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2025.03.11
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最近はいくつか小説を読んで観察が足りていないとかなんやかやの文句を書いたのだけれど、賞を取るようなプロ小説家でさえ視覚情報を言語化する能力が乏しいのだから、一般人はなおさら言語化する能力が乏しい人が多いのじゃないかと思う。というわけで徒然なるままに言語化について考えることにした。

●言語化とは何か

言語化とは何かの概念を言語で説明することである。言葉の意味を共有できないと同じ言葉を使っても人によって理解が変わってしまうので、まずは言葉の意味を定義する必要がある。例えば目の前にいる猫という生物について言語化して他の人に「猫がいるよ」と伝えようと思ったら、まず猫とは何かという定義をして、虎やジャガーとかの他の動物と区別して、意味記憶として記憶する必要がある。最近は国連難民日本事務所が「ゴミ箱に捨てなければいけないもの」として「強制送還」を挙げて批判されて、誤解を招く表現があったとして「ルフールマン」に訂正したように、翻訳の間違いとかでニュアンスが変わると意図した意味が相手に伝わらなくなってしまう。
定義が定まったら、次は文章の論理構成が矛盾していないことが必要になる。「よいるが猫」だと各単語の形態素が同じでも意味が伝わらないので、「猫がいるよ」という文法に沿って言葉の意味と論理を理解できる人なら誰でも理解できる形にすることで、何かの概念を言語化して、他の人と共通の認識を持つことができるようになる。共通の認識を持つことで、議論をしたり、説を反証したりできるようになる。数学もプログラミングもモールス信号も意味と論理があるので言語になる。
ひろゆきの「それってあなたの感想ですよね」はミームになっているけれど、これは言語化するときにも重要で、何かの概念を説明するときに客観的な情報の中に他人と共有できない主観的な感情を混ぜてしまうとそれがノイズになって言葉を理解しにくくなってしまう。例えば猫について言語化しようとするときに、「猫はかわいくて人気がある動物である」と主観を混ぜた言葉にすると、猫をかわいいと思わない人とは共通認識を持てなくなる。「猫は愛玩動物として〇万匹飼われている」のような誰でも共通の認識を持てる客観的な情報と、「私は猫をかわいいと思う」という個人の主観的な感想は分ける必要がある。一つ一つの言葉を正しく定義することで、この世界についての理解が深まっていって、矛盾しない世界の認識ができあがる。

・言語化の重要性

いろいろな生物は他の個体と意思疎通できる個体が生存に有利になって、繁殖期であることをアピールしたり外敵の危機を仲間に知らせたり威嚇音で外敵を追い払ったりして子孫を残して生き残って、音の出し方が進化してきた。鳥類や哺乳類のように呼吸器や舌を使って声を出す動物もいるし、セミや蛙のように独特な体の仕組みを使って音を出す動物もいる。人間は声やボディーランゲージとかの身体を使った原始的な言語だけでなく、文字や記号とかの道具に依存する言語も意思疎通に使う。中世の戦争では声よりも大きな音が出る太鼓やラッパとかの楽器が進軍や撤退の記号として使われて、のろしとかの視覚的な記号も使われた。あらかじめ記号の意味を定義して共有できていればそれも言語化と言える。
「敵が来た」とかの短い情報だけなら動物でも言語化できるけれど、人間は思想体系を共有できるところが他の動物とは違う。人間は目に見えるものを認識して言及するだけでなくて過去形や未来形の文法を使ってその場にないものへの抽象的思考ができるようになって、仮説Aや仮説Bを立てたうえで仮説Aが正しかった場合の仮説Aaを立てたりして、いくつかのレイヤーで推論を重ねて演繹法や帰納法で様々な物事の普遍的な法則をみつけだして、この世界はどうやって出来たのか、自分はなぜ存在するのかという疑問に対して見たこともない神の存在をでっち上げて、神の子孫や使徒や預言者を名乗って統治に利用するようになった。
そのうえ文字を持ったことで言葉を蓄積できるようになって文明が発展した。人間のワーキングメモリには限界があるので一度に大量の情報を覚えていられないけれど、石や粘土板やパピルスや木簡や紙やHDDとかに記述して記憶のリソースを外部に移すことで大量の情報を蓄積できるようになって、自分が生きていない過去の時代の情報を共有できるようになって、学問の研究結果を蓄積して真理を見つけて発展させて、外国語を翻訳することで自分が直接行ったことがない外国の知識や技術も共有できるようになった。

