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塾の合格祝賀会に行き、アカデミックな雰囲気に浸ってるこんな日に、このニュース。高校教科書検定 「日本の竹島、韓国占拠」 領土、正確な記述求める■ABCから復習 学力低下深刻 広がる難易差(産経新聞) - 3月30日3時12分更新「できない」子どものために、マンガを使ったり、1冊まるごと中学校の復習みたいな高校の教科書が登場するのだそうです。・・・・・そこまで子どもに媚びなきゃイカンのか?副読本や参考資料集にマンガを使うのはわからんでもないけど、検定教科書にマンガってどうなのよ。理解力がないからといって、ハードルを下げていくのでは、そういう方面の人はいつまでたっても「易きに流れる」体質から抜けないから、全体の平均レベルとしてはどんどん下がっていくし、格差もますます広がっていくと思うのは私だけ?総中流がいいとは思わないけど、「みんな平等」が尊重されるなら、それに合わせていこうという努力も、みんなもっとしなくちゃいけないんでは?だって、中学卒業程度の学力がなくて高校1年生の1年間かけて中学の復習するんだったら、高校に来た意味ないじゃん・・・・・「中学を出たら、高校を3年間で卒業する」ことが「平等」じゃないでしょ。高校は義務じゃないんだから、自分の努力が反映される必要はあると思うんだけど。努力しなけりゃ入れない、っていうのはアリだと思いますが~それとも、とりあえず入学させて、教育のレベルは下げないで、修業年数(時間)を長くして、一定のレベルまで到達させるというのではいけないんでしょうか?どうしても3年間で卒業させなければならない、というのなら、「准高卒」のような資格にしておき、大学に入学するにはプラスアルファの勉強をして、高卒として一定レベルの学力はないといけないようにする、とか。子どもの学力低下は、社会全体の繁栄とか充実を考えたら、「うちの子さえできればよい」では素通りできない問題なのではないかと思っております。
2006/03/30
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小学校卒業イベント第3弾(そしてたぶん最後)、塾の「合格祝賀会」に行ってきました。兵庫県の某ホールを借り切って、各種表彰やアトラクションが行われます。参加申し込みのハガキが来た時に、本人と保護者以外にも参加できるような感じだったので、新小4のツヨシも連れて行くように申し込んでおきました。開始時刻が、午前の半日勤務を終えてからでは間に合わない時間だったので、私は1日休みを取り、お昼は子どもと3人で梅田で食べることにして、午前中は「ポケモンセンター・オオサカ」へ。春休み企画で、手持ちのGBA用ポケモンゲームソフトにレアなポケモンを1匹無料でプレゼント(データとして書き込み)してくれるというサービスがあり、ツヨシは3学期の成績が期待したほどではなくご褒美もなしでゲームの使用も制限中なのですが、これだけはOKにしました。キャラクター文具やカードも少々買いました。お昼を食べてから電車に乗り会場に向かいましたが、雨は降るし、寒いし・・・・・駅から会場のホールまでは、ポイントポイントに塾の職員の方が、入試本番の日に各中学校の前でしていたように塾の幟を立ておそろいのコートを着て立って待っていてくれました。会場の前では、各学校の合格者数と合格者名が、掲示板にズラッと張り出されています。・・・・・たしかにありました、コウイチの名前。どういうわけだか蹴ってしまいましたけど。改めて見ると、本当に合格したのかなーと、なんだか不思議な感じがします。中学部の高校合格者のところを見ると、私の母校の名前もあり、その合格者のうちひとりは、私の出身中学の子でした。つまり中学・高校と、私と同じ経歴をたどっているということですね。勝手にちょっと親近感(^^)コウイチと「3年後はここに名前が載っているとよいね」などと言いながら、中に入りました。