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さて、今日からの日記は8月14日編になります。再び昨日車を借りたオリックスレンタカー大津駅前店を訪問、お店の好意で再びミニカトッポが相方を務めてくれる。この日は国道1号線を鈴鹿峠方面へ向かう。昨日7ヶ所だった滋賀県の道の駅も何ヶ所か訪問したい。(ただしこの日は京セラドーム大阪での阪神=中日の観戦を入れているため、夕方には大阪へ移動しなければならないので、少し時間短縮バージョンです。)まずは国道1号線、8号線を通って、道の駅「アグリの郷栗東」に向かう。時刻は9時、スタートして30分、丁度開店直後である。 道の駅「アグリの郷栗東」アグリの郷というだけに地元の野菜、近江米、イチジクなどの果物の直売で朝一発目からにぎわっている。また味噌、豆腐、もちの工房があり、予約制でうどん、蕎麦を打って食べることもできる。しかしおいらが見つけたこの駅の楽しみ・・・。それは??? 700系のぞみ新型ののぞみは通過しなかったようだが、このあたりの高架橋は市街地に比べるとグッと低いので、写真を撮るのにいいかもしれない。ただ上り線ののぞみ号は京都を経ったら大抵の車両は米原に停まらず名古屋まで行ってしまうようなので、結構スピードも出ている。ついでにもう一丁!!(またも700系だった・・。) ↑まるで子供である本当は500系の流線型を撮りたかったのだが・・・。思い切り子供モードになったあとは、再び国道1号線に合流・・。次の道の駅までは少々時間を要す。続く・・。
August 30, 2007
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やれやれ、道の駅以外にもいろいろと周ろうと欲を出したため、米原市に差し掛かったときには17時になっていた。この日最後の道の駅「近江母の郷」に立ち寄る。 道の駅「近江母の郷」物産交流館「さざなみ」近江母の郷文化センターに隣接する、結構広い道の駅である。 NHKの大河ドラマ「功名が辻」の主人公山内一豊の妻千代(一豊を支えた内助の功の代名詞として有名)の出生の地であり、またこの地はかつて日本一の真綿の産地だったことで「繭むき」に携わる女性が多かったそうです。歴史的にも産業的にも女性たちの手で支えられた町にちなんで、このような名前が付けられたそうである。スタンプです。 夕方の国道8号線の渋滞を考え、ほとんどスタンプを押したのがメインになってしまった。しかし、思った以上の渋滞で、ここから先はどこにも立ち寄ることはできなかった。大津市内に入ったときには19時半、給油をしてレンタカーを返却したときには閉店10分前だった。次の日は(レンタカーでドライブするか)まだ決めていなかったのだが、この日訪問した道の駅は福井1、滋賀7・・・。ちょっと不完全燃焼だ!!ビジネスホテルで独り作戦会議にて決断「明日あらためてレンタカーで周ろう。」かくして翌日は国道1号線方面をドライブすることにした。ようやく8月13日のレポートが終了・・。日曜日の休みを挟んで12日かかってしまった。(早くしろ!!)
