全16件 (16件中 1-16件目)
1
きのう。。。アメリカ合衆国28代大統領ウイルソンのことばだなぁ としみじみ思った。いままで、チャンスに凡退し続けた、イチロー、イチロー自身も、試合が終わった時、”ようやく日本のユニホームを着ることが出来た”と語っていた。どうして、あれだけ不振の続いたイチローが、最後に、世界一を決めるヒットを打つことが出来たのだろうか?たぶん、ウイルソンの言葉が、それを、うまく表現できているとおもった。”運命のなかに偶然はない。” ”人間はある運命に出会う以前に、自分がそれを作っているんだ。”試合のない日の静かな練習場に、毎日、一番早く 一番多く 汗を流した男。。。イチロー。 優勝した後、日本選手達は、韓国選手たちがしたように、日の丸の国旗をマウンド上に立てることはなかった。。。かわりに、途中で怪我をしてしまい戦線離脱を余儀なくされた、村田選手のユニホームを優勝トロフィーに巻きつけて高々と掲げていた。村田選手のエピソードをひとつ紹介したい。村田選手は、ファンの間で、”男・村田”と呼ばれている。それは、今から2年前の10月、鈴木健という選手の引退試合でのことだった。鈴木健がピッチャーから打った13球目の打球が、平凡なサードのファールフライとなった。。。村田は、そのファールフライを”わざと”捕球しなかった。この時。。。球場全体から。。。横浜ファン、ヤクルトファンに関わらず大きな歓声が沸き起こった。結果、鈴木健は、次の14球目の打球をセンター前にクリーンヒットを放ち、長いプロ野球人生、有終の美を飾った。翌日のスポーツ新聞では”粋なプレー”と書かれた村田だったが、一方、いかに引退試合とはいえ、そのプレーはあまりにも失礼であると、テレビ番組の中で、ご意見番の大沢親分や張本勲からは強く叱責されたのだった。そんな男です。村田という選手は。。。今日も一日がんばりましょう。
2009.03.25
コメント(2)
昨日、NHK特集で、”プーチンのこどもたち”というドキュメンタリーが放送されていた。小さな子供たちに銃を持たせ。。。ふっと、インド独立の英雄、マハトマ・ガンジーを思い出す。当時、七つの海を支配する大英帝国(イギリス)に対して、ガンジーは非暴力で闘い続け、独立を勝ち取る。。。ガンジーはいう。”私には人に命を捧げる覚悟がある。 しかし、人の命を奪う覚悟をさせる大義はどこにもない。” わたしは、当初、ガンジーのいう”非暴力”という行為が理解できなかった。自由や権利というものは、戦って勝ち取るものだと考えていたからだ。暴力をふるうものに対して、非暴力などということは自殺行為だと思っていた。まさに宗教家の言う理想論だと。。。しかし、この言葉を聞いて。。。理解できた。”The weak can never forgive. Forgiveness is the attribute of the strong. ” 意味は。。。 弱きものは決して許すことができない。許しは、強きものの特質である。インド独立後、ガンジーが語った言葉がある。”私は失望したとき、歴史全体を通していつも真理と愛が勝利をしたことを思い出す。””暴君や殺戮者はそのときには無敵に見える。。。”が、しかし最終的には滅びてしまう。””どんなときも、私はそれを思う。”
2009.03.24
コメント(0)

もうすぐですかね、ハル。。。”山路来て 何やらゆかし スミレ草 ” 松尾芭蕉
2009.03.23
コメント(0)
WBC侍ジャパン、いよいよ準決勝へ。。。先日、楽天の野村監督が、チャンスで打てないイチローに、こう話をしていた。”イチローはマリナーズで評判悪いらしいやないか。””チームメートが全然相手にしていないらしい。””団体競技なのに、嫌われたら話にならんだろ。”。。。。。。。。。。。。。。。。。。バスケットボールをする人は、おそらくご存知だと思うが、むかし、NBAにすごい選手がいた。名前は、”マジック・ジョンソン。”1980年代のロサンゼルス・レイカーズを5度(1980年、1982年、1985年、1987年、1988年)にわたり、頂点に導いた選手。いまも、ファンの間で、彼のことを歴代最高のポイントガードだと言う人は多い。ある人が、マジック・ジョンソンに質問します。”あなたは、子供の頃から、ずっとスーパースターだったのですか?”マジック・ジョンソンは答える”そうですねぇ ””ジュニアリーグの時代は、とても勉強になったんです。””わたしのチームが勝つでしょう、 いつも80対20みたいな大差で。””そのうち、だいたい70点ぐらいは、私一人の得点だったんです。””ゲームが終わると。。。 勝った試合のはずなのに。。。必ずみんな怒っていたんです。””それは相手チームだけでなく、 味方のチームメイトも、 そして味方チームメイトの親御さんたちも。。。です。””わたしが、ボールを独占していたために、他のメンバーがシュートすることができず、 だから楽しむことも出来なかったんですね。””わたしは、そのとき思いました。””もっと人を巻き込まなきゃいけないと。””じゃなければ私のことをみんな嫌ってしまう。””その時ですね、 わたしが、いいパサーになるための方法を学ぼうと思った時は。””そして、その後も、 私たちのチームは80対20の大差で勝ち続けることが出来ました。””しかし、内容は、今までとぜんぜん違います。””私が決めるのは、せいぜい20点ぐらいで、 残り大半の得点はチームメイトの得点です。””親御さんたちは、私を気に入ってくれたし、 チームメイトはハッピーになったし、 みんなが一つになってプレーするようになれました。””わたしは、 ”私”から”わたしたち”にすることを学んだんです。””つまり 1+1=2ではなく 3にも、4にも、なるということを。”彼の、ミラクルなエピソードをひとつ紹介します。彼は、HIVに感染していることが判明し、突然引退することになってしまいました。そのため、NBAの1992~1993シーズンの試合には一切出場することが出来ませんでした。しかし、引退が突然だったため、オールスター戦のファン投票のマークシート用紙には、ジョンソンの名前が記載されたままでした。そのため、ファンの多くが、オールスター戦の出場選手投票で、ジョンソンに票を投じました。結果、ジョンソンは全選手のなかで最多得票となってしまいます。引退したにもかかわらず。。。そしてジョンソンは、ファンの期待にこたえ、オールスター戦に出場します。大舞台で、ジョンソンは目のさめるような活躍をします。。。。試合が終わった時。。。彼は、オールスター戦のMVPに選出されました。”マジック・ジョンソン”みずからシュートをすることを捨てて、相手に最高のパスを出し続けた男。。。アメリカ人は、今も彼をリスペクトしている。ちっぽけな 自分を取り巻く人々はいうだろう”お前は飛べないよ”そこで、”こんな自分じゃ、たしかに飛べるわけ無い”と下を向いてしまったら、飛べる自分に会えずに終わってしまう。下を向かずに空を見上げることをやめてはいけないんだ。助走をつけて、羽をばたつかせてみたりする。そうやって強がらなければ、将来の自分の自由な幸せは守れないんだ。 マジック・ジョンソンのことばです。
