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2006年03月31日
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テーマ: 沖縄民謡(152)
カテゴリ: 沖縄関係
オヤケアカハチとは、
波照間島に生まれの百姓でした。

若いアカハチは、
琉球役人が八重山百姓を牛や馬のようにこき使い、
重い税をかけさせる事に怒りを覚えました。
年に一度の祭り『火食(ヒークェー)』の行事まで禁止した事に、
居た堪れなくなり琉球王府に反旗を翻しました。
琉球国王側から見れば『逆賊』だが、
農民からみれば『英雄』でした。


それを支援する仲間と共に、
豪族が入り乱れて争っていた石垣へ渡り、
とうとう大浜村の酋長にまでのぼりつめました。

石垣・大浜を領地として収めていましたが、
琉球王府が収める重税に苦しんでいた八重山農民の気持ちを抑える事ができず、
王府への納税を止めてしまいました。

怒った琉球国中山王・尚真(ちゅうざんおう・しょうしん)は、
アカハチを征伐するために大軍を石垣島に向けた。
大戦の末、
ついにアカハチは捕らえられ、首をはねられてしまう。

勝った官軍から見た「オヤケアカハチの乱」(1500年)


1522年、遠く与那国までも制圧、同島の支配者、鬼虎(うにとら)を倒した。
これが契機となって宮古、八重山が琉球王府の支配下に組み入れられた。
尚真王は、『アカハチ征伐』を先島地域の安定を獲得し、
さらに各地域の豪族を首里に集め、
それぞれの位階を定め、

といった政策を次々と敢行し中央集権国家・琉球の土台を築き上げる。

琉球に傅く事を拒み、滅びの道を歩んだアカハチ達と正反対の選択をした豪族もいました。
宮古島に勢力を持つ仲宗根豊見親(なかそねとゆみや)です。
仲宗根豊見親は、宮古が琉球王国に従属する道を選んだ。

彼の一門は、
石垣島の「オヤケアカハチ」
与那国島の伝説女王「サンアイ・イソバ」と同島支配者「鬼虎」
を制圧するための先陣となり戦ったのである。

いわゆる勝ち組、征服者の側に付いた者には、
褒美としていくつも歌が残されることになる。
たとえば宮古島には、
仲宗根豊見親の功績を称え彼の名前が付けた「アヤグ(宮古の伝承歌)」が今も数種も残っている。
宮古主長である「豊見親(名高き人、の意味)」〔が、いかに島を豊かにしてくれたかの物語〕アヤグ。
中には、初めて琉球の国王へ「定納品」を持って上がるその時の喜びをテーマとしたアヤグもある。
八重山へ鬼虎を鎮圧した時の旅のアヤグもある。
これが歴史歌の特色の一つですね。
『歌は、いいメロディだから、いい歌詞だから必ず残るものでもない。』
『意図的に、政治的に作られ残される歌も多く存在します。』
反対に、オヤケアカハチの功績
いかに勇敢に首里に刃向かったか、などという直接的な歌は、作れるはずもなく、仮に誰かが歌ったとしても一瞬の内に闇へ消えて行きますね。

宮古・八重山は、琉球王国の一部となることによって、民が徹底的に搾取されたことは、沖縄の歴史をひも解けば分かりますね。

1637年「人頭税(にんとうぜい)」を定める。
税率80%強という過酷な税が宮古、八重山に課せられた。
1902年まで続きます。

〔但し、1609年「慶長の役」により、琉球国は薩摩に搾取されます〕
よって、この政策は薩摩藩の言い成りでした。

この重税だけでも無数の悲劇が先島に襲いかかります。
その絶望の文化が歌を生み出し、その苦悩から人間らしい光を求める歌が生まれました。
「安里屋ユンタ」元歌(竹富島)
「渡難(どなん)スンカニ」(与那国)
「与那国ぬ猫小(まやぐゎ)」〔猫小節〕
など、名曲の背景には琉球が敷いた凄まじい圧政〔バックには薩摩藩〕が存在します。
「安里屋ユンタ」や「どなんスンカニ」は、一握りの役人、支配層によって自分の人生を決定づけられてしまう人頭税時代の女性たちの思いを唄った歌。 

同様に、宮古にもこんな唄があります。
「平安名(ぴゃうな)ぬマムヤ」
「平安名ぬマムリャが あーぐ」
というマムヤと言う女性名をつけた伝承歌です。

こんな内容です。
平安名村に居た美女マムヤが、地域長(按司=あじ)に見初められて、本気になります。
ところが、この野城按司(ぬぐすくあじ)は家庭持ちであり、マムヤに惚れたといっても結局はただの遊びにしか過ぎなかった。
それを知ったマムヤは断崖から身を投げてしまいます。

マムヤの親は、この悲しみを歌いました。

「平安名ぬマムリャが あーぐ」
手カゴの飯や汁桶に 副食を用意して
磯の続く限り 浜の限りに捜してみても
マムリャは、ああ我が子は見つからない
(歌・上田長福/訳=城辺町)

その意味するところは、奴隷と変わらぬ生活を余儀なくされた女性だった。
彼女が支配者に遊ばれ、身を隠した(死んだ?)ことは、どの島にも起こっていました。

先の与那国の鬼虎の娘も、
戦いが終わり、
仲宗根豊見親の嫡子から嫁にしてやるからと宮古島へ連れて来られたものの、
実際には嫡子には妻がいて、
娘に待っていたのは厳しい下仕えだった。
そして彼女は故郷を思って死んでゆく
(…という宮古歌が残っています)


沖縄は歌の島 沖縄は歌の島





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最終更新日  2006年03月31日 17時26分04秒
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