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多言語を操るという、イタリアのアントニオ・タブッキによる原作に魅了されて、映像化されたものを手にとってみた。 タブッキの作品は多くフランス語に翻訳されていて、映画もフランス製作によるもの。訳者によると、これまでイタリア語では表現されることのなかった思考回路――であるという。詩的で浮遊感のある哲学を含んだ内容は、まさにフランス人好みな感じ。インドに憧れを抱いた当初、胸の中で思い描いて求めていたイメージは、ここにある。掴みどころのない混沌とした国、心を捉えて離さない国。そして、今、インドを旅したあとも、おなじニュアンスを感じて旅したと断言できる。小説の書かれた1984年から年月は流れていても、変わらないインドの原風景と呼べるものが、ここにはあるような気がする。まるで夢のなかを浮遊しているような不思議な世界観がすばらしい。ミステリアスで混沌とした国でこそ、業に囚われた人間の出会いと別れが輝く。哲学的な言葉の連なり、幻想的な夜の重なり。娼館、病院、神智学会を経て、友人を探す旅はいつしか自己を求める旅へと変化していく―――。幾日目かの夜。マドラス(チェンナイ)のマンガロールのバス停で、占い師である奇形の青年と出会うシーンが好きだ。(映画では娘さんになっていた)主人公は、自分のカルマについて訊ね、それに対し青年は「あなたは魂の抜け殻、ほんとうのあなたは別の場所にいる」と応える。彼は戸惑いながらも、言葉を受け入れ、占い師に礼をいって旅をつづける。旅の最終到達地となるのはゴア。そこで彼は、やっとのことで失われたアートマンと出会うことができるのだ。ミステリアスな出会いの数々が導いた影と光の接近は、演出の妙によってさりげなく、美しい幕切れが消えない余韻を残していく。 夜熟睡しない人間は多かれ少なかれ罪を犯している。 彼らはなにをするのか。夜を現存させているのだ。 モリス・ブランジョ 原作の冒頭にある言葉が、忘れがたく魅力。全編をとおして何度も流れる音楽は、シューベルトの弦楽五重奏曲 第2楽章。インドの夜想曲としてしっくりと沁みる。† † †失踪した友人を探して、インド各地を旅する主人公の前に現れる、幻想と瞑想に充ちた世界。ホテルとは名ばかりのスラム街の宿。すえた汗の匂いで、息のつまりそうな夜の病院。夜中のバス停留所で出会う、うつくしい目の少年―――。イタリア文学の鬼才が描く、内面の旅行記とも言うべきミステリー仕立ての12の夜の物語。 (「BOOK」データベースより) 監督 アラン・コルノー 製作 モーリス・ベルナール 原作 アントニオ・タブッキ 脚本 アラン・コルノー ルイ・ガルデル 撮影 イヴ・アンジェロ 音楽 フランツ・シューベルト 出演 ジャン=ユーグ・アングラード クレマンティーヌ・セラリエ オットー・タウシグ (カラー/110分)
2010.10.30
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読んでいる間じゅう、作者の精神世界にどこまでも降りていく、不気味なコワサと不安感に包まれていた。『麦ふみクーツェ』のノリで読みはじめたものだからびっくりする。「クーツェ」はいしいさんの陽ならば、こちらはダークサイド。つぎは『プラネタリウムのふたご』を読んでみよう。 物語は三つに分かれている。ひとつめは、みずうみと共存して暮らす、不思議な村人たちの物語。ふたつめは、口からは石を、体から水を排出して生きる、物静かなタクシー運転手の物語。みっつめは、実在する世界を舞台にした、赤ん坊を授かったある男女のものがたり。 みずうみ、みず、羊水に、つうずるのは生命力。ひとが存在存続するのに必要不可欠な、希望や畏怖まで想像させてしまう語り口に、ちょっとゾクッとする。寓話のような手ざわりとはいえ、難解で内面的。言葉の表面だけなぞるので精いっぱいになってしまうほど、わたしには読むのに精神力のいる作品だった。掴みどころのない主人公たちと、共感を求めないストーリー。作家いしいしんじの妄想世界は、想像以上に濃かった。半分病んでるようで、書くことで繋いでいるようで、日頃どんな世界を眺めているのか知りたくなるような作家だからこそ、童話の形をした大人の作品が書けるのだろうか。
