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体形はお笑いの塚地みたいに太っておなかも出ている人で、いつも汗を拭いているイメージ。ある時会社からの帰りに電車に乗ったら同じ電車の同じ車両に上司が乗っているのに気が付いた。でも満員電車で何メートルも離れていて目があったので会釈だけした。私に気づいた上司は人波をかき分けてこちらに来た。わざわざ来なくてもいいのにと思っていたら私のそばに到着。大声でなんか仕事の話か何かをしゃべりだした。そして口から唾を飛ばしながら必死にしゃべる。もちろん何の話だったかは覚えていないけどそのつばが私の顔に飛んでくるのもお構いなしに話し続ける。満員電車でハンカチも出せないほど混んでいるのにつばを飛ばされ続けてうんざりした。空気読めなさすぎる"(-""-)"満員電車で大声で話している人なんていないのに。その非常識な人の連れと思われるのも耐え難い。という最悪な思い出。私はその上司が大嫌いだった。入社して最初の上司。人手不足で私は午前と午後違う係の違う仕事をしていた。午前はその上司、午後は別の上司のもとで。午後なのにその上司が緊急だからと午後の仕事の手を止めさせてやらせようとする。仕方なくそれを先にやると午後の上司が嫌な顔をしている。でも何も言わない。それを見ていた同僚の人が板挟みで見ていてかわいそうだからどっちかに配属を決めてあげて言ってくれたのでその午前中の上司の仕事はしなくてよくなった。ようやくその嫌いな上司と話さなくてよくなったのはうれしかった。というつまらない昔話。
2025.06.30
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世の中にはよく気が付く人たちとあんまり気が付かずボーっとしている人間と2タイプある。どちらかと言えば私は後者のボーっとしている方。亡くなった姑にも気が付かないとよく言われていた。でも一体何に気が付かないのかわからない。よく気が付く人から見たら、どうして気が付かないのかとイライラするのだろう。義実家に行って忙しそうに姑が動いていたら「手伝いましょうか」と声はかける。「いいから座っていて」とか子供たちが小さかったころは「子供を見てて」とか言われるから動かないと、夫に「うちに来ても何もしない、気が付かない」という人。すると夫はそれを私に言う。「お前向こうで何もしないらしいな」とまるっきり姑の言い分を信じる。「いいって言われたから、それなら何をしたらよかったのか聞いてきて」と言っても夫はそこまで聞いてこない。とにかく私は義実家で気の付かない人と認定されていたらしい。でも世の中には気の付く人が良くいるから、あとでああしたらよかったのかと思っても手遅れでバツが悪い思いをする。先日もランチした年上の友達、フードコートでランチを食べて、終わったら私が終わるのを待ってさっと器を下げてくれた。またしても出遅れた"(-""-)"そしてちょっと待っててと言ってコーヒーを買ってきてくれた。コーヒー代を払おうとすると、「私が飲みたかったから買ってきた。気にしないで」と言って取ってくれない。なんだか気が付かな過ぎて居心地が悪い。いい人なんだけどな。今度さりげなく何か持っていこう。出してもらいっぱなしは何となく嫌だし。何かあれば率先してパッと動く人、気が付く人、周りを見回すと結構そんな人は多い。ランチした後私がバックから薬を出すとさっとお水をもらってきてくれる人。いやそれくらい自分でするのに。動けないほど具合が悪いわけでないのに。もう自分の気が付かなさが恥ずかしく感じる。今から気が付くようには慣れないだろうか?甘えっぱなしでいいのだろうか?でもそういう人より先に気が付くのはむずかしい。
2025.06.30
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今日の新聞記事より。きのこ会というのは原爆が投下された時お母さんの胎内で被爆してその後生まれてきた子供たちと親たちが作った会。キノコ雲の下で生まれた小さな命だけど木の葉を押しのけて成長するキノコのように元気に育ってほしいという願いを込めてきのこ会と命名されたという。彼らは最も若い被爆者と言われていて原爆の残酷さを身をもって示す人たちと言われている。頭が小さくて知的障害などの症状があるという。6家族で始まった会は原爆症認定を求めて活動し、結成2年後にようやく認められた。頭が小さくて知的障害があるのが特徴だという。記事の横浜市在住の男性は79歳。2019年に妹さんと一緒に入会した。すでに親世代は全員亡くなっている。生後半年で脳しゅようを患い右目を摘出。小学校へは母に手を引かれて通ったけど勉強について行けずいじめや差別を経験してきた。知的障害と言語障害もあり、知能は3歳児程度という。男性と妹さんは今年2月に東京都内で開かれた核兵器根絶に向けたフォーラムに参加して小頭症患者とその家族の生活や平和への思いを語った。私は胎内被曝で障害を持って生まれてきた人たちがいることを今日まで全く知らなかった。原爆は投下された時に亡くなった人、直後に亡くなった人が大勢いてそのことは知っていたけど,胎内で被爆することもある、生まれながらにして障害を持って生まれてくる可能性もある恐ろしい武器だ。患者さんたちが今後少しでも幸せに生きられるようアメリカ政府も日本政府も援助を惜しまないでほしい。核兵器は絶対に作ってはいけない、また所持したり使ったりしてはいけない。核兵器根絶は人類皆の幸せのために絶対に実現しないといけないと思った。
2025.06.29
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初めはご近所の普通のママ友だった。子供同士学年は違うけどよく一緒に遊んでいて一緒に公園とか行ってた。子供がだんだん大きくなってきてそろそろ仕事を始めようかというときも彼女は資格試験にチャレンジする、私はハロワの簿記とパソコンにチャレンジするということで励まし合って時には図書館で一緒に勉強した。私が膠原病になって市外の病院に入院した時、その頃は携帯も持ってなかったのかな?突然彼女が私の入院していた病院に現れて「来ちゃった」といたづらっぽく笑ってた。それなのに彼女は自分が入院になったとき何も言ってくれなかった。さぞ心細かったと思うのに。後で病名とか経過を教えてくれた。本当に助けが必要なと来彼女は一人で戦っていたようだ。一応退院はしたけど完治というわけでなくいつ再発があるかわからない。病気を抱えたまま彼女は好きな仕事に復帰した。そんな風に時には支え合いながら一緒に百まで生きようねと約束した。そんな彼女は一生に一人いるかいないかくらいの親友と思ってきた。その彼女と母が亡くなってから会えないまま。彼女に何かあったのか?それとも私との関係を見直して距離を置きたいのか?メールで聞くことも考えたけど、メールでは伝わりにくいし誤解も招きやすい。携帯を触れないほど悪い体調なのだろうか?一か月以上前の「6月のシフトが決まったら連絡する」というメールを最後に連絡が途絶えている。このまま気長に彼女からの連絡を待つのがいいのかどうか。最初ご近所で家も知っていたけど今は引っ越して別の離れたところに住んでいて引っ越した後の連絡はいつもメール。ときどき連絡を取って会っていた。このまま彼女と疎遠になってしまうのかな?
