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磁石の単元に入った。とにかく、体験!と、購入した磁石セットを使って、2時間、磁石で好きに遊んで、磁石の不思議をさがせ!!!ってことで、入っていった。子ども達は好きに、好きに、本当に目をランランとさせて、磁石で遊ぶ。遊んでは、私のところにきて、いろいろ報告しにくる。N極・S極のことなんかは、知識として持っている子も多いんだけど、それでも反発しあったり、くっついたりして楽しそうだ。その上、工夫すれば磁石はクルクルまわるし、クリップは空中を飛んで磁石にくっついてくるし、磁石の中には、くっつくところ(極)と、くっつかないところがあるし。。。いちいち報告してくる。それを聞いていると、もう大概、必要な実験はこなしているじゃない! 偉い!!! と思ってまう。これを系統だてて全員のものにこれからしていくんだけど、 理科、おもしろい!!!! 磁石、すき!!! と叫んでいる子を見ていると、まずは成功かなぁ。 困ったことは・・・。 いろいろ勝手に実験してくれて、中には磁石が割れちゃった子も。でも割れた磁石、極はどうなるの??? という導入にも使えるし、 よし (割れた磁石はひとつでよかったんだけどね。)
2009年02月07日
今日、私は舞台『エリザベート』を見に行く予定だったので、子ども達のことは旦那に任せる予定だった。だからって・・・。私がいないのにスキーに行かなくてもいいじゃんでも彼らは楽しんで帰ってきた。スキーではなく雪合戦で、下の子はつるつるが怖くってずっと抱っこだったらしいが・・・。焼き肉やで、野性児になっている彼らにお芝居で、心洗われた母が合流。。。夢中で喋る彼ら・・・。可愛いなぁ。ちょっと雪焼け。楽しかったんだ。よかったよかった。でも今度はかか(お母さん)も一緒につれていってよ!!
2009年01月12日
くそ忙しいのに、懇親旅行の幹事なんてイヤじゃ!!!と内心思いつつ引き受けた幹事。 昨日、行ってきました♪当てつけがましく下の子を引き連れて。 ははは。でもあれはあれで職員が仲良しになる。という面ではいいもんなんでしょうね。と行ってみて思う。それに普段やってもらってばっかいる私が、人の気苦労も少しは知ろうというもんです。ちびっ子は、行きも帰りもバスの中でオッチン(座ることの大阪弁)して時々お歌を歌ったり、ご本を読んだり、アンパンマンのぬいぐるにを話しかけたりして、私ともべ~ったりして大満足そうでした。そういえば家の中で一緒にいても、家事やら仕事やらで、こんなに一緒に遊ぶことってないもんね~。 と反省。。。降りて、観光名所に行く時には、ガキんちょの足では、大人のスピードについていけないから、私がずっと担いだ。ベビーカーも使えないような山道なのが残念で、大変息がきれた。雪が降ったりしていたが、オーバーを友達に持ってもらい、担ぎ歩いた。楢山節行みたいだった。やつは重いのだ。まわりのセンセに、アンパンマンのぬいぐるみを持っている息子は、「アンパンマンがアンパンマン持ってる!」と笑われていた。 みなさま、お疲れ様でした~
2009年01月11日
おまえはアホやねんから、ええかっこ、すな。 幼い頃から繰り返された、父の私への言葉・・・。これがこの一年間、私を支えてくれた。 教師2年目。わからないことがたくさんあった。 なにがわからないのかわからないほど、わからないことがたくさんあった。その時、いつも父の言葉を思い出した。 おまえはアホやねんから、ええかっこ、すな。 せやせや。ええかっこ、してる場合やないわ。 そう思って、手あたり次第に人に聞きまくった。 40歳を超えているけれど、20歳前半の子に教えてもらうのも しょっちゅうあった。。。おかげで助けてくれる人がたくさんたくさんいた。 (来年、私と組みたい、と言ってくれている人もいるらしい。)謙虚に謙虚に・・・。 それが口の悪い父が言うと、おまえはアホやねんから、ええかっこ、すな。 ってなるんだけど。来年も人に助けてもらわないと、一歩も進めない。 来年も父の言葉を思い出しながら、進んで行こうと思う。 お父さん、懐かしいなぁ。恋しいなぁ。
2008年12月31日
息子が、部屋の片づけをしようと、引出しの中を引っ張りだし、そこで飽きて一日が過ぎてしまった。。。 小さい頃の私にそっくり・・・。あれはきっと正月早々お片付けね。お片付け、私も大嫌い。家の中、無駄なぜい肉でいっぱい。 捨てる・片付ける。。。ふだんからできる人ってすごい!
2008年12月30日
息子と一緒に犬神家の一族を見た。私は推理小説が大好き。だから推理映画やテレビが大好きなのだ。そして、その血を引き継いだからか、息子もそういう類のものが幼いながらに好き。だった。。。だから教育上、どうかとは思うものの、古畑やらコロンボやらコナンやら相棒やら、一緒に見ていたのだった。だから犬神家も一緒に見たんだけど、これはダメだった。怖い怖いといって、お風呂にも一人で入れなくなっちゃった。もちろん、トイレも洗面所もダメ。一人で勉強もだめ。 本気で泣くし・・・。 ・・・おもしろい。(←最低
2008年12月29日
昨日は、クラスのお楽しみ会だった。子ども達には、授業中、準備をする時間をあげることができなくて、(勉強が終わらなくて。)すべて休み時間だけでやっていたんだけど・・・。正直、よくやったなぁ、と思った。それぞれ、自分がやりたい出し物をやったんだけど、ちゃんと説明をし、出し物をし、見る人のことをちゃんと意識していた。アラジンの『がんばれニッポン 日本のさらりーーまーーーーん♪』を歌ったグループには、割れんばかりの拍手と、アンコールの大合唱が来て、アンコールを歌った子たちは、頬を蒸気させて歌っていた。あんまりすばらしかったので、算数の補助の先生を職員室まで呼びに行って、一緒に見てもらった。(親ばか。じゃない。担任ばか・・・。)楽しい、一日でした。今日は、通知表つけ。ラストスパート!!!我が家のクリスマスパーティの準備は、旦那がやっている。ごめん。
2008年12月23日
この時期は、朝昼晩、全部ラーメン!という先輩は、夫婦共に教師。私は、旦那が別の仕事なので、朝昼晩、作ってもらって成績を付け続けている・・・。(ありがとうございますこうやって数字にしてみると、今学期の子ども達は本当に本当によく頑張ってくれた。絶対評価だから、全体的に成績が上がれば、みんなにいい成績をつけてあげることができる。学年でその辺のところは統一しているので、自信を持っていい成績をつけてあげる。お家の人にいっぱい褒めて貰って。それだけ、がんばったよ。ひとりひとりの喜ぶ顔が目に浮かぶなぁ。私の授業力じゃない。補助に入ってくださった先生に、教え方をたくさん指導してもらったから。勉強になりました。明日、学校でお礼を言おう!!!