2009.03.22
コメント(0)
コストを下げながら、同時に品質を上げてゆくクボタ機械の三木さん。当たり前のことだが、最初からすごい人だったわけではない。三木が、自分の持っている”考え方”を見直すきっかけとなった出来事があったのだ。先日、わたしも日記に書いたアメリカのボーイング社を見学したのときのことだった。三木は、そこで、ボーイング社の”考え方”を聞き、”考え方の広さ”に感動したのだった。三木が、はじめてボーイングの工場を見学したとき。。。なんとも従業員が楽しそうに働いている姿におどろいた。服装も自由で、じつにフレンドリー。。。日本の工場を見慣れている三木には、その光景が信じられなかった。なぜなら、日本の工場は、全員が同じ作業服に身を包み、黙々と作業に従事している姿しかなかったからだ。三木はボーイングの技術者に話を聞き、さらにおどろいた。その技術者の話によると。。。”一番大切なことは、なにより”procedure(プロシージャ)”なんだ。といわれたのだ。”なによりも”procedure ”をより新しく、 いいものにどんどん変えて行く姿勢なんだ。”と教えられた。*プロシージャ 【procedure】の意味は、 ”やり方”三木はびっくりした。大勢の人々の命を乗せ、事故の許されないジャンボジェット機の製作は安全第一のはず。安全を一番に考えるなら、本来、長年にわたって築き上げられてきた実績のある規格を厳正に守って、つくられるべきものだと思っていたからだ。確固たる技術体系があり、それは、よほどのことがないと変えるものではないと三木は思っていたからだった。ところが、ボーイング社の考え方は、三木の従来の考え方と、まったく逆だった。ボーイング社の技術者は言う”飛行機メーカーというのは、世界でも少数精鋭です。 軍用機はさておき民間機のマーケットはとても激しい競争にさらされております。 マーケットにおいて優位性を維持し続けるためには、 むしろ、”スタンダードのやり方に安住することは危険なんです。” ”やり方”を少しでもいいように変え、その”やり方”を新たなスタンダードにしてゆく。 そうやって、つねにスタンダードそのものを進化させてゆくことが とても大事なことなんです。”といわれた。 三木は、話を聞いて、 自分が、いままで持っていた”物づくり感”が、 いかにも狭いものだったと痛感させられた。三木は、その後、やり方において”従来からある聖域”を無視するようになっていった。すると、売り上げ、利益のとれる製品がぞくぞく出来るようになっていった。しかし、同時に会社の他部署からの反発も比例して伸びたそうだ。三木は言う。”ゴルフでパーをセーブするパターを決めるためには? ””ボウリングでストライクを取るためには? ”みんな、理屈は分かっているんですよ。でも、出来ない。なぜか?結局、答えは、出来るようになるまで練習するしかないんですよ。そして、その練習は、結果を出すための練習でなければいけないんですよ。だから、練習の方法論、つまり”やり方”がとても大事なことなんです。たしかに、プロセスの話をしないで、”ケッカ” ”ケッカ”という元気な人に限って、結果を出ていないような気がする。だいたいケッカという赤ちゃんは、”やり方”から生まれてくるのものなのだから。
2009.03.20
コメント(4)
クボタ機械の三木さんの話をする上で、今回、お米の話からスタートさせていただきます。 米の価格の歴史 大卒の初任給 米一俵(60キロ)の価格 昭和36年 15,700円 4289円平成15年 201,300円 13,748円昭和の中ごろまで、たった4俵(240キロ)程度のお米の収穫で、農家にもたらされる収入は、大学を卒業した人の初任給よりも多かったのだ。このとき、農家の跡継ぎ問題はなかった。それもそのはず、リッチな生活が約束されていると思われていたのだから、あとを継ぐのは当たり前だった。現在の国会議員の半分以上が二世議員というのと、どこか似ている状況だった。しかし、その後、日本人は、お米を食べなくなる。米の消費はどんどん下がってゆき。。。昭和37年ごろ、一人の日本人は、平均で一年間に、”118.3キロ ”のお米を食べていた。ところが。。。平成18年には、一年間に、61キロのお米を食べるのがやっと。。。それは、お米のライバルが多彩になったからだ。パスタ、パン、ウイダーインゼリー、カロリーメイトなどなど。。。だいたい、今まで減反により。。。日本の水田は、滋賀県と同程度の面積が消失してしまったらしい。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。本題。昨日、書いた日記は、成長著しい海外の事例なので参考にならない。と、言われてしまったので。。。今日は過酷(かこく)な国内の事例を紹介したい。再びクボタ機械の三木さんに、業務依頼がはいる。それは、(株)クボタの田植え機事業部の再生だった。前段で紹介したように、日本の稲作は凄まじい逆風の中にあり、当然、(株)クボタも売り上げが低迷し、田植え機事業部は赤字に転落していた。三木が着任した時、年間8億円の赤字を出していた。三木が、田植え機事業部に着任すると。。。社員の士気は。。。かなり低かった。朝礼ぎりぎりに出社してくる人も多かった。三木は思った。”赤字事業部であるのに。。。どうなってるんだ!まったく!”三木が、まずはじめに感じたことは開発者が赤字であることをあんまり気にしていないということだった。もちろん赤字であることは知っているのだが、それを自分の問題として仕事に取り組んでいなかったのだ。三木は、会社の経営幹部に実情をしたためた上申書を書いた。すると、上申書を読んだ経営幹部に呼ばれ尋ねられた。”いったいどうしたらいいだろう?””きみの上司の技術部長を他部署に移して、三木君を昇進させようか”といわれた。三木は断る。そして、仕事をしない部長を、そのまま置いてもらうように頼みます。三木は言います。”