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2005年03月07日
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カテゴリ: 沖縄関係
八重山民謡の時代背景と経緯 「鳩間節」

 鳩間島は、 
「1701年」宮古島人「船屋 儀佐真」後に改姓し、「鳩間 儀佐真」の計画と尽力によって、
「古見村から男8人・女6人計14人」で、山林を開拓し小村を創立。

 古見村の管轄であったが、公用に支障を来たし、
「1703年」
黒島の保里村から男100人・女50人を〔強制移住〕させ「鳩間村」に独立させた。

 鳩間村には、水田が皆無である為、蔵元政庁では(人頭税貢納困難)の理由から、西表島の上原・舟浦に鳩間人に借地させて、稲作を強制させた。

 鳩間人は、田畑管理小屋(田宿屋)を建て、2・3泊しては耕作に精魂打ち込み、


が、土地貸主である上原村・船浦村の人は、自分たちより上手く豊作に結びつけた鳩間の人たちをヤッカミ、怒りだし借地返還の要求を出した。

 蔵元政庁では、人頭税の徴収が出来なくなるので、返還要求は絶対不可との厳命を出し、新開拓地を得る様命じる。

 ここで鳩間の役人は、「小浦インダ・福浜・下離」の土地に選定し、鳩間島総動員で開拓を開始する。

 この無慈悲な鉄面皮の「上原・船浦」の人が来たら神酒も普通の皿ではなく、「アディンガー(マングローブの根元の泥に生息するハマグリより大き目の貝)殻」で飲ませて、酒もハマグリ(八重山のハマグリとは、小指の先ほどの貝・アサリやシジミに似た貝を指します)の殻で与え、「人間としての待遇はするな!」と歌っています。

 この民謡は、生産の喜びと、反面の「上原・船浦」の無慈悲に対する敵対心を謡って(溜飲が下がった)と言う唄が「鳩間ユンタ」です。

後の役人が改作し「工工四」に「鳩間島節」として発表し、名曲として現在も唄い継がれています。

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最終更新日  2005年03月07日 07時17分06秒
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