2025.06.28
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少し前にこのタイトルの日記を書いた。30年以上の親友。いろんな相談をしあって支え合ってきた人。3月に母が亡くなっていろんな思いがあふれて苦しかった。話を聞いてほしい、ランチをしようよと彼女にメールをした。彼女は5月のシフトが出たら連絡するという。5月中連絡を待っていた。ところが連絡がないのでこちらから連絡をした「もしかしたら忘れていた?ランチの件はどうなった?」と聞いた。6月のシフトが出たら連絡するという返事。そして6月も今日は27日。6月も終わろうとしている。彼女はもしかしたら私と距離を置こうとしているのかもしれないと思い始めた。私なら親友と思っている人から話を聞いてほしいと持ち掛けられたら、何とか時間を作るだろう。大したことはできなくても話を聞くくらいのことはできる。私は今まで誠意をもって彼女と付き合ってきたし、相談にも乗ってきたつもり。まさか彼女に私と距離を置くつもり?などと聞くこともできない。どういうつもりなのかこちらがあれこれ考えるのみ。考えても考えても結論は出ない。去る者は追わずなどというと私が彼女を切り捨てているみたいに見えるけど、実は彼女の方が私を切り捨てたのかもしれない。人の心の中は複雑でよくわからない。今彼女がどう思っているのか知りたいけど知るのも怖い気がする。気心の知れた親友と思っていた人の事を私はどれだけ理解していたのかな?実は何もわかっていなかったのかもしれない。
2025.06.27
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金曜日、いつもの体操に行ったらメンバーの方から全員にジャガイモをいただきました。この辺りは農家さんも多いし、無人販売所もよくある。もらったり家庭菜園で取れたりした野菜を良くいただく。全員の分に足りなかったらじゃんけんで勝った人がもらう楽しいイベントになる(^^♪今日は全員分あってじゃんけんはなし。代表さんが「今日のみんなの家の晩御飯はポテトサラダだね」と言ったので私も乗っかってポテトサラダにしました。でも何も考えず(笑)もらったジャガイモを全部ゆでてポテトサラダにしたらずいぶん多い。半分肉じゃがとか違う料理にしたらよかったとちょっと後悔。冷蔵庫にタッパー一杯のポテトサラダが残ってしまいました。わが家は夫と二人だから食べきれない。明日もポテトサラダではなあと思ってたらぴかっとひらめいた。以前入院した時の病院の献立にオムレツが出ていて。中身は何とポテトサラダ。意外な中身にびっくりしました。それ以来我が家では残ったポテトサラダはオムレツにしています。オムレツにして卵の上にケチャップを掛けたら味変。おいしくいただけます。メンバーさんたちのおうちではジャガイモをどう料理したのかな?(^^♪ジャガイモ、我が家にもう一袋あるし、プランターで作っているジャガイモもそろそろ収穫の季節です。100日くらいでできると書いてありました。袋に土と肥料が入っていて、種芋を植えたら後は水をやるだけ。肥料はすぐに効いてくる肥料とゆっくり効いてくる肥料の2種類が入っているそうです。その袋のまま植えられる小スペースなので我が家の狭い庭でも作れます。袋で植えられるのに夫が勝手にプランターに植えてしまいましたが"(-""-)"何とか葉もよく茂り収穫が楽しみです。
2025.06.27
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今は腎臓移植して入院は大学病院ですが、過去には市外の病院や市内の総合病院にも入院したことがあります。移植して8年目、その前は透析が15年。それ以前は膠原病というような感じで下から入院中の話はたくさんあります。最初の病院では結構長くて3か月入院したこともあります。段々よくなってくるとどうして退院の許可が出ないのかと思うほど元気になってきたら病棟を変わるように言われました。私は内科病棟に入院していたけどベッドが足りなくなると病棟を越えて移動しました。外科で手術が終わって後は内科的治療という人を受け入れるのに、代わりに手術の予定はないのに外科に移動と言われたことがありました。一度は小児科へも移動させられました。身長は低いけど一応大人なんですけど?外科への移動は大勢の看護師さんがベッドや枕元のいろんなものを入れた台も個人で業者と契約しているテレビも一緒にエレベーターで運んでくれる。私はベッドに座っていたり歩いたりして、楽に移動しました。その病院ではトレードと言われてました。廊下をいろんなものと一緒にはこばれていくのはまるで大名行列見たいと思った。小児科では隣のベッドには4歳児。夜中に喘息の発作で担ぎ込まれていたけど私はよく寝ていたから隣のドタバタに気づかず。朝起きて元気になった4歳児が持ってきたブロックで遊んでいていきなり間仕切りのカーテンを開けられた。「おばちゃんブロックが固いから外して」入院中に同室の子供の遊び相手をするとは思わなかった(笑)その子のお母さんには「必要なものを家に取りに帰るのでしばらくの間お願いします」って頼まれるし。おまけに病院の都合で病棟を変わらせられたのに主治医はなかなか回診に来てくれない。まあ安定しているからいいだろうと思われたのだろうけど。ここまで来るのは面倒と口まで言われて。小児科の看護師さんは子供用の血圧計を持ってきて測るし。血圧計に空気を入れたらバンとはじけた。いくら何でも子供用の血圧計の帯はわたしの太い腕には合わないよ。内科ではお風呂の順番争いがすごかったけど小児科ではお風呂独り占め。子供は家族が来ないとお風呂独りでは入れないから好きな時に入れた。まあいろんななかなかできないようなことを体験できたとずいぶん日記のねたにしたけどね。そこの病院では入院病棟2階から7階まで会ったけど全フロア制覇した。病室から避難訓練を見られる貴重な体験もしたしね。見てたらはしご車が伸びてきて病人という札を首から掛けた職員がはしご車に乗って降りていく。私なら足がすくんではしご車に乗り移れないなと思ってみていた。若い看護師はもし火事になったら真っ先に一人で逃げると公言していたし。いやエレベーターも停電になるだろうし一人で避難できない病人も多いから一人ぐらいは連れて逃げてよと思った。患者さんと死にたくないのは本音なんだろうけど、それを言っちゃおしまいでしょ。ICUやいろんな経験をしたけど長くなるので今日はここまでにします。(^^♪
2025.06.26
