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そうかあ、今日は成人の日かあ。思い出すなあ、成人式。懐かしいなあ、成人式。瞳を閉じれば、まぶたの裏に、今でもはっきりとあの日の風景が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あれ、思い出せねえ。・・・・・・・・まるで記憶がねえ。・・・・・・・・・・・・だって、僕、成人式、行ってないからね。家でぐーぐー寝とった。ははは。やっぱあれだね、生まれた赤子が二十年生きたというだけで、成人すると思ったら大間違いだね。かつての僕みたいに、自分は成人するに値しない人間だと自ら判断して、出席を自粛するひねくれ者もいる。そのくせ夜の同窓会だけは、片っぱしからタダ酒飲んでやるってんで、友人の集いから、まったく知らねえ連中の集いまで、五軒もはしごする大馬鹿野郎もいるのだ。たはは。今年は、例年の成人式を中止するところが多いんだってね。コロナでね。例年のいわゆる「荒れる成人式」の当事者たち、諸先輩方は、自分の後輩たちをどう見ているのだろう?よかったねえ。僕や君たちの時代には、たまたま成人式があって。式がなければ、荒れることも出来ない。式がなければ、出席しないという選択も出来ない。せいぜい、当時式を開催してくれた地方自治体や、それを警備してくれた警察や、君たちが殴った大人や、君たちを白い目で見てくれた日本中に感謝だね。式がなければ、悪ふざけすら出来ないからね。今思えば、呆れるほど、平和な時代だった。恥ずかしいね。反省しようね。最近は2分の1成人式ってのがあるにはあるらしいが。うちの長女が十歳だから、ちょうどそれにあたるのだけれど。まあ、うちは取り立ててお祝いはしていません。写真屋さんで写真ぐらいとも思ったけど。なんとなく、それもしていません。だたもう、なんとなくです。しっかし、もう十歳かあ。あと十年なんて、あっという間なのでしょうね。でしょう?あははははははは。うちの娘たちが成人する頃には、この日本はどうなっているのだろう?十年後もまだ、成人式は中止されているのかな。十年経ったらきっと、我が子の眩しい振袖姿が見られるのかな。十年経ってもまだ、悪ガキどもが悪ふざけ出来る式典はあるのかな。そのころにはもう、成人式なんて無くなってるのかな。・・・がんばらなきゃ。二十歳になる若者たち。昨日までの「当たり前」が、目の前ではらはらと、まるで砂の城のようにもろく崩れ去ってゆきます。今日の「あたり前」だって、明日になればハッキリ言ってどーだか分かりません。そんな何だかもう第三次世界大戦のような毎日のなかで、今日まで、なに不自由なく君たちを育ててくれた、君のまわりの立派な大人たちに、せいぜい感謝することだよ。よい服を着させてくれた、おいしい料理を食べさせてくれた、温かい部屋を与えてくれた、君の親に、親に代わる人に、惜しみなく感謝して下さい。感謝しろっつーの馬鹿野郎。大変な時代になっちゃったけど、もう散々って感じだけど、否が応でも、今日から大人の仲間入りになっちゃったわけで、ま、とりあえず、ご成人おめでとうございます。あと。パパ、ママ、お疲れさん。がんばった。あんたらぁ、よくがんばっただよ。ちなみに、先日長女が、「パパは、私がどんな人と結婚して欲しい?」と聞くので。しばらく考えた末、本を読む人。そう答えておきました。よかったかな?ま、これでいいのだ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!子供大人化計画はまだまだ続く。僕の妻のルーム↓
2021.01.11
今回の首都圏一都三県への緊急事態宣言は、主に感染リスクの高い飲食店などを対象として、限定的に対策を講じる方針だ。槍玉に挙げられた飲食店業界はいよいよ、てか、んもお~とっくの昔に死活問題であろう。生まれてこの方飲食店から多くの素晴らしいサービスを受けてきた我々としては、今後も感染防止対策を講じつつ粛々と個人利用を続け、あとは政府の惜しみない助成を望むばかりだ。そんなこんなで、この新型コロナ渦中にて、「飲食」という文化が、これからどうなっていくのだろうかと考えてたんすけどね。ふと、昔読んだ漫画を思い出したっす。不二子・F・不二雄の短編SF漫画、タイトルは「気楽に殺ろうよ」。ある平凡なサラリーマンが、ある朝パラレルワールドに迷い込んでしまう。何とその世界では、「食文化」と「性文化」の価値観が、この世界と真逆であった。食事は秘め事。親しい者だけが、カーテンを閉め、部屋を暗くして行うべきこと。妻が、顔を赤らめ囁き声で「お食事が出来ました」などと言う。方や、性はあけっぴろげ。昼間から公園のベンチで若者が人目をはばからず行為をしていたり、子供の絵本の「こうして、シンデレラと王子様は結婚して幸せに暮らしましたとさ。おしまい」の場面で、シンデレラと王子様が思いっきり行為をしていたりする。彼は、自分はいよいよ気が狂ったのだと思い、精神科医のカウンセリングを受ける。その時、その世界の精神科医は、彼にこう言うのだ。性欲、食欲、ともに最も根源的な欲望ですね。どちらが欠けても人類は滅亡する。ところでこの二つのうち、恥じすべき行為はどちらでしょう?食欲とは何か? 個体を維持するためのもの。個人的、閉鎖的、独裁的欲望と言えます。性欲とは何か? 種族の存続を目的とするもの。公共的、社会的、発展的欲望と言えます。さて、恥じすべきは? 隠すべきは?その世界の彼は、深く考え込んでしまう。ははは。んで。この世界の僕も、今、ちょっくら考え込んでいるのである。命あるものを殺戮して自らの食糧とし、それを大勢で集い、騒ぎ、喰らい、食べ物に感謝することもなく、その挙句大量に食べ残す。この世界で、ごく当たり前とされる行為は、たしかに少し見方を変えれば、大変恥じすべき行為なのかもしれない。そもそも「食」の根本的な目的は、個体を維持すること。ところが僕たち人間は、縄文とか弥生よりもっと昔、遥か古の時代から、どうせ食べるなら美味しく!どうせ食べるなら楽しく!どうせ食べるなら大勢で!てな感じで、「食」というただの個体維持行為を「文化」にまで高めてきた訳である。さて、いよいよこのコロナ禍で、そんな飲食の文化が根本からくつがえろうとしている。忘年会が無いなら無いで、今まで何故あんな無駄なことしていたのだろうと、逆に思う。帰省が無くなり、会いたくない親族との楽しくない宴が無くなり、ほっとしている主婦も多い。その食べ物は、行列になって何時間も並び、ぎゅうぎゅう詰めで相席までして食べなければならないものか?この会話は、食事の席でしか話せないことか?この気持ちは、酒の席でしか伝えられないことか?料理は、ワイワイガヤガヤ食べるのが一番美味しいってのは、本当に本当に本当か?飲食の目的とは、本来は個体維持。であるならば、基本的には単身で、または本当に親しき限られた者たちと、大地の恵みに感謝し、命をくれた肉や魚に感謝し、作ってくれた人に感謝し、静かに、ゆっくり、食に集中して頂くというのが、本来の姿ではなかろうか?と、このコロナ渦中にて、個人的には、はんなり気付き始めているのである。だから外食も、少人数で、静かに、安全に、味も雰囲気もゆっくりと味わえる店であれば、これからも是非行きたいし、きっとこれから、そういう店が増えていくような予感がする。パラレルワールドに迷い込んでしまった彼じゃないけど、今日までの僕たちは何故、恥ずかしげもなく、当たり前のように、何時間も大勢で唾を飛ばし合いながら、だらだらとメシを喰い、酒を呑んでいたのであろう?そう考えてみると、探せども、探せども、そのもっともらしい理由が、この世界の僕にも、見付けられずじまいなのである。にほんブログ村↑ポチッと一枚!僕の胃袋を掴んで離さない妻のルーム↓
2021.01.10
僕は今日まで仕事が休み。妻は今日から仕事。長女は学校。只今、次女を守りしながらこの日記を書いている。それにつけても寝正月。いやあ、我ながら今年はよく寝たなあ。てか、普段から僕、よく寝る子です。毎晩午後10時にはとっとと寝る。んでもって毎朝6時には起きる。実直に律儀に8時間睡眠。最低でも7時間は寝たい。さもなくば翌日眠くて仕事にならない。正直、睡眠時間を削り夜中まで残業することを「がんばり」と感ずる、そんなサラリーマンの魔の術中にはまっていた時期が僕にもあった、とほほ、昔の話だ。今は、現場作業が押すのはさておき、書類関係がいかに建て込んでいても、午後7時にはさっさと帰宅し、愛する家族と幸せな時間を過ごし、その代わり翌早朝に1~2時間早出して、全集中で書類を片付けるようにしている。はっきり言って夜9時を過ぎた事務処理は極めて効率が悪い。やってる本人が一番分かっている筈だよね。集中力が散漫し、間違いも多く、それにすら気が付かない。いわゆる「何しとったかよ―分らん残業」ってやつだ。無駄に長い夜の残業を「がんばり」と勘違いしてしまう。これ、サラリーマンの初歩の過ち。快眠後のシャッキーンとした脳ミソで処理をすれば、経験上、夜中のそれの半分の時間で終わる。且つミスもない。まあ、僕は勤務時間が不規則な建設業界の人間だし、毎日タイムカードは押してはいるものの、個人的に残業時間や休日出勤にあまり縛られない雇用形態で会社と契約しているので、皆が僕のように自由に早朝勤務が出来るかというと、難しい問題のほうが多いのかもしれない。とはいえ昨今の働き方改革や、コロナ禍の自宅勤務の流れに乗っかって、残業は夜から朝への切り替えが定着すればいいのにと、勝手に期待する。でもなあ、家事や子育てと並行してとなると、やっぱ条件的に厳しいよなあ。無理だなあ。でもなあ、朝の集中力や頭の回転の速さったら、馬鹿になんねえのになあホント。話がそれた。僕、よく寝る子です。昼休憩も大いに寝る。昼飯を10分で食べ、残りの50分はがーがー寝る。午前中の業務で熱を帯びた頭を、寝ることで冷やしている感じ。家電のコンセントをいったん抜いている感じっつーか。んで、午後1時のアラームと同時に、クールダウンした頭でシャキッと午後の業務に向かう。寝る場所も選ばない。どこでも寝る。どんな状況でも寝る。「うおーーい、部長!ど、どこで寝てんすか!」とか、時々びっくりされる。「段ボールのおっちゃんじゃないんだから!」「屋根の先端で寝るスヌーピーじゃないんだから!」とか、ちょいちょい言われる。寝つきも大変よい。ブーと、競る。のび太と、とんとん。おやすぐぴーーー。ってな感じ。A・B・Cそっちのけでゼットを連呼、ZZZZZZZZZ・・・・寝起きも、すこぶるよい。朝からとんこつラーメン、飲み干す。早朝ヘビメタ、ノリノリでヘッドバンキングする。田代まさしの気配に気づく。とはいえ、そんな僕にも、年に数回、眠れない夜がある。あるんです。仕事のことで猛烈に悩んでいたり、どうしても怒りが収まらぬことがあったり。まあ、僕のそういった眠れぬ夜の対処法は、いたってシンプルで。眠れない夜は、起きている。ははは。無理に眠ろうとしない。眠れないことを、苦にもしない。いっそのこと、とことん起きてやる。翌日の仮眠も避ける。酒や薬に頼らない。本でも読んで。二日でも、三日でも起きてやる。すると、いずれ、死ぬほど疲れて、よく眠むれる。したがって、今日まで不眠で悩んだことは、一度も無い。つくづく、僕、よく寝る子です。何だろう? よほど睡眠欲という欲求に素直な作りなのかな?まわりからすれば、極度のストレスと思われる状況下にあっても、昔から「べ~つに明日取って喰われる訳じゃなし」と半笑いで目をつぶると、気が付いたら朝になっている。ぶっはははは。我ながら、呆れるほど能天気な性分だ。密かに、ちょっとした才能ではないかと思っていぐぴーぐぴー・・・にほんブログ村↑ポチッと一枚!能天気な夫と違い、些細なコトでちょいちょい眠れなくなる妻のルーム↓
2021.01.05
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。Q輔とU子とP子とOちゃんとウリねえ、見て。うちの鏡餅。ほら、よーく見て。木で出来てんの。だは。食べらんねーの。だはは。妻が「嘉門工藝」さんから買いました。嘉門工藝とは茶道具や和風小物などを制作している会社です。しっかし、しっぶい逸品だね、こりゃ。ご覧なすって、ご覧なすって。ほんら、この通り。お餅も橙も精巧な曲線で削られた木です。ちなみに、この大いに歪みたる漆の高台盆は、妻がアンティークショップで掘り出してきたもの。U子さん、実は四年前から年の瀬になると、これを購入するか否か悩んでいたらしい。去年までは、鏡餅型のプラッチクの中に真空パックの切り餅が入った、いわゆる市販の鏡餅セットを飾っとったんだけどさ。僕が餅をほとんど食べないので、結局たくさん余っちゃってね。まあ、よくよく考えたら鏡餅の用途目的って「飾ること」が第一ですからね。これからはクリスマスツリーや雛人形のように、時期が来たら出し、行事が済んだら片付けるんだって。昨年はコロナで年末の家族旅行を自粛したので、どうやらその予算を充てたようですが・・・。ぼかあ、怖くて購入金額は聞いてねーだよ。よー聞かんわ。とほほ。あーあ、また我が家に「妻のお気に入り」が増えたがや。よーこそって感じだよ、ったくよー。ま、しぶいから、許す。君の、気品にゃ、負けたよ。そんなこんなで「家曜日」。今年もすっかり始まっちゃってまーーす。さて。今年は、どうなることやら。あ、さて。にほんブログ村↑ポチッと一枚!ぼちぼちやってます。U子さんのルーム↓
2021.01.01
久々に過去の自分のブログを読み返していると面白れっす。書き始めの一年目なんかは、かなり試行錯誤の跡があって、ごつごつして野暮ったい。最近は若干シュッとして、こなれてきた感はある。まあ、あか抜けないのは変わらないけど。しかしまあ、つくづく僕という人間は、バカバカしくも、もの悲しい。もの悲しくも、バカバカしい。総じてそんな日記ばかりを書いているなあ。寅さんっつーか、藤山寛美つーか、そういった世界観が、何だか知らねーけど好きなのだなあ。笑えること、悲しいこと、それぞれ単体であれば、暮らしの中で湧き出る感情として、実に分かりやすくピックアップ出来るけれど、「笑えて泣ける」というこの複雑な感情は、その複雑さゆえに、けっこーみんな素通りしがちっつーか、無かったことにしがちっつーか。そこら辺の何ともモヤモヤっとした自分の気持ちを、逃さず、グッと捕まえて書いているあたりは、我ながら面白いかなと思うのである。そもそもは「夫が妻のことを書く主婦ブログ」みたいなものが書けないかと思って始めた。おそらくそこを突き詰めていけば、頭ひとつ抜ん出るブログになるであろうと今でも思う。んが、最近はすっかり自分のことばかり書いていて、何だかその本線からズレたブログになっている。でも、まあ、妻を主役に立てるという部分が、自分の中での多きな「照れ隠し」にはなっているので、軌道が大きくズレ過ぎた時は、速やかに修正するよう心がけている。アクセス数がグンと伸びる日記が書けたのであれば、立て続けにそれに類似する日記を発表し、ひたすらランキングを伸ばせばよい訳であるが、そういう時に限って僕は間髪入れず、いわゆる「評価されにくい日記」を発表したりしてしまう。今このタイミングなら本当に自分が書きたい内容を、少しでも多くの人に読んでもらえるチャンスだと思うからである。まあ、結果が伴った試しは一度もないが・・・。僕の妻は、僕のそこら辺のところを見抜いていて、いつもニヤニヤしている。例えば、うちの会社の社長に呼ばれておい、向こう一年のうちにブログ村ランキングで~位になり、月々アフィィリエイトを~円稼いで来い。これは、社長命令だ!みたいな話になれば、翌日からブログを事務的に分析し、連日手を変え品を変え更新し、業務として成果が出るまで努力をすることは、やぶさかではないのである。んが、この家曜日という趣味においては、そんな業務的な行為は無しでいたいのよね。気ままに、気楽に、書きたい時に書きたいことを書いていてーだよ。いわゆるトップブロガーと言われる人たちのブログを拝読していると、やりたいことをやる為に、やらなければいけないことも、ちゃんとやっている。本当に書きたいことを書く為に、不本意ながらも書かなければならないことを、嫌がらずに書いている。そこが自分のような駄ブロガーとの決定的な違いであり、実力の差であると思う。とは言うものの、かれこれ三年半もブログを続けていると、すっかり「書くこと」が、自分の日常の中にあって、けっこー好きな時間、とても大切な時間になってきていることは、これ否めない。それでも、決して悲観的な意味合いではなく、極めて前向きな展望として、この「家曜日」というブログは、僕が50歳になるまでには閉じます。少なくともこのタッチ、このモーションで書くのは、長くともあと4年が限界でしょう。惰性で続けたところで、偏屈なオッサンが見苦しい醜態をさらすだけのブログになってしまう。とはいっても、書き方や書く場所を変えるだけであって、書くこと自体は続けると思いますけどね。まあ、ずっとこんなマイペースな調子で続くのもよし。はたまた、突如として爪跡残しにやっきになるかもしれんし。U子さんという珍獣を、正しく世に出したいという気持ちも無きにしも非ず。ウンコとかチンコとか、懲りずに書き続けたいな。てな感じー。上記のことを踏まえてってな感じで、来年も書きまする。今年一年あざぁーしたぁー!来年もよろすこー! 元旦から書くぞバカヤロー!大一大万大吉「だいいち-だいまん-だいきち」1人が万民のために、万民は1人のために尽くせば、天下の人々は幸福になれる。関ヶ原の戦い、西軍総大将・石田三成の旗印。いまだ終息の兆しが見えないこのコロナ禍、今こそ心になびかせたい言葉です。それではみなさん、しばしのお別れ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!珍獣U子のルーム↓
2020.12.31
お待たせしました。それでは、家曜日を始めます。うちのアルコール除菌液、「パストリーゼ77」。一斗缶買いして専用のボトルに詰め替えながら使っています。手指消毒・衣類消毒はもちろん、食材にも直接噴霧出来るという安全性がニクイぜベイビー。ドーバー パストリーゼ77 (15kg) パストリーゼ 77 <スチール缶>77DOVER【JAN: 4510759690012】ドーバー スピリッツ 一斗缶 原産国:日本 アルコール度数 77% pasteuriser アルコール製剤 安全 食品 直接噴霧価格:27800円(税込、送料別) (2020/8/7時点)うちのコロナ対策として、僕は外から帰ると、先ず玄関先で、留置所に入る被疑者の如くションボリ頭を垂れながら、鍵、財布、携帯電話、弁当、水筒、ベルトなどの所持品を、身ぐるみ玄関先に並べるという手続きを済ませます。すると扉の向こうから取り調べ前の刑事のような厳粛な面持ちの妻が登場し、無言でこの「パストリーゼ77」を、僕の所持品に片っ端から噴霧するのです。このコロナ禍ですっかり定着した、我が家の日常です。「刑事さん、僕がやりました!」と、何も悪いコトをしていないのに、思わず自白してしまいそうになるその場の空気に耐え忍びながら、僕はそそくさと廊下を歩き、脱衣場に直行します。洗面台で入念に手を洗い、間髪を入れず風呂に入るため、服を脱ぎます。外から帰って脱いだ服は洗濯カゴに入れず、洗濯機に直接放り込みます。これも、このコロナ禍ですっかり定着した、我が家の日常です。すると僕の背後から、僕が歩いた廊下を除菌液で雑巾がけしつつ追いついた妻が、全裸の僕のチンコめがけて、この「パストリーゼ77」を、・・・シュ。ひゃっ!妻) きゃきゃきゃきゃきゃ。・・・このコロナ禍ですっかり定着した、我が家の日常です。その翌日も、僕は玄関先で所持品を並べながら、僕) 君ね。今日こそはチンコ除菌やめてね。縮み上がっちゃうからね。妻) ・・・・・・。僕) おい! やめろよ! 絶対にやめろよ!妻) ・・・はいはい、竜ちゃん。僕) 上島じゃねーぞ! お約束じゃねーぞ! その後、逃げるように脱衣場に直行し、大急ぎで全裸になる僕。三倍速で早送りした貞子のように、猛ダッシュな雑巾がけで廊下を這う妻。僕の股間めがけ、西部劇のガンマンのように滑り込んで引き金を引く妻。・・・シュ。びゃっ!僕) ・・・やめてよ。妻) きゃきゃきゃきゃきゃ。このコロナ禍ですっかり定着した、我が家の日常です。・・・シュ。んぴゃっ!僕) ・・・やめてってば。妻) きゃきゃきゃきゃきゃ。僕の妻、今年で四十路になりました。にほんブログ村↑ポチッと一枚!温かいコメントをいただいた!と、とても喜んでいた妻のルーム↓
