーパーバンタム級王座4団体統一戦(東京・有明アリーナ)を迎える井上尚弥の凄さは、どこにあるのか。ふたりのトレーナーの視点から語ってもらった。「井上尚弥・解体新書」前編【モンスターを追い込むふたりのトレーナー】 猛牛さながらの巨体を誇るサンドバッグが、ズシンドシンと重低音の唸りを上げる。10秒、20秒──それを奏で続ける"モンスター"井上尚弥は、いつしか苦悶の表情を浮かべ、ついには雄叫びを上げて、終了と同時にその場にへたり込む。 無呼吸状態で、一発一発をしっかりと強打するサンドバッグ連打。「尚弥のあんなに疲れた姿を見るのは初めて」と大橋秀行会長も驚きを隠さない。あの井上尚弥が渾身のパワーでぶん殴り続けるのだから、負荷のかかり様は推して知るべし、だろう。 試合はおろか、どんなにキツイ練習でさえも、歯を食いしばることこそあれど、辛い表情すら見せるのを拒否してきた。そんな"気合の男"の意地とプライドが、いともたやすく果ててしまう。「はいはい、まだまだ!」「もっともっと!」 前から後ろから、拍手で連打のテンポを煽り、ジム内に響き渡る大声で檄を飛ばす。井上尚弥が苦しむ姿を眺めながら、「してやったり」とばかりに満足気な笑みを浮かべる。 八重樫東(40歳)と鈴木康弘(36歳)。拓殖大学の先輩後輩、それぞれ162cm、186cm好対照の体躯を持つ両トレーナーが現在、尚弥、その弟・拓真、従兄・浩樹という"井上トリオ"のフィジカルトレーニングおよび、試合前合宿の指揮を執る。【週2回の"八重トレ"効果】「尚弥に最も殴られた男」と苦笑交じりに自虐的に語る八重樫トレーナーは、ミニマム級、フライ級、ライトフライ級の世界3階級を制した名チャンピオン。日本王者から最初に世界王座を獲得した頃、まだプロデビュー前の高校生だった尚弥と火の出るようなスパーリングを開始し、それ以来の付き合いとなる。 現役時代、自らの体を「実験台」と称し、名だたるフィジカルトレーナーの下で体を苛め抜き、そのノウハウを体に刻み込んできた。引退後も、ボクサーだけでなく著名な格闘家、武道家も多く集う野木丈司氏の階段トレーニングに参加し続け、「動ける体づくり」に勤しんでいる。尚弥のボクシングを、身をもって熟知している人物で、「トレーニングをやって見せることのできる人」という父・真吾トレーナーが望む絶対条件にも適う。「サプリメントやコンディショニングの知識も豊富ですし、 "階級を上げて戦う"ことも知り尽くす人」(尚弥)に白羽の矢が立ったのは、2021年11月のこと。明言こそ避けているものの、尚弥はおそらく、この頃からすでにバンタム級を維持することがかなり困難だったのだろう。「ここから上の階級は、骨格などのフレームが違ってくる」(尚弥)という意識、そしてさらにチャレンジしていこうという意志と覚悟、その表れだったと推察される。 井上トリオが所属する大橋ボクシングジムには各種の器具が取り揃えられている。八重樫トレーナーが現役時代から必要なものを少しずつ集めていった成果だ。専門のトレーニングジムに通うとなると、費用もかかり、時間も取られてしまうが、ジムワークからの連動が、より効果を発揮するトレーニングもある。"タイムラグ"がマイナスになってしまう類のものだ。 井上トリオは、八重樫トレーナーが作成するフィジカルトレーニング、通称"八重トレ"を週2回こなし続けている。効果はてきめんで、見た目もさることながら、いわゆるインナーマッスルが分厚くなった。 尚弥も実戦を通して、"八重トレ"の手応えを感じ取ったのだろう。当初は「バンタム級のように、スーパーバンタム級にフィットするのにも4、5年かかるかも」と語っていたが、これについて口を閉ざすようになった。 今年7月に尚弥とスーパーバンタム級の統一戦を戦ったスティーブン・フルトンは、「フィジカルを活かすスタイルの選手ではなかった」と尚弥は言うが、同級では大柄で1階級上のフェザー級転向も視野に入れていたフルトンのクリンチを弾き飛ばすシーンもあった。距離と間合いを巧みに操り、さらに世界でも稀有のパワーを発揮する強打の持ち主だけに、相手はクリンチすら選択できない。それもまた"ナオヤ・イノウエ"の特長だが、クリンチに成功しても吹き飛ばされてしまうのでは、対戦相手はもうお手上げ状態だ。(つづく)◆後編 井上尚弥のパンチングパワーの秘密井上尚弥のフィジカル面と技術面における強化を2年前から指導する八重樫東、鈴木康弘の両トレーナーは、日常的に「怪物」の変化をつぶさに目にしている人物だ。ある意味、対戦相手以上にその凄みを間近で感じ取っているともいえるが、ふたりから見た井上尚弥の凄さは、どのような部分にあるのか。「井上尚弥・解体新書」後編【パンチングパワーの秘密】「スーパーバンタム級でも井上尚弥のボクシングをさせること」。これがいちばん大切なのだと八重樫東トレーナーは言う。「勝つためのフィジカルを作る=体を大きくする、当たり負けしない、ことじゃないんです。ボクシングはコンタクト競技ですが、接触しない時間の方が長い。そこでフィジカルを(うまく)使えばいいんです。尚弥はジャブがうまい相手にも(ジャブの)差し合いで負けない。彼の足があれば、出入り(相手との距離を詰めたり離れたりすること)できるスピードがあるし、当てる感覚もある。そこのフィジカルを強くすればいい。出入りの連動性やストップ&ゴーのスピード。それが強いのが井上尚弥ですから」(八重樫トレーナー) モデルは、あのマニー・パッキャオ(フィリピン)。フライ級からスーパーウェルター級までの10階級を股にかけた6階級制覇の歴史的王者だ。パッキャオは、階級を上げていってもスピードを失うどころか逆にアップさせ、なおかつ強打もいかんなく発揮した。そして、井上尚弥もまた、まったく同種のボクシングを体現している。 今年初め、スーパーバンタム級に階級を上げることを機に「尚弥の強みと弱みをしっかり認識するため」、八重樫トレーナーは知己のアスリート研究チームに尚弥の『走る』『体を捻る』、『ダッシュする』等のフォーム映像を基に動作解析を依頼。そこで驚異の事実が判明したのだという。「尚弥がなぜ強いパンチを打てるか。例えば、硬いゴムやチューブを捻っていくと反対側にブルンって反動で回りますよね。その動きが尚弥の体の中で起こっているそうなんです。具体的に言うと、足からの連動です。床をドーンって踏み込んだ力を足首、ふくらはぎ......と上にどんどんパワーが移動していく過程で、回転する筋肉が関節に突き当たるごとに逆回転を起こして大きな渦となっていき、最終的に上体から拳へと巨大化したパワーが伝わっていく。 ひねる、ねじる。これは"回旋競技"のボクシングの体の使い方としてとても大切ですが、その力こそが彼のパワーの源なのです」【5階級差も乗り越える】 今年5月から正式にジムトレーナーとして加わった鈴木氏は、2012年ロンドン五輪ウェルター級の日本代表。地元・札幌で後進の指導にあたっていたが、「浩樹のトレーニングを見てもらえませんか?」と尚弥から直々に誘いを受けて一念発起した。高校時代の尚弥とは、全日本メンバーとして寝食を共にした間柄で、浩樹は拓大の後輩でもある。 当初こそ浩樹へのマンツーマン指導をしていたが、そのバラエティに富んだメニューに八重樫トレーナーが着眼。「マンネリにならないよう、常に新しいことをさせたい」という意思に基づき、"八重トレ"やジムワークとの連動トレーニングを共有するに至った。井上トリオのみならず、4回戦の選手も含め、誰彼構わず巻き込んでいる。ジム内には野獣の咆哮や悲鳴が轟くが、選手たちは「めちゃめちゃキツイけど、良い練習です」と心地よさげに大量の汗を流す。ウズベキスタン、カザフスタン、キューバなど、アマチュア大国が行なっているトレーニングメニューが礎なのだそうだ。「自衛隊体育学校時代の師匠、本博国監督に現役時代、僕が課されていたメニューなんです。僕は6、7セットやっていたんですが、八重樫先輩は『じゃあ10セットやらせよう』って(笑)」 尚弥は高校時代から「パンチ力もフィジカルもバケモンだった」と振り返るが、久しぶりに会った彼には腰を抜かすことの連続だという。「バランスボールをお互いの間に挟んで押し合うメニューがあるんですが、フィジカルに自信のある僕が負けてしまう。どれだけ足腰が強いんだ......って」 スーパーバンタム級(53.53kg~55.34kg)vs.ウェルター級(63.51kg~66.68kg)超。5階級差。普通では"ありえない"話だ。 6歳からボクシングを始め、今年で25年目を迎えている井上尚弥。彼が、いまもなお最も大切にしているのが「フォーム」である。 足先から指の先まで、数センチ単位で美しさにこだわる。シャドーボクシングで入念にチェックし、自分にとって正しいバランス、タイミング、角度で、打っては動き、を丁寧に繰り返す。その姿は名工の鉋削りのごとき職人技。何度見ても、吸い込まれてしまう。 そしてもうひとつ。彼には強いこだわりがある。「たとえばパンチ一発や腕立て伏せ1回にしても、ひとつも無駄にはしたくないんです。だって、それが1度の練習、1週間、1カ月、半年、1年......って時間が経過すると、そのたった1度をしっかりやらなかった人との差って、ものすごく開いてしまうから」 尚弥が昔から常々語ってきた言葉だ。裏を返せば、彼は1度たりとも無駄にしてこなかったという宣言でもある。この積み重ねこそが、"モンスターたるゆえん"なのだとつくづく敬服する。「当たり前のことを当たり前にやる」 最も困難で、尊いことである。プロフィール本間 暁 (ほんま・あきら)1972年、埼玉県生まれ。専門誌『ワールド・ボクシング』、『ボクシング・マガジン』編集記者を経て、2022年からフリーランスのボクシング記者。WEBマガジン『THE BOXERS』、『ボクシング・ビート』誌、『ボクシング・マガジン特別号』等に寄稿。note『闘辞苑TOUJIEN』運営。
Dec 21, 2023
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https://www.nikkansports.com/battle/news/202311100001639.html井上尚弥がスパーリング組み込む異例フィジカル合宿打ち上げ、来週からタパレス対策へ[2023年11月10日21時25分] 日刊スポーツボクシングWBC、WBO世界スーパーバンタム級王者井上尚弥(30=大橋)が最速の2階級での4団体統一を見据え、異例のハードトレ合宿を敢行した。12月26日、東京・有明アリーナでWBAスーパー、IBF世界同級王者マーロン・タパレス(31=フィリピン)との4団体王座統一戦を控え、10日に横浜市の所属ジムで5日間のフィジカル合宿を打ち上げ。自衛隊式「耐乳酸トレ」メニューとともに週3回のスパーリングも消化する過酷なトレーニングで肉体を仕上げた。6日から始めた異例のハード合宿を打ち上げ、井上は「やり切りました」と充実した笑みを浮かべた。最終日はIBF世界スーパーバンタム級15位エリック・ロブレス(23=メキシコ)と6回のスパーリングを消化。6日、8日は5回だったが、この日はさらに1回を追加。井上は「疲れている中で上げていけるような予備タンクづくり」と意図を明かし、大粒の汗をぬぐうと即座にフィジカル練習を開始した。元世界3階級制覇王者八重樫東トレーナー(40)と12年ロンドン五輪ウエルター級代表で自衛隊体育学校出身の鈴木康弘トレーナー(35)による自衛隊式「耐乳酸トレ」メニューに取り組んだ。15秒間のサンドバッグ連打、腕立てからジャンプしながらのシャドー4連打を20秒間、八重樫氏の構えるバランスボール押しを10秒間、最後に15秒間のサンドバッグ強打を計5セットをやり抜いた。続いてミット打ち3回、全力で自転車トレ器具をこぎ続け、ギリギリまで追い込んだ。ジム内合宿は3度目だが、実戦トレを導入したのは初めて。井上は「より負荷をかけられた。フィジカルの底上げ、気持ちの切り替えがメイン。来週からはタパレスをイメージして練習に入る」と強調した。2階級での4団体統一に成功すればテレンス・クロフォード(米国)に続き、2人目の快挙。クロフォードは8年3カ月かけて達成したが、井上がタパレスを撃破すれば5年7カ月と大幅に更新する最速記録となる。試合まで約1カ月半。「今は気にするのは体調とけが」。警戒心を強め、仕上げる構えだ。
Nov 11, 2023
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https://www.sanspo.com/article/20231110-7T4YHIFCLVK3XEKKB33IL64B4A/【ボクシング】井上尚弥、ジム内合宿終了「来週からはしっかりタパレスをイメージ」2023/11/10 22:08 サンスポ八重樫東トレーナー(左)の構えるバランスボールを全力で押す井上尚弥(大橋ジム提供)プロボクシングのWBC、WBO世界スーパーバンタム級王者の井上尚弥(30)=大橋=が6日から横浜市の大橋ジムで行っていたジム内フィジカル合宿を終えた。大橋ジムが10日、発表した。井上尚はWBA、IBF統一王者マーロン・タパレス(31)=フィリピン=との4団体王座統一戦(12月26日、東京・有明アリーナ)を控えている。・・・・・https://hochi.news/articles/20231110-OHT1T51289.html?mode=photo&photoid=1井上尚弥がジム内合宿打ち上げ 「来週からはしっかりタパレスをイメージして練習」2023年11月10日 21時52分 スポーツ報知◆プロボクシング ▽WBA、WBC、IBF、WBO世界スーパーバンタム級(55・3キロ以下)王座統一戦12回戦 WBC&WBO王者・井上尚弥―WBA&IBF王者マーロン・タパレス(12月26日、東京・有明アリーナ) WBC&WBO世界スーパーバンタム級統一王者・井上尚弥(大橋)が10日、横浜市の大橋ジムで行っていたフィジカル合宿を打ち上げた。 WBA&IBF王者マーロン・タパレス(フィリピン)との4団体王座統一戦に向けて6日からジム内で行っていた合宿で、最終日はフィジカルメニュー前に、練習パートナーのエリック・ロブレス(メキシコ)との6ラウンドのスパーリングを消化。その後、八重樫東、鈴木康弘両トレーナーの指導で、フィジカル練習に取り組んだ。・・・・・https://boxingnews.jp/news/104199/井上尚弥がS・バンタム級4団体統一戦に向け短期集中合宿終了 フィジカル+初めてスパーも導入 2023年11月10日 21時52分 BOXING NEWS 12月26日(東京・有明アリーナ)にS・バンタム級4団体統一戦を控える同級2団体王者の井上尚弥(大橋)が6日から横浜市内のジムで行っていたフィジカル合宿を10日終了。その模様が大橋ジムより届いた。 マーロン・タパレス(フィリピン)との4団体統一戦に向け、井上はこの日、エリック・ロブレス(メキシコ)と6ラウンドのスパーリングを消化。その後、八重樫東、鈴木康弘トレーナーの指導のもとフィジカルトレーニングを行った。・・・・・
Nov 11, 2023
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岩手日報 2023.11.08 朝刊 「激闘王」の覚悟八重樫さん熱弁 花巻東高で講演 ボクシング元世界3階級王者の八重樫東さん(40) “北上市出身は7日、花巻市の花巻衷咼で講演した。闘志あふれるスタイルで「激闘王」と称された現役時代を振り返り「覚悟」を持って取り組む大切さを説いた。 スポーツコースの約430人が聴講した。敗戦から何度も立ち上がって3階級制覇を成し遂げた八重樫さんは「試合1力月前からは家族と離れて練習と減量に集中していた」と明し「自分と向き合う日々を送ることで自分の中に覚悟をつくる。当日は自宅を掃除してひげをそり、家族らへの感謝の言葉を書く。りングで死んでもいいように覚悟を持って臨んだ」と振り返った。 県人初の世界王者に輝いたのは東日本大震災が発生した2011年。.ボクシングをして良いのか迷いもあったが「お前が岩手にいいニュースを持ってこないで誰が持ってくるんだ。戦って勝ってこいよ」という地元の激励に奮い立った。 本県からの応援に感謝の言葉を繰り返し「岩手県人の強みは自分と向き合うことができる強さ。自分に負けない力をみんなが持っている。日本、世界に羽ばたく選手が何人も出てくることを楽しみにしている」と期待を込めた。 菊池心さん(3年)は「何かを得るにはそれなりの覚悟を持って挑むことが大事ということを学んだ。八重樫さんの言葉をこれからに生かしていきたい」と誓った。 八重樫さんは黒沢尻工高でボクシングを始め、拓大を経て05年プロデビユー。20年9月に現役引退を表明し、現在は大橋ジム(横浜市)でトレーナIを務める。
Nov 8, 2023
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型にはまーらぬ筆使い多彩 鈴木栄利さん(元高校教諭)書作展 花巻市里川ロの鈴木栄利 (ひでとし)さん(79)は1日から4日、同市大通りのなはんぷらざで書作展を開いた。漢詩や宮沢 賢治の詩からイメージを膨らませ多様な表現で記した作品が並び「型にはまらない自由な展示会になった」と満足する。 2021、22年に仕上げた60点を展示。畳2畳分もあるびょうぶに描いた「龍虎」は力強く躍動感あふれ、禅語が題材の作品のーつは細い筆を使って味わい深く表現した。うちわや色紙など身近なものに描いたものも並んだ。 同市東和町の園芸家及川辰幸さん(71)は「さまざまな表現があっ て絵のようだ。とても奥深い」と感心していた。 鈴木さんは元高校数学教諭で書道歴70年。北上・黒沢尻工高では ボクシング部監督を務め、プロボ クシング元世界3階級王者の八重樫東(あきら)さんを指導した。展示は新型 コロナウイルス禍で休んでいたが、80歳を節目に開催することを目標にしていた。 会場には教え子や教員仲間も訪れた。久しぶりの再会を喜んだ鈴 木さんは「出会いや経験も作品に影響している」とし、「文字や文章、文学作品を何度も読み返して 最適な表現を考えることが楽し い」と、次作に向けて意欲を燃やす。
Jun 5, 2023
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日本経済新聞2022年11月25日 14:30日本経済新聞2022年11月25日 14:30井上尚弥の最強ロード(4) 完全統一から階級アップへ「激闘王」を新サポート役にスポーツの流儀ボクシングの世界タイトル4団体完全統一は、過去に世界でも8人しか達成していない。その偉業を「通過点」と言えてしまうのが、井上尚弥(29)のすごさだろう。12月13日の統一戦をバンタム級での"卒業試合"と見定め、既に1年前から階級アップへの準備を並行して進めている。新たな挑戦に寄り添うのが、大橋ジムの先輩で元3階級制覇王者の八重樫東(39)である。八重樫トレーナー(左)の指導の下、井上は昨秋からフィジカルトレーニングに打ち込む=ホリプロ提供まだプロ選手たちの姿がない午前中のジムで、井上は弟の拓真とともに黙々とメニューをこなしていく。昨年秋から週に2度、八重樫の下で行っているフィジカルトレーニングだ。「始めてちょうど1年。そろそろ効果が分かってくる時期だと思う」階級制のスポーツにおいて、体格と体重は大きな壁だ。「4団体を統一したらバンタム級でやることはない」と階級アップを宣言する井上も「自分はバンタム級でも小さい方。楽しみも不安もある」と率直に語る。上限53.5キロのバンタム級と同55.3キロのスーパーバンタム級の体重差はわずかでも、体感する耐久力やパンチ力は変わる。将来の視野に入るもう一つ上のフェザー級(57.1キロ)となると、プロデビュー時のライトフライ級からは8キロ超の増量になる。八重樫トレーナーは豊富な知識と経験で井上を支える「正直に言うと、最初は受けないつもりだった。尚弥の力にはなりたいけど、あれだけの選手。僕に教えられることなんてないと思った」と語るのは八重樫だ。2020年9月に引退を発表し、トレーナーとして走り出したばかりというのも気が引けた理由だった。ただ、井上が長年指導を受けてきたフィジカルトレーナーとの契約を解消し、自分に指南役を頼んできた理由はわかった。熱いファイトで「激闘王」の異名を取った八重樫も、ミニマム級からフライ級まで3階級を制した実績がある。加えて、岩手出身の当人いわく「東北人らしく、一つのことをコツコツと掘り下げる凝り性な性格」。ジムでのボクシング練習とは別に、現役生活を通じて3人のフィジカルトレーナーに師事して体づくりの知識や経験を増やしてきた。「僕ならトレーニングの動きや狙いを、ボクシングに変換して説明できる。尚弥もそれを求めているのだと思う」八重樫のもう一つの武器はサプリメントの知識だ。ボクシングの調整は、減量と肉体強化という、ある意味で正反対のミッションを同時並行で行う難しさがある。試合前日の計量をクリアした後は、体力と肉体を急いで回復させないといけない。食が細かった八重樫は日々の練習のエネルギー源、減量後のリカバリーをサプリに求めた。現役時代から試したサプリは100種類以上に上る。井上は焼き肉10人前を平らげたこともある大食漢だが、一方で栄養士と契約して食事管理にも気を配る。リング上での圧倒的なパフォーマンスは、日々の節制とプロ意識のたまものだ。八重樫は言う。「尚弥はサプリメントについても色々聞いてくる。与えられたものだけを食べて飲んでいればいいとは考えていない。だから、この子は強くなったし、まだ進化しているんだなと分かる」とはいえ、どんな競技にもいえることだが、フィジカルトレーニングがすぐに競技力向上に直結することはない。まして、井上のようにキャリアを積み重ね、完成形に近いアスリートほど「どこが変わったかなんて、簡単には目に見えない」(八重樫)。それでも伸びしろがまだ残されていると信じ、つらくてきついトレーニングに打ち込む。継続するためには、相当なモチベーションやエネルギー、自律心が求められる。それこそが、八重樫が井上の指導を引き受けることを決断した最大の理由だという。「もうプラスアルファなんて残されていないかもしれないけど、わずかな可能性にかけてやるのがトレーニング。あのレベルまでいくと、現状維持さえ簡単じゃない。尚弥を一人にさせず、周囲が色々考えて動いていかないといけない。自分がチーム井上に入るべきなんじゃないかと思ったんです」15年ほど前、中学生だった井上が父の真吾に連れられて大橋ジムに出げいこに来た際、スパーリングの相手をしたのが、既に世界挑戦の経験もあった八重樫だった。最初は手加減していたが、井上が高校生に上がると真剣にやらないと務まらなくなった。「八重樫君には本当にお世話になった」と真吾は感謝するが、八重樫の側にも似た思いがある。「尚弥とのスパーリングを通じて、僕も力を引き上げてもらった。あれだけの選手なのだから、今のトップパフォーマンスを維持して現役生活を終えてほしい」。35歳を一つの区切りと公言している井上も「ここから先は本当に挑戦」と語る。無敗のままグローブを外すことができたボクサーは歴史上でもほんのわずかだ。心強いサポートを受けながら、井上は前人未踏の領域を走り続ける。
Nov 26, 2022
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https://boxingnews.jp/news/94184/ボクシングニュース 2022年10月19日 水曜日国内初の日本人王者統一戦 10年前の井岡一翔Vs.八重樫東を振り返る 11月1日さいたまスーパーアリーナでゴングが鳴る寺地拳四朗-京口紘人戦は、国内2例目の日本人王者統一戦。その最初の例――10年前の井岡一翔-八重樫東の世界ミニマム級王座統一戦を振り返る。《ボクシングビート11月号より》激戦となった2002年の井岡(右)と八重樫の統一戦 史上初の日本人王者同士の統一戦が行われて、もう10年になる。WBC王者井岡一翔とWBA王者八重樫東が互いの世界ミニマム級ベルトをかけて激突した一戦だ。思い返すと、よくぞ機を逃さず実現したものと思う。 発端はこの前年(2011年)10月に八重樫がWBA王者となった控室でのことだった。タイのポンサワンとの激戦の興奮に沸き返る中、大橋秀行会長がWBC王者の井岡との統一戦プランを口にした。さすがだったのは、現役時代の自分と井岡弘樹との「戦わざるライバル物語」を持ち出し、愛弟子同士の対決をぶったのである。 また、この時の大橋会長は日本プロボクシング協会長の要職に就いていた。八重樫と井岡の統一戦がボクシング人気復活の起爆剤となり得ると、業界の盛り上げを強く意識しての仕掛けでもあったに違いない。 12年の日本ボクシング界は8人もの世界王者を抱えて幕を開けていた。しかも近い将来にIBFとWBOへ加盟すれば(まだ2団体王座時代だった!)、その数はさらに増えると確実視されていた。その一方で、数の多さにふさわしい盛り上がりかといえば、そうではなかった。当時はミニマム級を含む3階級で日本人王者が並立しており、これからやってくる時代を思えばなおさら統一戦はボクシング人気に欠かせない事業になるというのが、ファンと業界の一致した見方だったのだ。 井岡側も堂々とこれを受けて立った。暮れにWBC王座の防衛を果たした井岡の井岡一法プロモーターが新年早々に横浜を電撃訪問。井岡にしても減量は限界に近付いており、ミニマム級は次が最後になると示唆されていた。呼びかけた側の八重樫サイドが大阪に乗り込むこととなり、井岡が契約するTBSで放送も決まり、かくしてお膳立ては整った。 そしてこの年の6月20日、大阪府立体育会館第1競技場を舞台に両王者は激突する。.. 井岡vs.八重樫、日本人王者統一戦の記事本文は、発売中のボクシングビート11月号に掲載しています。こちらからもご購読できます→https://amzn.to/3Tg3ugO
Oct 20, 2022