August 29, 2007
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お城の日記を書くのも久しぶりである。カテゴリに入っているのに、これまで広島城、備中松山城しか登場していない。できれば長浜城、彦根城を・・と思いながら夕方の琵琶湖を周回。(結局彦根城はタイムオーバーで見学できず)というわけで、今日は長浜城を紹介したいと思う。 長浜城「秀吉の出世城」という代名詞でお馴染みの長浜城は1575年に築城。1573年 織田信長に従って朝倉・浅井連合軍を姉川合戦と小谷攻めで撃破した手柄で、羽柴秀吉は浅井長政の旧領であった伊香、東浅井、坂田の近江3郡を手中に収め、小谷城(湖北町小谷山のふもと)に入城する。しかし小谷城は山中にあり、領国支配に不適当と見るや秀吉は、北陸街道に近く、琵琶湖の水運と水陸両用の拠点となり得て、鉄砲生産地の国友村(現在虎姫町との境の近くに国友という地名が残る)を管理できるメリットを考え、この地に新城建設となった。築城後(当時は今浜城といわれた)、秀吉は信長の一字をもらい「長浜城」と命名、信長の草履取りから成り上がっていった男がついに一国一城の主となった。その8年後、本能寺の変で信長が死し、清洲会議で北近江は柴田勝家の甥勝豊に与えられるが、勝家・勝豊が不和になったと知るや秀吉は城を奪還した。そして賤ヶ岳の合戦(1583)後に山内一豊が入場、その移封後は石田三成の支配下に置かれ、関が原の合戦以降は内藤信成(家康の異母兄弟)が城主となる。しかし、1615年の一国一城令にて廃城となり、主役の座を彦根城に譲る。そして昭和の時代「秀吉の長浜城を再興しよう」という長浜市民の熱望によって、昭和58年に初期天守閣の様式に再興された。城内は歴史博物館となっているのだが、展示物の撮影は禁止です。まぁややこしい話しはこのくらいにして、天守閣からの琵琶湖を秀吉になった気分でご覧ください。(逆光線ですが・・・。) このほか、先ほど登場した彦根城、小谷城址、国友町、石田三成出生地、賤ヶ岳、関が原古戦場など戦国パノラマが堪能できます。さぁ、寄り道が過ぎて時間がなくなってきたぞ。夕方の8号線は渋滞すると訊いている。そろそろ大津へ戻ることに・・・。もうひとつ、長浜城の写真だよ~ん(これも逆光じゃないか!?)
August 28, 2007
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26日早朝から長いメンテナンスをしたばかりの楽天ブログ。いつものように日記を書いて、ブログ仲間の皆さんの日記を読みに行って、コメントを書いたり再読したりしていたときに突然アクシデントが・・・。なんと自分のブログに戻ろうとしたら「システム障害」と出て戻れなくなった。人のページには行けるのに、自分ところに戻れない・・。「一体何でじゃ!?」再起動してやってみると、今度は「アクセス集中でつながりにくい云々・・。」↑おいコラ!!このブログにそんなにアクセスが集中するわけないだろ!!結局30分もの間、人さまのブログを難破船のようにさ迷っていたわけだ。おい、楽天ブログ!!こないだメンテナンスしたというのにこのザマはどういうことだ!!ちゃんと説明せんか!ボケ!!「ふざけんじゃねぇぞ、コノヤロ!!」
August 27, 2007
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さて、奥琵琶湖を過ぎてミニカトッポは国道8号線に合流、そしてレイクサイドの県道湖北長浜線(県道331号線)を走る。時刻は16時前、この日7番目の道の駅「湖北みずどりステーション」が見えてきた。 道の駅「湖北みずどりステーション」何故かこんなものも・・。 水鳥公園の中にあり、ここからの琵琶湖は「夕陽百選」に選ばれている。カンムリカイツブリ、オオバン、カワウ、オオヒシクイ、コハクチョウ、オオワシ、オオヒシクイ・マガン、コハクチョウなどの水鳥たちがそれぞれのシーズンに飛来してくるそうだ。 さすがにこの時期のこの時間帯には水鳥の姿はなく、入り口に展示されている剥製を見物する。ここでは鮒寿司、小鮎の天ぷら、うなぎのじゅんじゅん定食など、琵琶湖産の幸を味わうことができる。しかし、水鳥の姿はなく、夕陽には時間が早すぎ、さすがに16時ごろに夕食はありえない。ちょっといい道の駅だったのだが・・・。「すべてはタイミングが悪かった!!」スタンプです。気を取り直し、ちょっと寄り道・・。続く。