2020.12.30
玄関にハングイットオールを増設しました。もともと、一個ついてたっす。んが、このコロナ禍で、外から帰ったら、着ていた服はすぐ洗濯機!洗わないコートやジャンパーは室内に持ち込まず、玄関先で消毒して干しとけ!と、うちの妻柱がおっしゃるのでね。最近の我が家の玄関のありさまといったら・・・わあ!な、なんじゃこらあ!あらやだ、ハングさんも、イットさんも、オールさんも、行方不明。衣類が、壁から滴り落ちる樹液のよう。つーわけで、買っといたから!と、たまのホリデーに妻が言う。ビスも下地板も、アタイが準備しといたから!あとは、アンタがつけるだけだから!と、モーニングっぱらから妻が言う。ちなみに、こちらでも紹介しています。↓一個だけの時は、たまたま既存の木下地の位置がドンピシャだったので、そのまま取付可能だったが、二連となると、どうしても下地がないところにビス位置がきてしまうため、このように下地板を流して、その上に取付をする必要があるのです。僕) ・・・ん? てか、これ寸法だいじょうぶ?妻) だいじょうぶだよ、ちゃんと測ったから。僕) また、いつものようにギリギリじゃない?妻) だーじょーぶだってば! ちゃんと測ったんだから!僕) だ、だよね、あはは。妻) アタイを信じてよ、あはは。・・・ギリギリアウトでした。ギリギリ、ビス打てません。・・・ほんの一瞬でも、信じた僕がバカでした。その後、何故か僕が、代わりの板を急ぎホームセンターに探しに走り、なんだかんだで、無事下地板の設置が完了。あとは、均等にハングイットオールを打ち付けるべし。ほい、完成。妻の呼吸、ムチャ掛けハングイットオール、二連。・・・ああ、いい。・・・なんて素敵なのだろう。正直、何も引っ掛けて欲しくない。こうしてアート作品として、ずっと眺めていたい。わあ!一気に生活臭ぷんぷんたる風景に戻ってしましましたが。まあ、これまでよりは、ずいぶんスペースに余裕が出来ました。ハングのお二人さん、間違いなく妻のムチャ掛け欲に火をつけたぞよ。ちゅーーーわけで、本日はここまで。西から昇る朝日に感謝。東に沈む夕日に深謝。それではみなさん、よい家曜日を。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.12.20
今から二十数年前。時は空前のアマチュアバンドブーム。 僕なんてな、自分のお気に入りのバンドが、インディーズで実力をつけ、 いよいよメジャーデビューなんて話題を聞くと、どえらい嬉しかったものだ。 んが、ずっと応援してきたバンドの成功が喜ばしい反面、途端にスーッと醒めてしまう自分がいたのも事実。 そもそもインディーズであれメジャーであれ、そのバンドの楽曲が大きく変わりはしなかったが、 大した理由も無く、だんだんそのバンドの楽曲を聴く気が失せるのだ。 今思えば、当時の僕は、心からそのバンドが好きだったのではなく、 知る人ぞ知る地下の無名バンドを聴いている自分が好きだったのだろう。 バンドそのものより「サブカルチャー通の自分」が好きだったってこと。 大人になってからも、僕には、こういった斜に構えた傾向が根強く残っていて。 例えば、世界中がその品質を認め、みんなが履いているナイキの靴だけは履いてなるものか! せめてアシックスだ!むしろプーマだ!あえてダンロップだ!・・・とかね。 流行やトレンドなんて糞食らえだ! 愛読書は「中原中也詩集」。好きなマンガはつげ義春の「ねじ式」。 好きな映画は石井聰亙監督の「爆裂都市」。好きなバンドは「あぶらだこ」。 好きなテレビ番組は「NHKみんなのうた」。好きな有名人は「風船おじさん」だコノヤロー!・・・みたいなね。 ただ、やっぱり、だんだん、分かってくる。 そんな自分のねじれたこだわりが、いかに自分の世界を狭めてきたかっつーかね。 流行と聞けば、反射的に飛びつく「流行の過食」の民が、愚かであるように。 流行だというだけで、反射的に受け付けないという「流行の喰わず嫌い」の民も、同じく愚かだぞと。 双方とも「吟味」していないという点で、人間の括りとして、実は同種。似たもの同士だぞと。 ずいぶん遅かったけどね。けっこー最近っつーか。 ま、ぎりぎりセーフって感じで。オラ、分かってきた。 若い時は、妻のお供でしぶしぶ行っていたディズニーランドも、 最近は、心から「うっほほーい!楽しー!」と思えるようになったしね。 このあいだなんか「鬼滅の刃」を子供と映画館に観に行って、 人目をはばからず、じゅるじゅると泣きじゃくるまでに成長した。 ちなみに、タピオカは、いまだに飲んでねーけどね。 てか、たぶんこれからも飲まないだろう。たはは。 ま、そういう「ねじれたこだわり」を完全にゼロにする気は、 本音のところ、さらさらねーんだけども。 ま、年々薄れてきてはいますね。 でさ。 僕からそんな「ねじれたこだわり」を徐々に薄めていく要因とは、はて何だろう?と考えた時に、 年齢? 妻? 子供? いやいや、案外この「無印良品」の存在ではないかと、思ったりなんか、しちゃったりするのである。 無印好きの妻のおかげで、 うちの生活に、僕たち家族の毎日に、無印良品は当たり前にあって。 それらを手に取り。 それらを使い。 それらを食べ。 そうするたびに、それらは、 「良いものは良い」という、ごく当たり前のことを教えてくれるのですね。 流行っているとか、いないとか。 有名だとか、無名だとか。 高いとか、安いとか。 コラボだとか、プレミアだとか、原産地だとか。 んーなこと、べつにどーだっていーじゃん。 良いものは良い。 それでいーじゃん。 無印良品が好きなのか? 無印良品が好きな自分が好きなのか? よくよく考えたら、そんな問いすら、愚問だ。 モノに自分を投影することなく、 そのモノだけを純粋に愛でることが出来れば、 答えは、おのずと出る。 好きなモノを、正直に好きと言えないような生き方は、 オラもう二度と、したくはねーだよ。 そんなこんなで、 僕は、無印良品が好きなのだと思います。 にほんブログ村 ↑ポチッと一枚! ベビームジラーの妻のルーム。↓
2020.12.16
ちーっす。前々回からの続きでーす。僕が部下に常々言っているコトは、笑っちゃうほどシンプルなこの三つ。① メモとれー。② 時間守れー。③ 片付けろー。んじゃあ、今回は最後に、「片付ける」について書きまする。ちなみに、だいたい想像つくと思うっすけど、いわゆる片付けのハウツー的な内容は皆無です。あらかじめご了承ちょーだい。さて。僕が働く建設業界では、最近でこそタブレットに図面データや資料を入力して現場で持ち歩く人も増えたが、現状はまだまだ紙が主流だ。公共工事においても、やっとこさ工事写真のデータ提出が定着した程度で、基本的な提出書類はいまだ紙ベース。受注額が三千万を超えるような公共工事ともなれば、役所への提出書類は、通常段ボール二箱にはなる。だから日頃から意識して事務所内を片付けておかないと、あっという間に書類の山、書類の山脈が出現してしまう。てゆーかホント、建設業界には書類を片付けられない人が多いのよ。「何かあった時の資料として残しておきたい」つってね、捨てらんねーのね。僕なんか、まわりがドン引きするぐらい、鬼捨てしちゃうけどね。社長によく叱られるもん「捨てすぎだ!舐めてんのか!」つって。ははは。その「何かあった時」が何なのかを明確にすれば、それ以外の書類は捨てられますね。なんつって、部下たちに助言するのだが、なかなか伝わらず、みんな漠然と片っぱしから保管している。とほほ。いやはや、そーいう社員ってどういう訳か、僕より年上だったり、かつての上司だったり、困ったことに業績がさほど悪いわけでもなかったりするので、なかなか厳しく注意しにくいのよ。まったく自分が不甲斐ない。ちなみに、僕の机の上には何も無い。書類どころか、ペン立てひとつ、カレンダーひとつ、皆が机に敷いている緑色の布と分厚いクリアシートひとつ、無い。事務員さんに「間違っても花瓶に花一輪とか置かないでね、死んだと思われるから」とお願いしてある。それぐらい、ひと気がないデスクだ。だって普段から、ちょー片付けているからね。これは僕が仕事のどこに重きを置いているかに繋がる。僕は仕事の始めと終わりだけは、我ながら珍しく真面目に実務を行う。先ずは仕事のはじめ、新しい物件の依頼が来たら、資料にくまなく目を通し、不足資料や必要書類などの細々とした手配までを地味ぃーに行う。この地味な事務作業を行うことで、内容全体の入念な把握を兼ねる。このような雑務は事務員に依頼したら?と言われることもあるが、違う。仕事の始めと終わりは同じ者が立たないと、総じて芯がなくなる。その代り、打って変わって中間のことは、ド派手に人にお願いする。精巧なキャド図面、商談の駆け引きに使う重要な見積り、プレゼンシート、公共工事の膨大な書類など、他の者が「ここは重要、あえて自分で」という業務を、僕は何とかして人に依頼する流れにもって行く。あとはポイントごとにチェックするだけ。まったくアッパラパーなもんだ。そしてその物件が竣工したら、その膨大な書類やデータの整理と片付けを、着工時と同じように、我ながら珍しく真面目に行う。僕は多くの業務のなかで、この片付けに一番ウェイトを置き、一番時間をかける。片付けや整理整頓を軽視してはならない。捨てる資料と、残す資料を仕分けしながら、僕はその物件を総括をしている。評価点や問題点をピックアップしてメモをとり、残った資料は、ただそのまま保管するのではなく、必要に応じて資料を作り直し、重複する資料をひとつにまとめ、紙の枚数を極力減らし、その後、第三者が参考資料として活用できる精度に仕上げる。無論データ管理も同じく。片付けや整理整頓を事務員さんなど他人に任せる社員が多いが、僕は、片付けこそ、人任せに出来ない大切な業務だと思うのだ。正直、順調な物件などは、早く資料を取りまとめたく、片付けるのが待ち遠しかったりする。僕としては、終わった仕事の資料を、片付けながら総括し、更には次の仕事の試行錯誤を、すでに始めている感覚だ。仕事とは、片付けで終え、片付けから始まるのだ。あんだすたん?と、ここまで三回に渡り、俺様ドヤ的日記を長々と書いといて何ですが、一回目の記事を読んだ矢先の妻から、異議あり!なんつって、超ド級の猛抗議を受けた、このアタシ。なんかね、家では「メモをとる」も「時間を守る」も「片付ける」も、からっきし出来ていないらしいですのよ、このアタシ。嘘こけ。ポリポリ(←ポテトチップスを食べる音)ちゃんちゃらおかしいわ。ポリポリ(←尻をかく音)・・・だ、そうです。まあ、アレだ、何と申してよいのか分かりませんが、まあ、アレだ、つまりは、そういうことです。にほんブログ村↑ポチッと一枚!ポリポリな妻のルーム↓
2020.12.12
突然ですが、長女の画力がなかなかな件。さて、学歴は高卒、入社時は小汚い現場作業員、その後、ちょっとしたきっかけで監督となり、オフィスで大卒の社員に馬鹿にされコキ使われているうち、何故か気が付くと部長になっていたというこの僕が、部下に常々言っているコトは、笑っちゃうほどシンプルなこの三つ。① メモとれー。② 時間守れー。③ 片付けろー。というわけで、今日は前回からの続き。「時間を守る」について書きまする。僕ね、時間や期日には、かなりうるさいです。例えば、業者会議のトイレ休憩などで、約束の開始時間に平気で遅れてくる部下などを見ると、たとえ一分の遅刻でも、こいつはいったいどーいうつもりなんだろうと思うレベル。そんな社員には、けっこーキツく言います。なにしろ関係各所にダイレクトに分かりやすく御迷惑をかけてしまうし、出来るだけ本人にも、自分にも、会社にも、恥じをかかせたくはないからである。もちろん、僕は時間も期日も、ばりばり厳守っす。やっぱあれだね、会議や打ち合わせ・待ち合わせには、10分から15分前には必ず到着しておくのがいいよね。人が見ている時計にはズレがあるものだし、人それぞれの感覚的な時間の捉え方ってのもあって、5分前の到着を「遅い」と感ずる先方も結構いるので、そこらへんを配慮して、最低でも10分前には到着・着席するというのは、確かに理に適っていると思う。うちは毎週末に営業職と工事監督が集まって会議をするのだけれど、やっぱちょいちょい遅刻する社員はいる。いつも同じ顔ぶれだ。先の打ち合せが長引いた。現場でトラブルがあった。渋滞に巻き込まれた。理由はそんなとこ。僕は司会なので、時間になったら「さあ、みなさん、定刻となりやしたぁー」つって、さっさと会議を始めたいのだが、遅刻者から「すみません!あと五分で着きます!」的な連絡があれば、社長が「五分ぐらい待ってやらんか?」とか何とか言いやがるので、しぶしぶ待つ。んが、そんな社員が、連絡通り五分で着いたためしはなく、大抵はもう10分遅れて到着するといったぐあいだ。うちの会議は速やかに30分程度で済ませることを目標にしているので、僕はスタートが遅れた分を差し引いて、「さあ、みなさん、今日の会議は15分で終わります!」と宣言してから始めたりする。兎にも角にも一人の遅刻者の為に、会社全体の業務が遅れることは避けなければならない。時間や期日を守れない人に共通しているのは、こちらに対して形式的な謝罪はあるものの、なんつーか、堂々としているっつーか、開き直ってるっつーか、こちらの厳しい注意にも「悪気はなかった」「不測の事態だった」なんつってケロっとしているところだ。てゆーか、そもそも「悪気がない」なんて、当ったり前じゃーねーっすか?遅刻に限らず、入力ミス、計算ミス、誤送信、失言、あらゆる仕事の失敗に悪気がないのは、大・大前提だ。みーんな悪気なく失敗している。それでも指導・処分されている。遅刻だって同じ。「悪気はなかった」で済まされる話ではない。たった一分の遅刻だって、失敗は失敗。少なくとも僕にとっては、しばらく落ち込むほどの大失敗だ。時間や期日を守らないから不測の事態が発生する。その不測の事態に追われているうちに、また別の不測の事態が生まれている。その不測の事態に追われているうちに・・・これぞ不のスパイラル。だから時間にルーズな人は、自分の仕事量や業績に反比例して、いつも忙しく、いつも騒がしく、いつも気が休まらず、年がら年中疲れ切っている。だいたい、不測不測っつーけど、仕事をしている以上、不測の事態なんてつきものだ。あるていどの不測は加味してスケジュールを組むべき。なーにを毎度毎度翻弄されとんじゃい。いい加減、不測の事態が起きることぐらい予測して仕事をするべきだと思う。時間や期日を守る、愚直に守り続けるって、すんげー頭使うのよ。「時間を守る」という単純な行動は、自分を成長させてくれる様々なきっかけに発展してゆくからね。例えば、遠方での打ち合わせの後、会社の会議に遅れずに戻るつもりなら、事前に打ち合わせが長引かぬよう、話をまとめる力がいる。たとえ途中でも、当たり障りなく中断を申し出る話術がいる。その後、この中断した内容をどうしていくかの応用力がいる。期日内に見積や図面を提出するのが困難なほど多忙な時は、他の誰かに依頼をしてでも間に合わせなければならない。その為には、その体制・人材をあらかじめ作っておかねばならない。その為には、普段から風通しの良い人間関係を構築しておかねばならない。絶対遅らせることの出来ない工期がタイトな現場があれば、今日はどこまで工事を進めるべきか、という計画が必要だ。となれば、午前中にはどこまで進めておくべきか、という計画が必要だ。となれば10時にはどこまで、9時にはどこまで、今から30分後にはどこまで。そして、計画より実施が遅れれば、工事の速やかな立て直しが急務だ。そんな調子で、時間さえ愚直に守り続けて仕事をしていれば、いつのまにやらびっくりするぐらい、自分ってなあ成長しているものだ。僕が一介の現場作業員から監督になった時、オフィス内で高卒は僕だけだった(今も)。僕はチビで、きゃしゃで、体力もなかった。人前で上手に話せなかった。てか、敬語を知らなかった。電卓を叩いても、間違いだらけだった。パソコンなんて、まともに使えなかった。ネクタイすら、まともに締められなかった。そんなだからか、当時の事務員さんが、僕にだけ明らかに欠けた湯呑でお茶を出し続けた。まったく、まわりとの能力の格差というものを、嫌というほど思い知らされる毎日であったが、たったひとつ、まわりと僕に平等に与えられているものがあった。それが、時間だ。神様は、僕たちに、時間だけは平等にあたえて下さった。時間の与えられ方においては、学歴も、体力も、見た目も、関係ない。時間はいつだって、フェアだった。だから僕は、この大切な時間を正しく使うということに、執拗にこだわった。社会人としての最低限のルールなどと言われながら、実のところ、ほとんどの社会人がまるで出来ていない、時間を守る。このことに、僕は今も、異常にこだわっている。気が付いたら、部長になっていた。仕事なんてなあ、やたら難しく考えず、時間さえ守っていればいい。これでいーのだ。だから、僕にはビジネス書なんていらない。にほんブログ村↑ポチッと一枚!買ってくれた人がいたらしい。ものすんげー嬉しそうだった妻のルーム↓
2020.12.11
