おしゃれ手紙

2019.11.29
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カテゴリ: 国内旅行
伊賀上野の有名人に松尾芭蕉がいる。
松尾芭蕉は伊賀で生まれ、29歳までこの地で暮らしました。
聖俳殿 ■
(▲上の屋根は芭蕉の旅姿の笠を、下の屋根は旅衣を表している。)
俳句を芸術の域にまで高めた俳聖 松尾芭蕉。
その芭蕉翁の生誕300年を記念して、1942年に建てられました。
その形は芭蕉の旅姿を表現しています。
殿内には等身大の伊賀焼の芭蕉座像が安置され、命日の10月12日の芭蕉祭で公開されます。
2010年には国の重要文化財に指定されました。
■ 芭蕉の死 ■
(▲聖俳殿の門)
芭蕉は、不仲の門人の間をとり持とうと元禄7年(1694年)9月に大坂に着いた。
当初は若い珍碩の家に留まり諭したが、彼は受け入れず失踪してしまった。
この心労が健康に障ったとも言われ、体調を崩した芭蕉は之道の家に移ったものの10日夜に発熱と頭痛を訴えた。
10月5日に御堂筋の花屋仁左衛門の貸座敷に移り、門人たちの看病を受けた。
8日、「病中吟」と称して   
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る    を詠んだ。

(▲この種類の竹を杖にしていたという。)
そして10月12日申の刻(午前4時頃)、松尾芭蕉は息を引き取った。
13日、遺骸は陸路で近江(滋賀県)の義仲寺に運ばれ、翌日には遺言に従って木曾義仲の墓の隣に葬られた。焼香に駆けつけた門人は80名、300余名が会葬に来たという。

高虎も芭蕉もみたか伊賀の秋    天地はるな

 伊賀上野は、忍者のふるさと。
あちこちに忍者がいる。

(▲お城に忍者。▼)

■ 忍者のふるさと・伊賀上野 ■
謎めいた存在で人々を惹きつけてやまない忍者。

全国では特に、伊賀の地に優れた忍術が発達しました。

■ 伊賀流忍者博物館 ■に行った。

海外の団体さん用に、10人くらい来ていた。
「くのいち=女忍者」がからくりを実演していたが日本語のみ。
英訳したものを、天井からぶら下げていたが、英語も覚えてやればいいのに・・・。


松尾芭蕉の母の父(母方祖父)は伊賀流忍者の祖の百地丹波とされているため、百地丹波の孫として忍者説がささやかれている。


日本で忍術が起こった要因は、さまざまな説があり、定まったものはありません。
しかし、日本独自の風土や日本人の心の持ち方が忍術の大部分を占めていると考えられます。
古来の日本の「村」は、基本的には争いを好まない社会でした。

人々は「和」を重んじるために「忍耐」の心を学び、他人に気配りしながら臨機応変に対処する術を常に考えていました。
戦わずして相手を制して共存するという忍者の考え方は、実は日本人であれば誰しも心の中に存在するもの。
つまり「忍術」とは、戦いを避けて、人々がお互いに平和に生きるための技術や知識を集めた総合生存技術であり、戦うことが目的ではないのです。(伊賀流忍者博物館パンフレットより)

■ 伊賀焼:長谷園 ■
■ 伊賀上野城 ■

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Last updated  2019.12.03 00:28:25
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