August 27, 2007
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奥琵琶湖をドライブする前に、立ち寄りたいところがあった。かつて琵琶湖で活躍した「丸子船」を見ることができる博物館「北淡海・丸子船の館」を紹介したいと思う。ところで丸子船ってご存知だろうか?丸子船の歴史はかなり古く、万葉の時代までさかのぼる。京の都と北陸を結ぶ重要な物流の要として活躍、最盛期の江戸時代には1400隻が琵琶湖を往来していたという。ここに展示されている丸子船は全長17mあり、米俵250俵(約15t)も積載できた。戦後に入ると陸路が整備され、丸子船も次第に減少していき、現在は2隻が現存するのみ(1隻はここに)となった。 パンフで失礼・・。丸子船の名の由来は、船の側面に二つ割にした丸太を取り付けたことからきている。当時の輸送船は船体が逆三角形に造られていたが、丸子船は楕円状に造られている。多くの米俵を安全に輸送するための昔の船大工さんの知恵と工夫がにじみ出ている。浅くて広い琵琶湖、安全な航路と思われがちだが、実は海ならぬ湖の難所だったのだ。ちょっとこれを見てください。 フリーハンドの地図でわかりにくいと思いますが、ご了承あれ・・。四方からおろし風が吹き降ろす琵琶湖の風は強烈でなおかつ読みにくいため、昔は多くの船頭さんが命を落としたという。「船頭の命は米1升」ただ飯を嫌い、無理に船を出して落命する戒めとしてこんな言葉も・・。また当時の船は当然エンジンなどはなかった(当たり前田のクラッカー!)ため、大浦から大津まで丸2日を要したこともしばしばあったそうである。入館するのに200円必要ですが、古の貴重な資料を後の世代に伝えるためにも訪問してほしいと思います。ホームページもあります。北淡海・丸子船の館
August 25, 2007
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道の駅「マキノ追坂峠」を後にして、おいらはあるところに立ち寄り(これについては後述)大浦から湖沿いに奥琵琶湖パークウェィを走る。距離を考えたらロスなのだが、せっかくの奥琵琶湖も何枚かは写真に収めたい。というわけで3枚ほどUPします。 大浦より 竹生島 つづらお展望台より高月町方面を・・。仕事疲れのため本日の日記は少々手抜き、すみません。奥琵琶湖の風情を語るのに野暮な解説は必要ないか・・・。
August 24, 2007
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初めての福井県、もっとゆっくり見て周りたかったのだが、レンタカーを20時に返却しないといけないので、再び滋賀県に戻る。国道303号線で琵琶湖沿いまで進み、マキノ方面へ・・。現在は高島市に編入合併したが、マキノ町と片仮名で表示している珍しい町である。そのマキノ町にある道の駅が「マキノ追坂峠」(マキノおっさかとうげ) 峠の小高いところにある道の駅は、琵琶湖の眺めは抜群なのだ・・。追坂峠は古くからの交通の要所で、敦賀へ、京都へ、米原へと行くのにここを通るため、歴史にもしばしば登場する。かつては「越坂峠」「逢坂峠」と記されていたが、昭和の時代から現在の「追坂峠」となったようである。 道路は国道161号線、303号線共走区間少し拡大すると・・。 東山の背中に位置する(上の写真の左の山)ため、広い琵琶湖も控えめな眺めだが、だだっ広く見えるパノラマよりも味がある感じに見える。スタンプです。 大津を出発してまもなく6時間経とうとしている。さぁ、ここからどのようにコースを取るか・・・。明日は奥琵琶湖の写真をUPしたいと思います。
August 23, 2007