僕は、会社では「業務部長」という役職に就いている。うちは小さな会社なので、部署は「営業部」と「業務部」しかない。したがって「営業部長」が管理する営業に係る仕事以外は、必然的に全て僕が管理することになっている。工事監督、職人、事務員などは、役職上全て僕の直属の部下にあたる。んでもって、立場上、年齢男女問わず、僕は部下たちに「指導」なるものをせねばならぬわけであるが、普段から僕は部下に対して、声を荒げて怒鳴ったり、ネチネチと粘着チックな指導をしたりはしない。我を見失うほど感情的になったり、だらだら無駄に時間を割いたりするほど、正直言って他人に興味を持てないのだ。僕が、彼彼女らに一貫して言うことは、たった三つのこと。笑っちゃうほどシンプルな三つのことである。それは、① メモとれー。② 時間守れー。③ 片付けろー。ははは。その時々で言い回しは変われども、基本的にこの三つのこと以外は言っていない。何故なら部下のミスをよくよく検証すると、ごく単純に、この三つのうちのどれかが、訂正になされていないのが原因だからだ。はっきり言って「ばりばり仕事の出来る人」になりたいのであれば、メモをとり、時間を守り、身のまわりを綺麗に整理整頓し続けていればよいのだ。どんな仕事も根本は同じ。単純な仕組みだ。僕はそう断言できる。そして、んーなアホな、んーなもん初歩だぞ、と思われるほどシンプルなこの三つのコトガラを、何故かみんな愚直に続けられない。ちょいちょいサボる。出来ない人があまりにも多い。というわけで、今回はその三つのうちの、「メモをとる」について、僕の見解を書いてみたいと思いまする。以前、うちに入社したばかりの若手社員を、一般のお客様宅の調査に同行させた時、打ち合わせの内容を事細かにメモをとる僕の横で、その若手社員は、お客様の目を真っすぐに見ながら、ただフムフムとお話しにうなずくばかり。ぼ、僕は、びっくりらこいてしまった。打合せの後「あのさ、君は何でメモをとらないの?」と問うと、「僕、記憶力いいんで。あれぐらいの情報、頭に入ります。」とのこと。ぼ、僕は、愕然としてしまった。あのね、職場は記憶力を競うところじゃないよね。仮に君の記憶力が、神がかり的によくても、僕はそれに対して君に微塵の評価もしないよ。例えば君の家に二社の水道業者が調査に来たとして、一方は懸命にメモをとり、もう一方は「僕、記憶力ちょーいいんで」なんつってる。どっちが安心? どっちが誠意ある? どっちの業者に依頼したい?君の記憶力なんてのは、せいぜいプライベートのトランプゲームで披露してくれればいいから、仕事中は、どーかこのとーり、メモをとってちょーだい。君がどうしても職場でその自慢の記憶力とやらを発揮したいのであれば、百歩譲って上司や取引先やお客様の前では、せめてメモをとるフリだけでもしてちょーだい。ね、先ずはそこから始めよう。まあ、その後はぺーぺーなりに、ちゃんとメモをとるようになったが・・・。彼に限らず、僕はいつも、出会うビジネスパートナーがメモをとらない人だと、凄くあせる。こわっ、と思ってしまう。とても不安になる。我々建設業界では、両手がフリーになるような、胸ポケットに入るサイズのメモ帳を持つ人が多いが、僕はかなり大きめのスケジュール帳を愛用している。胸ポケサイズじゃあ、とてもじゃないけど書ききれないからだ。大きめの月割り予定表欄に、その日の予定・業務・発注材料・注意事項・恐妻の指令にいたるまで、ありとあらゆる要件を事細かにメモしていく。要件の済んだ事項は、そのつど赤ペンで横線二つで消し込む。その日の要件が全て消し込まれたら、完全に終了した証として、その日付のメモ全体を大きなバツ印で潰す。例えば月曜日に書いた要件が週末になっても済んでいなければ、とても焦る。早くバツ印で潰したくなるので、優先的に要件を済ませにかかるのだ。また、白紙のフリーメモ欄には、現場での調査事項や打ち合わせ事項を記入したり、先方やお客様との打ち合わせの際に、施工説明や今の自分のロジックを図にして説明するのに使用する。その際、僕は黒・赤・青・緑・ピンクのペンを必要に応じて使い分けて記入する。だから僕はどこへ行くにも、大きなメモ帳と大きな筆箱をワンセットで持って移動している。このように入念にメモをとっていると、おのずと自分で書いたメモを軸として、まるでメモに自分が突き動かされるように仕事をするようになる。最近は、現場調査や打ち合わせの時も、スマホのカメラや、ボイスレコーダーで記録が簡単にとれるが、僕としては、それと並行して、あえて手でメモを書くことを部下にすすめている。手で書くことによって、その情報に対して明らかに脳が動き出す実感があるからだ。また、メモをとるからには、その情報の要点を掻い摘んで、瞬時に簡潔な言葉に置き換える作業が必要なので、情報の本質を速やかに掴む訓練にもなる。ちなみに、僕は仕事の資料を読みつつ、同時に片手でメモをとり、その資料をもとに作成するレジメなどの構成を、その場でさっさと考え始めたりしている。人の記憶ほど、あてにならないものはない。今日あった出来事など、明日憶えているはずがない。それを大前提に仕事をしない人を、僕は信用できない。そういう人は、いつも不毛な言った言わないの論争ばかりしている。メモをとる。記録に残す。仕事の、基本の「き」だ。今自分がどんな情報を得たのか、書くことで瞬時にアウトプットしてみる。業務の、いろはの「い」だ。人の記憶ほど、あてにならないものはないが、メモをとる。これだけは、常に記憶の片隅に置いて仕事をしたいものだよ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!仕事ん時の僕は、けっこー認めている妻のルーム↓
2020.12.09
なるほどー、保護色ってこういうことかぁー。みなさん、こんにちは。今日の「家曜日」、主役はうちのフレンチブル、ウリ嬢です。御覧の通り、毛並み・毛色が、ソファーとの擬態感、ぱねえっす。あのさ、君はさ、いったいどんな敵から身を守っているの?そう聞きたくなる衝動を禁じざるを得ません。おや?・・・ふて腐れておりますな。・・・見事なまでの腐れっぷり。あたい、今、ちょーご機嫌斜めですから!そんな彼女の心の声が聞こえてきそうです。あたいはしょせん かごの中の鳥 束縛の身 かーごーめ かーごーめ・・・そんな彼女の心の唄が聞こえてきそうです。あーいあーい、分りやしたよ、お散歩っすね。お散歩連れてきゃよろしいんでござんしょ。というわけで、今回は妻こだわりのワンちゃんリードを紹介しまーす。こちらは「2cm幅の強度2頭引き肩がけリード」といいまする。妻のルームでも紹介してまっし。↓本来は、中型犬を2頭一緒に散歩させる目的のリードなのですが、妻は、このように首輪とハーネスの二つにリードを繋げて使用しています。なんかね、散歩中に首輪が抜けそうになったことがあるんだって。妻、顔面蒼白。だからといって、ウリちゃんは腰が弱めだから、ハーネスでぶいぶい負担かけるのもどうかと。ということで、このように二刀流で不測のピンチに備えているとのことです。心配性の妻らしい。肩掛けなので両手がフリーになります。モデルは、妻のU子さん。なんかね、車がびゅんびゅん走る車道に飛び出し、逃げ回るビーグルと、それを追いかける、うっかりリードを放してしまった飼い主さんを、街中で目撃しちゃったんだって。妻、顔面、限りなく透明に近いブルー。ということで、このように不測のピンチに恐れおののきながらお散歩するんだって。ノミの心臓の妻らしい。あの、モデルさん、両手フリー感、もっと分かりやすく伝わるように。とお願いしたら。短い両手を天高く、思いっきりバンザイして下さいました。おい!ゆるキャラ!家の中では、着ぐるみを脱げ!そう叫びたくなる衝動を禁じざるを得ません。ちなみに、一応はリードのしつけが出来るようにと、このように、手で持つ所をオプションしています。これも、完全オーダーメイドならでは。というわけで、ウリちゃんと、初冬の夜の公園をお散歩。そもそもフレンチブルは興奮すると、わーっとなって歯止めが利かなくなるタイプの犬種なのですが、ウリちゃんは、その中でも、群を抜いてわーっとなるタイプなので、散歩のはじめは、引っぱるわ暴れるわ、しばらく手が付けられません。確かにこのリードは、僕らの強い味方なのです。普段から「これは大変良いモノだから、くれぐれもウリちゃんに噛ませないでね」なんつって妻に再三忠告されてはいるのですが・・・・・・あたやだ、噛んでる。噛みちぎるほどに。燃えたよ・・・。まっ白に・・・燃えつきた・・・。まっ白な灰に・・・。このように、散歩から帰ると、しばらく「あしたのジョー」の最終回状態です。最近は少し気性が安定してきたかなあ、とは思うものの、まだまだ、やんちゃガールなウリちゃんなのでした。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.12.06
【原始人の会話①】草原で焚火を囲み語らう原始人A・B・C。原始人A 「あのさ、僕、思うんだけどさ」原始人B 「ウホ?」原始人C 「ウホ?」原始人A 「僕ら今さ、ウンコとか、道端でしてんじゃん、あれってどうなの?」原始人B 「え、何、何、あらたまっちゃって。てゆーか野グソって、僕らの常識でしょ」原始人A 「今さ、怖い病気が流行ってんじゃん。いっぱい人が死んでんじゃん。伝染病っつーの?これ、野グソが原因だと思うんだよね。よくよく考えたら野グソって、ものすげー不衛生じゃね?」原始人C 「たしかにそーね。てゆーか、そもそも人前でお尻丸出しで脱糞ってどーなのって話よね。やっばい、私、ちょー恥ずかしくなってきたんですけど」原始人A「だからさ、これからは排泄行為は限定した場所で隠れてするようにしねえ? さしあたってその場所を【トイレ】とでも呼んでさ」原始人B「俺はそんなの認めねーよ! 俺はこれまで通り、好きな時に好きな場所で脱糞するからな!だいたいトイレの効果だって限定的なものだろ!このトイレ脳!」原始人A 「いつの時代もいるよね、こーいうヤツ。てか、ほっといて、先ずは始めてみようぜ」原始人C 「ウホ」こうして人類は、いつしかトイレで排泄をするようになった。その結果、伝染病の死者は減少したという。やがてトイレは人類の文化や常識として根付き、例えば、まわりに誰もいない無人島のような場所であっても、ごく自然な行動として、限定した場所で隠れて排泄をするのである。【原始人の会話②】草原で焚火を囲み語らう原始人A・B・C。原始人A 「あのさ、僕、思うんだけどさ」原始人B 「ウホ?」原始人C 「ウホ?」原始人A 「僕ら今さ、全裸で生活してんじゃん、これってどうなの?」原始人B 「え、何、何、あらたまっちゃって。てゆーか素っ裸って、僕らの常識でしょ」原始人A「今さ、怖い病気が流行ってんじゃん。いっぱい人が死んでんじゃん。流行り風邪っつーの?これ、全裸が原因だと思うんだよね。よくよく考えたら全裸って、ものすげー不衛生じゃね?」原始人C 「たしかにそーね。てゆーか、そもそも人前で乳放り出して生活ってどうなのって話よね。やっばい、私、ちょー恥ずかしくなってきたんですけど」原始人A「だからさ、これからは動物の毛皮や植物の繊維を身にまとうことにしねえ? さしあたってそれらを【服】とでも呼んでさ」原始人B「俺はそんなの認めねーよ! 俺はこれまで通り、すっぽんぽんのぶ~らぶらで生きていくからな!だいたい服の効果だって限定的なものだろ!この服脳!」原始人A 「いつの時代もいるよね、こーいうヤツ。てか、ほっといて、先ずは始めてみようぜ」原始人C 「ウホ」こうして人類は、いつしか服を着るようになった。その結果、流行り風邪の死者は減少したという。やがて服は人類の文化や常識として根付き、例えば、まわりに誰もいない無人島のような場所であっても、ごく自然な行動として、服を着て生活するのである。【原始人の会話③】草原で焚火を囲み語らう原始人A・B・C。原始人A 「あのさ、僕、思うんだけどさ」原始人B 「ウホ?」原始人C 「ウホ?」原始人A 「僕ら今さ、素顔で生活してんじゃん、これってどうなの?」原始人B 「え、何、何、あらたまっちゃって。てゆーか素顔って、僕らの常識でしょ」原始人A「今さ、怖い病気が流行ってんじゃん。いっぱい人が死んでんじゃん。新型コロナウイルスっつーの?これ、素顔が原因だと思うんだよね。よくよく考えたら素顔って、ものすげー不衛生じゃね?」原始人C 「たしかにそーね。てゆーか、そもそも人前で顔面むき出しってどうなのって話よね。やっばい、私、ちょー恥ずかしくなってきたんですけど」原始人A「だからさ、これからは口元を布で覆い隠すことにしねえ? さしあたってその布を【マスク】とでも呼んでさ」原始人B「俺はそんなの認めねーよ! 俺はこれまで通り、むき出しのツラ晒して生きていくからな!だいたいマスクの効果だって限定的なものだろ!このマスク脳!」原始人A 「いつの時代もいるよね、こーいうヤツ。てか、ほっといて、先ずは始めてみようぜ」原始人C 「ウホ」こうして人類は、いつしかマスクをするようになった。その結果、新型コロナウイルスの死者は減少したという。やがてマスクは人類の文化や常識として根付き、例えば、まわりに誰もいない無人島のような場所であっても、ごく自然な行動として、マスクを装着して生活するのである。ちなみに、会話の①と②は、ネアンデルタール人あたりの原始人を想定して書いた。また、会話③は、数万年後の未来人から見た我々現代人を想定して書いた。我々が、ネアンデルタール人も、クロマニョン人も、北京原人も一括りで「原始人」と呼ぶように、数万年後の未来人から見れば、ネアンデルタール人も我々も所詮は一括り。サルが二足歩行をはじめて間もない時代の、同じウホウホ扱いであろう。酷な話かもしれないけれど。一度排泄を覆い隠した以上、人がそう簡単に野グソフルライフに戻れないように。一度服を着てしまった以上、人がそう簡単に全裸フルライフに戻れないように。一度マスクをする生活が定着してしまった以上、現実問題、そう簡単にノンマスクライフなんて戻ってこないと思う。良くも悪くも、この新型コロナウイルス禍において、我々は、他人の吐く息の恐ろしさに気が付いてしまったのだ。例え新型コロナウイルスが完全に終息したとしても、恐らくマスクや消毒の文化は根付くと思われる。泣くな。喚くな。で、あるならば、したたかに進化あるのみ。お前さんはひょっとして、我々が人類の最終形態であると思うたか? そいつぁ~おこがましいにもほどがある。お前さんはひょっとして、今を末世と嘆いているのか? そいつぁ~おこがましいにもほどがある。しょせんウホウホ。まだまだウホウホ。僕らは、今だ、進化の途中なのだ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!恐るべき愛妻のルーム↓
2020.12.04
ねえねが、10歳になりました。バースデーケーキのイラストは何にする?という妻の質問に、「鬼滅の刃の、霞柱・時透無一郎君!」と、長女は即答したそうです。ケーキを注文してから数日間、妻は、どーしても腑に落ちないっちゅーか、納得いかないっちゅーか。いーんだけどさ、別にいーんだけど、念のため、あくまで念のため確認させてね。無一郎君のどこが好きなの? こんな黒い学ラン着た男の子、どちかっつーとキャラ地味めじゃん? てかバースデーケーキに不向きじゃん?と、けっきょく誕生日前日に、長女に聞いちゃったらしい。そしたら長女のやつ。もちろん、好きなのは善逸だよ。でも好きなキャラって食べにくいじゃん。無一郎は、ふつー。だからふつーに食べれる。だって。・・・な、な、な、何て?・・・め、めんどくっせー。いちいち、めんどくせえ!というわけで、本人が「たいして好きでもないキャラ」がこれ見よがしに描かれたケーキを囲み、みんなで、どうテンション上けていいやら困惑しながら、かろうじてハッピーバースデー。プレゼントは、かねてからの予定どおり、自転車。サイズ的に限界になったこれまで乗ってた自転車は、次女にお下がり。こっちは喜ぶ顔が見たくてやってんのに、何であの子は、ああやって人をがっかりさせるのかしら。我が子ながら、まったく理解しかねる。そう嘆く妻に、だ、だよね~、なんつって、同調しつつ、実のところ、僕は長女の気持ちが分らんでもない。せっかくのバースデーケーキだ。雑念なく心から美味しく食べたかったのだろう。だから、食べるのが惜しくなる一番好きなキャラを避けた。それだけの話だ。僕は長女の考えていることが、おおよそ分る。嫌になるほど、性格がよく似ているのだ。たとえ世界中が、お前に、うーんって感じでも、パパはお前の理解者だから。と、直接本人に伝えたこともある。これはべつに、家族のなかで長女が一番好きとか、そんな次元の話ではねっす。ちなみに僕は、もしも妻、長女、次女がアイドルユニットだったなら、そのライブでは、次女のハッピを着て、次女のウチワを持って、ゴーゴーラブリーラブリー次女ちゃーん!と叫ぶ。かわいいから。また、妻、長女、次女が、同時に川で溺れていたら、迷いなく一番に妻を助ける。一番大切だから。でも、長女は、ちーと違う。僕は、大勢の子供たちが遊ぶ大きな公園で、迷子になった彼女をすぐに見つけ出すことが出来る。幾千の名もなき七夕の短冊の中から、すぐに彼女の願い事を探し出すことが出来る。幾万の名もなきメッセージカードの中から、すぐに彼女の書いた「彼女が望むモノ」を見つけ出し、その靴下にそっとプレゼントを偲ばすことが出来る。分身だから。「分りあう」とか「歩み寄る」とか、本来それをするのが困難な関係の者同士が使用する為にある言葉だと思うのです。時に、そんな言葉をわざわざ発する必要のない、自然と居心地のよい人物と出会う機会がある。それは、親兄弟という血の繋がった関係であってさえ、そう簡単に得られる出会いではないのだが。長女には、僕という揺ぎ無き理解者がいる。理解者が、実の親であり、父である。もうそれだけで、彼女はけっこーな幸せ者だと思うのである。この小便臭い小むすめ!ちったーパパに感謝しやがれ!心があるのか無いのかよ―分らん長女の、まるで時透無一郎君のようなスカシ顔を見るにつけ、そう思うのである。たはは。妻のサプライズプレゼント。善逸の懐中時計。長女、めちゃめちゃ喜んどった。あはは。この小便臭い小むすめ!パパの何倍もママに感謝しやがれ!ママ泣かせたら承知せんぞ!心があるのか無いのかよ―分らん長女の、まるで時透無一郎君のようなスカシ顔を見るにつけ、そう思うのである。ぶはは。にほんブログ村↑ポチッと一枚!奔放な長女にいつも振り回されている、生真面目な妻のルーム。↓
2020.11.29
長女がこの11月で10歳になる。もーとっくに10歳だと思っとったでかんがや。まんだ9歳なんだって。あっそ。ふえー。さて、長女の誕生日を過ぎれば、次なるイベントはクリスマスってこって。子供たちが、待ちに待ったサンタクロースのプレゼントてこって。はて、今年は何をいただけるのでしょうか。てかさ。保育園児の次女は、いまだ無邪気にサンタを信じまくりなんすけどね。10歳ともなる長女の方は、ま、ハッキシ言って微妙でね。今年こそは夜通し眠らずサンタの正体暴くべし! サンタ確保すべし!なんちゅー発言もチラホラ。はははは。んで、困ったことに、うちの長女ってば、そういう「サンタ狩り」的なこと、実際に行動に移しそうなタイプなのよね、歴然と。まあ、そんなこんなで、実はフィンランド在住のサンタクロースと繋がりがあるという、恐るべき人脈をもつ妻が、先日、サンタさんから重要なラインが来た、という報告を子供たちにしてました。その報告とは、今年のクリスマスは、この新型コロナウイルス禍につき、感染予防対策として、サンタさんは、子供たちの枕元にプレゼントは置きません。誰もいないリビングに、ちゃっと置いて、ちゃっと帰ります。チビッ子諸君、悪しからずご了承してちょーす。とのこと。・・・なるほど、ベリーナイスだ妻。いいや、サンタさん。このご時世、サンタクロースも、ソーシャルディスタンスなのね。にほんブログ村↑ポチッと一枚!U子のモノ↓ちなみに、明日も、明後日も、更新しまっし。
2020.11.21
穏やかな土曜日の午後。 仕事中、年末調整の件で、妻に確認しておきたいことがあったので電話した。 ぷるるる ぷるるる ぷるるる ぷるるる ぷるるる ぷるるる ・・・遅せえなあ、もう。 ぷるるる ぷるるる ぷるるる ぷるるる ・・・ったく、早く出ろっつーの。 ぷるるる ぷるるる 妻 着信 ・・・もひもひ ・・・く、喰ってやがる。 完全に何か喰ってる時の「もしもし」だ。 ・・・あの、君、今、なんか食べてる? ・・・おにぎり。 ・・・おやつ。 ・・・・喰ってやがる。 こともあろうに、おやつにおにぎり喰ってやがる。 仕事中につき、自宅でのんびりおにぎり喰ってる妻に、若干イラっとしつつ、 要件のみ伝えて、電話を切る。 小一時間後。 確認し忘れたことがあったので、再度妻に電話。 ぷるるる ぷるるる ぷるるる ぷるるる 妻 着信 ・・・もふもふ ・・・・く、喰ってやがる。 間違いなく、お口いっぱいに頬張っている時の「もしもし」だ。 ・・・あの、また、何か食べてる? ・・冷や飯。・・小腹。・・食塩。 どうやら、小腹が空いたので、冷や飯に食塩をかけて食べているようだ。 てか、なぜにカタコト? その夜、残業が終わり、妻に帰るコール。 ぷるるる ぷるるる ぷるるる ぷるるる 妻 着信 ・・もほもほ ・・・よ、よーしゃなく、喰ってやがる。 ・・・よーしゃなく、ドンぶりメシかっこんでる時の「もしもし」だ。 ・・・あの僕、今から、帰・・・ ・・新米。・・炊き立て。 ・・・き、聞いてもねえのに、答えてやがる。 三度のメシよりメシが好き。 そんな妻の大好きなお米やなんかも紹介してます。 実は楽天ヘビーユーザーの、妻のルーム。↓ 今日まで天文学的数の米粒を、美味しくいただいてきました。 今更これまでの本当は、実は嘘でやんした? 本当の本当は、お米は、カラダに悪いでやんす? やっばい、僕も妻も、お米ジャンキー、早死に太鼓判どどーん。 いやはや、この本当ってば、 本当は、お水は、カラダに悪い。 本当は、空気は、カラダに悪い。 僕らにとっては、そんぐらいナンセンスな本当なんだけれども。 僕も、妻も、お米のおかげで、すこぶる健康なんだけれども。 まあ、百歩譲って、それが本当の本当だとしても、 その本当も、次なる本当への通過点かもしれないわけであって。 いわゆるひとつの、僕が何を言いたいのかって言うと、 兎に角メシなんてもんは、難しい顔して講釈垂れながら食べるもんじゃねっす。 そっちのが、よっぽどカラダに悪いっす。 どんな健康食品も、不健全に食しては、絶対にカラダに悪い。 その逆も、然り。 これ本当。 まじ本当。 にほんブログ村 ↑ポチッと一枚!