わたしが部長になってしまうと、 管理職としての仕事に忙殺され、開発の実務に集中できません。” ですので、管理業務の仕事は、今の部長にそのままお願いし、 わたしは、組織の再構築、開発方針、部内教育などの根っこの部分となる 業務をわたしに取り仕切らせていただく権限をいただきたいのです。”ということで、三木は部長代行という、お墨付きをもらい改革を始めます。三木が部長代行となった時、進行中のプロジェクトがあった。それは、報告によると、田植え機事業再建の切り札として位置づけられていた新機種の開発計画だった。三木はめまいがした。くらくらくら~” 2.3パーセント!? ”報告では、その新機種を発売することで利益率が2.3パーセント改善するという。8億円もの赤字をつづけている田植え機事業部で、その程度の利益率の改善では。。。たとえば、ダイエットを始めたといって、チーズバーガーから、ハンバーガーへかえる程度の効果しかないようなものだった。そして、再建の切り札という新機種を見せてもらうと。。。田植え機のミッション部分をテーブルの上にのせると、。。。まっすぐに立ちませんでした。。。斜めになった。稚拙(ちせつ)な設計だった。三木は、いったいどんな図面なのかと見せてもらうと、とにかく、やたらと複雑な設計になっていた。もっとシンプルな構造にできるはずなのに、それをしないで従来の構造と接合している。そのため、必然的にムダだらけになっていた。三木は、毎週金曜日の朝、30分、部員全員(70名)参加の勉強会を始めた。三木は話す。”そもそも田植え機というものを農家の方は、どんなふうに使っているのか?”この問いかけに答えられる部員はいなかった。じつは、三木は、”現地”、”現物”主義のバリバリのリアルな人だった。分からないことがあると、よく現場に行った。そう、以前あった映画のキャッチコピーのように。。。”事件は会議室でおこっているんじゃない、現場でおきているんだ!”三木はいう。”ふつう。。。 普通の農家であれば、田植え機などというものは、 せいぜい一年に1~2週間、田植えの期間に集中的に使って、 あとは次の年まで納屋の中に置いておくものです。 自動車のように終始乗るものじゃない。 なのに、なんで年に1~2週間しか乗らないものに、 ギヤ変速のような複雑なシステムを持ち込む必要があるのか? 高齢化の進んだ農家の方が、こんな複雑な運転の操作が出来ると思うのか?””どうして、レバー1本で前進もバックも出来るようなシンプルな構造にしないのか?””あちこちさわって、クラッチペダルを離してようやく動かせるような田植え機を、 ほぼ1年に一回しか乗らない農家の人が歓迎するだろうか?”こうして三木は、ほぼ完成まじかとなっていた再建の切り札と呼ばれていた田植え機を、部員全員納得のうえ、中止してしまった。全面的に図面を書き直すことにしたのだった。そしてシンプルなところは出来るだけシンプルな構造や機能に改めていった。しかし、従来の仕事の仕方から脱却できない部員は。。。なかなか三木の言うことを聞かなかった。赤字部署によくありがちな、”前例”や”慣習”の壁はとても厚かった。三木は、この壁を取り払うために様々な手法を取るのだが、その中のひとつをご紹介したい。三木には持論がある。”この世の中のかたちあるものには、すべて図面があるわけですが、 すぐれた製品にはかならず、そのすぐれた品質のもとになる構造や部品が潜んでいます。 特に競争の激しい業界を生き残ってきた製品には、 そういう技や知恵の宝庫となっている場合が多いのです。”三木は知り合いの自動車整備会社から、中古のトヨタのカローラを1台購入します。そして、みんなで分解し、あらゆるカローラの部品を調べることにした。日本一の販売台数のトヨタ、カローラを分解し、一台の車に込められた技と知恵のすべてを学び、自分達のつくる田植え機に活かせるヒントを見つけようとしたのだった。具体的には、部員それぞれが、いちばんいいと感じた箇所を”絵”に描き、なぜ、そこがいいと感じたのか、その理由を書いて行くことにした。すると、いいと感じた箇所は、だいたい一人につき30項目以上となった。三木に言わせると、いいなと思った箇所を”絵”に書かせてゆくことはとても重要なことだという。ことばやデータより絵の方が技や知恵を学び取るために効力があるからだ。結果、三木の田植え機事業部の数字はどうなったのか?国の減反政策の影響もあり。。。三木が着任して3年後、事業部の売り上げは15パーセントも減ってしまった。しかし、三木の着任した1997年度、8億円あった赤字は、2000年度、4.3億円の黒字に変わっていた。そして三木のチームが開発した田植え機は、年間1万台を販売する名機となった。(株)クボタの田植え機の市場シェアは、長らく23%程度だった。当時、業界大手といえば、ヤン坊、マー坊、天気予報のヤンマーやイセキだった。ところが2002年の頃になると、クボタの田植え機は”安くて””性能が良くて””乗り心地がよく” 農家の評判もよく、よく売れた。結果、(株)クボタの市場シェアはぐんぐん伸び45パーセントまで上昇し、田植え機業界のトップとなってしまった。その後、三木のチームが開発した田植え機は、グットデザイン賞にも輝き、ますますよく売れた。三木は言います。”わたしが、コストを下げれば、品質は向上する。”というと 今でも理解してくださる方は、まだまだすくないです。 それどころか、”部品が少ないと機能が落ちるだろう”とか ”肉厚を薄くすると脆弱になるだろう”と心配する人の方が多いのです。 結局、そういう人たちには、実際にそれを実現している製品を創ってみせないと 信じてくれないのです。 でも、わたしがやっていることは単純に部品を半減させているだけではないのです。 部品を半減させる代わりに、たくさんの技と知恵を盛り込んでいるのです。” いい製品の図面。。。 製品の図面とは、多くの線によってかたちづくられております。 多くの線ではありますが、 いい製品の図面というものには、ただの一本も、ムダな線はないんです。 そこまで仕事を掘り下げてゆかないと、本当にいいものはできないんですよ。
2009.03.19
コメント(0)