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鯖街道その昔、若狭は朝廷に食料を献上する御食国(みけつくに)の役割を担ってきた。日本海で獲れる豊富な魚介類が熊川~朽木~大原を通って京都へ運ばれた。「京は遠ても十八里」とはよく言ったものである。一方若狭の領主だった浅野長政が、熊川を交通と軍事の拠点と位置づけ、諸役免除して宿場町とした。18世紀後半からは若狭のサバが京都へ輸送されるようになり「鯖街道」と呼ばれるようになった。大陸との貿易の玄関口だった日本海沿いの町から、鯖、魚介類のほか大陸の文化を京の都に送り、都からの交通の要所として鯖街道は重要な役割を担った。鯖街道は現在の国道303号線、あるいは367号線へと姿を変え、現在に至る。魚介類の輸送はそのままに、今も古き良き時代の面影を運んでくれるようだ。さて、解説はこのくらいにして熊川宿を歩いてみましょう。 熊川番所道の駅からすぐのところにある。人の出入りの統制と物資への課税が行われていた。「用心するは、入り鉄砲に出女」という言葉になんとなく納得したおいらである。 中条橋と旧逸見勘兵衛家伊藤忠商事2代目社長伊藤竹之助翁の生家、本二階の美しい日本家屋である。中条橋は古くから往来を支えてきた。(8年前に架け替え) ここにもあるうだつ葛の店(一番手前)の2階に注目、徳島脇町のより圧は小さいが、おしゃれなうだつである。奥の家屋に注目、少し2階が低いが、これは「厨子二階」(つしにかい)と呼ばれ、本二階の家屋より古くて歴史があるのだ。 前川(用水路)決してドブではありません。家屋の前を勢いよく流れている有様は、まさに水路である。他の宿場町ではあまり見られない、熊川宿の特徴かもしれない。 熊川宿 車留所こんなところに瓦が・・・。昨年の徳島脇町の町並みを見て、すっかり日本家屋の町並みを見ることにハマってしまったおいら・・。本当、所変われば・・・。というとおり、その土地独特の様式や個性があることがわかり、益々ハマってしまいそうである。ここ「若狭・熊川宿」の道の駅に立ち寄られるときは、是非古の宿場町を堪能してほしい。昨日忘れてました「若狭・熊川宿」のスタンプです。 続く・・(ペースが遅い!)
August 22, 2007
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さて、今回の相棒トッポとそのまま鯖街道を若狭方面に進む。くつきから20分くらい走っただろうか、前方に「福井県」の文字が・・。初めての福井県入り・・といっても県境から約2kmの熊川宿までという、ちょこっと福井県入りなのだが、旅行プランを練っていたときから、ここ熊川宿の道の駅には絶対に立ち寄りたいと思っていたので、予定通りの行動なのだ。そして見えてきた・・。道の駅「若狭・熊川宿」前の国道303号線↑ 滋賀県境 ↓ 若狭方面※ おいらがやってきたのは逆方向から・・。前にも少し触れましたが、ここでおいらの道の駅訪問数が100ヶ所になりました。時刻は12時をまわったところ、当初の考えでは11時にはここまで来るかな、と思っていたがペースがスロー・・。やはり初めて走る道は80%くらいしか伸びないというが、まさにその通りだった。まぁ昼飯にしよう・・。せっかくの鯖街道、昼は鯖寿司にしたい!! 鯖寿司3かんとかけそばのセットあまり安くはなかったが、せっかくのご当地料理だし、おいらにしてみれば競馬で負けることを思えば許容範囲・・。味はバッテラとあまり変わらないが、鯖の肉厚が全然違う。1かんがちょっと大きめなので、これでも腹が満たります。この日はお休みだったが、熊川宿の資料館があるので、散策前に情報収集しておくといいだろう・・。 道の駅「若狭・熊川宿」駅も宿場町の香りのする造りなのだ・・。 休憩所腹が満立ったところで、熊川宿を散策する。明日に続く・・。
August 21, 2007