2010.10.28
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ファッション界を代表するデザイナー、トム・フォードによる初監督作品。ブランドものには興味がないので、まったくというほど氏に対する世間の評価はわからないけれども、映画の出来不出来をいえば、なかなか見事でコンパクトにまとめられた良作だと思う。審美眼があるというのは、それだけで武器なのだ。シーンごとに、こだわりを感じる絵になるショットがあり、そこにドラマがあり、自身も同性愛者であるというトム・フォードの、真摯な想いが表れているようだった。 1962年、ロサンゼルス。大学教授のジョージは、16年間共に暮らしたパートナー、ジムを交通事故でなくして以来、8ヶ月も悲嘆に暮れていた。そして今日、その悲しみを断ち切り、人生に終止符を打とうと決意する―――。 人生最期の日、それはきっと、なにもかもが特別に映るにちがいない。ジョージのように、終わりにしたいと絶えず願っていたとしても、人生はきっと、いざとなれば愛おしく去りがたい。身の回りを整理して、最期を迎える準備を整えたジョージが、かつての恋人チャーリー(ムーア)に会いにいく件がとても印象深かった。すでに女性を愛することはできないけれど、いまでは大切な親友となったチャーリーと、共に重ねる会話やダンスや思い出話が、かけがえないひと時を紡いでいく。そして、帰宅したジョージがいよいよ死の準備を終えるころ、以前から気にかけていた教え子ケニー(ホルト)が、突然彼を訪ねて来るのだった。思惑どおりに死ねないジョージの戸惑いと、生への執着を体現するのは、教え子ケニーの若々しい生命力や、その肉体。否応なしにケニーに惹かれていく自分と、死ぬ決意をしていたはずの自分が葛藤する様を、イギリスの名優コリン・ファースが見事に演じている。かつての恋人チャーリーを演じるジュリアン・ムーアもまた、存在感素晴らしく、本編に魅力を加味していく。人生の終わりを自覚した者にとって、きっと世界そのものが素晴らしい。どんな喪失感を味わっていても、いま生きて見つめている景色は無二のものなのだ。死ねば意味をなさなくなるのが世界。それに気が付いてから死んでいったジョージは、幸せといえるのではないだろうか。自殺よりも、よほど幸せな最期であったろう。生きていることこそ素晴らしい!そんな人生賛歌だと信じたい、奇麗に纏められた小品。トム・フォード氏自身の人生観を感じる、処女作とは思えない巧みな良作だった。† † †監督/ トム・フォード 製作/ トム・フォード アンドリュー・ミアノ ロバート・サレルノ クリス・ワイツ 原作/ クリストファー・イシャーウッド 脚本/ トム・フォード デヴィッド・スケアス 撮影/ エドゥアルド・グラウ 音楽/ アベル・コジェニオウスキ 出演/ コリン・ファース ジュリアン・ムーア マシュー・グード ニコラス・ホルト(カラー/101分/A SINGLE MAN)
2010.10.24
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隅から隅まで、清らかな美しさで満ちていて、心が洗われるとはこういうことをいうのでしょう。かの有名なウェルナー作曲の表題曲『野ばら』、シューベルトの『アヴェ・マリア』、モーツァルトの名曲を、少年合唱団の美しい歌声が高らかに歌い上げる音楽映画。『野ばら』の原詩は、もともとゲーテによるものだそうで、その歌詞のやんごとない清らかさに背筋までピンとするようです。 ハンガリー動乱を逃れオーストリアに辿りついた孤児トニーは、収容所行きのバスに乗り遅れて困っているところを、ドナウ河の船長だったというブリュメル老人に救けられ、意気投合したふたりは、一緒に暮らすようになります。