2020.11.17
これ、うちの木工食器のお歴々。考えてみれば、うちってば、けっこー木工食器使ってんなあ。パスタを巻く時、あつあつスープをすする時、鍋〆雑炊をはふはふする時。熱伝導がないからね、熱いものは食べやすいよね。腹減った、メシまだあ?とある休日。遅く飽きた朝。うわあ、朝っぱらから、U子がなんかやっとる。おま、なーしとん?なになに、木工食器をメンテナンスしとる?木工食器は、長く使っていると、スプーンやフォークの先端が欠けたり、ところどころ傷や汚れが目立つようになってくるのだ。それを、紙ヤスリで磨いているんだって。こりゃまった、ご苦労様ですな。見よ!・・・はい、見てます。見てますとも。・・・てか、腹減ったんすけど。ちなみに、このスプーンとフォークは、木工作家・町田翔さんの作品だそうです。ヤスリがけを一通り終えたら、表面をオイルで仕上げていきます。木工食器のメンテに使用するオイルの種類については、様々なご意見があるようですが、妻は、市販のオリーブオイルを使用しているそうです。ごく少量をキッチンペーパーにしみ込ませ、食器を撫でていきます。てっかてか。すっべすべ。ケーキスタンドにも、オイルメンテを施します。こちらは、木工作家・サノアイさんの作品。うおおお、見て、ほら。モノが、嬉しそう。・・・てか、メシまだあ?にほんブログ村↑ポチッと一枚!こんな妻のお気に入りのモノを、もっとみなさんに紹介したいのですが、みなさんご承知の通り、僕ってば、書き始めると、ついつい自分のことばっか書いちゃうのよね。づぃぶんのことが、好んきだからああああ!っちゅーわけで、この度、妻にお願いしてROOMを始めてもらいましたよ。始めたばかりで、夫婦そろって何が何だか状態ですが、お暇でしたら、U子の部屋をのぞいてやってくださいね。↓
2020.11.15
素直になれ。物心がついた頃から、周りにさんざん言われてきた。ツラい時にツラくない。悲しい時に悲しくない。寂しい時に寂しくない。やせ我慢で、さも涼し気な顔。そんな子供だった。素直になれも何も、ツラい時にツラくない。悲しい時に悲しくない。寂しい時に寂しくない。その時の僕には、そう言わざるを得ない、押さえきれない衝動が、確かにあって、それは紛れもなく、今この瞬間、自分という人間は、かくありたいという、僕の素直な気持ちだったのだけれど。ぶっちゃけてる人が嫌いだった。すぐ開き直る人が嫌いだった。ツラい時にツラくない。悲しい時に悲しくない。寂しい時に寂しくない。そんなやせ我慢のなかに、大切なことがたくさんあった。そんなやせ我慢をするたびに、みしみしと骨がきしむ音がした。こうして僕は大人になり、いつしか僕のやせ我慢は、反骨心むき出しの「鈍さ」として仕上がった。我ながら見事な「先の尖った鈍感力」だ。僕はね。人は、鈍くあるべき時は、がんばって鈍くあるべきだと思うのです。食べ過ぎてはいけないと分かっていても、ついつい食べ過ぎてしまう。なんつって、ダイエットに失敗する時にかぎって、気持ちのどこかしらで、そんな自分を肯定しているところがあるように。呑み過ぎてはいけないと分かっていても、ついつい呑み過ぎてしまう。なんつって、二日酔いの朝に、台無しになった一日を後悔つつ、気持ちのどこかしらで、酒をこよなく愛する自分が好きだったりするように。気にしてはいけないと分かっていても、ついつい気にし過ぎてしまう。そんな「繊細さん」的自分を肯定してしまう時が、僕にだってあるのです。いやホント、まじまじ。全くゼロではなのよね。繊細な自分が心から嫌いか? 繊細な自分に憎悪すら感ずるか?と問われると、実際のところ、そんな自分が、けっこー好きだったりするものです。でも、やっぱ、あれっすね。少し冷静になって、自己を客観的に見てみれば、食べ過ぎも、呑み過ぎも、気にし過ぎも、同じようにルーズな印象しかないっすね。何事も、度が過ぎるのは、だらしがねっす。そんな自分は、ポイっと捨てちまうにかぎる。重ねて言うが、人は、鈍くあるべき時は、がんばって鈍くあるべきだ。ちなみに「鈍さ」は、必ずしも天性のものではねっす。人工的に作り上げることも出来る、と僕は断言できる。だって、その生き証人が、ここにいるからね。まあ、友っちゅーか、同士っちゅーか、勝手にそう呼びたい人へ、気にすんなっつーの!色々あるっつーの!とっとと忘れろっつーの!なんつって、温かき励ましの言葉をかけるたびに、僕の何が悪いのか、てか僕に恨みでもあんのか何なのか、君に私の気持ちの万分の一も分かるまい、立ち去れ、この人でなし!的な言霊を、あまた頂戴してきた僕っちなのですが、ま、言うのはタダですからね。おいよー、あんま気にすんなよー。ぐらいのことは、この人でなしにも、どうか言わせていただきたいです。人は、鈍くあるべき時は、がんばって鈍くあるべきだ。んとぉー、ここまで書いて、書斎の窓から闇を愛でれば。スモッグだらけの薄汚い夜空に、まばらな星屑。都会の星たちが、今宵も鈍く僕を照らしておわします。今日なんて日は、仕事でクソ面白くねえことがあったけど、こんな日は、いつもの「先の尖った鈍感力」にまたがって、星空をぴゅーっと散歩して、忘れっちまうのさあ。自慢の鈍さにまたがりつつ、明日は、きっと良い日でありますように。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.11.13
僕の奥さんは、シンプリスト。てか、ぶっちゃけ、ほぼ感覚だけで生きとる。あ、これ、いい意味でね。僕なんか、とりあえずモノゴトは、難しく、ややこしく、回りクドく考え抜いた上で、炙り出された無駄を削ぎつつ、最終的にシンプルな答えに辿り着こうとする思考癖があんだけど。U子さんは、何ちゅーんだろ、俗にいう「女の勘」ってやつなのか、突然男の僕では考えつかない洞察力を発揮したりする。いわゆる「子宮で考える」ってやつなのか、突然コトの本質突く情感的発言をして、ちょこざいな僕の論理感を蹴散らしたりする。そう、僕の奥さんは、シンプリスト。モノゴトを、頭脳で汚さず、言葉に出来る人。母性本能をくすぐる。って言葉があんじゃん。子どもを守り育てようとする母が持つ本能的性質が、心地よく刺激される状態を表す言葉ね。これさ、的確な表現ではあるが、いささか回りクドいよね。僕の奥さん、ん~な回りくでー言い方しねーから。声高らかに、おっぱい出る!つーからね。んもぉ~、言葉が、脳ミソ経由せず、直だから。ははは。子のあどけない寝顔を見ては、は~、おっぱい出る!子のカワイイしぐさに胸押さえ、うおー、おっぱい出る!ペットの犬を、ソファーで撫でつつ、あ、おっぱい、ちょっと出た・・・。・・・出たんかい。ったく、コイツにゃ敵わん。歴然と。古い写真。思えば、この頃から敵わなかった。歴然と。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.11.10
ちっす、Qっす。妻っちが、先日やって来たUSMハラーのテレビ台に収納を施しましたよ。大好きな無印良品の収納アイテムを活用しとります。おお、VIPなポジションにドリフのDVD。よしよし、よー分かっとる。あ、スイッチここに来たのね。小物入れも、こだわりのムジー。この収納アイテムも、ムジーさん。見もせん所に、無駄にこだわっとる。嫌味なほど、きっちりしとる。はがっ!・・・コード類は、けっこーフリーダムなんだね。家はなかに住むために建てるのであって、外から見るためではない。イギリスの哲学者 フランシス・ベーコンの言葉です。よーするに、そもそもの目的は何ぞ? コトの本質を見誤るなよ。っちゅーこっちゃろ。考えてみると、この名言、「家」に限らず「暮し」のあらゆるコトに置き換えがききますね。車は乗るために買うのであって、外から見るためではない。服は着るために買うのであって、外から見るためではない。勉強は内なる自分のためにするのであって、外から見るためではない。結婚はお互いが幸せになるためにするのであって、外から見るためではない。そして、まさに、収納は、快適に暮らすためにするのであって、外から見るためではない。ということなのではないかと、僕なんかは思うわけである。「快適」の感じ方は、人それぞれ。書籍で足の踏み場もない読書家の書斎であろうが、画材の取っ散らかった芸術家のアトリエであろうが、残飯に埋もれるほどのゴミ屋敷であろうが、そこに住む人たちが、その環境を快適であると感じているのであれば、それは部外者がとやかく言うべき余地なき、大変幸せな暮らしなのであって、そもそも他人に迷惑をかけていないという大前提が守られている限り、外見や世間体を気にして、人に見られるための収納をする必要など、これっぽっちも、ぬわぁ~いのである。妻が、だぁ~れも見もせん所に、こだわりの無印良品でこだわりの収納をして、一人ウッキウキしているのも、これは、あくまで妻の快適。 妻の幸せ。イイもワルイも、ねっす。正解も間違いも、ねっす。んーなもん、どこにもありゃしねえっす。そして、収納なんぞに、まるで興味のない僕は、ただ身の程をわきまえて、いつも黙って、微笑ましく、妻のすること見ている。ははは。ちなみに、我が家の廊下は、悲しいほど、なーんもない。家具はもちろん、絵も、花も、雑貨も飾ってはいない。これはこれで、妻の快適なのだ。そして、突き当りの収納扉を開けると・・・んがっ!窒息収納!いやはや、これはこれで、妻の快適なのだ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.11.08
仕事しとったら、妻から、突如こんなラインが届いた。愛知県東郷町にある「ららぽーと」に来ているとのこと。早く連れて行ってよ!と、さんざんせがまれていたのだが、めんどっちいので、ずっと知らん顔しとったら、意を決して、遠方まで自力で運転して行きよった。子供らと、アニマルカフェで、遊んどる。お、おーーーーーい!お、おーーーーーい!お、おいってば!おいってば、おい!・・・蛇柱かよ。ったく。しれっと「じゃあ仕事がんばって」じゃねーっての。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.11.07
庭のモミジが猛威を振るっておられます。ちゅーわけで、オラ、さっそく剪定するっす。先ずは、真上に強く太く伸びる枝を枝元から切るっす。これ、去年強く切り詰めた枝が、懸命に再生しようと、異常な伸び方をしてんだね。この枝を「徒長枝」と言います。植物もヒトも同じだね。深く傷ついた部分は、いずれ、いびつに急成長をします。ははは。徒長枝を間引いたら、今度は放射線状に伸びる枝だけを残すため、上方、下方、逆方向に伸びた枝や、重なりあって混雑した部分の枝を、同じく枝元から間引きます。あとは、気になる枝先や葉先を、ちょいちょいと切り落とせば、ほい、完成。上等上等、ま、こんなもんだ。あとは、紅葉を待つばかり。実はオラ、すんげー若い頃、庭師を三年ほどやったことがあります。バカボンのパパに憧れてね。いや本当マジマジ。あははは。めっちゃ楽しい仕事だったなー、めっちゃ給料安かったけど。ぶぁはは。機会があれば、もう一度庭師さんやりたいな。老後とか、シルバーさんでもやろうかな。ま、天職は、今の仕事なんだけどね。今日も、西から昇る朝日に感謝。明日も、東に沈む夕日に深謝。これでいいのだ。それではみなさん、おやすみなさい。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.11.06
時は昭和。僕は幼少期にボロボロの長屋で暮らしていた。夏休みのある日、同じ長屋の西端に住む友達のマー君に、突然カミングアウトされた。Qちゃん、僕、インキンなんだ!まだ毛も生えてない小学校低学年の子供がインキンタムシになるのだ。当時どれだけ僕たちが不衛生な環境で生活していたか分るだろう。Qちゃん、痒いよ!痒くて痒くてたまんねーよ!た、大変だね。Qちゃん、僕を助けてよ!ぼ、僕に出来ることなら協力するよ、友達じゃないか。僕は快くそう言った。ありがとう!じゃあ早速、今から僕と裸になって、あの屋根の上でチンコを干してくれ!・・・はい?お願いだ! 僕と一緒にチンコを干してくれ!マー君が言うには、インキンタムシは紫外線に弱く、古くから太陽に晒すという治療法がある。長屋の瓦屋根の上で、さも日光浴をしているかのように、紫外線治療をしたい。でも、一人じゃ恥ずかしい。とのこと。お願いだ! Qちゃん、裸とか得意だろ?べ、べつに得意じゃないよ!!とはいうものの、友達のたっての頼みだ。僕はシャイなマー君を気遣い、お先にテキパキと全裸になり、あらヨってな感じで二階の瓦屋根に寝転がった。その後全裸のマー君が、恥ずかし気にはにかみながら、僕の横に寝転がり、念願かなって、痛々しくただれたチンコを太陽の下に晒した。こうして僕は数日間、インキンでもないのに、インキンのマー君に付き合い、チンコを干した。傾いたボロ長屋の屋根の上で、小学生が二人全裸でチンコを干しているのだ。今なら即刻問題案件なのだが、時代のおかげか、単純にうちの近所の地域性か、僕の母も、マー君のお母さんも、近所の人たちも、僕らを見ては、けたけた笑うばかりで、特別注意もしなかった。おかげで、マー君のインキンはすっかり完治した。ちなみに、マー君のインキンが治ってからも、僕は一人でチンコを干し続けた。クセになったのだ。裸で屋根の上に寝転がり、夏風に吹かれながら、青い空を見る。何とも言えない爽快感だった。大人になり、無駄なモノゴトを、あまた身にまとうことを余儀なくされても、心のずっと奥の方は、さんさんと降りそそぐ太陽に、全裸でチンコを晒す自分でありたい。そうだ、僕という人間は、これだ!!子供ながら、漠然とそう思った。その夏、僕は、チンコを干し続けた。夏の終り、さすがに、母がキレた。夕方になっても全裸で屋根の上にいる息子に、ご近所じゅうに響き渡る声で叫んだ。いつまで干してんだい!皮がむけたらどーすんだい!千葉生まれの母の、名古屋では聞きなれない関東弁に、子供ながらビックリした。なんだか分かんないけど、母のその言葉で、突如として、すっかり消滅していたはずの僕の「羞恥心」ってやつが蘇った。僕は顔を真っ赤にして、両手で前を隠しながら、そそくさと屋根を下りた。以後、二度と屋根に上がるのをやめた。え~、そんなこんなで「鬼滅の刃」を観てきました。ははは。時は令和。不安定な時代の傾きに感化され、ついついコトを斜に構え、皮肉、からかい、イジリ、イジメがばっこするこの社会に、さもすれば、どっぷり染まりそうになる。そんな自心に、呆れるほど真っ直ぐな炎柱・煉獄杏寿郎の言葉が、グッサグサと痛く刺さり、子供の前で、思わず感極まるのを、太陽の光に弱いのは、鬼ばかりではない。インキンも、弱い。なあーんつって、必死でアホなことを考えながら、あふるる涙、堪えに、堪えて、でも結局、さめざめと泣きました。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.11.04
公(おおやけ)と、私(わたくし)。あくまで僕の場合ですが、これまでの半生を振り返ってみても、仕事で、家庭で、人間関係で、あらゆる場面において「私」の自分ってのが、自身を成長させ、何かしらの成果を掴む原動力となったというケースは、極めて少ないと記憶しています。てか、一度もないと言い切ってしまっても、ほぼ差支えないのですが、すっかり忘れている希少な事柄もあるやもしれぬので、この場合、念のため「極めて少ない」と記しているわけです。プライベートな、ありのままの、本来の、正直な、内なる、もって生まれた的な、みなさんは、そんな「私」が好きですか?みなさんの「私」は、自分を成長させてくれてくれる存在ですか?僕の「私」は、頑固で、偏屈で、自堕落で、ずる賢く、向上心のない、ロクデナシなので、僕は自分の「私」が、あまり好きではありません。けっこー嫌いです。正直彼とは、あまり関わりたくありません。例えば、仕事で、家庭で、人間関係で、眼前の難局に立ち向かわねばという時に、または、立ち向かっている真っ只中に、いつだって「私」の野郎がひょっこり顔を出し、僕に囁くのです。こんなことして何になる?そこまでする意味がどこにある?なんの得がある?いくらになる?つらい。キツい。休みたい。逃げたい。そして、とどめの決め台詞。一度きりの人生、自分らしく生きよう。やりたいことだけやって、楽しく生きよう。これ、僕ら世代の成功者が、執拗に宣う悪魔の囁きですね。もとい、今の時代は、天使の囁きか。そんな時、必ず「公」の自分が颯爽と現われ、僕を叱咤するのです。僕の「公」は、「世の為、人の為に生きよう」的な、「社会人として、この国や地域に貢献しよう」的な、そんな、もっともらしい説教はしないヤツなんだけれども。ただ、いつもぶっきらぼうにこう言います。自分らしく生きる。やりたいことだけやって生きる。楽しく生きる。人は、そんな欲の無い生き方をしてはいけない。人は、もっと欲深くあるべきだ。自分らしい生き方も、自分らしくない生き方も、やりたいことも、やりたくないことも、楽しいことも、楽しくないことも、生きているうちに、片っぱしから根こそぎ体験し、惜しみなく、徹底的に自分を使い切る。それこそが贅沢な人生だ。やりたいことだけやって生きる?そんな謙虚な生き方をしている暇はない。そんなこんなで、長らく「公」の自分ばかりを奮い立たせて生活していると、かつては、先ず「私」の自分ありきで、社会に出向く時にだけ、家の玄関扉の前で「公」を身にまとっていたのが、いつしか、「公」の割合が、自分の大半を占めるようになり、気が付くと、家路辿り着いた玄関扉の前で「私」を身にまとっている自分がいたりする。べつに、この感覚は嫌いじゃない。むしろ着心地は良い。そして、この感覚は決して特別なものではなく、ある一定の社会人は普通に持ち合わせていると思う。時代がこういった発言をはばかるから、あえて言わないだけであってね。兎にも角にも、プライベートな、ありのままの、本来の、正直な、内なる、もって生まれた的な、そんな自分だけが、本当の自分じゃないってコトよ。「公」のミーも、「私」のミーも、どっちも本当のミーざんす。以上、色づき始めた京都は嵐山「天龍寺庭園」の風景と共に、はんなりとお送りしました。仕事の方は、相も変わらずバタバタですが、歩む姿は、しゃなりしゃなりと行きたいものどす。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.11.03