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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221014/k10013858791000.htmlNHK NEWS WEB 2022年10月14日 18時32分4団体統一へ ボクシング井上尚弥選手 王者の素顔と見据える先プロボクシングバンタム級の3団体統一チャンピオン、井上尚弥選手が4団体王座統一をかけて対戦することが発表されました。その井上選手に、今回の発表後としては初めてとなる単独インタビューを行いました。語られたのは、この一戦を「バンタム級の最終章」として臨む意気込みと、そらにその先でした。(聞き手 堀菜保子アナウンサー)“世界初”の快挙に挑む井上尚弥選手井上尚弥選手は29歳。ボクシング界の主要4団体のうち、WBA=世界ボクシング協会、WBC=世界ボクシング評議会、IBF=国際ボクシング連盟のバンタム級チャンピオンです。ことし12月13日に東京の有明アリーナで4団体王座統一をかけてWBO=世界ボクシング機構のチャンピオンで、イギリスのポール・バトラー選手(33)と対戦することが発表されました。主要4団体統一となればバンタム級では世界初の快挙で、井上選手がボクシング界で新たな歴史を作ることができるか大きな注目が集まる一戦となります。その井上選手に、今回の対戦の発表後としては初めてとなる単独インタビューをしました。まずは4団体王座統一に向けての意気込みや準備状況を語りました。井上選手「ボクシングにおける記録のかかった試合となります。試合まであと2か月なので、気合いを入れてやるだけです。今は試合に向けてどうやってトレーニングしていこうかなとか、どうやって『緩急』をつけていこうかなとかを考えています。まだ2か月あるので、ここからの組み立てだったり、気持ちの持っていき方だったり、そういうところを大切にしていて、今は自分が『勝てるイメージ』や『うまくいかないイメージ』の両方のパターンをイメージしながらトレーニングをして過ごしていますね」“バンタム級でナンバーワン”がほしい井上選手は2014年、WBC=世界ボクシング評議会のライトフライ級の世界チャンピオンとなったあと、スーパーフライ級でもWBO=世界ボクシング機構のチャンピオンになりました。そして、2018年にはバンタム級で世界チャンピオンとなり3階級制覇を果たしています。Q 今回の対戦でもさらに階級を上げて対戦をするといった選択肢がある中で、4団体王座統一を目指す選択をしましたが、その理由はなんでしょうか。井上選手「階級を1つ上げて試合をするような選択肢はあったのですが、やはりバンタム級でナンバーワンというものがほしかったんです。前々から4団体統一をしたいという気持ちが強かったので、ここに向けて決めていきましたね」「モンスター」の原点井上選手は19歳でプロデビューして破壊力のあるパンチを持ち味に勝利を重ねました。プロ6戦目で世界チャンピオンになり、プロでの通算成績は23戦負けなし。その強さからついた異名は「モンスター」です。Q「強い相手としか戦わない」というポリシーがあるということですが、それはどのような思いからなのでしょうか。井上選手「デビュー当時、所属するボクシングジムと契約する時に話したことです。自分自身が成長するためには、格下の選手とやっても試合を通して成長しないと思っていました。日々のトレーニングでも成長を感じるのですが、いちばん成長を感じるのはリングの上、つまり本番の試合のリングなんです。実力が自分と同等の選手や、より強い選手とやって勝っていくことが自分自身の成長に大切なことかなと思っています。試合を通じた成長を大事にしています」王者の素顔に迫る井上選手の素顔に迫ろうと渋谷と新宿で道行く人に質問を寄せてもらいました。Q 朝食は何を食べていますか(20代男性)井上選手「朝食は一切食べないです。というのも朝起きてすぐにロードワークするので自然にそういう生活リズムになったという感じです。学生の時は朝食を食べてました。ですがプロ転向してから自然とそういうリズムになっています」Q 年齢とともに衰える感覚はありますか(40代男性)井上選手「衰えた感覚は一切ないですね。ただ体の脂肪の付き方や筋肉の付き方などの『体つき』はデビューした10代から比べると変わってきているとは思います。そうしたことは、あまり気にしないようにしています。ストレスなくやることが大事かなと思っています」Q ふだんよくやっているリラックス方法を教えてください(30代男性)井上選手「本当の意味のリラックスといえば、音楽を聴いたりするのが好きです。ジムに車でいく間に音楽を聴きながら向かいます。歌ったり口ずさんだりとかしていますね。そういう時間がリラックスのひとつで、自分は大事な時間かなと思っています。音楽のジャンルは幅広く何でも聴いています。カラオケでよく歌うのは浜田省吾さんとかスピッツさんとかですかね」Q ボクシングをしていなかったらどんな仕事をしていたと思いますか(20代男性)井上選手「どんな仕事ですか…まったく想像つかないですね。小学1年生からボクシングをしてるので。それから本当にボクシング1本でやってきています。やはり想像がつかないですね。ただ、あえて言うなら、父が塗装業をやっていまして、塗装業しながら自分たちのトレーニングを見ていた時期がありました。ボクシングをやっていなかったら、塗装業をやっていたのかなという気もします」本当に自分の好きなことをやっているQ 井上選手にとってボクシングはどういうものですか井上選手「仕事と言えば仕事なのですが、かといって仕事かというと仕事ではないんです。生活の大半を占めているものなので、単に『仕事やってるぞ』という感覚はないんですよね。本当に自分の好きなことをやっているという感じです」Q 試合前に恐怖を感じることはありますか(20代男性)井上選手「試合前の恐怖ですか…。『恐怖の波』という感じの波はあります。試合前日の夜などに寝る前は、『勝つイメージ』もしますけど、『よくいかなかったイメージ』ももちろんするんです。そういった時に、これまで10年間、負けなしでやってきましたが、これが『崩れてしまうのではないか、壊れてしまうのではないか』という恐怖は、やっぱり波のように思うことはありますけどね。ただ、試合の直前にはなくなります。『ふっきれている』し、やってきたことを信じてリングに上がるだけです」Q 試合前日の恐怖にはどう向き合っているのでしょうか井上選手「やることはすべてやってきた自負はあるので、結果がもし出なかったら『自分より相手が強いだけ』というぐらいに仕上げておかないといけません。悔やむ気持ちにならないように日々のトレーニングをしっかりやろうと思ってます」元世界チャンピオンのフィジカルトレーニング 井上選手がこの1年ほど取り組んできた新しいトレーニングがあります。コーチに元世界チャンピオンの八重樫東さんを迎えて、ボクシンググローブをつけずにフィジカルトレーニングにも励んでいるのです。このトレーニングは井上選手からお願いして週2回行い、「八重トレ」と言われているということです。元世界チャンピオン 八重樫東コーチ八重樫コーチ「鍛えるパーツとしてはやはり下半身がメインです。体重を拳に伝える使い方を常にやっています。下半身、足の力を使って『前に』というイメージです。これから時間とともに加齢による能力の低下みたいなものが出てきますが、彼のパフォーマンスをできるだけ落とさないように維持することもねらいです」井上選手「いずれは階級を上げていくというのを見据えているので八重樫さんのフィジカルトレーニングなど、年齢を重ねていくごとにトレーニング方法も変えないといけないと思っています。八重樫さんは30歳を超えても現役のトップで走り続けた先輩なので、八重樫さんの知識とか、練習方法を知りたいなと思ってお願いしました」チャンピオンであり続ける難しさ井上選手は2014年に最初に世界チャンピオンとなってから、8年もの間、世界のトップに居続けています。Qチャンピオンになってからも「体」や「心」を維持し続けることの難しさを感じますか。井上選手「体の維持についてはそれほど難しさを感じたことはないのですが、難しいのはやはり“気持ち”ですね。この10年間モチベーションを高めてやり続けるのは簡単なことではないし、チャンピオンになって防衛を重ねていくには、それだけのモチベーションが必要だと思うので、そこの保ち方は日々気持ちも変わるので難しいところがあります」Q 試合までの2か月のトレーニングの中でどんなことを大切にしているのでしょうか。井上選手「試合まであとちょうど2か月なので、ここからの1日1日が本当に大切になってきます。1日をどう過ごすかというところと、その1日のトレーニングを本当にやりきれたかを1つ1つ確認しながらやっていくことが大切かなと思います」Q 12月の試合では私たちにどんな試合を見せてくれますか。井上選手「試合の理想を言えば、ことし6月のドネア戦と同じように圧倒的な勝ち方です。あと自分は、勝った瞬間みなさんが見せてくれる景色を楽しみにしているんです。勝利の瞬間というのは、会場にいるファンの方とその瞬間を分かち合う時間だと思っています。そこで自分が、ファンや応援してくれるみなさんの景色をリングの上から見たいなと思っています」Q 井上選手が景色を見たいのですね。井上選手「そうですね。やはり1万5000人のファンの方の景色を見られるのは、きっと自分だけですので。それが楽しみだなと思っています」今後の目標「統一」最後に、今後について目標を書いてもらいました。パネルに書かれたことばは「統一」でした。井上選手「これはもう近々の目標で、12月13日に行われる4団体統一が自分の中での1つのバンタム級の最終章だと思っています。書いたことばは、それに向けての目標になります。その後はまた1つ階級を上げて戦っていくことが目標です。ボクシング人生やボクシング生活での理想を言うと『現役引退した時に自分がほんとにどう思うか』ということを考えています。小学1年生からやってきたボクシングを『やってきてよかった』と思えるような終わりにしたいなと思っています。そこが理想ですね」井上尚弥選手の4団体王座統一をかけた試合は、ことし12月13日に東京の有明アリーナで行われます。
Oct 15, 2022
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令和4年(2022)10月10日(月曜日) 岩手日日1面 (日刊) 岩于日日新聞祉2022https://www.iwaniciii.co.jp/スポーツの秋 駆ける初のランフェス、催しも多彩に 北上 202!年に幕を下ろした「いわて北上マラソン」の後継イベントとなる「ランフェスきたかみ」(運営委主催)は9日、北上市相去町の北上総合運動公園などで初めて開かれた。同公園を発着点とするランの部には490人がエントリーし、それぞれのペースで秋の北上路を快走。フェスの部では体験コーナーやステージなどが繰り広げられ、大勢の来場者でにぎわった。 【12面に結果】市内外からまちなかコース(24• 5 キロ)に297人、田園のんびりコース(10キロ)に193人が登録。このうちまちなかコースは、きたかみキャンペーンレディの今川そらさん(岩手大)がスターターを務め、北上出身の元プロボクシング世界3階級王者・八重樫東さん(39)がゲストランナーとして参加。一斉にスタートしたランナーたちは、沿道から市民の声援を受けながら展勝地、珊瑚橋、市街地、江釣子地区の和賀川沿いを経て同公園に戻るコースを同コースで男子総合優勝に輝いた樋渡翔太さん(32)=同市鍛冶町=は「市役所付近で一番声援があり、元気をもらえた。展勝地や田んぼもあり、静かでいいコ—ス。去年、入賞を目指していた最後の北上マラソンが中止になり残念だったが、今回優勝できてよかった」と充実した表情を見せた。さっそうと駆け抜けた。田園コースで男子総合優勝の菊地亮さん(35)=同市飯豊=は「思ったよりも高低差がありタフなコースだったが、涼しくて風もなく走りやすかった。景色も見られて気持ちよかった」と汗を拭った。 一方、フェスの部では二ユースポーツ体験コーナ—ヽ各産直や豊富なメニューを取りそろえた屋台村、こども鬼剣舞や鹿踊、チアダンスなどのステージィベントがあり、家族連れらが思い思いに満喫した。弟とニュースポーツを体験した三上奏ちゃん(4)おにゃなぎ保育園年少組は「投げるのが楽しかった」とにっこり。母千広さん(33)は「出店を目的に来たらいろいろ楽しめて、小さい子にも対応してもらえた。子供たちも興奮していた」と話していた。 実行委事務局は「天候もよく笑顔で走っていただいた。ランナー以外の方々ち多く来場し、にぎわいを創出できた」と成果を語った。
Oct 12, 2022
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https://www3.nhk.or.jp/lnews/yamaguchi/20221004/4060015015.htmlNHK NEWS WEB 山口 10月04日 17時37分プロボクシングで3階級制覇 八重樫東さんが中学校で講演プロボクシングで3階級制覇を達成した八重樫東さんが、下松市の中学校で講演し、夢に向かって努力し続けることの大切さを伝えました。八重樫さんは、プロボクシングでミニマム級の世界王座を獲得したあと、フライ級とライトフライ級も制し3階級制覇を達成しました。下松中学校で開かれた講演会では、生徒や保護者およそ430人が見守るなか、八重樫さんがチャンピオンベルトを肩にかけて体育館に入場しました。講演で八重樫さんは、ボクシングに出会う前は何のとりえもないと思っていたものの、高校時代にボクシングと出会い、階級別で戦うので勝てるかもしれないと思い努力を続けたと語りました。そして、プロ時代の35戦28勝7敗の成績について、7回負けても3回世界チャンピオンになれたのは、限界まで努力を積み重ねて覚悟をもってボクシングと向き合い、何度も立ち上がれたからだと伝えました。講演会では、八重樫さんが生徒にボクシングを教える時間が設けられたほか、講演中にチャンピオンベルトが回され、生徒たちはベルトに見入っていました。3年生の女子生徒は、「大きな壁にぶつかっても努力を続けたい」と話していました。八重樫さんは、「バスケや野球でプロ選手になる夢は諦めたが、ボクシングで世界制覇できた。夢は変わってもいいので目標に向かって全うしてほしい」と話していました。
Oct 5, 2022
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岩手日報2022.09.24 紙風船◇元プロボクシング世界王者の八重樫東(あきら)さん(39)は23日北上市北鬼柳の江釣子ショッピングセンターパルで、北上署の 一日署長を務めた=写真。◇…同市出身の八重樫さんは防犯や防災など を呼びかけるチラシを配り、親子連れらと記念 撮影も。「気を引き締め、楽しく生活してほしいと」と語りかけた。◇…秋の全国 交通安全運動に 合わせ、同署などが開いた交通安全・防災フェスタの一環。来店者は日常に潜む危険や有事に備え、気合を入れ直したとか。https://www.iwanichi.co.jp/2022/09/24/8736830/岩手日日 令和4年9月24日(土)北上・西和賀身近な所から注意を 八重樫東さん一日署長 交通安全・防災フェスタ【北上】
Sep 24, 2022
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https://bit.ly/3Uv94xh横浜隼人中学・高等学校 2022-09-06露木氏・元プロボクサー八重樫氏らによる特別授業(中学)横浜隼人中学校では、不定期ですが『特別授業』を実施しています。様々な分野で活躍している方々を学校に招いたり、現場を見学したりと、今後も続けていく予定です。今回は、「震災・復興」をテーマに2本立ての特別授業を行いました。第1弾は、中学1・2年生を対象に9月2日(金)、横浜隼人の地元・瀬谷を中心に幅広く活躍されている「株式会社露木建設」の代表取締役社長である露木晴雄氏が、元プロボクサーで世界チャンピオンの八重樫東氏とともに講演をしてくださいました。東日本大震災の記憶がほとんどない中学生に対して、震災直後に「炊き出しのボランティア」として現地に足を運び、被災者の方と寄り添ったり、募金活動を行って漁船『瀬谷丸』を贈呈したりと、様々な支援を続けてこられた貴重な経験を元に、熱い思いを語ってくださいました。第2弾は、9月5日(月)、本校の国際語科主任で、ボランティア同好会顧問である中野卓弥教諭による、中学2年生対象の講演を実施しました。生徒たちは、震災時の学校の様子や、横浜隼人の生徒たちが毎年のように「瀬谷ボランティアバス」や「瀬谷フェスティバル」の活動に参加し、被災地との交流を重ねてきた経験談を熱心に聞きいっていました。
Sep 22, 2022
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東スポTOP ボクシング 【八重樫東氏コラム】世界王者の喜びより大きかった〝延命〟の安心感 2022年08月16日 16時00分【八重樫東氏 内気な激闘王(13)】 負けたらもうボクシングを続けられない。プロ2度目の世界挑戦前、そう覚悟していた。 2011年10月24日、東京・後楽園ホール。WBA世界ミニマム級王者のポンサワン・ポープラムック(タイ)との一戦はあり得ない展開でスタートした。当時メディアには言わなかったが、試合前に右肩腱板損傷のケガを負い、麻酔を打って試合に臨んだ。序盤は右が使えない。一体どうやって勝つのか? 自分でも半信半疑のまま試合が始まった。 映像を見ると分かるが、1ラウンド(R)は左しか使っていない。右を打つのが怖く、左手と足でさばくスタイルに徹した。どのみち、いつかは打ち合いになるので、序盤はとにかくラウンドをこなすことを考えた。向こうはファイターなので距離をつぶされたらオシマイ。「まだ足が動くか」「距離は取れるか」と慎重に考えながら戦っていた。 案の定、中盤から打ち合いになった。8R、向こうが下がったので一気にたたみかけた。コーナーに追い詰め、このまま打ち続けたらレフェリーが止めるだろうと思って勝負をかけたら、右カウンターを食らってしまった。スコーンと腰から崩れ落ち、尻モチをつきそうになった光景を今でも覚えている。瞬間的に「ああ、やっぱりオレは世界王者になれない人間なんだ」と思った。捨て身の打ち合いをしながら内心では悲観的なことを考えていた。 そこから先はよく覚えていない。迎えた10R、ここで引いたら絶対に負けると思って必死に攻めていったらレフェリーが試合を止めた。「止まった! やった!」と安堵し、リングにあおむけに寝転んだ。すると天井から何か大きなものが降ってきたように感じた。なんと大橋(秀行)会長が覆いかぶさったのだった(笑い)。あの奇妙な情景は今も目に焼き付いて離れない。 勝利の直後「世界王者になった!」という喜びより「まだボクシングができる」という安心感のほうが大きかった。負けたら終わりと思っていたので、何とか“延命”できた感じだ。 ただ、どうしても嫌だったのは知名度が上がってしまったこと。街で「チャンピオン」って声をかけてくださるのは本当にありがたいのだけど「すごい人」という扱われ方が嫌でたまらなかった。幼少期から自分に自信がなかった僕は目立ちたくないし、有名になるのはごめんだった。本当に放っておいてほしかった。ひっそりとボクシングできればよかった。 しかし、皮肉なことにその後、さらにボクシングファンの注目を浴びることになる。(WBC世界ミニマム級王者の)井岡一翔君と戦うことになったのだ。東スポTOP ボクシング 【八重樫東氏コラム】トントン拍子に進んだ井岡君との世界戦 2022年08月17日 16時00分【八重樫東氏 内気な激闘王(14)】「井岡とやるなら今しかないぞ。やるか?」 大橋(秀行)会長にそう言われ、僕は初めて(WBC世界ミニマム級王者の)井岡一翔君を意識した。2011年10月、ポンサワン・ポープラムック(タイ)とのWBA世界ミニマム級タイトルマッチに勝利。初めて世界王者になった直後に大橋会長から冒頭の提案を受けて「はい」と即答した。当時、減量がきつくて階級を上げる予定だったので、井岡君とやるタイミングを考えても、ここしかなかったと思う。 話はトントン拍子に進んでいった。放送はテレビ東京系か、TBS系か。場所も東京で開催するのか、それとも大阪か。ルールはWBAか、WBCか…。さまざまな問題が山積していたが、井岡君のお父さん(一法氏)がウチのジムに来てくれ、大橋会長と話し「どっちでもいいから、とにかくやろう」となった。 対決が実現すれば日本人同士による史上初の世界王座統一戦となるが、当時の井岡君と僕の知名度は比べ物にならなかった。統一戦といえども主役は完全に井岡君で自分はチャレンジャー。目立つことが苦手な僕としては試合前の話題を井岡君が全て持っていってくれるのは本当に気楽だった。戦前の予想でも井岡君が「勝つだろう」と言われていて「負けても誰も文句を言わないな」くらいに考えていた。自分の性格を考えると、これ以上やりやすい構図はなかった。 ただ、一部の人から「なんでせっかくチャンピオンになったのに井岡君と戦うの? もったいない」と言われたことを覚えている。僕が負ける前提のセリフ。でも、あまり気にならなかった。井岡君とは1回だけ手合わせしたことがあり「やれないことはない」と思っていたけど、勝つことは「相当難しいだろう」というのが本音だった。彼は反復練習とインテリジェンスのボクシング。それを徹底して勝ち続けている男なので「どうやって崩そうか」と考えを巡らせた。 世紀の一戦は12年6月20日、大阪府立体育会館。放送局はTBS系に決まった。試合当日、周囲は「史上初」「統一戦」と盛り上がっていたけど、井岡君に対して特別な意識はなかった。ただ「打ち合い」に持っていくプランを立てていた。それはなぜか。足を使ってポイントアウトする展開は彼の土俵だから。それをすると、分が悪い。だから、ある程度の被弾を覚悟して打ち込んでいくことにした。 人間の心理として、パンチが当たり出すと「もっと打てるぞ」という意識になる。それを逆手に取って、エサをまき、打ち合う距離におびき寄せることにした。案の定、作戦はハマった。東スポTOP ボクシング 【八重樫東氏コラム】被弾覚悟で理想通りに試合を組み立てたが… 2022年08月18日 16時00分【八重樫東氏 内気な激闘王(15)】 引退した今もファンの方に井岡一翔君との試合について聞かれることが多い。この一戦は日本人同士による史上初の(WBC&WBA世界ミニマム級)統一戦として話題を集めたが、周囲の盛り上がりとは裏腹に冷静だった。子供のころから内向的で目立つことが大嫌い。世界王者になって街で声をかけられることも苦手だったので、知名度が高い井岡君が注目を独占してくれて本当にありがたかった。 2012年6月20日、大阪府立体育会館。試合当日、ある構想を練っていた。足を使ってポイントアウトするスタイルは井岡君の真骨頂。その土俵に上がったら勝ち目がないので、打ち合いに持っていくプランを立てた。1ラウンド(R)から思惑通りに試合が進んでいった。前半にペースを握り、中盤で少し中だるみをつくり、後半に再びギアを上げる。この普段通りの作戦に加え、僕は被弾を覚悟して井岡君をおびき寄せた。パンチが当たれば、もっと打ちたい――。そんなボクサーの心理を突いた作戦だ。 自分から攻撃しにいったらクレバーな井岡君に足を使って逃げられてしまう。だからパンチの芯を食わないよう注意して、井岡君を打ち気にさせる“エサ”を丁寧にまいた。松本(好二)トレーナーはずっと「もらわないように」と声をかけてくれ、それを聞くたびに冷静になり、淡々とプランを遂行していった。 振り返ると、自分の理想通りに試合を組み立てられたと思う。ただ結果は判定負け(0―3)。敗因はパンチをもらい過ぎたことに尽きる。ある程度の被弾は予想していたけど、あれほど目が腫れたのは想定外。試合後の腫れ方も尋常ではなかった。作戦はうまくいったものの、そのあたりが実力不足だった。そういえば、試合中のドクターチェックの際、大橋(秀行)会長は「八重樫はもともと目が細いから大丈夫だ」と主張した。あの場面でそれを言うとは…。改めて面白い会長だ(笑い)。 井岡君に敗れ、僕は一度も防衛できずにベルトを失った。しかし、喪失感はなかった。ベルトや王座に対する執着もなかったので、自分の本来の立ち位置に戻ったと感じていた。何度も言うが、僕は生まれてから一度も自分が強いと思ったことはない。前回はたまたまベルトが巡ってきたけど、井岡君に負けて元通りになっただけ。敗戦による精神的ショックはなく、とにかく体を回復させることを第一に考えていた。 あれから10年が経過したが(WBO世界スーパーフライ級王者の)井岡君は今も現役で頑張っている。(世界バンタム級3団体統一王者の)井上尚弥とはタイプが違うが、改めて彼のような「色」のある選手もいるからボクシングは面白いなって思う。東スポTOP ボクシング 【八重樫東氏コラム】「リベンジ」では生ぬるい 天敵・五十嵐に一発逆転! 2022年08月19日 16時00分【八重樫東氏 内気な激闘王(16)】ボクシング人生で「天敵」と呼べる人間が1人いる。アマチュア時代に4戦全敗した元WBC世界フライ級王者の五十嵐俊幸だ。初対戦は高校(岩手・黒沢尻工)3年生。インターハイで優勝し高校最後の大会となる国体(ライトフライ級)の東北大会で1個下(高校2年)の彼に敗れた。その後もサウスポーを攻略できず、一度も勝てないままプロの道へ進んだ。 2013年、WBC世界フライ級王者(当時)の五十嵐に指名され、挑戦者として5度目の対戦に臨むことになった。正直、穏やかな心境ではなかった。アマ時代に4回も負けている事実に加えてナチュラルに挑発してくる言動がちょっと引っ掛かっていた(笑い)。「手っ取り早く八重樫さんに勝って」と発言したり、試合直後に「八重樫さん、ありがとうございました! 3ラウンド(R)の左ボディー、効きましたよね?」と言ってきたり…。悪気はないと思うけど、もうちょっと言葉を選べよって(笑い)。まあ、そこが憎めないところではあるけど、とにかく5連敗は避けなければならなかった。 問題は最も苦手とするサウスポーをどう攻略するか。頭を悩ませていると、大橋(秀行)会長が「おまえが勝つ方法はこれしかない」と言って一つの動画を提示してきた。会長が現役時代に対戦した元WBC世界ライトフライ級王者の張正九(韓国)がサウスポーのイラリオ・サパタ(パナマ)と戦った試合(1982年9月19日、同級タイトル戦)だった。判定で敗れたものの、長身サウスポーのサパタを攻略した映像を何度も見返し、そのイメージを練習でアウトプットした。 13年4月8日、東京・両国国技館。WBC世界フライ級タイトルマッチ直前、最後にもう一度ユーチューブで張の動画をチェックしてリングへ向かった。ゴングが鳴り、コリアンファイターになりきった僕は頭を低くし接近戦に持ち込んだ。手数を増やし、サウスポーのアウトボクサーが嫌がることを徹底。何度も見た張の戦いを体現した。1回かみついたら絶対に離さない。その精神力と足腰には自信があった。作戦は完全にハマり、ついに五十嵐に勝つことができた(判定3―0)。 アマチュアルールは3Rなので、4連敗は12Rも負け続けたことになる。だから今回の12R判定勝ちで一発逆転。この勝利で2階級制覇となったが、そんなことより五十嵐に勝てたことが何よりうれしかった。よく使われる「リベンジ」という言葉では生ぬるい。僕の中では完全に「復讐」だった。高校3年の初敗北から約13年、ようやく実現できたが、そんな気持ちを五十嵐はいまだに知らないと思う(笑い)。東スポTOP ボクシング 【八重樫東氏コラム】特攻隊になった気持ちで最強男・ロマゴン戦へ 2022年08月20日 16時00分【八重樫東氏 内気な激闘王(17)】「八重樫、ちょっと来い」。