●様々なものの言語化

・コミュニケーションの言語化

東北大学の川島隆太教授の​ 「脳とことばの不思議な関係」-ことばで脳はよみがえる- ​というYouTubeの動画だと、人間は他の動物よりも前頭前野が発達して、前頭前野がコミュニケーションや欲の抑制とかの集団生活に必要な機能を担っていて、認知症になると前頭前野が5歳以下のレベルになるので前頭前野を鍛えるのが重要で、外国語の文章を読んだり聞いたりすると前頭前野が活性化するので脳のトレーニングになって、バイリンガルだとアルツハイマーになりにくいと言っていた。
人間は動物の中で一番多くの言葉を使って意思疎通して協力しているとはいえ、言葉は後天的に学習するので、ちゃんと学習しないと言葉を上手く使えなくて失敗のもとにもなる。ディスコミュニケーション(意思伝達が行われない)やミスコミュニケーション(認識の相違)はしばしば起きて、例えば2024年1月2日の羽田空港でのJAL機と海保機の衝突事故は海保機の機長が管制官から「ナンバーワン」と伝えられて滑走路侵入の許可が出たと誤認したミスコミュニケーションが原因で起きた。カップルや夫婦が何も言わなくても相手が察することを要求して、期待と違っていたと文句を言うのはディスコミュニケーションと言える。コミュニケーションは難しいことを要求されているわけではなくて、相手が重要な情報を理解できるように丁寧に詳細を伝えて、復唱したりして確認をすればたいていの伝達ミスは防げる。
最近だと商品も言葉を発するようになって、スマホやIoT家電も音声で動作の開始や完了を伝えるようになるだけでなくて、AIを搭載してコミュニケーションが可能になりつつある。車のクラクションも一種類である必然性がなくて、音の高低で意味を使い分けることができれば交通事故を起こしにくくなるかもしれない。

・記憶の言語化

たいていの人が三歳未満の頃の記憶がないのは言葉を覚えていなくて体験を言語化できないからだろう。長期記憶は陳述記憶(エピソード記憶と意味記憶)と非陳述記憶(手続き記憶、プライミングなど)に分かれているけれど、言葉を知らないと何がどのように起きたのかを陳述しようがないので、体験したはずのことが長期記憶に残っていないのだろう。それで成長して言葉を覚えるにつれて長期記憶に記憶が残るようになって、認知症の高齢者は最近の記憶は思い出せなくても子供の頃の記憶は残っていたりする。人が体験した記憶は死とともに失われるけれど、自分が生きた時代に何の出来事が起きたのかを書き残したり口伝で伝えたりして、その記憶が継承されていくとやがて国や民族の歴史となる。ホメロスの叙事詩「イリアス」で語られたトロイア戦争を基にしてシュリーマンがトロイの遺跡を発掘したように、物体よりも言葉のほうが長く後世に残ることがある。
天文学は紀元前3000年のメソポタミアで星に名前を付けることで星の場所を覚えやすくしたことから始まって、何十年も夜空を観察して位置を記録することで学問として発展して、数十年に一度しか起きない惑星食の記録も引き継いで、古代ギリシア人は望遠鏡がない時代に惑星の軌道を正確に計算した。
数百年後に人類が滅亡するとしても、遺跡に人類史が残されて数億年後に現れるかもしれない知的生命体に人類の記憶が継承されたら、人類の様々な失敗も無駄ではなかったといえるかもしれない。

・感性の言語化

芸術を鑑賞するとたいていの人は何かしらの印象を受けるけれど、その印象を言語化する能力は自然に身に付くものではないので、「面白かった」「つまらなかった」「感動した」という印象批評になりがちで、それだと他人にはどこがどう良いのか伝わらない。感じたことや考えたことの細部を言語化することで、他人にも理解できる批評となる。
インターネットが出現してからは食べログや価格コムやグーグルマップとかのサイトが作られてあらゆる商品やサービスや企業が批評の対象になって、感性を言語化するのがうまいインフルエンサーが広告塔として使われている。

