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★☆ もっとも勇敢に官僚の壁と闘った元総理『 安倍 晋三 』★☆ 「事実は小説より奇なり」~Fact is stranger than fiction. ~ マスゴミの執拗で陰湿なイメージダウン印象捏造報道 ~ REALISTは、『 約束の日 安倍晋三試論 』(小川榮太郎著)を先月末に読了した。これを読む機会となったのは、新聞の書評から読みたいと思ったからだ。実は、わが山口県出身の安倍元総理であるにもかかわらず、その突然の辞任に至る経緯や真相、任期中の功績についても、ほとんど無知であったということ、・・「なぜ、安倍総理が突然の辞退となったのだろう?今の民主政権とどれほどの違いがあったのだろう?マスゴミやメディアは、お粗末な民主現政権には批判は少ないが、どうして当時の安倍政権にはあれほど極端な批判を繰り返したのだろう?」・・などと単純に真相や背景にある事実を知りたかったという知識欲からの理由もあった。約束の日 安倍晋三試論/小川榮太郎【RCP】価格:1,575円(税込、送料別) 2012年8月31日が初版であり、比較的新しい評論。 文芸評論家の小川榮太郎が、11月25日の同じ日に首を刎(は)ねられた吉田松陰と三島由紀夫になぞらえながら、文学とは対極にある政治家を文藝評論的手法で描いたスリリングな試み!明確な理念と果断な実行力で強い日本を目指した政治家安倍晋三の人間像、ドラマチックな挫折と葛藤、さらに、その背景にある不可解なマスゴミの実態を見事に分析している。・・・・「安倍の葬式はうちで出す、これは社是だ」という朝日新聞幹部の言葉を聞いた政治評論家三宅久之氏からの話題からこの書のプロローグの幕があがる。 2006年(平成18年)9月26日、国民の70%以上の高支持率の期待を受けて安倍晋三政権が発足したが、わずか1年で安倍総理の持病(潰瘍性大腸炎)の悪化から辞任となった(2007年9月12日)。 しかし、任期中から始まった朝日新聞、週刊朝日を筆頭とする新聞、週刊誌、テレビなどメディアの安倍総理や政権に対する猛烈な批判は止まることを知らず、普通の国民が客観的に観ても、その極端で異常としか思えないほどに執拗で陰湿だと感じるほどに凄まじいものであった。また、彼の残した任期中の功績については、マスゴミのイメージダウン戦術で、見事に国民にはその事実を知らせていない。『 安倍晋三政権に対するマスゴミの叩き方は異常 』 反日的で韓国に忖度するようなテレビのワイドショーや特集番組では、社民党などの支持率の低い政党関係者やわけのわからないコメンテーターを結集して、「これでもか、これでもか!」と陰湿ないじめに近い批判トークのオンパレードだった。テレビなどの極端なイメージダウン戦術が目立っていたのには、当時は国民の支持率が高いのにもかかわらず、マスゴミがそれを打ち消そうとする必死な状態に「これはおかしい」と異様さを感じたからだ。『 テレビ、新聞が安倍晋三を必死に叩く理由 』 どの政治家も手をつけなかった「国家公務員制度改革」で官僚の天下りを防ぐ改革に踏み込んだ安倍内閣が、それに抵抗する官僚や官僚の天下り先のマスゴミから執拗な攻撃を受けた経緯や流れを簡潔にわかりやすく説明している。「(嘘字幕】マスゴミの異常な安倍叩きをドイツのテレビが報じたようです」 野党自民党の総裁となった直後の模様の様です。日本を守る!、北朝鮮拉致被害者を救う!、日本経済を復活させる!・・などと訴えている。『 安倍晋三総裁街頭演説 熊本県・健軍商店街(2012 11 17) 』 衆議院解散が決まった翌日に熊本での街頭演説風景。 最後に・・・・これを見て、どう判断されるかは皆さんの自由だ。しかし、これだけは言えることは、新聞の記事やテレビの報道、ワイドショーなどでコメンテーターなどが一方的に訴える主張をそのまま鵜呑みにしないように心がけることが必要だと強く感じている。新聞記事でもテレビ番組でもそれを特定の関係者の手により、気にいらない人物を巧みな印象操作で編集して事実を伝えずに、イメージダウンをしている事実があるからだ。それは、つい先日にもあった、週刊朝日による橋下大阪市長(日本維新の会代行)に対する人権侵害報道の例にあったとおりだ。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/11/28
