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2024.01.29
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こないだ芸とモラルについて考えたので、ついでに下ネタ等の表現の是非についても考えることにした。

●性欲と表現

人間は基本的に異性と交尾をしないと繁殖しないし、他の動物のような繁殖期がない代わりに快楽によって繁殖を促す仕組みになっていて快楽を求めていつでも発情するので、性欲は誰にでもある。しかし快楽にふけってばかりいると浮気や嫉妬から争いが起きたりして弊害があるので、たいていの宗教では性欲を節制することをモラルとして定めていて、他人に性欲を見せることは下品なこととされて、性欲は劣情とも呼ばれる。
しかし性欲を創作に転化して昇華すれば芸術作品になりうる。人間同士の愛情を主題にすればロマンスになるし、性的な行為を主題にすればポルノになるし、その中間は下ネタになる。現代では異性に対して愛情を持たず、性的な行為をしなくても人工授精で子供を持つこともできるけれど、それだとロマンスにもポルノにもならなくてフィクションとしては見どころが乏しくて読者の共感を得られないので、人工授精がフィクションの主題になることはあまりない。
タンゴやサルサやベリーダンスやダンスホールレゲエのような性的なアピールをするダンスがあるように、性的だからといって必ずしも芸術的な価値が落ちるわけでもない。変態的な性欲を描いたマルキ・ド・サドやザッヘル=マゾッホも人間の一面を掘り下げてサディズムやマゾヒズムの概念の起源となったという点では歴史的な価値がある。

●性欲がクリエイターの支援になる

誰でも性欲を持っているので、性欲を刺激したり解消したりできる作品にはいつでも需要がある。それゆえにポルノはスポンサーを集めにくい若手のクリエイターや貧乏なクリエイターの金策の手段にもなっていて、水清ければ魚棲まずというように、ポルノが規制されて道徳的できれいな創作だけになってしまうとクリエイターも困る。
例えば絵だと葛飾北斎が鉄棒ぬらぬらという隠号を使って春画を描いたり、漫画家やイラストレーターがコミケやfanboxでエロ同人誌を売ったりする。女優は役のために脱ぐことで仕事が広がるので、ハリウッド女優でも若くて無名な頃に濡れ場がある映画に出演してコネと実績を作ってのし上がっている。コスプレイヤーはOnlyfansでエロコンテンツを配信してコスプレ費用を捻出している。
需要があるところに商品を供給するのは経済活動としては当たり前の事なので、クリエイターが別名義でこっそりポルノを売っていたりしても批判されるようなことではないと私は思う。

●芸術とわいせつとの境界

基本的人権に表現の自由があるので、性的だからといって表現は規制されるべきではない。しかし社会の公序良俗を守る必要もあるので、どこまでなら良いのか悪いのかという線引きが問題になる。小説や漫画のような架空のキャラクターによるフィクションには被害者がいないので、架空のキャラクターがセクハラされようが殺されようが法律は適応されないけれど、実在する俳優が演じる場合は法律に沿った配慮が必要になる。
公然わいせつ罪でのわいせつな行為とは「徒らに性慾を興奮又は刺激せしめ且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反するもの」を指すけれど、どの程度なら性的羞恥心を害するのかよくわからないので、裸に対する扱いは難しい。外国のファッションショーだとしばしばモデルが半裸で歩いたりするけれど、これはモデルに対する性的な文脈がなくて服が焦点なので公然わいせつには当たらない。欧米だと人間が裸になる権利も認めているので、ヌーディストビーチという限られた場所でなら裸になっても違法でないようになっている。日本だと慣習的に混浴する文化があったので、温泉で大勢の異性の前で裸になってもそれで羞恥心を害するわけではないので公然わいせつはならない。ストリップ劇場はダンサーの行為や劇中の演出が観客の性欲を刺激するという理由でしばしば公然わいせつで摘発されているけれど、日本芸術労働協会が「ストリップは演者・観客両者の同意の上でなりたっています。公然わいせつ罪の改正を求めます」と抗議しているように、同意しているのなら羞恥心を害するとは言えないかもしれないし、性的なダンスも自己表現になりうるのでむやみに規制や摘発をするべきではないだろう。アフリカのンドンボロという音楽は腰振りダンスがわいせつで下品だということでコンゴ民主共和国では禁止になったようだけれど、私からしたら禁止するほどわいせつには見えない。被害者がいるセクハラはダメだけれど、自己表現としての下ネタには寛容であるほうが芸術は発展すると思う。

●下ネタの価値

下ネタは直接行為を示さずに婉曲に仄めかすやり方にユーモアがあって、芸術作品としての完成度は低くても文化的な価値はある。ポルノはエッチして終わりというワンパターンな展開になりがちだけれど、下ネタはユーモアの出し方に言葉遊びやしぐさとかの個性がでる。
芥川賞を受賞した森敦の小説『月山・鳥海山』には「隣のあねちゃのすりこぎ変えて泡が出るほど擦ってみてえ」(本が手元にないのでうろ覚え)みたいな猥歌が取り上げられていたけれど、こういうのはその時代にその土地で生きた人の素直な欲が出ていて人間味があってよい。お笑いコンビ天津の木村の「なんだか今日行けそうな気がするぅ~」というエロ詩吟は男の下心を詩として吟じる芸で、モテない人が行けそうだと勘違いしているところに面白さがある。Numanielという歌手のsakashitaという曲は坂下千里子にちんこでビンタしたいという欲望を歌ったくだらない歌だけれど、くだらない歌をわざわざ作詞作曲して一生懸命歌うところにおかしみがある。シーモネーターというラッパーは名前の通り下ネタを売りにしていたけれど、SEAMOと改名して下ネタから転向して紅白歌合戦に出演していて、下ネタでの下積みがエンターテイナーとしてのキャリアアップにつながっている。
Grausame Tochterというドイツのバンドはステージ上で全裸で放尿したりするBDSM的なパフォーマンスを売りにしている。ロックやパンクのように社会的規範に対する反抗のエネルギーも人が生きる原動力になるし、性の規制に対しても反発して芸術として表現することは正当化されうるだろう。






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最終更新日  2024.01.29 17:43:58
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