2014年1月、北海道・函館で行われたジムの新年会で大橋(秀行)会長に手招きされた。この手の呼び出しは大抵マッチメークの話だ。案の定、大橋会長の口から世界戦の提案が出た。「ロマゴンとの話があるけど、やるか? 別に無理にやらなくてもいい。断ってもいいんだぞ」 後に4階級制覇王者となるローマン・ゴンサレス(ニカラグア、帝拳)は、その時点で37戦全勝。最強男との対戦に「NO」の選択肢などあるはずがない。いつものように「やります」と即答。こうして両陣営の意思が確認され、大激闘となった試合が実現したのだ。 その3か月後、僕はWBC世界フライ級3度目の防衛(14年4月6日、東京・大田区総合体育館)に成功。この日は井上尚弥が初めて世界タイトル(WBC世界ライトフライ級)を取った興行でメインは尚弥だった。本来は防衛戦がメインになるものだが、大橋会長に「八重樫、ごめんな。尚弥に譲ってくれ」と言われて「全然いいですよ」と、ここでも即答。セミで防衛を果たし、メインで尚弥が初の世界王者になる最高のストーリーが出来上がった。 このころ、僕はジムで何度も尚弥とスパーリングし、才能あふれる彼に必死で食らいついた。尚弥との思い出は後述するが、今の僕があるのは間違いなく彼のおかげだと思っている。 ロマゴン戦(14年9月5日、東京・国立代々木競技場第二体育館)が正式決定し、WBC世界フライ級王者として最強男の挑戦を受けることになった。ただ、実際にどうやれば勝てるのか、見当もつかなかった。なにせ彼は一度も負けたことがない男。攻略の正解例がない。映像を何回も見返したけど、見れば見るほど死角がないし、すごいボクサーだと思った。勝って名を上げようなんて発想は皆無。それより「死ぬのかな」「生きてリングを下りられるか」とか、そういうレベルの思考だった。しかし一方では、どこか根拠のない自信もあった。足を使ってさばき切れば意外といけるんじゃないか、と。 相反する気持ちが渦巻く中、覚悟だけはできていた。負けるにしても日本人らしく「堂々と散ろう」と決めていた。これは僕の譲れない「美学」。片道燃料でリングへ向かい、そこですべてを使い切る。実際、試合前には「片道燃料でいきます!」って記者さんたちに言った記憶もある。子供の時に読んだ漫画の影響か、そういう生き方に憧れていた。 ロマゴン戦はボクシング人生をかけた“神風アタック”。僕は腹をくくり、特攻隊になった気持ちでリングへ向かった。東スポTOP ボクシング 【八重樫東氏コラム】惨敗したもののロマゴン戦で得た確信 2022年08月22日 16時00分【八重樫東氏 内気な激闘王(18)】 2014年9月5日、東京・代々木競技場第2体育館。WBC世界フライ級王者として、39戦無敗(当時)と“最強の男”ローマン・ゴンサレス(ニカラグア)の挑戦を受けることになった。ベルトを持っているのは僕だが、主役はもちろんロマゴン。僕は特攻隊になったつもり。「片道燃料で行きます!」と玉砕覚悟でリングへ向かった。 この試合に関しては、今もファンの方に「感動した」「泣いた」と言われる。ありがたいことに、打ち合いを評価していただいたようだ。よく井岡一翔君の試合(12年6月20日、WBC&WBA世界ミニマム級王座統一戦)と比較されるが、僕の中では全く違う種類の打ち合いだった。井岡戦は接近戦におびき寄せる戦術。ロマゴン戦はやや感情のスイッチが入った格好。1回ダウンしたので「もうどうでもいいや!」と大胆になったのだ。 打ち合いながら、僕は大きなギャップを感じていた。パンチを出すたびに会場から大歓声が沸いたが、実際は全く当たっていなかったのだ。ブロックの上を叩いているだけで、芯を食っていない。ファンの「ワー、ワー」という声を耳にしながら「オレのパンチ、効いてないのにな」と感じていたことを覚えている。反対に嫌というほど相手のパンチをもらった。つなぎが速すぎて、全くついていけない。やることすべてはね返され、完全にジリ貧状態。「クソっ! どうしよう」と思って戦っていた。ロマゴンのパンチは表現として「強い」ではなく「うまい」。まさに接近戦のスペシャリストだった。 最後のシーン(9ラウンドTKO負け)も断片的に脳裏に焼き付いている。あのパンチもテクニックだった。タイミングを合わせられ、スコーンとやられた。倒れた時に「まだできる!」と思って立とうとしたが、レフェリーが試合を止めてしまった。「なんで止めるんだ。まだできるのに…」と悔しい思いで天を仰いだ。 レフェリーに抱えられてコーナーに戻り、大橋(秀行)会長に「大丈夫か?」と聞かれると、なぜか「これなら(井上)尚弥は勝てますよ」と言ったのを覚えている。会長は「こんな時に何を言っているんだ?」と驚いていたが、当たり前だ。自分でもなぜ突然、そんなことを言ったのか分からない。試合をしながら、いつもスパーリングしている尚弥とロマゴンを無意識のうちに比較していたのだろうか。 リングを降りてからの記憶はあやふやだが、ある確信を得ていた。惨敗したものの、プロボクサーとしての矜持が芽生えていたのだ。東スポTOP ボクシング 【八重樫東氏コラム】敗戦後にかけられた言葉で意識に変化 2022年08月23日 16時00分【八重樫東氏 内気な激闘王(19)】 僕のボクサーとしての価値って何だろう。キャリアの晩年、そんなことをよく考えていた。2014年9月5日、僕はWBC世界フライ級タイトルマッチで、当時の最強男ローマン・ゴンサレス(ニカラグア)に9ラウンド(R)TKO負けを喫して王座陥落。打ち合いの末の完敗だったが、不思議と満足感も芽生えていた。試合後、周囲の方から予想外の言葉をかけられ、意識に変化が生まれたのだ。 この時期は、常に「負けたらオシマイ」と引退を覚悟し、ロマゴン戦も「散るときは潔く」と捨て身だった。敗戦後、たくさんの人から「本当にいい試合だった」「涙が出たよ」と思いがけない言葉をいただいた。ジムには「感動して涙が止まりませんでした」と書かれた手紙が届き、全く知らない方からも連絡がきた。負けたのに「八重樫は強い」「また戦う姿を見たい」と言ってくださり、喜びとともに自分のニーズを感じていた。 幼少期からコンプレックスの塊で、いくら勝っても自分に自信がなかった。でも、皮肉なことに井岡一翔君との試合(12年6月20日、WBC&WBA世界ミニマム級統一戦)やロマゴン戦と敗北するたびに自分の強さを認めてもらった気がする。そのあたりから自分の必要性や商品価値を考えるようになった。 たぶん僕が世界チャンピオンになってもニーズはない。井上尚弥のように圧倒的に強く、ヒーローショーのような勝ち方はできない。でも倒れても立ち上がり、殴られても向かっていくことはできる。そこに僕の価値があるのではないか。それならボクシングを続けてもいいのではないか。そう考えて、再びリングに立つことにした。今思うと、井岡戦とロマゴン戦はかけがえのない財産となっている。 その後、階級をライトフライ級に落として挑戦を開始。3階級制覇を目指して14年12月30日、WBC世界ライトフライ級王座決定戦(東京体育館)でペドロ・ゲバラ(メキシコ)と戦ったが、7RでKO負けを喫した。これで世界戦2連敗、それもKO負け。さすがに周囲から「限界」と言われはじめた。 しかし、同戦の敗戦原因は明らかに減量ミス。フライ級のパワーを維持して戦おうとした僕はリカバリーで食事を取りすぎ、体重を8キロも戻してしまったのだ。これがコンディション悪化につながって負けたのだが、周囲は「階級を上げて下げる(ミニマム↓フライ↓ライトフライ)のは無理だ」と批判された。 自分の中では減量さえミスしなければ「必ずライトフライ級で勝てる」という自信があったので、どうしても証明したかった。周囲の声に励まされたロマゴン戦とは逆に、今度は周囲への反骨心が僕に火をつけた。東スポTOP ボクシング 【八重樫東氏コラム】反骨心から減量成功させリベンジの舞台へ 2022年08月24日 16時00分【八重樫東氏 内気な激闘王(20)】僕を奮い立たせるのは、いつだって反骨心だ。2014年12月30日にWBC世界ライトフライ級王座決定戦(東京体育館)でペドロ・ゲバラ(メキシコ)に7ラウンド(R)KO負けを喫した時もそうだった。 同年9月のローマン・ゴンサレス戦(WBC世界フライ級王座陥落)に続く世界戦2連続KO負けで「引退」もチラついたが、周囲の評価が僕を突き動かした。この敗戦は減量後のリカバリーで体重を戻し過ぎたことが原因だったが、周りからはミニマム級↓フライ級↓ライトフライ級という足取りに対し「階級を上げて下げるのは無理」「八重樫にはできない」などと言われた。そんな指摘を覆して、完璧な減量を証明したい一心でリベンジを誓った。 僕はコンディショニングトレーナーの桑原弘樹さんのアドバイスを受けて、人間の体をイチから勉強した。いろんな分野の人に会ってサプリメントの知識を得たり、歯医者さんから歯のかみ合わせとパフォーマンスの関係性、マウスピースの形なども教わった。あらゆる分野に興味を持ち、マニアックな情報も深掘りした。すると徐々に理論が分かり、最終的に自分の体をすべてコントロールできるようになっていた。現在トレーナーとして後輩たちに減量やフィジカルのことを伝えられるのも、この時期の経験が大きいと思う。 15年12月29日(東京・有明コロシアム)、IBF世界ライトフライ級王者ハビエル・メンドーサ(メキシコ)への挑戦が決まり、いよいよリベンジの舞台が整った。減量とリカバリーはバッチリ。試合も思い描いたプラン通りに進んだ。メンドーサはサウスポーだったが、WBC世界フライ級タイトルマッチ(13年4月8日、東京・両国国技館)で五十嵐俊幸をやっつけて以来、サウスポーへの苦手意識を完全に払拭していた。 それにメンタルとフィジカルがともに高いレベルで充実していて、やりたいことがすべてできた。打ち合いの場面が多くて顔がボコボコに腫れてしまったが、それも僕らしい。すべてにおいて八重樫らしさが光った試合といえる。判定勝ちで3階級制覇を達成。周囲からたたえられたが、僕としてはライトフライ級へのリベンジを果たせたことがうれしかった。 この試合はセミファイナルで行われ、いつものようにメインは世界一の後輩、井上尚弥の試合(WBO世界スーパーフライ級王座V1戦)だった。12R判定勝ちした僕は集まったメディアの方々に「尚弥の試合、見なくていいんですか? すぐ終わるので早く行ったほうがいいですよ」と勧め、その言葉通りに尚弥は2Rで試合を決めた。 翌日の一夜明け会見の主役は完全に尚弥。幼少期から2番手人生を歩んできた僕は、その立ち位置が実に心地良かった。東スポTOP ボクシング 【八重樫東氏コラム】ノー練習の半年間を経て「最愛」を体感できたが… 2022年08月26日 16時00分【八重樫東氏 内気な激闘王(22)】 ボクシングの世界に入って初めて半年以上も練習をしなかった僕は、必死に“自分探し”をしていた。 2017年5月21日(東京・有明コロシアム)、IBF世界ライトフライ級V3戦でミラン・メリンド(フィリピン)に人生初の1ラウンドTKO負けを喫し、練習も試合もヤル気が起きず、日々を過ごしていた。大橋(秀行)会長から「12月に試合を組むぞ」と言われるも、僕は初めて「パスでお願いします」とNOを選択すると「分かった」と理解いただいたが、ここでようやくスイッチが入った。 18年に向けて「これが最後の挑戦だ」と心に決めた。自分のボクシング人生を振り返り、どうやって集大成を迎えるかを考えた。それには明確な動機が必要だった。といっても自分が頑張るための理由を無理やりつくる感じだ。僕はスーパーフライ級に上げて、当時日本人初となる「4階級制覇」を目標とした。周囲を納得させるための“大義名分”だ。やらざるを得ない状況に追い込み、再起を誓った。 全く練習しない日常からボクサーの生活に戻し、改めてボクシングがどれだけ大事な存在かを知った。毎朝、走り込みながら「もうできなくなるかもしれない」といとおしい気持ちになり、かみしめるように練習した。もはやベルトとか王座はどうでもよかった。4階級制覇ですら名目でしかない。それよりボクシングに向き合っている1分1秒が楽しくて仕方ない。そんな自分が大好きだった。毎朝1人でシュート練習を行い、自分を疑わずに努力していた中学のバスケットボール部時代に戻った気がした。あの時期に自分の人格が形成されたのだろうか。再起してから引退までの最終フェーズは最も充実し、ボクシングを最高に愛した時期かもしれない。 スーパーフライ級のノンタイトル戦を3連勝した後、19年12月23日(横浜アリーナ)、IBF世界フライ級王者のモルティ・ムザラネ(南アフリカ)に挑戦することになった。最終的にスーパーフライ級で戦うことはできず4階級制覇の挑戦は持ち越しとなったが、僕はフライ級で王者になって転級する青写真を描いていた。 しかし、試合は9ラウンドTKO負け。相手は同い年で年齢を言い訳にできない完敗だった。だが、今回は自然と敗戦を受け入れることができた。この時期、自分の世界に入り込んでいたので試合の結果や周囲の状況に精神状況が左右されなくなっていたのだ。 試合の翌日から僕は走り始めた。井上尚弥に「今はゆっくり休んでください」って言われたが「もう走っちゃったよ」と答えたのを覚えている。練習しながら今後のことを考えようとしていると、世の中が激変した。新型コロナウイルスが練習の機会を奪ったのだ。東スポTOP ボクシング 【八重樫東氏コラム】内気な性格がくれた宝物 僕は何度も立ち上がることができた 2022年08月27日 16時00分【八重樫東氏 内気な激闘王(最終回)】 ボクシングの世界に入ったキッカケは岩手・黒沢尻工高時代に友人から誘われたからで、大橋ジムに入門したのは、拓大ボクシング部の中洞三雄コーチ(現監督)の電話。僕は人生の節目で必ず他人に決断を委ねてきたが、現役引退の時も同じだった。 2019年12月23日(横浜アリーナ)、IBF世界フライ級王者モルティ・ムザラネ(南アフリカ)に敗れた僕は翌日から練習を開始。ゆっくりと身の振り方を考えていると、新型コロナウイルスが世界を襲った。自分の進退も不透明なうえに、練習もできない異常事態。もはや自分では決められない。デビュー戦からずっとセコンドに就いて一緒に戦ってくれた大橋(秀行)会長に身を任せることにした。 20年2月末に「続けようと思えば続けられますが、もし『試合を組まない』と言われたら辞めようと思います」と投げかけると、会長は「もういいんじゃないか。大橋ジムを内側から盛り上げてくれ」と言ってくれた。スッキリした気持ちで「分かりました」と言い、高校時代から約21年続けたボクサー人生に終止符を打つことを決めた。 コロナによって延期されていた現役引退の記者会見は20年9月1日に行われた。拓大4年の時、大橋ジムで初めて練習した特別な日だ。会見の席で、とっさに会長の名言を口にした。「僕が誇れるのは世界チャンピオンになったことではなく、何度負けても立ち上がったことです」。事前に決めたわけでもなく、自然とマネしていた。ニヤリと笑っていた会長の顔が忘れられない。 現在は大橋ジムのトレーナーとして後輩らを指導している。「セカンドキャリア」と言われるが、僕の中では「ネクストステージ」のほうがしっくりくる。まだ選手としてボクシングの道を歩んでいるような感覚だ。フィジカル面でサポートする(世界バンタム級3団体統一王者)井上尚弥には心から感謝している。現役時代に何度もスパーリングし、必死に食らいついて強くなれた。尚弥がいなければ、今の自分はないと思っている。 最後に、なぜ幼少期からコンプレックスの塊だった自分が世界を取れたかを伝えたい。おそらく僕は一般的な成功者とは違う。自信がないから失敗しても「こんなもんさ」と開き直れ、精神的ダメージもあまり受けなかった。今「夢を大きく持て!」という教えを刷り込まれている子供らがあまりにも多い気がする。別に志が低くたっていい。一つずつ満足感を得て、徐々に自信をつける方法だってあるのだ。 僕は小学生でプロ野球選手になる夢を諦め、中学でNBA選手になる夢を諦めた。だけどボクシングで世界チャンピオンになれた。内気な性格がくれた宝物だと思っている。 (終わり) ☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手・北上市出身。拓大2年時に国体を制覇し2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。11年10月、WBA世界ミニマム級王座を獲得し岩手県出身初の世界王者になる。12年6月にWBC同級王者・井岡一翔と史上初の日本人世界王者同士の統一戦で判定負け。13年4月にWBC世界フライ級、15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し3階級制覇を達成。20年9月に引退。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。身長162センチ。
Sep 21, 2022
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東スポTOP ボクシング 【八重樫東氏コラム】「夢を追いかけるボクサー」の〝大義名分〟が欲しかっただけ 2022年08月08日 16時00分拓大時代の八重樫がプロ転向を決意【八重樫東氏 内気な激闘王(7)】劣等感をバネに生きてきた僕にとって、拓大時代の4年間はプロボクサーとしての基礎が完成し、逆襲人生への足がかりになる時期だったと思う。大学3年生になると、練習後の洗濯、掃除、電話番という下級生の雑用も終わり、都内のボクシングジムへ出向いて一流プロ選手とスパーリングを行った。 ジムに顔が利くアマの関係者が仲介し、プロ側とアポイント。日本王者や世界王者と拳を交える絶好の機会を得た。当時はプロとアマの間には大きな壁が存在した。今みたく簡単に交流できなかったため、拓大の監督に「風邪をひきました」とウソをついて練習を休み、お忍びでジムへ通った。まさに“道場破り”のようなスパーリングだったが、先輩らが「ドンドン行ってこいよ」と後押ししてくれたのは今も感謝している。厳密にはルール違反だったが、もう“時効”ということでご容赦願いたい。 プロとアマは実力差があって練習にならないと思われがちだが、トップクラスのアマは3ラウンドくらいならプロに負けないスピードがある。僕が大学4年当時(2004年4月~05年3月)は、多くのチャンピオンたちとスパーリングした。WBA世界ミニマム級王者だった新井田豊さん、WBC同級王者・イーグル京和さん、WBC世界スーパーフライ級王者の川嶋勝重さん、昨年亡くなられた星野敬太郎さん…。ジムを転々としながら「一流の拳」を肌で感じ、刺激をもらった。精神的には「アマだから負けて当然」とノビノビでき、かといって一方的にやられる展開でもなかった。半信半疑ながら「意外とプロでも通用するかも」と、かすかな希望も芽生えていた。 周囲が就職活動を始めるころ、僕は「サラリーマンにはなりたくない」との一心だった。そして大好きなボクシングを続けるためにプロを志した。もちろん「世界王者になってやる!」といった野望など全くない。プロボクサーになれば「あいつは就職もしないでフラフラして…」と後ろ指をさされない。つまり「夢を追いかけているボクサー」という“大義名分”が欲しかっただけ。プロが目前に迫り、自信をつけながらも、幼少期から抱えてきたコンプレックスはまだ僕の中に残されていたようだ。 声をかけてくれたのはワタナベジム、大橋ジム、角海老宝石ジム、横浜光ジム。当時、大橋ジムは川嶋さんが世界王者に君臨していて勢いがあり、僕が目指していた技巧派タイプの松本好二さんがいたのは魅力的だった。でも、横浜光ジムには同じ階級の新井田さんがいて、一緒に練習すれば強くなれると思っていた。どこへ行くべきか? 悩んでいた時、一本の電話によってあっけなく僕の運命が決まった。東スポTOP ボクシング 【八重樫東氏コラム】スカウトしてきた大橋会長は僕の試合映像を見たことなかった 2022年08月09日 16時00分【八重樫東氏 内気な激闘王(8)】 運命ってこんなにあっけなく決まるのか。拓大ボクシング部4年生の僕は「サラリーマンになりたくない」という一心でプロを目指し、複数のジムから誘いを受けていた。最終的に横浜光ジムと大橋ジムの「2択」で悩み、2004年夏に中洞三雄コーチ(現拓大監督)に相談した。 すると突然、中洞さんは携帯電話をかけて「ウチの八重樫がお世話になるから。頼むよ!」と言って切った。なんと大橋秀行会長に“直電”したのだった。日本代表のコーチだった中洞さんは専大時代の大橋会長と接点があったという。「あいつなら信用できる。大橋ジムに行け」と一方的に言われ、あっさりと進路が決定した。僕はむしろホッとしていた。こうでもしないと自分の意思では決められない。流れに身を任せ、人に委ねる人生も悪いもんじゃない。 こうして大橋ジムに所属することになった。契約金があったかどうかは覚えていない。ただ、後で聞いたところによると、大橋会長は僕の試合映像を一度も見ず、他ジムの会長の評判だけで僕をスカウトしたらしい。「お前を見たことなかったんだけどなー」と笑っていたが、会長のおかげで僕は最高のボクシング人生を送ることになる。 同級生たちは次々と企業への内定が決まったが、僕は将来的な保証が一切ない。それでも全く不安はなかった。要するに僕はバカだった(笑い)。自分の趣味に見切りをつけず、かといって「チャンピオンになる!」という大きな野望を抱くわけでもなく、単にボクシングが好きなだけでプロの世界に飛び込んだ。 05年3月26日、ミニマム級でプロデビューの日を迎えた。前夜は緊張で全く眠れなかった。布団に入って目を閉じても自分の心臓の鼓動がうるさくて眠れない。アマチュア時代にはなかったことだ。結局、ほとんど寝ないまま朝を迎えることになった。試合前、ミット打ちをしようとすると、自分の精神的支柱だった松本(好二)トレーナーが病気のためミットを持てないことを知った。誰が持ってくれるのかと不安になっていると、見たことがない体の大きな男の人がやって来て「オレが持ってやるよ」と声をかけてくれた。その男の正体は佐久間史朗さん。元WBA世界ミニマム級王者・星野敬太郎さんを支えた名トレーナーで、その時が初対面だった。状況をのみ込めないまま、とにかくミットをバンバン打った。睡眠不足に加えて、初めて会った人とミット打ち――。ある意味「なるようになれ!」と開き直ることができた。 控室から出て花道へ向かうと入場曲が流れた。その瞬間、体に電流が走った。プロの試合って、こんなに楽しいのか!東スポTOP ボクシング 【八重樫東氏コラム】デビュー戦に快勝 リング上でベロ出しした自分はまるで別人 2022年08月10日 16時00分【八重樫東氏 内気な激闘王(9)】 2005年3月26日、記念すべきプロデビュー当日は波乱の連続だった。前夜は緊張でほとんど眠れず、試合会場では精神的な支えの松本(好二)トレーナーが病気でミット打ちできないハプニング…。ある意味、なるようになれ!と開き直れることができたが、入場曲が鳴った瞬間、すべての不安が吹き飛んだ。 大学の友人に薦められた入場曲「Move on」に乗って花道を歩き出した時の爽快感は生涯、忘れることができない。アマチュアでは絶対に味わえない感覚。プロの入場ってこんなに楽しいか!と感激し、リングに上がった時にはすっかり有頂天になっていた。 ゴングが鳴って試合が始まると驚くほど冷静になれた。プロの8オンスのグローブが怖かったのでパンチをもらわないように集中していると、流れの中で奇麗な左フックが決まった。1ラウンド(R)1分20秒、KO勝ち。倒しにいったわけでもなく、本当に自然にパンチが当たった。人ってこんなに簡単に倒れるのか…と驚いたことをよく覚えている。だが、その時の心境は「うれしい」ではなく「負けなくてよかった」。プロ入り時の前評判がそれなりに高かったため、しょっぱい判定勝ちだけは避けたかったからだ。 勝った瞬間、リング上でベロを出して喜んでいる映像が残っているが、なぜあんなことをしたのか自分でもよく分からない。恐らく興奮していたのだろう。リング上は唯一、自分の本性を発揮できる場所。小さいころから内向的だった僕がひそかに抱いていた闘争心が表に出たのだと思う。普段の僕を知っている人はビックリしただろう。今振り返っても、あの時にリング上にいた自分はまるで別人だった。 デビュー戦を快勝した僕は、その後もコンスタントに勝っていった。勢いに任せてポンポンと3連勝し、4戦目のフィリピン人と初めて10R(判定勝ち)を戦った。アマは3R、プロ3連勝もすべて2R以内の決着だったため、初めて経験する長時間の試合。とても疲れ、ダラダラとつまらない内容だった。試合をしながら会場(横浜文化体育館)がシーンとなっているのを感じ、お客さんはつまらないだろうなと思っていた。 メリハリのない試合を経験した僕はすぐに反省した。これからは1R3分の中で「波」を構築し、それを12回繰り返さなければいけない。意図的に試合のヤマ場を作り出すのだ。そう心がけて練習に取り組むと、いきなり次の試合で成果が出た。06年4月3日、デビュー5戦目の東洋太平洋ミニマム級王座決定戦。自分の頭で戦術を考え、プロボクサーになって最もうれしい瞬間を迎えた。東スポTOP ボクシング 【八重樫東氏コラム】「はじめの一歩」宮田一郎のベルトと「一緒だ!」同じデザインに大興奮 2022年08月12日 16時00分【八重樫東氏 内気な激闘王(10)】プロボクサーを志した時は「世界王者になってやる!」という野望は一切なかった。コンプレックスを抱えて生きてきた僕は、何をするにもハードルは低い。とりあえず、何かのベルトさえ取れれば…くらいのモチベーションだったので、デビュー5戦目(2006年4月3日)に東洋太平洋ミニマム級王座のベルトを取った時はすごくうれしかった。 結果は5ラウンド(R)KO。4戦目(10R判定勝ち)にダラダラした試合をしてしまったので、僕は1Rの中で波をつくり、抑揚をつけることを心がけた。平坦な試合にはせず、随所にテンポアップさせて攻撃を仕掛けて試合を組み立てたら5Rに「山」が来た。流れの中で出したパンチが当たって、相手が倒れた。つまらない試合をしてしまった4戦目の反省をきっちり生かし、勝つことができた。 勝利の直後「これでプロになって最低限の証しを残せたな」と安堵した。自分が年を取って「オレ、昔プロボクサーだったんだ」って誰かに話す時、やっぱり何らかの証しが欲しかった。日本王座でも地域王座でもいいから「ベルト」さえ手にすれば、胸を張って「ボクサーだった」と言える。だから「次は世界のベルトだ!」なんていう大きな夢はなかった。 実際にリング上でベルトを見た時の気持ちは今も鮮明に覚えている。この試合は決定戦だったのでベルトの現物がなく、トレーナーの松本(好二)さんが用意してくれた東洋太平洋ベルトを一時的に借りた。デザインが漫画「はじめの一歩」の宮田一郎が腰に巻いていたものと同じで「おお、一緒だ!」とかなり興奮していた。だが、実際は不自然なくらい余裕ぶっていた。