うちの子のように実際には国・私立中には行かないとしても、ここに来ている子は最低1校は合格している、言わば「受験戦争を勝ち抜いた子」なわけで、学校の卒業式ほどではありませんが、なんとなく華やいだ雰囲気。職員の方にとっては、教え子を送り出す晴れの場でもあるわけで、女性の教務職員はキチンとドレスアップしている方もいます。会場の中は、天井から中学・高校の名前と合格者数を書いた垂れ幕が何枚もぶら下がり、合格者本人は教室ごとに決められた前の方の席に、他の出席者は後の方に別れて座りました。各教室の代表者にトロフィー授与、祝辞の数々、地元のセミプロ劇団によるミニミュージカルのアトラクション・・・・・なんと「塾歌」なるものがあり、講師の方々が合唱団よろしく壇上に並んで朗々と歌い上げたのはちょっと笑った(^^;でも、この講師の先生達にとっては、この合格祝賀会が「卒業式」なんですよね。茶化しちゃイカンよ、うん。教室ごとにまとまって記念写真を撮り終え、ホールの外でもあちこちで友達同士集まってカメラにおさまったりしている中を、サユリのお迎えの時間が迫っていることもあり、早々に会場を後にしました。コウイチは週1回授業がメインのクラスに、それも6年の夏休みとかなり遅く入ったので、実質の通塾は半年ほど。入試直前は塾に「住んでる」ような状態でしたが、学校での仲良しが数多く同じ塾にいたこと、純粋に授業とテストのためだけに塾に通っていたので、塾オンリーの友達というのはほとんどできなかっただろうと思います。公立中に進むコウイチには、合格祝賀会でいただいた合格記念メダルと、「半年間頑張って難関(と、いちおうは言われる)私立中に合格できた」という自信だけが、残された結果です。これを心の糧に、次の3年間も頑張って欲しい。そして3年後の今日、その時小学校を卒業するツヨシと揃ってこの会場の「前半分の席」に座ることができますように。
2006/03/30
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小学校卒業イベントの第2弾、学童保育の卒所式がありました。コウイチの学年は、入学時は1年生12人いたのが、「少年野球チームに入ったので、毎日練習があるから」「私立中入試に向けて、低学年から塾と習い事で毎日が埋まってしまうから」そして「『いきいき活動』(全児童対象の、教育委員会が実施している放課後活動)の方が、お金もかからないから」などの理由で、ひとり減りふたり減りして、6年生卒業まで残ったのが半分の6人です。卒所式の出し物として、今の6年生の学童での思い出を、下級生が台本作って劇にして見せてくれたり(そう言えば、たしかにあの頃はこんなんだったよなーと、思い起こさせてくれる内容)、全員で取り組んでいるけん玉や木ゴマ回しの演技披露がありました。トリとして、特に高度な技ができる子が出てくるのですが、その3人のうちひとりは、うちのコウイチだったのです~けん玉は、できる技によって公認の級や段があるらしいのですが、コウイチは現時点で学童内最高位の「段持ち」なのだそうで。知らなかった~特に6年生の後半は、半分以上学童には行っていなかったのに、いったいどこでそんな技を磨いていたんでしょう・・・・・?ツヨシの方も、「もしかめ」(♪もしもしかめよかめさんよ~♪の歌に合わせて2か所の皿で交互に玉を受け続ける)の連続回数で学童内ディフェンディングチャンピオン?らしいので、兄弟揃ってそういう才能はあるのかも知れません。子どもの意外な一面を発見させてもらいました。うちの学童は、障害児も受け入れていて、地元の小学校の他に、聾学校小学部の子どもさんもいます。うちの学童の在籍児の弟で、難聴のため聾学校に籍を置く子が、お姉さんについて入所してきたのが始まりで、その子が通う聾学校から交通の便がいい(わりと近い)ということで、聾学校の生徒さんの中で共働き家庭の方がその話を聞いて入所してくる、というふうになったようです。そのため学童の子ども達は、指示系の言葉や、気持ちを表す言葉など簡単な手話は健常な子も全員できるようになっています。