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★☆ スーパーのリンゴでは味わえない濃密の味 ★☆ Tokusa apple garden~ 山口県山口市阿東徳佐 りんご園 ~ 山口市内から国道9号線を島根県の津和野方面に北上すると、途中、JR西日本の山口線が並行しており、その「地福駅」、「鍋倉駅」、「徳佐駅」周辺一帯には、徳佐のリンゴ農園が散在している。徳佐は西日本一の大りんご園のある町だ。リンゴのシーズンには、観光バスの団体やマイカーで立ち寄ってリンゴ狩りを楽しむ人も多い。また、リンゴ農家が、国道沿いの店舗で種類も豊富なリンゴの販売もしている。 ここ山口県のリンゴ栽培のピークは9月~11月末だろうか。REALISTは、先月末、リンゴ園に立ち寄りたわわに実った新鮮なリンゴをもぎ取っては存分に味わった。県内のスーパーには主に青森産などの東北のリンゴが豊富に販売されているが、ここ山口県産の徳佐の独特なジューシーで甘酸っぱい蜜の味が口一杯に広がる美味しさを味わえば、多分、青森産など食べる気がなくなるだろう。それだけ、本当に美味しいのだ。ただし、リンゴ狩りは11月末がリミットだ。 リンゴの実の重さで枝が垂れ下っている。このリンゴは、「フジ」と呼ばれる種類だが、スーパーで販売されている通常のリンゴよりもひとまわり大きいサイズだった。どれもよく手入れされており、色も良く実がとても美しい。色々な種類のリンゴを味わったが、それぞれに特徴があり、どうにか5個食べることができた。 一昨年も訪れたのだが、その時は、外国人留学生が団体で訪れて、リンゴ狩りを楽しんでいた。白人、黒人、アジア人など数十人で大学の留学生だった。リンゴ農園では、バーベキューや焼き肉を楽しめる設備が併設しているところもある。 リンゴの木で美味しいリンゴを食べるなら、枝の高いところのものよりも、比較的低いところの方が美味しいそうだ。蜜が多く、ガブッとかぶりついたら、シャキッと歯触りがよく、リンゴの香りと甘酸っぱいジュースが口に広がる。 (Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/11/26
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★☆ 日本の将来を危惧、警鐘を鳴らし敢然と闘った勇気ある戦士 ★☆ ~ 新聞記者から日本を愛する政治評論家に転身した人 ~ 政治評論家の『 三宅 久之(82歳) 』氏が11月15日(木)早朝に自宅で倒れ、搬送先の病院で午前8時46分、息を引き取った。ただただ、日本のために御苦労様と言いたい。心からご冥福をお祈りします。 三宅氏は、テレビ番組の『 ビートたけしのTVタックル 』、『 たかじんのそこまで言って委員会 』のレギュラーコメンテーターとして、その独特な頑固おやじの様な形相で激論を戦う姿で有名だった。その風貌は、REALISTの親父に似ていて何となく親しみを感じた存在だった。番組の中では、左翼関係者などのコメンテーターには、敢然と立ち向かう姿勢は、見ごたえがあり、勇気づけられることが多かったものである。笑顔がチャームミングであった点も隠れファンが多かった理由ではなかろうか。三宅さんは、早稲田大学第一文学部独文科を卒業後、1953年に毎日新聞社に入社、政治記者などで活躍。76年に退社し、フリーの政治評論家に転身、テレビ番組のニュース司会者、コメンテーターとしても活躍した。 