興奮したり必死になっている姿がカッコ悪いって考えるのは若いころにありがち。だから僕はひょうひょうとして、自分を大きく見せようとしていた。内心とは全く逆だ。そういう意味でもまだ若かったと思う。 会場(横浜文化体育館)には黒沢尻工高(岩手)ボクシング部の同期が応援に来てくれた。次の日は横浜の中華街でお祝いをしてもらったが、試合はスポーツ新聞に大きく載るわけでもなく、地元の新聞が「県民の活躍」として報じた程度。翌日から景色が変わったということもなく、特別に自信がついたわけでもなかった。 リアルにうれしかったのは賞金で奨学金を返済したことだった。僕はスポーツ推薦で拓大に入学して学費は全額免除だったが、生活費は奨学金とバイト代でまかなっていたのだ。初めてベルトを取って借金返済! もしかしたらベルトを取ったこと以上に気持ち良かったかもしれない。東スポTOP ボクシング 【八重樫東氏コラム】イーグル京和さんと初の世界戦、淡い期待を抱いていたが・・・ 2022年08月13日 16時00分【八重樫東氏 内気な激闘王(11)】マジか…。ホントにやるのかよ。 デビュー当初から大橋秀行会長が宣言していたように、最速記録(当時)となるプロ7戦目での世界王座奪取を目指し、イーグル京和さんとWBC世界ミニマム級タイトル戦(2007年6月4日、パシフィコ横浜)を行うことになった。試合が決まると、会長には「全然、大丈夫ですよ」と余裕をかましていたが、冒頭の言葉こそが本音だった。動じていないフリを装っていたが、内心はメチャクチャびびりまくっていた。 だが、そんな恐怖とは裏腹に試合自体には少し自信もあった。実は拓大ボクシング部時代にプロのジムを巡っていた時、イーグルさんともスパーリングしていた。しかも内容が良くて、右ストレートでイーグルさんをグラつかせていたのだ。その記憶が頭の片隅にあり、今回もパンチが当たればストンって倒せるんじゃないか…という淡い期待を抱いていた。しかしフタを開けると、とんでもない洗礼を浴びることになる。 1ラウンド(R)で3回くらい右をもらって、腰からカクンって落ちた。拓大時代にスパーリングした時とは全く角度が違う。プロに入って初めて効いたパンチ。そして2Rではイーグルさんの頭がガチンっとアゴに当たった(偶然のバッティング)。これでアゴの骨が折れ、以降は痛みとの戦いだった。必死で食らいついていったが、何を打ってもはね返され、どのパンチもかわされて当たらない。徐々にアゴがしまらなくなり、レフェリーに試合を止められるかもしれない焦りの中、パンチをもらわないように頑張った。その時点で「勝とう」という気持ちはなかった気がする。 結局、12Rまで戦ったが0―3の判定負け。プロで初めて味わう黒星だった。試合が終わると、そのまま横浜市内の病院へ直行。顔面は腫れてボコボコ、アゴの骨折…鼻から管を入れられて流動食を流し込まれた。カロリーメイトみたいな点滴を打たれ、アゴを手術し、3週間の入院生活となった。まさにボロボロの敗戦だったが、ショックはなかった。期待してくれた会長にはすごく申し訳ないが「オレなんてこんなもんだ」って思っていた。悔しさも情けなさもない。自分に自信があればメチャクチャ悔しかっただろうが、幸いにも小さいころから内気な男だ。その性格は、こういう時に役に立つ。 世間ではよく「目標は高く」「夢は大きく」なんて言うが、僕は子供たちに「志って低くてもいい」と言っている。設定を低くして、急がずに一つずつ満足感を得ていけばいい。自分はずっとそうやって生きてきた。だからボコボコにやられた時もすぐに立ち直ることができるのだ。東スポTOP ボクシング 【八重樫東氏コラム】負けたら辞める覚悟で4年4か月ぶりの世界戦挑戦 【八重樫東氏 内気な激闘王(12)】 オレなんてこんなもんだ――。周囲の大きな期待を背負って戦ったイーグル京和さんとのWBC世界ミニマム級タイトル戦(2007年6月4日、パシフィコ横浜)はボコボコにされて判定負け。プロ7戦目での世界王座獲得という最速記録は夢に終わった。だけど、敗戦のショックは全くなかった。自分に自信がない性格ゆえ「こんなもんだ」と負けをすんなり受け入れることができた。 ここから4年間、世界戦の話は全く来なくなった。タイミングの問題もあったが、とにかく僕はケガがメチャクチャ多かった。09~11年に日本タイトル(ミニマム級)を3回防衛しているが、指名試合しかやっていないので1年に1試合のペース。試合の2週間前にケガで動けなくなったこともあり、大橋(秀行)会長からは「こんなにケガが多いと試合を組めない」と引退勧告も受けた。 しかし「まだ頑張ります」とはねのけた。会長は親心で言ってくれたのだろうが、幼少期から取りえがなかった僕がようやく見つけたボクシングを諦めることは到底できなかった。 何とか肩の故障を治したと思ったら、すぐに腰のケガ。そんな歯がゆい時期は続いた。いろんな病院へ行って医師の指導を受け、もがけばもがくほど負のスパイラルにハマって抜け出せなくなった。だが、逆に考えると、この時期の経験がトレーナーとしての今につながっている気がする。ケガと向き合ったことで知識量が増え、フィジカルやサプリメントにも詳しくなった。一つのことを徹底的に掘り下げるオタク的な性格もプラスに働いたと思う。僕は自分自身を人体実験しながら知識を蓄えていった。 11年4月、日本ミニマム級王座を3度防衛していた僕に世界戦の話が来た。相手はWBA世界ミニマム級王者のムハンマド・ラクマン(インドネシア)だったが、東日本大震災の直後とあって来日できず、流れてしまった。その後、ラクマンに勝利して新王者となったポンサワン・ポープラムック(タイ)との試合が決定。ボコボコにされて世界のベルトを逃してから4年4か月ぶりの世界戦挑戦が正式に決まった。 この時、辞める覚悟ができていた。世界王座に2回も挑戦させてもらい、再び負けたら確実に商品価値はなくなる。それに当時は世界王者が負けたらパッと引退する風潮があった。28歳という年齢もオッサンに近かったため、負けたら潔く身を引こうと考えていた。 11年10月24日、東京・後楽園ホール。ボクサー人生を懸け、背水の陣で臨んだ。実は当時メディアに内緒にしていたことがある。僕はひどい右肩痛に苦しんでいて、1ラウンドは左だけで勝負することになったのだ。
Aug 31, 2022
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https://www.tokyo-sports.co.jp/fight/東スポWEB ボクシング 【八重樫東氏コラム】片道燃料の流儀 ロマゴン戦の神風アタックができたワケ 2022年08月01日 16時00分現在は大橋ジムでトレーナーを務める八重樫氏がボクシング人生を語った(東スポWeb)【八重樫東氏 内気な激闘王(1)】 数々の壮絶な打ち合いを演じて「激闘王」の異名を取ったボクシング元世界3階級制覇王者の八重樫東氏(39)がリングを去ってから、まもなく2年がたとうとしている。まぶたを腫らしながら玉砕覚悟で相手に立ち向かう一方で、リングを離れれば寡黙で穏やかな好青年だ。そんな二面性が交錯するファイターの素顔に迫る新連載「内気な激闘王」がスタート。八重樫氏は自身の半生を振り返り、ボクサーとしての「流儀」を激白した。 ――まもなく引退して2年。だいぶ顔もきれいになった 八重樫氏(以下、八重樫)おかげさまで(笑い)。特に後遺症などはないですね。ただ、よくボコボコの顔が「激闘の証し」と言われますが、できることならパンチをもらわず、常にきれいな顔で試合を終えたかった。 ――激しい打ち合いはファンの心をつかんだ 八重樫 特に意識して打ち合っていたわけじゃないのですが、試合中はあるキッカケで感情的になったりします。例えば、滑り出しから自分が描いた理想通りに試合が運ぶとさらに完璧を求めて丁寧に戦いますが、途中で一度でもミスすると「もう100点じゃないならいいや!」って大胆になる。カチッとスイッチが入る感じですね。そこは自分の欠点だと思っていますけど。 ――井岡一翔戦(2012年6月)、ローマン・ゴンサレス戦(14年9月)の激闘は語り継がれている 八重樫 ありがたいことに、ファンが感情移入してくださったみたいで、特に「ロマゴン戦で泣いた」という声をよくいただきます。僕の試合って、見ている方がゲームのコントローラーで操作している感覚になるようです。みんなが「いけ!」って思ったら必ずいってるみたいで。ファンの気持ちを投影できたのはうれしいですが、最後は倒されてゲームオーバー(笑い)。 ――試合前は怖くなかったか 八重樫 いつも怖かったですよ。でも、死ぬかもしれない恐怖ではなく、試合に負ける怖さです。リングに上がったら「もう無事に下りられなくてもいい」って本気で考えていましたから。腕1本なくなろうが、片目が潰れようが、勝てばいいって。だからロマゴン戦のような“神風アタック”ができたんですよ(笑い)。 ――いつから捨て身の精神になったのか 八重樫 キャリア晩年からですね。ボクシングをやれる時間がだんだんと少なくなり、試合前に「覚悟」を決めるようになったんです。特に引退間際は自分の体を引き換えに勝てるなら何でもいいって感じ、本当に“片道燃料”で試合に臨んでいました。 ――リングを下りると一変して寡黙だ 八重樫 僕はもともと内向的で子供のころから体が小さくてコンプレックスの塊。でも、なぜかリングに立つと強気になれました。リングって面白くて、普段おとなしいのに恐れず立ち向かう人もいれば、逆にいつもイキがっているのに試合で急に弱気になるヤツもいる。リングでは虚勢が通用しません。何の制限もなく自分を表現でき、人の本当の姿を映し出す場所。だから僕はボクシングが好きなんです。 ――よくギャップに驚かれるのでは 八重樫 はい、よく言われます。顔は傷だらけでヒゲもあって、試合の僕しか見たことない方は威勢のいいヤツって勘違いするようで…。だから現役時代はよく街で怖そうな人に絡まれました。僕らは手を出しちゃいけないので、そんな時はニコニコしながら「すみません」って謝って猛ダッシュ。僕、逃げ足には自信があるので(笑い)。 ――これからのボクシング界について 八重樫 自分の「色」を持ったボクサーが増えてほしい。僕はおかげさまで応援してくださる方が感情移入するボクサーでしたが、逆に井上尚弥のように感情移入できないほど、完全無欠のヒーローショーを見るのも面白い。他にも辰吉丈一郎さん、畑山隆則さん、井岡一翔くん、清水聡…。そんな個性あふれるボクサーの誕生を期待したいです。 ――現役復帰は 八重樫 現役晩年にずっと悪あがきをしたのでもういいです(笑い)。それに、いまさら若手の踏み台になって倒される姿を見せたくないし、命を懸けて試合をしている教え子たちに失礼。今は彼らにすべてのエネルギーを注ぎたい。現役時代のように、全力で。キャッチャーフライ捕れず悔し泣き 内に秘めたものあったが… 2022年08月02日 16時00分小学生時代の八重樫は内気だった【八重樫東氏 内気な激闘王(2)】自分が強いと思ったことなんて一度もない。幼少期から今に至るまでずっと劣等感を抱いてきた。それは世界王者になろうが、3階級制覇しようが変わらない。 こんなことを言うと人は「謙虚だね」と褒めてくれる。でも本当に自信がない。かつては街で「チャンピオン!」って声をかけられ、チヤホヤされたりもした。しかしそれは一瞬のことだ。試合にたまたま勝ってベルトが回ってきただけ。運といえば運だ。冷静になって考えれば、僕よりも強い選手なんていくらでもいる。上には上がいるってことを昔から痛いほどよく分かっていた。 なぜこんな考え方になったのだろう。この連載を始めるにあたり改めて自分と向き合ってみたが、やっぱり幼少期の経験が根底にあると思う。物心ついたころからネガティブで内向的。そして人一倍のコンプレックスを持っていた。体格や身体能力が周囲より劣っていたので、背が高くて足が速い人やスポーツ万能な人を見ると、必ず自分と比較した。野球をやれば打てない、遠くに投げられない。バスケットボールをやってもシュートが入らない。食も細ければ勉強だって自信がない。そして気付いてしまった。彼らに勝てるものは何一つないってことを…。小学生が抱えるにはあまりにもつらい現実だ。こんな感じで僕は自分を否定し続け、今の人格が形成されたんだと思う。 でも僕はネガティブなまま終わらなかった。コンプレックスを抱えながらも自分と向き合い、少しでも強くなろうとあがいた。小学3年生の時、地元の岩手・北上市内の野球チームに入った。父親(昌孝さん)がコーチ、1つ上の兄(大さん)も同じチームにいて、2つ下の弟(悟さん)も後から入った。5人家族のうち4人がチームメート。そこでも目立たずおとなしい存在だったが、5年生でセカンドのレギュラーになり、6年生では体が小さいのにキャッチャーを任された。 最後の地区大会で敗れた時、弟が涙を流していたシーンを覚えているが、僕も練習中によく泣いていた。キャッチャーフライが捕れず、コーチに何本もフライを上げてもらい、泣きながらボールを捕りにいった。すごく悔しかった。どうやら内に秘めたものはあったらしい。でも、それをうまく外に表現できない。だから、ただ悔しくて泣く子だった。今思えば、過剰な劣等感が自分を伸ばす最大の原動力になったのかもしれない。 僕は後に世界チャンピオンになるが、当時は日本に有名な王者がたくさんいたため、ベルトを巻いても目立たない存在だった。絵に描いたような“2番手人生”。その兆候は少年野球時代からあったようだ。小学6年生の時、僕はキャプテンに選ばれながら「主役」にはなれなかったのだ。小学校で唯一の勲章…表彰された時も主役は弟だった【八重樫東氏コラム】小学校で唯一の勲章…表彰された時も主役は弟だった 2022年08月03日 16時00分弟を題材にしたポエムで初めて1番に選ばれた【八重樫東氏 内気な激闘王(3)】幼少期から体が小さく、何をやっても人並み以下。しかしコンプレックスが原動力となり、負けず嫌いな性格が出来上がっていった。 地元の岩手・北上市内の野球チームでは5年生からレギュラー。うまく捕れず、悔しくて泣きながらボールを追ったが、6年生でキャプテンに任命された。しかしポジションは地味なキャッチャー。そして同じ時期に野球を始め、バッテリーを組んでいた清水健太君は4番でピッチャー。野球の「花形」でチームでは完全な“赤レンジャー”だった。僕は打撃も得意ではなく、キャプテンなのに主役を張れず、スポットライトを浴びることはできなかった。 父(昌孝さん)は寡黙なエンジニア、母(淳子さん)は明るく社交的な肝っ玉かあちゃん。僕は1つ上の兄(大さん)、2つ下の弟(悟さん)に挟まれた次男で常に兄貴がやることをマネしていた。そんな家庭環境もあって僕はもともとキャプテン肌ではない。一応、正捕手なのでチームの要だけど、存在感はなく縁の下の力持ち的な立ち位置だった。人をまとめる自信もなかったので清水君のほうがよっぽどキャプテンらしかった。でもそんなポジションが妙に心地良かった。 そういえば世界王者になってからも、ずっと誰かの陰に隠れていた気がする。3階級制覇を達成した時(2015年12月)には、すでに井上尚弥というとんでもない男が同じジムに現れ、他にも内山高志さん、山中慎介さん、村田諒太くん…。キラ星のような一流ボクサーたちに埋もれ、僕は世界王者なのに「誰?」って目で見られていた。そんな立ち位置が嫌いじゃなく、むしろ気に入っていたのは小学生時代につくられた“2番手気質”のせいなのだろう。 たった一つだけ、忘れられない成功体験がある。小学校低学年の時に書いた「弟の入園式」という詩が表彰されたのだ。1番になった経験がない少年にとって初めての勲章。入園式の朝、父が靴を磨き、自分も特別な気持ちで身支度している様子が書かれている。今、読み返すと、なぜこんな詩を書いたのか覚えていない。たぶんかわいくて大好きな弟を題材にしたのが審査員に響いたのだろう。自分の内面を表現した作品が認められたのは僕らしいが、ここでも主役が自分じゃなくて「弟」というのが笑える。 劣等感を抱きながらもささやかな成功体験を重ねて北上市立北上中へ進学し、漫画「スラムダンク」の影響でバスケットボール部に入った。子供にとってアニメや漫画の世界観って人格にものすごく影響を及ぼす。特に昔の熱血漫画は「頑張ればうまくなる」「努力は報われる」というストーリー。そんな“昭和の熱血魂”を漫画から刷り込まれた僕は、バスケ部時代に自分なりの努力の方法を確立した。毎朝1人で特訓を続けたのだ。スラムダンク桜木花道と自分をダブらせ1人で地道な朝練【八重樫東氏コラム】スラムダンク桜木花道と自分をダブらせ1人で地道な朝練 2022年08月04日 16時00分八重樫(手前)は中学時代にバスケットボールに取り組んだ【八重樫東氏 内気な激闘王(4)】 幼いころからコンプレックスの塊だった僕が、なぜ世界王者になれたのか。その要素の一つが、中学のバスケットボール部時代にある。 1995年、北上市立北上中(岩手)へ進学すると、漫画「スラムダンク」の影響もあってバスケ部に入った。小学生の時に野球と並行してミニバスを習っていたが、約10人いた同学年の中でも決して上手な方ではなかった。体が小さい僕はポイントガードで、3年生ではキャプテンの控え。結局、3年間スタメンには入れず、ルーズボールを必ず取りに行くようなガッツを買われて起用されていた感じだった。 相変わらず自分に自信がなかったため「試合に出たいけど出たくない」という心境。もしシュートを外したらどうしよう…とおびえていて、ボールを持つことが怖かった。最後にポイントガードが打つフォーメーションがあるが、その指示が出ると恐怖で足がすくんだ。とはいえ、ボールをもらった以上は責任を果たさないといけない。そこで奮起した。毎朝、学校の始業前に体育館へ行き、1人でシュート練習を繰り返したのだ。 2年生ごろから始めた1人だけの朝練は、卒業するまでほぼ毎日続けた。もちろん部員は誰も知らない。唯一、知っているのは体育館のカギを開けてくれた用務員さん。その方がバスケ部の監督だった。こんなことを言うと監督へのアピールと思われそうだが、決してそうではない。ただ上手になりたかっただけで、そもそも僕はアピールして目立ちたいという陽キャな人間ではない。ボールをもらった時、いかに不安を打ち消すか。その一心だった。 何より、1人でシュート練習していた自分がすごく好きだった。僕は自信家じゃないのでナルシストとは違うが、誰にも知られず、自分と向き合って努力を重ねる時間が大好きだった。たぶん漫画の影響だろう。「スラムダンク」の桜木花道と自分をダブらせ、ハッピーエンドを信じて疑わなかった。努力は報われる、頑張れば成功すると。つくづく子供って単純だなあと思う。 結局「スラムダンク」では全国制覇の目標を達成できず、僕もレギュラーになれなかった。でも1人で努力を重ねた、あの時間だけは「今」につながっている気がする。ああいう経験が人生の中で何個かあると、それだけで人は頑張れると思う。夢中になれるなら何でもいい。一つのことに打ち込んでいる、自分が好きになれる瞬間がある。その時間をたくさんつくることで「頑張れる」という人格が形成されると思う。 ネガティブだった僕は「頑張れる」という喜びを知り、98年に岩手県立黒沢尻工高に進学。そこから僕の人生はボクシング一色に染まった。戦闘能力ゼロだったのに訳も分からずボクシング入部【八重樫東氏コラム】戦闘能力ゼロだったのに訳も分からずボクシング入部 2022年08月05日 16時00分インターハイで優勝した八重樫(左)。右はボクシング部に誘った西本氏【八重樫東氏 内気な激闘王(5)】 もし人生を「章」で区切るなら、八重樫東の第2章スタートは高校入学だろう。縁もゆかりもなかったボクシングの世界へ飛び込んだからだ。 中学のバスケットボール部時代に「自分と向き合う」楽しさを知った僕は1998年に父(昌孝さん)と兄(大さん)の出身校、岩手県立黒沢尻工高に進学。大学に行く予定もないし、工業高校に行けば北上工業地帯で就職できると思って選んだ。部活を迷っていると、中学時代にバスケ部でキャプテンだった西本渉君に「ボクシングをやらないか」と誘われた。黒沢尻工高のバスケ部は全国レベルだったのでレギュラーになれないと思い、誘いに乗ってボクシング部に入った。ここが運命の分かれ道だった。 ボクシングの知識といえば漫画「はじめの一歩」くらい。K―1のアンディ・フグ(故人)は知っていたが、ボクシングの試合をテレビで見た記憶もない。自分がボクサーになり、世界王者になるなんて夢にも思わなかった。人生って不思議なものだ。とはいっても僕は体が小さくてコンプレックスの塊。もちろん戦闘能力はゼロだ(笑い)。「ボクシングはやるけど、そんなに本気ではやらない…」と“保険”をかけてスタートした。 ワケが分からないままボクシング人生が始まったが、不思議と違和感はなかった。恐らく僕は個人競技のほうが合っていた気がする。小・中学時代に野球、バスケと団体競技を経験してうすうすわかっていたが、協調性をもって一つの目標に進むより、1人で黙々と練習する時間のほうが好きだった。だからサンドバッグやシャドー、ロードワークなど1人でコツコツと努力を重ねるボクシングは楽しかった。 入部後、初めてのスパーリングで洗礼を受けた。相手は高校OBで拓大へ進学した先生、つまり大先輩だ。いきなり左ボディーで落とされ、僕はドーンと倒れた。苦しくて、もだえたのを覚えている。同じライトフライ級とはいえ、大学の1部リーグでバリバリやっていた相手だから無理もない。今考えても、あのスパーは無謀だった。 減量がきつくて部を辞める人も多かったが、僕の学年は8人全員、誰も辞めずに卒業できた。本当に仲が良かった。部活帰りに走ったり、バスケをやったり。練習は過酷だったが、みんなで一緒にいるのが楽しくてボクシングを続けることができた。3年生の時にインターハイ(モスキート級)で優勝し、実績を残せたが、同期と過ごした日々のほうが思い出として輝いている。後年、僕の試合には同期みんなが見に来てくれ、世界戦が“同窓会”となった。 最高の環境で3年間を終え、拓大から声がかかってスポーツ推薦で入学できた。それも学費全額免除という好待遇。いよいよコンプレックスからの逆襲が始まった。居酒屋でバイトしながら磨いた必殺「拓大カウンター」【八重樫東氏コラム】居酒屋でバイトしながら磨いた必殺「拓大カウンター」 2022年08月06日 16時00分拓殖大学時代に試合に臨んだ八重樫【八重樫東氏 内気な激闘王(6)】 子供のころから内向的で、人一倍のコンプレックスを抱いていた僕は岩手県立黒沢尻工業高でボクシングと出合い、ようやく自分に誇れるものができた気がした。 3年時の2000年にインターハイ(モスキート級)で優勝し、ボクシングの名門拓大から声がかかった。それほど有望な選手ではなかったが、当時コーチだった中洞三雄さん(現拓大ボクシング部監督)が同じ岩手県出身という縁も背中を押してくれた。驚いたことにスポーツ推薦の中でも一番優遇された枠で学費は全額免除。こんな好待遇で迎えられるとは思っていなかった。 だが、入学してみるとボクシング以外の戸惑いの連続だった。親元を離れて初めての東京生活。大学敷地内にある体育寮はボクシング部の他に柔道部、相撲部、レスリング部も共同生活を送っており、まさに“ザ・体育会”といった男くさい雰囲気だった。門限もあり、1年生は練習が終わると掃除、洗濯、電話番、雑用など大忙し。実家暮らしから激変し、日常生活をこなすことで必死だった。茗荷谷駅の近くの居酒屋でバイトしつつ奨学金を生活費に充てた。もちろん、飲み会やコンパなど、いわゆるキャンパスライフとは無縁。それでも一度も辞めたいと思わなかった。ボクシングに没頭できる最高の環境だったからだ。 改めて振り返ると、拓大時代の4年間でプロボクサー八重樫東の土台が出来上がったと思う。足の使い方やパンチの打ち方などボクシング技術の基礎をしっかりつくることができた。ボクサーとして大きな影響を受けた人物は、1年生の時に4年生だったライトフライ級の先輩・和才隆一さん。すごくパンチが強く、打ち方がキレイでカッコ良かった。プレッシャーをかけながら相手が打ってきたパンチを外し、カウンターを入れるスタイルに憧れ、マネをしていた。結局、和才さんはプロへ行かなかったが、僕のボクサー人生でかけがえのない“教科書”となった。 ちなみに相手の左ジャブを外側(右)にヘッドスリップして避け、右のカウンターストレートを打つボクシングは拓大の昔からの教えだ。部員は自然とその戦法を身に付け、プロに入った後に大橋秀行会長も「拓大カウンター」と呼んでいたほど。それくらい和才さんから受け継いだスタイルは拓大の伝統だった。 着実に実力をつけた僕は大学2年の国体(ライトフライ級)で優勝。3年生になると下級生の雑用から完全に解放され、都内近郊のプロボクシングジムを“道場破り”のような形で巡り、トップクラスのプロ選手と拳を交わすようになった。自信がふつふつと湧いてくるのが分かった。もしかしたらプロでやれるかもしれない――。 ☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手・北上市出身。拓大2年時に国体を制覇し2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。11年10月、WBA世界ミニマム級王座を獲得し岩手県出身初の世界王者になる。12年6月にWBC同級王者・井岡一翔と史上初の日本人世界王者同士の統一戦で判定負け。13年4月にWBC世界フライ級、15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し3階級制覇を達成。20年9月に引退。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。身長162センチ。
Aug 7, 2022