他に自閉症の子もいるのですが、ご両親がとても社交的な人でコミュニケーションをとるのがうまく(仕事の方もマスコミ・出版系らしい)、父母会の中でもなんとなく「みんなで育てる」的な意識が育ったということもあるし、子ども達も毎日接していく中でちゃんと仲間として関係が形成されていったというのもあるんでしょう、大きな問題もなく6年間経ちました。小学校の卒業式で、170cm近い長身に父親から借りた(お母さん談)ちょい悪アニキ系スーツを着てカッコよく壇上に上がる彼を見て、自分の子どもの番の時以上に「大きくなったよな~」と感動しました。6年生の後半は受験の準備で行く回数も減った学童でしたが、休所や退所せずに続けてよかったです。文部科学省が言うところの「生きる力」はものすごくついたと思うのです。異年齢の集団の中でグループを仕切ることや、体に障害がある人への対応の仕方、将棋やけん玉・コマなど伝統的な遊びもここで覚えてきましたし、人との付き合い方とか、将来仕事をやっていく際の取り組み方とか、世間の渡り方の基礎にはなるだろうということですね。卒所式の後、懇親会がありました。指導員の方が、行事のたびに撮りだめた写真の中から選んで、6年生ひとりひとりにアルバムを作ってプレゼントしてくれました。6年生(とその親)みんなで交換してそれぞれお互いのを見たのですが、コウイチとF君という男の子が並んで写っているのが1年生・6年生それぞれのページにあって、その5年間の変化を目の当たりにしたF君のお母さん曰く「ふたりとも1年の時はこんなに可愛かったのに、最後のページの方は・・・・・オッサンやな(苦笑)」。懇親会の後、学童に戻って父母会の役員や指導員が反省会兼飲み会をするということで、一部の子どもがそれについて行ってゲームをしたいと言い出し、5年生の男の子が「コウイチのお母さん、今日で最後やからコウイチも一緒にゲームするの、来てもいい?」と私に「お願い」に来ました。その子は、うちの兄弟と(たぶん)いちばん仲が良く、コウイチのことを兄貴分として慕ってくれているようで、いつもは私が門限や時間にうるさく、塾なんかもあって学童外で一緒に遊ぶことがないので、最後のお願いと思って言ってきたんだろうと思います。夜遅いのでどうしようかと思いましたが、指導員や父母会の役員さんが一緒についているということなので、今日中(日付が変わるまで)に帰ることを条件に許可し、指導員にも一声かけておきました。最後の最後、学童生活の「打ち上げ」ですもんね、せいぜい楽しんでいらっしゃい(カゲの声:中学に入ったらこうはいかないわよ)ということで。正直なところ、父母会が主体となって運営する共同保育所形式の学童保育は、主義主張が結構社○党系入ってるところがあって、「みんな横並び」という偏った平等感・馴れ合いが大嫌いな私にとっては鬱陶しいなあと思うこともあるのですが、そういうことを考えないでよいのなら、「人生道場」としてはいい場所だという気がします。・・・・・サユリの時まで、おそらくあと8年のお付き合いになるわけですが(長っ)。
2006/03/25
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とうとうこの日がやって来ました。コウイチの小学校卒業です。小学校最後のこの日も、いつもと同じように、同じマンションの「お受験仲間」と一緒に出かけて行きました。でも、式は案外淡々と終わったような気もします。それなりにジーンとはしましたけど。卒業証書もらって、校長先生や来賓のお言葉があって、卒業生と在校生のシュプレヒコールがあって。校長先生からは「たくましく生きる」ことと、「思いやりの心」を大切に、というお話がありました。ほんの6年前までは、舌もうまく回らない幼いしゃべりしかできなかったこの子が、私とほとんど同じぐらいの背になって、いっちょまえなことも言うようになって。その実は、コウイチの1年生後半から3年生ぐらいまでは、サユリの育児に追われていたせいか、あまり記憶がないのです。サユリがお腹にいるのがわかった時、悪阻のため家のトイレで吐いていたら、リビングでコウイチが誰かとしゃべっている声が聞こえるので、いったい誰としゃべってるんだと思ったら、「お母さんが大変だ!」