・学習の言語化

我々は日々様々な情報を見聞きしているけれど、その情報を全部覚えているわけではなくて、脳はエネルギーを節約するために重要でないと判断した情報は長期記憶に残さないようになっているので、短期記憶はしばらくすると忘れてしまう。学んだことを意図的に言語化してアウトプットすることで、自分の言葉で理解して知識として定着するようになるし、他人にも教えられるようになって、共通の知識を持つ人が増えて教育水準が上がって社会全体が豊かになっていく。逆に教育水準が低ければ文明の水準を維持できなくなるし、教育水準が低い移民を入れたり、言語が違う移民を入れて学校で対応できなくて教育が不十分になることでも文明の水準は下がる。識字率が低いと本から高度な知識を学習できないし、物理学や化学や工学の知識がないと技術職にはつけないので、単純作業をやるか物を盗んで売っぱらったりするくらいしかやることがなくなって、貧困から抜け出すために犯罪をするようになるけれど、生産者が殺されたり生産設備が破壊されたりすると生産力が落ちていって国全体が貧しくなっていく。例えば南アフリカはアパルトヘイト時代はアフリカで唯一発展した国だったのに黒人が政治をするようになったら強盗や殺人が多発して電線や水道管が盗まれて売り払われてインフラが破壊されて汚職が蔓延して荒廃したし、ドイツは識字率が低いアフガニスタン人の移民を受け入れても労働力として役立たせることができなくて移民の犯罪が多発したし、日本でも外国人が銅線や車や果物を盗んでいる。犯罪者を減らして生産者を育てないと国が豊かにならないので、教育が国の礎になる。

・意思の言語化

仕事や勉強を頑張ろうと思っても、目標がないと何をどうやればいいのかわからなくて頑張りようがないし、それでは成長につながらない。成長するには現状のコンフォートゾーンを抜け出して負荷をかける必要がある。例えば筋肉を成長させたかったらこたつでごろごろするのをやめて、筋トレして筋肉に負荷をかける必要があるけれど、どんなトレーニングを何回するのかという目標を決めないと長続きしない。意思を言語化して目標が明確になると、どうすれば目標を達成できるかというプロセスを考えられるようになって、あとは実行するだけになる。
会社に不満があるのに転職しない人や、配偶者に不満があるのに別れようとしない人とかは、さらに状況が悪くなって生活できなくなるかもしれないという不安が勝って、成長してもっといい環境に行こうという意思がないのだろう。目標がないまま不満だけ言っても何かが変わるわけではない。

・営業の言語化

顧客が抱えている欲望や不満を言語化して、顧客に自覚させて潜在的需要を掘り起こしていくのが良い営業マンである。顧客が欲望や不満に無自覚な状態でいきなり商品やサービスを提示されても欲しくならないけれど、言語化されたときにはじめて欲が顕在化して、それいいじゃんと欲しくなる。なので営業マンは自分が話したいことを一方的に話して商品やサービスを買わせようと押し付けるのでなくて、相手の話をちゃんと聞いて分析してそれを言語化する能力が必要で、外向的な陽キャだからといって営業に向いているというわけではない。
IBMがNHKの営業基幹システムの開発を中止してNHKから訴えられたように、技術者と客に知識の差があるときも営業が顧客が何を求めているのかを的確に言語化しないと齟齬が生じやすくて、その後の工程や納期にも影響する。美容院で客が「短くして」と注文しても「短い」の定義が人によってばらばらで、思ったよりも短すぎたとクレームをつけられかねないので、美容師は素人の客の注文を丁寧に聞き出して客が求める仕上がり具合を言語化する必要がある。
商品の展示の仕方も言語化が必要で、洋服屋でマネキンにただ冬用の新作コートを着せて展示するのと、「今年は寒さが厳しくなりそうです。冬将軍と戦う準備はできていますか?」とかのPOPをつけて言語化するのでは、たぶん後者のほうが「そういや今のコートだと去年の冬はちょっと寒かったからもっと暖かそうなのに買い替えようかな」と潜在的な欲を自覚させることができるだろう。映画に「全米が泣いた」とかのコピーをつけるのも泣いてストレスを発散したい観客の欲をわかりやすく言語化しているといえる。ファミリーマートは賞味期限間近のおにぎりに「たすけてください」と涙目のおにぎりが訴える値引きシールを貼って、たすけてほしいことを言語化して客に訴えることでフードロス削減に取り組んでいる。