ある日、礼拝にでかけた教会で、ウィーン少年合唱団の讃美歌に心奪われたトニーは、合唱団入りを夢見るようになるのでした。彼に音楽の才能があることを知ったブリュメル老人は、少年の幸福のために、彼を合唱団に入れる決心をします。トニーの未来を想い、別れを選ぶブリュメル老人をはじめ、両親のいないトニーを母親のように愛してくれる寮母マリアさんなど、みんながみんな善良で心根のやさしさが温かい。合唱団長、音楽の先生にいたるまで、いい人ばかりです。安心しきってこころを委ねられる。少年合唱団の歌声がお好きな方はきっと多いはず。そちらの側面も楽しめる一方で、トニーの成長記、マリアさんやブリュメル老人との絆物語としても、十分見ごたえある佳作。後半、舞台はチロルの山荘に移されます。主旋律を射止めたトニーに嫉妬する仲間が現れたり、窃盗事件が起こったり、、、順風だった前半から、にわかに波瀾が続くのだけれど、純粋な心根の人々が繰り広げる物語に、サッド・エンドなんてありえない。とにかく、後半のチロル、アルペンの風景が爽やかで、ほのぼのと微笑ましく、歌声もハートも映像も美しいのだから文句のつけどころなし。当時、西ドイツは、2年前に主権を完全に復活させたばかりだった。まさに平和な時代に生まれた映画という感じがする。† † †監督/ マックス・ノイフェルト 脚本/ マックス・ノイフェルト カール・ライター 音楽/ ハインツ・ノイブラント 出演/ ミヒャエル・アンデ パウル・ヘルビガー エリノア・イェンセン (カラー/西ドイツ/95分/DER SCHONSTE TAG MEINES LEBENS)
2010.10.21
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いい脚本に、いい音楽、いい映画!朝鮮戦争を、ファンタジックに、ノスタルジックに、ユーモア交えて描いた本編は、もともとは舞台劇だったそうだ。 1950年代の朝鮮戦争を舞台に、山奥の不思議な理想郷に迷い込んだ敵対する兵士6人が、村人たちののんびりしたペースに癒され、人間性を取り戻していく姿を感動的に綴る――。 兵士たちが迷い込んだのは、周囲から隔離された山奥深く、自給自足の生活を送る不思議な村“トンマッコル”だった。笑顔が絶えず、争いごともない平和なその村に、アメリカ人パイロットと、道に迷った韓国軍兵士2人と、人民軍の兵士3人が、次々と迷い込む。一触即発の状況を、わけもわからず笑顔で切り抜けた村人たち。おかげで男たちは命拾いして、いつしか言葉を交わし、友情を抱くようになる。“トンマッコル”にほだされた兵士たちは、迷惑をかけた村人のために、農作物の収穫を手伝いはじめるのだったが・・・・。 この村の象徴的存在は、知恵遅れの少女ヨイル。彼女がただ豊かな自然のなかに、笑って戯れているだけで、大地に生きる喜びを思い出させてくれる、重要な役柄だ。演じているのはカン・ヘジョン。彼女のピュアなハートと、仕草と、あざといほどのスローなカットがキレイだった。ヨイルの無垢な魂や、まるで宮崎アニメのごとく神秘的な里山が、敵対する男たちの心を開くきっかけになっていくのだけれど・・・・。戦争が続いている限り、いつまでも村に留まることは許されない。そんな矢先、連合軍が村一帯の爆撃を計画していることを知ってしまう。兵士たちは、村を救いたい一心で、爆撃を逸らすための作戦に打って出るのだった。自分たちが犠牲となってでも―――。戦場シーンの緊迫も、CGを駆使したファンタジックな映像美も、心温まるユーモアも、すべてがじつにいい塩梅で混ざり合った良作だった。印象的な音楽は、なんと久石譲さん。どうりで宮崎アニメチックに、心に染みたわけだ。全体を通しても、往年の宮崎アニメのうまさを実写で焼き直したようなイメージがあった。あの映像美、魅力的な脚本、生を謳歌する喜びのようなもの。しかし、キレイ事ばかりで終わらせない辛口が、本編の良いところ。生命の象徴であった無垢なヨイルが銃弾に倒れ、戦争の大義は自己犠牲という形でしっかり描かれている。けっしてハッピーエンドではないのだった。