2008年12月21日
私は好きで、学級通信を週1回は発行している。保護者の方も喜んでくれている。・・・と思う。でもハタっと考え込んでしまうことがある。それが個人情報保護法。。。子どもの日記、作文、載せてはいけないのか?いちいち保護者の許可がいるのか?子どもの写真、顔がわかるものは駄目なのか?ネットで調べると、厳密にはダメらしい。でも、この法律に注意して学級通信を作ると、味気ない、本当につまらないものになってしまう。最初の学級通信で、これから子ども達の作品は載せます、とは書いた。子ども達には、「載せて欲しくない日記には【秘密】って書いておいてね。」とは言った。でも気になりだすと次々気になる・・・。そういえば、学級通信がだめなら、学級文集はどうなんだろう?いちいち保護者の許可なんかとってないよ。しかも写真を載せているけど・・・。じゃあ、授業でも気をつけなきゃいけないのか?本当は、子ども達に出す年賀状、クラスの写真を入れたかったんだけど、これもダメかなぁ、と思ってやめた。 つまんないなぁ。結局、学級通信、作るのやめるか・・・。となってしまう先生も多いんだろうな。
2008年10月11日
息子2のうまれた時間が近づいてきた。明日の8時ごろ、産まれたんだ。今頃は陣痛の真っ盛り。。。あぁ、今では可愛い盛りの次男坊。可愛くって可愛くってたまらないよぉ。クラスの子もそうやって産まれてきたんだな。明日はそんなお話をしようかな。
2008年10月07日
前職では、会社を一歩出れば私の頭は仕事から全く切り離すことができた。この職業は、キリがない運動会が終わり、少しはホッとできるだろうと思っていたら、学校中が音楽会の準備に突進しだした。まさに一難去ってまた一難。驚きだ~。しかも研究授業(授業者じゃないんだから文句は言えないけど。)と校務分掌の担当で、火災訓練の準備もある・・・。そして、事務仕事の間に、授業準備がある。(↑これが一番びっくり!授業準備をする時間がない。)○つけもたまる。自分の仕事は家でが主。 今日は、息子2のお誕生日会の予定だったけど、 来週に変更!!! すまん!!!!!ガッコのセンセは外から見ているほど、ヒマじゃなかった。
2008年10月05日
急に義母から、義父が危ない、と聞いたのは9月の半ば。。。悪いのはわかっていたが、年内と聞いていた私と旦那は驚いた。でも驚いても、まだ信じ切れずに、のんびり暮らしていた。週末に帰ればいいかな、と話し合っていた。私は運動会の準備に奔走しており、旦那も仕事に追われていた。そして義母の電話から数日後、「今から病院に向かう。もうだめかも。」と姪からの電話があり、そしてすぐに「死んじゃった。」と。。。旦那は、すぐに飛行機をブッキングし、子ども二人と帰って行った。私はみんなの喪服を揃え、運動会の小道具を作り、徹夜明けで帰った。義母は、普段から見事!という生き方をする人で、泣きごと一つ聞いたことがないけれど、私たちに、「仕事もあるんだし、来んでいいわ。」と言っていたことを後悔していて、「すまんんかったわ・・・。」と泣き崩れていた。おとうさんは、とても優しい人で、そして明るくて人から好かれる人だった。だから私達も悲しかったが、旦那が泣いて泣いて大変だった。私は若いころに実父を亡くしているから、子ども達にはおじいちゃんがいなくなってしまった。田舎でのお葬式。しかも本家・・・。不可解なことも不愉快なこともあったが、義父と義母のことだけを考えて・・・。合掌
2008年10月04日
今日から、国語の単元『ちいちゃんのかげおくり』に入った。大して時間がなかったから、最初の私の本読みだけで終わってしまったが・・・。不覚にも読みながら泣けてきた・・・。(子ども達にはばれてませんが。。。)もともと小さな子どもがかわいそうな話に弱いんだけど、ちいちゃんが、かわいそうで、いじらしいもんで、たまらんかったわ~。
2008年09月16日
先週、風邪でダウンしていたおばあちゃんからうつったのか、土曜日、いきなり次男が38度の熱・・・。そして昨日の晩から長男が38度の熱・・・。おかげで家で家事をしたり、仕事をしたり、との~んびり♪しています。本当は、運動会の整理体操を考えないといけないんだけど、嫌で嫌で・・・。 逃避中。。。
2008年09月15日
今年の主任の先生は、ご自分に自信がないため、何事もみんなで決めましょうね。という態度。しかしうちのチーム5人の構成ときたら、大御所二人は50台、若手はみんな私と同じようにこの仕事について一年目・二年目・三年目だ。みんなで決めましょうと言われても、私たちの知恵などたかが知れている。なのに。なのに、だ。大御所二人が全く意見がない状態・・・。「決めて~。」と言う。だから学年会議も延々と続いたりして、大変。一方、雑用(お茶当番・プリント作り・プリント刷り・プール管理)などは一手に若手に押し付けられる。そしてそしてその一方、他のチームでは経験のある先生がやっている仕事(職員会議の司会とか管理職との交渉)などにはバックレるので、うちらがオロオロしていたら、他の学年の先生が助けてくれたりして。苦痛だ。。。他の学年が、いろいろ分担してやっている中、辛い。たとえば、運動会の指導。他の学年は、ダンス指導・競技・リレーと先生達で分担して指導していく。うちはしらんぷりだ。ダンスを私たちが指導しているんだから、その後のリレーや団体競技はやって、と思う。・・・がやってくれない。どころか、どのように並ぶんで、どう動くかも興味なさそうだ。私らは炎天下、踊り続けて、その後走り回ってリレーだ団競だ。なのに、先生たちは、日陰で談笑中。でもそれもいいんだ。辛いのは、本来、ベテランの先生たちがやる仕事を押し付けられることなんだ。去年の学年主任の先生がたまにやってきて、同期や友達がやってきて、「大丈夫?」と聞いてくれるのが救いだ。 旦那に愚痴ったら、 「後、半年!」って。そうやな。会社員やったころは、辛くてもなかなかメンバーチェンジなかったもんなぁ。でも半年したら、あの先生達からは離れられるけど、子どもらとも離れるやん。それもさびしいんだ。