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今月何回目のランチかなと思ってカレンダーを見た。長女と倉敷のお土産を渡すために会ってランチした。一回目おとといの日曜日腎移植の会の役員会で終了後役員の皆さんとランチ。二回目そして今日OL時代の先輩とランチ。三回目。今月はもうランチの予定はない。専業主婦が月3回のランチは多いかな?後給食の会で一回食べたのと水曜日に大学病院に行ったら朝食抜きで行って大学病院でモーニングを食べる予定。あ、昨日もカラオケの前にモーニング食べたな。ランチは給食も含めて4回かな?モーニングは2回。結構私自由にやっているな(^^♪先ほど帰宅しました。今日行ったお店は漁業の会社が運営するお店。もともと別のお店だったのがつぶれてそこが買い取ったお店。ちょっと辺鄙な場所なので車でないと行きにくい。夫と行ったし、車を持っている友達とも行った。何回目かな?今日の友達は私と同じでちょっと方向音痴。以前行ったときは彼女は道はわかっていると行ったのに迷いまくった。住宅街をぐるぐる回ってようやくついた。そして今度は間違わないで行こうということになったけど、2月の予定が彼女の都合でキャンセルになった。そして3月に母が亡くなり、なかなかチャンスがなく6月になった。彼女も実家にお母さんの介護に通っていて忙しい身。お母さんはホーム入居を嫌がるのでデイサービスや訪問入浴、訪問介護などを利用してい自宅介護をしている。実家には未婚の弟さんもいて夜は任せられるけど昼間は主に彼女が見ている。お母さんはなんと99歳。もうすぐ百歳になる。。彼女は特に今は悪いところはないけど何と言っても70代、老々介護。でも愚痴を言うこともなく、私の話をうんうんと聞いてくれる。帰って来て申し訳ない気分がした。ほとんど私がしゃべってたなあ"(-""-)"彼女が受け入れてくれるからと言って自分ばかり話すのは私の悪い癖。今度は彼女の話もちゃんと聞かないとね。20代のころからの古い友達大事にしないとね。(^^♪
2025.06.24
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明日も友達とランチの予定。その友達、20代のころ同じ会社の先輩で一個上の人。同じ町内の少し南の方に住んでいてお互い子育てが忙しいときはなかなか会えなく年賀状だけ細く長く続いていた。最近?いや数年前かな?お互い会える余裕ができたからそれから時々あっている。でも最近その人をこんなに懐の深いやさしい人だったのかと改めて見直した。3月に母が亡くなって近況報告のメールのついでに母が亡くなったことを書いてメールした。するといつでも話を聞くよ、連絡してねと返信が来た。その人も同じような年のお母さんがいて実家に時々介護のために通っている。お母さんは弟さんと一緒に住んでいるそうだけど弟さんは昼間は仕事でいないから昼間時どき行っているらしい。だから明日母の話をいっぱい聞いてもらってきます。他の友達でなかなかそんな風に言ってくれる人はいなくて。でもせっかく会えたのにそんな話ばかりするわけにもいかないし、立ち直った風にしています。ようやくお互いの都合が合って明日会える。もちろん母の死はわたしが乗り越えるべきだこととは思いますが、そういう風に悲しみに寄り添ってくれる友達はうれしい限りです。今は徐々に悲しみが薄らいでいくところ、でもふとした弾みにああ、母はもういないんだなと思って寂しく感じます。私よりもっと早くにお母さんを亡くしている友達も大勢いる中、母は91歳まで頑張ってくれた。寂しい気持ちだけでなく母に感謝してありがとうという気持ちももちろんあります。折に触れて思い出して上げるのが最高の親孝行と聞いたことがあります。もうあちらに行った母には何もしてあげられないけど思い出すくらいなら私にもできそうです。
2025.06.23
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家の父母が元気だったころ、私たち家族と実家の両親との関係は結構行き来があった。一緒にご飯や旅行に行ったりもあった。母は買い物に行くたびにうちの分まで買い物をして届けた。うちが家を買って生活が大変だと思い込んでいていろんなものを買っては持ってきてくれた。食料や子供たちの服、私が持つバックや服まで。今から思えばありがたいけど過剰な干渉だったと思う。私たち夫婦は庭に関心がなくて何も植えてないと勝手に両親が来て庭に花を植えたり伸びすぎた南天を勝手に刈り込んだり。留守をしていて帰ってきたら花が植えられていたり,南天が刈られていたりを見た夫が気を悪くする。僕の家なのに勝手に触ると言って。それは当然なんだけど父には通じない。父はいろいろしてやっているのに文句は言うなとばかりに逆切れするので私は板挟みだった。そして夫と父の共通の趣味は将棋だったので毎週末夜中までうちで将棋を指していた。そして月日は流れて今は次女夫婦がうちの近くに住んでいる。でもほとんど交流はない。次女がうちの夫とうまくいかなくてもめたから当時シングルマザーだった次女親子を私がお金を出して近くにマンションを借りさせた。そういういきさつもあって今は再婚して旦那さんと仲良く共働き、育児をしているけどあまり交流がない。年に一二度私が声をかけて一緒にご飯を食べるくらい。何か持っていこうとメールをしてもいらないときは要らないとはっきり言われるし、以前の私と実家の関係を思えばずいぶんそっけない。それでも誕生日には次女や孫ちゃんからプレゼントはもらうけど。次女からメールが来るのは自分が用があるときだけだし、普段はあまり連絡はない。今中3の孫ちゃんの時は一時同居していたし、孫ちゃんのお世話もよく頼まれた。今は下の孫ちゃん1歳は保育園だけどほぼ次女と旦那さんで育てていて私の出る幕はない。まあ以前と違って私も年取ったし、上の孫ちゃんの時のように頼られてもできないこともある。自分の子育て中とは違ってあまり交流がないのが寂しいと言えば寂しい。でも次女夫婦は旨く行っているようだし幸せそうなのであまり娘や孫に依存しないようにと思うようになった。仲が悪いわけでなく必要な時には助け合えるそういう関係がいいのかもしれない。とにかく私は年取っていく一方だけど、あまり娘たちに依存しないようにできることは自分でやって、将来の介護なんてあてにしないで行きたいと思っている。長女は遺産なんて期待していないから、貯金を全部自分たちの介護や何ならホームに入る資金にして何も残してくれなくていいというくらい。お正月にも娘たちは来ないから夫は寂しがっているけど、私もよそのお宅でお正月に子どもや孫たちが集まってにぎやかに過ごしている様子を聞いたらうらやましいとも思うけどうちはうちの付き合い方があるからと思うことにしている。普段静かな二人暮らしなのに大勢で押しかけて来られたらうれしい反面忙しかったり疲れたりするだろうし。実家の両親の過保護過干渉を思い出したら全く違う。今の娘たちとの関係は令和的な親子関係なのかもしれない。あまり干渉しあわないでいい親子関係を作りたいと思っている。娘たちが幸せならそれを見守っていこうと思っている。余計な口出し手出しはしないで。
2025.06.23
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去年から方向音痴の私が、友達とかと一緒でないと旅行に行けなかった私が一人旅をするようになった。一人旅は相手の都合に合わせて日にちを選ぶことなく、自分の行きたい日を選んで予約できる。出発も帰宅時間も自分の好きなようにできる。一回目は以前に何度も行っている有馬温泉にした。なんだかんだと言っても神戸市内。宿をネットで予約したのも初めてだけど、万一取れてなかったり何かあれば何とか家に帰れる。交通手段はいろいろあるし。何度も行ったことがある。このときの私の小さな目標は、「温泉まんじゅう」を食べる。何度も行ったけどまだ食べたことがない。店の場所はわかっている。友達が会社の保養所を予約してくれたのですべて彼女の言う通りに行動したから行きたいところへ行くことも言いにくく、引率されて帰ってきた。そして有馬せんべいの工場へ行く事、これも大体以前に行ったときに道も覚えていたから難なく行けた。食事券をなくしたり、いつも一緒に行く長女に頼りきりだったから電気ポットをうまく使えずお茶も飲めなかった。そして二度目の一人旅、倉敷。以前の失敗を踏まえて透明のケースを買ってそこに切符や大事なものを入れた。新幹線に一人で乗るのも初めてだった。