降り注ぐ爆弾、響き渡る銃声、ユートピア“トンマッコル”を守るために流れる血。理想郷がキラキラしていたぶんだけ、映像がファンタジックなぶんだけ、戦闘の場面がツラく、絶望的であるからこそ、また違った角度から、戦争の愚かさ不条理さをあぶり出してくる見事な作品。「トンマッコルへようこそ」がよかった方には、おなじファンタジーでも、こちらはダーク・ファンタジーだが、『パンズ・ラビリンス』という作品がとてもおすすめ。† † †監督/ パク・クァンヒョン 原作/ チャン・ジン 脚本/ チャン・ジン パク・クァンヒョン キム・ジュン 音楽/ 久石譲 出演/ シン・ハギュン チョン・ジェヨン カン・ヘジョン (132分/WELCOME TO DONGMAKGOL)
2010.10.20
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みんな死ぬ。生きていれば、かならず。世の中便利になっても、自然界の掟には従うしかない。淡々と、当然のことを捉えた素朴なヒューマン・ドキュメンタリーに、原初の暮らしぶりが、静かに語りかけてくる。30年も生きた老いぼれ牛に、死期は近づいている。めっきり頭痛がひどく、野良仕事もままならないお爺さんにも、嫁いで60年間、苦労しっぱなしだったお婆さんにも、死はもうすぐそこに迫っている。そこには、なにも特別なことなどなく、ただただ別れがあるだけ。 文明の利器に頼らないで働いてきたお爺さんにとって、牛は朋輩。となりの畑は、やれ耕運機だ、田植え機だ、農薬だと、とにかく便利な世の中になっているのに、それらを頑なに拒絶して、むかしのやり方を貫いてきた。一概にすばらしい―と言えないのは、その手間と苦労が、一手にお婆さんにのしかかっているから。「わたしほど苦労している者はいないよ。」「なんであんたなんかに嫁いでしまったんだろう・・・。」どんなに愚痴をこぼしても無反応なじいさんをよそに、腰の曲がったばあさんは、野良仕事を続ける。代わりの新しい牛がやってきても、老いた朋輩を手放そうとはしない。死にかけた相棒を最期までこき使うじいさんが、あまりにも頑固だったが、お互い死に近づいた者同士、とことんまで擦り切れて草臥れて生を保っている様子が、胸に堪えた。農村部の姿は、韓国も日本も変わらないんだなぁ。頑固なじいさんも、そのせいで苦労するおばあさんも、ありがちで、変わらない。なにも大仰なことではなく、この上ないほど素朴に生きる人たちの暮らしを垣間見るとき、文明社会のぬるま湯に浸るわたしたちの上にも、その摂理なるものがたしかに存在していることに気がされて、ハッとしてしまうのかもしれない。† † †監督・脚本・編集/ イ・チュンニョル (カラー/78分/OLD PARTNER)
2010.10.17
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過労、過労といいながら、また道草して帰った、せんじつ。ちょうど川上弘美さんの『古道具 中野商店』を読んでいたからでしょうか、古物がとても欲しかった。仕事終わりの3時から、市電に乗って、古本とビールの店『アダノンキ』へ。以前よりも、本が増殖していて、探し応えのあるかんじ。迷った挙句、アントニオ・タブッキの『インド夜想曲』を選びました。さっそく開いてみると、インドの息吹に冒頭から引き寄せられるようで、とてもおもしろい。すぐに読み終えてしまいそう。映画にもなっているそうで、ぜひ観なければ。もちろん、グラス麦酒を一杯ひっかけることも忘れなかった。おつまみはチーズの盛り合わせ。ブルーチーズは苦手だけど雰囲気でおいしく頂いた。ホロ酔い気分で、古道具店『十一月』までぶらぶらと歩く。久しぶりの『十一月』の、枯れた佇まいにあたらめて惚れぼれしつつ。ほんとに素敵な場所です。 たくさん気になるものはあったけれど、ブリキのケースをひとつ選んだ。雑多なものを収納するため。 それから縄文式土器のかけら。なんに使うわけでもない、古い棚にただ並べるつもりで手に取ると、「裏返すと蝋燭たてにもできます」と、店主さん。