次女は、こまっちゃくれ。姉がいるからか、言葉の覚えも早く、発言もおませさん。先日も、姉妹の何気ない会話を聞いていたら、姉の「ハイハイ」という気だるい返事に対して、次女のやつ、妻が子供らを叱る時のような厳しい口調で、ハイハイは、一回っ!だって。 ななな何て?? こらこら、人を言葉の迷宮にいざなうな。ははは。そんな、ちゃくれきれないこまっちゃくれ、次女の悩みが、お・ね・しょ。来年はピッカピカの一年生だというのに、いまだ忘れた頃に、お漏らしになられる。んで、ちょいちょい布団にアンモニアの世界地図を描かれてはかなわんと、いつからか妻は、次女に「おねしょズボーン」なるものを履かせるようなった。おねしょズボーンとは、迷える子羊がズボーンの中で、ぶっちぎりで自分を出し切っても、聖母マリーアのごとき愛で、その全てを受け止め、お布団にゃ一滴たりともおこぼれナティングという神なるズボーンだ。とはいえ、だからおねしょをしてよいということではなく、しちゃったらしちゃったで、ママに厳重注意はされるので、こまっちゃくれ嬢、しちゃった朝はママが寝ている隙に、こっそり僕のところへ来て、パパ、Oちゃん、おねしょしちゃった。お願い、ママに見つからないように何とかして。そうしたら、Oちゃん、パパにチューしてあげるから。などと言う。な、な、な、なんて女だ!よりによって色仕掛け!一番嫌いなタイプの女だ!おま、どこの子だ!馬鹿にするな!たかがチュー!されど、チューってことで、ノリノリで次女と隠ぺい工作に励むのである。ま、現実的にバレないはずが100パーないので、その後は、僕と次女は並んで脱衣場に立たされて、こんこんと妻に説教されるって流れになるわけだけれども。あはは。まあ、そのうち嫌でも便所でする。てか、お布団で放尿出来るなんて、今しかねーぞ。どうぞ悔いを残さぬよう、お漏らしになってね。気ながに、ほっとくから。ちなみに長女は、ほとんどおねしょをしなかった。おむつが外れてから、僕が憶えているかぎり三回ぐらいだったと思う。はじめてのおねしょで、ああ、おねしょとは、なんと気持ち悪き所業だ。と幼児ながら悟ったらしく、以後なきように自己を管理した。親の目から見ても、当時の長女は、三・四歳ながら、私は絶対おねしょなんぞせぬ!という揺るぎない自信に満ちていた。思い出すのは、そんな長女が三度目のおねしょをした時のことだ。ある朝目を覚ますと、窓から射すいっぱいの朝の光の中で、長女が自分のパンツをめくり、それを無言で凝視していた。パンツの股についた小さなシミを見つめながら、幼児が眉間にしわを寄せ、しきりに首をひねっているのである。少しだけ、漏らしたみたい。お~い、どうした?と、僕が優しく声をかけると、長女は実に怪訝そうにこう言ったのだ。・・・不思議。・・・ほら、汗。ここ、ピンポイントで汗かいた。君に問う!どう答える!正解が分らん!いやはや、浮世の人間模様は十人十色、子供のおねしょ模様も、十人十色なのだね。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.10.31
一生モノだから!一生使うから! 一生のお願い!と、妻の通算でもうすぐ三桁に迫ろうとする「一生のお願い」のひとつを、数か月にわたる攻防戦の果てに、白旗を上げ、うなだれ、聞き入れ。この度、晴れてテレビ台を買い替えました。とほほ。「USMハラー」というスイスのシステム家具メーカーのモノです。調べれば価格の相場なんてなあ、すぐ分るでしょうから、この度は、あえて購入額を発表いたします。・・・これ、20万しました。うおおおおおおおおおおおおお水も飲めやしない!あいにくテレビ台に20万かけるという思考回路を持ち合わせておりませんでしたので、金額聞いた時、一発で頭の配線がショートしましたよ、あたしゃ。扉の取っ手が、金庫みたいでシブっす。中は、こんな感じ。このように、棚も設置出来る。用途に合わせ、多種多様なプランニングが可能です。日本の鍛冶屋がUSMハラーの品質を見て「この価格帯は当然だよコリャ」と唸るんだって。なにしろ注文から納品まで二か月かかりますからね。素人目にみても、その「高品質」は、ひしひしと感じられます。また、驚くべきはその「普遍性」で、いざ我が家に招いて据え置いてみれば、何だかずっと前からそこにあったように空間に馴染み、いささか奇妙な感覚に襲われるほどです。一生モノの家具と出会いました。恐らくテレビ台を買い替えることは、もう無いでしょう。まあ、妻の「一生のお願い」の方は、これからも絶え間なく続くのだろうけど。さてっと、最後にもっぺん、この愛すべきリビングに向かって、おもっきり叫んどくか。うおおおおおおおおおおおおお水も飲めやしない!にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.10.25
妻が、無印のタオルやら何やら、大量に買い込みました。これ、みんな来年の選手ね。今使っているタオルたちは、今年初めの選抜メンバーで、一年間徹底的に酷使されたあげく、もうすぐタオルとしての役目を終え、年末の大掃除の日より、新たに誇り高き雑巾としてデビューする予定です。当然この新品君たちも、来年末には、同じ運命を辿ります。ドナドナ。妻は、新年を境に、粗方の生活雑貨を新調します。年末になると大好きな無印良品の雑貨が、何かと品薄になるので、早め早めに購入しておくのだとか。ちなみに、僕の妻は、タオルが似合います。これは、湯上りにバスタオルを巻いた姿が、すんげー色っぽいとか、そーいうんじゃ全然ねっす。妻は湯上りにバスタオルなんぞ巻いてくれません。いつもおチチ放り出してます。そーいうんじゃなくて、なんちゅーか、タオルを手にした時の、フォルムがいいんです。ごく自然と、タオルと馴染んでいる。風景として、とても据わりがいいんです。なんちゅーか、イメージとして、タオルが似合う女性というのは、良く言えば、生活感がある。悪く言えば、所帯じみている。って感じなのかな。要するに、存在が嘘臭くないんです。まあ、毎日飽きるほど見ている配偶者ですからね、生活感があるのは当たりなんすけどね。どうやら僕は、総じてそういう女性が好きみたいですね、歴然と。んじゃあ、男性のばやいで、僕がイメージするタオルが似合う人ってえと、これがどういう訳か、銭湯で湯上りにまたぐらをタオルでパコーンパコーンってやってる中年のおっさん。しか思い浮かばないのよね。とほほ。結局のところ僕は、そういう生活感ダダ洩れのおっさんも大っ好き。これも、否めないんすけどね、歴然と。てか、最近銭湯行ってねーなあ。明日あたり、パコーンパコーンしにいこうかなあ。んだはは。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.10.24
僕、そん時はじめて聞いたんだけどさ。うちの、次女がさ。今流行りの「香水」っちゅう歌を、ふにゃふにゃ歌っていたのね。んで僕、彼女が歌ってっんの、なに気に横で聞いてたんだけどさ。別に君をふにゃふにゃふにゃふにゃふにゃふにゃふにゃふにゃふにゃふにゃ思い出すふにゃふにゃふにゃふにゃふにゃふゃふにゃふにゃ香水のせいだよ~ななな、何て???舌っ足らずが、ふにゃふにゃ歌ってっから、歌詞が全然聞き取れなくれさ。ちょちょちょ、もっぺん歌って!つって、なんべんも歌ってもらったんすけどね。香水のせいだよ~香水のせいだよ~香水のせいだよ~まじ、ここしか聞き取れねーの。ははは。もうさ、逆にさ、こうなってくると、俄然この歌に興味湧いちゃうよね。いったいぜんたい、何が「香水のせい」なのか?執拗に、香水のせいだ!香水のせいだ!と、どんな責任を香水に擦り付けているのか?いったい香水が、そこまで言われなければならない何をしたというのか?香水の身になって考えたことがあるのか?うおお、知りてえ。歌詞の意味が理解出来ないのは、次女のふにゃふにゃ唱法のせいだよ~、ってことで、さっそくユーチューブで本家本元を聞いてみた。・・・うーーーーーーーん。やっぱりよく分からなかった。ななな、何て???お耳が舌を噛みそうな難解な横文字くだりからの、香水のせいだよ~、が僕を阻んだ。誰のせいでもない。僕のおつむのせいだよ。土日も更新しまーす。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.10.23
ぶおおお!絶景なり、伊吹ちゃん!こないだの日曜日、伊吹山に家族で行ってきた。滋賀県から岐阜県にまたぐ、標高1,377 mのお山である 。僕はこのお山がけっこー好きで、これまで幾度となく登ってるっす。でも、家族で行くのは今回が初めて。僕は仕事が建て込んでいる時こそ、休日はじっとしていないで、おもっきり遊ぶ派です。忙しい時ほど仕事に費やした濃度と同じふり幅で、全力で遊びに自分を振ることが肝心。そうすれば同じふり幅で、ブンっとまた仕事側に戻ることが出来るからっす。僕の常套句、「振り子の原理」です。ちなみに、この場合の振り幅は「時間」ではなく「濃度」ね、あくまで「濃度」。ちゅーわけで、喜ぶ子供と嫌がる妻を連れて、伊吹山をいただくことに。まあ流石に、下界一合目からの登山は、こいつらと一緒じゃ無理めなので。伊吹山ドライブウェイに乗っかって、ぴゅーーっと山頂付近までひとっ飛び。後は緩やかな登山道を30分も行けば頂上っす。子供たち、頂上付近でゴキゲンに記念撮影。ちなみに、妻のU子ちんはアウトドア全般苦手なのね。てか登山なんて、原則もっての外なのね。「無駄に死の確率が上がる場所に出向く闘志がアタイにゃナッティング」というのがその理由です。ですからこの日も、ちょいと危険な岩場を歩くたびに、「信じれん!来んときゃよかった!」「一刻も早よ帰えらせてちょ~すか!」「そもそも高っかぁ~とこ登る意味がよぉ~解らんでかん!」などと、ぶっつくさぶっつくさ言っとった。いやあ、無理矢理連れ回した甲斐があったってもんだあ。ははは。人は何故山に登るのか?そこに山があるからだあ!と答えたのは、伝説の登山家ジョージ・マロリー。あんらあ、ずいぶんアバウトな動機で、命賭される殿方だわぁ。しからずんば、僕は何故山に登るのだろう?せっかくなので自分の動機を考察してみよう。思うに、山の山頂に立つと、鳥の視点でこの星の丸みを眺めることが出来るよね。その景色には、独特の恍惚感があるよね。よくよく考えると、僕は単純にその恍惚感に浸りたいだけなのだ。ははは。お山の上から下界を見下ろせば。どこからどこまでが世界で、どこからどこまでが自分なのか。何だか外界と内界が曖昧になるような。まるで自我とういものが精気となって砕け散り、世界に溶け入ってしまっているかのような。その一瞬は、いわゆる「我を忘れる」とか、そんな現実逃避的なものでは決してなくて。自分はこの世界の精気の一粒として確かに存在するのだ、ということを痛感しているかのような。てかさ。例えばさ。焚火やキャンドルをじっと見ている時の、炎と自分が混じってるような感覚とかさ。船の上で海釣りをしている時に、自分が海の一部になっているような感覚とかさ。祭りやライブやスポーツ観戦で群衆が一体と化し、ひとつの生き物になったかのような感覚とかさ。どこからどこまでが世界で、どこからどこまでが自分なのか。まあ、山に限らずとも、そういった類の恍惚感ってのは、実は結構日常に転がっていているものなんだけどね。でも、やっぱ、お山は格別だよね。ちなみに、恐らく酒やセックスに溺れたり、ドラックを喰って得られる恍惚感というのは、一瞬「自分がゼロになる」かのような錯覚があるのだが、見えてくるのは「自分」ばかり。どこからも、どこまでも、自分、自分、自分。「逃げ惑う自分を凝視する自分」を自ら仕立て上げるという最悪の自分。僕が申す山のそれとは、対極に位置するものではないかと思うのである。パラシュートを開いたものの、どこに舞い降りたいのかよく分らない内容になってしまいましたが。大丈夫、着地点は決まってっから。そんなこんなで。どんなこんなで。要するにだ。僕が何を言いたいのかってえとだ。そしてまた、山、登らずにいられない。ちゅーこってありんす。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.10.22
もう何年も友達と会っていない。もう何年も会っていない人物を、こちらの心象的都合で勝手に友達と呼び続けてよいのか?そればっかりは当の本人たちに直接聞いてみないと分からないのだけれど。僕はといえば、かつて彼らと原っぱで、草や木を石コロですり潰して遊んだ青臭い時間の、その原色の青の真っ只中にあっても、「ねえねえ、僕と君って友達だよね?」なんちゅう~青汁ほとばしる質問は、僕が僕であるために絶対してなるものか!と心に決めて生きてきたし、これからもおそらく出来っこないし。オイよお。たまには飲もうぜ。おごるぜ。昔話にぱっと花を咲かせ、差し向かいで冷やのポン酒をぐびりぐびりといこうじゃねーか。なぁ~んて有難いお誘いは、かつても今も、無いわけでは無いのであるが、また、ただ酒というジャンルの酒は、極めて飲酒欲求をそそる酒なのであるが、僕は会わない。会えない。それは何故かってえと、例えば友人知人が結婚したとか死んだとかの、のっぴきならぬ事情で、かつての友達が集うこと絶対不可避なタイミングがあるよね。そういった場で、共有出来なかった今日までが醸し出す違和感にギクシャクしながら、それでも酒など酌み交わし何気に会話を弾ませていると、その友達は、必ずしみじみとした口調で僕に「お前は変わった」と言うのです。もしくは「見失った」「染まった」「売った」「踊らされた」などの類語です。そんな時、僕はしどろもどろになって1000の弁解をするのであるが、それ分の1も相手に理解を得られず仕舞いで、結局二度とその友達とは会わなくなるのだ。やりきれない。かつて彼らと過ごした黄金の日々は、僕の記憶の中ではセピア色の画像として輝いている。動画のように決して動かない、その静止した記憶の画像の断片たちは、色あせたセピア色をしているにもかかわらず、何故か眩しく輝いているのだ。不用意に出会った途端に、静止したセピア色が、突如極彩に色づき動き出すような。そして、その動画フィルムはぢりぢりと焦げ、煙を立て、ぶちっと引きちぎれ、あとは、アナログテレビの深夜の砂嵐のように何も映らなくなってしまうような恐怖がある。まったくもって、やりきれない。だから僕は、あえて古い友達との集いに出向くことはないし、同窓会などのお誘いも丁重にお断りし続けている。まったく、この後ろめたさの正体は何だろう?もう何年も友達と会っていない。もう何年も会っていない人物を、こちらの心象的都合で勝手に友達と呼び続けてよいのか?それでも友よ。友達よ。かつて僕たちは、変わり続けていた。毎日、毎時、毎分、いや秒速で変化を遂げていた。僕は何も変わってなんかいない。君たちが、いつの間にか放棄してしまった「変化」という行為を、僕は今も懲りずに続けているだけだ。節足動物の昆虫類や甲殻類が変態をするかのような毎日のなかで、確かに僕は、大切なことを見失い、社会に染まり、魂を売り、時代に踊らされてきた。それでも僕はこれからも変わり続けようと思う。いつかもっと大切なことを見付け、社会を彩り、不屈の魂を持つ、時代の作り手になりたいから。変わり続ける者でありたい。この気持ちは、昔からずっと変わっていないのだ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.10.18
十年前に購入したうちのマイホームの計画は、ほとんど妻が行いました。当時僕は、真性の社畜で重度の仕事中毒であったので、頭の中はマイホームどころではなく、ハウスメーカーとの打ち合わせや諸雑務は、妻に任せっきりだったわけです。そんな妻が最近になって時々当時を振り返り、マイホームを建てる時、コレやっといてよかった。コレやっとけばよかった。と思いつくことをポツリポツリと感慨深く僕に語ることがありますので、今回は、それをまとめてみたいと思います。【コレやっといてよかった。その①】家具の下地工事もともとマイホーム竣工時に、このカップボードは無かったのです。妻は、ひとまずは前の家から古い食器棚を持ち込み、しばらく住んでみて、落ち着いてよく考えてから、カップボードの配置を計画したい、と考えたようです。その為、この壁のプラスターボードの奥に、将来的に食器棚や吊り戸がどこにでも打ち付けられるように、補強用の木製下地を一面に張ってもらいました。持ち込みの家具を設置する計画の場合も、下地があればビス固定が出来ます。どうしても部屋の意匠性を損ねてしまう防災用のツッパリ棒などのアイテムも不要になります。この二階の寝室のテレビも、当時は無かった。時期をみて購入し、ここに設置するつもりだったので、下地工事は先行して済ませておいたのである。オプション工事としても、そんなバカ高い費用ではなかったと記憶しています。【コレやっといてよかった。その②】ベランダ水栓ベランダを快適に掃除する設備が、新築設計時の盲点になりがちです。基本的にハウスメーカーのほうから、ベランダ水栓の設置を勧めることはまずないでしょう。二階の天井内に水道管を配管し、外壁面に水栓を設置するとなれば、寒波による凍結パンクなどで漏水が発生し、天井裏が水浸しになるなどのリスクが否めないので、お施主様からの、たっての要望がない限り、避けて通るのが普通かなと。僕は職業が水道屋なので、自己責任で施工しましたよ。ご承知の通り、ベランダって雨風や洗濯くずや髪の毛でベッタベタですからね。水栓さえあれば、まめに備え付けのシャワーでささっとひと洗い出来ますよ。ちなみに昔このブログで、このベランダ水栓のことを書いたことがあるのだけれど、その日記は、いまだにどこか別のサイトで共有され続けているようで、この弱小ブログには似つかわしくない、高アクセスを記録しています。ありがてぇこったあ。【コレやっといてよかった。その③】浴室乾燥機もともと、浴室換気扇の機能として、浴乾機能があったものの、どういう訳か妻は使用せず、なんとなーくの洗濯乾燥派でした。実際に使い始めたのはここ数年前から。いざ使ってみたら、何故にアタシ今まで使わなかったのかしら?なんつって。とにかく洗濯乾燥に比べ乾燥の馬力が全然違うからね。洗濯乾燥だと、どうしても仕上がりがシットリしがちなのに対し、パリッと乾くからね、パリッとお。【コレやっといてよかった。その④】電動シャッターうちは、外出する時や寝る前には、必ず一階の掃き出し窓のシャッターを降ろします。また、幼い子供だけで留守番をさせる時にも、降ろして外出したりします。防犯の為です。電動ですので、ボタンを押せば、ウィー―ンと静かな音を立て、シャッターが閉まります。これが電動ではなく、手動のシャッターであったら?まめに防犯対策を続けられているか否か、正直なところ分かりません。この「電動シャッター」、工事のオプション費用としては、それなりに高額でしたが、安心の先行投資として、僕たち夫婦は是非お勧めします。では次に、コレやっとけばよかったなあ、なんつって、僕の妻が、そこはかとなき後悔を禁じ得ないことをいつくか。【コレやっとけばよかった。その①】勝手口防犯対策の為、やめたのです。勝手口を小窓に変更しました。うちは立地条件として、勝手口の設置位置にあたる西面が、完全に廻りから死角になるのです。一階の掃き出し窓を全て電動シャッターにしたところで、ドロボーに勝手口の扉のガラスを割って、カギを開けて侵入されれは元も子もないじゃんか。と、妻は考えたようです。てか、実際のところ防犯性の高い勝手口のドアって市場にあるのかな?どうなのだろう?正直、妻は全然後悔していないようです。ただし、防犯性のすこぶる高い勝手口の扉があったのならば、勝手口、あってもよかったかなあ、ぐらいには思うらしいです。まあ、僕的にはね、空き缶や不燃ゴミを、西側の収納ボックスに持っていく時などに、南面のサンルームからグルっと遠回りをしている妻を見るにつけ、ずいぶん不便だなあ、と思っちゃったりするわけです。【コレやっとけばよかった。その②】全室床暖房床暖は、あるんすけどね。うちの床暖、リビングの一角だけなんです。てかさ、一度床暖と共に冬を越すと、もうダメだね。床暖の無い生活が、ちょっと考えられない、あはは。温かさが、ストーブや、暖房や、電気カーペットと全然違うからね。「底冷え」って言葉あるじゃん? あれの逆ね。「底ぬくい」っちゅーの? 体の芯から、ホッと温かい。ああ、全室床暖にしとけばよかったあ。【コレやっとけばよかった。その③】押入れコンセントここらへんに欲しかった。押入れやクローセット内に、コンセントを設置しとけばよかったなあ。と、妻は言います。充電式家電の、でっかい充電器をフロアにこれ見よがしに置いて充電するのが、たまらなく嫌なようです。もし押入れにコンセントがあれば、電動自転車の充電器、充電式掃除機の本体の充電なども、扉を閉めて充電が出来るので、部屋の雰囲気を損ねずに済むというのが、妻の考えです。まあ、どれだけ部屋をオシャレにしていても、充電式の家電や掃除機が出しっぱなしってのはどうなの?と言われれば、確かに確かに。ってなわけで、たぁーーーっと駆け足で書き留めました。これからマイホームをご計画の方、よろしければ参考までに。それでは、わたくし、ただ今より、小さい秋を見つけに行ってまいります。それでは、みなさん、さようなら。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.10.11