2008年09月06日
今日より運動会の練習開始。まずはダンスを教える。このダンス、子ども達に教えるためには、まずセンセが踊ってみせなければならない。 しかも左右対称に・・・。夏休み、クーラーのある部屋に籠ってA先生と練習練習・・・と繰り返した我らがダンス。 今日はそのお披露目なのです昨日の水泳参観よりも緊張して、200人の子ども達の前で披露(ドキドキ・・・) しらけたらどうしよう。 こんなん踊るのいや! かっこ悪い ・・・と言うだろうな。と思いつつ、踊る!踊る!すると意外なことに、子ども達が楽しそうに、時に笑いながら見ているではないか!!ウェーブのところなんか、「うわぁ。」と歓声があがるそして踊り終わると、なんとアンコールが。もう一度踊ってみせると、中にはすでに体を動かしている子も出てきた。教室に帰り、ふざけて「先生があまりに格好よかったので、びっくりしたと思うけどさ・・・。」 と言うと、「えーーー。」「へた~。」とか言う答えを待っていたのに、「うん、格好よかったーーー。」と言うお答え。 照れるやん。 泣きそうになったわ。職員室でA先生と、「がんばってよかった。」 と喜びを分かち合いました。これから先は長く、長く、長く、 気が遠くなるけれど、また、感動もありそうだ。 がんばろう!!!
2008年09月04日
長男の空手の合宿は3日間。今日は2日目。でも、 大して変わらない日々・・・。 だって、次男がいるもんなぁ。でも今日は楽しかったんだよ。偏食家の長男がいないので、おばあちゃんも誘って、家族でタイ料理の店へ。次男はなんでも良く食べる子なので、いくらタイ料理といっても辛い物ばっかりじゃないだろうし、大丈夫だろう、と、行ってみた。おいしかった。。。次男も海老やいろいろ頬張っていたし、満足満足 でも、帰りは大雨で、40分近いドライブは、怖かった。
2008年08月23日
40人近い子どもに毎日お勉強を教えているわたくし・・・。 でも我が子となると・・・、 あかんだらだらだらだら過ごしている息子に、 なにを言ってもあきません。私のクラスの子達も、こんなふうに親を困らせているのかな。 あっ。また、お昼寝しました 夏休みの作品は、まだ作らなくていいのか
2008年08月19日
数日旦那の実家に帰省し、数日、従兄弟たち2人を今度は泊まりに来させ、今、空港まで送ってきた。搭乗口で、甥っ子達にバイバイをしながら、本当に本当にホッとした・・・。 やっと終わった・・・。でも、息子にしたらそうじゃないんだよね。空港で泣き崩れていたわ。搭乗口で、姿が見えなくなっても涙。飛行機が飛び立ってからも涙。飛行機がいなくなっても、ず~っと涙涙・・・。そして、向こうの空港で撮った写真が私の携帯メールに入り、それを見て、また涙。。。ちょっとあほかな?と思うほど、感傷に浸っておられる。今は、慣れないメールをいとこに送ろうと、一時間あまり、私の携帯をいじっている。 かわいい・・・。息子は、人が大好きだ。さびしがりだ。小さな時から、人を愛する子だ。 かわいいなぁ。。。それにしても、子どもは無邪気でいいよなぁ。その間、親は大変だったんだぞ。今日は、ゆっくりお風呂に入って、ゆっくり寝ます。明日から、仕事。夏休みもいよいよ終盤。新学期の準備が始まろうとしている。自分でも少しずつ、顔に気合いが入ってきている。
2008年08月18日
いつも、小さい時から、8月8日の花火を見ながら、「あぁ、夏休みももう終わりかぁ。」と悲しく思う癖があった。それを同僚の先生に言ったら、「ちょっと早すぎない? つまんない性格やな。」と言われた。ほんまやなぁ。で、今年も「半分終わったなぁ。」なんて思ってしまうわ。でも、仕事は思ったほど進んでないけど、楽しむってことに関しては、頑張った!息子達とカラオケに行ったり、ボーリングに行ったり、普段疎遠になっている友達や先輩に会ったり、お芝居(蜷川幸雄演出:道元の冒険)に行ったり・・・。楽しい!!!後、半分!息子たちと、いっぱい遊ぼう!!!(仕事もね~。)
2008年08月11日
息子1くん、8歳のお誕生日おめでとう☆ 君が産まれた時は、お母さんは病気だったから、 お産もしんどかった。 微弱陣痛だったから、 陣痛が4日間あって、 産んだあと、お母さんは3回、気を失ったんだよね。 それでも君は元気で、 保育器の中で、 点滴の針を自ら抜いたらしいね。 君に会えたのは、産まれてから数日後。。。 信じらんないことに、 初めて会った時の記憶がない。。。 記憶があるのは、 病院でおっぱいを飲ませながら、 幸せやなぁ。 このまま、この子とどっかに行ってしまいたいな。 と思ったこと。 空が青くて、きれいだったから、 ぼぉっと眺めて、 君の顔も眺めて、 本当に幸せやったなあ。 頼んない君だけど、 阿呆やなぁ、とよく思う君だけど、 よくぞここまで元気に育ってくれました。 ありがとうな そして、誰も覚えていないようだけど、 明日は私の誕生日だ・・・。
2008年07月27日
「喫茶店とかに行った時さ、足の甲が真っ黒に焼けて人いるでしょ。 あれ、絶対、教師。」 と先輩教師が言っていたが、 本当にそう。 足の甲が、無茶苦茶真っ黒 汚いよ。 着ている水着は、手の甲まで隠すもの。 もちろん足も足首まで隠す。頭には園芸用の麦わら帽子をかぶる。(横に布がついていて、あごの所でその布を結ぶやつ。)というすさまじい格好で、指導しているが、 でも足の甲までは・・・。 水中にいても焼けるんだなぁ。先輩教師は、靴下をはき、手袋をし、サングラスもしている。 異様・・・。 でも、なるほど・・・。昨日のプール指導の時、 「並びなさいよぉー。」と言った時、 「うわ。先生か。誰かと思った。」と子ども達がびっくりするほどの完全防備。 でも。まだまだ防がねば!!!