天気や何かのトラブルで遅れたり運休になることを考えて当日指定席でなく自由席を買った。乗るのも初めてだからみどりの窓口で切符を買うのも初めて。以前は旅行社に手配してもらったから。キャリーも駅前のホテルに預けて身軽に観光した。今回の目標は大原美術館に行く事,川を流れる舟に乗ること。倉敷はわりにこじんまりしていて道も坂がなくて歩きやすかった。ボランテイアのガイドさんもいたし、地図とか休めるベンチもあって自分のペースで回れた。商店街で見つけたかわいいモンペズボンを自分用に購入した。こういうことも一人だからできること、見たいものがあっても人と一緒だとなかなか言えない。一人だと自分の好きなところに好きなように回れる。今はネットで宿も取れるし、新幹線の時間も見られる。行先の見どころもあらかじめ予習できる。でも絶対にこれからも一人旅とは思ってない。気の合う友達とも旅行も楽しいけど、周りの友達は介護や孫のお守りとかでなかなかイイね、行こうとならないので一人旅を始めた。もし一緒に行ける友達がいたらそれもよし。私はいつか北海道に行きたいと思っている。北海道は3泊くらいしたいので一人はきつい。おひとり様限定の旅行もあるけど一人で参加したら割高。私が一人で行けるのは一泊だけだと思う。日帰りもいいかも。帰って来てからまた次どこへ行こうかと新聞チラシを見て研究している。食事はついてなくてもいいけど大浴場は絶対についていてほしい。安いホテルには大浴場がないことが多い。よく見て大浴場のあるホテルを予約したい。またネットで安いホテル、安い日を探して第3弾一人旅をやりたいと思う。まずは梅雨が明けてから計画スタートかな?今年後半一度はどこかに行きたいな。
2025.06.20
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村姑というのは友達の姑さんがご近所さんからつけられたニックネーム。もうすでに亡くなっている。何で今この人を思い出したかというと、その友達が今闘病中。脳出血で倒れて入院中というのを聞いているが、その後回復したとか退院したとかという知らせがないので心配している。その友達とは長い付き合いでラインもやっているけど、ラインをしても返事はない。携帯を触れないほどの重症なのかそれともご家族が携帯を預かっているのか。ラインでつながっていてももしもの時にはご家族から連絡が来るとは限らない。以前幼馴染が亡くなったときにも訃報を聞いたのはその子の近所に住む知人からの連絡だった。ご家族は多分付き合っている友達に連絡するような余裕はないだろうし、故人の携帯を解約してしまえば全く連絡は来ない。友達の容態を心配しているけど回復を祈るのみだ。私にできることはない。さて村姑と言われるお姑さんだけどどうしてそういわれているかというと自分の家の嫁だけでなく近所のお嫁さんにもあれこれ口出し注意、干渉をするからだそうだ。お隣の姑さんのいないお宅のお嫁さんに洗濯物の干し方がおかしいと言ってそのお嫁さんともめたと聞いている。農家に嫁いで農業をやって外で働いたことのない人だったらしい。そのお嫁さんである友達はおおらかというか天然というかあまり細かいことを気にしない人。それでも一時期耐えられなくてお姑さんと別居をしたほどという。以前その友達とランチの約束をして出かけた時の事。出がけに友達に姑さんが車で送って行ってという。仕方ないので送って行った。でも帰りは迎えに行けないからバスかタクシーで帰ってと言っておいたのに、ランチ中電話が鳴った。それを見た友達は電話をブチっと切った。迎えにはいかれないと言ってたやろ?と切れた電話に笑いながら言ってた。それくらい強くないと村姑と言われる姑さんには太刀打ちできないのだろう。そのあと姑さんはどうしたか?仕事中の息子(友達の旦那さん)に電話を入れて迎えに来いと言った。旦那さんは営業職なので得意先回りをすると言って会社を抜けて母親を家まで送った。働いたことのない人だから仕事中の息子を呼び出すことに何のためらいもなかったらしい。その姑さんがある日自宅の裏山でタケノコをたくさん掘ってきて大きな鍋でゆでた。そして友達に知り合いに配って来いと言った。夕方パート終わりの友達はタケノコを配り歩いた。そのタケノコを私ももらった。下茹でしてあってありがたいと言えばありがたいけどあまりの分量の多い竹の子。わが家では消費しきれないのであちらこちらに分けた。良くも悪くも強烈なお姑さん。うちの姑さんとわたしもいろいろあったけど同居していない分まだましだった。運転ができないけど歩きたくない、バスやタクシーにも乗りたくない。家族が送迎してくれればいいとまあ自分勝手な姑さんだけど、たぶん昔は普通にこういう人はいたのかもしれない。仕事中母親を送迎するために上司にことわりもなく抜けたりしたら、今ならリストラされるかも。よほどのことがない限り仕事を早退なんてできないだろうし。
2025.06.19
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テレビでタイトルのような話を見た。すべての生き物には寿命の法則があるらしい。脈拍を打つのが15億回に達したらその生き物の寿命になるらしい。体の小さい動物は脈拍が早いからその15億回に早く達する。だから小動物は寿命が短いという話。その法則を人間に当てはめると50年になるという。生物学的に人間の寿命は50年ということだ。しかし今は平均寿命は70代でそれ以上、また百歳以上の人もちらほらおられる。それは医学の力で寿命が延びたということらしい。戦前は日本人も40代50代でなくなる人が結構いたらしい。戦後医学の進歩や治らなかった病気が治るようになったり、生活が豊かになって栄養を取れるようになったことなどで今は世界で有数の長寿国になっている。でも今でもGNPの低い貧しい国では病気になっても病院に行けない人もいて平均寿命の低い国もあるようだ。確かに医学の進歩の恩恵で私も戦前なら多分とっくに死んでいたと思われる。それだけでなくこの日本に生まれたから高額な治療である透析も受けられた。透析は一か月12,3回やって約30万かかる。年間360万の透析の治療費がもしも全額自己負担なら払える経済力のある人はごくわずかしかいないだろう。幸い日本ではほとんどは保険で賄われていて自己負担額は少なくて済む。もし日本以外の貧しい国に生まれていたら透析は受けられなかっただろう。この時代の日本に生まれたから私は今生きていられる。透析や移植の恩恵を受けられたことに感謝しながら、できるだけ健康に気を付けて長生きしたいと思っている。せっかくいただいた命だから。
2025.06.19