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さて「藤樹の里あどがわ」の近くにもう1ヶ所道の駅があるので、立ち寄ってみる。あどがわからびわ湖沿いの県道333号線に出ると、道の駅「しんあさひ風車村」に到着。 しんあさひ風車村前の県道333号線(びわ湖周遊道路)↑高島方面 ↓今津方面風車村というだけに、でっかい風車がいい目印になる。 ここは家族で遊べるテーマパーク的道の駅といったほうがいいかもしれない。びわ湖固有種の淡水魚「ホンモロコ」の釣堀、スワンボート、ファミリーパットゴルフなど、子供連れなら1日遊べそうである。とはいえ、独り旅の中年男が長居するところではないかもしれない。しんあさひ風車村から約30分、安曇川沿いに駆け上がり、国道367号線に合流したところに道の駅「くつき新本陣」がある。 道の駅「くつき新本陣」ここでは毎週日曜日に「日曜朝市」が開かれている。(この日は月曜日だった)鯖街道にちなんで、鯖寿司も売られている。道の駅の対面にはコンビニエンスストア・ローソンもあり、何かと便利である。「本陣」と名のつくところは、合戦中のつわものたちが拠点としていたところ。時代は変わって、旅をする者たちの拠点となるべく食料などを提供してくれる。スタンプです 青 しんあさひ風車村 緑 くつき新本陣さて、ここから北に進む、国道303号線を若狭方面に進む、一旦県境を超えて福井県に入り2kmくらい進んだところにある「若狭・熊川宿」に立ち寄る。続く・・。
August 20, 2007
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さて、昨日くたびれて日記に書かなかった続編を・・。そもそも「藤樹の里」とはなんだろうというところから始めたいと思う。藤樹とは近江聖人といわれる中江藤樹(なかえとうじゅ)のこと。1608年この地で生まれた藤樹は、9歳で米子藩に仕える祖父の養子として近江を離れ、四国大洲(現在の愛媛県大洲市)に移った11歳のときに学問の道を志す。27歳のときに近江で独り寂しく暮らす母を思い帰郷、多くの門下生と共に学び、また村人にも分け隔てなく人の道を説いてきた。1648年に残念ながら41歳で亡くなる。日本史で初めて「聖人」と呼ばれ、王陽明の思想をもとに学問を志したことから「日本陽明学の始祖」といわれている。藤樹の教えのひとつは、道の駅のインフォメーションにも・・。「五事を正す」 五事とは貌、言、視、聴、思(ぼうげんしちょうし)貌 和やかな顔つきをし言 思いやりのある言葉で話しかけ視 澄んだ眼で物事を見つめ聴 耳を傾けて人の話を聴き思 まごころをもって相手を思う日常において、そのようにできれば良知にいたる。う~ん、少し耳が痛いぞ。おいらの場合「ぼうげんしちょうし」じゃなくて「ぼうげんしぱなっし」だもんな・・。 道の駅の一角にこんな像が・・。手前が少年時代の藤樹、こちらを向いているのが母上母上の手にできた皸(あかぎれ)を心配した藤樹が、大洲から持ち帰った薬を塗布する場面だそうだ。道の駅の近くに「中江藤樹記念館」「藤樹神社」「藤樹書院」などの観光スポットがまとまってあるのでそちらのほうも・・。 道の駅「藤樹の里あどがわ」スタンプですやはりスタンプも中江藤樹続く・・。
August 18, 2007
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さて、再び国道161号線に合流し高島市(北方向)を目指す。途中渋滞があったため小1時間かかったが、2番目の訪問地、道の駅「藤樹の里あどがわ」に到着。安曇川といえばアドベリーというブルーベリーに似た果実で有名だそうだ。ブルーベリーよりもビタミンCなどの含有量が多いのが特徴。もうひとつが真竹、扇子の骨組みに加工され京都に出荷されたのち、紙が張られて絵を描かれて扇子となる。時は江戸時代、長谷川玄斎が安曇川の堤防に真竹を植えた(風除け、雪よけ)ものを、戸島忠兵衛(1812~1868)が、扇子の扇骨に利用する。その後産業奨励を受け、安曇川の扇子の扇骨作りが定着した。当時はすべて京都に出荷され、地紙が張られて絵付けされて扇子となった。現在も扇骨作りが定着したのには、井保寿太郎(1873~1950)の尽力があったことも付け加えなければならない。扇骨は親骨と仲骨のふたつで構成されるのだが、製品となるまでかなりの過程を辿ることを知った。親骨割り竹~親けずり~目もみ~胴こそげ~目こそげ~皮こそげ~脇板~顔はらい仲骨へぎ~目もみ~せん引き~目もみ~仲じまい~本さし~清じまいそして漂白~日干し~締め直し~下磨き~電気磨き~末けずり~合し~要うち~検品ここまできて、ようやく出荷となる。