名古屋市守山区にある「しだみ古墳ミュージアム」に行ってきたじょ。この辺りは、1700年前の古墳が集積している地域で、そこから出土した貴重な遺物も多いのさ。それらを見たり触れたりしながら古代を体験出来る施設、それが「しだみ古墳ミュージアム」なのさ。みんな、SHIDAMUと書いて、しだみゅーと呼んでくれよな。施設の中は、こんな感じ。ここには、この「しだみ古墳群」で出土された古代の遺物や、古代の遺物、さらには古代の遺物などが展示してある。ははは。僕みたいな歴史好きは、うきうきモンキーさ。古代人の田植えを引っこ抜いたり。古代人に溶け込んだり。古代人の労働を執拗にジャマしたりししつつ、階段を上がり。二階から屋外へ出て、静かな竹林を過ぎると、そこには・・・古墳。古墳。からの、古墳。これぞ、古墳三昧。まさに、古墳道楽。巨大な前方後円墳を登れば、てっぺんの真ん中に、古代人の仕業的な、現代人の仕業的な、いかにもパワースポット的な。素知らぬ顔で、1700年の歴史を土足で踏みにじる的な。あはははは。やっぱアレだね、歴史は出来ることなら机上ではなく、現地で直に感じるに限るね。ま、歴史に限らず、文化や自然の何たるかを子供に伝えるには、語るより体験させるに限るっす。子供たちに、古墳どうだった?と訊ねると、古墳はデカい。古墳は丸い。古墳は草ボーボー。古墳は疲れる。古墳はちょっと退屈。との感想でした。とほほ、よしよし上出来、それでよい。現地で体験した者だけが得られる感想だ。この朽ち果てかけた古代の王の墓も、当然ながら竣工当時は、こんな風に人工チックで、いかにもな、何かちょっとアレだね的な仕上がりだったのであろうなあ。なーんつって、ヘンにリアルな古代の風を頬に感じつつ、本日はここまで。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.10.10
死んだら再婚してほしい。つい先日、ヤフーニュースを読んどったら、加藤茶さんが、年の四十五歳離れた奥様にこんなこと言っとったでかんがや。さすがは加トちゃん、粋でオシャレなこと言うじゃないの。死んだら再婚してほしい。この言葉の深いところはね、間違っても、自分が死んだ途端にさっさと気持ちを切り替え、とっとと再婚しちゃうような相手に、絶対言えねーセリフだってことね。いつかきっと、自分のことなど忘れてしまう。人は、そんな相手には「リメンバーミー」と伝えるものです。僕のこと、忘れないでね。 僕のこと、思い出してね。「リメンバーミー」とは、一聴してとても美しい響きを持つ言葉ですが、ある意味、もの悲しい言葉でもあります。死んだら再婚してほしい。この加トちゃんの言葉はね、相手が、きっと頑なにそれをしないであろう奥様だからこそ言える言葉であると、僕なんかは思いますよ。まあ、加トちゃんとこみたいに四十五歳も離れちゃいないけれども、かく言う僕も、妻とは六歳年が違うから、かつて加トちゃんと似たようなことを妻に言ったことがあります。もし自分に万一のことがあったら、お前はまだ若いし、そもそもお前の素材は美人なはずなのだから、僕のことなどはとっとと忘れて、タヌキが人を化かすかの如く一時的でも見てくれを磨き、世間知らずの若い金持ちのボンボンあたりを騙くらかして、さっさと再婚して下さい、とか何とか。ところが妻は「アタイ、あんたと同じ墓に入ることに決めてっから!」とか何とか抜かすので、墓ああ? 俺は墓みたいなもんに絶対入らんぞコノヤロー! 俺の骨は一つまみ程度ティッシュにくるんで輪ゴムで縛り、冷蔵庫の野菜室に放り込み、キムコ代わりに使ってくれってんだバカヤロー!と言ったら、アタイが死んで、アタイの骨が納骨される時は、先に死んだ愛犬の骨と、あんたの骨と、そして納骨されるアタイの骨とを、墓の中で、ぐっちゃんぐっちゃんにかき回して、どれが誰の骨だか分からなくしてもらう。犬とあんたとアタイは、交じり合って区別が出来なくなるのよ。その仕事を、遺言として既に長女に託してあっから。とか何とか。で、でもさ、僕、君が死んだら、とっとと再婚するよ?と言ったら、出来るもんならやってみろコノヤロー! 毎晩あんたの枕元に立ってやるからなバカヤロー!あんたとその女が毎晩ベットで何するか、まじまじと見てやっからなコンチキショー!とか何とか。・・・とほほ。たとえば 僕が死んだらそっと忘れてほしい今は亡き、森田童子が詠った美しき、あまりにも美しき詩である。自分のことを絶対忘れない存在にしか、こんなことは言えない。自分のことを一生引きずって生きるであろう存在にしか、こんなことは言えないのである。分るぅ~。たとえば 僕が死んだら まじで、お願いですから、そっと忘れてほしいっす。いや、まじ、まじ。まじで、僕は幸せ者かもしれない。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.10.07
僕の書斎が新しく生まれ変わったぜ!これ全部、僕の妻がコーディネートしてくれたのさ!アリガトよ、妻!イカすぜ、僕の書斎!ビバ、部屋! 憎いぜ、ルーム!なんつって、んもぉ~誰かに自慢したくて自慢したくてしょーがねーから、とりあえず、近くにいたうちの犬に自慢しました。おーい、ウリつわぁ~ん、聞いとくれー!僕の書斎がバージョンアップからのリニューアルオープンさあ!・・・ふーーーーん。そ、そっけねぇー。ほらほら、ちょいと別の角度からみてみて。ちょ~シブくなぁ~い?・・・へーーーーー。ちょいと別の角度から。見てよこれ、ピッカピカの無印の机!これぞシンプリストを唸らせ続ける逸品中の逸品なのさあ!前にこの部屋で使ってた二つは、子供部屋に行っちゃったら、まるっきり同じサイズの新品を妻が買ってくれたの!なんかコレ、今なかなか購入しにくいらしいよ?知らんけど。コロナの自宅勤務とかで売れてんじゃねーのかね?知らんけど。それからこれ、グラフのプランクトンチェア! これぞシンプリストを唸らせ続ける逸品中の逸品なのさあ!妻のやつ、ホントは新品欲しかったけど、新品鬼高っけぇ~から、中古でいいの探し当てたらしいぜ!うおーい、ウリちゃん、みてみて!これ中古だぜ? これ中古に見えるかっつーの!?ぶぴー。 ぶぴー。 ぶぴー。・・・寝とるがな。良きモノと良き出会いをして、嬉しくて嬉しくてたまらない時は、遠慮なんてしてないで、世間の迷惑かえりみず、誰かに思いっきり自慢するのさ。それがモノへの礼儀であり、僕の流儀だったりするので、とりあえず近くにいた愛犬に自慢しまくってみたのだけれど、やっぱダメだぁーね、犬は。犬の耳に念仏。僕、不完全燃焼。ちゅーわけで、この度このブログで思いっきり自慢しまくりやがってみましたあ。あはは。見よ! この歳になって、俗世から身を隠す大人の隠れ家的空間を手に入れたぞい!たはは。僕、この部屋のこと、密かに「シェルター」って命名してっから。とほほ。しっかし、ウリちゃん、そっけなすぎて、なんだかシャクだぜい。よーし、こうなったら、とっておきの魔法の言葉をお見舞いしてやるぜい。おーい、ウリちゃん、お、さ、ん、ぽ、ウリちゃん、お散歩行く?・・えっ?にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.10.04
真っ赤なランドセル。て、てん、てん、天使のん、ふぁん、ねぇん↑んが、届きましたけど? ウィッシュ。マミーのジジーとババーが贈ってくれたとか、ウィッシュウィッシュ。・・・え、 ・・・てか、・・・ちょ、・・・誰の?は?・・・次女の?え?・・・あなた、来年一年生なの?・・・ぱぱ、聞いてない。聞いてないよおお!そもそも、まんだ、10月だぜ?こんなに早やく準備せにゃならんモノなの?・・・はや。ふたつの意味で、はやあっ!にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.09.29
こにゃにゃちわ。9月は防災月間だっちゅーの、ちゅーこって。よ~し、こうなったら、うちの押入れの中を、どどーんと見せちゃいます!妻の防災備蓄の収納っぷりを中心に。はい、どどーん!・・・・・へーーー。それなりにキッチリ収納されとるねえ。・・・・で?ははははは。いやいや、あのね。ブログやSNSに映えるように、意図的に手を加えた非日常感丸出しの画像なんて、みなさん簡単に見破って醒めちゃうでしょうからね。今日は、あえて生活感ぷんぷんたる画像をお送りしてみようかなんてね。ここに、食糧や日用雑貨の防災備蓄が収納されています。コロナが襲来した頃、早々に妻はに半年分の備蓄をしましたが、最近見直しを図り、今は家族四人4か月分の備蓄をしています。・・・うわあ。なんかもう、時代に逆行しまくりのライフスタイルですいまっせ~ん。根っから几帳面な妻は、これらを上手にローリングストックしています。妻) みんな今日何食べたい?僕) うーーーん、米。長女) 私も、米で。次女) 米で、よろしく。なんつっていつもアバウトにしか答えない家族のために、真空パックの米もこの通り。書類や雑貨も、箱に明記して、きっちり仕分けしてしてある。あんら~、真面目な人だわ~。季節の布団も、何や知らんケースに収めてある。あちゃ~、ここまでせにゃならんかねえ。子供部屋の押入れには、四人家族2か月分のトイレットペーパーが、所狭しと収納されています。寝室の収納棚を開けると、隙あらばと、愛犬のエサやトイレシーツ、キッチンペーパーなどがこの通り。やっぱ、あれだね。世の中、何事もほどほどに、ややズボラなぐらいの生活が性に合っている僕みたいな人間がいるように、その逆で、何事もキッチリしていないと気が済まない妻のような人間もいるにはいる訳で、そういう人に「もっと力を抜いてズボラに生きてみたら?」なんつってアドバイスしたところで、それはもう、相手にとってはストレス意外の何モノでもない訳であってね。まあ、人それぞれ自分に合った生活をするのが一番だっちゅ~、身も蓋も無い結論に至ってしまってジャジャジャジャーンだね。というわけで、とある備蓄家の押入れ収納でした。あなたの生活の、ひとっカケラの足しになってくれたらば、夫婦揃って、これ幸い。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.09.20
コトの発端は、些細なコト。妻と、長女のP子、次女のOちゃんで、イオンに行った時のコト。長女が次女の前で、自分しか持っていないお菓子を見せびらかし、結局一口も分けてあげないまま、パクっと次女の前で自分だけ食べてしまった。・・・ように、妻には見えたらしい。その長女の行動に妻がカンカンに腹を立て、家に帰って来てから、長女にコンコンと説教をした。後になって落ち着いて長女の言い分を聞くと、家に帰りたくないとママにダダをこね続ける次女しつけるため、自分が持っていたお菓子で釣ってイオンの出口に誘おうとしたが、全然お菓子に釣られないので、諦めて自分だけ食べた。という理由があっての行動だったらしいのだが、何故あんな意地悪したの??ママが何で怒ってるか分かってる??自分のしたことの何が悪いか分かってる??わぁーーーっとなって矢継ぎ早に質問攻めをする妻に、これまで折れるべき時には空気を察して折れるタイプだった長女は、この日ばかりは、何が気に入らないのか、何を聞かれても頑として、分からない!分からない!分からない!の一点張りを決め込んだ。結果、女二人は家族史上稀に見る険悪なムードになり、お互い半泣き状態で、その日は一切口を利かなくなってしまった。次の朝、僕が子供部屋の長女の机をふと見ると、一枚の手紙がこれ見よがしに置いてあった。これ見よがしに、長女が書いた手紙である。最新型の挑戦状である。1日め神へ今日は、Oちゃんをいじめてしましました。すみません。そうしてママにおこられました。ママに、どうして「Oちゃんをいじめるの」と言われました。その時私は必ず「分からない」と言いました。でも、神には嘘をつけませんね・・・実は心の奥のほうにOちゃんにキツくたってしまう自分がいて、その自分が出てきてしまうのです。その自分がOちゃんにキツくあたったのは、Oちゃんに立派な子になってほしいということなのかもしれません。もしかしたらママにくっついているのが羨ましかったのかもしれません。なので私にも、詳しくは分かりません。あと昨日漢字を覚えました。すごいでしょう。褒めてください。もしかしたら・・・私を褒めてくれるのは・・・神だけかもしれません。P子より・・・・・・・うわあ。・・・・・・・・め、めんどくせえ。 BY Q輔ああ、なんとまあ面倒臭さいチャイルドが仕上がったことでしょう。ああ、我が子ながら、末恐ろしい。その時たまたま妻が近くにいたので、「ほら、ママへの手紙だよ」と言って、「表向きは神に憐れみを請いつつ、実は親を呪い殺す手紙」を見せた。・・・・・・・うわあ。・・・・・・・・め、めんどくせえ。 BY U子夫婦だねえ。寸分の狂いなく、同じリアクションだもの。妻のやつ、よせばいいのに何度も噛みしめるように読み返すもんだから、長女の怪文書のパワーに負けて、ついには泣き出してしまった。・・・可愛くないったらありゃしない。・・・憎たらしいったらありゃしない。そう何度も呟きながら、僕の前でさめざめと泣いた。正直でよろしい。我が子への愛と憎しみは表裏一体、そのどちらかしか持ち合わせていない親などいない。いかーん、いかーん、これは絶対いかんパターンのやつじゃん!なんつって、そっから僕、その場で、妻と二人きりで話して。その後は、長女と二人きりで話して。さらにその後、家族全員で家族会議をして。声枯れ枯れ、ノド潰れるちゅーの、ったく。結果、誤解や、行き違い、わだかまり、一応は排除された模様かと。ここしばらくは、仲良くやっとる。・・・のかな?ぶっちゃけ、子供たちの心が成熟するのは、まだまだ先。てゆーか彼女たちの心は、今やっと実りを始めたばかり、青くてカタくてシブいのは当然。自分の複雑な感情を上手に捉え、それを瞬時に適格な言葉に変え、正しく相手に伝えるには、まんだまんだ修行が足らん。てか、僕ら大人だってなかなか。でもまあ、その表現法には多少問題があるにせよ、長女のあの手紙を読む限り、自分のモヤモヤっとした心を「分からない」の一言で片づけることなく、整理がつかないなりに、表現しきれないなりに、霞に手を伸ばし、掴み、言葉への変換を試みた爪跡は確かにあるのです。僕や妻の心にガリっと。ミミズ腫れした彼女の爪跡が、ガリっとね。痛てて、成長してんじゃねーか、痛てて、なんつって。とは言うものの、長女よ。あのよ~、お前よ~。これからは、いちいち神に請うな、さっさと親に請え。それから、神への手紙を机に置き忘れてくれるな。ほとほと対応に困り果てる。んで、書き出しの「1日め」って何ぞ??こんなん2日も3日も続けられたら敵わん。あと、神、呼び捨てはやめれ。憐れみ請うなら「様」つけとけ「様」。・・・ったく、トホホだよ。ブルーハーツのラストアルバムに「歩く花」というナンバーがあってさ。その曲には、こんな一節があります。覚えたり 教えられたり 勉強したりするんじゃなくてある日突然ピンときて だんだん分かることがある子供たちの、この「だんだん分かる」感じっちゅーのを、焦らず、温かく見守ってやる、それが親なり。いつの日か、根っこが消えて、足が生えて、愛する人の庭に咲くため歩きだすであろう、今は小さな花のつぼみを愛でつつ、遅ればせながら、そんなことが、だんだん分かってきた、僕なり。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.09.19
ここんとこ、長女に反抗期的兆しが見え始めたみたい。どーも妻と上手くいっとらん。頻繁にギクシャクしとる。ははは。妻、思い悩んどる。先日、リビングで一人、シクシク泣いとったもん。十歳ともなれば、ちょいちょいこっちの想定外の行動をするようになり、ときどき想像を絶する発言をしたり、わざと親の期待を裏切るような態度をとったりする。これを「我が子の成長」と一言で片づけられるほど、実のところ僕たち親のほうが成長しきれていないっす。特に、自分のお腹を痛めて出産し、お乳を飲ませオムツを替え、片時も自分の肌身から離れなかった赤ちゃんの頃を、ボディ&ソウルで実感している母にとって、真向から自分に逆らってくる我が子の姿なんつったら、男親の何倍も複雑な心境で見ていることだろう。親子で「そんな時期もあったね」なんて、いつか笑って話せる日が来るかな?と、キッチンで豚汁を作りながら、妻が僕に問う。「あんた、どう思う?」と、ニンジンを扇形に刻みながら問うのである。僕は、僕の思うところを、正直に妻に伝えた。そんな時代もあったねと、いつか話せる日が来る。あんな時代もあったねと、きっと笑って話せる。確かに、そうだと思うよ、確かに。でもね、考え方を逆転させればね。「いつの日かきっと笑える」という要素が今ココにあるのであれば、笑うことを、わざわざ未来へ先送りせずとも、今ココ、困難の真っ只にこそある独特の滑稽さ、ひとっかけらの面白味から目を逸らさず今ココ、豪快に笑ってしまえばいいのだよ。なんつって、僕は思ったりもする。妻は、真面目過ぎるのだ。人生を、ちゃかせない。このブログでも何度も話しているが、僕の父は酒を呑んでは母と口論になり、挙句必ず母に暴力を振るう人だった。その度に、幼い子供ながら僕と姉は、母の頭を抱きしめたり、母の体に覆いかぶさっったりして、父の暴力から身を呈して母を守った。妹は、その横で泣きわめくばかりだった。ここだけを話せば、まさに生き地獄のような幼少期なのだけれども、僕の父は、母との口論の中で、気持ちがガァーーっとなると、ちょいちょい訳の分らんワードをぶっ放して来る人だったのね。それが、僕と姉は、面白くてね。母ちゃんぶん殴りながら、テメー、バカヤロー!テメーなんかなあ! テメーなんかなあ!テメーなんか、シュワッと爽やか、しゅわしゅわソーダだ!とか言うんだもん、父ちゃん。姉) シュワッと爽やか???僕) しゅわしゅわ???姉・僕) このおっさん、なー抜かしとん??そっから、母と一緒にボコボコ殴られながら、僕らヒーヒーいって笑ってたからね、たはは。僕はね、昔からこういった爆笑は絶対見逃さないから。不幸に浸ってる場合じゃねっす。僕には、例えどんな困難な状況にあっても、自分の置かれた状況を客観視して、げらげら笑っているもう一人の自分がいるっす。まあ、人間、一度堕ちるところまで堕ちれば、あとは笑うしかないっすからね。んでもって、人生、とにかく懲りずに笑っていれば、何とかなるもんっすね。ちなみに、これは持って生まれた性格とかの問題ではないよ。これは、訓練。訓練をするか否かの問題っす。子育てだって、何だって、いつか笑える日まで待ってちゃダメだよ。笑うなら、今笑ったほうがいいよ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.09.18