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夫の服が増え続けている。夫の部屋からはみ出して私の服を置いているところまで進出してきた。物置にしている洋間に私の冬服を置いているケースの上に夫が冬物を乱雑に置いているのを見てイラっとした。ここで手を出したら断捨離は妻の仕事になる。かといって勝手に捨てたら後々文句も言いそう。そこで今日明日中に片づけて、土曜日に布切れぼろを出せる日だからその日に出すから。もしやってなければ金曜日に私がやるからと宣言した。ところが夫、珍しくヤル気になって(笑)ゴミ袋いっぱいを処分するという。まだまだありそうだけど今回はこれくらいにしておくか。大体私の服も増え続けているという指摘はないけど夫のばかり断捨離というのは突っ込まれそうだし(笑)夫には断捨離と言いながら私は今日のウオーキング中に駅前の良く行く店で閉店セールをやっていて2枚も買っちゃった(笑)しばらく隠しておこう(笑)夫は私が新しい服を買っても気づかない。似合っているともに似合ってないとも何も言わない。先日読んだ本に年だから地味にしておこうなどと思ったらますます老け込むばかりだから着たい服を着ようと書いてあった。似合ってなくても派手でも好きな服をこれからは着よう。閉店セールだから張り切って十数枚買っている人がいた。断捨離をしろと息子に叱られると言いながら。女性はいくつになっても新しい服が欲しいし、おしゃれをしたい生き物なのかな?その本の作者はほしい服はためらわないで買うし、90歳を過ぎているけどマニュキュアもするという。そういえば体操の先生も足の指にマニュキュア。足は言い方が違うのかな?をやってたし。年令なんてただの数字に過ぎないと高齢者大学のある講師の方も言ってた。年令は意識しないでいたほうがげんきでいられそう。もう何歳でなくまだ何歳と思っておこう(^^♪ところでタイトルに戻るけど、夫には自分の服の整理は自分でやってほしい。そこまでやりたくない私(笑)私はよく服は買うけどシーズン中一度は着ている。出ていく機会も多いしね。何年も着ていない服は処分する。夫の服は一軍二軍三軍四軍くらいまである。そんなに会っても数年に一度も出番がないなら処分が正解だと思う。
2025.06.18
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最近つぶやきにも書いているけど、ランチに行こうと言いながらシフトができたら連絡すると言ったままの友達がいる。もし今月も予定が一杯で私とランチする暇がないとしてもそれならそれで連絡はするべきだと思っている。私はたとえ予定がいっぱいあってもお誘いがあったら会いたければなんとか時間を作ろうと思う。彼女がそうまでして時間を作ろうとは思えないならそれは彼女の中での私の優先順位が下の方になっているからということなんだろう。もしかしたら私とは距離を置こうとしているのかもしれない。そうだとしても、私と距離を思うと思っている?などと聞けるはずもないけど。彼女との付き合いは30年以上。知り合った当初はふたりとも専業主婦。彼女は子供たちを育てながら勉強をして資格を取り、進みたい分野で就職を決めた。仕事と家事と育児を両立しながら私とも付き合いを続けてきた。いろんな悩みを相談し合いながら楽しく付き合えて来たと思う。私の愚痴があまりに多いから嫌になったのかもしれない。最近は彼女は子供たちも独立して旦那さんと二人暮らし。一人の時間を充実させたいと言ってたけど、私との時間は必要なくなったのかな?もうシフトは決まった?とか都合のいい日はわかった?などとこちらから聞くのはやめにした。ボールはすでに向こうにある。それを投げ返すかどうかは彼女次第。このまま彼女が連絡をしてこないならそれも仕方ないなと半分あきらめムードになっている。そういう風に長年の付き合いが変化して疎遠になってしまった友達もちらほらいる。私に悪い点があるのか、相手が変わってしまったのか?とにかく相手が私と会う時間を何とか確保しようとは思えないのは事実のようだ。たまにランチ以外のメールを入れたら一応返事は来るけどそっけない。彼女の方からメールが来ることはない。来ないメールを待っていても仕方ないので私は私で私の時間を充実させていこうと思っている。最初はどうして彼女が私と距離を取りたがっているのか聞きたいなとも思ったけど、そんなことを聞いても仕方ないなと思えるようになってきた。でもそれを聞いたところで何になるだろう。何でも話し合える親友同士だった私たちの関係は年月とともに確実に変化してしまったから私にはどうしようもない。人とのコミニケーションの取り方や距離の取り方は難しい。いまだに人間関係に難しさ、複雑さを実感している。
2025.06.15
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近くの公共施設で行われた「小さな音楽会」に行ってきました。無料(笑)ここは大事です。入場料があるような高級な音楽会には行ったことないです。多分出演者の人たちには市からいくらかの出演料があるとおもうけど非常に安いらしい。午後の時間だったけど県外とか兵庫県の北の方から来られた人もいた。音大とかを卒業した人たちだろうか?ピアノやバイオリン、リコーダーなどの演奏をかわるがわるやったり,司会を交代したり、歌声も素晴らしかった。音楽をやっている人たちは純粋に自分たちの演奏を披露する場があるなら遠くても駆けつける人たちなんだろうと思う。今日の出演料も4人で割って交通費とかの経費も差し引いたらほとんどボランテイアじゃないかと思う。わざわざこの音楽会のために多分早朝から来てくださった方々に感謝で一杯です。先月に行った某神社のお祭りで琴の演奏を聞かせてくださった方々も県外から早朝出てこられていて、中でもその中の先生は前日にイギリスから帰国されたばかりとか。今日のプログラムはこんな感じ。」滝廉太郎の「花」これは何とか私も知っていて歌えた。「野に咲く花のように」 これもテレビのドラマの主題歌で有名な曲なので一緒に歌えた。「海」 わたしは知らなかったけど海のタイトルの歌は漢字の「海」とひらがなの「うみ」と二つあるんだって。うみは「海は広いな」という出だし.今日は漢字の「海」松原遠くで始まる方の歌詞。文語調でこれもかろうじて知ってた。昔は小学校で普通に習っていたらしい。私のころはたぶん習ってないと思う。みかんの花咲く丘。これも知っている、好きな歌です。♪いつか来た道、かあさんと♪のところで泣きそうになる。3月に母を亡くしたばかりなのでふと母を思い出して。こうやって何かあるたびに思い出して母のことは徐々に思い出に変わっていくのだろう。ここからは音楽で巡る世界の旅と題してまずはイギリス。マザーグースの歌より ロンドン橋、メリーさんのひつじ 人魚の歌。次はフランス。人魚の歌,河は呼んでいる。オーシャンゼリゼ。河は呼んでいるはNHKのみんなのうたで歌われていたそうだけど私は知らなかった。続いてオーストリア ドレミの歌。サウンドオブミュージックの中の歌でかなり有名です。美しき青きドナウ。歌の翼に。花の歌。司会の方がところどころ歌にまつわるエピソードを話してくださる。最後はアメリカ。故郷の人々。これは学校で習った。♪はるかなるスワニー河という出だしの曲。続いて「はにゅーの宿」 漢字変換ができない"(-""-)"これもちょっと私の年代にはなじみのない曲。エンターテイナーという曲に続いて最後は「故郷」の合唱で締めくくり。来ている人の大隊が70代以上の人が多くて選曲はそこに合わせていると思われる。雨の中ここは初めての場所なので夫に送ってもらったけど、一方通行だったりで同じところをぐるぐる回って開始時間ぎりぎりになって、ようやくたどり着いた。後で見たら大型スーパーの前で下ろしてもらったら後は歩道橋でまっすぐ行ける場所だったのに、車だから遠回りになったようだ。次回行くことがあったらスーパーの前で下ろしてもらおう。(^^♪梅雨のうっとおしさも吹っ飛ぶような素敵な時間をプレゼントされていい気持ちで帰ってきました」
2025.06.14