昨日、書いた日記。クボタ機械の三木さんの話をもっと具体的に、というお話を頂戴しましたので。。。三木さんの、2004年の頃の話を一つ。当時、クボタは急成長するアジア市場向けのコンバインを開発中でした。中国の蘇州といういところにコンバインと田植え機を生産する工場を建設中だった。ところが、このとき、(株)クボタは、大きな壁にぶつかっていた。肝心のコンバインの開発コストが現地の市場価格の倍近くになっていた。とても採算が合わず、生産の見込みが立たない状況だった。どんなに伸び盛りのアジアマーケットとはいえ、どんなに性能がすぐれたコンバインとはいえ。。。”安くなければ売れない”。そこで、さっそくクボタの経営幹部から、三木さんのところへ開発中の中国向けコンバインの試作機の技術指導をしてくれとの依頼がはいる。三木は現場に向かうと、さっそく開発中の試作機の図面を見せてもらう。そのコンバインは、海外で多いインディカ米(お米の粒が長~い)に対応する、稲穂を茎ごと刈り取って脱穀(だっこく)する直流方式のもので、刈り取り幅も2メートルになる大型のものだった。三木は、コンバインの開発者から、商品コンセプトや各部品の機能や品質を聞いてゆく。三木は思った。 ”な~んで、こんなにゴチャゴチャと部品が多く、ムダが多いのか?”三木は、設計担当者に改善点を提案し、いっしょに解決策を考えてゆく。部品の材料や加工工程、そこにかかる力を検討しながら、ぎりぎりのコストダウンが出来るまで設計を練り(ねり)直す。そして、図面を前に彼らに、それをひとつひとつアドバイスしてゆく。すると、そんななか、素直に、三木の提案を受け入れてくれない開発者が現れます。コンバインチーム、”生え抜き”の技術者でした。彼は、コストウエイトの大きいトランスミッション部の開発担当者でした。なぜ、彼は提案を受け入れてくれないのか?それは、つまり、しっかりとした知識と自信と責任感を持っていることの裏返しなんですよ。つまり、デキル人間ほど、はじめは頑な(かたくな)なものなんです。テレビドラマと同じように。。。彼は、潜在能力は高いのですが、固定概念から出られず、過去のやり方に固執しておりました。三木は、課題が浮上するたびに、基本的な材料や加工の仕方、コストの読み方などを辛抱強く教えてゆきました。そして、やがて、ミッション部の図面を指導してゆくなかで、大きな壁にぶつかった。三木は、ミッション部の外側に点線で囲まれた空白部分が二つあることに気づいた。三木は不審に思い尋ねた。。。生え抜きの彼は、”それは油圧バルブユニットで、外注の専門メーカーが設計する手はずになってます。”といった。どうやら、その部分については、以前から。。。まかせっきりだったようだ。さっそく三木は、その外注メーカーを呼んで、彼も同席させ話を聞いた。すると。。。コスト削減するには、程遠いことがわかった。。。。。。もっとも、製品の大事な部分を外注にまかせたままで、めざましいコストダウンができるはずもなかったんですよ。三木は、生え抜きの彼に言いました。 ”油圧バルブも人任せにせずに君が書くべきだよ。” ”でないと中国で売れるようなコストダウンを実現することはできない。” ”コンバインの”全体像”を開発者自信の手で書くことが不可欠だ。”彼はいった。”油圧バルブなど、いままでやったことないです。”頑強に拒んだ(こばんだ)。三木は、あきらめないで言います。”あなたが図面を起こせるようになるまで教えるから、いっしょに取り組もう!”そして、ついに生え抜きの彼は納得した。いよいよ油圧バルブユニットも自前でつくることになった。しかし、三木は、じつは、このとき、油圧バブルユニットというものがどんなものなのか、いまひとつよく分かっていなかった。そこで、油圧バルブユニットの参考になりそうな図面を調達しゼロから考えはじめたのだった。そして、三木がユニットの簡単な絵を書いて彼に説明してゆくと。。。。彼は、身を乗り出してきた。そして、やる気になった彼は、休みもとらずに図面を書いていった。すると、いろいろと見えてきた。実際に、外注先メーカーが用意してきた油圧バルブユニットは、どうやら別の機械で使われていたものの流用品で、コンバインには不要な部品がたくさんあり、構造的にもムダが多かった。そうして、コツコツと、ムダをそぎ落としていったところ。。。自前で作り込んでいった油圧バルブユニットは、当初の計画よりも、体積で四分の一程度まで縮小できてしまった。結果、部品数で、60パーセント削減コストは半分になってしまった。さらに、ムダをなくしたことによって、機能、性能は現行機をはるかに上回る高い品質の油圧ユニットが完成してしまった。三木は言います。”いくらIT化を進めても、”いくら海外に生産拠点を移しても、”やり方を変えなかったら、結局、ムダの拡大再生産になるだけなんですよ。”今朝、ニュースを見ていたら。。。いよいよ、WBC侍ジャパンが今日、韓国と試合らしい。レポーターが。。。イチローにインタビューしていた。。。レポーター” いよいよ韓国戦ですね♪ ”イチロー” 知ってます。 ” 。。。。。。。。。。。。。。。。レポーターさんの質問。。。球場の外にいるファンに聞く質問内容と、イチローに聞く質問内容が同じだった。。。なのに、堂々と、その内容のないインタビューを放送してしまうわたしの家のアナログテレビ。。。いま、まさに、先行している、おおきなモノがブロイラー化していると思った。それは、つまり、大きなビジネスチャンスの中に、いま、私たちはいるということ。ワクワクせずにはいられない。
2009.03.18
コメント(0)
株式会社クボタという会社がある。ソニーやトヨタに比べると、あまり有名ではない?この会社、むしろ地方の農家や外国で有名な会社かもしれない。まず、クボタを分かりやすく数字で説明。昨年、2008年3月期の売り上げが1兆1545億円。売り上げ自体は、たいしたことはない。たいしたことがあるのは営業利益。じつに1368億円という数字を計上している。利益率で、11,9パーセント。この利益率、分かりやすく説明すると、以前、世界最強といわれ優良企業だったトヨタ自動車ですら8,6%だったのだ。” 三木博幸(みきひろゆき) ”この方を知っている人はさらに少ない。。。現在、クボタの子会社の社長さんだ。この人すごいんです。グッドデザイン賞・・・4回受賞社長特別賞・・・・・・3回受賞工業所有権取得・・・・247件(特許103件 実用新案132件 意匠12件)三木さんの口ぐせ。 ”コストを下げれば、品質は上がります。”三木さんは、様々な製品開発において部品を半分に減らし、性能を60パーセント以上高めてしまう。な~んていう”物づくりの仕方がとても得意な人なんです。だから、いま、色々と質問をされるそうです。”製品の利益が落ちてしまった。””価格で他社の製品に負けた。””他社の製品に性能、機能で勝つにはどうすれば?””安くて、しかもすぐれた製品を開発したい。””開発日程が遅れてしまった。””製品の開発力を強化するにはどうすれば?””赤字事業を黒字にするためにはどうすれば?”三木さんは言う。”どうして、そんな簡単なことも分からなくなってしまったのだろうか日本人は?”今日、朝のニュース番組で、卒業式シーズンとなり小学生、中学生のつくるプロフィールノート(通称プロフ)の話が取り上げられていた。