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甘いものはあまり食しませんが、数少ない好きなお菓子のひとつです。以前からことあるごとに、あちこちのサイトで紹介しています。でも、今のところどこからも「食べたぞ!」という報告は届きません。どこでも手に入るものではないのです。長崎市、親和銀行・新大工町支店近く、シーボルト通りの「ガトーシャロン」というお店の「シーボルト・パイ」。パイ生地の中に「栗あん」が入ったもの、「あずき(あん)」が入ったものの2種類あります。誰に差し上げても「また買ってきて」と言われます。有名洋菓子チェーンでよく似たものがありましたが、味も食感も違います。私が長崎に住んでいた頃は「パイまんじゅう」という名称でした。今朝、十数年ぶりに食べましたが、昔と全く変わらない味に感激しました。わざわざ「ゆうパック」で送ってくれたOssyちゃん、ありがとね~
2005.03.19
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■キノコの優等生「マイタケ」~その1~ 数年前、郷ひろみのCMと共に食卓界にメジャーデビューした「まいたけ」くん。我が家では「舞ちゃん」と呼んでいます。 味よし、香りよし、そして値段もお手ごろな「いい子」ちゃんです。 鍋ものの食材としてデビューしましたが、炒めてもおいしいきのこです。香りが飛んでしまうので、煮すぎたり炒めすぎないよう手早く仕上げることが調理のコツだと思います。 麻婆舞茸 麻婆豆腐を作ろうとしていて、突然ひらめいて作ってみたら大好評でした。今や我が家の定番メニューになりました(作るのは私、家内は食べる人)。 丸美屋の麻婆豆腐の素などを使うと、5分で作れます。 基本的には豆腐の代わりに舞茸を入れるだけ。 ただし「麻婆豆腐の素」に入ってるゴミのような(笑)ひき肉ではたよりないので、豚ミンチを少量加えます。 1.サラダ油またはごま油でひき肉を炒めます。私は軽く塩コショウやガーリックを振りますが、「味を調えるため」というよりは「料理してる気分」を味わうためみたいなもんです。 2.「麻婆豆腐の素」と、指示された分量の水を加えます。丸美屋の「麻婆豆腐の素」の場合、1箱まるまる(2食分)使います。お好みで、醤油・ラー油・七味唐辛子を加えます。こうして味を調えることによって「俺が作った」っていう気分になれます。「豆板醤も使え」と言う方もいるかも知れません。そういう方は「麻婆豆腐の素」など使わず 、最初っから全部作って下さい。3.煮立ってきたら舞茸を加えます。舞茸は1パック使います。石つきを取り、私はそのままフライパンの上で手で裂きながら放り込みます。大きさはお好みで。 面倒なときは、片手で握りつぶすようにして投げ込みます。 4.舞茸に軽く熱が通ったら出来上がり。香りが飛ぶともったいないので、煮すぎないように注意します。もちろん最後には「麻婆豆腐の素」の作り方(箱の裏などに書いてある)の手順通り水溶き片栗粉でとろみをつけます。 私はサラサラの方が好きなので、軽くかき混ぜるだけで火を止めます。 おいしく作るコツは、「美味いもんが出来上がるに決まってる」という確信を持って作ることです(爆)。
2005.03.19
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茨木神社の奥宮とも称される摂社「天石門別神社(あめのいわとわけじんじゃ)」です。茨木神社本殿のすぐ裏にあります。 もちろん正殿である「茨木神社」よりは一回り小さくこぢんまりと鎮座されておりますが、こちらの神社は延喜式神名帳に記載されたいわゆる「式内社」です。 比較的最近造られたお社のようですが、神明造りのすばらしいお姿です。 私は他の神明造りのお社を見た記憶はありませんし、神社建築に詳しくもありません。しかし、このお社はすばらしいと思いました。どこかモダンな雰囲気もあり、それでいて厳かなお社です。 ご祭神は「天手力男命(アメノタヂカラノオノミコト)」(配祀)「天宇受売命(アメノウズメノミコト)」 つまり天照大神が天の岩屋戸にお隠れになったとき、岩屋戸の前でストリップを踊って天照大神を誘いだした女神と、岩屋戸から天照大神を引き出した神です。 