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いつも行くスーパーにお昼頃に買い物に行ったところ、備蓄米が山積み。先日買ったところだけど買っておいた。次女のところに上げてもいいし。共働きだからなかなか買えないんだよね。食べ盛りの孫ちゃんもいるしね。5キロ1955円だった。税込みで2150円。ここは地元でチェーン店をいくつも持っているスーパーだけど中小規模だと思う。ニュースで言っていたけど備蓄米を随意契約で手に入れても精米機を持っていない会社ではそれを持っている会社に頼まないといけない。おコメの卸会社は持っているから今そこへ持ち込む業者で卸会社の倉庫がパンパンだそうだ。米の袋も印刷しなくちゃ。どれもこれも早急に用意しなくちゃだから無理だと手をあげない業者さんもいるらしい。買ってきたお米は印刷もシンプルで備蓄米、随意契約としか書かれてない。運送会社の手配も大変らしい中、頑張ってくれたなと思ったらうれしくなった。さすが地元で50年以上商売しているスーパーだ。でも何でこんなことになったのかな?去年の秋にもお米がなくて困ったことがあったし。ずっと以前にもお米が不作でタイ米を緊急輸入したとか手に入らない時があった。まだ実家の父が元気だったころで、うちの分を走り回って勝ってきてくれたのを覚えている。お米は日本人の主食だし、自給率100%と聞いているのになんでない?今回備蓄米の放出がなければもっと困る人が増えたと思う。でも今後は新米が出回るまで何か月かあるし、新米がでまわったら、値段が高騰しないかなと心配もある。でも農家の人は儲けがあまりないという。ではどこでだれが儲けているのか?二度とこんなことにならないようにきちんと調べて値上がりを待って誰かがどこかに隠して山積みにしているならそういう不正をきちんと正してほしい。転売などももってのほか。きちんと取り締まってほしい。関係者の皆さんよろしくお願いします。
2025.06.11
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最初今日の予定は9時に家を出発、9時半からヨガ、終わったら移動して11時20分歯科受診。いったん帰宅して昼食、午後はパソコンの予定だった。朝から雨だし、ヨガに行く気が失せてそうだ!休もう!(笑)ということになった。歯科までの時間が空いた。家でゆっくりする?いや電気屋に行く用事があったからそれを済ませようと思いなおした。もともと明日行く予定だった。昨日その店に取り寄せを頼んでいた部品が入荷したという連絡が来たのだけど、三宮に行った後だし夫はいないしで、水曜日に行くことにしていた。電気店での用事があと2つできたからヨガを休んでできた時間に済ませよう。そしたら明日が楽と思い直した。お店の開店時間に合わせて9時半に家を出た。夫の運転する車で店についたら10時少し前。店の前まで行ったらなんと!臨時休業!改装のため火曜水曜はお休みだという。あちゃー、雨の中来たのに無駄足。"(-""-)"月曜日に連絡をくれた店員さんも一言言ってくれたらいいのにと文句も出る。結局11時20分の歯科受診までの時間が空いた。11時に家を出るまでのわずかな時間に今朝の顛末を日記に書いている。午後はパソコン。明日の水曜日は朝耳鼻科を予約する。大体お昼を過ぎるころでないと順番は回ってこないからその間に買い物と図書室の本を返す。この図書室月水金しかあいていないのでなかなか都合が合わない。ちなみに耳鼻科も月水金の午前中しかやってなくて午後診察はない。明後日の木曜日は整形と農協・銀行へ行く予定。ここの整形は水曜日が休みでよそのクリニックとは違って木曜日は普通に診察をする。色々考えて今週の予定はこれがベストと思って組んだ。梅雨入りしたのに結構いろんな用足しがいそがしい。ちなみに金曜日は体操、土曜日は高齢者大学で少し家から40分くらいかかる施設まで歩いて移動の予定。雨なら夫の出番。(笑)雨なら車移動。車で移動は楽なんだけど、夫の車には傘を積んでいるんだけど、夫はなぜか傘は出さない。駐車場から降りるときは「走れ」と言われる。雨の時走ったら、骨粗しょう症の私は転ぶと大変だから走りたくない。だから夫の車で送ってもらうときは必ず傘を持つ。傘を積んでいるのに使わないってどういうこと?やっぱり夫は変人"(-""-)"
2025.06.10
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ちょっと前までキュウリが高かったので一本を2,3回に分けて少しずつサラダとかに使っていた。 最近安くなったので3本、4本袋に入ったのを買ってダブった。そこへ夫の家庭菜園のキュウリが来たので、これを置いて置いたら文句が出るので(笑)すぐに料理して食べた。キュウリは残っているし、また家のキュウリが来たらダブる。ピクルスにしようと思いついた。今まで作ったことはないし食べたことあるかな?どこかの飲食店で食べたことはあるかもだけど、記憶にはない。ピクルスの作り方をググった。酢で漬けるらしい。うちにあるのは簡単酢。これでいいやと密閉容器に乱切りしたキュウリを入れた中に酢を投入。思いついて上からゴマを投入。その上からゴマ油を少し垂らしてみた。これ、ピクルス?なんだかわからないけどとりあえず漬けてみた。味はどんな風になるかな?ピクルス風の密閉容器を冷蔵庫にしまった。そして野菜室に使いかけの大根を見つけたのでこれも切って別の容器に同じようにつけた。果たしてどんなものになるやら。おいしいおかずの一品になるかな?これでうまく行ったら冷蔵庫に残りがちな野菜の救世主になるかもだけど。人参も大袋を買っているからこれもやってみる?パプリカもきれいかも。と調子に乗っていろいろ考えたけどとりあえずはキュウリと大根の結果待ちで。パプリカは買い置きがないし。うまく行ったら買って来よう。わが家ではパプリカは炒め物に使うのみ。あんまり買わない。キュウリやニンジンやパプリカを少しずつ取り出して合わせてサラダ風にするのもいいかも。ダイエットにもいいと書いてあった。ちょっと期待(^^♪ってまだピクルスは買ってもいないからタダの妄想(笑)
2025.06.09
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両方の親に似てほしかったところは似てなくて、そこはいいのにというところが似てしまった。私は父親に似て親せきからよく顔かたちや色黒なところが父によく似ていると言われた。母に似たら色白でよかったのに。母は薄毛で父は亡くなるまでふさふさだった。そこは父に似たかった。なかなかうまく行かないもんだね。父に似ていたら苦手だった数学もばっちりだったのに母に似てしまい文系だった。そして今年々父の顔に似てくる。年を重ねてきて余計にそう思う。そして両親は器用な人たちだったのにわたしは誰に似たのか不器用。でも似てほしいところはうまく似ていないけどそれでも両親は両親。喧嘩したりいやなときもあったけど今はふたりとも鬼籍に入り、ただただ懐かしい。いつかあちらで再開できる日を楽しみにしていよう。それまで見守っていてね。(^^♪コメント
2025.06.09
