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「死刑廃止論」を法廷で展開しようとした“人権派弁護士”さん達は、“法廷テクニック”の一環として“死刑=処罰”を否定し始めました。

その影響で、巷では我が国でのみ“子供を叱れない親”“躾と称して児童虐待を企む親”の迷走が続いています。

でも、“自然”が人間に支配し切れ無い様に“摂理”も“人権派弁護士”さん達の“打ち出の小槌”になる程甘くは無かったのかも知れません。

現在、少しづつですが“罰”が人間に与える大きな恵みが見直されつつあります。



これは、“人権派弁護士”達が多用する“論理の摩り替え”です。

(正常な論理)
“横綱”は国技の頂点→報酬が高い代わり責任が重く、名声が得られる代わり慎重さを求められる→それに反した場合、反省の意を示し罰則を受ける。

(論理の摩り替え)
外国人“横綱”なので、日本の文化が理解出来ない→罰を与えた事で、精神的な苦痛を受けた→罰を解いて、故郷に帰すべき→帰さないと、国際問題になる。

罰則は、辛く厳しいからこそ、意味があるのです。

犯罪者が拘束されたり、“横綱”が自由を奪われるからこそその中で他者の痛みを味わい学び成長出来るのですから。

その外国人“横綱”を、本来は“親”である“親方”は放任していました。

また、医師の診断が正確で的確だったかも問われます。

この“横綱”は、(恐らくは、渋々“させられる”仕事として)“地方巡業”を軽んじて放棄しました。

そして、その「結果」として裁かれているのです。
彼は、自分以外の力士達が大勢の地元の相撲ファンと触れ合い愛し愛される姿を“見させられて”います。

そして、自分が 本来は自ら好み進んでやって来た仕事である“力士”としての仕事を一旦取り上げられています。

その苦しみから逃げる自由は、勿論あるでしょう。

ただ、それは単なる“リフレッシュ”では終わりません。
“横綱”として名声や報酬を得て・“横綱”としての重責や勤めが嫌であり・ さらに、“横綱”としての罰を受ける事さえ嫌だと言うならばもはや“横綱”では無くなるのだと思います。





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最終更新日  2007年08月09日 11時08分18秒
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