先日購入したルームランナーの前に、スチールラックを置きました。妻が楽天で買い、僕が作りました。メタルシステムのスチールラックは、サイズの選択肢がとても豊富です。妻は奥行きの狭い棚が欲しかったみたいです。今回は、最小の奥行32センチのものをセレクト。このように、壁とルームランナーの間にすっぽり。見た目は重量感がありますが、実はとても軽量で施工しやすいです。基本的には、百均で買えるゴムハンマーがひとつあれば作れます。棚が完成したら、さっそく妻がモノを配置。このラックの横には、追って無印の小さな机を置く予定なので、プリンターはこの位置。ルームランナーは基本的に裸足はダメなので、室内用のウォーキングシューズをここに準備します。おやおや? 我が家の名物、妻の梅干し瓶がここに移動しましたよ。歩きながら読む本も、このように手の届くところに置けます。胸の高さあたりに、ノートパソコンが置けるスペースを確保。これで音楽を聴いたり、ユーチューブを見ながら歩きます。無機質でしっぶいスチールラックがやって来ました。というわけで、今回はあえて思いっきり無機質にお届けしてみましたよ。ちゅ~かぁ~、ちょっと聞いておくんなぁあいよお。僕の妻ったら、普段僕が粘着質べちょべちょたる日記ばかり書いていると、もっとフツーに書けんか? おま、フツーに書いたら死ぬんか?なんつって注意ばっかしやがるくせに、たまに、この手のシュッとした日記を書いたら書いたで、何て言うと思います?無言でブログを読み終えた後、ボソッと、ふーん、あんた、魂売ったな。・・・いや、いや、いや。・・・は、は、は。・・・魂ってなーに?魂って、何いいいい!にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.09.14
僕は、家族とは「期間限定のチーム」だと思っています。いつか解散することを前提としたチーム、それが家族。長女も次女も、いつか僕たちのもとを去るべくして去りますからね。最近は、子供たち成長の早さを見るにつけ、おいよ、U子さん、やべーよ、やべーよ。家帰ってきたら、子供がまぁ~たデカくなっとるがや。マジで、こいつらと過ごせるこの一瞬一瞬を、日々噛みしめるように大切に過ごさねえと、うかうかしてたら、こいつらしれっと大人になってまうでかん。なんつって、勝手に焦って、妻にいらぬ忠告をしています。さて、チームというものには、当然「監督」が必要なわけですが、家族のなかで監督的役割をしているのは誰でしょう?って話なんすけどね。世間的には、さもすると「父」と思われがちですが、僕は、それは違うと思いますよ。「父」の家族内での役割は、ピッチャーで四番っす。僕はチームのエース。そして結局のところ、ただの選手なのですね。現実的にどう考えても、家族というチームの監督は「母」でしょう。僕の妻を見ていても、とにかく総合的な監理業務を朝から晩まで続けている。あれは、一介の選手の動きじゃない。監理者の動きだと思う。たまに主婦の仕事をまわりが侮辱したり、自らを侮辱したりして行き詰まり思い悩む人がいますが、主婦は誇り高き監督業だ。選手に侮辱される筋合いなど絶対にないし、決して自分を侮辱してはならない。ちなみに、うちのチーム編成を言うと。監督 = 妻ピッチャー = 僕内野手 = 長女外野手 = 次女て感じかな。そして、僕の気持ちを、どんな時も優しく受け止めてくれる名キャッチャーが、ウリちゃ~ん!ぎゃはははは。社会の最小単位は夫婦だ。なんつって昔から申します。家族とは「期間限定のチーム」ですからね。僕もこの考えは頷けるっす。最後は僕と妻、夫婦二人ぼっちだ。その覚悟は既にあるし、今からけっこ~待ち遠しかったりもする。でも、時代と共にこの考え方も風化が進み、今や社会の最小単位は個人、最後の最後は自分一人じゃね?とドライに考える人たちが増えているようです。まあ、未婚を貫いたり、たまたま離婚したり、既婚者であっても独立した関係だったり、その他様々な事情やお考えはあって然るべき、人の思いは十人十色。古めかしい考えですからね、風化するのが必然であれば、風化すればいい。ちなみに「社会の最小単位は夫婦だ」という僕の思いのなかには、たとえ妻に先立たれ、社会的に孤独になってもなお、最小単位は夫婦だ、みたいなところがあるのです。うまく説明しにくいですが、一人になっても夫婦は永遠に続いていくような気がしてならない。僕たちは、夫婦を二十年近く続けているわけだから、おのずと二十年近く「絶対的孤独」という時間をお互い過ごしていないことになる。ここまで来ると、例えどちらかが死んでも、どちらかが死んだぐらいで終わるものではない気がする、夫婦って。また「社会の最小単位は夫婦だ」という考えを突き詰めていくと、理論上、夫婦が仲睦まじく幸せに暮らしているという状態を、この社会への小さな貢献だと考えることも出来ると思うのですね。ははは。もし世界中の夫婦という最小単位が幸せであったなら、それを取り巻く家族も、地域も、地方も、国も、みんなが幸せになるのではないかと。うわあ、我ながら、あまりに幼稚な理想論に開いた口が塞がりませんが。兎にも角にも、みなさん。僕が、今日も今日とて妻という鬼監督のもとで、肩がぶち壊れるまで投球し、血豆破れるほどバットを振り続けるのは、これはね、別に妻が怖いからではないのです。これはね、いわゆるひとつの、社会貢献なのです。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.09.12
心が折れた。という表現が出てきたのは、いつ頃からだろう?僕的には昔、芸人のほっしゃんがテレビ使っていたのを聞いたのが最初だった。少なくとも、僕が若い時はあまり耳慣れない言葉だった。「傷付いた」とはちょっとニュアンスが違うのよね。「意欲を失った」「やる気が失せた」という意味合いだと、僕は解釈している。張りつめたつっかえ棒が、バキッとへし折れ修復不可能になった心情を、的確に言い表す絶妙な言葉だ。誰もが事あらば思わず使ってみたくなる魅惑の言葉だ。特に若い社員は頻繁に使うよね。きっと、嘘ではないのだ。現に彼らの心は、ポキポキと簡単に折れる。私、とても傷付きました。という発言のなかには、どこかしら、擦り、磨けば、まだ修復が可能なニュアンスに対し、私、心が折れました。と堂々と言われちゃうと、もう完全に手の施しようが無い印象を受けるのよね。まあ、ポキッと折れるのは勝手なのだが、その後自ら迅速に心の修復にかかれない。折れたら折れたまんま、修復する術を知らない。結果、そっこーで諦める、楽勝で挫折する、いわゆる環境を変えてイチから出直すパターンを求む。可哀そうに。困難や挫折に免疫がない。大人に叱られ慣れていないのだ。まるで怒鳴られ慣れていない。これを、褒めて伸ばす教育の弊害と言わずして、何ちゅーの?あ、ちなみに、意外や意外、僕の両親は今の時代を先取りしていたのか、あまり子供を叱らない親だったっす。どちらかというと、時々思いついたように、無駄に僕たち子供を褒める親だった。姉と妹は、どう考えているか分からないが、僕にとってはそういう人たちだった。母は、自分が生んだ子供に関心があるの無いのかよく分らない、はっきり言ってネグレクトぎりぎりの人だったし。父は、よく子供たちに暴力をふるい、姉などは灰皿で頭を割られたこともあったが、あれは、ただギャーギャー騒いでいるダメ人間の酒乱であって、そこにモラルやパワーやハラスメント性は、微塵も見当たらなかった。でも僕は、今じゃ同世代のまわりの誰よりも、折れない心を待っている。また、仮にいかなる困難や挫折にぶち当たり、心がへし折れても、その瞬間から、折れた心の再生を図り、さっさと次の策を講じる習性を身に着けている。それは、何故か?今の若者たちと違い、僕がクソガキだったあの頃は、幸いにして、まだまわりの大人たちが、本気でよその子供を叱ってくれていたからだ。警察、教師、塾の講師、教習所の講師、ご近所のおっさん、通りすがりのおばさん。みんな、今では考えられない威圧感と問答無用の恐怖の理論をもって、どいつも、こいつも、いつも、何度でも、この僕の目の前に立ちはだかった。どいつも、こいつも、いつも、何度でも、バッキバキに僕の心をへし折り続けた。どれだけ心をへし折られ続けた青春だと思っとんじゃい。こちとら折られた心の再生法なんてなあ、十代でとっくに熟知しとりますわ。チョチョイノチョイで修復完了ですわ、匠の技ですわ。不幸にも、僕の親は、ちゃんと子供を叱ってくれる親ではなかったが、幸いにして、まわりの大人たちが、全力で僕を叱り飛ばし続けてくれた。あの大人たちを、認めたくない。あの屈辱の日々、今でも思い出すたび腹ワタが煮えくり返る。んが、いい加減に認めるところは認めよう。あの頃、僕の心をバッキバキに折ってくれた、全ての大人に感謝します。だって、僕のこの心の強さは、あの大人たちの傑作だから。今の若者はどうだろう? 僕らの子供たちは?学校の先生も、気の毒なほど本気で生徒を叱れない。塾の講師だって人気商売だ、嫌われる覚悟では叱れない。近所のおっさんも、通りすがりのおばさんも、若者の悪行に見て見ぬふり。会社で上司が若手を叱れば、なんたらハラだ、かんたらハラだ、と訴えられてしまう。もう、いよいよ、親だけだ。子供を、本気で、相手のことを思い、嫌われる覚悟で叱れるのは、親だけ。なんか、かわいそうになってきた。これからの時代、親が子供を叱らなかったら、いったい、誰が子供を叱ってくれるのだろう?親すら、子供を褒め続けたら、子供は、いつどこで、困難や挫折でへし折れた心を、修復し再生する術を学ぶのだろう?我が家では、二階の書斎でこの日記を書いている今も、頼もしき妻が一階で子供らを怒鳴り散らかす声が絶えないわけであるが、実際のところ、子供が可愛くて可愛くて、ちっとも叱れない情けない僕は、お~い、ほどほどにしとけよ~。あんまギャーギャー叱ったんなよ~。と助け船を出したい気持ちをググっと抑えて、けっこー真剣に、そんな風に考えているわけである。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.09.09
我が家にルームランナーがやって来たっす。普段あまりモノを欲しがらない僕が、妻に無理を言って買ってもらったぜい。六年前にタバコをやめた頃からの趣味であるウォーキングを、より効率良く行うためっす。【1年保証】 送料無料 クラウドウォーキング PRO オートプログラム BARWING バーウィング ルームランナー 電動ルームランナー ランニングマシン トレッドミル トレーニングジム ジョギングマシン フィットネス 家庭用価格:41760円(税込、送料別) (2020/9/6時点)楽天で買いました。この度の購入に至った背景には、僕のもう一つの趣味である「読書」が関わっています。僕、ある時期から、屋外で読書をしながらウォーキングをするようになったのです。そんな危なっかしいコトを、と思われるかも知れませんが、場所と時間を選べば意外と安全です。早朝や夕方の人通りの少ない川沿いの道を、文庫本を片手にてくてくと歩くのです。僕的には、街中をながらスマホで歩いている若者や、耳の穴をイヤホンでふさいで後ろの自転車のベルに気が付かないウォーカーの方がよほど危ないかと。さて「散歩読書」の何がよろしいかと言うと、先ず歩くことで集中力が急増します、これホント。きっと少し体を動かしながらの方が、ヒトは頭の回転や記憶力が高まるんじゃないのかなあ。とにかく運動の高揚感と読書の高揚感の相乗効果で、一時間~二時間なんてあっちゅ~間、さっくさく歩けて、さっくさく読めちゃいます。とはいうものの、これは常識的にお薦めしてよいのか迷うところではあるので、あくまで僕個人の見解です。屋外での「散歩読書」のよくない点もあります。先ず、何だかんだ言って危険はゼロとは言い切れないこと。そして、天候に左右されることです。雨の日は出来ません。大切な本が濡れちゃうからね。また、連日の猛暑の中でのウォーキングは命がけです。加えて、コロナ禍での、屋外でマスクをしながらの運動は、なかなか辛い。とはいえ、人とすれ違う時は、やっぱマスクをしてねーと怖えーだよ。あと、こんな僕ですが、人の目が気にならないわけではない。ウォーキング中の親子とすれ違い、背中越しに「今日も二宮さん歩いてたね」なんつって笑い声が聞こえると、全然違う苗字で、密かに金次郎呼ばわりされていることが、ちょぴり恥ずかしくなる。妻が会社の同僚たちと、旦那の趣味の話をしていて、まわりは、やれ釣りだ、ゴルフだ、バイクだ、と半ば自慢気に話すなか、あたしの旦那は、たそがれ時になると、文庫本片手に川べりを徘徊している。と話してドン引きされた。妖怪あつかいされた。などと報告を受けると、さすがに妻が不憫でならない。そんなこんなで、買いました。これさえあれば、もう天候に左右されることはない!エアコン完備の室内を、快適ウォーク!コロナの屋外感染・ジム内感染も回避!読書も、この通り出来まする。この機種は、速度調整、歩行時間、歩行距離、消費カロリー、心拍などが管理でき、簡単なプログラムモードがあるだけという、見た目も含め、いたってシンプルな機種です。もちろん、妻が選びましたよ。こういった買い物に、僕の決定権はありません。とほほ。これなら、スマホでユーチューブを見ながら、歩いたり、走ったりも出来ます。妻は、モニターを前面の壁に設置し、アマゾンプライムで映画を見ながら歩くことを、検討中。おチビも、興味深々。このコロナ禍で、子供の運動不足解消に、ルームランナーを購入するご家庭も多いとか。あっちゃ~、二階の書斎は、すっかり僕の趣味の部屋と化してしまいました。あはは。夫婦でお気に入りだった無印良品の机は、子供部屋へ。今はまだ、こんな感じで、がちゃがちゃしていますが、近日中に妻が新しい机や棚を、ノリノリで購入予定。模様替えが完成したら、またこの書斎に、みなさんをご案内しますね。そうそう、子供部屋も新しく生まれ変わっていますので、そちらも追い追い。うおっと、もうこんな時間だ。酒飲まな、酒。では、また。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.09.06
なんかあれだね。歳を取ると、だんだん物忘れが激しくなっちゃって、嫌になっちゃうよう。てかさ、お恥ずかしながら、僕の物忘れは、ちょいと風変りでやんして。過去の出来事に限らず、それがついさっきの出来事であっても、すっぽーーんと豪快に記憶が飛んじゃうことがよくあるっす。これぞ、文字通り、間抜け。間が抜けてるのよアナタ。財布がない!昼飯に近くの「すき家」で一人、牛丼並み盛り味噌汁お新香セットをかっ込み、ふぃーー、喰った喰った、やっぱサラリーマンの昼飯はすき家だっちゅーの。とかなんとか言いながら、伝票を持ってレジへ行き、支払う寸前で気が付いた。財布がないってばああ!あ、先に結論から申しますと、今日の話はね、僕が財布を盗まれた話ではなくて、テメエがさっきまで、会社で財布に入った雑多な名刺を整理していて、それをド忘れして、会社に財布をすっかり置き忘れたまま、すき家で牛丼を食べちゃった残念な男の話です。あれれ!? ポケットにない! テーブルにない! 車にも落ちてない!そりゃねーつーの。 会社に置きっぱなしだからね。すみません。大変美味しくいただいておいて恐縮ですが、お金がありません。店員さんに、今すぐ誰かにお金を届けてもらうので、ここで待たせて下さいと、事情を説明する。とりあえず会社へ電話する。電話口には、僕が密かに「ミスター人間」と呼んでいる部下が出た。ゴメン、○○君、僕、財布失くしちゃったみたいでさ。・・・それはそれは、急ぎ警察へ行って下さい。それが、動けないんだよ。すき家で牛丼食べちゃった。・・・無銭飲食ですか。・・・地に堕ちましたね。ははは、でさ、悪いんだけど、お金持って来てくんないかな? 後で必ず返すから。・・・ただ今、取り込んでます。ちょうどカップラーメンにお湯を入れたところです。の、伸びちゃうよね~。麺が伸びたら一大事だもんね~、たはは。・・・少々お待ちください。廻りの社員に聞いてみます。おーい、部長がすき家で無銭飲食して、財布を盗んだとか盗まれたとかで、大変らしい。誰か助けに行けるひと~~。・・・丸聞こえだなあ、もう。その後、一人の社員が助けに来てくれることになったものの、なかなか到着しないので、店員さん、だんだん怪訝な顔つき。レジの前で、金ないくせに喰うだけ喰って、つまようじシーシーしている僕、すんげー睨まれちゃって。入口の防犯メジャーで、僕の伸長を目測しているとしか思えない雰囲気。カウンター越しに見えないように、防犯ボール握りしめてる気配。こういう場合は、期待通り逃げた方がいいんじゃないのか? と血迷い始めた矢先に、助け船到着。たしゅかったあああ。会社に帰ると、机の上に、これ見よがしに財布がありました。みんな、僕の机の前を何度も行き来していたようなのだが、口を揃えて、風景と化してた!風景と化してて気が付かなかった!と言った。僕もちゃっかりみんなに同調して、だよね、風景と化しちゃって化しちゃって、いや~気をつけようねみんな、あは、あはは。つったら、例のミスター人間が、金輪際、我々を巻き込むのはやめて下さい。今日のカップラーメン、若干伸びてましたけど。だってさ、とっほほほおお。どれだけ世界の食文化が進化を遂げても、相変わらずカップラーメンがお湯を注いでから三分待たなければならないのは、僕のような人間の屑がいるからだろう。・・・ああ、何が何だか。 なお、この日記は前日の日記をリサイクルしています。ブログもリサイクルの時代! 地球にやさしいエコブログ!にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.09.05
