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平日のこんな時間に家にいます。しかも、ちょっと飲んでます・爆。平日にしか休めない人もたくさんいますが、普段、仕事しているはずの時間にまったりしてると何だか新鮮でいい気分です。午前中に一仕事終えたあと、気分が悪くなりました。それで早引きすることにしたのですが、自宅近くの駅に着いたとたん「いい気分」になってしまいました。「こりゃ、1ヶ月頑張ったご褒美ダっ」と、決めつけて、お酒などを買って帰ったのです。うしろめたい気持ちもあるものの、ちゃっぴりワクワクしています。あっちこっちに足跡残して、酔っぱらって寝てしまう前にこうして「日記」を書いてます。久しぶりの、つかの間の「ひとりぼっち」です。何をするか考えてみたのですが、「久しぶりにスーパーファミコンのドラクエをする」しか思いつかなかった自分が悲しい・・・(T_T)
2005.09.29
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明日香が大好きです。「日出処の天子」という漫画で、古代史が好きになりました。以来、明日香村には何度も行ってます。明日香村ファン倶楽部とか、明日香村同盟などの会員になってます。何も資料を参考にしなくても「明日香村散策ガイド」を書くことが出来ます。今年こそ「彼岸花の季節」の明日香に行き、写真をたくさん撮って、ここに記事を書こうと思ってました。「彼岸の明日香・悲願花」「悲願の明日香・彼岸花」タイトルも決めていました。でも、今年もうっかりしてました。最盛期は過ぎてしまったという情報・・・。仕方ないので、京都・広沢池に行ってきました。ここもちょっぴり遅かったようです。陽射しはまだまだ強く、汗ばむほどでした。しかし、木陰を渡る風とどこまでも高い空が確実に「秋」が来ていることを教えてくれるのです。
2005.09.25
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「表blog」に「裏blog」、おまけに「秘密のblog」って話どっかでしましたっけ?ここにコメントを寄せていただく方々はほんの数人ですが、対応に追われるほどお世話になっていますまだまだあんまり深く見ていませんが今、新しい「風」を感じています。きっと何かが起きようとしているのでしょう。私は無類の寂しがり屋です。サイトでいろんな方と交流することでとても癒されているのです。以前仲良くしていただいていた方が戻ってこられました。ほとんど更新しないサイトで、新しいお友達ができました。新しい出会いがあっちこっちで起きています。なによりうれしいのは私のお友達になっていただいた方々がそれぞれ仲良しになっていただけることです。「人気blogerさん」のページに行くと、コメントする人たちは、みな「恋敵」みたいで。他の人のコメントやblogerさんの他人へのResなど、見向きもしない・・・っていう光景をよく見ます。賑やかだった頃のとあるサイトや、そしてここのblogでも、私の記事などそっちのけでコメントされる方々が、「別の話題に進む」なんてこともよくあります。私が書いた力作投稿や気取った詩は絵文字・顔文字の乱舞でかき混ぜられ(爆)自信作の駄洒落やギャグはスルーされ(涙)脱線した下ネタの時だけ、キツーくたしなめられます(泣)。それでもいいのです。みなさん、つながってくださいね。たまにはちゃんとしたコメントをいただけるようにいいものを書くように精進いたします(笑)。そして私は取り残されないよう、がんばります。
2005.09.21
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箕面公園の遊歩道は、私にとって特別な場所です。ここに来てから、もみじの薄い葉が好きになりました。1年前、この釣鐘淵という場所で突然メッセージが降りて来たのです。「ここの癒しのすばらしさを、たくさんの人に教えなさい。あなたが苦労して遠回りしてやって来たこの場所に、あとから来る人のために、近道となる橋を架けなさい」この啓示がきっかけになって、blogを始めたのです。そのメッセージより、数年前のことでした。この場所で、ヒーリングが起きました。それから私の人生が、少し変わったのです。この木が私を癒してくれたのでした。数ヶ月後。生まれ変わった私を、この木と周りの木々たちは、拍手喝采で迎えてくれたのです。あれから何年たったのでしょうか?「ちゃんと前に進んでるかな?」そんな疑問に、ここの木々たちは優しい薄黄緑の光りで「OK」と、答えてくれたのです。
2005.09.19
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思うところあって、一日中「風土記」「古事記」「日本書紀」を読んでいました。ストーンズやクラプトン、そしてボンジョビを聞きながら読んでいたところが、我ながらスゴイと思います。本日、タイガースは敗れたようですがマジックはまたひとつ減りました。別のサイトにも同じ記事を書きましたが、お許し下さい。いろいろと根拠のないジンクスもあるのですが、 もう書いてもいいと思います。 道頓堀で、バスタオルの屋台でも出そうかと計画しています。 選手時代には、後半、不遇の時期もありました。 しかし、2軍でも1軍でも優勝させた監督が ほかにいたでしょうか? うるうる・・・。 今年のタイガースの優勝には、陰ながら私なりに貢献したつもりです。 私がナイター中継を見たときの勝率が悪いので、今年はほとんど見ていません。 (ちなみに私が甲子園に行った時の勝率は9割) そして、なんとファンになってウン十年。初めてシーズンはじめに宣言していたのです。 証拠があります! ことほぎじゃ! ことほぎじゃ! ことほぎじゃぁ~!! なんとBEN(Blog Pet)までも!! 飛べぇ~ とんぼぉーー優勝とんぼぉ~!!