おっしゃるとおり、さっそく蝋燭など飾ってみる。けど裏側だと、縄の文様が見えないね、、、(ますます意味不明な物体)今日は、ミニシアターのボランティアが終わった後で、映画をひとつ観てきた。アンコール上映中の『牛の鈴音』。ちかく感想を書こうと思います。じっくり、じんわり沁みる、韓国のドキュメンタリー映画。本日は空いていて、初対面のスタッフの方と一緒で、なんだか楽しかった。やっと、心から楽しいーと思ったなぁ。ピリピリとした緊張感は、あるていど必要なんだろうから、あとは自分次第だ。おつかいを頼まれて、喜んで外出。エプロンをつけたまま上着も着ないで、ぶらりと狸小路を歩いたら、風が冷たかった。このあとすぐ雨が降ってきた。上映中の空き時間には、紙パックのコーヒーを買って、カウンターに座りながら休憩をとる余裕もできた。そして頼まれる、紙仕事の数々。今日はチラシに割引券をホチキス止めして、パンフとCDに手書きの値段を貼り付けた。地味な作業がたまらなくいい。映画館やら博物館やら、「館(やかた)」好きは自覚していたけれど、あらためて「紙」好きである自分も自覚しているこの頃。本のにおい、印刷物のにおい。
2010.10.15
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一度見たら忘れられない、ソ連時代のSF作品を、数年ぶりに感傷、いや鑑賞。 キン・ザ・ザ星雲にある惑星にワープした技師と学生が、奇妙な宇宙人たちと出会い、騙し合いと悪戦苦闘の数々が繰り広げられる。1986年製作だから、けっして古くないのに、巷に溢れているSF映画とは一線を画す絶品シュールなおバカ映画。合言葉は 「クー!」 とあるきっかけで、キン・ザ・ザ星雲へワープしてしまったふたりの男。この惑星では、差別や賄賂が横行し、富める卑劣漢たちが大手を振って暮らしている。戸惑う彼らに、更なる服従の徴、屈辱の「クー」と鼻輪が課せられるが・・・果たして無事に認識番号を手に入れて、“地球”へ生還することができるのか!?見渡すかぎり乾いた砂で覆われた砂漠の惑星で、ふたりがはじめて遭遇する飛行物体に、早々から、ハートを撃ち抜かれてしまうこと必至。降りてきたのは、異星人のウエフとパッツ人で、とにかくここから、ノンストップのシュールでゆる~い世界が繰り広げられていく。この惑星では、なんとマッチが貴重品。マッチ欲しさに協力するパッツ人らと共に、可笑しなおかしな道行がはじまる。伝説のおバカSF映画とはいえ、どうしてこれが、シニカルな要素を含んでいるので侮れない。横行するエゴと差別のなか、地球人たちのちょっとした優しさや郷愁に、なにげにホロっときてしまう。異星の雰囲気を醸しだす、奇天烈なセットの数々がステキ。ショボくとも味わい深い、手作り感たっぷりな造形美。それらが絶妙な音楽とリズムに絡んで、なんともいえない小気味よさを演出している。怪作ちゅうの快作。帰還する金を稼ぐため、興行して歩く彼らが歌うペーソス溢れる曲は、また暫く脳裏から離れそうにありません。ズンチャン、ズンチャン。クー! ♪ マーマー、マーマー、どうしようー監督/ ゲオルギー・ダネリア 脚本/ レヴァス・カブリアゼ ゲオルギー・ダネリア 撮影/ パーヴェル・レーベシェフ 音楽/ ギア・カンチュリ 出演/ スタニスラフ・リュブシン エフゲニー・レオーノフ (カラー/134分/KIN-DZA-DZA)
2010.10.10
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映画館でのボランティア、3度目、無事終了しました。前日に、急なお通夜があって、体力的には過酷でしたが、行けばなんとか楽しい。いま札幌では、『SAPPORO Short Fest 2010』が開催されています。ボランティア先のミニシアターでも、貸館上映を行っています。しかし、今年は観られない。時間がとれない。昨年は「ドイツ・ショート」を観ましたが、今年はチケットを売るだけとなりそう・・・(涙)映画館はサービス業なんだー、なんて、当たり前のことを、あらためて実感している今日この頃。