正殿・茨木神社には天照大神が天の岩屋戸にお隠れになる原因を作った「素盞嗚尊」と、岩屋戸から出てもらうために「一芝居うった」神である「天児屋根命」。摂社・天石門別神社には「一芝居組」の「天手力男命」そして「天宇受売命」。 そしてついでのように(失礼!)いらっしゃる「誉田別命」と合わせ、何だかムチャクチャな祀り方のようですが、いろいろ調べてみるとこれには興味深い理由があるようです。 この神社は、古くは現在の宮元町(わかりやすい町名です)にあったものが、遷されたそうです。 織田信長は、天下統一の道具としてキリスト教を利用し、各地の神社・仏閣を焼き払いました。しかし信長の産土神である牛頭天王(ゴズテンノウ=素盞嗚尊と同一視されることがある)や天照大神、春日神(つまり・天児屋根命)、八幡神(そして・誉田別命=応神天皇)は畏れ多くて焼かなかったそうです。 そこでこの「天石門別神社」は「牛頭天王」を祀る神社だと偽称して却焼を免れたのだそうです。 そうした伝承から推理すると、正殿である「茨木神社」はこの「天石門別神社」が焼却から免れた記念として、織田信長が畏れた素盞嗚尊(牛頭天王)、天児屋根命(春日神)、誉田別命(八幡神)を祀って造られたようにも思えます。 鳥居にも「茨木神社」と「天石門別神社」は、同等に並記されています。
2005.03.06
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茨木市役所の近くに鎮座します。 長く広い参道はなかなかのものですが、勝手なことを言わせてもらえば「もう少し緑があれば」と思います。 ここは楠木正成の茨木城の跡地ですが、ご神木は「クスノキ」にあらず、「松」でした。 ご祭神は「素盞嗚尊(スサノオノミコト)」。(配祀)「天児屋根命(アメノコヤネノミコト)」「誉田別命(ホムタワケノミコト)」 立派な拝殿ですが、ご由緒を調べてみると「世を忍ぶ仮の正殿」というような気がします。 つづく
2005.03.05
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日本最初の「繊維」の祖神、呉服(くれは)大明神を祀っている神社。阪急宝塚線・池田駅の近くに鎮座しています。後述の伊居太(いこた)神社と対の神社。こちらが「池田市」の語源となっているのでしょうか。応神天皇の御代に、呉(大陸)の国より「呉服(くれはとり)・綾織(あやはとり)・兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)」の四人が渡来し、機織りや染色の技術を日本に伝えたと由緒書きにあります。兄媛は胸形(むなかた)明神のお望みで、筑紫に留まることになり呉服(くれはとり)をこの地に迎えたのだとか。そして、仁徳天皇の時代になって139歳で亡くなり、ご遺体は伊居太(いこた)神社(上の宮)の梅室に、形見の三面神鏡がここ呉服神社(下の宮)の姫室に納められたとのこと。呉服大神によって機織・裁縫・染色の技術が我が国に伝わり、男女寒暑の服装の別が定まったと由緒書きでは紹介されています。別の説では、呉服(くれはとり)・綾織(あやはとり)は姉妹であり、呉服(くれは)姫を当社に、綾織姫を伊居太神社に祀ったとも伝えています。また日本書紀では、後世の「雄略天皇」の時代に上記とほぼ同様の記載があり、歴史解釈的にはこちらの方が真実みがあります。呉服大明神の名は後醍醐天皇より賜ったとされ、絹布の類すべてを「呉服(ごふく)」と呼ぶようになったそうです。伊居太神社(ここより約1.5km北)と呉服神社は、それぞれ秦上社、秦下社と呼ばれていたという記録もあり、秦氏との関係も興味を引きます。同じ阪急宝塚線で、豊中市に「服部(はっとり)」という駅があります。ここは秦一族の織工が住んでいたと伝えられており、「服部(はっとり)」という地名は機織(はたおり)からきているとも言われています。「呉服(ごふく)」が呉服(くれは)大明神にちなんだものであるならば、この神社はもう少し有名になってもいいと思いますね。拝殿・社殿、そして「戎祭り」で賑わう恵比寿社は立派なのですが、残念なのは摂社・天神社。鳥居は壊れ、お社も倒壊寸前の痛ましいお姿をさらしておられます。
2005.03.04
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