一つの現象が見られるそうだ。その現象とは、6年前頃からフリーページの枠(ワク)がだんだん小さくなってきているそうだ。理由は、”フリーページに何を書いたらいいのか分からないから”だそうだ。そして、現在人気のプロフィールノートとは、ほとんどすべてが穴埋めノートになっているそうだ。”すきな芸能人は です。””好きな食べ物は です。””嫌いな食べ物は です。”さらに、もこもこ字で書いて、キラキラシールを貼ると完璧なノートになるそうだ。話を戻して、三木さんは言います。”CAD(キャド)という設計用ソフトが普及していて、いまではコンピュータの画面の中で 図面を書くことは当たり前になっています。CADには3D(三次元)による立体画像を 書いたり、解析データを入力することで製品の強度を確認できる機能まで そなわっています。まさに”いたれりつくせり”です。 情報処理の正確さやスピードにおいてコンピュータの便利さは否定しません。 全社的にも、対外的にもネットワークが出来ているなかで、それを使わないわけには いきません。 しかし、それによって衰えてしまった能力のほうが。。。 日本が、ものすごい勢いで、先行するアメリカを追いかけていたころ、 図面は手書きでした。 当然、わたしの会社も、 設計はA0サイズ(A4サイズの紙の16倍の大きさ)の紙に書くものでした。 部品は、一般に力や強度が、”読み”やすいように原寸大で書いてました。 ですから、机の回りを通りかかる人も、その人の設計の様子がよく分かりました。 たとえば、若い社員がドラフターで図面を書いていて、あるところで手が止まって 考えているとします。するとベテランのチーム長がそこへ来て、 何気なく図面をのぞき込んで助言するのです。 今とちがって職場は禁煙ではないので、チーム長もタバコを一服つけながら 若い社員の仕事ぶりをちょっとのぞいてみようという感じでやってきます。 そこで図面を見ながら気軽に言葉を交わしているうちに、問題解決のヒントが得られ 止まっていた若い社員の手が動くようになるのです。 図面を書くという作業は、どうしても職人的な手仕事の要素があります。 手書きの図面には、書いた人の経験が現れます。 線の強さ、線のためらいなど、その書いた人の自信や迷いが表れます。 CADで書かれた図面は、こうした経験値の差をきれいに均一にしてしまいます。 仕上がりがとてもきれいなので、その図面を書いた開発者がどこで悩んで、 どこで知恵を出したのかが見えにくくなってしまいます。 また解析データといっても、所詮仮定のデータなんです。 実際に完成した製品のテストをするときの参考にしかならないのです。 ”実際に完成した製品がお客様に使ってもらう場面を創造する力”などというものは CADにはありません。 また開発者は、個々の小さなパソコンの画面上で 個人個人の縮尺で図面を書いていますから、どうしても寸法の実感や力の感覚を 共有しにくいという面もあります。 そして安易に他の設計者が書いた画面をパソコンの画像に取り込めるという CADの機能も時として災いすることがあるのです。 たぶん、 こうして恵まれた先進国の技術者たちは、ブロイラーのようになり考える力を失い、 ”生きた化石状態”になって行くのだとおもいます。 要するに、製品開発の核心となる”やり方”が未熟だから赤字化するんです。そして未熟な中で生活することで、開発者の意識も蝕んで(むしばんで)ゆくのです。☆従来のやり方をまったく疑わない姿勢。☆縦割り組織のなかの自分の居場所に閉じこもって、他部署に働きかけようとしない姿勢。そういう考える力を失ったヒトに限って、こう言うんです。”景気が悪い”、”円高”だと。しかし赤字の原因はいつも同じです。 ”外部”ではなくて”内部にあるんです。
2009.03.17
コメント(0)
帝国ホテルの2倍以上の利益をだしているホテルがある。そう、ビジネスホテルの東急イン。もっとも東急インの利益が高いというよりは、帝国ホテルの利益が低いのだが。仕事でスーツを着用しない社長が増えてきた現在、今後、三越百貨店や帝国ホテルは、どうなって行くのだろうか。。。わたしは、土曜日打ち合わせをしていたら、午前2時を過ぎてしまい。。。最終電車がなくなってしまいました。仕方なくビジネスホテルへ行く。ちょうど東急インがあり、チェックイン。おどろいた。夜中の12時以降にチェックインすると、なんと4095円で宿泊できるのだ。たしか、ビジネスホテルの価格の相場は、10年ぐらい前には、8000円ぐらいだったと記憶している。つまり、10年後の現在、価格が半額になってしまったということだ。ユニクロ、しまむら、マクドナルド、東急イン。。。恐れ入ります。この4つの会社、世の中がもっと、もっと不景気になったほうが、もとい、不景気になっても売り上げ、利益が伸びるようになっているそうだ。そして、ロビーの自動販売機で、飲み物を買おうとすると。。。お~いお茶(濃い味)500ペットボトルの値段が120円。コンビ二で買えば、たしか150円ぐらいすると思うのだが、なんと、ホテルの方が飲み物の値段が安いのだ。しかも、朝食も無料。様々な朝刊を読みながら、クロワッサンとコーヒーが飲めるらしい。らしい。というのは、わたしは、日曜の朝だったので、寝ていて食べなかったからです。室内に入ると明るくきれいな部屋でおどろきました。窓からの眺めもなかなかいい感じでした。そして、なんと加湿器もついておりました。机の上のガイドブックをパラパラすると、東急インクラブカードというカードがあることを知る。1500円支払ってカードを作ると。。。1、土、日宿泊料が30%引きになる。ということは、宿泊代金が4千円台ということに。2、10回、宿泊すると1泊分が無料になる。また会員になると、アーリーチェックインが出来るそうだ。さっそく、次の日の朝、チェックアウトするときに会員になりました。私は、電車に乗り遅れてよかったと思いました。おかげさまで、泊まるつもりのなかった東急インに宿泊できたからです。不景気に利益をたくさん出す会社。とても学ぶことの多い一泊でした。無駄なサービスを削り、お客様に喜ばれるサービスは逆に充実させてゆく。コストを落としながらクオリティーを上げてゆく仕事の仕方、とても参考になりました。フロントのおねえさん、いろいろ教えてくださいましてありがとうございました。
2009.03.15
コメント(2)
