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昨日は大阪市民マラソンで賑わった。 これは4年前橋下前知事が 就任して間もなく仕掛けたイベントである。 3万人のランナーと 100万人の沿道の市民で大賑わいで大成功だったよう。 よかった、 よかった。 これで120億円の経済効果があるというがどうだろか。 29日(土)は陽気に誘われて午後から京都に出てみた。 いつもは 四条河原町で下りるのだけど今回は桂駅のりかえで嵐山に行った。 嵯峨野はもう10年以上も行っていない。 以前は確か嵐山の駅を降り ると左に回りクネクネと細い道を通って渡月橋に行ったはずだった。 ところが渡月橋がかかる保津川へは真っ直ぐの道ができていた。 10年ひと昔、もうあたしは浦島さんのようだ。 土曜日でもあってか橋の上は人でいっぱい。 カメラを構えて嵐山の 景色を撮るのやらアベックが片方を撮るのやらそれからどこからかの ”あれから40年” のオバちゃん達が5~6人並んで記念撮影している のやらで橋の上はゴッチャゴチャ! バックパックのオジーチャン(あたし)はそれを掻き分け橋を渡る。 紅葉まではアト1ヶ月くらいだけど京都はホンニ人が多い。 でも以前 にも書いたけど外国人の数が目に見えて少ない。 これはやっぱし 放射能と円高の所為だろうな~~なんて考えたり・・・橋を渡って 間もなくの天龍寺の門をくぐる。 臨済宗の名刹である。 この写真は google からちょいとパクリ・・・ 入らなかったんです。 ゾロゾロといっぱいだったしぃ、それに 晩秋にも一度来ようと思ったから・・・でもお庭はこんな具合に キレイで感動するんですよ~、あたしはン十年前に一回入ったことが あるのです。 参道をウロウロしながら歩いている観光客のアラカルト 楽しむ。 門外にまろびつ、今度は野宮神社や大河内山荘へと向かう。 向かう と言うよりも人の流れに従う感じ・・・名所旧跡のある方へと人は 流れるから分かり易い。 天皇の代理で伊勢神宮へお仕えする斎王がここで身を清めた という言われのある神社で源氏物語にも出てくる。 あたしゃ 知らんが大枚百円と投入し二礼二拍手一礼して品よく去った。 大河内山荘への道はびっしりと竹の生い茂った竹林が 道の両側に広がる・・・見事なもんだよ~ 人力車が結構多いんよ~、京都は狭い道が多いから お年寄りや物見高い観光客なんかが結構乗ってる・・・ かの往年の時代劇俳優であった大河内伝次郎氏の別荘である。 今は国の文化財になっているようだが粋人には有名な場所だ。 ここも門の外で失敬した。 なんじゃ、なんしに行ったん? と言う勿れ。 唯々陽気に誘われて京の雰囲気に浸るのが目的 じゃけんそれで満足なんよ~ 長々とつまらん話でごめん。 京都には神社、仏閣などなど日本 の長い歴史を証明する名所旧跡がそこらじゅうにあるから行く度 にタイムスリップしたような懐かしさみたいな安らぎを覚える。 日々金と欲の経済生活に忙殺されている人にはこんな文化という 精神のエキスをたま~に吸ってみて頭の中を新陳代謝するのも 満更悪くなかろう。 尤もこのあたしも若い頃はそんな余裕も なかったのは事実であるから自慢できたもんじゃないが・・・
2011年10月31日
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「嫌な球団に入ってもしょうがない」 とか 「だまし討ちだ!」 などと憤って、一年浪人してでも好きな球団で野球をさせる、などと 息巻いているようだ。 今年のプロ野球ドラフトで日本ハムに交渉権が行った東海大菅野智之 投手の祖父、原貢氏である。 大変不遜な言い方で人品骨柄が知れる。 息子がジャイアンツの監督 で、プロ野球のお世話になっているのである。 そして今度は孫が そのプロ野球の選手になろうとしているのだから基本的にプロ野球に 敬意を表すべきではないのか。 せめて腹立たしさを抑えて、「意に沿わない球団」 とか 「希望 してない球団」 などの表現をすべきではあるまいか。 自分達の 思う通りにならなかったから相手を貶し倒すのは筋違いであろう。 日本ハム球団と多くのフアンの人達に失礼このうえない発言である。 