『 三宅久之が巡る靖国神社 』これは、何かの番組の一部の様だ。何故か、感極まって泣く姿が痛ましい。『 三宅久之氏が「日本の国旗・国歌」について語る 』 私も記憶があるが、昭和40年代までは、まだ各家庭では、祝祭日には自宅の玄関などに国旗日の丸を掲げていた。しかし、その後の共産主義を崇拝する左翼の「日教組」などの影響から、国旗を罪悪視する様になった風潮を批判している。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/11/19
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★☆ 大岩の横たわる神々の棲む白石山 ★☆ ~ 山口県山口市徳地引谷 白石山 ~ 白石山(しらいしやま)は、山口市北部内陸部に位置する標高540.8mの神聖な里山、登山路には神秘的な数々の大岩が横たわり、大岩からの絶景の展望を楽しめる。 REALISTは、10月26日(金)に登頂。 遠くに先に見える『白石山』県道26号線(山口鹿野線)沿いの「白石口バス停」付近にある「白石山入口」の看板。広い駐車場(15台程度分)、奥に行けば登山口だ。 落ち葉に埋もれた歩きやすい登山路を行く。 途中、大木が倒れていたが、その下をくぐって通過。秋らしい登山路が続く、気温16℃(午前10時)で汗は出ない。 途中、展望できる『 大岩 』に立ち寄る。でかい!高さ10数mはあるだろうか。巨大な『 大岩 』の塊(かたまり)の頂上に登った。 『 大岩 』の上からの観る景色、「ウーム!素晴らしい!」さらに、ずんずん登山路を進む。登山路には、登りも下りも様々な巨岩が横たわっていた。 ここは、テーブル状の大岩の上を歩く登山路だ。 気持ち良いなだらかな登山路が続く。人が寝ることが可能な大きな直線的な切れ込みがある岩。まるで古墳時代の墓のようだ。岩の上で見かけた小さな石の祠(ほこら)。 巨岩沿いの道を歩く。階段のある岩の祭壇!中をのぞくと古い観音像がある。 直径10m前後の岩と岩の重なった間に空間がある。『 接待岩 』、ここにに入るとかなり奥行きがある。昔、ここに僧が住んでいたそうだ。空間は大きく二つ、湧水のある空間と人が10数人は寝れる空間、夏は涼しく宿営も可能。しばらく傾斜のある道を登り続け、ようやく辿り着いた大岩の広い展望所。 見晴らし最高の大岩展望所で昼食!お天気良好!暑くもなく心地よい。ここは、まるで贅沢な眺望を満喫できる山頂レストランの様だ。 山頂!540.8m!手前の白い石は、三角点。下山は、「引き廻し方面」に進んだ。 下山中も名前のある奇妙な大岩の連続だった。 のどかな風景を楽しみながら歩くと、駐車場に戻ることができた。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/11/15
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★☆ 『 領海侵犯 』が有れば、ロシアは即、停船命令と警告射撃!! ★☆ 日本尖閣領海への挑発的領海侵犯を命ずる悪辣な中国共産党~ 『 領海侵犯 』は、『 国境侵犯 』と同義、ロシアが普通の国の対応 ~ ここ最近、中国政府の漁業監視船を含む艦艇が日本の尖閣領海内での『 領海侵犯 』を挑発的に繰り返しているのは、報道にあるとおりだ。大半の日本国民は、この種の報道を見るたびに中国共産党への怒りや憤りを感じ、中国に対する好感度は皆無に等しいだろう。 REALISTは、『 領海侵犯 』に対する他国の対応について興味があり、隣国ロシアのロシア領海に侵入した不法操業の日本漁船に対するロシア国境警備隊の『 停船命令とそれに従わない警告射撃 』の模様を記録した過去(2010年1月30日付け)のニュース報道を確認することができた。 この様な『 領海侵犯 』行為は、『 国境侵犯 』にも相当し、世界の独立国の普通の国ではロシアと同様な対処をしている。