2005.09.17
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ゆうーーべ、ねむぅーれずぅにぃ~書いてぇーいぃーたんだよぉー♪(もひとつの土曜日)ここの「日記」は何を書いても、しばしば本文と全く関係のないコメントが延々と続きます。今回はいったいどんなコメントがいただけるのでしょうか?神社や癒しスポットの紹介をしている、もうひとつのblogで「目次」を作りました。トップページのカテゴリーバー、「マニアック」をクリックすると行けます。たった今、神様から啓示がありました。近日中に、おキツネ台風が吹き荒れる恐れアリ・・・マニアックな話題でした・笑。
2005.09.13
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先日たっぷりと時間をかけて、神社のテンプレートを作りました。パソコンも新しくなりました。快適です。真面目でシブイ「テンプレート」が出来たと自己満足の世界に浸ってますが、肝心の「記事」がふざけています。忙しさにかまけて、過去記事の焼き直しでお茶を濁しています。元々バラエティーに富んだ性格なので、サイトによって特徴を出そうとたくらんでいました。「バラエティーに富んだ性格」と言うと聞こえがいいですが、要は「優柔不断」「多重人格の気あり」なのです。私としては、「表blog」「裏blog」「秘密のblog」といった感じで、サイトによって使い分ける予定だったのです。しかしそれぞれに訪問してくださる方々が、みなさん素敵な方ばかりなのでALL表blogにしようとしてしまいます。なんとか真面目にしていようとしても、結局全てではじけてしまいます。「一度お祓いをしてもらえ」そんなことまで言われます。(お祓いはしてもらいたいですが、私には決して変なものは憑きません)時々キツゥ~いコメントでたしなめられて、落ち込んで引きこもる繰り返しなのです。あのね、ホントはね、私だって読書家で、ヒーラーで、詩人なのだと言ってみたところで、だぁーーれも信じてくれなくて、ギャグにしか思ってもらえません。話題先行で、文章もやっつけ仕事になってしまっています。子供の頃から「落ち着きがない」とか「集中力に欠ける」と通信簿に書かれてました。で、大切なことを書こうとしていたのですが、前置きが長すぎて本題を忘れてしまいました。口当たりのいい芋焼酎が効いてきたようです。
2005.09.12
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またまた別のblogの「過去記事」です。5人くらいしか読んでいないので、新作みたいなものですが・・・。わけあって、どんな手をつかってでも毎日エントリーしたいとたくらんでいます。新しいパソコンの設定なども落ち着いたことですし、次からは「今」の話題を書いて行こうと思います。 ☆数ヶ月まえのことだが、松原みきという歌手の死亡記事が夕刊に載っていた。同年代の人の病死のニュースは寂しい。特にファンだったわけではないけれど、「真夜中のドア」という曲はよく覚えている。あの頃仲良しだった人が、歩きながらよく口ずさんでいた。当時はレンタル屋などまだなくて、アルバムをエアチェック(FMラジオを録音)した覚えがある。なぜだか、録音したカセットテープの色やデザインなども覚えている。それは「青春の1ページ」とまではいかなくても、人より多く綴った日記の1行を飾るくらいの、小さな思い出がある曲だったはずだ。心の中の想い出の頁に残る歌や歌手のように、私のことも誰かの心の頁に残っているのだろうか。破り捨てられた頁の僅かに残った部分に、私の「名前」だけ見えるなんて残り方はしてないだろうか?自分の想い出をめくってみると、自分が傷ついたことは、いつしか笑い話のカテゴリーに分類されている。しかし誰かを傷つけてしまったことは、書き綴った時そのままの状態で、ずっと封印されたままだったりする。私が傷つけてしまったり、知らないうちに傷つけてしまっていた人たちが、私の心の日記と同じように、私の愚かな行為の記録を「笑い話」のファイルに移動してくれていたらうれしい。非常に無責任な事だと誤解されるかも知れないが、私が人を傷つけてしまったことは私が責任を負うべきものであって、傷ついた人の人生にはこれっぽっちの影響もない(一時の不快はあっても)ものであるべきだと思う。5年ほど前、ある女性と20年ぶりに電話で話す機会があった。確か十代から二十代にかけて愛し合った人のはずだったが、彼女は私の声も名前もしばらく思い出せなかった(笑)「あなたの幸せをずっと祈っていました。