2008年07月26日
何でわたしばっかりが、しなきゃならないのよ というつらい考えに昨日は囚われていましたが・・・。 一人、プリントの用意をしていると。 全然関係のない先生が、普通に手伝ってくれだした。 これはうちのチームの仕事だから、 自分の仕事をしてて。 と言ったんだけど、 うんうん、 と言いながら、手伝ってくれた。 それを見ていた他の先生も なにしてるの? とのぞきに来て、手伝ってくれた。 大変大変、嬉しうございました うちのチームの人たちは、 結局、「持ってないのよ~。」 というだけで、 誰も来なかった。 それにしても、うちのチームがバラバラなのは、 みんな知っていて、 臨海学校でも、宿舎やバスの中で、 大丈夫? と聞かれたりしていたが、 私も心配・・・
2008年07月25日
愚痴です。 学年のチームワークがバラバラ・・・。みんながみんな、自分のことしか考えなくなっていて、 正直、しんどい。明日、朝一、チームの中で、あるプリントをある場所に届けなくてはならなくなって、 誰が行くか、今晩急きょメールで話し合いをした。でも、みんなが持っていないから行けない、というのだ。 そんな馬鹿な。 嘘だ。 私はもうすでに渡しているので、本当に持っていない。 でもみんなはなぜ無いの??? どうすんの? 学校は、会社組織と違って、 組織がない。 学年主任は会社の中では課長のようなもの、 と思い込んでいたのだが、 どうも違うらしい。 個々に教諭がいて、 その上に、教頭、校長がいるのみのようだ。 縦組織がない分、 命令系統が成り立っていない。 自然と、働きたくない人が得をするような 変な組織だ。変だ、変だ。変だ。 とりあえず、プリントを何とか調達して、 私が行くよ。
2008年07月24日
夏休みに入り、ホッとする間もなく、 臨海学校があり、 プール指導があり。。。目をつぶっても、残像が残るほど、 連日炎天下でのお仕事・・・。 もう、ダウン寸前。 それでも、午後からは年休をとって、 今はクーラーのきいた部屋で、少しお昼寝。やっぱり、この夏休みというのは、 他の職業では考えられないほど、 楽ではあります。私と同様、会社員から転職した先生と、 「この時期だけは、転職してよかったと思うな。」としみじみ。体はきついけれども、 体中、真っ黒だけど、授業がないというのは 楽♪
2008年07月24日
終業式の日、朝の健康観察で、「元気です。夏休み楽しみにしていることは ○○です。」と子ども達に言ってもらった。子ども達は口々に、「おじいちゃんの家に行くことです。」とか「友達と映画に行くことです。」など、嬉しそうに発表していた。その後、司会役の日直さんが、「まだ一人残っています。先生、元気ですか?」と聞いてきた。「ハイ、元気です。夏休み楽しみにしていることは、普段、旦那さんが帰ってくるより先に寝ちゃってたから、夏休みは、ちょっと遅くまで起きて、旦那さんと一緒に夜ごはんを食べたり、お酒を飲んだりしたいです。」と答えた。なぜか子ども達はウケウケ。。。 ぎゃーーぎゃーーー。げらげらげら~よくわからない子たち・・・。でも、夏休みやあっという間。普段さびしい思いをしている息子たちと不自由な思いをさせている旦那とちょっとでもたくさんの楽しいことをして、そして、普段放ったらかしにしている家の中を、少しは過ごしやすくしようと思っている。 それにはまず早寝早起きだね~。
2008年07月19日
昨日はわがクラスのお楽しみ会だった。実際、テストや遅れている授業などが立て込んでいて、お楽しみ会の準備をする時間を充分とってあげることはできなかったけど、短い時間の中で、子ども達は、ちゃ~んと準備していた。それぞれが出し物をして、それがとても盛り上がった。2日ほど前から、親に内緒で家のタオルを15枚も学校に持ってきて、羞恥心をうたうから、これを振り回してくれ、と頼んでいた男子3人組。昨日は、振り付けも完っ璧で、「アンコール!!!」を貰って、大喜びだった。パントマイムをした、普段はおとなしい子や、お笑いのまねをしようとして、急に恥ずかしくなっちゃった子。一緒にやってくれる子が5人ほどいて、みんなと一緒ならできた。昨日の暑さの中、教室は蒸し風呂で、その中で、フルーツバスケットなどのゲームもてんこ盛り。「水分だけは、摂りながらやるんだよ。」と言って、みんなで、水筒を抱えながらのお楽しみ会だった。最後はみんなで記念撮影。いいクラス、持たせて貰って幸せだなぁ。
2008年07月18日
今日は終業式。11時。子ども達の出て行った教室を簡単に掃除して、職員室に戻る。戻った時の先生たちのホッとした顔。一年前、教員の世界に入った私は、このホッとした先生たちの顔を見てびっくりした。いい顔してはるなぁ。。。と。今年もそんな顔をした先生たちが、職員室にならんでいた。出席簿の処理や、夏休みの予定など やることはたくさんあるけれども、それでも明日からは、子ども達は来ない。(実際はプール指導があって、毎日会うんだけど。)無事にご家庭に返せたことにホッ。先生たちの、一番ホッとする一日は、きっと今日だと思う。 夏休みの目標:早寝早起き!