何様のつもりかと言いたい。 巨人の桃井オーナー兼球団社長の言い草もいけない。 「基本的に は本人が希望するところに行くべきだ・・・」 などと、まだドラフト制度 そのものを否定する発言をしている。 この球団は我さえよければ他はどうでもいいと言う考えがちっとも 変わっていない。 昨年は上手い事情報操作で沢村の単独指名を取り、 ものにした。 今年もと、二匹目のドジョウを目指したが失敗した。 どうも、やり方が潔くない。 原貢氏といえば三池高校と東海大相模高校を優勝させた辣腕の持ち主 で、今も東海大野球部の顧問をしている立場である。 そんな輝かしい球歴を持った人の発言とも思えない。 息子が可愛い 孫が可愛い気持ちは分からんことはないが、野球人としての品性が 欠落していて筆者がこれまで抱いていた敬服の気持ちが一遍で消し 飛んだ。 人の一生というものは思い通りにはならないものだと普段から言い 聞かせておけば意に沿わないことでも受容してがんばれる。 取り敢えず日ハムに入団して何年か後に希望を叶えることだって できるのだから、かつての江川のような横車を押してはいけない と思うのである。 菅野智之くん個人は悪くない。 周りの家族が甘すぎるのである。 世の中必ずしも思う通りにならないことだってあるからそれは覚悟 しておけよ・・・くらいのことを言っておけば本人も素直に受入れ たことだろう。 今のままじゃ気に食わないからと言って折角入社 した会社を辞めてしまってフリーターをやる人間と変わらない。 不信、不満はあろうともここは納得してドラフト制度に素直に従い 日本ハムに入団してほしい。 そうして持ち前の実力を発揮して 世人にその力を見せ付けて、時が至れば本来の希望する球団へと 移ればいいではないか。 ガキのような我が侭はいけない。
2011年10月30日
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何か面白い話題はないかいな~と思って探していたらガリバーの 話を思い出した。 世界一大男の話である。 でもあれは物語だ から実在の人物ではない。 それでは世界の人種の中で一番大きい のはどこの国か調べてみた。 分かりますか? 知ってる人は知っている。 そうです、オランダ 人なのです。 へぇ~、あんな地盤沈下の国? 海面より低い国! あ~、バイキングの子孫だべ? そうかも知れない。 DNAなん だろうなァ~・・・・・ 過日ワールドサッカーアジア地区予選で日本はカザフスタンと対戦 した。 あの試合で先発したFWがマイク・ハーフナーと言って 身長1m94cmあり日本に帰化したオランダ人であった。 流石に 高い、案の定ヘディングシュートを2発決めた。 あんなのがFW に2人もいたらコーナーキックなどで得点するチャンスは非常に大 きくなる。 オランダチームなどはそんなのがゴロゴロしてるから強いのだろう。 ドイツだってそう、みんな背が高い。 それで調べてみた。 世界で身長の高い国ランキング・・・・・ (男) (女) 1. オランダ 182.5cm 170.5 2. デンマーク 181.5 168.5 3. ドイツ 180 168 4. スエーデン 179.5 166 ・・・・・あと順不同で・・・・・ アメリカ 175 162 日本 171 160 中国 170 159 韓国 173 161 北朝鮮 165 154 ケニアはマサイ族がいるから平均は高いかも知れない。 それに イタリヤとかスペインなどのラテン系は概して身長は低い。 アメリカは中南米などの移民が多いから平均は低いのだろう。 もう一つは国の食糧事情が大いに影響を与えていると分かるのは 韓国と北朝鮮を比較してみれば証明できる。 日本だって戦後の食料事情が激変したので国民の身長は大きく伸び たのは容易に想像できる。 その証拠に明治大正時代の人々の体格 は今より大分小さかったのではあるまいか。 それと生活様式。 タタミの生活からテーブル・イスの生活変換は 人間の体格、体型に大きな影響があるのは間違いない。 この頃の 子供は脚が長くなったし膝も真っ直ぐになって西欧人と遜色がない ほどになっている。 スケートの浅田真央さんはその象徴だろう。 世界の人種ではやはりゲルマン系(ドイツ・オランダ・北欧など) が抜けており、次がアングロサクソン(イギリスなど)でその後が ノルマン系(フランスなど)とラテン系(イタリア・スペインなど) になるのだろうか。 インド人も高い方だろうがデータは見てない。 ロシアもプーチン、メドベジェフを見る限り高い方ではないだろう。 スポーツの分野ではやっぱしガタイのいいのには敵わない。 野球でもサッカーでも相撲でもなんでもそうだ。 デカくてチカラ のあるヤツには敵わない。 ”山椒は小粒でもピリリと辛い” が 通用するのは体操くらいなものか・・・