今、幸せですか?」やっとの思いでかけた電話だったのに・・・。私のことなど、「忘却」と名付けられたファイルに放置されていたか、名前も付けてないファイルとして「ごみ箱」に捨てられていたようだ。ちょっと悲しかったが、おかげで20年間抱き続けていた罪悪感が消えた。怒りや恨みつらみ、そして罪悪感や無価値感といったものは、立ち止まっている状態でだけ感じ得るものであって、前に進み続ける人にとってはただの「記録」でしかないのだろう。執着や足を引っ張るものは全て、幻想なのかも知れない。彼女はずっと幸せに暮らしていて、きっとこれからも幸せだろう。どうでもいいがさっきから、南京豆の殻の山に落としたピーナツが見つからない。最高に旨そうな粒だったのに……。ここまで書いてやっと、まだまだたくさん残っている手付かずの「豆」のことに気がついた。袋の中には旨い豆がたくさんあるのに、たった一粒の豆に執着して時間を無駄に使っていた。殻の山を引っかき回しているうちに、グラスの氷も解けてしまった。それに、そこいら中に皮を撒き散らしたので家内からしかられるだろう。執着や幻想に囚われるとロクな事がない。
2005.09.10
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人のからだには「直線」はないと思いますが、「まっすぐ」という言葉や「直」という字は、からだの一部や人を形容するときによく使われます。「まっすぐに伸びた足」「直毛」、「一直線な人」「気持ちがまっすぐ」「素直」…etc。自慢じゃあないですが、私はどれにも当てはまりません。性根もヘソもかなり曲がってますし、だいたい素直でもありません。本人はそんなつもりはないのに、よく 「話が回りくどい」 とも言われます。そういった行動面は自分の自覚と努力で改善できますが、どんなにがんばっても直せないものもあります。私の髪の毛は、いわゆる「天然パーマ」です。よく「天然パー」とも言われます。古い表現では「りりゅう」です。高校生の頃、風紀係の先生が代わるたびに「こら、ple!パーマ当てとるやろ?」って呼び止められました。サッカー部に所属してました。ピッチで風になびく髪に憧れてました。しかし私の髪は、風で乱れるとそのまんまの形をとどめます。バンドをやってました。獅子舞のように、髪を振り乱してみたかったのですが、長髪にすると「かぐや姫」時代の「南こうせつ」みたいになります。大学生になって、パーマを当てたことがあります。誰も気づいてくれず、寂しい思いをしたとです(ヒロシです)。「パーマかけてみたんやけど」って言うと「変われへんやん」って、みんなに言われて悲しかったです。あまり艶がある方でもないので、整髪料を使わないと「頭の『毛』じゃないみたい」って言われて傷ついたこともあります。「タダでパーマがかかってて、いいなぁー」などと、お気楽ななぐさめの言葉をくれる人もいます。私の髪は、今オランダで活躍してるサッカー選手や、デビュー当時の○昌子ほどじゃありませんが、それでも悩みの方が多いのです。これからだんだんと毛布を使う季節になりますが、困ったことがあります。朝起きると、襟足とかに毛布の毛玉がついてるのです。ゴミみたいなものが、絡まりやすい髪なのです。「なんで、いっつも毛玉つけてんの?」って、妻によく笑われます。前の妻にも笑われましたし、母にも笑われました。今は娘も笑います。くそっ!俺は「人間エチケットブラシ」か?「歩くクイックルワイパー」か?少し前のことですが、駅のトイレで鏡をみて驚いたことがありました。5cmくらいの白い糸ゴミが、髪の毛にからまっていたのです。街で私がよく人の視線を感じるのは、男前だからぢゃなくて頭にゴミをつけているからかも知れません。
2005.09.09
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やっと新しいパソコンが来ました。ディスプレイが眩しいくらいに鮮やかです。夜中にコソコソ起きだしてインタネする時は、サングラスがいるかも知れません。Officeを入れただけで、まだATOKをインストールしていないので調子が出ません。パソコンは4台目ですが、新品は久しぶりです。もひとつ久しぶりにディスクトップにしました。でも、今のところ何か新しいことが出来るようになったわけではありません。DVDが見られるようになっただけです。週末はコイツにかかりっきりになりそうです。
2005.09.08