2008年07月18日
昨日は、飲みに行ってしまった。結局、2時まで飲んでしまった。今日は6時に起きて、通知表!データー入力、所見。でも飲み会では、ついつい愚痴ばっかりになっちゃった。いま、私のチームはがたがた。。。一人、自分のことしか考えない人が混じっていると苦しくなる。たとえばこうだ。4時間目のプール指導の後のこと。子ども達を教室に返しても、私たちは、片付け、施錠、水抜き、と仕事がある。でもその人だけは、「給食がありますので・・・。」と自分だけ帰ってしまう。給食の準備があるのは、他の先生も同じなんだけど。一時が万事この調子。でも他のチームの先生から言われている。本当に意地悪だから、目をつけられないように、耐えろ!って。先生の世界は、あまり縦のラインがしっかりしていないから、注意する人はいないまんま。不思議な世界ではあります。そんな話をしていました。
2008年07月13日
18日の終業式に向けて、通知表を作成しなくてはならない。私たちの小さい頃の相対評価とは違って、絶対評価。なんだかわかりにくい、と思ってしまうけど、どうだろう。。。相対評価は、クラスの●%が『5』、○%が『4』というふうに決まっている。本人がいくら頑張っても、まわりの子も頑張っていれば、成績があがることはない。それに比べて、絶対評価は教師が公表している到達目標を達成したかどうかで決める。だから、まわりの子がどうであれ、自分ががんばれば成績はあがる。でもこの到達目標にばらつきがあった場合、本人の頑張りはわかりにくくなる。ある科目では、達成した子が多ければ、成績が全体的によくなり、ある科目では、達成した子が少なければ、全体的に悪くなる。。。どっちがいいのかなぁ。と思いながら、まだ、テストの○つけをしている段階。。。間に合うのか!!!!今日、学校に行ったら、たくさんの先生が、職員室で唸っていた・・・ランチを食べに行ったり、しゃべったり、と息抜きをしながら、結構たのしかったけど。普段はクラスの子ども達と、給食の日々。なので大人と食べるのって新鮮♪
2008年07月12日
今週はどうしてこんなに?と思うぐらい辛いことがたくさんあった・・・。 一番大きなものは、義理の父が、 永くないとお医者さんに言われたこと。 二つ目、クラスの子が、母親からの虐待の疑いあり。。。で、 センターの人と対策を練っていた。 辛い相談会だった。 三つめ、わが子が、学校でつらい思いをして帰ってきて、 それに対して担任の先生と相談していた。 辛い思いをしたのは、その担任の先生の言動のおかげ・・・。 私の学年の先生達のチームワークも今はバラバラ・・・。 上の2人がいがみあっているから。 その上、通知表はつけなくてはならず、会議は続く、 で、イライラしていたのかな。 さっき、なかなか、寝ないで遊んでいる息子を怒ってしまった。 『しかる』じゃなく 『怒る』 だったのは 私が一番知っている。 私がイライラしているのが伝わってか、 今朝はあの温厚な旦那もちょっとイライラしていたなぁ。 まずはペースダウン。ペースダウン。 少しずつ少しずつ、進ませて行こう。 じゃないと、何のために仕事をしているんだか、わからないわ。
2008年07月11日
国語の単元で、『三年とうげ』を学習している。たくさんの動作化を取り入れるようにしているが、子ども達の名演技には舌を巻く。まだ三年生だからか、やりたがりの子がいっぱいなのも、頼もしい。最後に「先生もやって~!」と言われ、頑張ってみた。子ども達は拍手喝采!下手な演技なのに、よろこんでくれた。
2008年07月09日
「もう、愛情がないんです。」と教室で泣かれてしまった。保護者に。確かに遅れがある子。育てにくかったと思う。でも、遅れがあると、もう愛せなくなるんだろうか。私なら、自分の子に遅れがみられたら、不憫で、余計愛するとおもう。でも、それは、実際にそうじゃないから、おもえるだけなんだろうか???お母さんは泣いているけど、泣きたいのは子どもの方だ。今日、日曜日、家で何をして過ごした?せめて給食エプロンだけは洗ってやって・・・。
2008年07月06日
このブログ、放置して一年半が経ってしまいました。あちゃ~。忙しくてばたばたしている間に。このブログを書いていた頃は、私は二人目の子どもがなかなか授からず、イライラしていた。そして、気持ちの逃げ道として、第二の夢の、教師になる!をめざし、教員採用試験にむけ、勉強していたんだ。今は夢叶い、二人目の子どもは1歳半になる。そして、3年生担任として、毎日教壇に立っている。忙しさのあまり、自らを失いがちだけど、このころの気持ちを忘れず、家にいる子ども達、そして学校にいる子ども達と大切な時間を過ごして行きたいと改めて思った。来てよかったな。
2008年07月06日
教員になるためには運動靴も必要だろうし、ジャージも必要だろうし、アウトレットに行ってきました。 でも何より服が欲しいやん。 もうわたしは欲望の塊(T-T)朝一から最終までいました。 あぁ、楽しかった。うちのダンナと息子は帰ってすぐに戦利品を袋から出して、着てみたり、穿いてみたりするタイプ。 見ていて可愛い。一方私は昔から袋から出すのが面倒で、放り出しているタイプ。 可愛くない。 私の母がよく言っていました。あんたにモノを買ってやってもつまらんわ。いっこも喜ばへんもんっ!!!って。私の買ってきたモノまで広げてキャッキャと喜んでいるダンナを見ていて、本当にかわいいなぁ、と思いました。
2007年03月04日
今までは旦那と私だけでやってきたこの会社に新しい人が入ります。同じ業界で働いている人で、旦那の知り合いの人・・・。今日はその人と奥さんとお子さんが事務所に遊びに来ました。とっても感じのいい人達で私も嬉しくなりました。お子さんは2歳、女の子。うちの長男6歳と遊んでいました。(長男が優しく遊んであげている姿にちょっと感動・・・。)奥様はお腹が大きくて、3月末の出産予定。旦那さんは偶然私の中学の後輩。(ダブりませんが。) どうかうちの旦那を、この会社をよろしくお願いします。
2007年02月25日
うちの第一王子が、第二王子のおしっこ付きオムツは『やどかり』の臭いがすると言う。 そぉお???