2011年10月29日
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日本ハムがくじ引きで交渉権を獲得した瞬間、菅野智之くんの 顔が映し出され何とも形容の出来ない風に歪んだ。 原監督の妹の息子つまり甥だから小さい頃から伯父の姿を見て、 大きくなったら巨人に入りたいという気持ちはずうっと念願だ ったに違いない。 でもドラフト制度というのは薄情なものだ。 思う通りにはゆか ないようになっている。 前期の下位チームから優先指名権が あり、指名選手が重複したら抽選になるのだから。 ドラフト前までは巨人の単独指名で今年も昨年の沢村と同様に 菅野智之くんは巨人に行くと思っていた。 いわゆる相思相愛 だから他チームの入るスキはないと思っていた。 それがだ、 日本ハムファイターズが割って入って指名した。 そして抽選 に勝ってしまった。 菅野家では事前に挨拶もなかったと難色を示しているようだが よしんば挨拶に行ったとて丁寧に断られただけであろう。 原監督も落胆の色がありありだった。 多くの巨人ファンもさぞ かしがっかりしたことだろう。 だがだよ、事前に巨人以外には行かないとマスコミで喧伝させて 初めから他の球団の指名に二の足を踏ませるのはフェアじゃない と思わないかい? 2006年の長野がそうだった、そして実業団で 2年やってそれから巨人に入団した。 昨年の沢村もそうだった。 巨人以外は行きませんとマスコミが吹聴したので、どの球団も 指名しなかったからあっさり単独指名の巨人が獲得した。 これからはそういう姑息な手段は止めるべきだ。 飽くまでも ドラフトに従うよう説得すべきではあるまいか。 心情的に職業の選択の自由から言えば、行きたいところに行かせて やりたい。 でもそれでは初めから人気球団ばかりが優秀な選手を 集めて強くなりプロ野球が面白くなくなる。 昨今は12球団のどこにでも行きますという選手が殆んどで皆潔くて 気持ちがいい中で、オレはそこには行きたくないと言ってゴネるの はどうも頂けない。 そうなった以上は諦めてほしいものだ。 札幌には熱いファンが球場をいっぱいにする。 ダルビッシュ君や 斉藤の佑ちゃん、中田くんもいる。 そこに菅野くんが156キロの スピードボールで加われば寒い札幌の街も若者の熱気で熱くなる。 気持ちのいい決断をしてほしいものだ。
2011年10月28日
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昨日から冷えてきた。 英語で言えばchillyがふさわしい表現か 9℃だった。 日中は20℃くらいまで上がるらしいからこれだけ 寒暖の差があれば紅葉はドンドン進むことだろう。 さて、今年は京都へ行こうか奈良にしようか、時期は11月の末か 12月の初めくらいが見ごろではないだろうか。 ところでもう少し経つとシラウオの季節になる。 西の方に行けば シロウオと呼ばれる魚もいてこれは違う種類だという。 漢字もシラウオは白魚と書き、シロウオは素魚と書く。 シロウト は素人と書くから素魚になるのだろう。 調べるとシラウオはサケ目シラウオ科の魚で体長約10センチの魚、 シロウオはスズキ目ハゼ科で体長約5センチと小さい。 シラウオもシロウオも地方によって呼び名が違うんだべとくらいに 思っていたけど調べてみるとそんなことなんだね~ ”シラウオのようなユビ” な~んて形容すると、あァ~そんなに 細いキレイな指なのかい、と思うほどだけどシロウオの方はそんな にもてはやされる言葉はないようだ。 白魚は生でも茹でてでも寿司やてんぷら、吸い物にも使われるが 素魚の方は死ぬと味が落ちるから生きたまま三杯酢をかけて所謂 ”踊り食い” が美味いのだという。 あたしはまだ食べたことはない。 食欲の秋である。 晩秋の紅葉を目で見たらお腹にはラーメンだ。 ”天高く馬肥ゆる秋” である。 余り肥えたくないけど遠慮して 痩せるのもいやだ。 ほどほどがいい♪
2011年10月27日
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うわ~マッタケ~! うひょ~美味そう♪ 高けぇ~涎が出そう! マッタケが店頭に並ぶと皆一様に注目する。 美味そう♪ 食いてぇ♪ 秋はキノコ類が豊富である。 温暖多湿の日本ならではのものだろう。 日本には4000種類ものキノコが自生しているという。 その中でも 最も珍重されもてはやされるのが松茸である。 秋の味覚の代表 色は淡褐色で軸は短寸で太く、傘は膨らんで中開き、よく締まって固い 弾力のあるものが極上とされる・・・・・何でそんなに顔を赤くするの マッタケの話してるのにぃ~、おかしなものを想像してんじゃないかい まあ、よく似てるからね~ ”香り松茸、味しめじ” って、味は昔からシメジの方が美味いと言われ ている。 シメジもスーパーで売ってる人工栽培のやつでなくホンシメジ のことだけどね~、スーパーで売ってるのはヒラタケでシメジとは違う 日本ではマッタケが穫れなくなっている。 気候の所為もあるが乱獲が たたったのだろう。 今は韓国産、シナ産、メキシコ産、カナダ産とか 輸入ものが多い。 マッタケの獲れる赤松が減っているのかしらねぇ! あたしは正直なところマッタケの値打ちは感じない。 100gで6000円 だ~、8000円だ~などと狂気の沙汰で、あんなものに血道を上げる ご仁たちの気が知れない。 焼きマッタケにスダチを絞って食うと堪らんとかスキヤキにマッタケ 入れたものはもう極楽だとか・・・どうぞたっぷし召し上がれ、マッタケ もさぞや値打ちを感じてもらい成仏できるであろうと拍手してあげる。 あたしは北国生まれの為がマッタケでもシイタケでも大して変わりない 味覚オンチである。 エリンギでも歯応えがいいし十分美味い。 マッタケだけが際立って珍重される意味が分からん方である。 多分 産出量が少なくなったから値打ちが上がっただけだろう。 食物は何だ ってそうだ。 希少価値で高くなる訳だ。 豚が探すトリュフだって 同じだろう。 アチコチでふんだんに採れたら溢れて値打ちも下がる に違いないのだ。 あたしはヘソが曲がってるだろうか。 いやヘソはちゃんとしてます。 江戸方面の方はマツタケと呼びます。 浪花方面ではマッタケと言い ます。 面白いですね~
2011年10月26日
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♪与作は~木ぃ~を切る~トントントン~トントントン~ 亡くなった俳優の杉浦直樹氏のCMで髪の毛を長持ちさせる ”紫電改” で、つけてはトントン、つけてはトントンというのが あった。 あれを見ていてビビッときたのがかれこれ30年ほど前! 毛根さえ強化すれば何とかなるに違いないと・・・ あれから30年、フロで洗髪するたびにブラシでトントントン、トン トントンとやってきた。 シャンプーした後だから何もつけずに! その努力が実ってか年齢の割りには我が草原は黒々とした若き パンパスに覆われていた。 我が親父は40過ぎから薄くなり当時の髪〇素なるものをいつも頭に 振り掛け、そばに寄るとプンプン臭いニオイを発散させていたのを 覚えている。 が、効験新たなるものはなく空しく退化する一方で あった。 そりゃ~そうだろ、髪の毛がフサフサになったとか水虫 が市販の薬で治ったなどの話なんか聞いたことがない。 そうして60才でツルツルてんになった。 それから何を思ったか おカツラ様になったのだ。 高いカネを払っていたと思う。 その親父のセガレなんだから当然DNAはついて回る。 それを 想定内のことにして杉浦氏のCMにビビッと来て以来弛まぬ努力を 続けてきたのであった。 ところが今年の春、我が頭に痒みが生じ、水虫を治療してもらって いる皮膚科医院でロウたけた女医先生に診てもらったところ、ああ、 これは脂漏症と言ってご老人がよく罹る病気です。 お薬を出しま しょうとニベもない。 少しくらい同情の言葉があってもいいのに。 それでこの夏セッセセッセと朝晩言われた通りアタマに擦り込み 塗ってきたがどうも抜け毛が多くなったなぁ~と思っていたら、 今頃はすっかり手ごたえがなくなり ”暖簾に腕押し”の状態だ。 まあ、年齢(とし)も年齢だしマイオヤジみたいにカブリモノは したくないし自然体でいっか~と! 今はもう秋、しみじみと秋だなぁ~~ (一.一;)