とまずはお父さんに知らせなきゃいけないと考えたのか、夫の携帯に電話していたコウイチ。長男だから、お母さんに何かあったら、自分がみんなを守らなくてはいけないと思ったのでしょう。その時は、親の知らない間にもちゃんと知恵がついてるんだなと実感したものでした。それから早5年余り。退場の音楽は、サザンオールスターズの「君こそスターだ」を生ピアノで。学校から送り出される時のBGMは同じくサザンの「希望の轍(わだち)」。どちらも、最後の運動会の組体操&創作ダンスでBGMに使われた曲です。サザンが思い出の曲になるのは、私としてもちょっと嬉しい(^^)もっと友達との別れを惜しんでくるかと思ったら、校門から送り出されたそのままの勢いでひとり(私がついていたけど)帰路についてしまいました。みんなと写真とか撮らなくていいの?と聞いたけど、「別に」って。私立に行ってしまう子とはもうこれでお別れだよ、と言っても、「ユウキもタカオ(親しい私立進学組の友達)も同じマンションだし、用があればいつでも行けるから」と実にサバサバ。いや、たしかにそうなんだけど。2日後には、公立中の(クラス分け)学力テストでまた顔を合わせるメンバーもいるし。せっかくだから、どこか外でご飯でも食べましょう、と言ったのですが、これまた「いつもと同じでいいよ。家で食べよう」と言われ、ありあわせのお昼ご飯ですませてしまったというあっけなさ・・・・・そう言えば、私自身の小学校の卒業式も、実にあっけないものでした。当時の私の親は「義務教育なんて単なる通過点」と言って、私の小学校の卒業式にも、中学校の入学式にも来ませんでした。6歳だった小学校の入学式と、義務教育終了のケジメということで中学校の卒業式(厳密には式が終わってから、担任に挨拶のためだけに)はさすがに来ましたけれども。小学校の最後の2か月は、完全に消化試合のような生活を送っていましたので、クラスのみんなや先生は大好きでしたが、早くこの環境から抜け出したいとばかり思っていました。それまでは朝早く登校していたのが、その頃は毎日遅刻スレスレでしたし。夜はなかなか眠れず、朝起きるも嫌で嫌で。休まなかったのが不思議だったぐらい。卒業式も、祝福してくれる親が来ているわけでもなく、今さら別れを惜しむようなこともないし、校門の近くで誰かのお母さんが「一緒に写真撮りましょう」と声をかけてくれたのですが、早くその場から消え去りたい一心で、逃げるように走って校門を出て家に帰ったのを記憶しています。コウイチは、もとより友達とつるんで何かするというのが少ない子ではあるのですが、私自身が小学校の卒業式にあまり楽しい思い出がないので、この子にはそういう寂しい思いをさせるのはかわいそうだと思ってこっちがあれこれ気を遣っても、なんか私の時とよく似た展開になってしまったのは血のせいか・・・・・うちの子どもの学校は、在阪テレビ局のいずれからも便利な立地にあるせいか、今日も2局から取材に来ていました。○BCの方は、私の顔を目の前数十センチのどアップで延々と撮っていたカメラがあったので、ひょっとしたらお昼のローカルニュースでお見苦しい(爆)映像が多少流れたかも知れません。夕方のニュースでは山村の「たったひとりの卒業式」が流れたから、たぶん昼だけのはず。もうひとつのTV○の方は、コウイチのクラスの2番目の子が証書を受け取る場面と、在校生に贈る言葉をシュプレヒコールしている映像を「今日、大阪市立の小学校で一斉に卒業式が行われました」というニュースと共に流していました。なにはともあれ、卒業おめでとう。公立中学進学は、自分で選んだ道です。次の段階の3年間も、実り多いものになりますように。#卒業式の後、出かけた先の梅田のイカリスーパーで、友達(後輩)のぴっちゃんオススメの「マンゴープリンロールケーキ」を買ったんだけど。#家に帰って、4人分に切り分けたあと、ちょっと用事でその場を離れたら、5分そこそこの間にコウイチが2人分(なんと半分!)も食べてた(怒)#かわいそうとかちょっとでも思ったの、損した気分・・・・・(爆)
2006/03/20