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以前亡くなった私の幼馴染は趣味はボランテイアというほど、人のために尽くす人。欲がなくていつもニコニコしていた。また私の周りには民生委員をしている友達。何年もずっと自治会の仕事をしている人。子供会や小中学校、高校などのPTAの役員さん、小学校の登校時に旗をもって通学を見守る人、いろんなボランテイアをしている人がいる。皆さんすごいなと思う。自分の時間を差し出して人のために尽くす。私なんていつまでたっても自分の事で精一杯。人のお世話をするような余裕はない。15年透析をしてその後は移植して8年目。私の医療費は健康保険料から出ていて相当な金額になっているはず。私のために使われた金額は膨大な金額でしかも今も現在進行形。今の医療費も障害手帳を持っているから申し訳ないくらいの金額。それなのにわたしは今度は人のために何かしようと思えない心の狭い人間。移植後頼まれて腎移植の会の役員になっているけどそれも自発的にではなく頼まれてことわりきれなくて引き受けただけ。大してお役に立てているとは思えない。後は自分がやりたくてやっている女子会の幹事とかカラオケの希望者の予定調整。なんだか恥ずかしいなとは思うものの、病院通いの多い私がボランテイアなんてできないとも思う。自分のことは後回しにしてでも人の事に奔走できる人は素晴らしい。移植した仲間とはいつも申し訳ないくらいの税金がかかっているけど、何も世のために、人ためになってないねとこぼしあっている。ボランテイアをしている人はすごいなと思うけど思うだけで終わっている。このままでいいのかな?と思いつつボランテイアをするような人間にはなかなかなれそうもない。
2025.06.09
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私が今日胃カメラをすると言ったら、どうやって検査するのか聞いた人がいる。どうやってって麻酔を入れてすると言ったら麻酔が怖いという。あなたは手術も検査も慣れているからいいけどという。慣れているのかもしれない。私は全身麻酔も経験しているし、ICUにも入ったことがある。その人は私よりずっと年上だけど大きな病気や手術はしたことがないらしい。今大腸が心配だけど検査も怖いという。胃や腸は何科に行ったらいいの?と聞くから消化器内科だと教えてあげた。でも多分彼女は受診しないだろう。以前整形外科を受診したいというから教えてあげたことがある。一応受診した。リハビリを勧められて通った。リハビリは週1回後は家でやってくださいと理学療法士に言われたけど家でやらなかった。1週間後リハビリの予約の日に行ったら、やってなかったでしょう?元に戻っていると言われたという。早く良くなりたいなら家でもやらなきゃ。それで叱られて嫌だったのかリハビリも中断。それではよくならないよね。大腸の検査は受けたことがないけど聞いたことはある。前日から下剤を飲んで腸を空っぽにして検査するらしいよと教えたら首を振ってもうビビっている。検査嫌いとか検査怖いとかいう人は手遅れになる可能性がある。先延ばしにしていてもよくならなかったら受診するしかない。病院を嫌がるのでなくむしろ仲良くしてというのも変だけど、なんでも早期発見、早期に治療開始したらよくなるのも早い。行きつけの病院を作って慣れて来たら主治医になんでも相談する。主治医は自分の専門でなければ紹介状を書いてくれるだろう。長生きしたければ病院とうまく付き合わないと。そう私は思うんだけどね。今まで大きな病気をしたことがない人は病院へのハードルが高いらしい。自分の健康には自信のある人もぎりぎりまで受診を先延ばしにして自分は大丈夫という妙な自信があったりするようだ。先日亡くなった知り合いのご主人も今まで大きな病気をしたこともないし健康診断で引っ掛かったこともなかったという。それが去年突然ガンと宣告されて一年。闘病の甲斐なく亡くなられた。病気には急に悪くなるようなものもあるからたとえ毎年健康診断を受けていても見つけられない場合もあるけど、健康診断は病気が悪化したり進行したりする前に見つけるチャンスでもある。私は特定検診を毎年受けている。以前は透析の病院でいろいろ検査してもらっていたけど今は自分から検診に行かないと受けられない。通っている大学病院でも心配なことがあれば相談する。今日の日記の彼女にも消化器内科の受診をお勧めしたい。
2025.06.06
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もちろん生まれて初めてというわけではない。胃カメラいつぶりか思い出してみたら、透析に入ってすぐ当時の病院でやったのを思い出した。なぜか透析が終わってすぐに胃カメラだった。止血が十分でなかったらしく途中でシャントから血がシュっと一直線に飛び出してそばにいた先生の白衣に掛かった。透析の後の血はなかなか止まりにくい。以前病院で天井に血の跡があるのを見てあんなに飛ぶこともあるんだとびっくりしたくらい。でも当時はなかなか飲み込めなくて苦しかったと思う。もう20年以上前のこと。それから医学は進んだようですっかり変わっていた。病院に着いたら点滴を打たれ(鎮静剤らしい)内視鏡の部屋に移動。看護師さんが紙コップの液体を持ってきて飲んでという。透明の味もしない液体で胃の泡を押さえる薬だという。それを飲んだら麻酔は口にスプレー。シュッシュとした。こんな麻酔なんだ。味は苦い。そして何かを口にくわえさせられた。これが内視鏡?飲み込むのも昔よりは小さくなっているのかするりと入った。同時に意識がなくなって次に気が付いたら口にくわえていたものはなくなっていた。そばのカバンから携帯を取り出して時間を見る2時間くらいたっている。終わった?まだ待っているところ?それすらもわからない。入院中の部屋のようにカーテンで仕切られたブースに寝かせられていた。隣の人が看護師さんに呼ばれていた。「まつだせいこさん」だって(笑)こんなところで聖子ちゃんの同姓同名に出会うとは(笑)しばらくベットの上でぼんやりしていると看護師さんに呼ばれて起き上がる。ゆっくり歩いて部屋を出る。ちょっと歩きずらい感じはあるけどゆっくり奈良普通に歩ける。終わった後はしばらくぼんやりするから車の運転とか自転車で来るのはやめておいてねと言われていたけど、私は徒歩。ゆっくり歩いて帰ってきた。2時半くらい。予約の時間は11時40分だったから病院に長くいたことになる。胃カメラを受けていた記憶はない。どんな先生がやっていたのかも覚えていない。そんなもん?内視鏡の部屋に初老の先生がいたけどその先生かな?私のベッドの横で看護師さんと話していたのを見た記憶はあるけど。昔は下手な先生に当たると中で傷がついたり、出血したりすると言われていたけど何事もなく無事に終わったようだ。怪しいところがあれば取って検査に出すらしいけどそれも私はなかったと言われた。気分は悪くないけどおなかに違和感が合ってあまり食欲がない。病院で買ってきたパンを一個食べただけだけどおなかが空かない。そろそろ晩御飯の用意をしようかな?ゆっくり平常運転しよう。今日は病院と午前中の用足しで5279歩歩いたからもうウオーキングは特にやらない。
2025.06.06