2011年10月25日
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天候は人の気持ちをとっても左右する。 今朝はまた格別のようだ。 休み明け仕事に出る人もこんな日なら気持ちよく出勤できるだろう。 気温15~6℃で無風・・・ヨタヨタ風のジョギングも少しはシャンと 背筋が伸びてもよさそうだがこれだけはそうもいかない。 いつも6時半から公園の一角を占拠して一人のオヂサンリーダーの下、 体操をしている群れの数がいつも20人くらいだったのに知らん間に 3倍くらいに膨れ上がっている。 日本人は群れるのが好きなんだなぁ~って思う。 何か連帯感みたい なものが欲しいんだな~と見ている。 まあ、悪いことではないから 看過して、自分は学生時代に運動部でやっていた体操を適当に組み立 てて独自でやっている。 公園では秋の花がアチコチで咲き乱れている。 ついこの間まで 彼岸花が真っ赤に咲いていたのに知らん間に散ってしまった。 ところどころにある花壇にはコスモスとマリーゴールド、インパ チェンス、ナデシコが仲良く区分けされてとりどりの色を見せて いる。 有り難いものだ。 毎朝吹田市のボランテイアのオジサン、オバサンが枯れた花を切 ったり水をやったりして面倒を見ている。 季節の移り変わりを 花で知らせてくれるのは嬉しいものだ。 市も上手いことヒマな お年寄りを使うものと感心する。 私も違う分野で使われている。 大阪市長選挙と大阪府知事選挙が11月に同時に行われることに なって愈々大阪は騒々しくなるだろう。 守旧派と改革派の戦い である。 明治維新以来変わらない国と地方の政治体制を新しく どう変えていくか、大阪都構想を掲げた前大阪府知事が大阪市長 に立候補して大阪市の切り崩しにかかる。 今の市長は労組の御用市長で改革など覚束ないから未来の大阪を 展望するなら大阪市を解体して大阪都に一本化すべきだろう。 旧態依然とし赤字を垂れ流しぬくぬくと好待遇をむさぼる地方役人 の組織を一般市民のそれに近づけることをしなければ日本はいつ迄 も役人天国を続けることになる。 大阪が先鞭を努めたいものだ。 是非新市長にガンバッテもらいたい。 私は改革を支持している。
2011年10月24日
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”おんぶにだっこ” のことではない。 ”おんぶ” と ”だっこ” についてである。 どうだろか、最近の母親は子供を背中で ”おんぶ” することは 殆んどないと言っていいのではないか。 移動する場合には大体は 乳母車か身体の全面にたすきで ”だっこ” しているのが殆んどだ。 調べてみると背中に ”おんぶ” するのはシナ、朝鮮半島、日本と いった国々である。 西欧は ”だっこ” が殆んどのようだ。 それとアフリカ、中近東、東南アジアでは母親は子供の脚をわき腹に またがせ片手で子供の背中を抱くというやり方が多い。 つまり、経済的に豊かでない国では母親は仕事で両手を使うから背中 かわき腹にするのであろう。 それにアフリカや中近東では暑いから 背中に子供をべったりはりつかせると汗だらけになるから、接触する 部分を少なくする知恵が働いているらしい。 この ”おんぶ” と ”だっこ” のやり方は文化人類的考察として 気候風土や経済性などの観点から興味あるものではなかろうか。 日本も戦前は貧乏人の子沢山と言われ、国策で ”生めよ増やせよ” なる非人間的強制を受けたりしてみんな苦労させられたものだ。 赤ん坊を背中にくくりつけ、母親は掃除、洗濯、食事の支度などを しなければならなかった。 考えてみれば、前にだっこしていれば赤ん坊がどんな状態かはいつも 把握できるが背中にくくっている場合は状態が把握できない。 だから声が出ている時は分かるが音なしの時は時々揺すってみたり 或いは外出している時ならカガミに映してみたりしないと分からん ものだろう。 今の日本では裕福になった証なんだろう、赤ん坊は前だっこかベビー カーの時代になったのは喜ぶべきことなんだろうと思う。