天才というと。。。わたしは、真っ先に、将棋の名人、羽生喜治(はぶよしはる)を思い出します。昨年、永世名人の資格を奪取し、とうとう”永世六冠”の偉業を達成した。おそらく、過去はもちろんのこと、未来においても彼の記録を破る人間が現れることはないだろう。面白いことだが。。。あんがい真の天才は、自分のことを天才だと思っていない。そして、天才じゃない人が、天才だと勘違いしている場合が多い。わかりやすい例では、JUNONスーパーボーイコンテストでグランプリを取るような、いい男は、他人の推薦によって応募され、とりあえず参加してみたらグランプリになっちゃった。という話が多いらしい。どうやら、才能もルックスも、秀才ではなく、天才クラスになると、そういうものらしい。羽生喜治はいう”勉強ができないからという理由で餓死した人は世界に一人もいません。”キッパリ!”勉強が出来る。出来ない。と、頭が良い。悪い。は別なものです。””だから、こうも言えると思います。””頭が良い、悪いで餓死する可能性はあると思います。””自分で、なにも考えずに生きていったら、 根なし草になって最後は死んでしまうかもしれないし、自殺するかもしれません。””以前、わたしは才能とは、 ” 一瞬のひらめき ”だと思っておりました。 しかし、今では、 10年とか、 20年、 30年を”同じ姿勢”で”同じ情熱”を傾けられることが才能だと思っております。”しぶとく継続できる情熱を持っている人のほうが、長い目で見ると伸びるのです。奨励会(*将棋のプロ棋士を養成・選抜するための組織)の若い人たちを見ていると、一つの場面で、すぐれた発想をする人はたくさんおります。しかし、そういう人たちが。。。その先、プロになれるかというと、意外にそうでもない。逆に、一瞬の閃き(いっしゅんのひらめき)のある人よりも、さほど、シャープさは感じられないが同じスタンスで将棋にもくもくと取り組んで確実にステップを上げていく若い人の方が、結果として上に来ている印象があります。記憶力がいい、計算が早くできる、機転がきく。。。などの能力は本来なら頭がいいといえる材料になると思います。たしかに、ロジカルに考えて判断を積み上げてゆく能力は大事なことだと思います。しかし、じつは、わたしは見切りをつけ、捨てることを決断する能力のほうが大切なことだと考えております。エジソンの言葉、あれは本当ですよ。エジソンの言葉とは、 ”天才とは、1パーセントのひらめきと、 99パーセントの汗(努力)である。”そういえば、テレビでWBC侍ジャパンのニュースを見ていると。。。 練習場に一番先に来て、 いちばん最初に練習を始める選手は、 いつも同じだった。 若い選手ではなかった。 控えの選手でもなかった。 そう、メジャーでとんでもない記録を打ち立てた男、 イチローだった。 エジソン、羽生喜治、イチロー、 天才たちの 住んでいる世界は異なるが、姿勢はまったく同じだった。
2009.03.13
コメント(0)
赤壁の戦い(レッド・クリフ)。少ない兵の呉の国、孫権が、強大な敵、魏の国、曹操に完勝した話。。。しかし、その7年後立場が逆転する。再び、魏(ぎ)と呉のあいだで戦いが始まる。”合肥の戦い”呉の兵力、100.000 魏の兵力、800勝ったのは、どちらかというと、800の少ないほう、つまり魏の国だった。そういえば、先日、楽天の野村監督が、WBCで日本が韓国にコールド勝ちしたとき。。。”だいたい大勝ちしたあとは、点が取れずに負けるもんや。。。”と言っていた。その通りになった。。。この800名の兵士を指揮していたのが、魏の名将、張遼(ちょうりょう)だった。もともと張遼は、魏と敵対する国の武将だった。張遼は若い頃、魏の曹操に負けてしまう。しかし曹操は張遼を殺さなかった。そして張遼に言う。”おまえは力はあるし、武器の使い方もうまいが、勉強が足りない。 だから私に負けたのだ。”といって、孫子(そんし/戦の教科書)をわたして、勉強させ育てあげる。張遼は、曹操から、その本をもらって驚く。本を開くと、アンダーラインや書き込みなどで、元の文章が読みにくくなっていたそうです。一方、呉の国では、その後、張遼に敗れた後、トラウマになるくらい張遼を恐れた。たとえば、どうしても泣きやまない子供がいた時。。。ひとこと、”泣いてばかりいると、張遼がくるぞ ”というと、どんなに小さな子供でもピタリと泣きやんだと言われている。それほど、張遼は恐れられた。張遼の家は、じつは魏の国で一番子供の多い家だった。だいたい80人近くいたといわれている。庭先には所狭しと洗濯物が並べられていた。その子供たちとは。。。戦争で親を失った子供だった。ある時、魏の国の文帝(曹操の息子)が宮殿で行なわれる宴席に張遼の母親を招こうとしてみずから張遼の家を訪ねたときがあった。そのときの会話をひとつ紹介したい。文帝”以前より、戦いで孤児になった子供らを引き取って育てておられることは 聞いておりましたが、 いったい、いま、何人ぐらいの子供たちを育てていられるのですか?”張遼の母親”たくさんいて覚えておりませんが、たぶん70人ぐらいはいると思います。”文帝”。。。。。”張遼の妻”昨日までは74人でしたが、今朝、3人の赤ん坊が門の前においてありましたので あわせて77人です。”文帝”それにしても77人。。。 なかなか大変なことも多いのではありませんか?”張遼の母親”わたしの生まれ育った村では、 戦いで親を亡くした子供の面倒を見るのは当たり前のことでした。 どんな貧しい者でも、必ず何人かは世話をしておりました。 実際のところ、わが子のことを心配していたら戦いに全力を出すことは出来ませんから。。 しかし、 本当は、戦いがなくなり、親のいない子供がいなくなるのが一番良いことです。”文帝”あなたは、まさに国の母だ。”張遼は戦にめっぽう強かった。それだけに休む暇なく闘い続けた。結果、この名将は54歳の若さで亡くなる。。。文帝は、ふたたび張遼の年老いた母親の許を訪れて。。。文帝”わたしが無理をさせてしまいました。どうぞお許しくだされ ”すると、張遼の母親は、静かに頭を下げ”部門に生きるものは、家を一歩出た時に、 すでに死を覚悟いたしておりますから、どうぞご案じ召されませぬように ”と答えなにごともなかったかのように、抱いていた赤ちゃんをあやしていたという。。。。。。。。。。。。。。。。。張遼が、息子に遺したことばをひとつ紹介したい”わしらは親子ともども、武人として生きてきたが、 お前の子供(つまり孫)は、くれぐれも同じ道を歩ませるでないぞ。””戦(いくさ)の上の事とはいえ、わたしは大勢のものたちを殺してしまった。。。 多くの人間を殺してしまった不詳を、後世に伝えるわけにはゆかぬ。”いいか、よく聞け ”武将として三世に及ぶ者は、必ず滅びる。”先日、ブログに二世議員の話を書いていたら。。。ふと、この、張遼のことばを思い出しました。。。
