おしゃれ手紙

2026.04.24
XML
カテゴリ: 国内旅行


沖縄の緑豊かな北部に佇む今帰仁城(なきじんグスク)跡。
今帰仁城跡(なきじんグスクあと)は、沖縄本島の北部、今帰仁村にある城跡。
東北から沖縄に移住してきたというガイドさんの案内でここを廻った。

沖縄本島北部から遠くは奄美地方まで支配していた北山王の居城でしたが、1416年に中山を支配していた尚巴志(しょうはし)によって滅ぼされました。

城壁の長さは約1.5km。
高さは最も高い所で8mもあり、城全体の規模としては首里城に次ぐ大きさです。

▲平郎門(へいろうもん)は今帰仁城の正門。
現在見る門は、昭和37年(1962年)に修復(しゅうふく)されたもので、左右に狭間(はざま)があり、門の天井は大きな一枚岩を乗せた堅牢(けんろう)な作りとなっている。

日本の城にみられる、狭間(さま=鉄砲や矢を射る場所)かと思ってガイドさんに聞いてみたら、
覗き窓だそうだ。

▲裏に回ってみると、中に人が入って除くようになっていた。
門の上に立って防衛するのだそうだ。
その際、矢は、金属を使うから使わないそうだ。
 司馬遼太郎の「街道をゆく」によると
●八重山諸島では十七世紀まで石器、木器の時代がつづいていた。
●その唯一の理由は、沖縄諸島では砂鉄を産しなかったからである。
そのせいで弓矢を使わなかったのだろうか?
矢の代わりに、石を投げて敵を追い払うのだそうだ。

この歴史的な地は、かつての王国の威光を今に伝える壮大な城壁で知られている。




▲横向きの「柱状節理」のように割れていて、石材としてすぐ使える。

▲グスク時代の旧道はか、つての城の防衛に重要な役割を果たしていた場所。

この階段は昭和34年頃に、琉球政府の文化財保護委員会によって造られたもの。

3,5,7段の階段、途中に踊り場があり一息つける。
今帰仁グスクが栄えた14世紀から15世紀には、この階段はない。




多くの人が暮らすための水はどうしたのかと思ったら、

下から運んだのだそうだ。

▲アンモナイトが見える岩があった。
このあたりは、かつては海だったのだ。


▲シュリケマイマイという名のカタツムリ。「首里毛」、マイマイはカタツムリの意味。

桜の花は、1月の終わりから2月のはじめに咲く。
咲き終わった桜の木には、実がいっぱいなっていた。


3/25■ 奄美:奄美パーク/田中一村 ■
3/26-1■ 奄美:マングローブの森をカヌーで行く ■
3/26-2■ 奄美:作家・島尾敏夫と島の戦地跡巡り ■
3/27-1■ 奄美博物館/西郷南洲流滴跡 ■
3/27-2■ 笠利崎灯台/カトリック大笠利教会/あやまる岬 ■

3/28-1■ 奄美→沖縄/世界遺産・玉陵(たまうどぅん) ■

3/28-2■ 沖縄:那覇まちまーい:金城町石畳 ■
3/29-1■ 沖縄:残波(ざんぱ)岬/琉球村でエイサー ■
3/29-2■ 恩納村博物館/万座毛 ■


バナー ボタン

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
・・・・・・・・・・・・・・・・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2026.04.24 00:34:25
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Favorite Blog

もうすぐ作品展 New! アトリエもこさん

『ビアズリー怪奇幻… New! Mドングリさん

読書レビュー 「君… New! キメジマさん

救えなかった アフ… New! hoshiochiさん

【京都研究】知られ… New! ワルディー・ヨーリョさん

Comments

天地 はるな @ Re:昔語り:父の方言(01/26) ●舞良戸 *木の引き戸 8月の朝日新聞の小説…
天地 はるな@ Re:昔語り:父の方言(01/26):追加 ●手にあわん 手ごわい、悪い・・・。 悪…

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: