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この日(1月3日)の朝、道の駅関連のSNSの仲間からメールが来ていた。「熊本のどこかの道の駅で会わないか…。連絡待つ。」という内容…。SNSの中ではしょっちゅう会話しているが、まだ実際に会ったことはもちろんない。まぁでも、こんな機会はそんなにはないので、宇土市の道の駅「宇土アリーナ」で会うことに。初めて会うのに、お互い同じ趣味の者同士、話が弾む×2…。気がつけば夕方になっていた。ここで彼から、予想だにしなかったプレゼントをもらった。それがこの写真。 御輿来海岸(おこしきかいがん)有明海に沿って天草方面に伸びる国道57号。宇土市長浜から網田にかけて「御輿来(おこしき)海岸」と呼ばれる海岸が続く。8世紀前半の景行天皇が九州巡幸で御輿を止めたのが地名の由来とされている。干潮時には海岸線約10キロ、沖合約2キロにわたって見事な砂模様が浮かび上がる。もちろん日本の渚100選にも選ばれている。一応熊本県で生まれたおいらだが(もちろんその記憶はない)こんなスポットがあるとは全然知らなかった。やっぱり仲間の存在は有難い…。物思いにふけっていたのか??道の駅「宇土アリーナ」の写真を撮り忘れた…。よって、道の駅裏のヨットハーバーの写真を…。 こちらは熊本市内方面 中央の山は金峰山、確か夏目漱石の「草枕」にも登場したと思う…が、定かではない。3時間ほどの間、楽しかった時間はあっという間に終わり、彼とはここでお別れ…おいらは再び熊本市内へ…。翌日は朝一発目から、熊本城へ…。
January 31, 2010
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さて、通潤橋の核心部分に潜入してみたいと思う。この通潤橋を語るのに忘れてはいけないこと、それは…。「農民のために造られた稀な橋である」ということ。これをキーワードにまとめてみたい。時は江戸時代、このあたりは緑川という大きな川のほとりなのに、全く稲作に適していなかった土地だったのだ。確かに河川は存在するのだが、白糸大地(緑川とその支流に囲まれるように位置する)を中心とした高台から見た緑川水系は、まさに崖下に存在していたのだ。そのため、大きな川のほとりにいながら、田んぼはわずかに8反歩、干ばつにでもなれば、飲み水にも窮するほどだった。この惨状を打破すべく立ち上がったのが、この地・矢部郷の惣庄屋・布田保之助(ふた やすのすけ)である。天樋の管が上に向いていても、一定の高さまで持ち上がる連結管の原理を見抜いた保之助は、まず五老ヶ滝川に石橋を架け、その上に水管を通し、浜町高台(ここは笹原川の上流にあたる)から、白糸大地へつなぐ、そして両サイドに水だめを作り、勢いよく水が流れるように計画。しかし、木製の水管は、その水圧に耐えることができずに失敗。次は3尺石に1尺の穴をあけ、それをいくつもつなぐことを考えた。問題は連結箇所。水漏れという問題が立ちはだかった。そんな時村人から「漆喰」の技術があることを保之助は耳にする。コンクリートのない時代の土蔵の壁材を連結の材料にするが、それでも上手くいかなかった。やっとその問題を解決したのが「八斗漆喰」という、より強固な接着力と耐久性を持った漆喰だった。松脂、赤土、川砂、貝灰などを配合、さらに塩や卵白を加えて、当時の技術では最高に近い漆喰を使い、ようやく成功する。 写真中央の四角い石が、管に使われた。驚くことに、今の水道のパッキンのように、松板で5か所ほど挟みこんで、衝撃対策までしていたという…。さて橋本体のほうだが、肥後の国には岩永三五郎という眼鏡橋のスペシャリストや通潤橋の工事にも携わった丈八、宇一、甚平らの尽力で、1年8カ月の工期で、1854年7月29日に完成した。さらに驚くことにこの通潤橋にも、熊本城の石垣の技法が応用されているというのだ。なるほど…これが九州に多く石橋が残っている秘訣なのか…。昔の職人さんの頭脳と腕に感銘を受けながら、通潤橋を渡った。 石垣も美しい…。この日(1月3日)は、残念ながら道の駅の「通潤橋の資料館」はお休みだった。というわけで、売店で売っていた「通潤橋にかけた夢」という小冊子を買って読んだ。漫画入りでおいらにもわかりやすい、お買い得商品だったよ…。 布田保之助の像 通潤橋の寸法ふぅ~~、文系が苦手なおいらには疲れるわい…。
January 23, 2010
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熊本県上益城郡山都町の道の駅「通潤橋」です。石橋から放水されるシーンを、テレビなどで一度はご覧になられたことがあるかと思います。残念ながら、1,2月は放水はないそうです。本格的な放水が始まるのは4月ごろからだそうです。今日は仕事でくたびれたので、詳しくは後日…。すんません。 通潤橋の上から道の駅を見る 通潤橋 3列ある石畳は水路になっている。幅6,2m、全長は75m、手すりがないので気をつけて…。 通潤橋とおいらの愛車ムーヴ
January 21, 2010
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さて、本日より2日目…。この日は国道218号線界隈の道の駅を攻略しに行く。御船町を通った折に、恐竜博物館の位置を確認(実際に訪問したのは翌4日のこと、既にレポート済)。すると「八勢(やせ)眼鏡橋 9km」という標識が…。これから通潤橋を目指すが、御船にも眼鏡橋が多くあるようだ。ならば見ておこう…というわけで寄り道敢行!しかし案内板に沿って行くのだが、どんどん山の上に駆け上がっていく。「こんな山の上に眼鏡橋があるのか??」しばらくすると今度は坂を下りて行く…。そのとき「あった、眼鏡橋!」 八勢川に架かる八勢眼鏡橋は、熊本県の石橋の中でも最も古いらしい。当時の熊本と延岡を結ぶ日向街道のこの地は、川が増水すると、通行不能になるほどの難所だった。その不便さを解消すべく、御船の豪商・林田能寛(はやしだ のうかん)が私財をなげうって1855年(安政2年)に完成させた。写真ではわかりにくいが、石畳の階段の手前が水路(八勢小橋)になっていて、二つを合わせると、全長62mにもなる。写真右側の小さな橋も水路橋、これは1814年にいち早く架橋、これが熊本県で一番古い橋だそうな…。なんとも思わぬところでオモローに出会えたものだ…。
January 19, 2010
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忘れた頃に突然やってきた…。本日より、年末のように山口遠征指令!!ようやく旅日記の1日目が終わったと思いきや、またしても遠征…。何故ゆえにこういうものはタイミング良くやってくるのか??まぁしかし、今は我慢の時。本日は写真1枚だけ…。熊本城・宇土櫓の写真を撮りに行った帰り、ふと見ると、可愛らしいイルミネーションがあったので、別に意味はないけど撮ってみた。 まぁ息抜きということで…。
January 18, 2010
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おいおい、T-サウルス、何か忘れてないか???熊本くんだりまでやって来て…。もちろん忘れてません。 夜の熊本城!!コンフォートホテルから熊本城が見えるのだが、あいにくおいらが泊まった部屋は熊本城とは反対側…。というわけで、ちょっと散策してきました。おいらが思い入れが大きいのは、天守閣ではなく宇土櫓のほう…。天守閣は残念ながら、西南戦争の折に焼失したのだが、宇土櫓は現存。櫓といっても、地上5階建て地下1階という造りは、ほかのお城では天守閣に匹敵するほどの規模を誇る。余談だが、全国に12基存在する現存天守閣、文献によっては13基と表記されている場合がある。これは、宇土櫓を含めているんじゃないかと思う。櫓は天守じゃないが、マジで天守に匹敵する規模だから、おいらには嬉しい配慮だと思える。そんなおいらの思いを込めて撮った3枚ですが(その割には出来がよくない!)UPします。天守閣のほうは、周囲にクスノキなどの木が多く、意外にポイントが少ないのと、遠くなるとおいらのカメラではうまく撮れなかった。 この写真の石垣にも注目!!400年前のそり立つ壁の如く、見事な曲線美である。熊本では「おらが町の自慢」に熊本城を挙げる人がとても多いのだ。それが一目でわかるほどである。
January 17, 2010
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さて、大津の後、不知火を通って、夜の天草五橋を…。と、考えていたおいらだが、益城、御船を通って松橋(まつばせ)に差し掛かった頃、愛車ムーヴのフロントガラスを水滴が濡らし始めた。↑「早い話が、雨が降り始めた。ということだろ!!」この雨、結構正月にしてはまとまって降っているし、止みそうな雰囲気じゃない。天草行きを諦めて、この日は道の駅「不知火」を最後にして、温泉に浸かって行って、熊本市内の激安ホテルを目指すことに…。 道の駅「不知火」まぁ不知火に着いたのが16時半、それから天草五橋というのは、考えてみれば賢い選択肢じゃない。