・治療の言語化

医者の診察も営業マンと似ていて、良い医者は患者がうまく言語化できない細かい不調を詳しく聞くことによって原因となる病気を絞っていく。いろいろな機械を使って精密検査をすればデータとして情報が出てくるけれど、採血やレントゲンや胃カメラとかの検査は患者の身体的な負担になるし検査費用もかかるので、余計な検査をせずに問診で原因を絞り込めるに越したことはない。オンライン診療だと直接患部を触ったりできないだけになおさら的確に言語化する能力が必要になるし、インフォームド・コンセントの際にも医療用語を知らない患者にもわかりやすい言葉に置き換えて説明する必要がある。問診ができないと医者として役に立たないということで、2018年が東大医学部の入試で面接を復活させて、2020年には九州大学で面接を導入して、現在は日本のすべての大学の医学部の入試でも面接が必須になっていて、暗記力が高くてペーパーテストだけが得意なタイプは医者になれないようになっている。
精神医療では統合失調症の治療にフィンランド発祥のオープン・ダイアローグという手法が取り入れられつつあって、従来のカウンセリングのように権威がある医師が患者と一対一でカウンセリングして治療を指示するのでなくて、患者の家族や友人のチームと医師や看護師のチームが開かれた会話をして患者だけでなく患者の周囲の人の話も聞くことで投薬治療を減らせたそうな。薬物治療が全く必要なくなるというわけではないけれど、ちゃんと話す、ちゃんと聞くということが人間の認識の改善に有効だと言える。たぶん言語化することで患者と周囲の人の認識のずれが明らかになっていって、周囲の人が間違っていたり嘘をついたり嫌がらせをしたりしているのでなくて自分の認識が間違っているのだと受け入れて被害妄想の思い込みが緩和していくのだろう。

・指導の言語化

サッカー選手はどの角度でどのくらいの力を入れてボールを蹴ればボールがどこに飛んで行くかを経験と感覚で理解していて狙ったところにボールを蹴ることができるけれど、その角度や力の強さを物理学の数式で示せと言われても言語化できないだろう。人間は自分が理解していることだからといって言語化できるわけではなくて、良いプレイヤーでも自分の技術を言語化する能力がないと他人に教えることができないので、良いプレイヤーが現役引退後に必ずしも良いコーチになれるわけではない。それゆえに指導者には技術や理論や戦術を言語化して間違いを指摘したり指示を出したりする能力が必要になる。職人がしばしば言う「見て覚えろ」は言語化が不十分で指導の効率が悪い。

・反省の言語化

学校だと何かをやらかした生徒に反省文を書かせることがあるし、会社だと何かをやらかした従業員に始末書を書かせることがある。これはなぜ失敗したのか、どこが悪かったのかを言語化することで問題を自覚させたり、監督者と注意点を共有して再発を防ぐ狙いがある。
ビジネスだとKPTやPDCAとかの振り返りのフレームワークがいろいろあって、反省点を言語化して洗い出すことでやり方を改善して次の行動につなげていて、個人の経験を暗黙知のままにせずに言語化することでチームで作業できるようにしている。