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秋の新しいランイベント「ランフェスきたかみ」開催します!https://www.runfes-kitakami.com/ゲストランナー決定!ランフェスきたかみのゲストランナーが決定いたしました!まちなかコースに参加します!岩手県北上市出身で、元プロボクサーの八重樫東さんです! 2001年から開催し、県・市のスポーツ振興や北上市を全国にPRする役割を果たしてきた「いわて北上マラソン大会」は、第20回となった昨年度をもって終了しました。 北上市では、「いわて北上マラソン大会」に代わる秋の一大イベントとして、「ランフェスきたかみ」を今年から新たに開催します! ランイベントはもちろん、走ることはちょっとニガテと思っている方にも、スポーツ体験コーナーがあったり、「うまいもの市」や「マルシェ」の開催など、多くの方に楽しんでいただけるイベントとなっておりますのでぜひ足をお運びください!(屋台村やスポーツ体験会だけの参加もできます) 詳細などは、ランフェスきたかみ公式ホームページにて随時更新していきますので、ご確認ください。開催日令和4年10月9日(日曜日)会場【メイン会場】 北上総合運動公園イベント内容ランの部種目、スタート時間、参加料種目 スタート時刻 参加料まちなかコース(23キロメートル) 午前8時00分 一般:5,260円 高校生:2,110円 大会中止保険料を含みます田園のんびりコース(10キロメートル)午前8時30分 一般:3,160円高校生:2,110円大会中止保険料を含みます【コース】 いずれも北上総合運動公園発着コースです【定員】 1000人【記録測定】 ランナーズチップにより計測する。【参加資格】タイムを競うのではなく、ランニングを楽しむイベント(ファンラン)であることをご理解いただける方。当運営委員会が作成した新型コロナウイルス感染症対策ガイドラインの内容について承諾できる方。制限時間内に完走できる方。高校生は保護者の同意を必要とする。単独走行が困難な方(障がいをお持ちの方)は伴走者をつけることができる。ただし、盲導犬の伴走は不可。年齢制限は、高校生以上とする。制限時間種目 第1ポイント 第2ポイントまちなかコース(23キロメートル)制限時間:3時間30分(午前11時30分まで) 中間地点1時間30分(午前9時30分まで) 15キロ地点2時間10分(午前10時10分まで)田園のんびりコース(10キロメートル)制限時間:1時間30分(午前10時00分まで) 中間地点45分(午前9時15分まで) 注意:制限時間後に走行される際は、交通規則に従い走行ください。【特典】まちなかコース総合上位者で北上市在住の男女各1名に対し、第20回石垣島マラソン大会へご招待。北上市在住のまちなかコース完走者の中から、抽選で1名に対し、第20回石垣島マラソン大会へご招待。ランフェスきたかみコスプレチャレンジの実施。指定の撮影スポットで撮影した写真をインスタグラムに指定のハッシュタグをつけて投稿。令和4年10月17日午前11時時点でいいね数が最も多かった人に記念品贈呈。申込方法期間:令和4年7月15日から令和4年8月15日インターネットのみの受付になります。下記リンク先へアクセスしてくださいまずは、Sports net ID(=RUNNETアカウント)が必要です。登録(無料)は、こちら(外部サイト「RUNNET」につながります)RUNNETにすでに会員登録されている方は、RUNNETのIDでご参加いただけます。フェスの部(時間・内容に変更がある場合があります)(1)屋台村 【場所】北上総合運動公園広場 【時間】午前9時から午後2時 【内容】うまいもの市、マルシェ ほか(2)体験コーナー 【場所】北上総合体育館内 【時間】午前9時から午後1時30分 【内容】ニュースポーツ ほか(3)ステージイベント 【場所】北上陸上競技場第4ゲート前(雨天時、北上総合体育館内) 【時間】午前10時30分から午後1時 【内容】スポーツ団体、民俗芸能の公演 ほか(4)まちなか会場【場所】北上市役所付近【時間】午前9時から午後2時【内容】屋台、マルシェほか
Aug 5, 2022
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https://www.sanspo.com/article/20220608-5VXGHKF6WZJLTGRDHVMCMWUPQE/サンスポ 2022/06/08 05:00 「すごいの一言。本当にモンスターだ」井上尚弥、八重樫東氏の指導で肉体改造 “モンスターパンチ”ありえないほど「キレ」「重」/ボクシングプロボクシング・WBA、IBF、WBC世界バンタム級王座統一戦(5日、さいたまスーパーアリーナ)日本選手初の世界3団体統一王者となった井上尚弥(29)=大橋=は、下半身の強さを生かした重いパンチで強敵を倒してきた。昨年11月からはジムのトレーナーを務める元世界3階級制覇王者の八重樫東(あきら)氏(39)の指導で肉体改造に着手。進化を続け、4団体王座統一、さらには世界4階級制覇を視野に入れる。所属ジムの大橋秀行会長(57)は、KOを量産する井上の打撃の強さをこう表現する。「だいたいがパンチは『キレる』か『重い』のどちらかに分かれるけど、『キレる重いパンチ』。両方ある感じ」〝モンスターパンチ〟を生み出すのが足腰の強さだ。下半身の力が伝わりパンチの威力が増す。神奈川・相模原青陵高(現相模原弥栄高)卒業後にプロ入りする前から、1トン前後の乗用車を押すなどして鍛えてきた。世界のベルトを手にしても、井上は進化の歩みを止めない。昨年11月には今後の階級アップを見据え、八重樫トレーナーが指導するフィジカルトレーニング、通称「ヤエトレ」を開始した。週2回、横浜市の大橋ジムでバーベルを使って上半身を鍛え、片足ケンケンをするようなトレーニングで下半身を強化。地味だがつらい動きを黙々と繰り返した。世界トップの井上でさえも激しい筋肉痛のため、予定していたスパーリングの中止を申し入れたことがあったほど。八重樫トレーナーは「筋出力が上がるので、もっとパワーが出るんじゃないか」と説明し、井上は「足腰が強くなったと感じているし、腰を鍛えることで一番気にしている腰痛がなくなってきた」と効果を語った。「八重樫さんはニコニコしながら、めちゃくちゃ厳しい」と井上が苦笑いすれば、完勝を見届けた八重樫氏は「すごいの一言。本当にモンスターだ」。元世界3階級制覇王者が指導する地獄のトレーニングで4団体王座統一、そして世界4階級制覇を引き寄せる。
Jun 8, 2022
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岩手日報2022.6.4 紙風船◇・・・県警(森下元雄本部長)は特殊詐欺被害を防ごうと新たなテレビCM=写真=を制作し、県内の民放4局で放送を始めた。来年2月28日まで。◇…元プロボクシング世界王者の八重樫東氏と各局のアナウンサーが出演。キャッシュカードを偽物とすり替える詐欺などの手ロや対策を紹介する。◇…キャッチフレーズは「特殊詐欺からいわてを防衛」で、メインの啓発対象は高齢者。くれぐれも甘い言葉で事件のリングに引きずり込まれないように。
Jun 4, 2022
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岩手日報風土計 2022.5.1 「ボクシングの聖地」「ボクシングの聖地」といえば東京・後楽園ホール。今年で開業60年を迎えた。数々も名勝負が繰り広げられてきたが、運営会社のサイト「格闘史」名を刻んだ県人選手がいる。葛巻町出身の触沢公男さん。1976年に行われたノンタイトル戦で世界王座返り咲きを目指す前王者をKOした。無名の中堅選手の大金星は、「永遠の語り草になる大番狂わせ」と評された。次戦もメキシコの世界ランカーを、マットに沈め、実力は本物であることを証明。リング上で祈りをささげるクリスチャンボクサーとしても話題になった。世界タイトルには2度挑んだが、ベルトには届かなかった。それから35年。2011年に聖地で県人初の世界王者となったのが北上市出身の八重樫東さん。タイ人王者との激しい打ち合いを10回TKOで制した。その後に3階級制覇を果たし「激闘王」と称された。半年後には、盛岡市出身の佐藤洋太さんが県人2人目の世界王者に。2度ダウンを奪う快勝だった。どちらもリングサイドで取材したが、リングと客席の近さ、頭の上から降ってくるような歓声に圧倒された。聖地でメインイベントを戦うことは、ボクサーにとって最高の勲章の一つだろう。自分の拳一つで未来を切り開く。カネも名誉もリングにある。先人たちに続く、県人選手の登場に期待したい。
May 2, 2022
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岩手日報 2022.2.19 風土計・・・スポーツ取材を担当すると、のちに国内外の大会で活躍する選手の「若い頃」出会うことがある。プロボクシングの元世界3階級チャンピオン八重樫東さんもその一人だった。▼22年前の岐阜県での全国高校総体。黒沢尻工3年八重樫さんは優勝インタビューに「地味な練習が一番きついが、やってきてよかった」と語った。リングを降りればあどけなさが残る普通の高校生だった。世界を制す「激闘王」になとるとは想像もしなかった。▼1983年生まれの永井選手と八重樫さん。もっと強くなりたいと願い、肉体の衰えを自覚しながら、己の可能性を信じて努力を続けた。若き日の2人を取材できたこと幸運に感謝する・・・
Feb 19, 2022
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https://news.yahoo.co.jp/articles/87b2efe74cf116b80b5a8ca7576364add913b772yahoo japan news スポーツ報知 1/29(土) 15:00配信井上尚弥が元世界3階級王者・八重樫東トレーナーとタッグ ハードすぎる“八重トレ”にスパー中止の日もスポーツ報知ボクシング年間表彰で4年連続MVPに輝いた井上尚弥(中央)を大橋秀行会長(右)、八重樫東トレーナーが祝福 プロボクシングの2021年度の年間表彰選手が29日発表され、WBA&IBF世界バンタム級統一王者・井上尚弥(大橋)が4年連続5度目となる最優秀選手賞と2年連続5度目のKO賞を受賞した。 横浜市内の所属ジムで受賞の喜びを語った井上は、昨年12月14日のアラン・ディパエン(タイ)との防衛戦の約1か月前から、元世界3階級制覇の八重樫東トレーナーにフィジカルトレーニングの指導を受けていることを明らかにした。 「八重樫さんと新しくフィジカルのコンビを組みまして…。バンタム級でもまだまだ筋肉はつけられますし、これから階級を上げていくということを踏まえて、自分からお願いしました」。上半身、下半身の強化に加え、上半身から下半身の連動などあらゆる動きを強化するもので、大橋秀行会長によると、かなりのハードトレーニングだという。“八重トレ”を始めた当初には、筋肉痛を訴えた井上が、決まっていたスパーリングを取りやめたことがあるほど。大橋秀行会長は「筋肉痛で『中止にしてください』と言ってきたのは初めてだった。どれだけ、厳しいトレーニングをやっているのか…と驚いた」と明かした。 日本のモンスターも今年4月で29歳。「もう29か…という声がありますけど、自分の中では、まだ29。そういったメンタルコントロールをしていこうかなと。まだ29かと思ってやった方が、まだまだ伸びると思うので。実際に体力面でも、まだまだ伸びしろを感じている。八重樫さんと組んでレベルアップを感じているので、自分自身に期待したい1年になる」とさらなる進化を誓った。Googleアラート八重樫東その都度 ⋅ 2022年1月29日ニュース 井上尚弥が元世界3階級王者・八重樫東トレーナーとタッグ ハードすぎる“八重トレ”にスパー中止 ...Yahoo!ニュース - Yahoo! JAPANボクシング年間表彰で4年連続MVPに輝いた井上尚弥(中央)を大橋秀行会長(右)、八重樫東トレーナーが祝福. プロボクシングの2021年度の年間表彰選手 ...【ボクシング】「今年は厳しい戦いを乗り越えて記録を塗り替えたい」 井上尚弥がMVP単独 ...ベースボール・マガジン社さらに、昨年11月からは、元世界3階級制覇王者・八重樫東トレーナーの指導の下、フィジカルを鍛え始めた。「バンタム級としてもまだまだ筋力をつけられます ...井上尚弥「八重樫さんと組んでレベルアップを」4年連続5度目MVPで決意 - 日刊スポーツ日刊スポーツ昨年11月から世界3階級制覇王者の八重樫東トレーナー(38)のコンディショニング指導を週2回ペースで受け始めた。「まだまだ筋力はつけることができるし、 ...井上尚が4年連続MVP プロボクシング年間表彰 - 産経ニュース産経ニュース最優秀選手賞とKO賞を受賞した井上尚弥(中央)と所属ジムの大橋秀行会長(右)、八重樫東トレーナー. プロボクシングの2021年表彰選手が29日に発表 ...井上尚弥、八重樫トレで階級アップ準備「まだ伸びしろがあると思います」 - 日刊スポーツ日刊スポーツ昨年11月から世界3階級制覇王者の八重樫東トレーナー(38)のコンディショニング指導を受けていることを明かした。「新しく八重樫さんに見てもらっています ...2021年度MVPは井上尚弥!4年連続5回目 | ボクシングモバイルボクシングモバイル八重樫東トレーナーと筋力アップ中! 今では日本だけに留まらず、世界のボクシング界を牽引する一人となった井上尚弥は「毎年取りたい賞」と、最優秀選手に ...【最優秀選手賞&KO賞】5度目受賞の井上尚弥 最多記録更新も意欲「毎年そこを目指してやって ...スポニチ Sponichi Annex4年連続5度目の最優秀選手賞、2年連続5度目のKO賞をダブル受賞した井上尚弥(中)。左は八重樫東トレーナー、右は大橋秀行会長 Photo By スポニチ.井上尚弥が4年連続5度目のMVP 白井義男、具志堅用高に並んで最多/ボクシング(1/2ページ ...サンスポ最優秀選手賞とKO賞を受賞した井上尚弥(右)と八重樫東トレーナー. 日本ボクシングコミッションと日本プロボクシング協会、東京運動記者クラブ・ ...スポーツ報知https://hochi.news/articles/20220129-OHT1T51171.html?page=1ベースボール・マガジン社https://www.bbm-japan.com/article/detail/29055日刊スポーツhttps://www.nikkansports.com/battle/news/202201290000568.html産経ニュースhttps://www.sankei.com/article/20220129-57NOJFSUBBOA3HSJLJHCJS2GRQ/日刊スポーツhttps://www.nikkansports.com/battle/news/202201290000210.htmlボクシングモバイルhttps://boxmob.jp/sp/news/index.html?nid=28126&n=1スポニチ Sponichi Annexhttps://www.sponichi.co.jp/battle/news/2022/01/29/kiji/20220129s00021000317000c.htmlサンスポhttps://www.sanspo.com/article/20220129-LCHSTEATFRPZ5B4URDIIIOX4LA/
Jan 30, 2022
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https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2022/01/22/kiji/20220122s00021000569000c.htmlスポニチ 2022年1月22日 19:22元K-1王者・武居 今年の目標「何かのベルトは獲りたい」 魔裟斗も「世界に一直線で行くことが楽しみ」 3戦連続1RKO勝利中の元K-1スーパー・バンタム級王者の武居由樹(25=大橋)が21日に更新された元K―1世界王者でタレントの魔裟斗(42)のYouTubeチャンネルに出演。武居を指導する3階級制覇王者の八重樫東トレーナー(38)とともに3人で対談する中で今年の目標について語った。 ボクシング転向後、3戦連続1RKOで倒して3戦合わせても5分39秒と圧倒的な強さを見せている武居。魔裟斗は今年の予定について聞くと八重樫トレーナーが「(次戦は)4月に内定という形で、今年も去年同様に3試合くらいできれば良いかなと思っているので」と次戦そして今年の予定を明かした。それを聞いた魔裟斗は「今年3戦もしかしたらできれば年内に日本タイトルとか?」と尋ねると八重樫トレーナーは「そうですね。地域タイトルは挑戦したいですね。まずはランキングに入らないといけないのでランキングに入れたら(タイトルを)狙える立ち位置にくるのでそこはうちの会長も考えてるみたいです」と答えた。 武居も「とりあえず何かのベルトは獲りたいなとは思います」と今年の目標とベルト獲得を掲げた。そして魔裟斗は「今年ベルト獲ったら来年に世界が見えてくるんじゃない?」と語ると八重樫トレーナーが「多分、その頃には井上が階級を上げて持っているベルトを返上する可能性があるので、出来ればそこまでに世界ランクに入っておければ可能性はあると思います」と来年以降の展望も明かした。 それを聞いた武居も「それまでにこけるわけにはいかないですよね」と目標に掲げる世界王者に向けて意気込んだ。 最後に魔裟斗は「このまま世界に一直線で行くことを僕らも楽しみにしているのでぜひ頑張ってください」と武居へメッセージを送った。 動画では武居の練習を久々に視察したり、ここまで3戦を振り返って話している。https://www.youtube.com/watch?v=--SEV7zPETo魔裟斗チャンネル
Jan 23, 2022
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https://forgotten-legend.com/japan/92254forgotten legend 動画配信局 2021.10.22満ち足りた最後の激闘王/八重樫東子供の頃から逆境を乗り越えるための強い精神力を身につけていました。若いシーサケット・ソー・ルンビサイにKO勝ちしましたが、今の彼とは全然違いました。血と根性の戦士として日本で絶大な人気を誇る八重樫東は、15年間のキャリアの中で、3つの階級で世界タイトルを獲得し、そのオールアクションのファイトスタイルでボクシングファンを魅了してきた。1983年2月25日、八重樫は岩手県北上市で3人兄弟の真ん中として生まれた。父はシステムエンジニア、母は専業主婦だった。八重樫「小学校では野球、中学校ではバスケットボールをやっていました。ボクシングのことは何も知りませんでした。しかし、16歳のとき、友人に誘われて高校のボクシング部に入りました」その後、八重樫は2000年と2002年にインターハイで全国制覇を達成。拓殖大学に進学した八重樫は、アマチュアリーグで56勝14敗を記録した。八重樫「政治経済学部で経済学を学びました。でも、勉強よりもボクシングに費やした時間の方が長かったですね」八重樫は、ストロー級タイトルを2度獲得した大橋ボクシングジムの大橋秀行氏の指導を受け、プロへの転向を決意した。八重樫「大橋ボクシングジムから初めて世界チャンピオンになった川嶋勝重さんを中心とした活発でエネルギッシュな雰囲気が気に入りました。世界チャンピオンになるなんて、夢にも思っていませんでした。最初は漠然と日本のタイトルを狙っていました。」そのレベルを一気に超え、5戦目でOPBF105ポンドのタイトルを獲得した。1回の防衛戦の後、2007年6月にはWBCストロー級王者のイーグル・デン・ジュンラパンとの対戦がサプライズで決まった。しかし、それは早すぎたようで、八重樫は12ラウンドで大きく劣勢に立たされた。復帰戦では、前評判の低かった辻昌建に逆転された(MD6)八重樫「子供の頃から逆境を乗り越えるための強い精神力を身につけていました。若いシーサケット・ソー・ルンビサイにKO勝ちしましたが、今の彼とは全然違いました。」その後、日本の105ポンド級タイトルを獲得し、3度の防衛を果たしながら、次のタイトル獲得に向けて経験を積んでいった。2011年10月には、WBA王者のポンサワン・ポープラムックとの対戦が実現した。10ラウンドでタイトルを獲得。八重樫「ポンサワン・ポープラムックに負けたら、二度と世界タイトルマッチのチャンスはないと思っていました。ベルトを獲得したという名声は、私を何も変えませんでした」その後、八重樫のチームは、WBCタイトルホルダーである井岡一翔の代理人と交渉し、2012年6月に両者の統一戦を行った。八重樫「井岡が階級を上げることもあって、マネージャーから “今しかない “と言われ、井岡選手の地元である大阪での試合、スポンサー、テレビ局などの条件をすべて受け入れました。」八重樫は、井岡の影となる “シャドー “の役割を楽しんだ。八重樫「対戦前には、彼の質の高いボクシング技術を破るには、大きなハードルがあると思っていました。しかし、彼は思いがけず私との打ち合いを選択し、お互いのプライドをかけた素晴らしい戦いになりました。」試合は終始互角の展開で、井岡が辛くも12ラウンドのユナニマスの判定で勝利を収めた。その後、八重樫はフライ級に転向し、2013年4月にWBC王者の五十嵐俊幸と対戦した。八重樫「アマチュア時代に4回対戦して、五十嵐には一度も勝ったことがない。彼が自信を持っていることはわかっていた。私はサウスポーが苦手でした。大橋さんは、かつてのライバルである張正九のビデオを見せて、(イラリオ・サパタに勝ったように)サウスポーを倒す方法を学ぶべきだと勧めてくれました。五十嵐との対戦では、すべてがうまくいき、私は彼のベルトを手に入れることができました。大橋さんの直感的で鋭いアドバイスは、いつも的確なものでした。」その後、八重樫は3度の防衛戦を行ったが、いずれもメキシコのファイターが相手だった。八重樫「元(WBCジュニアフライ級)王者のエドガー・ソーサには実は負けると思っていました。けれど、思ったよりもうまく対応できた。フライ級で戦っていたときが、私のピークだったです。」その後、2014年9月に112ポンドにステップアップしていたローマン・ゴンザレスが登場した。八重樫「ローマン・ゴンザレスはもともとボクサーであり、常に足を最適な位置に置くショートレンジのスペシャリストでした。」7敗のうち1敗はチョコラティートのものだが、その事実を恥じることはない。2014年12月に空位のWBCタイトルをかけてペドロ・ゲバラと対戦し7ラウンドでストップされた。八重樫「計量後に体重を戻しすぎて、大きなミスをしてしまった。試合に負けた理由はわかっていたので、ボクシングを引退することはまったく考えていませんでした。やり残したことがあったからです。」八重樫は引退を考えていなかったが、彼の全盛期は過ぎたと考える人もいた。彼は2つの低レベルの試合に勝ち、2015年の大晦日にはIBFタイトリストのハビエル・メンドーサと対戦した。八重樫「あれはライトフライ級への大きなリベンジでした。」ディフェンディングチャンピオンを12ラウンドのスプリットデシジョンで下した後、彼は誇らしげに語った。八重樫は2度の防衛を果たした後、2017年5月にミラン・メリンドに1ラウンドで止められた。八重樫「言い訳はできません。準備もコンディショニングもうまくいきました。なぜそうなったのか、私にもわかりません。彼は最初のパンチで私をマットに叩きつけた。」再び、八重樫のボクサーロードの終わりのように見えたが、彼にはもう1つのタイトルランがあり、向井寛史らに勝利を収めた。2019年12月にIBF 112ポンド級の王者モルティ・ムザラネと対戦した。八重樫「ムザラネはしっかりとしたボクシングスタイルで、とても強いパンチを持っていました。序盤のラウンドでは、私のヒット&アウェイのスタイルが有効でした。彼が至近距離での戦いを望んでいないことに気づき、インファイトにプランを変更しました。第7ラウンドか第8ラウンドに、コンビネーションで左目を損傷してしまった。ムザラネが3人に見えて、距離感を失ってしまったが、戦い続けなければなりませんでした。距離感を調整する前に、(第9ラウンド)残念ながら試合が終わってしまいました。」28勝7敗(16KO)の記録を残し引退。現在38歳の八重樫は、結婚して妻と3人の子供と一緒に横浜で暮らしている。妻と一緒にレストランを経営し、フジテレビのコメンテーターも務めている。大橋ボクシングジムを大切にしており、若手有望株の中垣龍太郎やK-1の人気チャンピオン武居由樹のトレーナーを務めている。目次 ベストジャブ 井岡一翔ベストディフェンス 井岡ハンドスピード イーグル・デン・ジュンラパンフットワーク イーグル・デン・ジュンラパンスマート ローマン・ゴンザレス屈強 ゴンザレスベストチン エドガー・ソーサベストパンチャー イーグル・デン・ジュンラパンベストスキル ゴンザレス総合 ゴンザレスベストジャブ 井岡一翔井岡の最大の武器は、ジャブです。最小限の動きでタイミングが読めないジャブをかわすのは容易ではない。経験した中で最高のジャブでした。何度も有効なジャブを受け、顔がひどく腫れ上がってしまった。ベストディフェンス 井岡井岡は、私にとってクリーンショットを打つのが最も難しい選手でした。彼は、非常に高いレベルのフル装備のファイターでした。ボクサーに求められるものをすべて持っていました。ハンドスピード イーグル・デン・ジュンラパン彼のハンドスピードは、対戦相手の誰よりも速く、ほとんど見えないと感じました。フットワーク イーグル・デン・ジュンラパン彼のフットワークは決して忙しくなく、足がしっかりと地面についている傾向がありました。必要なところで瞬時に体勢を変える正確なフットワークを持っていた。私との距離を保ち、地面をコントロールしていた。スマート ローマン・ゴンザレスゴンザレスは常にポーカーフェイスで、何を考えているのか読めませんでした。パンチの瞬間を見透かされているように感じました。屈強 ゴンザレスゴンザレスは、自分のフィジカルの強さを最も活かせるフライ級が全盛期だったと思います。私は彼を押し返すことができませんでした。ベストチン エドガー・ソーサ私は効果的なパンチをたくさん打ち込み、試合を支配しましたが、エドガー・ソーサは痛みや感情を顔に出さなかったのです。ノックアウトを狙うのはやめて、アウトボクシングに切り替えることにした。ベストパンチャー イーグル・デン・ジュンラパンローマン・ゴンザレスは、ハードパンチャーというよりもスキルが際立っていました。彼のパンチは強力というより効果的で、すべてのパンチとコンビネーションにピンポイントの正確さがありました。モルティ・ムタラネは、非常に強い拳を持っていて、しっかりとしたパンチを繰り出すことができましたが、ワンパンチフィニッシャーではありませんでした。ゲバラに負けたときは、彼の戦い方やパンチの強さよりも、私自身の問題でした。メリンドとの対戦では、試合がすぐに終わってしまい、十分な分析ができませんでした。何が起こったのかわかりませんでした。イーグル・デン・ジュンラパンは、他のどの選手よりも強く私を打ちました。彼のパンチはどれも破壊的で、私に大きなダメージを与えました。どうにか最後のゴングまで生き残りましたが、1ラウンドに大きなダメージを受け、10ラウンドにはノックダウンしました。この試合で、私は顎を骨折しました。ベストスキル ゴンザレスローマン・ゴンザレスの最大の武器は、パワーではなく、幅広いスキルでした。特に、激しいパンチの応酬の中でも、相手のパンチをかわして自分のパンチを打ち込むことに長けていました。正確なパンチを切れ目なく連続して繰り出すことができるんです。総合 ゴンザレスゴンザレスはこのカテゴリーにふさわしい。彼が私と戦った当時は、間違いなくベスト・オールラウンド・ファイターだった。彼は高い技術とボクシングIQを持っていたので、私が思うように戦わせてくれませんでした。彼はフライ級では同時代の最高の選手でした。いいタイトルがおもいつかなくて、よく言われている「激闘王」を借りたが、最後のをつけたのは八重樫東にはどこか昭和の香りがするからだ。それ以降のファイターは平成、令和のニュージェネレーションである。デビュー時は、昭和な風体ながら、ポーカーフェイスで、トップアマ出身らしいハイスペックな動きをしていた。新井田豊を継ぐのはこの男だと感じた。しかし、辰吉同様に、世界に出るのが早すぎた。イーグルには、こんなにも差があるのかという完敗、顎を折るも粘りはみせた。その後苦節を経てポンサワン戦で世界を掴む。あの、ポンサワン戦に、八重樫東の特徴が全て出ている。スピードも、足も瞬発力もある、見切りもいい。序盤は快調に自分のペースで試合を進めるが、やがて必ず防御はおろそかに、魂の打ち合いとなる。八重樫の見た目のキビキビした動きに相手が慣れてくる、スピードに翻弄されているだけで、相手は芯には効いていない。パワーファイトで逆襲を仕掛ける相手に、八重樫も同じ土俵でやりあってしまう。それが彼の魅力であり、限界といえたかもしれない。エドガー・ソーサ戦が最高の出来だったとおもうが、八重樫自身は物足りない。打ち合って、魂を揺さぶる拳の対話がしたいのだ。モルティ・ムザラネ戦八重樫「序盤のラウンドでは、私のヒット&アウェイのスタイルが有効でした。彼が至近距離での戦いを望んでいないことに気づき、インファイトにプランを変更しました。」はたしてそうかな。屈強でタフなムザラネには足を使ってヒット&アウェイしか活路がなかったとおもう。それが機能していただけに、もったいないと感じたが、やはり八重樫は打ち合いたい。あわせて読みたい爽やかな笑顔の向こう側/(イーグル)デン・ジュンラパン日本の人々に助けられて世界チャンピオンになれたという気持ちからも試合では“日本とタイの代表”として戦っており、トランクスにはタイと日本の国旗が入っていた。 (イ...文章を読んでも、最も強かったのはゴンザレスかこの男かと感じ取れるが、あれほど強かったイーグルのボクサー人生が短命だったのに対し、それに敗れた八重樫はその後3階級に渡り、長く充実したボクサー人生を全うした。川嶋から八重樫、そして大橋ジムは今や日本一魅力的なボクシングの虎の穴となった。八重樫東という生きる伝説がその看板をずっと支えてきた。28勝7敗(16KO)3階級にわたる世界王者としてはぱっとしない戦績だ。ケガも挫折も失意もたくさんあった。井岡がいて井上がいて八重樫はいつも、B面、シャドーの役回り。でも、自分がやりたいファイトをやりきった、素晴らしいキャリアだった。だからこそ、人を惹きつける、素晴らしい指導者になるだろう。