それはそうと、道の駅「不知火」は熊本県宇城市、国道3号線方面からだと、松橋から266号線で天草方面に進むと、道なりに見えてくる。不知火といえば、朝青龍のライバル、白鳳の土俵入りの型…。という話ではなく、夜の不知火海で、あやしく揺らめくような光が篝火のように見える自然現象で、蜃気楼の原理で、8月~9月上旬の1~3時頃の干潮時に見えるそうだ。日本書紀によると、景行天皇(けいこうてんのう 第12代 71~130年在位)が九州を巡業した折、夜の八代の海を航行するにあたり、安全に天皇を導き、火の国の海岸へお誘いした怪光に由来「主知らずの火」→「不知火」となったらしい。まずは風呂!!ナトリウム・カルシウム塩化物泉で、露天風呂もある。 不知火温泉・ロマンの湯 不知火海 約1時間ゆっくりと疲れを取ったら、熊本市へ…。市内辛島町のコンフォートホテル熊本新市街に泊って、1日目終了。新しいホテルは気持ちよかった。朝飯付きで5000円以下ならOK牧場でしょ…。
January 16, 2010
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さて大分・日田大山から熊本県に入り、小国、波野、阿蘇、大津と訪問しました。 写真上から 小国、波野(神楽館)、阿蘇、大津(おおづ) ちょうど波野で昼飯時(13時過ぎてたなぁ)だったので、ご当地なフーズを物色?? 決まった!!「蕎麦だご汁」九州といえばやっぱり「だご汁」に限る。野菜たっぷりの具にだんごが入ったオーケストラ並のボリュームは最高、ご飯とだご汁だけで腹いっぱいになる。で、ここのだご汁のだんごはそば粉がブレンドされている。つるつるとした食感ではないが、蕎麦の香ばしさがたまらない…。(そば麺は入っているわけではありません)さらに蕎麦豆腐も付いている、お茶も蕎麦湯で入れたものと、まさに蕎麦尽くし…。オモローだ!!ただし、蕎麦豆腐には醤油はあまりかけないほうがいいかも…蕎麦の風味がわからなくなる。さて、波野から国道57号線で、阿蘇、大津と向かう。ここまでは割とスムーズに来たが、57号線は割と混んでいた。阿蘇では道の駅きっぷを購入。どうやら熊本県の道の駅で、唯一きっぷを売っているようだ。道の駅「阿蘇」はJR阿蘇駅と隣り合わせ JR阿蘇駅大津ではちょっと小腹がすいたので、タイ焼きをひとつ買った。このタイ焼き「ひとつで二度おいしい」のだ。 実は尻鰭半分が小倉あん、頭半分がからイモあんという代物。(からイモ=さつまいものこと 以前小沢昭一さんが唐の時代の中国が原産、19世紀に琉球を通って薩摩に伝わったので、唐いも(からいも)、さつまいも、琉球イモなど、いろんな呼び名がある…と、小沢昭一的こころで話していたが、どこまで本当なのかは不明)このタイ焼き、おいらのように腹から食らいつくと、2種類のあんが口の中でハーモニーを奏でて、オモローな味になるのだ!!このタイ焼き、是非腹か背ビレから豪快に食らいつくことをお奨め?しよう…。
January 14, 2010
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さて、小石原から国道211~210~212号線を通って福岡県から大分県に入り、この日2番目の道の駅「水辺の郷おおやま」に到着。 道の駅「水辺の郷おおやま」祭りの出店かと思うほど、にぎわいがある。ここの名物は「梅」梅干しなどの食品はもちろん、梅石けんなど梅を使った加工品なんかもある。水辺の郷というとおり、すぐ横を大山川(筑後川水系)が流れている。道の駅すぐ裏の川には、何やらでっかい岩が佇んでいる。 大冠岩どうやらこの岩には昔話があるようだ。「かんの焼き」=杉の木を伐採した後、農作物を作るために、野焼きをする。この大岩には神が宿るので、大岩のまわりでは火入れをしないように願い出た男がいたのだが、聞いてもらえず。ある晩枕元に女があらわれ「明日火入れをすると、大岩が崩れるので避難してください。」と言い残して消える。男は共同で火入れを手伝うも、女の忠告が気になり避難する。すると大音響とともに岩が崩れ落ちてきた。しかしこの男の家は奇跡的に難を逃れた…。詳しくは写真をご参照ください。 ここでのオモローは…。実はこの日「新春餅つき大会」というイベントがあり、来場したお客さんに餅をふるまってくれた。(黄粉、小倉あん、大根おろしの3種類の中から選べる!)で、餅つき、おいらもちょっと参戦しました。ここの餅つきは、つき手が二人で5回くらいずつつき合い、何回か念入りに捏ねる。おいらのところは、つき手と捏ね手が一人ずつで、ついて、こねてという感じ…。久々杵を持ったが、相方の人も全然知らない人(当然)なのに、息がピッタリ…オモローだ!!でも捏ね手のおばちゃんに「つく(ペース)のが早すぎるよ。」と、言われました。 オモローだった…やっぱりイベントは参加しないとね。ここからあと少しで熊本県…。
January 12, 2010
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さて、実はこの小石原の道の駅から約10km、日田方面に下って、駐在所や郵便局のある交差点を左折して、県道52へ入る。この道を進んでいくと、3ヶ所ほど眼鏡橋の鉄橋がある。!!JR日田彦山線・築前岩屋駅に近いほうから、金剛野、奈良尾、松尾…。そう、鉄橋の眼鏡橋なんです。 上 奈良尾眼鏡橋 下 松尾眼鏡橋ならば…。「列車が通る瞬間を撮りたい!」だが、どう見ても便数は少なそうである。JR筑前岩屋駅でダイヤを確認、すると10時ごろ、奈良尾の鉄橋を通過するようだ。今9時50分を過ぎたところ…これはチャンスである。 先ほどより鉄橋らしい写真になりました。←筑前岩屋駅、英彦山、小倉方面 →日田方面こんなスポットがあるとは、おいらも全然知らなかった。道の駅「小石原」のパンフと「トーホースタイル」という東峰村の観光小冊子が役に立ったことで、見つけることの出来たオモローである。この3つの眼鏡橋は、昭和13年に無筋コンクリート製で造られた。奈良尾眼鏡橋の正式名称は「宝珠山橋梁」といい、全長79,2mの5連アーチ。12月にはライトアップされているそうだ。今回の旅レポートでは、ちょくちょく「橋」が登場します。ハシにも棒にもかからないようなレポートをしないように、まとめていきます。
January 11, 2010
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1月2日 3時出発山口県山陽小野田市あたりの国道2号線がバイパスになっていたのと、交通量が少ないので(そりゃそうだ)7時15分には北九州市の小倉競馬場前を通過…。早く着きすぎたな…道の駅「香春」のスタンプはダメかもしれんな…。つまり、開店1時間以上前に到着のため、まだ開いてない。この日の放射冷却は強烈で、道路の温度計を見ると「マイナス2℃」トイレ休憩と写真を撮って、次に行くことに…。福岡県田川郡香春町(かわらちょう)の道の駅「香春」は、昨年オープンしたばかりの、福岡県で一番新しい道の駅。その昔、奈良の都と太宰府を連絡する交通の要所「田河(たがわ)」に由来する。物産館は「わぎえの里」と命名されている。わぎえとは、我が家という意味。万葉集にも「豊国の香春は我家紐の子に いつがり居れば香春は我家」と詠まれている。我が家にいるような地という意味なんだな…。 物産館の屋根は、香春岳の3つの尾根をイメージしたのだそうな。スタンプを押せなかったので、ここはノーカウント。だが、次につながる痕跡は残せた。この日の目的地は熊本市…先に進もう。国道322~201~県道52~国道211を経て、朝倉郡東峰村の道の駅「小石原」を目指す。3年前のGW、陶器市の開催中でスルーしたところ…リベンジの訪問だ。 小石原前の国道211号線 ↑日田、久留米方面 ↓田川、北九州方面 道の駅「小石原」 今年も雪のスタートだった…。9時の開店より早かったが、散策しながら待つ。 道の駅近くの窯元 煙突からの煙が(と言っても写真からはわからん)趣を感じさせてくれた。小石原焼の作品がたくさん並んでいる、ファンにはこたえられないだろうな…。おいらには疎い分野、何かオモローなところはないか、パンフをもらってみていると!!ここから10kmくらい下ったところにオモローなスポットがある。行ってみよう…。
January 10, 2010
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2日から2泊3日で熊本県の道の駅めぐり…。無事日程を終了して今朝1時、戻ってきました。明日からまた仕事の日々が始まります。未だ体は「正月休み」状態かも…。道の駅めぐりは3日間で19ヶ所クリア福岡 小石原大分 水辺の郷おおやま せせらぎ郷かみつえ 童話の里くす いんない熊本 小国 波野 阿蘇 大津 不知火 通潤橋 清和文楽邑 竜北 宇土マリーナ 泗水 七城メロンドーム 旭志 宮崎 青雲橋 高千穂なんと欲を出して、宮崎・高千穂まで行ってきました。詳しい話はこれから…。
January 5, 2010
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