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なんか、こういうものが回ってきたので、とりあえず書いてみることにします。★バトンを回してくれた方に対しての印象は?ぴっちゃん(blogはこちら)この人を表すのに"omnipotent"という形容詞を使って、全然オッケーな人。私が17歳の頃からの知り合いですが、勉強もできるし、趣味も豊富だし、おしゃれさんだし、ダメダメなところが見えない。ちょっとぐらい欠点見せてみ?!と突っ込みたい・・・・・あと、彼女は国文学系の人なのですが、私は勝手に彼女に対して「文字と言葉を紡ぐ人」というイメージを持っています。★周りから見た自分は、どんな人間だと思われていると思いますか?理屈っぽく説教くさい。融通がきかなくてちょっと恐い。でも案外フツウのおっかさん。職場では、子どもがいるようには見えないってよく言われます。・・・・・結論は「お局さま」キャラっていうことなのね(泣)★自分が好きな人間性について5つ・"enterprise"(進取の気性とか冒険心)。高校時代の英語の時間に習った言葉で、これって人生には大事よねーと今でもずっと思っていたりする。・想像力の豊かさ。これがないと人の気持ちを推し量るとか、難しいと思う。・「なんでもあり」の精神。その中から取捨選択すればいいのであって、何でも最初っから排除するのは好きじゃない。・その場の空気が読めること。・あとひとつ・・・・・今のところ思いつきません。★反対に苦手なタイプの人間性について5つさっきとはまるで逆の人間性。・何に対しても、いい意味での見てみようやってみようという気持ちのない人。前向きでない、最初から物事を捨ててかかる人。・想像力の貧困な人。絶対、他人に対しても優しくできないと思う。・排他的な人。・空気の読めない人。・あとひとつは、また思いついたら。★自分がこうなりたいと思う理想像は?難しいなあ・・・・・大雑把な言い方だけど、許容範囲が広くて、包容力のある人間。究極の肝っ玉母さん?★自分のことを慕ってくれている人に叫んでください・・・・・っていうか、そんな人、いる?いたら挙手!★大好きな5人に、その方の印象付きでバトンタッチblog上のバトンなんで、ネット仲間限定ですけど。・ももちやん いつも元気よくて、ネットワークが広くて「発信基地」のイメージ。・エヒメックスさん 冒険心いっぱいで、わくわく感いっぱい、繊細で家族愛・友情に厚いイメージ。・じゃまぽさん 何でも「まかせなさい」って感じで、うまく切り盛りできちゃう肝っ玉母さんのイメージ。・★kyon★さん 冒頭のぴっちゃん同様、"omnipotent"カテゴリーに入れたい、「デキるオンナ」のイメージ。・どなたでも、これを読んでバトンもらってやろうと思ってくれた人。いい人だ~お名前出させていただいた4人の方、もしよかったらバトンもらってください。忙しかったり、興味なければ読み飛ばしていただいてOKです~(^^)
2006/03/09
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3日前に予約しておいたデコレーションケーキを引き取りに、職場の近くのケーキ屋さんに行きました。このあたり半径数kmでは、結構おいしいと評判の店です。予約品の引き換え票をお店の方に渡すと「あのう、日付をお間違えではないですか?」との言葉。「えっ、今日7日でしょ?」と聞き返すと、引き換え票には「4月7日」の文字が。3日前。店員さんに「何日にご用意したらよろしいですか?」と聞かれ「7日でお願いします」、「時間は?」「夕方5時半か6時頃で。裏の○○○病院の者です(正式な所属は老健だけど、ご近所ではこう言う方が通りがいい)」という会話を交わし、「それではこれが引き換え券になりますので」と2つ折の小さな紙を渡され、内容を確認もせず受け取ったんだっけ。今日も、引き換え票を財布の中から折ったまま取り出し、広げもせずに店員さんに渡したんですよね。でもさ、普通「7日」だけ言ったら「今月」ですよね?店員さんも「4月7日ですね」とはひと言も言ってないし~「もう少し後で取りに来ていただけるのでしたら、今からすぐお作りしますが。