Dec 28, 2021
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https://number.bunshun.jp/articles/-/851271Number Web 2021/12/24 17:02“武尊のライバル候補”から“井上尚弥の同門”へ…武居由樹が3連続秒殺KO勝利で証明した「元K-1王者がボクシングでも強い理由」12月14日に行われたボクシング転向3戦目で、59秒の衝撃KOを見せた武居由樹 K-1ファイターとしてボクシングの世界チャンピオンになる。そんな夢を抱いて名門・大橋ジムの所属となった選手がいる。K-1でスーパー・バンタム級のベルトを巻いていた武居由樹だ。 第1回K-1年間表彰で武尊を差し置きMVPを獲得したこともある武居。“悪ガキ”だった彼は地元・足立区の格闘技ジムPOWER OF DREAMに預けられた。そこでは古川誠一会長のもと、問題を抱えた子供たちが共同生活を送りながら練習に励む。彼らの姿はフジテレビの『ザ・ノンフィクション』でも取り上げられたから覚えている人もいるかもしれない。 K-1系列のKrushで-53kg級の初代チャンピオンになると、K-1では-55kg(スーパー・バンタム級)チャンピオンに。武尊に続いての第2代王者だった。武尊の次のK-1エース、あるいは武尊を脅かす存在になる選手。多くのファンはそう思っていたはずだ。2020年、K-1からボクシングへの転向宣言 ところが1年前、武居はタイトル返上とボクシング転向を宣言する。2020年、彼はケガで試合から遠ざかり、コロナ禍もあって自分を見つめ直したという。そこで出した結論が、ボクシングで世界チャンピオンになることだった。もともと、武居はアマチュアボクシングの経験もあった。12月14日、ボクシング転向3戦目を迎えた武居 K-1が嫌になったわけではない。だからK-1ファイターとしてのプライドは捨てなかった。昨年12月13日、K-1両国国技館大会でファンに向けて挨拶。武尊に花束を贈呈され、「K-1代表としてボクシングでも必ず結果を残します」と誓っている。 井上尚弥を擁する大橋ジムで武居のトレーナーについたのは、世界3階級制覇、“激闘王”とも呼ばれた八重樫東だ。同時に古巣のPOWER OF DREAMの朝練にも参加し続けている。 POWER OF DREAMではチャンピオンになっても外泊禁止。プライベートから厳しく指導されてきた。大橋ジムのある横浜に移っても「僕にとってはお父さん」の古川会長のもとで自分の気持ちを“締める”必要があると考えたそうだ。「古川会長と八重樫さん、2人の師匠がいるのが僕の強みです」井上尚弥世界戦の前座で見せた衝撃の3戦目 2月、井上らとともに出場したチャリティーイベント『LEGEND』で元世界王者・木村翔との“ガチ”スパーリングを披露。規定の3ラウンドを終えた木村は、武居をこう評した。「階級が違うとはいえ判定があったら負けでしょう。普通に日本、東洋(タイトル)獲る選手だと思います。今後の成長しだいで世界もある」 3月のデビュー戦、9月の2戦目ともに1ラウンドでKO勝ち。将来への期待もいよいよ高まる中で組まれた3戦目の舞台は12月14日の両国国技館大会。K-1を卒業した会場、武尊に花束をもらってから1年と1日後のことだった。言うまでもなく、井上尚弥の世界戦『PXB WORLD SPIRITS』の前座である。「夢之力」(=POWER OF DREAM)と書かれたベストを纏っての登場 出番はセミファイナル(谷口将隆vsウィルフレッド・メンデスのWBO世界ミニマム級タイトルマッチ)の一つ前という好ポジション。これは次代を担う武居の“お披露目”という意味もあったのではないか。“わずか59秒”の豪快KO 初のA級ライセンス、8回戦。対戦したのはアマチュアで豊富な経験を持ち、プロでも2勝1分の今村和寛だったが、試合はまたも1ラウンドで終わった。タイムはわずか59秒。 サウスポーの武居が最初に出したのは右のジャブ。次のフックで早くも今村がフラつく。さらに左右のフックを当てると、今村の右フックに右のアッパーを合わせた。崩れる今村に左フック、右フックと追い打ち。この日一番の“豪快KO”だったと言っていい。今村の右フックに、武居は右アッパーを合わせた崩れた今村に追い打ちをかけ、“わずか59秒”の豪快KO。拳を高く突き上げた 敗れた今村の表情も、どこかスッキリしていた。インタビュースペースでの第一声は「痛かったです(笑)。効きましたね」だった。試合は「一瞬」で終わってしまったが「一瞬だから偶然ということではない。実力差を感じました」と言う。それだけ武居が圧倒的だったのだ。K-1のチャンピオンだったからこその強さ 大会はABEMAでPPV中継。ABEMAはK-1を中継しているだけに過去の映像も豊富に使われていた。実況はK-1をはじめ格闘技中継でおなじみの矢野武。ゲスト解説の関根勤もKrush時代から武居を見ている。 武居につけられたキャッチフレーズは“K-1からの黒船”だった。入場テーマ曲はK-1時代と同じ、クイーンの『ボーン・トゥ・ラヴ・ユー』。トランクスのベルト部分には「夢之力(=POWER OF DREAM)」とある。試合後のマイクでは、つい「足立区から来ましたPOWER OF DREAMの」とK-1時代と同じ挨拶をしてしまった。 リング上の闘いについても、彼は単なる“ボクシングの新人”ではない。K-1のチャンピオンだったからこその強さというものもある。蹴りのあるK-1とボクシングでは距離感やリズムが違う。武居はそれに慣れなければいけないのだが、相手にとっては「ボクシングにはない距離感とリズムの武居だからやりにくい」という面もある。八重樫トレーナーも、指導する上でK-1時代からのよさを消さないことを意識しているそうだ。「いいところを残しつつ、ボクサー仕様にしていきたい。もともと完成されたキックボクサーなので、それをボクシングのルールに則った形にして。ボクサーにしようとは思ってないので。“武居由樹”という形で」武居の「ボクシングにはない距離感とリズム」は、対戦相手にも脅威となる K-1の独自性もあらためて説明しておいたほうがいいだろう。K-1は“K-1という競技”を標榜している。ムエタイや従来のキックボクシングと違い、首相撲など組みついての攻撃は一切禁止だ。“殴る蹴る”だけに特化したルール。ヒザ蹴りはあるがヒジ打ちは禁止となっている。 つまり接近戦でも「組んでヒジ、ヒザ」ではなく殴って蹴って、相手を押したりいなしたりして距離を取ることが求められる。武居はそういうK-1で抜群の強さを発揮し、チャンピオンになりMVPを獲得した。“組まない闘い”で強いから、それだけボクシングにもアジャストしやすい(同じことは、組んでの攻撃が1発のみと制限されたRISEを主戦場とし、2022年にボクシングに転向する那須川天心にも言えるだろう)。“強烈なプロ意識”が生んだKO キックボクサー、K-1ファイターとしての武居は、23勝(2敗)16KOのうち11の1ラウンドKOを記録している。チャンスと見たら一気に勝負をかけることができるタイプだ。魔裟斗が「鉄球のよう」と絶賛したパンチ力に加えて、勝機を見出す能力も高い。それがボクシングでも出ているのではないか。 強烈なプロ意識も、K-1のチャンピオンとして培ったものだ。今後を見据え、ボクシングの実戦経験を積むためには、長いラウンドを闘うことも必要だ。デビュー3戦目、そろそろそういう試合をしようという気持ちは武居自身にもあったという。だが、そうはならなかった。「今日の大会が判定の多い流れだったので、PPVもあるし倒さなきゃって」 これはやはり“新人ボクサー”の思考ではない。K-1のチャンピオンは興行を背負う立場だ。それは観客、視聴者を満足させる責任を持つということ。倒して勝つことで大会全体を盛り上げ、ファンを喜ばせる。武居にはその感覚が沁み込んでいるのだ。「それは古川会長にもずっと言われてきたことなんです。判定が多い大会になると“お前が倒さなきゃダメだぞ”って」武居はボクシング転向後、3戦すべてで1ラウンドKO勝ちとなった武居「ボクシングでの完成度はまだ30%」 八重樫トレーナーは「仕留めにいく嗅覚、大胆さは天性のもの。今回はそれを止めなきゃいけない場面でもなかった」と言う。ただ今後は「段階を踏んで相手を“削って”いく作業が必要になる」とも。武居も「ボクシングでの完成度はまだ30%くらいです」。 SNSでのファンの反応やボクシング記者たちの見方も興味深い。その強さを讃えつつ「分からない」という声も多いのだ。倒すのが早すぎて、弱点や課題を含めた能力の全貌が見えないというわけだ。武居はまだ、ボクシング公式戦で3試合トータルで5分39秒しか闘っていない。「早い段階でベルトがほしいです。それに近づける闘いをしていきたい」 来年に向けてそう語った武居。これから対戦相手もどんどん強くなるだろう。ただし武居もまた“ボクシング仕様”でレベルアップしていく。いつか能力の全貌が見られる日もくるだろう。そしてそこにはK-1ファイター、K-1王者としての力も間違いなく含まれている。幾分か薄まったとしても、おそらく失われることはない。「ボクシングのチャンピオンになるのは簡単なことじゃないと思います。でもK-1でベルトを巻くのだって難しかったので。K-1でトップの人たちと闘って勝ってきた、その自信は持っていたいですね」 1年前、K-1両国大会のバックステージで聞いた武居の言葉だ。
Dec 28, 2021
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https://www.iwate-np.co.jp/article/2021/12/22/107157岩手日報 2021.12.22 24面(社会)1位は「地震直後の県内」 2021年HPアクセスランキング地震に伴い停車した東北新幹線=14日午前0時19分、北上市相去町 岩手日報社は22日、岩手日報ホームページ(HP)の2021年アクセスランキングを公開した。最も読まれた記事は「エレベーター停止や停電も 地震直後の県内」(2月14日)だった。2位は「県内最大震度5弱、緊張と不安の夜」(同)。2月13日深夜に発生した地震の速報が関心を集めた。 3位は「岩手県独自の緊急事態宣言」(8月12日)だった。 岩手日報社が配信しているLINE(ライン)ニュースの21年上位は、1位が「菊池雄星のメジャー挑戦、後押しした1冊とは?」(8月19日)。2位が「紡ぐ~釜石・鵜住居とともに~」(3月10日)、3位は「八重樫東と被災地の終わりなき戦い」(1月28日)と東日本大震災関連だった。 調査対象期間は1月1日~12月20日。https://www.iwate-np.co.jp/article/category/yaegashi八重樫東と被災地の終わりなき戦い①八重樫東と被災地の終わりなき戦い②八重樫東と被災地の終わりなき戦い③八重樫東と被災地の終わりなき戦い④八重樫東と被災地の終わりなき戦い⑤八重樫東と被災地の終わりなき戦い⑥https://www.iwate-np.co.jp/article/2021/3/10/93087
Dec 23, 2021
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https://twitter.com/boxing_fan_jp/status/1470687344907157504/photo/1Boxing Fanさんのtweet @boxing_fan_jp武居選手、1R59秒TKO勝ち!強い!午後6:29 · 2021年12月14日·Twitter for iPhonehttps://twitter.com/ksandworld/status/1470686830471544836/photo/1Kazumaさんのtweet @ksandworld第4試合 8R 58.5キロ契約 大橋ジムの未来Monster 松本圭佑(大橋) vs 華麗なるスプリンター 荒木貴裕(JB)勝敗予想的中予想は松本選手が3ラウンド右ストレートでKOでしたが結果は5ラウンド右ストレートでした。
Dec 14, 2021
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https://www.phoenixbattle.jp/PXB WORLD SPIRITS~井上尚弥 WBA・IBF世界バンタム級タイトルマッチ~12.14PPVチケットご購入はこちらから「PXB WORLD SPIRITS」グッズ会場販売のお知らせ2021.12.10緊急開催!会場チケットが抽選で4名様に当たるキャンペーン2021.12.09ABEMAでの配信チケット購入手順・視聴方法2021.12.03ひかりTVでの配信チケット購入手順・視聴方法2021.12.02【オリジナルグッズ】両国国技館にて会場販売決定!2021.11.18「ひかりTV ライブサービス」・「ABEMA PPV ONLINE LIVE」での生配信が決定しました。https://www.bbm-japan.com/article/detail/27604ボクシング・マガジン編集部 2021-12-13【ボクシング】12・14両国は武居由樹にも注目! 2020年12月13日。場所は同じく両国国技館。『K-1 WORLD GP 2020 JAPAN』のリング上で「K-1卒業、ボクシング転向」を表明した武居由樹(25歳=大橋)。あれからちょうど1年、井上尚弥2年ぶり日本凱旋のリングで、プロボクシング界のスーパーホープとして帰ってくる──。 今年3月のプロボクシングデビュー戦、そして9月に行われた2戦目と、ともに1ラウンドKO勝ち。初戦は左ストレートで、2戦目は右フックのカウンター一撃と、倒すパンチも多彩。大橋秀行会長は「どのパンチも威力がもの凄い」と唸り、元世界3階級世界チャンピオンで彼を指導する八重樫東トレーナーは、「打つタイミングと間合いが独特」と武居の格闘技センスを評価する。 東京・足立区にあるキックボクシングジム『POWER OF DREAM』(古川誠一会長)。家庭環境に恵まれなかったり、素行が悪かったりという事情を抱える子どもたちを住みこませ、共同生活の中で礼儀作法から指導する“学び舎”に、武居は10歳で入門。そして都立足立東高校に進学するとボクシング部に入り、卒業後はキックの世界に飛び込んだ。 2014年11月にデビュー。2、3戦目と敗北を喫したものの、その後は一気に駆け上がった。2019年6月にはK-1 WORLD GPスーパーバンタム級チャンピオンを制す。キック時代の通算戦績は25戦23勝(16KO)2敗。 12月14日、両国国技館で迎える武居のプロボクシング3戦目は、初のA級(8回戦以上を戦えるライセンス)試合。対する今村和寛(29歳=本田フィットネス)は、2014年長崎国体ライト級3位という肩書を持つ元アマチュアボクサー。佐賀学園高校から名門・日本大学に進学し、52戦32勝(10KO)20敗というキャリアを持つ。2019年3月にプロデビューし、まだ3戦しかしていないが、昨年11月にはあの辰吉丈一郎の次男・寿以輝(大阪帝拳)と対戦し、プレッシャーをかけていたものの、偶然のバッティングによる負傷引き分け。3戦2勝(1KO)1分という戦績だ。 武居と今村はともにサウスポー。前の手となる右腕の使い方が最初のポイントとなる。そして2人の間の距離が長かったり、中間距離であったりすれば武居のシャープな右、左ストレートが生きるはずだ。が、武居が唯一試されていないのが接近戦。キック時代ならば、首相撲やヒザ蹴りを使えたが、はたしてボクシングの戦いとなるとどうだろうか。今村はアマチュア出身ながら、離れた距離よりも接近戦のほうが得意な選手でもある。武居が長い距離をキープして戦うのか、それとも敢えて接近戦を挑むのか──。 今村のセコンドには、この試合の後に行われるWBO世界ミニマム級王座をかつて保持していた福原辰弥さんが就く。八重樫、福原両氏の“元世界王者対決”も見どころのひとつだ。
Dec 13, 2021
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https://bangumi.org/si/-1?si_type=3&event_id=32845&program_date=20211211&service_id=0x0420テレビ番組表Gガイド トップ フジボクシング 小原佳太(三迫)×玉山将也(帝拳)日本ウエルター級タイトルマッチ:小原佳太(三迫)×玉山将也(帝拳)▽日本女子ミニマム級王座決定戦:鈴木なな子(三迫)×瀬川紗代(ワタナベ)12月12日 日曜 3:15 -4:20 フジテレビ出演者【解説】 八重樫東(元3階級制覇世界王者) 【実況】 田淵裕章(フジテレビアナウンサー)ご案内“FUJI BOXING"では番組ホームページ、LINE、ツイッターでボクシングに関する情報をお届けしています。ここでしか見られない画像・動画も随時公開!https://www.fujitv-view.jp/article/post-444655/フジテレビビュー フジテレビュー!!編集部 2021年12月6日ダブル日本タイトルマッチ!「小原佳太VS玉山将也」「鈴木なな子VS瀬川紗代」をライブ配信12月9日(木)19時~『FUJI BOXING-DIAMOND GLOVE』(予定)FODで、プロボクシング・ダブル日本タイトルマッチをLIVE配信する。12月9日(木)19時ころから、FODで『FUJI BOXING-DIAMOND GLOVE』「日本ウェルター級タイトルマッチ 小原佳太VS玉山将也」「日本女子ミニマム級王座決定戦 鈴木なな子VS瀬川紗代」を、LIVE配信することが決定した。ギャラリーリンク小原佳太VS玉山将也、鈴木なな子VS瀬川紗代を FODプレミアムでLIVE配信「フジボクシングーダイヤモンドグローブ/フェニックスバトル」は、後楽園ホールで定期的に開催されているボクシングイベント。世界チャンピオンを目指すプロボクサーたちの登竜門として、世界王座認定団体の地域タイトルや日本タイトルマッチなどをメインカードに、“世界”に繋がる国内トップレベルの試合を放送している。今回、FODでは、日本ウェルター級タイトルマッチ「小原佳太VS玉山将也」、日本女子ミニマム級王座決定戦「鈴木なな子VS瀬川紗代」、二つの日本タイトルマッチをLIVE配信する。小原佳太(三迫)VS玉山将也(帝拳)日本ウェルター級王者の小原佳太(三迫)が、同級33位の玉山将也(帝拳)を迎えて2度目の防衛戦。35歳の小原は、岩手・北上市出身、180cmの右ボクサーファイターであり、昨年2月に同級王者の永野祐樹(帝拳)を7回TKOで下し、スーパーライト級に続く2階級制覇を果たした。今年4月の初防衛戦では、メキシコからの逆輸入ボクサーでテクニシャンの坂井祥紀(横浜光)を判定で下し、29戦24勝(21KO)4敗1分けのプロキャリアが示すように、右の強打には一撃必殺の威力がある。2016年には、エドゥアルド・トロヤノフスキー(ロシア)の持つIBF世界スーパーライト級王座に挑戦したが、ベルト奪取に失敗。現在でもWBO、IBFのランクはともに9位で、東洋太平洋1位につける実力者だ。再び世界の舞台へ立つためには、試合内容も問われることになる。挑戦者の玉山は、北海道・江別市生まれの28歳。アマチュアで2戦2勝(1RSC)してプロの道に進み、2014年11月の東日本新人王ウェルター級決勝で、現日本スーパーウェルター級王者の松永宏信(横浜光)に判定で敗れている。その後8連勝したあと、長濱陸(角海老宝石)にプロ2敗目を喫したが、以降は2連続KO勝利をおさめ、自身初のタイトルマッチに臨む。プロ戦歴16戦14勝(8KO)2敗、177cmの右ボクサーファイターは、「この階級最強の小原選手を倒して存在感を見せる」と闘志を燃やしている。鈴木なな子(三迫)VS瀬川紗代(ワタナベ)成田佑美(姫路木下)が返上して空位となったベルトを、同級1位の瀬川紗代(ワタナベ)と2位の鈴木なな子(三迫)が奪い合う。日体大ボクシング部出身の瀬川は、青森市出身の24歳。アマ戦績42戦31勝(14KO・RSC)9敗で、今年の東京五輪フェザー級金メダルの入江聖奈は後輩にあたる。151cmの右構えでプロ戦績は、2戦1勝(1KO)1敗の成績を記録し、昨年10月の敗戦以来の再起戦がタイトルマッチに。鈴木は、愛知・常滑市出身の22歳で、極真空手の経験もあり、立教大学4年生の女子大生ボクサー。プロ戦績7戦5勝(1KO)2敗で、こちらも初のタイトルマッチになる。
Dec 6, 2021
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https://fushiananome.blog.jp/archives/28077736.html フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜 2021年12月05日Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。いわて銀河プラザでみちのくの英雄二人を1980円で買った。小学生の一時期、岩手県盛岡市に住んでいました。南部富士、岩手山を北に仰ぐ、空気が澄み切った凛とした街でした。全国的にはB級マイナーな土地でしたが、深い自然が広がる、日本で最も大きな県で、都会ではまずない蜜の詰まった大きなリンゴや、山菜など地産地消の食べ物にも恵まれた子供にとっては最高の環境でした。近年、この陸奥の土地から「世界」をつかむヒーローが誕生しています。八重樫東(ボクシング)に菊池雄星(シアトル・マリナーズ)、大谷翔平(カリフォルニア・エンゼルス)。岩手日報が、「特別報道写真集 大谷翔平2021」(1480円)を発行しました。岩手日報だけの写真も多数掲載した完全保存版で、発売日は岩手県内12月 4日/全国12月13日。東銀座駅直結の「いわて銀河プラザ」は東京ではなく、岩手県です。ということで昨日、普段なら気持ちが沈む休日出勤の合間にスキップして購入。併せ「もう一人の世界チャンピオン」八重樫東の「岩手日報特別版・激闘王の軌跡」(500円)もレジへ。あっという間に読み切りました。「命を懸けて常に戦っている。悔いがないと言えばうそになる」(2017年IBFジュニアフライ級王座陥落」。「命を懸けて常に戦っている」から「悔いがない」んじゃないです。命を散らされるようなダメージや敗北を喫しても、怯むどころか逆襲の炎を燃え盛らせて立ち向かっていける理由は、そんなところにもあるのかもしれません。「すごく楽しい一年だった」。「小さなつまらないけがは自分だけではなく周囲の人にもして欲しくない」 。今年を振り返る大谷翔平の表情や言葉から野球の言葉を削ると、遠足から帰ってきた子供のようにしか思えません。最高の用具で固めたトップアスリート達が 美しい巨大スタジアムで、世界最高に磨き上げた互いの技を競い合うーーそんな地球上で最も過酷な戦場の一つから凱旋した英雄には見えません。激闘王とSHO-TIME、何の共通点もない二人に見えますが、二人とも絶対に諦めない頑固さを体の芯に持っています。盛岡の名所に有名な石割桜があります。浅田次郎の「壬生義士伝」で吉村貫一郎が「南部の武士たれば 石ば割って咲げ」と語った、あの石割桜。八重樫は何度も石を割って咲きました。大谷はこれから、いくつの巨岩を割って見せてくれるのでしょうか。そして、私たちが見たこともない花をいくつ咲かせてくれるのでしょうか。
Dec 6, 2021
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https://www.facebook.com/photo/?fbid=2129695480563988&set=a.110479322485624大橋 秀行会長のfacebook 4時間前 野木トレーニング大橋ボクシングジム 八重樫東 清水聡 武居由樹 松本圭佑 安達陸虎 森且貴 石井武志 北野武郎!