2009.03.12
コメント(2)

明日、日本人宇宙飛行士の若田さんが宇宙へ飛び立つ!3月12日、午前10時20分宇宙滞在は。。。今回なんと3ヶ月。打ち上げ前の、フロリダ、ケネディ宇宙センターは夜のはず。。。夜のシャトル打ち上げはとても美しい!闇を切り裂いて、飛び立つシャトル。。。打ち上げの30分前からJAXAのホームページでライブ映像が見られます!http://iss.jaxa.jp/iss/jaxa_exp/wakata/library/live/参考スペースシャトル一回の打ち上げ費用、約500億円スペースシャトル一機の値段、約2000億円そして、ライブ映像は無料です。ちなみに、下の写真は日本のH-2ロケットです。月探査船かぐやを打ち上げた時の写真です。がんばって!追伸打ち上げは明日以降に延期となりました。どうやらシャトルの外部燃料タンクから少量のガスが漏れていたようです。残念。
2009.03.11
コメント(2)
むかし昭和のはじめライオンと呼ばれた政治家がいた。国民から愛され、軍や官僚から嫌悪された政治家。。。浜口雄幸(はまぐちおさち)浜口総理大臣の家にお邪魔した友人のはなしをひとつ。。。友人”わたしの家よりヒドイ。””坪おそらく当時7~80円と思われるアラ普請。””しかも二階屋でこそあれ、40坪程度の小屋である。。。 応接室? 待合室? 二坪ほどの長方形の部屋に通されて、 近所の駄菓子屋で買ったような菓子とお茶を出された。 ちょっと驚いた。 二階へ通されて、なお驚いた。 段はしごを上がって、トッつきの六畳だか八畳だかに。。。 浜口首相は座っていた。 質素そのものだった。”浜口が総理大臣になった時、世界は、アメリカの株の暴落に端を発した100年に一度の世界恐慌の真っ只中だった。浜口は、自らの命の危険をかえりみず、台頭する陸・海軍の強大な軍事費を徹底して削減していった。そして官僚や政治家にも例外なく倹約を促した。たとえば、浜口が総理大臣になる前までは。。。鉄道大臣の移動といえば、一等車を占有し、食事の時も食堂車には、他の客は入れなかった。ところが、浜口が、総理大臣なると、鉄道大臣の乗る汽車は、一等から二等車になり、食事も食堂車を利用せず、35銭の駅弁をとってすませるようになったそうだ。ここまで質素を貫いたため、さすがの軍も、ずいぶん予算を削られていたが。。。浜口に強気に出られなかった。浜口はいった。”明日伸びんがために、今日は縮む。”国会答弁で野党から追求される。”あまりにも緊縮予算。。。 省庁の数を減らし大臣の数を減らし、公務員の給与をカットし公共事業を縮小する。。。 金がないからどうにも仕事をしないというのなら、 大蔵大臣の仕事など誰にでも出来るではないか。すると、時の大蔵大臣、井上準之助は”公債を発行する。借金はする。 余剰金はつかってしまうというような大蔵大臣なら誰でも出来る。”と切り返す。結局。。。その後、浜口雄幸、井上準之助の二人は、ピストルで撃たれ亡くなってしまう。。。まさに命をかけて政治を行なった二人だった。浜口が生前、語っていたことばがある。”人生は 混みあう汽車の切符を買うため、 大勢の人々と一緒に、窓口に列をつくって立っているようなものである。 なかなか自分の番が来ない。 時間が迫ってきて気持ちはあせりだす、 ふと、となりを見ると、となりの方が空いていそうに見えるので、 飛び出してみたくなる。 しかし一度自分の列を離れたが最後、 あっち、こっちと彷徨って(さまよって)みても、 けっきょく、そこにもまた順番がある。 しまったと気がついて元の列に立ち戻って来れば、 自分の前に居た所は、すでに他人に占領されていて、 はるか後ろに廻らなければならない。 結局急いだために却って(かえって)後れる(おくれる)ことになる。”。。。。。。。。。。。最近、テレビをつけると小太りで、目の細い、似たような顔の二人の二世議員の顔をよくみかける。浜口雄幸の本を読んだ後だけに。。。つらいものがある。。。むかしの日本の政治家、生き方も、体つきも、顔つきも、ずいぶんスマートだった。アメリカではこう言うそうだ。”自分の体重さえも管理できない者が、 どうして多くの人々の大切な生活を管理できるのか、とそう言われてみると、なるほどオバマ大統領さんはスリムである。
2009.03.10
コメント(0)
アジアではじめてノーベル文学賞を受賞した人。それは、インドのタゴールさん。かれは日本がとても好きだった。。。だった。日本人の自然を愛する美意識を高く評価していた。しかし、第一次世界大戦中の対華21か条要求などに見られる日本の軍国主義的な行動を”西欧文明に毒された行動”として警鐘を鳴らしていた。。。いつからか、日本は戦争ばかりする国になっていた。。。日清戦争日露戦争満州事変太平洋戦争そう、日本は江戸時代に終止符を打ち、その後は、西欧文明のいいところも、悪いことも、すぐに、すべて、マネしてしまった。。。着物から洋服に着替え、靴を履き、米や野菜からパンや肉を食べるようになり、武器を作り、となりの国に言いがかりをつけるようになってゆく。。。じつは、”奇跡のリンゴ”という本の冒頭にタゴールの詩が登場する。とてもいい詩なので紹介したい。”危機から守り給えと祈るのではなく、 危機と勇敢に立ち向かえますように、 痛みが鎮まることを乞うのではなく、 痛みに打ち克つ心を乞えますよう。 人生という戦場で味方を探すのではなく、 自分自身の力を見出せますように。 不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、 自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。 成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような 卑怯者ではなく、失意のときにこそ、 あなたの御手に握られていることに気づけますように。
2009.03.09
コメント(0)