日本でも過去には、海上保安庁船舶が威嚇射撃にまで至った事件では、1953年の「ラズエズノイ号事件」、1999年の「能登半島沖不審船事件」、2001年の「九州南西海域工作船事件」の3件があった。しかし、ここ最近の日本の悪意の中国政府侵犯艦艇に対する『 終始警告だけで見守るだけの対応 』というものは、普通の国ではない極めて不作為な消極的な対応だろう。普通の国と同じ対応をしないのは、『 経済的損失や不利益を考慮してからそうなのか? 軍事的対立を避けるためなのか?』と大いに疑問を感じた。こういうことも、政府の国民への侵犯行為に対する不作為の説明責任が問われるだろう。『 ロシア国境警備局 射撃した事実認め映像公開(10/01/30) 』 この動画は、北方領土の周辺海域で、2010年1月29日、北海道羅臼の漁船2隻がロシアの国境警備隊から射撃された事件で、ロシアの国境警備局は、射撃した事実を認め、その映像を公開したというニュース報道。北方領土は、終戦直後のどさくさにまぎれソビエト軍が不法侵攻、居留していた日本人を追い出し、強引に占領、そのまま現在までロシアが実効支配しており、同国の国境警備隊が配置している。ロシアは自国領土として、領海侵犯には容赦しない。◆◇日本尖閣領土と中国の国家的『 領海侵犯 』は明白!◆◇ 或る国の領海内への外国船舶の『 進入 』をもってただちに『 領海侵犯 』と解釈されることはない。沿岸国以外の国家の船舶に対して『 無害通航権 』が認められており、或る船舶の他国の領海においての『 無害な通航 』は、『 領海侵犯 』ではない。しかし、中国共産党の悪意に満ちた命令で中国政府所属の艦艇を他国の日本の領海に故意に侵入させる行為は、中国共産党を主犯格とする『 無害でない通行 』に該当し、『 領海侵犯 』にあたると言える。そうすると、これは、単独の個々の侵犯艦艇のみならず、それを命じる国家組織的な犯罪とみなすことになるだろう。 日本領が明白であることは、何よりも日本国内には、過去に中国政府が発行して使用した中国の教科書用地図が存在しており、中国政府が日本政府に送付した公文書文中や公式地図にも、中国自身が『 日本領土 』と記載して示していたことが明らかになっている。そればかりか、尖閣諸島には1880年代後半から1940年(昭和15年)にかけ、日本の琉球諸島の住民が建設した船着場や古賀が開設した鰹節工場跡などがあり、住民も数十人が存在していた事実があるなど多くの物的証拠が多数存在していることだ。 『 尖閣諸島は明らかに日本の領土 』であることは、誰の目にも明らかであり、これについても、先の2010年9月7日発生の衝撃的な『 尖閣諸島中国漁船衝突事件 』が起爆剤となり、尖閣問題についてはほとんど無知だったはずの多くの日本国民が、これを契機に・・改めて明白に日本の領土であることを学ぶ良い機会となった。これは、新聞などの消極的で閉鎖的な既存メディアよりも遥かに開かれたインターネットが果たした役割が大きかったと言ってい良いだろう。これにより、中国共産党首脳だろうが何だろうが、『 尖閣諸島は中国領土 』と声高に叫んでも、誰一人それを信じる日本国民は存在せず無力なものに過ぎない。それは、中国共産党の明らかな『 嘘(ウソ)、デタラメ、寝言 』と同じ雑音にしか聞こえないからだ。これは、政府が関与して様々な国民に政府の嘘(ウソ)や不正がわかる様な都合の悪い情報を国民に知らせないネット規制や監視体制で国民を政治誘導管理している中国とはまったく異なる日本であるからの強みだろう。『【九州南西海域工作船事件】 The Japan Coast Guard received the attack. 』 この動画は、海上保安庁艦艇が領海侵犯で停船命令に従わない北朝鮮工作船を20ミリ機関砲で威嚇射撃、自爆爆沈したした事件、2001年発生の「九州南西海域工作船事件」の模様を記録したもの。