戸惑いつつ、なんとか頑張ってます。 映写さんから上映開始終了の連絡を受けてドアの開閉をするのが、まずひとつ。入れ替えのわずか5分ほどで、隣のカフェへ声かけ。空いてる時間には、パンフにタグをつけたり、チラシの折り込みしたり、手作りお菓子に値段貼ったり。お金のやりとり、売り上げの集計はタイヘンです。 ミニシアターでは、それこそ一期一会の作品もあるから、なかなかシビアでピリピリしています。この日も、最終日となる作品がふたつ。普段は途中入場を断っているけれど、飛び込みで来る人も通していました。短尺な『キャタピラー』に、15分も経ってから、半ばムリやり入場した中年男性もいた。(気持ちはわかるけど・・・・)わたしの居る時間帯は、どうやら年配のお客様が多いようで、一律千円なのは覚えやすくて楽チン。しかし、その他のお客様だと、時間帯や作品によっても、いろいろ料金が変わるので、まずそれを覚えるので一苦労ですよ。次回には、やっとボランティア特典を行使して、タダで映画を観て帰ってこようと思います。いま一等観たいのは、『ぼくのエリ 200歳の少女』『瞳の奥の秘密』なんだけれど、時間が合わないから、とりあえず、韓国のドキュメンタリー映画『牛の鈴音』になりそうな予感。 ただいまの札幌の天気は雨。明日は、大人たちの<ソフトボール大会>。雨、雨、降れ降れ・・・・・・・・どうか、雨天中止になりますように・・・・・・・。
2010.10.09
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わたしがインドを訪れてから、すでに3カ月。当時の日記のタイトル『A PASSAGE TO INDIA』は、この作品から取ったのでした。 フィアンセを訪ねて、義母(アシュクロフト)と共に、イギリス植民地時代のインドを訪れたアデラ(デイヴィス)が経験する、心理的な変化と戸惑いと幻覚。1920年代のイギリス女性にとって、異境の地で受けるショックは、たぶん計り知れない。目には見えないエネルギーに圧倒される国。人の多さ、酷い暑さ、汚穢、匂い。インドの風土に触れると、みずからの観念を覆される変化に、出会うときがある。個々の意識が消えて、もっと大きな生命の意志みたいなものに触れる時がある。冒頭から聡明であったはずのアデラは、この国のエネルギーに飲み込まれて、しだいに動揺を隠せなくなり、ありもしない幻覚をみてしまった。この国に弾き返された、彼女の痛い経験が、インドのすごさを何よりも物語っていく―――。異文化を理解する難しさや、有色人種への偏見、イギリス人支配へのインドの反撥。植民地時代を背景に、大河ドラマの大家デヴィッド・リーンらしいスケール感で、様々な問題が描かれていた。それでも一番の核となるのは、やはりアデラの心。絵に描いたようなイギリス人らしさで(シニカルとみるとおもしろい)結婚に悩み、この国に動揺し、反英運動に巻き込まれていくのだった。婚約者を前に揺れていたとき、彼女は、異国の親切な医師アジズ(バナルジー)と出会う。ふたりは、お互いに、すこしずつ惹かれ合っていく。ある時、アジズは、アデラと義母を大がかりなピクニックへと連れだす。しかしこの一日が、大事件へと発展し、決定的にふたりの将来を分けてしまう・・・・。(↓ アジズ。渡辺謙にみえてくるので可笑しい)アデラが、ガジュラーホーにあるような、ミトゥナ像(男女交合像)を尋ねるシーンや、インドの結婚制度について語るシーンなど、ところどころに性を感じさせる演出があった。それが伏線だったのだろう。ピクニックで訪れた神秘的な洞窟で、アデラはパニック症状を起こし、大けがを負って運ばれる。そして、アジズに暴行された・・・と、ありもしない証言をしてしまうのだった。アジズは身柄を拘束され、彼女のフィアンセが判事を務める裁判所で裁かれることになる―――。嘘の証言をしたことを「情けない」と、一蹴するのはかんたん。でも、なんでそうなったのかがわからない。心身喪失にしろ、優しかったアジズのこともフィアンセのことも裏切った、聡明だった彼女の、情けない姿が痛い。