なんかあれだね。歳を取ると、だんだん物忘れが激しくなっちゃって、嫌になっちゃうよう。てかさ、お恥ずかしながら、僕の物忘れは、ちょいと風変りでやんして。過去の出来事に限らず、それがついさっきの出来事であっても、すっぽーーんと豪快に記憶が飛んじゃうことがよくあるっす。これぞ、文字通り、間抜け。間が抜けてるのよアナタ。スマホがない!早朝、いつものように一番乗りで出勤して、PCを立ち上げ~の、昨日やりかけの書類に手をかけ~の。ふと、スマホの充電メモリが少ないのに気が付き~の。デスクの後ろの、僕が荷物を置いている棚のコンセントでスマホを充電した。そう、充電した。ことを忘れた。あ、先に結論から申しますと、今日の話はね、僕がスマホをなくした話ではなくて、テメエが充電したことをド忘れして、スマホがないない騒ぐ、残念な男の話です。スマホがないってばああ!僕、朝っぱらから顔面蒼白、ひとりぽっちで大騒ぎさ。あれれ!? ポケットにない! 机にない! 車にも落ちてない!そりゃねーつーの。後ろで充電してっからね。とりあえず会社の固定電話から、自分のスマホへ電話してみる。んが、不幸にも、前日の会議前にマナーモード(僕は会議中はバイブも切る)にしたままだったらしい。うんともすんとも、ブィーンとも鳴りゃしねえ。そうか! 家に忘れたんだ! 自宅に電話してみる。ガッデム! 妻も子供も出やしねー。その時、部下が一人出勤してきたので、「いや~参った、自宅にスマホ忘れたみたいだから、取りに帰るわ。朝礼遅れるかも、よろしく」と伝えて、充電中のスマホを置き去りに、大急ぎで自宅へ戻る。自宅へ戻ると、妻が開口一番。会社から電話あったよ! マジあんた事故で死んだかと思った!死んでねーよ! スマホがねーんだよ! てか、電話出ろよ!死んだかと思った!死んでねーよ!死んだかと思った!電話出ろよ!死んだかと!生きる!不毛なラリーを数分繰り返し、その後、妻、子供、総動員で家中を捜索。・・・見つからねえんだなこれが。だって、会社で絶賛充電中だからね。はっ! そういえば弁当袋の中に入れたかも! そんな気がしてきた! きっとそうだ!今度は、自宅の固定電話から会社へ電話。電話口には、僕が密かに「ミスター人間」と呼んでいる部下が出た。ゴメン、○○君、僕のデスクの後ろの棚にある弁当袋の中に、僕のスマホがないか確認してくんないかな。了解しました、探します。 では一度電話を切り、携帯にかけ直します。ごめんねえ。その携帯電話を探しているんだよ。その場で、僕の弁当袋の中を確認してもらう。・・・スマホ的なものは確認できません。あるわけないよね、君のすぐ近くでナウオン充電中なんだから。その後会社に戻ると「部長の馬鹿がスマホ紛失した」ってんで、みんなが、わちゃわちゃオフィスを捜索してくれていた。社長までしゃしゃり出てきて、ったく、たぁーけが! 朝起きてからの自分の行動をよく思い返してみよ! ったく、どたぁーけが!なんつって、こんこんと説教されちゃって。僕は、社長に言われたとおり、落ち着いて、朝起きてからの自分の行動を思い返してみた。気が散らぬよう、集中して一点を見つめ、自分の記憶を辿った。集中して、じーーっと一点を見つめ・・・じーーっと、視線の先の探していた自分のスマホを見つめ・・・・・・あ。・・・充電完了してました。社員のみんなも、あの馬鹿が落としそうな場所、馬鹿が失くしそうな場所という観点で探してくれていたようで、まさか、当ったり前の場所で当ったり前に充電してるとは思わなかったらしく、口を揃えて、風景と化してた!風景と化してて気が付かなかった!と言った。僕もちゃっかりみんなに同調して、だよね、風景と化しちゃって化しちゃって、いや~気をつけようねみんな、あは、あはは。つったら、例のミスター人間が、もう、あなたは何もおっしゃらないで下さい、社内に暴動が起きます。だってさ、とっほほほおお。世界中の人が信じ合い助け合っても、いつまでも紛争がなくならないのは、僕のような人間の屑がいるからだろう。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.09.04
先日あるブロガーさんが、自我に囚われず生きる為に自分を捨て、ミニマリストに囚われず生きる為にミニマリストを捨て、ブログに囚われず生きる為にブログを捨てるという経緯をもって、ブログを閉じたっす。その捨てっぷりは圧倒的で鬼気迫るものがあり、一人の主婦の「生きざま」ならぬ「捨てざま」に強く魅せられました。そして、囚われず生きるとはどういうことか? 僕は、あらためて考え込んじまったのさベイビーよろしく。人は心の解放を求め始めた途端に、漏れなく悩み、苦しみ、迷う作業を始めるものだ。逆に、何者かに全てを支配され、そのことにすら気が付かない「奴隷の心」のままでいれば、悩まなくてよいのである。苦しまなくてすむのである。迷う必要じぇんじぇんないのである。そして心の解放を求める多くの人は、いつ何時もモノゴトに囚われず生きねば、と焦るあまり、さもすると、全ての「執着」をゼロにして、心の「解放」の目盛りを100%に振り切ろうとする。正直、ここが僕が個人的に解せないところである。僕の人生にとって「執着心」は絶対に欠かせないものだ。決してゼロにしてはならない。もちろん「解き放たれた心」も大切。無くしてはならない。どちらも大切。そして、どちらも重石だ。しょせん「執着」も「解放」も、同じ「心の重石」に変わりはしない。「執着」と「解放」二つの重石を天秤棒で担ぎ、転ばないようにバランスを取りながら真っ直ぐ歩く。それがオイラの人生観ってやつなのさ。執着に偏った心も、解放に偏った心も、心の天秤のバランスが取れていないから、僕には、その歩行が、どこか危なっかしく、痛々しく、滑稽で、不自然に見えてしまう。何事も、バランスよ、バランス。僕は、多くのミニマリストやシンプリスト、ライフスタイルブロガーさん達が、試行錯誤のすえ、モノゴトに囚われぬ心で手に入れたナニゴトにも囚われぬ暮しの、その先にきっと立ちはだかるであろう最後の大きな壁は、「囚われぬことに、囚われ過ぎている自分」だと思うのです。モノゴトに囚われぬ生き方に、がんじがらめになっている自分っつーか。「捨てる」ことすら捨てる時、人は何を捨てるのか?っつーか。まあ、ここまでくると言葉遊び感が否めないので、ここいらで止めまするが。ははは。やっぱ、あれかな、「捨てる」ことすら捨てる時になれば、人は「作り始める」んかな。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.08.30
新型コロナウイルスの第一波が終息しかけた頃、麻生太郎財務相が、日本での新型コロナウイルスによる死者が欧米に比べて少ない理由について、「民度が違う」と発言したことについて、賛否両論が巻き起こった。賛否の「ぴ」の方は、まあ大方文句ばぁ~っか言っとりたい輩の、取るに足らん雑言だったが、賛成意見の中にも「たしかに日本人の民度は高い、しかしその内訳に政治家は含まれない」というシビアな意見が多かった。第一波を最小限に食い止めることができたのは、これ全て国民の力だ。政府は何もしていない。むしろ無駄な事ばかりして国民の足を引っ張っていただけ。これまでも日本と言う国は、いつだって政治はダメで、首相は馬鹿ばかりであったが、民度の高い国民の力で、いかなる国難をも乗り切ってきた稀有な国である。という意見だ。本当にそうだろうか?日本国誕生以来、奇跡的にいつも政治はダメ、トップは馬鹿であったが、奇跡的にいつの時代も国民のみ優秀で、奇跡的に国民の知性と努力で発展してきた奇跡の国家。本当にそう思っているのなら、いやはや、なかなか・・・。僕は、この地上にそんなユートピアは存在しないと思う。国家に限らず、スポーツチームであれ、町内であれ、企業であれ、地方公共団体であれ、トップがダメなら、遅かれ早かれ、そのコミュニティは確実に崩壊する。これはあらゆる歴史が物語っている歴然とした事実だ。選手や社員や国民だけの力で維持しています!なんて妄想だ。あり得ない。何が何でも現行の政権を認めたくない気持ちも分らんでもないが、問題点は問題点、良い点は良い点、そこはフェアに評価するべきだ。さもなくば、思考はネジくれるばかり。本来辿り着けるはずの簡単な答えにも、辿り着けない。第一波を最小限に抑えられたのは、国民もがんばったし、安倍総理を中心とした日本の政治家もがんばったからだ。このシンプルな事実さえ認められない、認めたくないってのは、いやはや、なかなか・・・。そもそも、みなさんは、この国の歴史を振り返ってみて、「ああ、あの人のあの政権は素晴らしかった!」と全国民が称賛するだろうと断言出来る時代はありますか?それはいつですか?小泉さんの時?中曽根さんの時?田中角栄?吉田茂?伊藤博文?結局のところ、全国民が称賛する時代など、ありはしないのである。モノゴトには二面性があるのは必須。表と裏。水と油。賛成と反対。文句ばぁ~っか言っとるヤツは、いつの時代も一定数存在する。それだけのことだ。ちなみに、僕は会社では、もっぱら反体制です。僕は会議で、よく社長と対立します。真っ向から意見出来るのが、僕ともう一人の部長ぐらいなので、立場的に社員の総意を託され、会社のトップと喧々諤々とやり合うわけです。社長は自分の方針を押し通すことがほとんどですが、まれに僕の意見を採用する場合もあります。ここまでは反体制ですが、僕は長い会議の末、不本意ながら「社長の方針」が採用されたその瞬間から、先ほどまで真っ向から社長の方針に反対していた自分を一転させ、社長の方針を、迅速かつ精巧に遂行する実務者に豹変します。自分が気に入らない方針だからといって、絶対に手を抜いたり足を引っ張ったりしません。会社の方針として決定した以上は、成功させるために誰よりも最善を尽くします。僕の仕事の流儀です。まったく、時々後ろから、思いっきり頭小突いたろかしらんと思う存在ですが、トップが馬鹿なら、漏れなく会社は潰れます。僕がおまんまを喰えているのは、社長のおかげ。何だかんだ言って師ですし、僕は社長を尊敬しています。さて。我が国のトップが辞任を表明しましたね。みなさんの、お望みどおり。万々歳ですね。安倍総理、お疲れ様でした。東京オリンピック、成功させたかったですね。コロナさえなければ・・・悔やまれます。我々が総理から布マスクをいただいた頃に、同じ自民党員ですら着用しないそのマスクを、メディアや一部の国民から散々馬鹿にされながらも着用し続けた、総理のお姿を、僕は一生忘れません。あれは、かっこよかったなあ。指導者のひとつの在り方を、学びました。重ねて、お疲れ様でした。今後は、どうかご自愛ください。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.08.29
長女がダンボールに絵を描きましたよ。え~、では、毎度バカバカしいお話を。なんかさ、僕さ、コンビニで買い物をして、現金を支払う際に、店員さんに、小銭の扱い方を、ちょいちょい指摘されるのよね。オイオイこらこら、な、な、なんちゅ~雑な小銭の管理しとんじゃい!もう少し考えて、効率よく財布を軽くする支払いをせんかい!とまあ、こういった意味合いの指摘を、ここまでハッキリとは言われぬまでも、よく受けるっす。具体的にどういうことかというと、例えば、913円の支払いの時、1000円札だけをペロンとトレイに置くとさ。細かいのはございませんか?と必ず聞いてくるじゃんね。しゃーねーから、小銭入れを開いて10円玉二枚を支払いかけると、いや、あの、お客さん、今財布に1円玉たくさん見えましたけど? え? いいっすか?と注意されるのよね。ははは。確かに僕の財布には、基本的に小銭が腐るほど入っているので、しゃーねーから、その中から相手の望みどおり1円玉を13枚わしづかみにして、じゃらじゃらとお支払いさせていただき、他の客の前でなぶられたる、何ともみじめな思いを抱いてコンビニを後にするのだ。確かに、時々妻のレジの支払い方を後ろで見ていると、僕と同じ状況であれば、先ず1000円札をトレイに置いて、その後5円玉二枚に1円玉三枚を支払い。100円のお釣りを受け取るというぐあいだから、まあ、これが普通なのだろう。うほほーい!小銭一気に片付いちゃったラッキ~!なんつってやがる。1円と5円、たくさんお持ちのようですが、よろしいですか?その手の平の200円頂ければ、10円のお釣りですよ。その500円玉二枚で1000円になりますよ。本気でお札で払います?どちらかと言うと年配の店員さんに、よく言われる。んが、時々、若者にもしゃーしゃーと指摘される。どなたも、その表情に悪気は微塵も感じられない。100%僕の為に善かれと思って言っているのだ。え~っと、それでは、只今より僕の言い訳大会を盛大に執り行いたいと思います。確かに僕は、どちらかと言えばお金に執着のない方ですが、決してお金の計算が苦手な訳でも、金銭感覚が崩壊している訳でもないのです。例えば、今僕は受注額四千万円の公共工事のコスト管理のことで頭がいっぱいだったりします。要するにね、ただ単純に日中は、そんな仕事のことで頭がいっぱいいっぱいなのです。運転中もコンビニのレジでも、大半は他事をあれこれ考えていることが多く、また、もともと典型的な一点集中型の視野の狭い性格ゆえ、コンビニのレジで他事を考えつつ、財布の小銭を効率よく減らす方法を瞬時に考えるという高度な芸当が、お恥ずかしながら出来ない人間なのよね。とっほほほおお。恐らく、行きつけのコンビニの店員さんからしてみれば、たまに買い物にくる坊主頭、目がうつろ、口半開き、心ここにあらずの、気持ちの悪い中年。僕はきっとそう思われていることだろう。年配の店員さんなどは、残念なオトナのコドモ感ハンパ無い僕を見て、親心から僕に小銭の扱いを指導してくれているのかもしれない。でも、もうほっといてくれ。アタイのことは、もうほっといてちょーだい。もうアタイに構わなくてけっこー毛だらけ猫灰だらけお尻のまわりは糞だらけ。先日、僕は仕事が上手く行かず、珍しくとても虫の居所が悪かった。そんな時、コンビニで、いつもの年配の店員さんに指摘された。あ、ほらお客さん、その50円いただければ、10円のお釣りになりますよ。思わず僕はこう答えてしまった。僕、50円マニアなんです。・・・じゃ、じゃあ、そこの5円玉たくさん使って・・・。僕、穴あき通貨フェチなんです。・・・・・・。誰が呼んだか誰が呼んだか銭形平次~。鼻歌まじりに店を出たのである。世界がキャッシュレス化へ邁進する本当の理由は、僕のような人間の屑がいるからだろう。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.08.25
ちょ、あんた、布団ふかふかだよ!早よ、ごろごろしてりゃあ!家に帰ると、妻が待ちかねていたかのように僕に言う。妻が、布団を買い替えたのである。日本製 5層構造 極太 極厚 敷布団 シングル 帝人 マイティトップ 清潔 防ダニ 制菌 抗菌 防臭 防カビ ほこりが出にくい 敷き布団 シングル 超ボリューム 体圧分散調 弾力 固綿 クール 接触 冷感 ホテル仕様 帝人 テイジン 国産価格:3980円(税込、送料別) (2020/8/22時点)楽天で買いました。普段からモノへのこだわりが強い妻には珍しく、とてもお値打ちな敷布団を選んだようです。妻は今後は、寝具については「良いモノを長く使う」という考えを捨て、どちらかと言うと「消耗品」的感覚で捉えていくとのこと。無駄に良いモノを買っても、まだまだチビたちが汚すし、どうせ数年のうちに「ベッド買えー!」なんつって、子供部屋で寝るようになるだろうから、まあ、賢明であろう。こちらが、これまでの敷布団。聞いてビックリ、かれこれ10年以上使ったらしい。妻に、新しい布団買えとねだられるたびに、「そのうちベット買ってやっから、もう少し今の布団で辛抱しよまい」と僕が、その場限りのことを10年言い続けたのが、長らく愛用した主な理由である。10年も使うと、弾力性などというものは、とっくに消滅しており、近頃は、なんだか工事現場の乗り入れ口の鉄板のような、頼もしい硬さを醸し出していた。臭いもなかなかだった。次女の寝小便。長女の寝汗。犬の寝ヨダレ。僕の寝加齢臭。妻の寝横漏れ。などの「動物臭」がこってりと染み付いていた。妻は頻繁に布団を干す方なのだが、干せば「こんがり焼けた動物臭」になった。諸君、よくぞ今日まで頑張った。ご苦労様でした。早よ、さっさと風呂入って、ごろごろしてりゃあ!布団ふかふかだで!妻がしつこいので、先ずは風呂へ。あ、パパ、布団ふかふかだよ。脱衣場にいた長女が言う。パぁーパぁー、布団ふかふかだよー。二階から次女が叫ぶ。ったく、わぁーったっつーの。るっせーっつーの。急ぎシャワーだけ浴びて、二階の寝室へ。うおーーー!ごろごろしとる!ごろごろしとるぞー!トドのようにごろごろ!ったく、こいつらときたら、どうにかならんか?とろけるチーズを見たら、とろとろー!と叫び。ダシ巻き卵を食べれば、ふわふわー!と叫び。ステーキを切れば、にくじるー!と叫び。新しい布団に寝転がって、ふかふかー!と叫ぶ。・・・まあ、そんなところが女子の愛おしいところだったりするのだが。ちなみに僕は毎晩、一番奥の布団で、バケツの中のザリガニのように寝ています。御覧の通り、ごろごろと寝相の悪い、僕の愛おしきトドたちから身を守りながら。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.08.23
先のお盆の話。せっかくだから家族で、どこか近場にぶらっと遊びに行くかってんで、レゴランド名古屋に行ってきたがや。ニュースで「コロナと猛暑でガラガラです!」って言っとったもんで。ガラガラ?いやいや、お盆だぜ?天下の、レゴランドだぜ?ガラガラつったって、それなりに人だかってんじゃねーの?あんま人多かったら帰るでよお。コロナ怖えーでかん。なーんつって、地元のニュースを半信半疑で行ってみたらば・・・がらんがらんがらーんみにまる最高でした。うちはレゴランドは初めてでしたが、子供が大きくなる前に、きっと必ず、また行くつもりです。コロナ対策も入念でしたよ。あと、キャストの、プロ意識に感心しました。猛暑の中、お疲れ様っす。おーい、地元ーーっ!ファミリー!今行かなきゃ、いつ行くー!だもんでーーー!にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.08.22
妻が、今年も梅干しを作りました。今年の梅は軟らかい、と妻が申しておりました。お盆休みも今日で終わり。向こうの家族に手を合わせます。すくすくと育つ子供たちの姿を見るにつけ、死んだ母に、この次女の姿を、一目見せてやりたかったと思うのです。六年前のクリスマスイブに、母は交通事故で死んだ。この時、僕の姉には、女の子が一人(中学生)。妹には、男の子が二人(高校生と小学生)。僕には、長女(保育園)と、妻のお腹の中に次女がいた。母は自分の最後の孫になるであろう次女の誕生をとても楽しみにしていたが、ラス孫の顔を見ることなく、まるで入れ替わるように、突然この世からいなくなってしまった。翌年のホワイトデーに、次女は生まれた。思えば、奇妙な年だった。母が亡くなる数か月前に、姉のご主人(僕の義兄)が難病の末、この世を去った。そして、なんと母が死んだ翌日の12月25日に、妹のご主人の母(妹の義母)が、突然の脳梗塞で亡くなった。頼れる親族が奇妙なタイミングで立て続けに亡くなり、僕たち姉弟はパニックになった。おのずと僕は、これからは自分が頼られる存在になるしかないと思った。ちなみに、前厄でした。年が明け、僕は親族の世代交代というものを、様々な局面で嫌というほど実感した。残された父たちも、親戚たちも、正直弱りきっていた。そんな僕の厄の真っ只中に、次女は生まれた。何故、古より人々が四十歳頃に厄払いを行い、自分の身の回りを見つめ直して来たのかが、何となく理解出来た。僕は、ならざるを得ず、大人になった。次女は、奇妙な子だ。僕たちは、7年に及ぶ怒涛の不妊治療の末、長女を授かっているから、心身共に二人目は困難、恐らく長女は一人っ子であろうと思っていたのだが、ある日、妻が、しれっと次女を身ごもった。今でも二人で首を傾げている。生後二週間でRSウイルスにかかり、全身チューブだらけになって生死をさまよったが、幸いにしにて一命を取り止めた。以降はとても健康、長女と比べても病気になりにくい体質だ。妻は病室で夜通し死んだ母や祖母やご先祖様たちに、「どうか娘の命を助けて下さい!」と祈り続けた。助けてもらったのだ。奇妙な子だ、いつも何者かに助けられている。おーい、見てるかー。あんたのラス孫だぞー。こんなに大きくなったぞー。やばいよ、やばいよ。あんたにそっくりだー。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.08.16
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