◆◇ 日本国民の中国に対するイメージは最悪に一新された! ◆◇ 中国政府艦艇の日本領海侵犯報道を見るたびに国際ルールに従わない身勝手で横暴な中国共産党に対する日本国民のイメージは、少し前の中国での出来事で一新された!・・無秩序な反日暴動で中国人の山賊の様な強盗暴徒大集団が、犯罪を取り締まるべき中国警察が機能せず不作為で見守る中で行われた。・・それは、映画の中で観たゾンビの様な集団の暴徒たちの犯罪行為はやりたい放題で日系企業を次々に破壊し、商品を略奪、放火し、日本車両を手当たり次第に破壊し、同国人の中国人日本車オーナーをも集団暴行で負傷させ、中国居留の日本人を標的に暴行負傷させるという・・・鮮烈な記録映像やニュース報道のイメージと重なり、中国共産党や中国社会、中国人の法令順守観や道徳倫理観に至るまで、日本人の中国に対するイメージがそれまでのぼんやりとした曖昧なものから、一挙に明確に『 中国とはこれが実態なんだ! 』と恐怖の姿でリアルに理解できた。これは、それまでの平和ボケだった日本人が、突然、暴漢に襲われて殴打されたかの様に覚醒し、『 現実で真実の中国共産党の実態 』というものを知る良い機会となり、日本ばかりか世界中にも中国の負のイメージを増大させ、恰好の共産主義社会研究の貴重な教材が提供されたと言えよう。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/11/10
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★☆ 悲しい美女の呪いの伝説が残る『 姫山 』 ★☆ ~ 山口県山口市大内(おおうち)姫山 ~ 『 姫山(ひめやま)』は、山口市大内にある『 姫山美女伝説 』で知られる標高199mの里山、四季を通じて川面に優美な姿を映し、地理的にも三田尻や陶、嘉川方面から山口方面に向かう旧街道を見下ろす要地として、その昔は城若しくは砦(とりで)が築かれていたと伝わる山で、付近には、国立山口大学吉田キャンパスが位置する。 REALISTの5月29日(火)登頂の記録。標高は低いものの、春山で登山道が荒れて極めて登りにくい山だった。山口市内大内北部にある『 金成山 』山頂からREALISTが撮影した『 姫山 』。山腹に見える白い四角形は、テレビ山口の電波反射板。 右手に「姫山」のある川沿いの道を進むと、石の鳥居(とりい)のある登山口に至る。姫山伝説」が書かれた看板、付近に軽自動車1台分の駐車場がある。『 姫山美女伝説 』・・・その昔、殿様が美女を見初めて、無体な恋慕をよせ、殿中に捕らえ入れて想いをとげようとしたが、美女は節操深く殿様の邪意を受け入れなかった。殿様は美女を縛って城の井戸に釣り下げ蛇(へび)責(ぜ)めにした。美女は悶え苦しみ、美しく生まれた身のつらさを、二度と後々の女性にさせぬため「この山の上から見えるかぎりの土地では、永久に容色兼英の女性は生まれぬように」と悲しみ悶え死んだという。姫山の名はこれに由来するというのである。崩れかかった階段がしばらく続く、この辺りはまだまだ登りやすい。 傾斜角の急な整備の良い階段が続いた。やがて、ゆるやかな階段に・・寺跡に到着、広い敷地に壊れた灯篭、新しい祠がある。寺跡に残る手を清める石鉢と水をたたえた池の跡。 寺跡から望む山口市大内方面、昔の寺の僧はここから観ていたのだろう。寺跡の奥を進むとシダ類の草が伸び放題、歩きにくい、草をかき分けて進む。まもなく、巨大なテレビ電波反射板出現!昭和44年設置と記載あり。木々の間を進む、右手の木の枝に赤色テープ確認! 急斜面の藪(やぶ)の道にロープあり、握りしめながら登る。 背まで伸びた草の中の道は、蜘蛛(くも)の巣だらけでストックで払いつつ進む。 進路をふさぐ折れた木。何か巨大な魔物に引き裂かれた様な木々が・・・。 奇怪な周囲の木々の様子がなんとも異様だ。赤いテープを確認。 まだ続く・・ここから早く抜けたい!何故か、この辺りを歩くと背筋がぞっとする恐怖心があった。 