2007年02月23日
決算もそろそろ終わりに近づいてきた。12月決算なのだから、税申告の提出期限は今月末。。。目処が立って当たり前なんだけど。こうして自ら決算をし、別表まで作成してみると、会社の業績がおぼろげながら見えてくる。まだ法人になって3回目の決算だけど、業績はどんどんアップしているのがわかる。1円1円、旦那が走り回って稼いで来たお金。。。ありがとう・・・。
2007年02月22日
気がつけば年末・・・。 決算です・・・。 4月から私がこの会社を辞めるから、 いずれは人を採用する予定だけれど、 それまでは夫婦二人で乗り切るしかない!!!!で、赤ちゃんと一緒に出社しています。 今は冬休みなので、上の子をおばあちゃんに預け、 下の2ヶ月の赤ちゃんを連れて、旦那と共に車で会社へ。会社はマンションの一室を借り切ったような部屋なので、まだ寝んねの時期で良かった~、とお布団に寝かせてお仕事です。もちろん、おっぱいをあげたりオムツを替えたりしなければいけません。泣けばずっと抱っこです。 はぁ、大変・・・。でも旦那も私も二人きりで仕事をしていた時とは違う楽しみがあります。疲れてくると彼の寝顔を覗き込んでは、 「はぁ、癒される~。 癒されてる場合じゃないけど、 癒されるぅうううう。」とやっています。 きっとこんな生活も後から思えば楽しい毎日なんだろうなぁ・・・。
2006年12月25日
生後1ヶ月半。そろそろ、起きている時間が増えてきた。問題は彼が昼夜を間違えていて、夜の9時頃から元気いっぱい抱っこを主張し倒すこと。 昨日は夜の9時から朝の5時まで お付き合いしました。今、夜の11時過ぎ。彼は私の腕の中にいます。昼間、頑張って起こそうと思ったんだけど、絶対に起きてくれなかった。。。 あぁ、今日は何時までこの状態なんだろう???
2006年11月29日
そろそろ疲れて来た。よく寝てくれる子だとはいえ、夜中の授乳は疲れる・・・。いつまで続くんだろう?最近は日中と夜とが逆転していて、昨日も夜中に4時間ほど抱いて、下ろして、泣かれて、を繰り返した。ダンナや長男は全然平気で寝ている。うらやましい。。。日中、彼が寝ている間私も寝ればいいんだけど、なかなかそうは行かなかった。だからずっと頭がいたい。でも今日は今から気合を入れて昼寝をするぞ!!!!!そうそう、昨日、長男のために黒いランドセルを買いました。今日は朝、幼稚園に行く前に箱から出したり入れたり出したり入れたり。。。どうか楽しい毎日でありますように。では寝ます。
2006年11月27日
4月から働き出すために保育園を選ばなくてはなりません。私が住む自治体は、12月頭までに市役所に申請を出さなくてはいけないため、今日は近所の保育園を巡って来ました。結果、少し遠いけれど気に入った保育園に入れるべきかうちから近い保育園に入れるべきか悩んでいます。彼にとっては一日の大半を過ごす大切な場所だし、私やダンナがちょっとぐらいしんどくても頑張るべきなんだろうか?でも毎日のことだし・・・。早く決めなくちゃ・・・。
2006年11月24日
以前乳腺炎になってから、少しでもおっぱいが張ってくると保冷剤で冷やしていた私。 最近、急に寒くなってきたのに、これはダメでした~。 熱が出るほどではないけど、風邪気味・・・。 そして長男も、生まれたばかりの次男も、大したことはないけれど、 鼻水がたら~。 そしてそして、一番驚いたのがおばあちゃん。 普段は笑えるくらい元気なのに、 今日は「喉が痛い気がする。」と言い出した。 熱を測ると、34度台。 体温計、壊れてる??? と思って何度も測るけど、同じこと。 体に触れるとすごく冷たい。。。 とにかく今日はみんなで全てを放り出して寝ました。 (家の中は大変なことに・・・。) それにしてもおばあちゃんの体温は、数時間すると元に戻ったけど、何だったんだろう??? 産後の私の手伝いがストレスに??????