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大型の台風が西日本を通り過ぎて行きました。被害を受けた地方のみなさま、心よりお見舞い申し上げます。私の住む大阪は幸い大した影響もなく、仕事も通常通りでした。それでも適度の雨と強い風が、大阪の汚れ・穢れた空を清めてくれたようです。シヴァ神に象徴されるように、破壊と創造は同意とも言われます。天が少しだけ「リセット」してくれたこの機会。心新たに創造に向けて、足下と進路を見直してみようと思うのです。今日、初めて大阪の青空も「きれいだ」と思いました。デジカメを持ち歩いていなかったことが悔やまれます。
2005.09.07
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大きな台風が来ています。関西では今のところ、思ったほど影響はないみたいです。先日関東では、季節はずれの積乱雲で龍神さまが一暴れなさったようですが、みなさまご無事でしょうか?こうやって、だんだん秋になって行くのでしょうね。秋と言えば、運動会の季節です。運動会や遠足では、みんなと食べるお弁当が楽しみのひとつでした。子供の頃、友達のお弁当のウサギさんのりんご、タコさんのウインナーがうらやましかったなあ…。私は一度もそういうおかずを作ってもらえませんでした。そんな思い出のせいかどうか、私が料理をするときはちょっとしたイタズラをします。かわいらしいことや、手の込んだことはできません。例えば、オムライスにケチャップで子供の名前を書くとか(妻の分に「ウンコ」と書いてしかられたことがある)その程度のことですが、子供が小さいころはとても喜んでくれました。一番 「ウケタ」 のは、ウインナーのオイタです。焼くときに入れる、斜めの切り込み線の代わりに、フルーツナイフなどで名前を切りこんだり「アホ」とか「ハズレ」とかも入れました。子供の友達を呼んでのバーベキューでは、子供らがウインナーに気を取られるのでおとなたちにたくさん肉が回ってきましたっけ。おとなだけのバーベキューならちょっとHな言葉も楽しいかも知れません。しかし、男性の名前はいけません。ウインナーだと、傷つくことがありますから。ウイニーとかポークビッツだと、立ち直れないほどの打撃を与える恐れがあります。逆に、彼氏を励ましたいときとか仲間内にセンセーショナルな話題を提供したい場合は、1本だけジャイアントフランクを買って彼の名前を書くといいかも。ウラに「ス・ゴ・イ」とか書けば完璧です…脱線してしまいました。スミマセン。
2005.09.06
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またもや別サイトの過去記事です。お彼岸の話題が出たところで、祖父の葬儀の日に起こした、pleブラザースのなさけなーーい失態をご披露いたします。 ☆20年前の秋、ある朝父から電話があった。祖父の訃報だった。仕事中、祖父との思い出に何度となく涙した私だった。定時で仕事を上がらせてもらった。が、通夜に向かうために、弟を車に乗せた途端に気分が変わった。久しぶりのドライブ気分。大阪~小浜(福井)間を、二人とも大はしゃぎで楽しんだのだ。小浜に着くと、通夜の席には懐かしい顔が勢ぞろいしていた。沈痛な雰囲気の中、場違いなほどハイな表情のpleブラザース。とは言え、私たちにとっても悲しい出来事。徐々に二人とも「お通夜モード」に。京都のいとこと3人で酒を飲んだ。3人で酒を飲むのは初めてだったので、うかつにもple Bro.は、ついついウキウキしてしまった。酒を飲む言い訳に、3人で気勢を上げた。「酒好きだったおじいちゃんの弔いや!」「よっしゃー!」「飲むぞぉー!」若気の至りというやつか…数時間後、弟はトイレで倒れた。田舎の古いトイレだったため、危うく便槽に落ちるところだったようだ。家中が大騒ぎになったらしいが、叔母と従姉妹が看護婦だったので事なきを得た。私はと言えば、爆睡していて弟の騒動を知らなかった。その上翌朝、我々2人は酔いつぶれ、最後のお見送りが出来なかった_| ̄|○ 母は「あんたら、なさけない」と、泣いていた。このおばかな兄弟、このままではまだ終わらない。お寺での葬儀中のことだ。読経の最中に、幼いいとこ(女の子)が私の礼服のポケットに手を突っ込んだ。その時点で、弟はおかしさをこらえる限界だったらしい。私のポケットには携帯用エチケットブラシが入っていた。幼いとは言え、そこはさすがに女の子だ。私の上着にブラシをかけてくれた。しかし、きれいになるはずがいとこはブラシを逆送させてしまったので、私の上着はホコリまみれになってしまった。