演出によるものだとは思うけれど、いつまでもショックを受けたまま言葉もはっきり発しない姿に苛々が募る。結局、法廷で、アジズの無罪を認め告訴を取り下げたことを、彼女の勇気だなんて美化する気持ちにならないから、よけい当惑して、このあたりから最後まで、物語についてゆけなくなってしまった。冤罪に傷ついたアジズは町を去り、反英運動が盛んになったインドをアデラは去り、、、傷ついた者同士を繋ぐのは、英国人教授フィールディング(フォックス)。ふたりの共通の友人であるフィールディングは、数年後、アジズを探し出し再会を果たすのだ。誤解とわだかまりが解けて、はじめてアジズはペンを取り、アデラに手紙を書く。長い時間を経て、遠いインドとイギリスの地で、ようやくふたりの心は溶解するのだった―――。このフィールディングという人もまた、前半では気さくで魅力的な好人物なのだが、後半からは掴みどころない人になってしまう、、。名女優ペギー・アシュクロフトが演じた義母さえ、後半では存在感をなくし、船上であっけなく死を迎える。本作はヴィッド・リーン監督の遺作。氏の大作はどれも好きだ。撮影当時は70代、インドでの撮影を思うと、タフさに感心してしまうけれど、後半の尻つぼみ感は、晩年のパワー不足なのかもしれない。大作の大味にはならず、心の機微まで描いてきたリーン監督にしては、本作は伝わらない感情の場面が多かったように思えてならなかった。イギリス人では、この作品はどう評価されているんだろう。† † †監督・脚本/ デヴィッド・リーン 製作/ ジョン・ブラボーン リチャード・B・グッドウィン 原作/ E・M・フォスター 撮影/ アーネスト・デイ 音楽/ モーリス・ジャール 出演/ ジュディ・デイヴィス ヴィクター・バナルジー ペギー・アシュクロフト アレック・ギネス ジェームズ・フォックス アダム・ブラックウッド (カラー/163分/A PASSAGE TO INDIA)
2010.10.06
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とある食堂で始まった何やらあやしげな男たちの会合。男たちの名は皆フランク。彼らは、イカ墨同盟=<カラマリ・ユニオン>のメンバーで、貧困と絶望のこの街に見切りをつけ、理想郷=<エイラ>を目指して旅立つことを決める。ルートも手段も問わず、それぞれにエイラを目指すのだったが、道のりはあまりにも険しい。やがて一人また一人とフランクが消えていく。はたしてフランクたちは無事、エイラにたどり着けるのか―――? カウリスマキ監督の長編第二作目。弱冠28歳で撮りあげた、十八番のロードムービーは、後の作品の片鱗をうかがわせる楽しさだ。なにも持たず、身ひとつで<エイラ>を目指すフランクたちの、潔良いことといったら!浮雲のように留まれない主人公たちが、それぞれに理想郷に向かう途中で、あえなく?命を落としていく様は超シュール!ここでしか出会えない魅力に溢れている。先日の『愛すべき女・女たち』もアンニュイであったが、それとはまた別の倦怠、対照的なおもしろさなのだった。内容は、ありそうでない。いい加減だし、ハチャメチャだし、どこまでもおふざけを貫く可笑しさが、とても好き。定石どおり海に辿りつき、最後のふたりとなった<フランク>が理想郷目指してボートを奪い合うあたりまで、もうすでにあまり思い出せないのだけれど・・・(笑)とにかくフィーリングで楽しませてくれる小品だった。突如、バーで歌いはじめたフランクたち面々。『レニングラード・カウボーイズ』でもそうなように、映画に融合した音楽というのは魅力的だと思う。† † † [監督・脚本] アキ・カウリスマキ [音楽] カサブランカ・フォックス [出演] マッティ・ペロンバー/プンティ・ヴァルトネン/サッケ・ヤルヴェンパー/ピルッカ=ペッカ・ペテリウス (モノクロ/80分/calamari union)
2010.10.02
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