2006年11月09日
部屋の模様替えをしています。 うちは3LDKのマンション。 洋室が2室ありますが、 広い方の洋室は今、物置になっています。 狭い方の洋室には、パソコンや私の勉強机、本棚が置かれています。 我が家は、今、本当に信じられないほど変化の時期です。 次男の誕生、長男の小学校入学、私の教員採用試験合格がドドっといっぺんに。。。 それに伴って部屋を模様替えしなくてはならなくなりました。 (怠惰な夫婦なのに・・・。) 春から小学校に入学する長男のためにすること。 広い洋室にある荷物を狭い方にお引越しをさせ、 広い洋室に学習机と二段ベッドを置いてやろうと思います。 そして、春から小学校教師となる私のために・・・。 私の勉強机と本棚を長男の机の隣において、 一緒に勉強(仕事)をしようかな、と思っています。 だから狭い部屋においていた机と本棚を広い部屋へお引越しさせます。 私が仕事を始めるために、 自営業のダンナは、今までのように夜中の12時まで仕事をすることはしないで、 早く帰ってきて自宅で仕事をするようにしてくれるそうです。 だから狭い方の部屋は、物置 兼 ダンナの仕事部屋になります。 それには更にパソコンに電話に机が必要・・・。 そして10月頭に産まれた次男のためにすること。。。 広い洋室を占領していた荷物とは、 友達から譲り受けたいらなくなった服やおもちゃ、ベビーカーなどがほとんど。。。 これをみんな狭い部屋へお引越し。こうやって荷物を移動させていると、今、我が家は変化の時期に来ていることを感じます。少しずつやって行きます。
2006年11月05日
まだ新生児なので、当然のことながら彼には昼も夜もない・・・。でもここのトコロ数日、規則正しく 昼夜逆転しているじゃないのっ!!!もうすでにばっちり抱き癖をつけてしまったので、起きているのに下に降ろそうモノなら、 ほえーーーーっ ほえーーーっっと泣かれる。巨大児として誕生した彼らしく、栄養摂取には積極的なので、すかさずおっぱいを含ませる。すごい勢いで飲みだす。 でも片方のおっぱいだけで、すぐにウトウト寝てしまう。やっと寝た と思ってベッドに降ろすと、そんな量のおっぱいでは足りないのか、泣き始める。 で、すかさずおっぱいを・・・。 ・・・を毎晩11時ごろから数時間ほど繰り返す。。。新生児なんだから、どの子もそうだと思うけれど、まだ、ウチの子の場合楽な方だとは思うけれど、 でもやっぱり眠い・・・。ちなみに彼がどんなに泣き叫ぼうと、 ダンナと長男と手伝いに来ている母はぜーーーったい起きません。きっと夜中に彼が泣いていたことも知らないでしょう・・・。
2006年10月31日
出産して10日ぐらいした時のこと。お昼過ぎから急におっぱいが張り出して、キンキンに・・・ もう寝返りもうてないほど。そうしておやつの時間の頃には、悪寒がして来て、 「あれ?風邪???」と言う感じだった。熱を測ると 39度2分。その頃、子宮の収縮のせいで下っ腹が痛かったこともあり、何かトラブルかと思って、生後10日の息子を連れて、母とタクシーで病院へ向かった。 もうふらふらして、生まれたてのわが子を落とさないように必死だった。診断結果は 乳腺炎。 心配していた子宮関連じゃなくて良かったとホッとした。抗生剤を処方してもらい、産科に行っておっぱいのマッサージをしてもらう。マッサージとは、カチンコチンのおっぱいを力いっぱい揉み解すこと。もう、これが痛いのなんのって!!!! 寝転んでやってもらっていたんだけど、 天井のしみを見つめつつ、息を詰めて フンっ!!!! と力を入れないと、気を失ってしまいそうになる。 マッサージが終わると、体の熱っぽさは少し取れた気がしたけれど、やっぱり帰りのタクシーでは、フラフラでオエオエだった。 それ以来・・・。乳腺炎はクセになる、と言われているので、ちょっとおっぱいが張ってくると、服の上から胸元を風呂敷でギュッと縛り上げ、保冷剤で冷やすようにしている。 こうするとおっぱいが作られにくくなるそうだ。産後、誰にも会わないからと言って、胸元には紫色の風呂敷、そしてズボンの上からは【トコちゃんベルト】をはめて、異様な姿で家の中を歩き回っている。最初は笑っていた家族も、慣れてしまってもう何も言わない。 もうもう絶対、乳腺炎はこりごりです。
2006年10月30日
合格しました。 今はただただ戸惑っています。
2006年10月28日
私を担当してくれた助産師さんの顔、思い出そうとしてもはっきりとは思い出せない。 苦しかったから。。。でも声はしっかり覚えている。 本当に本当にお世話になりました。夜中の2時ぐらいのこと。子宮口は7cm開口で止まったまま。陣痛の波は5分間隔。痛みは本格的になって来ていて、ダンナは隣のソファーで眠ってしまっていたんだけど、起こしに行くことすら出来なくなっていた頃。。。助産師さんは私のベッドの側に跪いて 「腰をさすりますね。」と言ってさすって下さった。その頃、私は陣痛の波が収まると、なぜかスーーーっと眠ってしまう。で、また陣痛の波が来ると起きて呻く。を5分間隔で繰り返していた。私は陣痛が始まるたび、 あぁ、助産師さん、(私が眠っている間に)もう行っちゃっただろうな。 一人で耐えないと。。。と思い、それなのに、すっと腰に当てられる手を感じる度、 まだ、いてくれたんだ。とホッとしてされるがままになっていた。 そして痛みが治まると、引きずられるようにして眠り・・・。 その間、助産師さんの手は腰から離れ。 痛みが来ると耐え切れず呻き、 そっと腰に手が当てられる。。。そんなことを2時間ほど、その助産師さんは繰り返してくれていた。 その後、トイレに行き、その時ダンナを起こし、腰を摩る役目はダンナに交代・・・。 それでもダンナがダウン気味の時には、 代わってやっぱり摩ってくださった。それにしても人間の手ってどうしてあんなに痛みを逃してくれるんだろう。助産師さんは仕事とはいえ、夜中、2時間もの間、跪いたまま、本当に本当に大変だっただろうな、と思う。 その他、いろいろな些細なトラブルにも 「いいんですよ。」と言いつつ対応して下さった。私にとっては一生に何度もないお産という貴重な体験だけど、助産師さんにとってはまさにデイリーワーク。 なのに本当に親身になって対応してくださった。後から、その助産師さんはタイトルもついている上の方の人だったことを知った。忙しい毎日なんだろうに。。。 難しい医療行為のことはわからないけれど、 取り上げて下さったのもこの助産師さんだし、 いろいろ的確に医療処置をして下さったんだと思う。 でも私はあの夜中の辛い時に、 ずっと摩って下さっていたことがとても嬉しくて印象的だった。そして私もあんな風に、困っている人がいたら、ずっと摩ってあげれるような人になりたいなぁ、と思ったのだ。退院してから、夜、息子が「背中が痒い。」(息子はちょっとアトピーっぽい。)「掻いて。」と言うので掻いてやっていたら、すっと寝てしまい、しばらく掻いてやろうか、と思ったけど、やっぱりしんどくて、早々に止めて、自分も寝てしまった。やっぱり私なんてこの程度のもんだなぁ、と思った。