弟はたまらず「ふいて」しまった。まあまあの声量だったと記憶している。まだある・・・。やがてお焼香が始まった。当時は作法をまだ知らなかったので、2人とも大いに緊張した。しかし、私にはもっと深刻な問題があったのだ。足がしびれて感覚がなかったのだ。狭い会場が幸いして、這うようにして祭壇に向かっても不自然じゃなかった。前の人と同じように真似をしてお焼香の方は、無事済ませることに成功した。しかし、席に戻るために「Uターン」したとき、その悲劇(喜劇)が起きた。祭壇前に置かれていた花や仏具を、私は足でいくつかけり倒してしまったのだ。すぐ後ろに控えていた弟が、慌てて立て直してくれたらしい。これは、参列者中でかなりウケた。しかし、私は足の感覚が全くなかったので、何が起きたのかその時は理解し得なかったのだ。従って、私は葬儀終了まで「そつなくこなした」と思い込んでいた。母は泣いていただろう。それは、実の父を亡くしたという、悲しみの涙だけではなかっただろうと思う。お母さん、おじいちゃん、ごめんなさいm(_ _)m
2005.09.05
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もう4ヶ月寝るとお正月です。新年を迎えるにあたり、大峰山に入って修行しようかと・・・。実はついに決心して、パソコンを買い換えることにしました。古いパソコンとOSでは物足りなくなってきました。今我が家では、私がパソコンを独占しています。家人も「使いたい」とうるさいので、この際2台買ってしまうことにしたのです。あさってあたりに新しいパソコンが届くので、データを移す準備をしなければなりません。届いたら先ず、家人のパソコンのセットアップ。子供が有害サイトに行かないようにする対策とかもしなければなりません。元々無口な方なので、ここでの影響はほとんどなく、いてもいなくても同じような存在ですが、しばらくおとなしくなります。そろそろ小犬のロンさんも戻って来られることでしょう。話は変わりますが、先ほど久しぶりに鰻を食べました。うなぎおーいし、かばーやーきー♪失礼いたしました。
2005.09.04
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以前あるサイトで、私の「困った体質」について、こんなことを書いたことがあります。昔っから私の体は、電子や磁気と相性がよくありません。ポケベルが鳴らず、よくしかられました(私のせいじゃないのに…)アナログ電波の時代には、携帯電話も私だけ通じないことがよくありました。Jスルーカードをよくダメにしてしまいます。テレカなど、電話器に吸い込まれたまま返ってこないことが何度もあります。(不正なカードではありません。念のため)身につけた金属が腐ります。腕時計なども、金属製のバンドなどひとたまりもなく錆びてしまいます。眼鏡のつかも1年もちません。晴明神社のペンダント型お守りを愛用しています。1ヶ月もしないうちに、黄金色のペンダントが、鉛色になっています。私の体からは、何かヘンな電波や硫酸みたいな汗が出てるのでしょうか…(ただの 脂ギッシュなオヤヂなのでしょか?) 腕時計のバンドのことを書いてますが、ここ15年ほど、腕時計はほとんどしていませんでした。指輪や時計など、身につけるモノが苦手なのです。眼鏡は仕方なくかけていますが、コンタクトレンズよりはマシです。コンタクトをしていた時は、1日中イライラしていました。腕時計をしなくなった理由は、実はもうひとつあります。私が腕時計を着けると、止まるのです。電池を交換しても3日と持たないこともありました。初めての腕時計は「自動巻」ってやつでした。その時計は問題ありませんでした。社会人になってから買った「クォーツ」と相性が悪いのです。石にはけっこう興味があって、水晶もアメジストも大好きなのに、水晶の方は私のことがキライみたいです。先日帰省した折、弟から時計をもらいました。「チャラチャラした虎目石のブレスレットなんかやめて、ちゃんと腕時計をしろ」みんなにそう言われたので、久しぶりに着けてみたのです。しかしやっぱり、2日と持ちませんでした。 「クォーツを乱す男・・・」特異体質と言うより、何だか自分が邪悪な生き物のように思えてしまいます。ただ、あるスピリチュアル系の人からこんな話を聞いたことがあります。「ちゃんと丁寧に採取された水晶は身体にいいが、ダイナマイト等を使用して大量に採取される水晶は身に着けない方がいい」きっと時計のクォーツは、振動は正確でも、 波動は悪いのダッそう思うことにします。 .