また、目の前に根元から引き倒された木が、「ここから入るな!」と・・・やっと、まともな林道に脱出!やれやれ、頂上部分だ!明るい空!・・ん?鐘の様なものがある!落ちていた『 姫山 』の標示板と三角点。 山頂ポストがある、休憩用の丸太椅子に蜘蛛の巣排除で活躍したストック。山頂からの眺め、山口市内の中園町方面、NHK山口、市立図書館が見える。 ここで、簡単な食事を済ませたが、一刻も早くここから逃げ出して下山したい気分だった。こんな陰気な空気を感じたのは初めてだった。登りの倍の早さで下山した。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/11/06
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★☆ ノルウェーから彗星のごとく出現した『 a~ha(アーハ)』の名曲 ★☆ "HUNTING HIGH AND LOW" by "a~ha"~ 1985年、全米1位・全英2位の大ヒットを記録 ~ 『 a-ha(アーハ)』は、モートン・ハルケット(ボーカル)、ポール・ワークター=サヴォイ(ギター)、マグネ・フルホルメン(キーボード、ギター)の3人で1982年に結成されたノルウェーの3人組バンド。「テイク・オン・ミー(Take On Me)」の世界的なヒットや『007 リビング・デイライツ』(The Living Daylights)の主題歌、1994年リレハンメルパラリンピックのテーマ曲(Shapes That Go Together)、2009ベルリン世界陸上テーマ曲(Foot of the Mountain)を歌ったグループとして知られている。REALISTが、このグループを知ったのは、映画『 007 リビング・デイライツ』を観た際のその主題歌がきっかけだった。 なお、a~haは、残念ながら2010年12月04日、ユニット結成の地であるオスロでのコンサートを最後に解散した。年月の過ぎるのはなんと早いものだろう、あれからもう2年も経っている。 写真は、1985年に発売された『 a~ha(アーハ) 』のアルバム『 HUNTING HIGH AND LOW 』のカセットテープのレーベル、カセットテープ全盛時代の当時は、REALISTは、レコードよりもかさばらない理由から小型のカセットテープを愛用した。このアルバムの中に、世界的大ヒットとなった名曲『 TAKE ON ME(テイク オン ミー) 』が挿入されていた。これがその曲の『 A-Ha - Take On Me (OFFICIAL VIDEO) 』 『 TAKE ON ME(テイク オン ミー) 』とは、「私を連れて行って!連れ出して!」という意味だが、このイメージ動画では具体的によくわからないが、フィーリング的にこんなものだろうという製作者の意図があるのだろう。男女の愛とか恋とか憧れに近い若いころの欲求を少し抽象的にアレンジして表現したものだ思う。残念ながら、こことこの下の画面でもこの埋め込みではそのまま観ることができないが、この画面の上にカーソルを当てると下線付きの題目が現れるので、それをクリックするとYOUTUBEにリンクされ聴取可能だ。 007の主題歌の『 A-ha- The Living Daylights 』 映画『 007 リビング・デイライツ』を観た際のその主題歌で、今までにない新鮮さがあったのが印象的だった。映画の中のジェームズ・ボンド役は、ティモシー・ダルトン(Timothy Peter Dalton, 1946年3月21日生)だった。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/11/05