1時間ぐらい・・・・・」と言われたのですが、「家がこの辺じゃないので、保育園の時間もあるし(塾のお迎えもね)、わざわざ取りに来るのも待つのも無理です」ということで、家に帰ってから近所の店に行ってもデコレーションはもう売り切れてるかも知れないし、仕方なくショーケースに並んでいるレディメイドのものの中から選び、お店の方も申し訳ないって言ってくださって、値引き&おまけを余分につけてくれました。予約したその場でちゃんと引き換え票を確認しなかった私もいけないんだろうけど、なーんか後味悪いわねぇ・・・・・信用してないようでお店の人には悪いけど、次からは目を皿のようにして重箱の隅をつつくようにチェックさせてもらうことにします、ハイ。まあ、ケーキ自体はおいしかったんですけど、塾帰りでお腹をすかせたツヨシが余分に食べたので私の口には一切れも入りませんでしたってことで、おいしかったというのはあくまでも家族の感想(泣)
2006/03/07
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あまり詳しい事を書くと個人が特定されてしまうかも知れないので、ざっくりと大雑把にいきますが・・・・・今日の話ではありません。が、そんなに過去の話でもありません。私がかつて同じ病院で働いていた、事務の男の子(仮にN君とします)の奥さんが、育児ノイローゼ(と現時点では言われている)で自分の子どもに手をかけてしまいました。とどめをさしてないのと、発見が早かったので、死には至らなかったのですが、子どもさんは重体です。今日、当時N君と一緒に働いていたメンバーのひとりと話す機会があり、そこで聞かされました。若くして、親に一軒家を建ててもらって、奥さんも専業主婦で子育てに専念できるし、N君も忙しいとは思うけどまあ仕事も安定していて、何が不満?という気がしないでもないという、傍から見ていると幸せそうな家族だったんですが・・・・・真面目そうな奥さんで、わりと思いつめるというかひとつのことしか見えないような感じだったので、自分の中で逃げ道がなくなってしまったのでしょうか。子どももまだ未就園児で、それぞれの実家から少し離れた場所にある家なので、近所に頼れるような友達もいなかったのかも知れません。N君も何か気が付かなかったのかしら?っていうか、今N君が働いているところを知ってるけど、あんまり家庭を顧みるようなゆとりはないような気もするし~N君も大変だと思います。事件発生直後は、配偶者として事情聴取も受けなきゃいけないし、奥さんは当然拘置中で、重体の子どもも病院に入れっぱなしというわけにはいかないでしょうから、自分が様子見に行かなきゃいけないだろうし。子どもさんも、このまま回復してくれればいいのですが、障害が残る可能性も高そうですし、最悪の場合は・・・・・?それより何より、奥さんと残りの家族の、今後の関係。幸いに子どもさんが元気になって、奥さんが法的にフリーな状態になったとしても、「我が子を殺そうとした」という事実は一生付いて回るわけですし、果たして当事者や周囲がそのことを許容しながら生きていけるのかどうか。「こんなことになる前に、私達にひとこと言ってくれれば、子育て経験者もいっぱいいるし、何かできたかも知れないのに」と、我々も嘆くことしきり。今後、何か手伝えるようなことがあれば、積極的に動こうね、ということでまとまりました。家に帰って夫にもこの話をしました。というのは、N君とうちの夫はなぜか面識があって、グループでプライベートな旅行にも一緒に行くぐらい親しい時期もあったので。もちろん、夫もビックリです。この後しばらく、夫婦と子どもの関係なんかについて、あれこれ話し合っていました。ちなみに、このニュースをネット検索しても、全くヒットしませんでした。一部の新聞の地方版や、ローカルニュースで流れた程度だと思います。それぐらい、「我が子殺し」は珍しくもなんともなくなったということでしょうか。
2006/03/06
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