各過程についてはおいらも説明できません、扇子ができるまでこんなにも手間がかかることを知っていただければ・・。さて、久々登場、ご当地ソフトクリーム。朝菓子パン1個と缶コーヒーだけだったおいら、やっぱり腹が減った。特に車を運転していると、腹が揺さぶられるからか、意外に腹が減るのだ・・。 アドベリーソフトおいらが食べたのはバニラミックスだが、もちろんアドベリーオンリーのもある。ブルーベリーの味は個性は強いため、ミックスのほうが人気があるようで、ミックスを注文している人のほうが多かった。さて明日は、藤樹の里あどがわをレポートします。(今日から仕事再開も猛暑と体のキレが戻ってないのでくたびれた・・。)
August 17, 2007
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8月13日(月)さて、旅行2日目(初日の昨日は京セラドーム大阪でオリックス=ソフトバンク戦を観戦、あまりにも不甲斐ないホークスと、前日の夜行バスで睡眠不足のため、早々に新大阪のカプセルにチェックイン、爆睡状態でした。)新大阪からJR京都線、琵琶湖線の快速電車で大津へ移動する。そこからはオリックスレンタカー大津駅前店で予約しておいたレンタカーで、滋賀県の道の駅を訪問。白の三菱ミニカトッポが相方を務めてくれる。8時過ぎトッポと共に出発、国道161号線を高島方面、つまり琵琶湖の西側から右回りにコースをとる。国道161号線(大津を起点に高島を経由して福井県の敦賀に至る、全長約90km)を走っていて気付いた「やけにみんなスローペースだ!?」ほとんどのクルマが50km/hくらいで走行している。運転マナーの悪い広島では考えられないことだが、ここはみんなのペースに合わせるのが得策。何より事故は絶対にダメ、少々スローでも安全第一だぜ!!さて話しが脱線、本題に戻す。温泉街の雄琴を過ぎるとそろそろ道の駅が見えてくる。161号線から右折してびわ湖大橋へと進むと、その橋の直前に道の駅「びわ湖大橋米プラザ」がある。 びわ湖大橋びわ湖大橋は守山(東側)と堅田(西側)を結ぶ橋として、昭和39年9月に開通した。北側(守山行き)と南側(堅田行き)とふたつに分かれており、北側1400m南側1350mと微妙に長さが違うのが特徴。当初は南側の橋だけだったが、1999年に北側の橋が増設された経歴をもつ。写真の橋げたの最も高いところは水面から26,3mあり、その下は航路になっているため橋脚の間隔が140mと広く取られている。 道の駅の2階は展望台になっているので、是非上がってパノラマを堪能してほしい。その一角にこんなものがあった。これは「支承(ししょう)」といって橋脚と橋げたの間にパッキンのように取り付けられていたもの。橋には圧縮する力、膨張する力のほかに通行する車両の重量と全方向から大きな力が作用する。その車両が通行するときの力に対してそれを緩和しているのが支承の役割なのだ。まさにクルマのサスペンションのようになくてはならない存在なのだ。写真の左は固定型、右は可変型と違う役割を担っている。左側はまさに力に対して真っ向勝負で対抗する。これがないと基本的に強度が確保されないのだが、それだけでは耐久性が確保されないので、力を分散、緩和する可変型の支承もまた必要不可欠なのだ。この支承は2000年まで36年間びわ湖大橋を縁の下の力持ちとして支え続けてきた。 道の駅の展望台よりここではおみやげ物が充実しているのと、米プラザとあるように近江米を精米して販売している。おいらはここで佃煮を買って帰った。 道の駅「びわ湖大橋米プラザ」国道から連絡道という形で道の駅につながっているのだが・・。ん!?こんなところに国道の標識が・・。ちなみにすぐ手前は道の駅の駐車場です。おいらもこんなところに立っている国道の標識は初めて見たよ・・。スタンプですさてこのあとは再び161号線に戻り高島方面に進む。続く(やれやれ初っ端から橋の解説になっちまった、ごめんよぅ・・。)
August 16, 2007