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近くの保育園の前を通りかかったら前で外へ行かないように仕切りを立てて子供たちが遊んでいる。前に飲食店だった場所を保育園にしているけど園庭はない。たらいを2.3個置いて水遊び?と思ったらたらいに入っているのはどろ。どろんこ遊びをしていたようだ。でも子供たちはあんまりうれしそうでなくて、早々に先生に足を洗ってもらっている子もいた。どろんこは最初はちょっと気持ち悪いのかもしれない。経験したことないから。最近は泥んこになって遊べる場所は少ない。雨上がりにある小学校の先生がどろんこ遊びを体験させようと思って長靴を履いてくるように父兄に連絡したという。子供はどろんこ遊びが好きだろうと思っていたら、一人全然遊ばない子がいた。長靴を汚したらママに怒られるからと言って遊ばない。小さいころどろんこ遊びをしたり泥団子を作ったりして遊ぶのは必要な経験だと思うけど今は違うのかもしれない。雨が降るたびにというのは無理でもたまには経験させてあげてほしいな。長靴を履いたらわざと水たまりに入ってパシャパシャやるとか楽しいだろうに。最近は小学校でも田んぼを借りて田植えを経験させたりするけど、都会の学校はできないのかな?教科書では学べないこともあるしね。稲がどうやってできるのかを実際の田んぼで経験できるというのも貴重な経験。私なんてあれは高校だったかな?解剖に使うカエルを捕まえてくる宿題があって雨の中で捕まえに行ったよ。今はカエルは先生が用意するのかもしれない。今はそこらへんにカエルはいないかも。小学校の生活科でザリガニを探すというのがあって捕まえたザリガニを水筒に入れて持って帰った子がいたそうだ。水筒を洗おうとしたお母さんがザリガニが飛び出したからびっくりしたなんていう話も聞いたことがある。子供はいろんな体験をして育つのが理想だけど都会では体験できないことも増えてきた。でもできるだけ多くの体験をする機会を親や保育園や学校でも作ってあげられるといいな。
2025.06.04
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私は独身の頃は正社員で厚生年金を支払ってきたけど、その後は結婚妊娠して退職。その後はパートをやったり、透析をしていて無職専業主婦だったりしてきた。それでも年金を受けられる年齢になれば基礎年金はもらえる。先日ある知人に言われた。その人は定年まで社員で働いてずっと厚生年金を支払ってきた人。専業主婦はお金を収めてないのにもらえるのはおかしいという。確かに自分で働いて厚生年金を支払ってきた人には不公平に思えるだろう。でもすべての女性が結婚しても出産しても働き続けて厚生年金を払えるわけではない。育児や介護、あるいは自分の持病や体調などのために働けない人はいるからそういう人が無年金になれば老後困ることになる。結婚していたら旦那さんが亡くなれば遺族年金はあるものの、それだけでは生活していけない人もいるだろうし。働いていない、年金を納めていない人にも年金を支給するというのは外国では考えられない制度とどこかで書いているのを見た。でもフランスではたくさん子供を産んで育てるためにずっと家にいる女性にも子育て手当的なものを支給するという。家庭で子育てしていきたい女性もいるから、経済的に困らないように手当を出すというのも少子化対策としてもいいと私は思う。働きたい女性、働けない女性、子供がたくさん欲しい女性。いろんな生き方を応援していくような国の制度がのぞましいけど、なかなか全員が納得するような制度を作るのは難しいのかもしれない。女性が自分の意思で生き方を選べるのが理想的だと思う。家庭に入りたい人、働き続けたい人、子供が欲しい人、子供は欲しくなくて共働きでやっていきたい人、いろんな考え方、生き方があるからそれを認め合うような社会になればいいと思う。
2025.06.03
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今日は消化器内科を受診。先週から倉敷でも外食の時でも食べ物がのどに詰まって入って行かない症状が出ているので、土曜日に耳鼻科を受診。耳鼻科の先生の勧めで紹介状をもらって消化器内科を受診しました。ここは以前私が透析をしていた総合病院。私が移植して行かなくなってから新しい病棟を新築して大きくなっている。通いなれた病院だけど新病棟にはなじみがなくてうろうろした。以前は内科はひとまとめになっていたけど今は循環器内科、呼吸器内科、消化器内科など別れている。夫は今日は糖尿病内科を受診するので来ているけど待合では並ばないで別々に座る。そして受診。若い非常勤の先生。何人かは知っている先生がいるけど今は知らない先生の方が多い。若い先生は話しながらパソコンを打ち込む。早い。今通っている整形外科の先生はパソコンを打ち込むのが苦手なようでマイクでしゃべって自動入力しているけど、今日の先生はパソコンには全く抵抗なく普通に打ち込めるんだろうね。そして胃カメラで検査することになり検査の説明。日にちを決める。なるべく早くやってもらいたいので6日の金曜日にお願いした。6日の金曜日胃カメラで結果は16日に聞きに行く。今は麻酔も使うのでそんなに痛くはないようだ。私は胃カメラいつぶりだろう?思い出せないくらい前なんだろう。CTやMRIは何度か経験しているけど胃カメラはないなあ。そしてまた待合で待つ。看護師から説明を受ける。血液検査をしてから処置室に行って胃カメラの説明を受けるとのこと。血液検査も以前と違う場所になっている。結構ベテランらしい看護師さんが血液検査の血を取ってくれるけど、まあ上手だった。試験管3本、失敗もなくすんなり終わった。こんなことは珍しい。大学病院の検査技師さんでもよく失敗されるのにベテラ看護看護師さんはさすがだ。おまけにいつもよく失敗されるのに今日はすんなりいってありがとうございましたというと看護師さんからも血管の相性が良くて?ありがとうございましたとお礼を言われた。そして胃カメラの説明を受けるために処置室に移動。ここはもともとは血液検査や点滴を受けるような部屋だったけど検査の説明もここでするようになったのか?検査当日の説明を受ける。私が飲んでいる薬のうちの一種類は当日は飲まないでほしい。朝食は抜きなのでその飲まない薬以外を飲んでくる。そして検査の説明。受付機で受付の後またここにきて検査前の点滴を受ける。それから胃カメラの部屋に移動。胃カメラって手術承諾書がいるくらい大変な検査なのかな?出血が止まらなかったり、呼吸がおかしくなったり。何万人に一人は亡くなる人もいるらしい。無事に終わりますように。当日は車や自転車で来ないようにとも言われた。麻酔がまだ効いている状態で運転は危ないから。私は徒歩だから問題なし。透析をしていたころは体力がなくて徒歩で来られる距離なのに休み休み通っていた。帰りには血圧が下がって冷や汗をかきながら帰っていたけど今はこのくらいの距離は全然余裕。帰りに借りた本を返しに寄り道をして帰った。7280歩。
2025.06.02
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人は生まれてくるときも死ぬときも一人とよく言われる。親は大抵自分より先に逝くし、自分の年齢が上がってきたら兄弟や友達が死ぬこともある。子供がいてもいなくても子供にずっと頼りっぱなしにはなれない。子供には子供の人生も追求したい夢もあるからそれを止めることはできない。最後には一人になっても生きていく覚悟がいる。今日子供のいない年下の友達と電話で話した後そう思った。彼女は最愛の旦那様に先立たれ、ここ数年の間にご両親も亡くなった。周りに誰もいなくなった孤独感は相当だろうと思う。それでもいつまでも旦那様を思って引きこもっているわけにはいかない。彼女が自分の足で立ち上がるその手助けを少しでもできるといいなと思う。大したことはできないけど、私も最近母を亡くした。その悲しみに少しは寄り添えるのではないかと思う。今彼女と一緒にいるのは旦那さんがいたころから飼っていた一羽のウサギだけ。今や家族と言えるのはそのウサギだけ。唯一の家族と彼女は言う。出来るだけ健康に気を付けて飼い主の責任としてウサギの最期をみとると言っている。旦那様亡きあとのいろんな問題はひとつづつ彼女が片づけて行かないと。相談や愚痴はいつでも聞くから、また話そう。(^^♪
2025.06.01
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