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2006年04月05日
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カテゴリ: 沖縄関係
沖縄の民話「普陀落渡海の日秀上人(ふだらくとかいのにっしゅうしょうにん)」

昔々の事でした。
沖縄本島北部の太平洋に面した金武湾(きんわん)は富花港(ふっかこう)に、一隻の小舟が漂着してきました。
発見者は、金武間切並里村の若者が見つけました。
舟は、帆柱が折れ舳先(へさき)も原形を留めないほど壊れていました。
若者が中を見ると、人の姿は見えず大きな箱があるだけでした。
「この大箱は何だ?」
そう思いながら、恐る恐る箱を開けました。
すると、

普陀落渡海(ふだらくとかい)です。
和歌山県の那智から西方浄土を目指すと言う荒行です。
大方の僧侶は、水も食料も小舟には乗せず、只身一つで死出の舟出をする、言わば即身仏状態の修行でした。
この小舟に乗っていたのは、日秀上人(にっしゅうしょうにん)でした。
時は、琉球王国が最も栄えていた16世紀初頭、第二尚氏の第三代尚真王の時代です。
只事ではありません。
若者は、なによりこの僧侶を救出しようと懸命でした。
「しっかりしてください。今助けますね」
と、舟箱から出し、浜港に下ろしました。
若者が持っていた弁当を温めて、お粥を作って食べさせました。

やがて、元気になった僧侶は立ち上がると、

と、言いました。
それ以来この港は「富花(ふっか)」と呼ぶようになりました。

次に若者は、僧侶に涌きたての水を飲ませたく、近くの丘麓の泉に案内しました。
僧侶は、その水を一口飲むと、
「うん、これは良い水だ」

日秀上人は、この若者にも名前を与えました。
若者の家の近くを流れる樋川(ひじゃーがー)に因み「比嘉」の姓を与えました。

その頃、ここ金武の大川に娘が水を汲みに行くと、大川上流の洞窟に棲む大蛇が娘をさらい、生肝を食うと言う噂が流れていました。
村人は、恐れ戦き相手が大蛇では、退治することもできませんでした。
その後、人々は大蛇を恐れ大川には、誰も近づかなくなりました。
すると大蛇は、今度は近くの畑の作物を荒らしまわり、霊力で一滴の雨も降らしませんでした。
村の作物は、日照りに枯れ、明日の食べ物にも困るようになりました。
この話を聞くと、日秀上人は
「私をその洞窟に連れて行ってくれ」
と、村人に頼みました。
村人が案内すると、洞窟の中から恐ろしい大蛇の唸り声が聞こえてきました。
日秀上人は、その声にひるむことなく、静かにその洞窟の前に座ると一心にお経をあげました。
その時、洞窟の中からはいっそう大きな声で、
「わー、うおー、腹が減った生肝をくれ」
と、大蛇が叫びながら、洞窟から頭を出しました。
村人達は、その恐ろしさのあまり気を失いました。
それでも、上人がお経を上げ続けると、大蛇は弱り始め、激しい雷鳴が響き大雨が降り始めました。
そこで、日秀上人はこの大蛇を洞窟の中に閉じ込め、その洞窟の近くに金武観音寺を建てました。

やがて日秀上人の名は、首里城の尚真王も知るところとなりました。
そして尚真王の仏教の師となりました。
琉球国の仏教の祖となった日秀上人は、那覇の地に阿弥陀・薬師・観音を祀る護国寺を建立して、琉球国の護りとしました。
さらに、交易が盛んだった那覇港の近くには、後世まで那覇商人が信仰した夷堂(えびすどう)を建て、那覇の東西と湧田(わくた)の地には地蔵尊を祀る地蔵堂を建てて、仏教を広めました。

那覇から首里に上る松川に、妖怪が多く出て道行く人が困っていました。
上人は、松川の指帰(さしかえ)の地に、妖怪を退散させるための呪文を書いた石碑を建て、妖怪退散の祈祷をしました。
この石碑と日秀上人の祈祷により、人々は無事に通れる道になりました。
しかし後に石碑は摩滅してしまい何が書いてあるのか全く解読不能の為、人々はただ「松川の碑文」と言うようになりました。

浦添から首里に行く途中の丘にも、妖怪が出て人々を困らせていました。
日秀上人は、その丘の上には、金剛経を書いた石を埋めました。
すると、その丘からも妖怪は退散し、人々が安心して交通できるようになりました。
以来、お経を埋めた丘なので、人々から「経塚〔ちょうちか〕」と呼ばれるようになりました。

ある時、旅人がその経塚で昼寝をしていると、近くの村人が大騒ぎをしているので目が覚めました。
火事があったわけでもなければ、妖怪が出たわけでもありません。
そこで、旅人が村人に聞くと、
「今大地震が起きたのに気が付かなかったのですか?」
とかえって、不思議そうに聞かれました。
それで、旅人は近くの村がすべて大地震で揺れたのに経塚だけは、お経の力で揺れなかったことを知りました。
それからというもの、沖縄では地震の時には、
「経塚〔ちょうちか〕、ちょうちか」
と、唱えるようになりました。






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最終更新日  2006年04月05日 10時13分07秒
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Re:地震のおまじない「ちょうちか、チョウチカ」(04/05)  
凄い「渡海上人」の同じ話題でした・・・るんたさんの方が面白い・・・追伸の追伸で御紹介させて戴きます (2006年04月05日 10時54分26秒)

Re[1]:地震のおまじない「ちょうちか、チョウチカ」(04/05)  
るんたrunta  さん
花より薩摩琵琶さん

同じ話題でしたか。
本題は、おまじないでしたが、長い説明文になってしまいました。
普陀落は、大陸の地名?だったかな??
渡海の時期は定かではないですが、自決後流されたり、子や孫の代まで生活の保障をしてもらう為や、沖合いの岩場にしがみ付いた僧侶もいたようですね。
渡海は、姿の見えない即身仏扱いだったとも言われていますね。
たくさんの方々が流されたとも聞きました。
人間版流し雛ですね。
(2006年04月05日 21時59分47秒)

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