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久しぶりの2泊3日の旅の日程を無事消化、今朝広島に帰り着きました。訪問した道の駅は滋賀10ヶ所、福井、三重が1ヶ所ずつの計12ヶ所。目標としていた滋賀県14ヶ所完走は達成できませんでした。しかし、事故を起こすこともなく、取り締まりに引っかかることもなく、無事に走り終えたことの充実感で満足しています。13日は255km、14日は147kmと2日間で400kmを超えるドライブでしたが、オリックスレンタカー大津駅前店さんの配慮で2日目も同じクルマ(三菱トッポ)を用意してくれたおかげで、快適に走ることができました。(初日13日は予約済みも14日は体調を考え予約せず、当日駆け込みで来店したのだが・・。)レポートのほうは明日よりUPする予定です。今日はいつものように道の駅訪問歴だけ更新しております。そして今回、福井県三方上中郡若狭町の道の駅「若狭・熊川宿」で通算100訪問を達成しました。ありがとうございます。では少し休息をとることにします、まずは「無事帰った。」報告まで・・。
August 15, 2007
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明日仕事が済んで、放浪の旅にでてきます。23時過ぎの大阪行き、夜行バスで移動するため、少々慌しいことになりますが、プロ野球観戦と道の駅めぐりを目一杯楽しんでこようと思います。道の駅は滋賀県を予定しておりますが、琵琶湖周辺は海水浴(というか湖水浴じゃねぇか?)客でかなり道が込み合うとのことなので、少しばかりコースを変更するかもしれません。今回は10年ぶりに2泊3日の旅が実現しました。といっても予算は2日分なので、しっかり〆てなおかつ実りのある旅にしたいです。というわけで、ブログのほうも15日までお休みします。連休明けの旅レポート、見てやってください。
August 10, 2007
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地球ドラマチックの再放送が昨日あるということを、よふぁんママさんに教えてもらった。丁度19時からの放送(NHK教育)なので、晩飯時リラックスしながら観るつもりだったが、トラキチの親父がテレビを占領してしまっている。というわけで、ビデオに録って観るつもりだったが、仕事疲れで早々に寝てしまった。あらためて今晩観ることに・・。ドキュメンタリーではなくフィクションを交えているため、子供からお年寄りまで楽しみながら、かつてこの地球上に存在していた生き物たちが登場する。主人公のナイジェルがパラサウロロフスなどの恐竜たちや、サーベルタイガー(正確にはスミロドン)、果てはマンモスまで現代に連れて帰るという、ありえないストーリーなのだが、CGを駆使した恐竜たちの動きがかなりリアルなので、観ていて楽しかった。パラサウロロフスは白亜紀を代表するカモノハシ竜の仲間だが、これといった武器を持たないので獣脚類たちの恰好の標的となった。しかし、頭の管から音を出すことができ(発声かどうかは疑問)コミュニケーションをとることに長けていたといわれる。そして、普段は4足歩行も獣脚類から逃走する時は2足と使い分けているのも特徴。さて、話しのほうはナイジェルが体長15mの白亜紀のワニ、デイノニクスを捕獲して現代に連れて帰るところに・・。アルバートサウルスもかなわないほどの(という設定)獰猛なワニを捕獲(?)長期戦になると淡白になる爬虫類の弱点を利用して、ナイジェルの捕獲は成功した。というか、当時の爬虫類(恐竜も)たちは大脳皮質が旧型だったためだったのかもしれない。現代の哺乳類は新皮質のため、常に酸素を必要としている。これに対し人間よりもはるかにでかい恐竜たちは、多くの酸素を必要としない旧皮質だったのではないかといわれる。だからその分性格的にも淡白だったのかもしれない。6500万年前に恐竜たちは姿を消し(一部は鳥へと進化していったというが)新生代に入って誕生したサーベルタイガーやマンモスも姿を消してしまった。彼らの絶滅の原因はまだわからない。しかし、調べていくと彼らの持っていた特徴が何らかの形で今生存している生き物たちに受け継がれていることを考えると「何故絶滅したのか?」などと追及すること自体が野暮なのかもしれない。現代に連れて帰るくらいの気持ちで(実際にティラノサウルスを連れて帰られては困るが・・。)興味を持って絶滅していった生き物にも注目してほしい。必ず何か意外な事実がわかってくるから・・・。ナイジェルはこのように訴えたかったのではないだろうか・・。ふぅ~、おいらの感想文は何故か解説になってしまうんだよなぁ(ガキの頃先生にいつも言われた。)
