『Le Journal de Bord』 de Pignon
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Le lundi, 1er août 2005 朝の9時に起きて、ちゃっちゃと準備をして銀行へ。口座証明をもらいに行くためだ。10時半頃に銀行に着き、窓口でたずねる。書類をもらい、内容を確認する。おい、名前が間違っているぞ・・・。改めてたずねると、どうも、口座の登録名自体が間違っていたらしい。おいおい。確かに、初めてカードをもらった時に、名前が間違っていたから、カードを代えてもらったが、その時に、口座名まで違っているとは考えもしなかった。いつも来る、口座の明細書は、正しいのに。訳がわからん。とにかく、対応してくれたお姉さんは、それで県庁に出せと言う。まじっすか??今日、日本に帰る身としては、ほかにしようが無いので、名前の変更だけはお願いして、書類を受け取る。 この様子を、たまたま私立の授業が終わって銀行に来ていたS君が見ていた。S君は学校に払い込む授業料を下ろしに来たそうだ。ピニョン氏も、もらった書類をコピーしなければならなかったので、お互いの用事が終わったあとに、銀行で再会することにする。 銀行の前のコピー屋で、必要書類をコピーした後、S君と合流。県庁に行く。提出書類を確認した後、専用のポストに投函。終了。 お昼までお茶をする。 S君と別れる時に、フランス人、S君に出会う。彼は先日日本から戻ってきたばかりで、まだ、ヴァカンス中だった。むぅ。 ちょっと話をした後、解散。 部屋に戻り、部屋の荷物を片付ける。床掃除があるからね。ふぅ。 列車の時間に合わせて部屋を出る。 駅に着いて時間を確認。あれ?まだ掲示が出てないぞ。おかしい。しかし、おかしかったのは、ピニョン氏のほう。時間を一時間間違えていたのだ!重い荷物を持って、再び部屋に戻る。 今度こそ、時間通りに駅に行く。S君たちが見送りに来ると言っていたので、一階の入り口付近で待つ。今度は、ちゃんと掲示が出ていた。リール行きになっていた。 S君たちと合流して、すでに入ってきていたTGVに行く。少し話をした後、9月の再会を約して列車に乗り込む。 ところが、時間になっても列車が出ない。一度など、すべての電源が落ちた。大丈夫か?不安がよぎる。それでも、何とか発車した。モンペリエとしばしのお別れ。 列車の中の時間は、ほとんど寝ていた。変わらない風景をずっと見ているのはしんどいよ。 ところどころで、遅れの案内が聞こえる。乗り継ぎのことだ。ピニョン氏は乗継が無いので、特に問題なし。ただ、飛行機のチェックインが3時間前からなので、ちょっと不安。廊下側がいいのだよ。チェック・インが遅いと廊下側が取れん。 ともかく、15分遅れで到着。以前、ソビエト連邦に撃墜された会社の旅客機に乗り込むため、移動を開始。初めて降りたシャルル・ドゥ・ゴールのTGV駅。はっきり言って機能的ではない。わかりづらい。 チェック・イン・カウンターに行く前に、チケットの日付を変更してもらう。たどたどしいが、ちゃんとした日本語で対応してくれた。ふむ。 チェックイン・カウンターで、チェック・インをするも、英語。わからんよ。返事を全部フランス語ですると、「フランス語わかるの?」と言うので、少しねと答えると、フランス語でまくし立てられる。それも困るって。で、例のごとく、パリ・ソウル間のチェック・インしかしてくれていないので、ソウル・大阪間のチェック・インも要求。できるんだから、しとけっての!!何でしないんだ?前回は、ソウルでもめたからね。乗れたからいいようなものの・・・。 少しお腹がすいたので、残っていたパンを食べるため、さっさと出国する。今回は、やたらとパスポートの滞在許可証を見られた。はて? ラウンジでパンをぱくつきながら、S君に電話。お昼のお見送りの礼をする。 しかし、当たり前のことなんだろうが、周りは某国の人たちばかり。こんなことは言いたくないのだが、周りが同国人だからと言って、はしゃぎまわったりするのはどうかと。お店で買い物しても、挨拶ひとつしない。どうなってんだ?これを見るたびに、あの国が儒教の国であるとは思えない。まぁ、日本もそうか。 定刻通り、出発。しばしのお別れだ。この後は、例のごとく、乗り物で熟睡できないピニョン氏の地獄行が、実家に帰るまで続くのだ・・・。
2005年08月01日