2005.09.03
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本日は非常に下品な話題ですどうしよか迷いましたが、露悪癖のある私は黙っていることが出来ません。そういえば、「勇気凛凛ルリの色」にもおなじようことが書いてありました。自分の失態を暴露し「ネタ」にすることは、自身の価値を下げることであると何度も忠告を受けておりますが、私はがまんできないのです。しかもこの記事は、過去に別のサイトに書いたものをわざわざ引っ張り出して転載しているのです。一部加筆・修正を加えています。 「男は酒に強くなければならない」という、根拠のない観念を若い頃から持って生きてまいりました。それこそ「ハイて」余りある失敗をしながら、酒飲み修行をし、そこそこの成果を上げたつもりでした。 数年前まで、毎晩1リットル以上のビールを飲み、一度栓を開けた酒の「お残し」はご法度という掟を課し、実行もしてまいりました。 しかし最近、ダイエットや健康が気になり節酒を始めました。すると、不思議なことにだんだん酒に弱くなってしまったのです。 弱くなったら飲まなきゃいいようなもんですが、困ったことがあります。 酒には弱くなったけど、酒好きは変わらないのです。つまり「風呂上りのビールは最高じゃっ!」といっきにビールを飲もうものなら、パンツ一丁のまま酔ってぶっ倒れてしまうのです。「押しに弱い関取」ならシャレやギャグですみますが、「酒好きの下戸」は悲惨なものです。困った体質になりました。 妻が実家から高級牛肉をもらって帰ってきたことがありました。その夜、久々のすき焼きになりました。すき焼きにアルコール抜きというのは、私の人生で許されることではありません。高級牛肉のすき焼きと冷たいビール。しかもエビスですよ。しばらくは、至福のひと時でありました。夫婦の楽しい会話もはずむはずでした。 しかし「旨いっ!」「最高!」しかしゃべってないうちに、私は隣室の布団に倒れこむ事態となったのです。突然のことのようでした。天国から一気に地獄に落ちた気分でした。陽気な会話をするひまもなく、急性アルコール中毒患者のようにぶっ倒れてしまったのです。妻がTV好きでなければ、離婚問題に発展していたかも知れません。 しかし私は、もうひとつ「困った体質」を持つ男です。 「肉をいっぱい食うと下痢する」のであります。しかも、いい肉であればあるほど、その現象が顕著に現れる傾向があるのです。 理不尽なまでに急激な酔いに加え、その夜も「それ」は私を襲いました。私は這うようにして下腹を押さえながらトイレに向かったのです。 みなさん、私に何が起こったか想像出来るでしょうか? その日妻が実家からもらって帰ってきたのは、高級牛肉だけではありませんでした。「消臭力」なるトイレの芳香剤も持ち帰っていました。いい嫁です。 便器に座るやいなや、私は「爆撃」を開始しました。地獄のような「酔い」と高温多湿の密室。加えて新品の芳香剤が発する、過激とも言える柑橘系の刺激が私を打ちのめしました。今度は猛烈な「吐き気」をもよおしました。 かねてより「ゲロと下痢は体内の浄化だ」というのが、私の持論でした。その証拠に、強烈なものは「涙」を伴う。したがって、ゲロと下痢は一種のヒーリング(癒し)だとウソぶいていたのであります。 しかし両方いっぺんに来るのは悲惨です。しかも、どうせ両方来るなら順序を考えて欲しいものだと思いませんか? その夜の私には「自分がウ○コした便器に顔を埋める」という危機が迫っていました。 私は汗と涙が混じったうつろな目で天井を見上げ、神に祈りました 「せ、せめてケツを拭かせて下さい…」やっぱ、やめときゃよかったかなあ。
2005.09.01
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