August 9, 2007
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11日(土)で現場が連休に入り、4日間のお休みになります。しかし、連日の猛暑と階段との格闘で、体のほうはヘロヘロ・・。おいらが担当している階段は室内にあるため、全く涼しい風がこないのだ・・。かろうじて、休まずに出勤していますが、夜更かしをする元気もなく、この日記を書き終えたら寝ることにします。あと3日・・・長い3日間になりそうだ。
August 8, 2007
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おいらの朝はデイリースポーツを読むことから始まる。以前一人暮らしのときは、コンビニにある新聞を適当に買っていたのだが、あるときから「デイリースポーツ」に定着した。やはり抽プレに当たったとなると「新聞くらい買わないと・・。」という気になって、気が付けば9年目になった。今日も書くことがないため、おいらのたからばこを・・・。 写真は、JRA小牧太騎手のサイン色紙デイリースポーツの懸賞で当たった。馬券売り場には毎週のように行くおいらも、競馬場へは行くことがないため、騎手のサインなんてもらえるチャンスがなかったので、それはとても嬉しかった。実はこの年(2004年3月)というと、小牧騎手が中央の騎手としてデビューした日付なのだ。このほかに秋山真一郎騎手、角田晃一騎手のサイン色紙を持っているが、いずれもデイリーからもらったのだ。実は新聞休刊日で、月曜日など自宅に宅配されない日があるのだが、そんな日にはよく懸賞があるので、コンビニに買いに行ってターゲットを絞り、はがきを出せばチャンスがあるかもしれない。新聞休刊日はコンビニへGo!!
August 7, 2007
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今日も図面を持ち帰りサービス残業です。(やりたくないぞ、コノヤロ)やりたくないのだが、どうせいずれはやらないといけないので、今夜やっておこう・・。明日は連休前最後の日曜日、あわよくば連休の小遣いゲットをもくろみ、馬券を買いに行ってくるとする。連休は12(日)~15(水)の4日間・・。あと1週間、みんながんばろうぜ!!
August 4, 2007
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やれやれ、今週は家に図面を持ち帰っていたため、またもやブログがエンスト状態になっちまいました。すんなりと連休に突入できればよかったんですが、この現場でも階段を担当することに・・。おまけに今度の階段は難しいし、連休前の6連戦は過酷なものになりそう。さて愚痴はこのくらいにして、8月28日(火)は皆既月食が見られます。2004年5月5日の夜明け前以来の天体ショーがいい状況で(天気がよければ)見られそうです。今回は18~21時と宵の口に月食、月の出の18時過ぎには既に食が始まっているので、欠けた状態で昇ってくることになりそうです。19時前には皆既の状態になり(地平高度約7度と低い)ますので、東の空がクリアなところで見ることをお奨めします。星空がきれいな町に住んでいる人は、20時前の皆既月食中の満月にみずがめ座のσ(シグマ)星が隠される現象も見ることが出来るかもしれません。持っている人は双眼鏡があればいいと思います。残暑厳しい宵の口ではありますが、赤銅色の月をお楽しみください。
August 3, 2007
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