・規則の言語化

原始的な社会は権力者の気分次第で逆らう人を処刑してきたけれど、そのやり方だと謀反の連鎖が起きて統治が安定しなかったので、秦の始皇帝は権力者でさえ違反すれば平等に罰せられる法律を作って統治しようとした。社会が発展するにつれて法律も複雑になって、何をしたらどのくらいの刑罰になるのかという規則が細かく言語化されて共有されてきた。合法なら何をしてもよいというわけではなくて、様々な物事には法律の範囲内でさらに細かく規則がある。例えばスポーツやゲームを成立させるためにはやってはいけないことのルールを明確にしておかないといけなくて、憲法で表現の自由が保障されているからといって不要に歌ったり踊ったりしてプレーを妨害してはいけない。あるいはレストランのルールは店によって違って、予約の必要性、ドレスコードの有無、会計方法が券売機で事前に会計するか食後に会計するか、クレジットカードやポイントカードが使えるかとか、細かい違いがいろいろある。認知心理学だと手続き的な記憶をスクリプトと呼ぶけれど、この手続きの知識がないとレストランで食事をするという一見して簡単に見える行動でさえスムーズに行かなくなるので、店側は規則を言語化して周知する必要がある。
最近はいろいろな店のレジがセルフ化しつつあって、老人が会計の時に操作がわからなくて店員を呼んでいるのをたまに見かける。これは会計機のナビゲーションの言語化が不十分なせいで客が何をすればよいのかわからなくて、店員に聞き直さないといけない状況と言える。マイナンバーカードと健康保険証の紐づけでも高齢者は病院の窓口にある機械の使い方がわからないようで不評である。これからは人手不足やAIの発展でいろいろなものが機械化・自動化していくだろうけれど、そのときに規則がわからないと効率がよくなるどころかかえって不便で非効率になりかねない。

・弁護の言語化

誰でも言いがかりをつけられたり濡れ衣を着せられたりすることはありうるし、その時には自分のアリバイを説明して、論理的に矛盾せずに客観的な証拠を伴う弁護をする必要がある。あるいは自分のミスを弁解したり、他人のミスをかばったりすることもありうるけれど、その時にもこういう状況でミスは仕方なかったのだと弁解できれば罰則や損害賠償が軽くなるかもしれない。
自分の責任と自分の責任でないものを言語化して分けるのもレジリエンスでは大事で、自分の責任でないものまで自分のせいだと抱え込んでしまうと無駄にストレスを抱えることになる。たいていの仕事だと裁量権があるところが自分の責任の範囲で、裁量権がないところは上司や会社の責任なので、それは自分の責任ではないよと弁護できるようになると理不尽に責められたりしたときに対応しやすくなる。アメリカとかのジョブ型雇用だとジョブディスクリプションで責任が明文化されているけれど、日本企業だと契約書に権限が明記されていなくて責任が曖昧なので、自己防衛のために上司の言質を取ったりして自分の責任を確認する必要がある。

・環境の言語化

踏切の警報やメロディーがなる歩行者用の信号も環境の言語化と言えるし、今は単調な音しかだしていないけれど、信号が変わるまでの待ち時間をカウントするとかしたら待ち時間のストレスを減らしたり、無理な横断を防いだりできるかもしれない。
パソコンの初心者が「何もしていないのに壊れた」と言うのも環境を言語化できないので原因が特定できない状態といえる。パーツ構成、OS、インストール済みのソフトとかの使用環境を言語化することで、タブを開きすぎてメモリ不足でフリーズしたとかネット回線が貧弱でウェブサイトの読み込みが中断したとかの原因を特定できるようになる。