先日、同じタイミングで二人の女性から薦め(すすめ)られた本があった。”奇跡のリンゴ”どうやら、ちゃんと、りんごを育てると。。。りんごは、何年たっても腐らない果物らしい。この本は。。。りんごを二つに割った状態で、ずぅ~っと長い年月、保存されている不思議なりんごの話からスタートする。ふつう、りんごは二つに割った状態で放置していたら、切り口が、茶色に変色し、食べる気がしなくなる。しかし、この奇跡のリンゴはちがう。このりんごをつかう東京白金台のシェフはいいます。”木村さんのつくるリンゴは腐らないんですよね。何年たっても、 生産者の魂がこもっているのか。。。”現在、我々が食べているリンゴの、ほとんどすべてが!農薬が使われるようになってから、開発されたリンゴ。。。つまり、農薬を使うことが前提に品種改良されたりんごなんです。つまり、風邪をひくと大変(収入が減って生活できなくなる)なので。。。自然治癒力に頼るのでは。。。大きな不安(生活が安定しない)があるので。。。タミフルやリレンザを飲み続けて病気にかからないようにしているような感じでしょうか。しかし、大事に過保護に育てたりんごは、結果として大きくて、甘くて、まっ赤でリーズナブルな価格のりんごになる。野生と引き換えに。。。この本の主人公、りんご農家の木村さんは、長い歳月をかけ、りんごの野性を取り戻した。まさに、ブルー・オーシャンを見つけたのだ。この木村さん経歴がおもしろい。高校を卒業すると、農家の次男坊だったので。。。集団就職で、川崎市にある日立製作所の系列会社に就職する。そこで、はじめてコンピュータに出会うのだが。。。そのときの木村さんの話が興味深い。。。”中東に建設するパイプラインをつくる会社でした。 昔のIBMのコンピュータでした。 使っているうちに気づいたことがありました。 それは、 コンピュータは過去のデータを利用するためだけの機械に過ぎないんじゃないかと思ったの どんな高性能のコンピュータだってさ、データを入れないと使えないのな。 データっていうのは過去だ。 過去のデータをどれだけ集めて計算したって、 そっから新しいものは生まれてこない。 そっから未来は開けない。 コンピュータとうのはさ、私にいわせれば、ただのおもちゃなんだよ。 だけど、このおもちゃによって、やがて人間が使われるようになるんだろうなぁと思った。 今の世の中を見ると、その通りになっちゃったよ。 コンピュータと同じでさ、 他から与えられたものしか利用できない人がすごく増えてしまった。 自分の頭で考えようとしないの。 インターネットだってそうだよ。 みんな答えは、インターネットの中にあると思い込んでしまうのな。ブルーオーシャンを見つけた人の話には含蓄(がんちく)がある。 たしかに、毎日、大繁盛している山形のお蕎麦屋さん同じく、有名人や皇室からも注文が入り、売り切れると昼でも閉店してしまう和菓子屋さんどちらも、ホームページは。。。無い。宣伝する必要が無いからだ。だから、グーグルで、” 山形 おいしい 蕎麦 ”で検索しても上位に出てくることは無い。常識は常識でないということを知らなければならない。*ブルーオーシャンとは 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照ブルー・オーシャン戦略(ブルー・オーシャンせんりゃく、Blue Ocean Strategy)とは、INSEADビジネススクール教授のW・チャン・キムとレネ・モボルニュが著したビジネス書、およびその中で述べられている経営戦略論。競争の激しい既存マーケットのことを「レッド・オーシャン(赤い海)」と呼び、競争のない未開拓マーケットである「ブルー・オーシャン(青い海)」を切り開くべきだと説いている。そのためには、顧客にとってあまり重要ではない機能を「減らす」「取り除く」ことによって、企業と顧客の両方に対する価値を向上させる「バリューイノベーション」が必要だとしている。書籍では、日本の10分で1000円の床屋さんの事例などが紹介されている。ゲーム業界において、ソニー(プレイステーション3)やマイクロソフト(XBOX 360)が仕掛けた高性能化競争に埋没しかけていた任天堂が、Wiiの開発にブルー・オーシャン戦略を応用したといわれている。比較的ロースペックのハードウエアながら、「Wiiリモコン」などの新機軸で、ゲーム慣れしていない層にとって付加価値を提供することによって新しいマーケットを生み出し成功した。
2009.03.04
コメント(2)
ボーイング社。。。いまでこそ、大型ジャンボジェット機をつくる会社として世界中の人々が知っている会社名だが、この会社の始まりは。。。ひどいものでした。軍の競争入札で負けてしまい。。。作った飛行機は酷評された。創業当時、潰れなかったのが不思議なくらいの会社だった。だが、この会社、その後、ウサギと亀のレースと同じ展開となる。この会社の特徴をよく現しているエピソードを一つ。ボーイング747の開発の話。この大型旅客機、ちょうどアポロが月面に降り立った年に完成する。そして、いまも現役で世界中の空を飛んでいるのだから、まったくすごい飛行機です。約70メートル近い大きな飛行機で、一度に400名以上が乗ることができる。この巨大な飛行機を見た人々は、”空とぶバス”と呼んだ。”エアバス”この飛行機の開発の成功で、人類は、”気軽に”世界へ出かけられるようになった。大量輸送が可能となり、航空運賃が飛躍的に下がったからた。しかし、この大型ジェット機。。。当時の世評は、”400人乗りの大型ジェット機などつくっても、 客席が埋まらず赤字になるに決まっている。 ””そんな大型ジェットをつくっても航空会社は採用しないだろう。”といわれていた。完成後。。。案の定、航空評論家からは空席だらけの機体として酷評された。これだけ、”大勢の人々”そして”専門家”から酷評されながら。。。なぜ、ボーイングは、747ジャンボジェット機をつくったのか?当時、取締役の一人だった、グリーンワルトの話によると。。。経営会議で、この機体の投資収益の見通しについて尋ねたことがあるそうだ。すると。。。経営幹部はこう答えた。”調査することはしたが。。。結果は思い出せない。”。。。たぶん、正確には、”思い出せない”ではなくて”いいたくない。”だったんだと思う。わたしは、あきれてテーブルにつっぷしてしまいましたよ。そして、あらためて、私は”そんな投資収益の予測も立たないプロジェクトはやめるべきだと主張しました!”すると、経営幹部は。。。”ボーイングとは。。。 ボーイング社とは、航空業界の最先端に位置する企業でなければならない。””なぜ、予測の立たない大型ジェット機をつくるのか? ””それは、われわれが、ボーイングだからだ。”ボーイング社の本社は、以前シアトルにありました。シアトルの街を地図で見ると。。。空港が二つあるように見えました。わたしは、こんな地方都市なのにアメリカはたいしたもんだと思いました。そしたら、ひとつは、なんとボーイング社の工場でした。工場を見学させていただくと。。。スケールが、、、本当に飛行機が好きな人たちの集まりなんだなあと実感いたしました。 ” われわれはボーイングだからだ ”
2009.03.01
コメント(0)
全16件 (16件中 1-16件目)
1