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★☆ 勇戦敢闘した『 Das Reich (ダス・ライヒ) 』師団兵士たち ★☆ Das Reich Division Eastern Front 1943-44(1:35`39-`45SERIES) ~ 武装親衛隊中で騎士十字章最高獲得を誇る勇猛師団 ~ 久しぶりのプラモデルの話題だ。先日、博多駅前のヨドバシカメラ(月1で立ち寄る)に立ち寄り、プラモデル部門の店頭でDRAGON社のフィギュアプラモデルの箱絵が目に止まった。その標題を見ると、『 Das Reich Division Eastern Front 1943-44 』とある。ううむ・・・あの第二次大戦中の歴戦の戦士を生んだあの「第2SS装甲師団”ダス・ライヒ” 東部戦線 1943-44年」かぁ~!・・当時の記録写真からそっくり出てきた様なリアルさ、私の好きな35分の1スケールが気に入り即購入した(店頭価格1260円)。これで、また未作成のコレクションが追加された。余暇は健康志向のアウトドアなどにはまり、時間的になかなか作成できないのが今の最大の悩みだ。 箱絵を見ると、左から順に、信号拳銃を手に持ち、右肩からMP40自動拳銃(シュマイザー)を掛け、白とグレイのリバーシブル型の防水型防寒着を着用した兵士、次に、初戦の連戦連勝でソビエト軍から大量に捕獲、ドイツ軍が好んで使用した71発入りドラム形弾倉付き自動小銃「PPSh-41」を携行し、迷彩ヘルメットカバーと迷彩スモックを着用した兵士、装甲部隊用の黒色企画帽にヘッドフォンと双眼鏡、グレイのシャツに黒色ネクタイ、戦車・装甲車クルー仕様の迷彩型ツナギ着用の装甲兵士、双眼鏡とMP40シュマイザーを手に持ち、制服の上に迷彩スモックを着用した戦闘将校が描かれている。制服の色で気になったのが、通常の緑色系のフィールドグレイではなく、灰色系のジャーマングレイであることだ。だがしかし、これは、ある時期や師団によってはジャーマングレイ色の制服も好んで使用されていた史実がある。この絵は、史実どおりに『 Das Reich (ダス・ライヒ) 』師団の東部戦線で対ソビエト(現ロシア)戦での同師団兵士たちの写真記録からまさに飛び出たリアルな姿だ。迷彩戦闘服は、ドイツ軍から生まれ、現在の世界中の軍隊に継承採用されている。 ドイツ武装親衛隊(WAFFEN-SS)は、国防軍と区別された総統直轄のエリート軍団であり、その中には40以上の師団があり、各師団にはそれぞれに固有の師団標識(マーク)が存在した。写真左が、第2SS装甲師団『 Das Reich (ダス・ライヒ) 』の師団標識(マーク)であり、「ルーン文字」と呼ばれた北欧の古代記号文字が使用され、主に戦闘車両などに識別のため記載された。『 Das Reich (ダス・ライヒ) 』師団は、1939年に創設され、終戦までに73名の騎士十字勲章を拝領、他の師団に比べ圧倒的な戦闘功績を誇った。騎士十字勲章は、単なる鉄十字章と異なり、戦闘中に一人で数十両の戦車を破壊、一人で中隊以上の敵を倒した、堅固な要塞を破壊した・・などの顕著な戦闘功績がなければ授賞することができなかった。写真右は、同師団の黒地に銀色の文字のアームバンドで、野戦制服の左腕の袖(そで)部分に縫いつけられた。 1944年の東部戦線で作戦行動中の第2SS装甲師団『 Das Reich (ダス・ライヒ) 』所属の野戦将校と兵士たちの様子で、写真で見える限り全員が迷彩服に身を固めている。写真右下のサイドカーの後部には白色の師団標識(マーク)が見える。 これは、戦車前部の装甲部分に標示された師団標識の例で、車両の表示位置は細かく規定されていた。 REALISTが以前、意識的に第2SS装甲師団『 Das Reich (ダス・ライヒ) 』所属車両として作成したパンサー戦車の例。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/11/01
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