2006年10月27日
昨日の続きです。【PM9:00】病院においてあった漫画を読みつつ陣痛に耐える。陣痛の進みが遅いので、とにかく病院の廊下を歩き回る。私の部屋にはもう一人陣痛に耐えている妊婦さんがいて、お互いまだ深呼吸で痛みを逃すことが出来ていた。10月8日(日)【AM2:00】子宮口7cm。本格的に陣痛が来る。痛いときには声が漏れるようになってくる。ここのところ3、4時間しか寝ずに仕事をしていた旦那はソファーで寝てしまっている。起こそうと思うけど、そこまで行くことすら出来ない。担当の助産師さんが来て、ずっとさすって下さった。この時の助産師さんにさすってもらった事、私は一生忘れられない。それ程親身になって付き添ってもらった。この頃、私のおしっこが止まってしまう。後から思うと赤ちゃんが下りてきていて、頭がつかえていたのだ。導尿。【AM4:00】分娩室。子宮口7.5cmぐらい。旦那がずっと腰を摩ってくれていた。相変わらず続くつわりのため数度嘔吐。これによって今までうまく行っていた陣痛が弱まってしまう。一旦諦めて病室へ戻り、仮眠を摂ることに。相変わらずオシッコが出ない。寝転んだ状態で産褥ナプキンをあて、助産師さんがお腹を押して出してくれる(悲)。【AM6:00】また陣痛が強くなり、痛みはピーク。陣痛室には私しかいなかったから、「お父さん、助けて。」と今は亡くなっていない父に向かって叫んでいたように思う。呻いていると、またも先の助産師さんが現れて、ずっと摩ってくれる。旦那は助産師さんに言われて再度仮眠中。【AM7:00】やっと子宮口9cm。分娩室へ。同時に旦那が一旦会社へ。「1時間で戻るから。」と。【AM7:30】破水。(助産師さんが手助けしていたような・・・。)微弱陣痛気味の私はどういきんでいいのかわからず、「痛い痛い。」と叫んでいるだけだった。旦那帰って来る。早い。手をつないで貰って力を入れる。旦那は冷静に計器を見ながら、「そろそろ来るぞ。」と陣痛の波が来る前に教えてくれる。その頃、先生が来て力の入れ具合を教えてくれる。どうすればいいか、やっとわかった。よっしゃ。【AM8:15】頭が出る。巨大児なので肩がつかえて出ない。助産師さんが必死で引っ張る。私もいきむ。そんな状態で陣痛の波を何度か迎える。横から覗き込んでいた先生に、いきなり切開される。 麻酔はしたのか???? まどうでもええわ~。と言う気分。で、無事出産。カンガルー・ケアーをしている病院なので、へその緒を切り、体を拭いてもらった赤ちゃんを上半身裸になった私のお腹の上にのせて貰う。 「あぁ、あったかい。」と思った。 ホッとした。涙が出た。赤ちゃんはすぐにおっぱいを飲みだした。旦那、この頃までビデオでこの風景を写してくれていたが、ここで撮影はやめて、ダッシュで息子の運動会へ。親子競技が10時からあるよ。 間に合って~。【AM10:00】赤ちゃんはお風呂。前回のお産で、出産後失神してしまった私は、今回は大事をとって未だ分娩台の上。ここで朝食を摂ることに。ここで食べた食パン(+マーガリン、ジャム)の味は格別!!!妊娠してからずっとつわりが治まらなかった私は、何を食べても変な味がしていたけど、出産後はピタッと止まった。だから感動ものの美味しさだった。トイレに行ってみる。ちゃんと出た。助産師さんが胎盤、へその緒を見せてくれる。胎盤は通常500gぐらいらしいが、私は赤ちゃんが大きかった為780gもあった。へその緒は、これまた同じ理由で、「通常の1.5倍はある。」と言われた。 「双子並み。」だそうだ。お世話になった助産師さんの交代の時間になった。前回のお産に比べ、普通の出産が出来たこと、本当にありがたいことだと思う。分娩台の上では苦しかったけど、一晩中さすってくれた助産師さん、ダンナにありがとう、ありがとう、って思っていた。最後に赤ちゃん、産まれて来てくれて、ありがとうね。
2006年10月25日
私用の記録として、この場をお借りして次男出産体験を書いておこうと思います。 長男を産んだ時には、前駆陣痛を含めて4日間かかりました。 子宮口が開くまでに時間がかかる体質らしく、 今回も二人目にしては、予想していたよりもかかりました。10月7日(土)《出産予定日より3日遅れ》【AM6:00】 この日は長男の幼稚園の運動会。 でも朝から雨が降ったり止んだりしていて運動会が始まるのは一時間遅れとのこと。 ゆっくり朝ごはん、そして昼ごはんの準備。 (幼稚園はうちから近いので、私達は一旦家に帰り、 昼食を摂ってから再度登園する予定だったので。) 一方、臨月の間、私を悩ませていた下痢のせいかお腹が痛かった。 時期的に陣痛かも?と思いつつキッチンにいた。【AM9:00】 お父さん、おばあちゃんに連れられて息子登園。 一方私は相変わらずの腹痛のため自宅で様子を見ることに。。。 ぐっすり寝てしまう。【AM10:30】 急な雨。運動会中止。 息子達、帰宅。 私の様子は相変わらず。【AM12:00】 相変わらずの私。病院に電話をして指示を仰ぐ。 取り合えず病院に来るように、とのこと。 一方、ここの所仕事が忙しい旦那の携帯は、 取引先からの電話がジャンジャン鳴り響いていて、 うちを出ようにも出られない。 仕方がないので、おばあちゃんと息子を連れてタクシーで病院へ。【PM1:20】 病院で診察。子宮口が3cm開いているとのこと。 ただ、陣痛は来るのは12分おきぐらいなので、 一旦帰るか入院するか自分で決めて欲しいとのこと。 入院を選択。 【PM5:00】 明日の運動会に備え、息子とおばあちゃんは家に帰ってもらう。 旦那に送って貰い、ついでに食事にも連れて行ってもらうようにお願いする。 この時!!!! 旦那たちはラーメンを食べたそうだ。 しかもにんにくのたっぷり入っているヤツ!! 立会い出産をした旦那。ず~っと異常に臭かった。【PM7:00】 シャワーと食事。 まだまだ元気。食事も全部食べてしまった。 ただ少し血圧が高かったので減塩食にされてしまったので、 美味しくはなかったけど。 子宮口5cm。陣痛10分間隔。また続きを書きます。
2006年10月24日
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