Dec 4, 2021
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https://www.facebook.com/ryota.murata.official村田 諒太 Ryota Murata選手のfacebook 8月1日高校の同級生、向井が引退を決めたようです。思い返すと、ボクシングを始めて、初めて嫉妬心やライバル心を抱いたのが彼でした。高校の同級生であり、常にリードしていた僕に、彼がドンドン追いついていき、キャプテンはどっちだ、学内で1番はどっちだと比べ合い、大学1年生のスランプ時には成績としても一度追い越されてしまい、焦りを覚えた事を克明に思い出します。金メダリストとなり、世界王者となり、成績という面で上にいったから仲良く出来ているのではないか、などと自分の醜さを自問自答し、そして引退というピリオドを迎え、比較というものは実に小さく、過去となればどうでもいい事だと気づく。つまるところ、人間が一生懸命比べあっている事も、死というピリオドを迎える時に、実にくだらない、子供の遊びのようなものだったなと気付くのかもしれません向井のこれからが神様からの祝福と栄光に満ちますよう、お祈りしております。今になって初めて、心から彼に祈ることの出来る自分の小ささと罪を恥ながら…『引退報告』https://ameblo.jp/bau301/entry-12683779068.htmlボクシングトレーナー向井寛史のブログ 2021-07-31 21:57:00『引退報告』私、向井寛史は現役引退のご報告させていただきます。2018年8月17日(金)、元3階級制覇王者の八重樫 東選手との試合から復帰に向けて約3年活動していましたが、度重なる怪我と手術、コロナ禍等いろいろな要因があり引退を決意致しました。ボクシングを始めた15歳、南京都高校(現 京都廣学館)への進学が決まっていた、3月から練習に参加したのが始まりでした。あれから20年経ちましたがボクシングへの想いは当時のままです。まさに拳闘馬鹿です。自分でもアマ歴8年でプロ12年でいつの間にかプロ生活の方が長くなっていたことに驚いています。プロ生活12年間のデビュー戦は2009年8月1日です。八重樫選手との試合からのこの3年間は12年間で 1番長く感じることになり、本当にボクシングが大好きだと感じることができた3年間でもありました。この経験を無駄にせず後進に伝えていくことこそが、自分の成長や支えてくださった人達に対する恩返しになると思っています。そして、有り難いことに3名のプロ選手の担当をさせていただいてます。指導者としてはまだまだ未熟ではありますが今まで培ってきたものを選手達に伝えていけるように精進していきます。本当に数多くの人達に支えていただいたプロ生活12年でした。本当にありがとうございました。プロボクサー向井寛史は引退致しますが、引き続きトレーナー向井寛史として見守ってください!最後に六島ジム、会長、武市トレーナー、現役生活を支えてくださり有難うございました。これからはスタッフとしてしっかりと精進していきますので宜しくお願い致します。やることやって結果だす!生涯戦績25戦16勝(6KO)6敗(5KO)3分元WBOアジアパシフィックSフライ級王者
Dec 4, 2021
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hhttps://www.nikkansports.com/battle/news/202112030001082.html日刊スポーツ [2021年12月3日19時52分]井岡一翔、大みそかに日本人対決の防衛戦も 統一戦はオミクロンで中止新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」の急拡大が、日本ボクシング界にも直撃した。史上最大のビッグマッチだったWBA世界ミドル級スーパー王者村田諒太(35=帝拳)とIBF世界同級王者ゲンナジー・ゴロフキン(39=カザフスタン)の王座統一戦(29日、さいたまスーパーアリーナ)が来春に延期されると3日、発表された。WBO世界スーパーフライ級王者井岡一翔(32=志成)が31日に臨むIBF同級王者ジェルウィン・アンカハス(29=フィリピン)との王座統一戦(東京・大田区総合体育館)の中止も同日発表されるなど、計3つの世界戦が影響を受けた。世界4階級制覇王者の井岡が国内初となる2階級での王座統一を狙う注目マッチは中止が決まった。31日にWBO世界スーパーフライ級王者として、9度防衛に成功中のIBF世界同級王者アンカハスとの王座統一戦に臨む予定だったが、同日に所属ジムから中止が発表された。政府による外国人の新規入国停止の方針に加え、変異株「オミクロン株」のコロナ陽性者が国内で確認されたことも踏まえ「感染対策強化を優先させ、大会中止を決定しました」と声明を出した。今回は中止となったものの、両陣営ともに統一戦に臨む意向が強く、今後も関係各所と協議の上、感染状況を見極めながら延期を含めて開催日時を検討する見通しだ。井岡にとって12年6月の八重樫東とのWBA、WBC世界ミニマム級王座統一戦以来となるビッグマッチだった。恒例となる井岡の大みそか決戦は今回が区切りの10度目となり、TBS系列で生中継することが発表されていた。現在、スーパーフライ級には複数の日本人世界ランカーもいるため、井岡が4度目の防衛戦として大みそかに日本人対決に臨む選択肢も残されている。
Dec 4, 2021
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https://article.auone.jp/detail/1/6/12/202_12_r_20211202_1638425781889919スポーツ報知 12/02 15:14袴田巌さん再審無罪支援のクラファン開始 井上尚弥、内山高志さんら新旧王者も応援クラウドファンディングがスタート 袴田巌支援委員会とボクシングアパレルブランド「rsc products」がコラボして企画されたクラウドファンディングが1日から開始され、2日までに目標の10万円を達成したことが分かった。 クラウドファンディングは、「死刑囚、袴田巌の無罪を勝ち取れ日本プロボクシング協会×rsc」と題して1日午後1時から開始。「一人でも多くの人に、冤(えん)罪の死刑囚(元プロボクサー・袴田巌さん)が今も戦っていることを知ってほしい!」というのが目的。リターンには、コラボ企画で作製したTシャツやパーカーなどが用意されている。2日午後2時現在で20万8000円が寄せられ、わずか1日もたたないうちに目標額の10万円を上回っている。 元プロボクサーの袴田さんは1966年の「袴田事件」で死刑確定も、無実を訴えて再審・裁判のやり直しを求めている。袴田さんは静岡地裁により再審開始と死刑及び拘置の執行停止を受けたものの、現在は最高裁から再審請求を棄却した高裁に審理が差し戻されている。 袴田さんの再審無罪を応援しようと、多くの新旧世界チャンピオンも協力を約束。WBA&IBF世界バンタム級王者・井上尚弥と弟で元WBC世界同級暫定王者の拓真(ともに大橋)を始め、WBO世界フライ級王者・中谷潤人(M・T)、元IBF世界スーパーバンタム級王者・岩佐亮佑(セレス)、世界3階級制覇王者・田中恒成(畑中)、元WBA世界スーパーフェザー級王者・内山高志さん、世界3階級制覇王者・八重樫東さんらが名を連ねた。
Dec 4, 2021
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https://twitter.com/5678243/status/1464889294179295234岡澤セオン選手のtweet @5678243アマチュアボクシングはやっぱり面白い!それを再確認できた1日でした。拙い解説でしたが聞いてくださった方々ありがとうございました!フジテレビ、12月21日深夜の放送も是非!来年は僕が墨田で魅せますhttps://www.facebook.com/boxingmagazinejapan/ボクシング・マガジンのtweet 28分『2021全日本ボクシング選手権大会』が閉幕。24日から墨田区総合体育館で、初の男女合同開催として始まった今大会では、男女それぞれで三賞が選ばれ、男子では秋山佑汰、女子では入江聖奈が最優秀選手を獲得した。この他、墨田区長賞に成田華が選ばれている。写真_善理俊哉#入江聖奈 #秋山佑汰#成田華#2021全日本ボクシング選手権大会
Nov 28, 2021
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https://www.city.kitakami.iwate.jp/life/kurashi_tetsuduki/bunka_sports/shogaigakushu_geijutsubunka_1/1/21015.html第31期北上市民大学 第3回・第4回講座 録画上映 延期後の日程 更新日:2021年11月17日岩手日日 北上•西和頁 2021年11月24日付八重樫東氏招き記念講演も北上市民大学27日から5講座 2 0 21年度の北上市民大学は、新型コロナウイルス感染拡大を受け各講座の日程を相次しヽで延期、変更している。2 7日から12月17日までに五つの講座を予定しており、市は参加を呼び掛...
Nov 24, 2021
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https://www.facebook.com/satoshi.shimizu.5074Satoshi Shimizu選手のfacebook 3時間前土曜のラントレ♪みなさんお疲れさまでした!真冬でも裸で走ります👍笑#ボクシング#boxing #boxingtraining #体幹#physical#体幹トレーニング #sports#sport#スポーツ#athlete#アスリート#トレーニング#training#ランニング#running#run #runner #boxer
Nov 22, 2021
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https://jabf-revival.com/jabf_reporter/japanese-championships2021-5/日本ボクシング連盟(JABF)【全日本選手権】決勝戦はプロフェッショナルな布陣で実況・解説!2021-11-21 10:31:11 【カウントダウン動画】「私の人生を変えた大会」全日本選手権 今月24日から28日にかけ、本連盟のYouTube公式チャンネルで初日から全試合生中継(参照)となる『2021全日本ボクシング選手権』は、来月にテレビ放送も予定されております。[詳細]2021年12月21日(火)26:55-27:55フジテレビ(関東ローカル)『全日本ボクシング選手権〜アマチュアボクシング日本一決定戦!入江聖奈、並木月海出場(仮)』実況:森昭一郎氏(同局アナウンサー)解説:八重樫東氏(プロボクシング世界3階級王者、インターハイ・国民体育大会での優勝実績あり)ゲスト:岡澤セオン(東京オリンピック男子ウェルター級代表、日本初の世界選手権・金メダル獲得)※FOD/TVerにて「見逃し配信」も予定 なお、YouTube配信での決勝戦も、上記の実況・解説となります。ご注目のほど、よろしくお願いいたします。
Nov 22, 2021
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https://article.auone.jp/detail/1/2/2/27_2_r_20211116_1637031141960741横浜ベイシェラトンでチャリティーオークションはじまる! 横浜のプロスポーツチームもサイングッズ出品横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズでは、11月13日から「クリスマスチャリティーオークション2021 “HOPE FOR SMILE” 」を開始。横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズでは、同ホテル公式PRアンバサダーをつとめるアレックス・ラミレスさんが運営する「VAMOS TOGETHER(バモス トゥギャザー)」と共同で、「クリスマスチャリティーオークション2021 “HOPE FOR SMILE” 」を開催。11月13日 17:00、クリスマスツリーの点灯を合図に、サイレント形式のオークションがスタートしました。セレモニーにはラミレスファミリーらが登壇クリスマスチャリティーオークションは2回目の開催で、2021年は横浜を拠点とするプロスポーツチーム3社(横浜DeNAベイスターズ、横浜FC、大橋ボクシングジム)が新たに参画。〝横浜から元気を届けよう〟を合言葉にチャリティー活動を推進します。セレモニーにはラミレスファミリーをはじめ、プロスポーツチーム3社の代表らも登壇。オークションスタートの合図となるクリスマスツリーの点灯をラミレスさんの長男・剣侍(ケンジ)くんが担当し、会場を盛り上げました。アレックス・ラミレスさん(上画像)は「一般社団法人VAMOS TOGETHERは、スペシャルニーズの子どもたち、健常の子どもたち、そしてその家族がひとつになれるようなことを企画したい、との思いを込めて設立しました。今回のクリスマスチャリティーオークションに賛同いただいた皆さまに、感謝を申し上げます」とあいさつ。井上尚弥選手サイン入りグローブなど60点以上同オークションの出展品は62点で、主なものは下記の通り。・アレックス・ラミレス氏サイン入り野球グッズ(私物) などアレックス・ラミレス氏サイン入りバット(私物)(画像提供:横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ)・大橋ボクシングジム所属 井上尚弥選手サイン入りグローブ/八重樫東コーチサイン入りオリジナルTシャツ/武居由樹選手サイン色紙井上尚弥選手サイン入りグローブ(画像提供:横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ)・横浜DeNAベイスターズ選手サイン入りユニフォーム/モデルバット など・横浜FC選手サイン入りサッカーボール、ユニフォーム など・相模鉄道キャラクター「そうにゃん」ぬいぐるみ(特大)・マリオット・インターナショナル傘下の国内ホテル 宿泊券(およそ15ホテル)・横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ スイートルーム宿泊券 など収益金は、VAMOS TOGETHERと横浜市社会福祉協議会が取り組む「退所時・退所後アフターケア支援金事業」として、市内の児童養護施設等を18歳で退所する子どもを対象に、就労や修学などの自立生活を支援するために寄付されます。明日を担う子どもたちの未来を一緒に応援同ホテルの石原哲也総支配人(一番左)は「『横浜を元気にしよう、横浜から元気を届けよう』という支援の輪が広がり、2回目のチャリティーオークションを開催することができました。オークションは全国から参加可能ですので、明日を担う子どもたちの未来を一緒に応援いただければ」と、呼びかけました。下記のオークション専用参加申込QRコード読み込み、もしくはサイトにアクセス(⇒こちら)し、WEBから入札形式で行うサイレントチャリティーオークションとなります。入札受付は、12月24日17:00まで。2022年1月5日より、落札者本人への連絡をもって発表となります。
Nov 16, 2021
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静岡ブルーレヴズ Twitter 午後9:21 · 2021年11月9日https://twitter.com/bluerevs/status/1458047109525999617磐田合宿2日目終了‼︎八重樫さん、中垣選手、保田選手、武居選手、2日間本当に有難うございましたキラキラこの経験や学びを胸に #リーグワン 初代チャンピオンに向けて、ひたむきにチャレンジし続けます握りこぶしそして皆さんのご活躍を応援しています!!マークまたお会いしましょう#静岡ブルーレヴズ
Nov 11, 2021
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https://oscar-delahoya.com/archives/8013デラホーヤ(魚)のGLOVEびいき小原佳太 × 坂井祥紀 ダイヤモンドグローブTV観戦の感想文 2021年4月11日 投稿者: oscar_delahoyaようやく見れました。4/8の日本ウェルター級タイトルマッチ 小原佳太x坂井祥紀。情報遮断していたのだが、失敗して結果を知っていた。接戦なのも知っていたのでポイント付けながら見ました。ビール飲みながらのテキトージャッジですが。1R 坂井の顔の半分以上隠れる顔面ガードが渋い。そこからのジャブも鋭い。どちらもコンビネーションを見せた。ジャブの見栄えが坂井の方が良かったと思ったので坂井10-9 2R小原が積極的に出てきた。坂井も応戦。ほぼ互角だけど、小原のボディが有効だったと思う。小原10-9 3R パワーショットが何度かヒットしたので 坂井10-9 4R 小原のボディと坂井のパワーショット。割れそうだけど、坂井のパワーショットを取る。小原は寸前でかわして効いてないと思うけど。坂井10-9 5R 前に出てボディが有効。上下の散らしも流石だ。小原10-9 〈公開採点〉三者とも48-47で2人は小原、1人が坂井。6R 打ち合い互角。坂井の方が迫力あるが、ヒット率は小原か。ボディストレートも当たっている。小原10-97R 一進一退の攻防。ジャッジは割れそうだけどアッパーで小原に。小原10-98R 壮絶な打ち合い。どっちにつけてもおかしくない。坂井のクリーンヒットは少ないけど気迫あふれる攻撃にポイント振ろうかと思ったが、小原が打ち終わりにアッパー合わしているんだよね。小原10-9 9R 踏み込んでジャブがストレート並みの威力。そのあとのボラードみたいな右フックもヒット。これはファン・マヌエル・マルケスがパッキャオからダウン奪った時のナチョ・ベリスタイン仕込みのやつだ!ここでもうひと押しが欲しかった…。坂井10-9 ラスト10R どっちもスタミナ十分の打ち合い。少しだけ坂井が手数で上回り、小原がふらついたので坂井の10-9 私の採点は95-95のドロー。チャンピオンになるにはもう一歩足りなかった感じ。〈公式採点〉三者とも96-94で小原ま、納得の判定だ。解説の八重樫東さんが言ってたが、ボディストレートの有効性の判断でポイント分かれるかもと思いました。勝った小原の底力も確認できたし、逆輸入ボクサー坂井のメキシコ・アメリカで積んできたキャリアも筋金が入っているんだなと感心する素晴らしい日本タイトルマッチでした。そのほか気が付いたこと。・冨樫リングアナのコールの長さが、コロナ前の日本ボクシングの日常が少し戻ってきたと思った。・黒いリングマットがWBSSみたいでカッコイイ。・ジャッジの机が小学校のやつエキサイティングだった!TVerFUJI BOXING-DIAMOND GLOVE フジテレビ 4月11日(日) 03:00〜04:05日本ウエルター級タイトルマッチ:小原佳太×坂井祥紀▽IBF世界6位、日本王者の小原がメキシコ帰りの“逆輸入ボクサー"坂井を迎え撃つ!▽村田諒太最新情報ご案内“FUJI BOXING"では番組ホームページ、LINE、ツイッターでボクシングに関する情報をお届けしています。ここでしか見られない画像・動画も随時公開!出演者【解説】八重樫東(元3階級制覇世界王者) 【実況】森昭一郎(フジテレビアナウンサー) 田淵裕章(フジテレビアナウンサー) 立本信吾(フジテレビアナウンサー) 【ナレーション】バッキー木場
Apr 11, 2021
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https://www.bbm-japan.com/article/detail/17173BBM Sports 2021-04-01【ボクシング】清水、保田、中垣、武居、そして八重樫さん。大橋ジム5戦士が鍛えまくる!ボクシング・マガジン編集部 世界3階級制覇王者からトレーナーに転身した八重樫東さん(38歳)率いる大橋ジム四銃士(清水聡=35歳、保田克也=28歳、中垣龍汰朗=21歳、武居由樹=24歳)が神奈川県箱根町で走り込み&フィジカルトレーニング合宿を敢行。「キツいトレーニングを楽しくやる」がモットーの八重樫隊長の下、笑顔の絶えない厳しい訓練が続けられた。 2日目となった1日の午前練習は、芦ノ湖周囲のランニングからスタート。その後は、ラダーと坂道を使って背走やサイドステップからのダッシュ。手押し車やスパイダーマン・スタイルのフィジカルトレーニング。 午後はトラックを使ってバラエティに富んだダッシュ。腹筋等、体幹トレーニングも織り込んで、徹底的に体をいじめ抜いた。 現役時代、ありとあらゆるフィジカルトレーニングを積んできた八重樫トレーナーが“隊長”を務めるのだから、その種類は無限とも思えるほど膨大。何をすれば、どこに負荷がかかるか熟知しているから、選手たちの心身は、どんどん追い込まれていく。が、昨年9月に引退し、トレーナーに就任して以降、「動けるトレーナー」を表明してきた八重樫さんも、相変わらず選手に混ざってすべてのトレーニングをこなす。しかも、現役に決して劣らない姿を見せる。選手たちは負けてられない。選手同士だけでなく、トレーナーとも戦わなければならないから、相乗効果は倍増だ。 だが、悲鳴を上げながらも、選手たちは楽し気だ。「笑ってなきゃやってられない」が本音だが、八重樫さんと清水の“年長者コンビ”が、快活な雰囲気を作るのが格段に上手い。そして、常に“おとぼけ”をかます“ムードメーカー”保田が、若いふたりを解けこませる。かつてのトレーニングにつきものだった悲壮感は、微塵も感じられない。いや、まるでお笑い集団と一緒に過ごしているような、爆笑に次ぐ爆笑だった。 清水と保田は、5月13日(木)、後楽園ホールで試合が決定している。東洋太平洋王座を持つ清水は、WBOアジアパシフィック王者・森武蔵(21歳=薬師寺)とフェザー級王座統一戦。日本ライト級17位の保田は、同9位の高田朋城(27歳=ワールドスポーツ)との8回戦。進境著しい若武者・森との対戦、日本王座挑戦権(12位以内)を賭けての連続初回KO勝利男との激突……。ふたりにとって、次戦は大きな正念場だ。 アマチュア8冠からプロ入りし、鮮やかな2連続KO勝利の中垣。K-1WORLD GPスーパーバンタム級チャンピオンからボクシングに転向し、豪快な初回KO発進した武居。八重樫さんが専属トレーナーを務めるホープふたりの次戦は、7月ごろが予定されているという。 ベテランが若者を引っ張り、ホープがキャリア組を突き上げる。トレーニングも本番も、いいバランスが取れている。
Apr 2, 2021
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https://bit.ly/30Duopw岩手県広報誌 いわてグラフ第775号(令和3年3月1日発行)表紙 元プロボクサー 八重樫東さん・佐藤洋太さん表紙に登場したのは、元プロボクサーの八重樫東さんと佐藤洋太さんです。インタビュー記事(7ページ)では、お二人の関係や東日本大震災津波から10年を前に、被災地への想いなどを語っていただきました。7ページ表紙の人「支え合う関係・ベストパートナー」「お互いに支え合いながら幸福を追求していくことができる地域社会」の実現を目指して邁進する人々の姿を紹介します。被災地の想いを拳に不屈の精神で戦った二人のチャンピオン元プロボクサー 八重樫東(あきら)さんと佐藤洋太さん10年前のあの日。岩手から離れた場所で津波の被害を知った人たちは、誰もが「被災地のために自分にできること」を考えたのではないでしょうか。当時、プロボクサーだった八重樫東(あきら)さんと佐藤洋太さんも、同じでした。「ボクサーにできるのは、ボクシングで勝つこと」と考えた二人。八重樫さんは「懸命に悔いなく」、佐藤さんは「みちのく魂」の言葉を胸に、リングで戦いました。八重樫さんは2011年10月、県内出身ボクサー初の世界チャンピオンに。一つ年下の佐藤さんも先輩に続くように翌年3月、世界チャンピオンになり、その活躍で岩手に元気を与えてくれました。出身校は違っても先輩と後輩の仲。佐藤さんの世界タイトル戦の前は、「洋太にもチャンピオンになってほしいから」と、八重樫さんが練習相手に。スパーリングは54ラウンドにも及びました。そして世界を相手に戦った二人は、被災地を訪問し、バーベキューやミット撃ち体験などを通じて、地元の人を元気づけたことも。八重樫さんは、その後も幾度となく被災地を訪問。「懸命に悔いなく」の言葉は、釜石の総合格闘技ジムの代表からもらった言葉でした。「今この瞬間を大切に。残された俺たちにできることをしよう」。そんな思いが込められた言葉を胸に戦う八重樫さんの姿は、私たちの心を揺さぶりました。「ボクシングで世界一になった人間だから伝えられることがある。今できることを、できる限りやっていきたい」。現在は、指導者として後進の育成に励む八重樫さん。引退してもなお、静かに心の炎を燃やしています。紹介八重樫東さん 1983年北上市生まれ。県立黒沢尻工業高校出身。元プロボクサー。第20代ダブリュビーエーミニマム級、第40代ダブリュビーシー世界フライ級、第21代アイビーエフ世界ライトフライ級のチャンピオン(3階級制覇)。不屈の戦いぶりで「激闘王」と呼ばれた。2020年9月引退、11月県文化スポーツ表彰。佐藤洋太さん 1984年盛岡市生まれ。県立盛岡南高校出身。元プロボクサー。第23代ダブリュビーシー世界スーパーフライ級チャンピオン。現在は盛岡市で「焼肉チャレンジャー」の店長。東京のジムで指導も。2012年盛岡市民栄誉賞。取材協力 県立黒沢尻工業高校ボクシング部
Mar 13, 2021
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https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2021/03/11/kiji/20210311s00021000393000c.htmlスポニチ 2021年3月11日 17:58元K―1王者・武居由樹 衝撃の103秒KO勝利デビュー「日本を背負えるような選手に」 プロボクシング興行「第76回フェニックス・バトル」は11日、東京・後楽園ホールで行われ、元K-1ワールドGPスーパーバンタム級王者・武居由樹(24=大橋)は54.5キロ契約6回戦で高井一憲(34=中日)に1回1分43秒TKO勝ち。鮮烈なボクシングデビューを飾った。 1回1分過ぎからの連打で最初のダウンを奪うと、カウント9で立ち上がった高井を攻め続け、最後は強烈な左フックで沈めた。 武居は10歳からキックボクシングを始め、2014年11月にKrushでデビュー。16年6月に初代Krushバンタム級王座、17年4月にはK-1 WORLD GPスーパーバンタム級王座を獲得。昨年12月の両国大会で王座返上とボクシングへの転向を表明した。WBA&IBF世界バンタム級統一王者・井上尚弥(27)らが所属する大橋ジムでは、元世界3階級制覇王者の八重樫東トレーナー(38)の指導を受け、今年1月にプロテストに合格。この日のデビュー戦を迎えた。 岩手県北上市出身の八重樫トレーナーは東日本大震災が発生した2011年の10月に世界3階級制覇の最初のタイトルとなるWBA世界ミニマム級王座を獲得した。10年後の3・11、プロボクサーとしての第一歩を力強く踏み出した武居は「僕がきょうデビューできたことには何かあると思う。まだ、たいしたことない選手ですけど、これから日本を背負える選手になれたら」と話した。
Mar 11, 2021
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https://music-book.jp/video/news/news/601819music.jpニュース 2021年03月11日 06:30東日本大震災から10年…東北6県スペシャルを放送! 名物鍋や東北弁、人々の今も 『秘密のケンミンSHOW極』日本の各県の魅力を紹介するディスカバリーエンターテインメント「秘密のケンミンSHOW極」。2021年3月11日(木)放送分[読売テレビ・日本テレビ系 21:00〜21:54]は、「オラたち みちのくケンミンだべ!東北魂SP」を展開していく。今回は、東日本大震災から10年ということで、東北6県スペシャルを放送。中村雅俊(宮城出身)、古坂大魔王(青森出身)、橋本マナミ(山形出身)ら東北が誇る芸能人をゲストに迎え、東北の秘密を探る。●あつまれ みちのく鍋東北地方の名物鍋を一挙に紹介し、その中から宮城名物「せり鍋」をクローズアップ。鶏肉などの肉系の具材が脇役になってしまうほど、野菜の「せり」を大量に入れ、根っこまで丸ごと食べるというご当地鍋の魅力を伝える。「みやぎ絆大使」の中村雅俊と森公美子がそのおいしさを自慢しながらスタジオで振る舞うと、MCの久本雅美と爆笑問題・太田光も感激しながらたいらげる!●今なんて言ったの!? 激ムズ!みちのくランゲージ他県民からすると、何を言っているのかさっぱり分からない東北弁。そこで、日本一難しいとも言われている“東北の発音”について解説する。取り上げるのは「東北人の『き』の発音は『ち』に似ている!?」「青森では、寿司を『すす』、マントヒヒを『マントスス』と発音する!?」など。岡部大[ハナコ](秋田出身)、八重樫東(岩手出身)らが分かりやすくレクチャーする。●ケンミンルポルタージュ 春よ、来い’21 〜リメンバーミー〜極寒の冬を過ごす東北の人たちが心から待ちわびている“春”。以前番組に登場し、ご当地の秘密やユニークなコメントを披露してくれた東北の皆さんは、春先の今、どうしているのか? 8年前にリンゴの品種を当てまくった青森キッズ、宮城の公園で6年前に出会った女子高生、10年前に長年連れ添ったダンナさんの話をした秋田マダムなど、久しぶりに再会する皆さんの“春”を伝える。【司会】久本雅美(大阪)、太田光[爆笑問題](埼玉)【ゲスト】古坂大魔王(青森県)、八重樫東(岩手県)、中村雅俊(宮城県)、森公美子(宮城県)、岡部大[ハナコ](秋田県)、橋本マナミ(山形県)、箭内夢菜(福島県)■秘密のケンミンSHOW極|読売テレビ・日本テレビ系https://www.ytv.co.jp/kenmin_show/
Mar 11, 2021
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https://hochi.news/articles/20210310-OHT1T50177.htmlスポーツ報知 2021年3月10日 18時43分世界3階級制覇の八重樫東トレーナー、武居由樹に「見る人に勇気を与えられるような選手に」◆プロボクシング「フェニックスバトル76」 スーパーバンタム級(54・5キロ契約)6回戦 武居由樹―高井一憲(3月11日、東京・後楽園ホール) プロボクサー・デビューを11日に控える元K―1ワールドGPスーパーバンタム級王者・武居由樹(24)=大橋=。指導するプロボクシング元世界3階級制覇王者・八重樫東トレーナー(38)が10日、オンラインでの取材に応じた。 2017年中日本新人王・高井一憲(34)=中日=と対戦する武居に対し「僕が見たことのない動きとか、雰囲気とかを持っている。K―1チャンピオン・武居が、リングでどう振る舞うかが楽しみ」と話し、同時に「できれば、課題を見せてくれればいいなと。試合を見て、彼を今後、どうもっていくかを選定しようと思っている」と明かし、「2―1の判定でもいいから、勝ってほしい」と“親心”も見せた。 武居のデビューする3月11日は、2011年の東日本大震災が起きてから10年となる。岩手県出身の八重樫トレーナーは、その年の10月にWBA世界ミニマム級王座を獲得した。「その年に世界チャンピオンになったのは意味があると思う。被災された人たちに、何かを届けるべくなったのだと」と常にボクシングを通して被災者を励ますことを胸に、世界3階級制覇を成し遂げた。“激闘王”と異名を取った名ボクサーは「震災から10年目の3月11日に、指導する武居がデビューするのは何か意味があるのではないかとも思う。その何かは、武居がチャンピオンになった時に、どういう意味かがわかると思う。見る人たちに、勇気を与えられるような選手になってくれれば」と、まな弟子に期待を寄せた。
Mar 10, 2021
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https://www.iwate-np.co.jp/article/2021/3/10/93087岩手日報 2021.03.10八重樫東と被災地の終わりなき戦い① 2021年1月、横浜市の大橋ジム。 緊急事態宣言下の昼下がり、誰もいないフロアで、小柄な男がシャドーボクシングをしている。 キレのよい動き。シューズが床をこする音がリズミカルに響く。 「彼はもう現役選手ではない」と言って、信じてもらえるだろうか。 八重樫東、37歳。 現役時代は世界3階級制覇の偉業を達成。「激闘王」の異名をとった伝説のボクサーだ。 八重樫はいま、トレーナーとして後進の指導に当たっている。 構えたミットが、派手な音を立てる。 その奥で光る目にもまた、現役さながらの殺気がみなぎっている。 「新しいボクサーを育てたい。僕のボクシング人生は現役だけではない」 引退の節目を迎えてなお、戦いをやめようとはしない。 その背中に、復興への歩みを止めない東北の人々の姿が重なる。歓喜の裏で…故郷への思い 11年10月24日。 八重樫は後楽園ホールのリングの上に、大の字になっていた。 KOされたわけではない。 世界ボクシング協会(WBA)ミニマム級王者・ポンサワン・ポープラムック(タイ)との激しい打ち合いを制し、TKO勝ち。悲願の世界タイトルを奪取したのだ。岩手県人初の世界王者に輝いた八重樫東=11年10月24日、東京・後楽園ホール レフェリーが試合を止めると、八重樫はリングに倒れ込んで喜びを爆発させた。 ホールは大歓声に包まれ、拍手と「アキラ」コールはしばらく鳴りやまなかった。WBAミニマム級の王座奪取から一夜明け、記者会見で笑顔でポーズをとる八重樫東=2011年10月25日、横浜市の大橋ジム. 「勇気をもらったという人が、1人でもいてくれれば幸せだ」 インタビューでそう語った新王者の脳裏には、大きすぎる傷を負ったふるさと岩手のことがあった。リングに上がっていいのか 時をさかのぼること半年。 11年3月11日、東日本大震災が発生した。 八重樫が生まれ育った岩手は、甚大な被害を受けた。 特に沿岸部は、母淳子さんが中学校、高校時代を過ごした大船渡をはじめ、津波によって多くの死者、行方不明者を出した。津波によって破壊された地区。がれきとなった住宅に向かい、家族の名を呼ぶ住民の声が響いた=2011年3月12日、大船渡市 その瞬間、八重樫は神奈川県内の自宅にいた。 大きな揺れにも驚いたが、その後テレビのニュースが伝え続けた被害状況をみて、ぼうぜんとなった。 大変なことが起きた--。 岩手県内に住む両親とも、いつまでたっても連絡が取れなかった。 地元のみんなは、どうしているだろうか。かつてない不安がせりあがってきた。大津波から一夜明けた宮古市役所周辺。水は引いたが、大量の泥やがれきが残った=2011年3月12日、宮古市新川町 4月2日には日本ミニマム級タイトルマッチが控えていた。 試合があればリングに上がる。今までは当たり前のことだった。だが、大震災に加えて、3月26日に拓大時代の恩師が亡くなったショックもあった。 こんな状況でリングに上がっていいのか、ボクサー人生で初めて迷った。https://www.iwate-np.co.jp/article/2021/3/10/93279八重樫東と被災地の終わりなき戦い②被災地こそ大変なのに… そのころ、岩手県内では自衛隊や米軍の合同部隊による行方不明者の集中捜索が行われていた。 この時点で、不明者は4500人を超えた。 4月とはいえ、北国岩手はまだまだ寒さが残っている。 被災地は気温が氷点下まで下がる。集中捜索を伝えるニュース映像からは、住民の気持ちが沈んでいる様子も伝わってくる。ゴムボートに乗り、湾内に浮かぶ養殖棚のがれきをくまなく捜索する海上自衛隊員=2011年4月1日、陸前高田市・広田湾 だがそんな中でも、八重樫のもとには岩手から、4月のタイトルマッチに向けた励ましのメッセージが次々と届いていた。 自分たちこそが大変なはずなのに…。自然と腹がくくれた。 試合開催が決まった以上、ボクサーとして万全な準備をしなければならない。初の快挙。得られた"実感" 哀悼の意は、トランクスに喪章を付けることで表した。 「大きな災害で大変な思いをしている人たちに、少しでも勇気、元気、希望を与えられる試合をしたい」日本ミニマム級タイトルマッチ 8回、田中教仁にパンチを浴びせる八重樫東(右)=2011年4月2日、東京・後楽園ホール 八重樫は挑戦者の田中教仁(ドリーム)を下し、3度目の防衛を果たした。 そして半年後の10月、初の世界タイトルを手にする。岩手県出身のボクサーとして、初めての快挙だった。 「こういう立場になって、できることはいっぱいあると思う。できる限りのことをやりたい。岩手出身者が世界王者になったことを多くの人に知ってもらえれば、モチベーションになる」 王者としての第一声にも、ふるさとへの思いがこもった。八重樫東がTKO勝ち。岩手県人初の世界王者誕生に喜びを爆発させる応援団=11年10月24日、東京・後楽園ホール 自分は被災地に元気や勇気を与えられるのか。疑念がなかったわけではなかった。 だが、チャンピオンになったことで、周囲の注目度は大きく変わった。 「影響を与えられる選手になったんだなと実感できた。頑張ってきて良かったと思った」メディアも騒然。世紀の一戦 震災発生から1年後の12年3月。 沿岸被災地にはがれきが山と積まれ、住民は厳しい生活が依然として続いていた。校舎が全壊した気仙小。校庭にはがれきが山積みされていた=陸前高田市気仙町=2012年3月3日 そんな被災地の人々を鼓舞するかのように、八重樫はあえて厳しい戦いを選びだす。 6月。ボクシングファンに留まらず、日本中が「その試合」の話題で持ちきりになった。 WBA王者・八重樫と、世界ボクシング評議会(WBC)ミニマム級王者・井岡一翔との王座統一戦。 井岡は、現役時代に世界王座2階級を制覇した弘樹さんを叔父に持つ。 その指導を受け、日本選手最短のプロ7戦目で世界王座に就いたボクシング界の「エリート」だ。統一戦の調印を終え、チャンピオンベルトを肩に静かに闘志を燃やすWBA王者の八重樫東(右)とWBC王者の井岡一翔=12年6月18日 日本人同士の両王座統一戦は史上初でもあった。 いったいどちらが勝つのか。事前からメディアでも連日大きく取り上げられた。なぜ?「強い相手に勝ちたい」 会場の大阪・ボディメーカーコロシアムには、開場前から長蛇の列ができた。 観衆は約8700人。井岡の地元とあって、井岡ファンが多かった。 だがリングに上がった八重樫には、地元岩手から駆け付けた人々の声援がしっかりと届いていた。 試合では、王者と王者の意地がぶつかり合った。 12回の激闘が終わると、満員の観衆がスタンディングオベーションで両者を迎えた。八重樫の腫れ上がった両目が、戦いの激しさを物語っていた。 0-3の判定負け。ジャッジは3人とも1~2ポイントの僅差で、内容的にも最後まで目が離せないスリリングな試合だった。八重樫は世界タイトルを獲得したポンサワン・ポープラムック戦に続いて、見る人の心をわしづかみにする戦いをみせた。 「激闘王」。 人は八重樫を、そう呼ぶようになった。WBC王者井岡一翔に判定で惜しくも敗れた八重樫東(左)=12年6月20日、大阪市・ボディメーカーコロシアム 初の世界王座防衛戦。 それなのになぜ、難しい対戦相手を選ぶのか。そう問われ、八重樫はこう答えていた。 「強い井岡に勝ちたい、という気持ちが強い」 長く、険しい復興の道のりを行く岩手の人々に、どこかで自分を重ね合わせていたのだろうか。初の沿岸部訪問。衝撃の光景 井岡戦から1カ月後、八重樫は被災地をようやく訪れることができた。 一関市の牧場から贈られた牛1頭分の肉を、陸前高田市の被災した住民らに振る舞うためだった。 心の準備はしていたつもりだった。 だがそれでも、被災地の現状を見た八重樫は衝撃を受けた。https://www.iwate-np.co.jp/article/2021/3/10/93282八重樫東と被災地の終わりなき戦い③飛び級での「挑戦」へ 震災から2年目となる13年。 岩手県沿岸部を舞台としたNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」が、大きな反響を呼んだ。 岩手経済研究所が8月に算出したドラマの経済効果は約32億8400万円。 ロケ地となった久慈地域にとどまらず、近隣自治体や内陸部にも波及した。産直特産品の販売施設は来店者、売り上げが急増。新たな人の流れも生んだ。東日本大震災から2年。地震発生の午後2時46分に、犠牲者を思い黙とうする遺族ら=13年3月11日、大槌町小鎚・城山体育館 少しずつ前進する被災地。 30歳になった八重樫も、歩調を合わせるように新たな領域に入った。 同年4月、WBCフライ級のタイトルマッチに臨んだ。 ミニマム級から一気に2階級を上げての挑戦だった。「被災者を励まし続けたい」 王者はアマ時代に4戦して一度も勝てなかった五十嵐俊幸(帝拳)。 両者とも目の上を切って流血する壮絶な試合展開で、「激闘王」の声評は固まった。計量をパスし、本番に向けて握手を交わす八重樫東(右)と王者の五十嵐俊幸=13年4月7日、東京都内のホテル "飛び級"での世界2階級制覇。ベルトを手にした瞬間に涙を浮かべた。 打たれても、前に出続ける。 そんな戦いを終えた八重樫は、震災被災者に向けて「諦めなければ報われる。立ち向かい続けてほしい」とエールを送った。 「フライ級の相手は大きく強いが、自分が1日でも長く王者で在り続けることで被災者を励まし続けたい」WBCフライ級王座の奪取から一夜明け、記者会見でベルトを肩にポーズをとる八重樫東=13年4月9日、横浜市・大橋ジム「生きる伝説」あえて指名 長く王者であり続ける。 そう言いながらも、八重樫は防衛戦の対戦相手に、分のいい挑戦者を選ぶようなことはなかった。 それどころか、もっとも厳しい相手を選んだ。 14年。4回目の防衛戦の相手として、八重樫はローマン・ゴンサレスを指名した。調印式後にポーズをとる、WBCフライ級王者の八重樫東(右)と挑戦者ローマン・ゴンサレス ゴンザレスは当時、プロで39戦して全勝(33KO)。 アマチュア時代も含めると126戦無敗で「軽量級最強」「怪物」「生きる伝説」と称されていた。あまりの強さに、対戦してくれる王者がいないほどだった。 誰もが避ける相手との勝負を、あえて選んだ。 そんな同郷の英雄の戦いを、岩手では多くの人が仮設住宅から見守っていた。 その年の3月31日、岩手県内では大震災で発生したがれきと津波堆積物の処理が完了していた。島越駅に到着する三陸鉄道北リアス線の下り一番列車。島越漁港では復旧工事が進む=14年4月6日、田野畑村 沿岸部を走る三陸鉄道は、被災した南・北リアス線(総延長107・6キロ)が4月6日に全線で運行再開。 津波に耐え、復興の象徴となった陸前高田市の「奇跡の一本松」の復元作業もほぼ完了した。 だが、そんな「本格復興期」に入ってなお、岩手県内では3万人以上が仮設住宅での生活を余儀なくされていた。 恒久住宅の確保は進まず、被災者生活再建支援金の申請状況からみる個人住宅の再建率は33%にとどまっていた。https://www.iwate-np.co.jp/article/2021/3/10/93288八重樫東と被災地の終わりなき戦い④捨て身の攻撃。止まぬ声援 八重樫は迎え撃つ王者の立場ながら「僕にとってチャレンジそのもの」と表現した。 言葉通り、挑戦者ながらゴンサレスに穴はなかった。 第3ラウンドに早くもダウンを奪われたが、それでも八重樫はひるまずに打ち合いを挑んだ。 両目を腫らしながら前に出る。 その背を押すように、大声援が会場を包む。ラウンド終了のゴングが聞こえないほどだった。ローマン・ゴンサレスと激しく打ち合う八重樫東(右)=14年9月5日 劣勢であることは明白だった。終盤、八重樫は捨て身の攻撃に出た。 第9ラウンド。右ストレートがゴンサレスをとらえた。だが次の瞬間、最強の挑戦者の波状攻撃が始まった。 八重樫は力尽きてマットに沈んだ。初めてのKO負けだった。 だが諦めない戦いぶりに胸を打たれた会場のファンは、試合後も涙ながらに「アキラ」コールを送り続けた。人生初の「屈辱」 ゴンサレス戦の直後。 八重樫は北上市の母校黒沢尻西小を訪れ、講演をしていた。児童と語らう八重樫東=2014年11月1日 「一生懸命戦ったが負けてしまった。だが心の中には、諦めずに頑張れば王者になれるという気持ちがある」 諦めなければ夢はかなう。 戦いを通して、岩手の子どもたちにそう伝えたかった。試合後に健闘をたたえ合う八重樫東(中央右)とローマン・ゴンサレス(中央左)=14年9月5日、東京・代々木第二体育館 八重樫はゴンサレス戦からわずか4カ月弱という強行スケジュールで、世界タイトルに挑戦した。 フライから階級を一つ下げ、世界3階級制覇を懸けたWBCライトフライ級王座決定戦。しかし、ペドロ・ゲバラ(メキシコ)にKO負けした。 人生で初めて、ボディーでダウンした。 「情けなくて涙も出ない」。ボクサーとしての屈辱を味わった。謝罪。迷い。 地元のヒーローの挑戦を見届けようと、会場には岩手から応援団ら約100人が駆け付けていた。 八重樫は試合後、彼らに「すいませんでした」と謝罪したという。 負けたから、なのか。 あるいは、前に出続ける姿を見せきれなかったから、なのか。ペドロ・ゲバラに敗れた試合後、観客に向かってあいさつする八重樫東(中央) 年が明けた15年1月3日。 故郷の北上市でトークショーに臨んだ八重樫は、率直に迷いを明かした。 「正直、このままボクシングを続けて良いか迷っている」再出発。戻る気概 この年、被災地では復旧・復興に向けた大規模土木工事が本格化していた。 宮古市田老乙部では243戸が入居する高台団地の造成が進み、釜石市鵜住居(うのすまい)町では19年ラグビーワールドカップ(W杯)の競技場建設地のかさ上げに向けた準備が始まった。のちにラグビーW杯会場となった釜石鵜住居復興スタジアムの建設地=15年3月4日、釜石市鵜住居町 野田村の十府ケ浦(とふがうら)海岸は高さ14メートルの防潮堤が姿を現し、大船渡市の大船渡湾には全国ブランドのカキの養殖いかだが戻った。 そして八重樫も、世界戦2連敗のショックをようやく払しょくしていた。 震災から4年となる同年3月「進退についてあやふやにしてきたが、もう一度世界チャンピオンを目指す」と宣言した。https://www.iwate-np.co.jp/article/2021/3/10/93294八重樫東と被災地の終わりなき戦い⑤ 5月に行われたスーパーフライ級8回戦。 八重樫は、ソンセーンレック・ポスワンジム(タイ)を2回2分5秒TKOで下し、再起戦を勝利で飾った。1回、ソンセーンレック・ポスワンジム(右)からダウンを奪う八重樫東=15年5月1日、東京・大田区総合体育館 「盛り上がるならもう一度井岡(一翔、世界ボクシング協会=WBA=フライ級王者)選手とやってもいい」 あえて厳しい戦いを。そんな気概も戻っていた。日本人初の「快挙」 15年12月。八重樫は国際ボクシング連盟(IBF)ライトフライ級王者ハビエル・メンドサ(メキシコ)に挑戦をした。 一進一退の攻防。中盤は相手の連打を受けて体がぐらつく場面もあった。 それでも八重樫は、足を踏ん張り耐え抜いた。判定。ジャッジ1人がフルマークを付けた完勝だった。12回、ハビエル・メンドサの顔面に左を打ち込み、一気に攻め込む八重樫東(左) 日本人男子3人目となる世界3階級制覇。 「メジャー団体の最上位タイトル」だけに絞れば、日本人初の快挙だった。それでも八重樫はこう言った。 「記録はあくまでおまけで、強い選手と戦うことが喜びであり仕事です」3階級制覇の偉業を果たし、妻の彩さんや3人の子どもたちと喜びを分かち合う八重樫東(中央)=15年12月29日夜、東京・有明コロシアム 翌2016年3月。震災から5年を迎えた被災地に、八重樫はメッセージを送った。 「自分のボクシングを見て、また頑張ろうという気持ちが芽生えるような試合をしたいし、しないといけない。岩手への強い思いは薄れることはないし、変わるものではない」八重樫東選手を囲んで記念撮影する金ケ崎小の児童=16年2月2日引退勧告も…前人未到への挑戦 頑張ろう、と思ってほしい。 その一心で戦い続けてきた。 だがさしもの激闘王も、徐々にベテランの領域に入ってきていた。 17年5月、ミラン・メリンドにまさかの初回KO負けを喫し、王座から陥落した。1回、ミラン・メリンドの左フックを受け1回目のダウンを喫した八重樫東(左)=17年5月21日、東京・有明コロシアム すでに34歳。大橋会長からは引退を勧められた。 だが「やらせてください」と懇願した。 すさまじい練習量で、再びリングに立つことを目指す。 それを見た大橋会長は「辞めろとは言えなくなった。心を動かされた」と振り返る。 あえて困難な道を歩くスタンスも変えなかった。 10月、2階級上のスーパーフライ級に転級し、日本男子初となる世界4階級制覇に挑戦することを表明。「前人未踏」の挑戦だった。迫る「決断の時」 一方、被災地も次の目標を見いだす時期に入っていた。 誰もがこれまでに経験したことがない複合災害からの復興。 こちらもまた「前人未踏」の挑戦が続いていた。鵜住居地区防災センターで犠牲になった住民の冥福を祈り、復興のまちづくりを誓う親子=17年3月11日、釜石市鵜住居町 住宅や店舗の再建が進む。 防潮堤や道路、鉄道などと併せ、「目に見える復興」のゴールが近づく。 同時に、避難生活を支えてきた仮設住宅や仮設店舗などの支援は廃止や集約に向かう。 それは、被災者が個々の生活再建と自立に向けた決断を迫られることを意味していた。解体を前に公開された旧大槌町役場庁舎。窓や壁が壊れ、震災当時のままがれきが残る=18年6月13日、大槌町新町 まちが負った傷も深く、産業や医療、衣食住の環境は完全には戻らない。 結果として「人とにぎわいを取り戻す」という復興の青写真と、現実の乖離(かいり)も広がり始めていた。 人口減少に歯止めがかからず、なりわいの先行きが描きづらい。 そんな中で、いや応なしに全ての人に「決断の時」はくる。https://www.iwate-np.co.jp/article/2021/3/10/93297八重樫東と被災地の終わりなき戦い⑥八重樫の「決断」は… 18年3月、八重樫は約10カ月ぶりの復帰戦に臨んだ。 フランス・ダムール・パルー(インドネシア)とスーパーフライ級ノンタイトル10回戦を闘い、TKO勝利をおさめた。 しかし、世界4階級制覇への手応えは得られなかった。 フライ級の王座復帰に方針を転換。それでも「国内最年長でのタイトル奪取」という高いハードルを自らに課し続けた。 19年12月。36歳の八重樫は、メリンドに敗れて以来の世界戦に臨んだ。 IBFフライ級王者モルティ・ムザラネ(南アフリカ)に挑戦。途中までは互角の戦いだったが、終盤に被弾が増えた。そして9回、TKOで敗れた。TKO負けを喫して肩を落とす八重樫東(中央)=19年12月23日 それでもまだ、やれるつもりだった。すぐにでも世界王座に再挑戦したかった。 だがこの直後、世界をコロナ禍が覆う。タイトル戦どころか、試合自体ができなくなった。 被災地の人々と同じように、八重樫にも「決断の時」が訪れようとしていた。重なって見えた「歩調」 未曾有の津波災害からの復興という、誰も歩んだことのない道を歩く被災地住民。 年齢を重ねながら、それでもより厳しい状況に挑んできた八重樫。 震災から9年。その歩調はいつでも重なって見えた。 20年9月1日、八重樫は現役引退を表明した。 一足先に歩みを止めたように見えた八重樫だが「これは節目ではない」と首を振る。現役引退を表明し、大橋秀行会長と写真に収まる八重樫東(大橋ジム提供) 21年の年始。 八重樫は後進の指導を終えると、リングシューズのひもをほどきながら、熱っぽく語った。 「日本のボクシングは、部活の延長のようなところがまだある気がしています。1人の指導者のやり方に大勢の選手が合わせる。そうじゃなく、個々の選手に指導者が合わせていったら、もっと選手の可能性、競技の可能性は広がると思うんです」 顔を上げ、語気を強めて言う。 「難しいかもしれない。労力もかかる。でも僕はそれをやりたい。そういう勝負をするという意味で、現役を引退しても僕は自分が変わったとは思わない」変わり続ける 八重樫は今も、震災から10年の岩手を思う。 「被災地はまだまだ大変だと思う。被災地の方々は10年間、変化に対応しながら前に進んできたと思う」 八重樫も変わり続けてきた。 階級を変え、そのたびに頂点を極めてもきた。だが変わらなかったのは、岩手を勇気づけたいという思い。それは今後も同じだ。 「指導者としての立場に変わったことで、被災地でできることの幅も広がると思う。これからもいろいろな角度で被災地に関わっていきたい」 現役最後の試合になった2019年12月のムザラネ戦。実は八重樫は7回に左目を眼窩(がんか)底骨折していた。モルティ・ムザラネに敗れ、リングを降りる八重樫東(中央)=19年12月23日、横浜市・横浜アリーナ 相手の右パンチはほとんど見えていなかっただろう。 それでも前に出続けた。最後まで、激闘王の名にふさわしい戦いぶりだった。 震災10年が節目、と誰もが言う。 しかし実際は、そこで何かが完結したり解決するわけではない。先も見えない。だからこそ被災地の人々も八重樫も、これからも前に出続ける。 被災地岩手は、八重樫のように不死鳥のように何度でも立ち上がる。挑み続ける。 八重樫と岩手の戦いは、これからも続く。
Mar 10, 2021
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