●言葉を巡る問題

インターネットが出現する以前は個人が意見を言ったり議論したりする場所があまりなくて、せいぜい飲み会で愚痴をいう程度だろう。インターネットが出現してSNSのサービスが充実すると誰でも意見を言えるようになったけれど、今度は罵詈雑言や誹謗中傷があふれたり論破されるとブロックして逃げたりしてまともな議論になりにくい。秋葉原の無差別殺傷事件は匿名の掲示板で煽られたことが原因で起きたけれど、もし匿名でのコミュニケーションでもお互いを尊重していたら事件は起きなかったかもしれない。それゆえに他人との距離感や言葉遣いや建設的な議論の仕方が重要になってくる。
相手の意見を尊重しつつ相手を傷つけないように自分の意見を言うことをアサーションという。意見の表明の仕方にはアグレッシブ、ノン・アサーティブ、アサーティブの3タイプがあって、トランプがゼレンスキーとの対談で感謝してないとかの辛辣な意見を言ったように、アグレッシブタイプは相手を傷つけたり対立を招いたりしてしまうし、正論だとしても印象が悪くてロジカルハラスメントと呼ばれたりする。あるいは何も主張しないノン・アサーティブタイプもいて、日本人は沈黙は金ということで授業でも会議でも選挙でも無言で意見や態度を表明せずに他人任せにする人が多いのじゃなかろうか。アサーティブタイプはアグレッシブとノン・アサーティブの中間で、相手を害さないように自分の意見をちゃんという態度である。アグレッシブな論調に対しては発言の内容でなくて口調を非難するトーン・ポリシングによって議論がそれてしまいかねないので、相手がいる議論ではなるべくアサーティブであるほうがよい。
SNSで何も意見を言わなければ変な人に絡まれることもないけれど、批評をしたりして自分で物事を考えないと思考能力や言語能力は徐々に衰えてしまうので、何か言いたいことがあるなら言うほうがよいだろう。間違った意見だとしても表現の自由や思想の自由は憲法で保障されているし、間違ったことを言って批判されるとしてもそれは生涯残るような恥ではなくて間違いを認めて意見を修正すれば済む程度の話だし、自分がもっと賢くなれる機会になるので、意見が間違っていることを恐れる必要はない。批判は相手の人格を否定することが目的でなくて学術的な真理の探究や幸福の追求を目的にしているし、議論を重ねるからこそわかるようになる物事もあるので、批判することも批判されることも恐れる必要はない。全知全能の人はいなくて高学歴な専門家だって専門外の分野の事は間違うものだし、だからこそ自分の意見を言うだけでなくて自分とは異なる他人の意見や批判も聞く必要がある。

●我々は言葉と共に生きている

Gigazineの「​ 知能は老化ではなく「頭を使わないこと」で衰えるとの研究結果、よく頭を使う人は年を取っても能力が成長し続けることが判明 ​」という記事によると、仕事などでスキルをよく使う人は読み書き能力と数的思考力が60代まで成長し続けて、スキルの使用頻度が低い人は30代半ばから能力が衰え始めたそうな。定年退職した人が急に老け込むことはよく言われているけれど、なるべく頭を使うほうがよいという科学的な裏付けが出たといえる。頭を使うことを言い換えると言葉を使って考えるということである。
じゃあ何を考えればよいのかというと、たいていの人は働かないと生きていけないので、未成年のうちは勉強のことを考えて、就職したら年金をもらえるようになるまで仕事のことを考える。高齢者が定年退職して時間がたくさんあるのに頭を使わないのはもったいないので、趣味や哲学や芸術とかについて考えるのが建設的だろう。
インターネットで世界中がつながっている現代社会において孤独であるということは、単に物理的に一人でいるということではなくて、自分の言葉が誰にも理解されなかったり他人の言葉を理解できなかったりしてコミュニケーションができないことではないかと思う。高齢化が進んでいてもインターネットさえあれば過疎地とかの高齢者の孤立も防げるだろうし、例えばライブ配信中の高齢者が脳梗塞の兆候を見せて視聴者が救急車を呼んで助かったという事例もあるし、ネットで医師とビデオ通話して毎日体調を確認している。
他の人を励ましたりしている人には人が集まってくるし、悪口や暴言を言っている人は周囲から人が離れていって孤独になる。介護施設でも穏やかな老人は周囲に感謝を伝えて丁重に扱われるのに対して、暴言ばかり言う老人は疎まれて孤独な最後を迎えることになる。フランスだとユマニチュード(人間らしさ)というやり方で認知症の介護をして、同じ目線で、話しかけて、触って、立つ時間を作るという4つを軸にして人間らしさの回復を目指すそうで、日本でこのやり方を試して認知機能が回復した動画を見たのだけれど、言葉が人間の存在に不可欠な要素の一つといえる。もともと言葉は群れの中でコミュニケーションをとるために発展してきたのだから、自分が孤立しないように言葉を上手く使うにこしたことはないし、引きこもりや認知症や精神障害とかで孤立した人を救うためにも言葉が必要といえるだろう。
人間は言葉によって文化や文明を築いてきたからこそ言葉を蔑ろにしてはいけないし、文学部を実学でないからといって軽視するような資本主義の考え方はよくない。せっかく言葉を使う動物として自我を持ったのだから、罵詈雑言を言わずに美しい言葉や楽しい言葉を使うほうがよい。というわけで、人類はもっと小説を読むほうがよいという結論に至る。





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最終更新日  2025.03.16 20:33:44
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