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毎日通勤などで使っている我がオンボロの愛車も今日で車検切れ。走行距離数も15万Kを超えて他人からは、もう乗り過ぎだ、よくそんなに車の寿命が持ったものだとか言われ、それを売った自動車屋【同級生】にもいわれ買い換える事にした。 次のクルマも決まって今日でこのクルマとも最後。他に大事にしてる車があるとは言え、こいつには大事に扱った事もなく傷が付いても山の藪の中でも大雪の中も突っ込んで行ったし、家族といろんなところに行った。 いつも楽しい事や悲しい思いと一緒だった。 今までもそうだけど、乗ってたクルマと別れる時はさびしい。自分と一緒に生きてきたものを捨てると言うことだから自分の後ろ姿を見るようで、一寸センチになる。
2004/05/31
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もう何十年も悩まされてる花粉症、自分の場合いつもゴールデンウィークあたりから6月いっぱい位「猛威」をふるっている。それが今年は全然出ない。 自分流に分析してみたら、アレルギーのでる時期に風邪にかかるとそのシーズンは花粉症が出ないという事。以前から薄々気づいていたけど、やはりそうだった。雑草の花粉に反応する自分のヤツは草刈りなんかするとその後もうたまらなく鼻が痛くなるほどひどくなる。でもこの間の日曜に草刈りをしても全然なんともなかった。 雨降りで花粉が飛ばないって事もあるがやはりゴールデンウィークに風邪をひいたからそれから花粉症の出る幕は無くなっていたのだ。裏を返せば花粉症のときは、どんなに不摂生しても風邪をひかなかった。これいいかげんのようで、自分には当てはまっている。
2004/05/20
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風邪で悲惨な連休も明けると体調も戻ってきた。三日ですぐ日曜になった。身体が調子良くなると心も調子付いてしまうのか、日曜の朝早く起きて6時頃出発した。 以前から行きたいと思っていた、村の最高峰である砂鉢山の登山に。インターネットで見たらこちらからは現在登山道は無くなってるという事だがどうしても登りたくなって決行することにした。 車で、昔山の上にトンネルを創ったMトンネルそばに近年造られたA随道わきまで行ったら登山道口らしい感じだったのでそこから登りはじめる。近くには鬼女紅葉の岩屋や、岩山の頂上に8帖ほどの広さの大岩が乗っかっていて昔はよく動いたという‘舟岩’がある。 スタートは「7時じゃすと」登り始めて直ぐに足がキツイと感じ背負ったリュックも重く感じた。こんな事でこの先行けるのかと思った。がである、歩くにつれて足がだんだん軽くなり、背中の荷もなんか来ている上着の様に重さを感じなくなってきた。風邪の病み上がりなのに体調が軽くなって、これなら一日中歩いてもいいぞなんて感じになって自分でもビックリである。 40分で霧見山々頂に着き、そこで一休みしてまた山の尾根を縦走する。尾根と言っても里山に近いから木々に囲まれた岩場なので歩きやすい。あいにくの曇り空で遠くは霧で見えないが、そのうちに木立の間からはるか先に目ざす円錐形の砂鉢山が見えてきた。この時の感動はもう何十年も忘れていた気持。思い焦がれていた初恋の人にめぐり逢えたときの気持と同じである、ほんとう。クマよけに昨日買った爆竹をバラして一発ずつ時々鳴らしながら登り道にもピッチが上がる。雨になると言う予報は知っていながら衝動的ともいえる登山。やはり気が向いてしまったら止められないとこがあるんだな。 霧見山から先 登山道無し、と案内標識に書いてあったが進んでいくと何とかルートはあるものだ。クサリや岩場も多いがこのくらいのルートなら山育ちの小学校5、6年生なら登れると思う。ついに砂鉢山頂に到達。あいにく木立が伸びて眺望は悪い。昔小6の遠足で違うルートで一回ここには来てるのだけど、今はそのやさしいルートは消えている。そのかわり鬼無里村方面からの登山ルートが開いていた。 山頂で一人で水割りを飲んだがまだ早い時間のせいかあまりうまくなかった。ワインでも持ってくれば良かったな。 ついに雨があたってきた。下山する事にする。同じ路を引き返したく無いのでわが村に降りる方向に進む。もうこちらはルートが無いので大体方向的に見当をつけて下る。あらためて登山道の無い山の厳しさを感じた。 沢をさがして沢伝いに藪のなかを下っていくと急に崖の上にでたり湿地の中や川に足をとられたりする。大分下ったのでもう引き返す事はできない、途中で大水の痕のすごい風景に出くわした。 下っていった沢は予想が的中して尾倉沢だったのでようやく見慣れた景色の里に降りた。そこからさらに家まで歩いた。こんなに歩いたのはひさしぶりだ、でもまだまだ歩けるぞ、まだ午前中だ。 家に着いてから村の友だちに電話したら軽トラでやって来た。それからなんと自分の車を取りに山まで乗っけて行ってもらった。
2004/05/09
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連休中というか休みに入って風邪になったので悲惨だった。四日の御柱祭りには、安協の役員なので、ほかの二名の役員達と里曳きのあいだ県道を通行止めにして御柱の曳行の警備をした。 前から雨降りという予想で覚悟はしてたものの、いやな天気だ。女柱の音頭取りは奇遇にも十数年前に一時期合同で組んだ‘劇団これから82’の二枚目の中村君だった。彼は女柱奉納者の娘婿だったのだ。 大勢で曳いた御柱が神社に入った。交通整理の役目も済んだので自分らの神楽の処へ行った。激しい雨で神楽にシートをかけた下で囃子を鳴らした。 建て御柱もすみ神社役員や各種団体長が本殿に上がり玉串奉天になった。 自分は大分具合が悪かったので会計の昭彦君に代理で行ってくれと頼んだものの、やはりそれは情け無いと思い直し神事をつとめた。しかしその後の直会(なおらい)には出ないで家に帰った。 帰ると姪たちがお客で来ていたので嬉しくなって弟(妹の旦那)としっかり一杯呑んでしまった。どんなに風邪でも相手がいると張り切って呑んでしまう、これだから酒呑みは。
2004/05/06
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