2011年10月23日
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家にいる時間が多くなって家人が外出する時はお留守番である。 そんな時に限って電話が鳴る。 誰からかな~と思って受話器を取ると・・・・・ 「モシモシ、お病気になった時の備えは大丈夫ですか・・・」 ハイハイそれはとうの昔からやっていて間に合ってます・・・保険屋だ。 また暫らくして、「未公開株があるのですが、必ず儲かります・・」 そう、儲かるの、じゃああなたが買ったらどうですか・・・とは言わ ないで黙って断る。 現役の頃電話がかかってきて、要らないからと言うのに、これだけは 必ず儲かるからと言ってしつこいので、そんならあんた私におカネを 貸して頂戴、それで未公開株を買って儲かったら利息つけて返すから と言ったところ怒ってガチャンと電話を切られたことがある。 ジリリリ・・・また電話だ。 「鹿児島の水屋ですが、以前奥様が・・」 要りません。 天然水はそこらで売ってますから・・・大分以前に家人が 購入したことがあったのです。 「いえ、今日は水ではなくてニンニク 卵黄のことで・・・」 ああ、それも結構です。 ガチャン。 ピンポ~ン・・・今度は玄関だ。 インタフォンでハイハイどちら様で? 「毎日お幸せでございましょうか、私達神の御心の・・・」 あぁそう、 ウチは仏教なんで・・・「ああそうですか、すみません・・・」 ハナから、お幸せですか、はないもんだ。 ものみの塔である。 アホめ。 また暫らくしてピンポ~ン・・・ハイ、どちら様ですか・・・ 「宝飾品はありませんか・・・」 あぁ、我が家にはゼイタク品は ありませんので・・・必需品ばっかしで・・・とは言わないが。 兎に角、電話と訪問で一日4~5件はズカズカと闖入してくる。 いつ からこんなことになったのだろう。 一方的に不特定多数の人々に ものを言うようになったのは・・・ズケズケと他人の日常に闖入する 権利はないはずである。 パソコンでも携帯電話でも同じだ。 見知らぬところから私の名前宛、 あれ要らんか、これは要らんかとメールが入ってくる。 中には あなたはナニそれに当選しました、すぐ手続きして下さい、などと さも幸運が来たようなメールがある。 こんなのは全部マヤカシで 先にカネを振り込ませる手口だ。 とんでもないイカサマ野郎だ。 振り込め詐欺もそうだけど今の日本にはスキあらば他人のフトコロ を狙うワルがウロウロしているから油断もスキもありゃしない。 マジメに働きもしないで旨いこと金儲けしようなどと考えるヤカラ は人間のクズである。 こういう手合いがやたらに増えたのは一体 どうしてだろう。 きっと、教育の退廃と政治の貧困に違いない。
2011年10月22日
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あるボランテイア団体に寄付しようとしたところ、こう言われた という。 「寄付はお断りしております。 お布施でしたら有り難く 頂戴いたします」 世の中にはヘソ曲がりがいるもんだと思う。 どういうことだろう。 寄付じゃダメということだろうか。 寄付と お布施とどう違うのだろうか。 我が家ではお坊さんの月参りには 適当額のお布施を渡している。 そこで辞書を引いてみた。 ”寄付” とは、公共事業などに金銭、 財物を出すこと。 喜捨とある。 ”布施” とは、他人に施すこと。 僧にお金や物品を与えること。 とある。 違いは分からんことはないけど今一釈然としない。 それで他の文献を見ていたらどうやら納得できる答えが出てきた。 つまり布施とは ”自分が必要とするものを差し上げる” と書いて あった。 だからボランテイア団体は恐らく、「不要なお金だから寄付します」 ではなく 「必要なお金だけどお布施させてください」 という意味 で聞こえたなら受け取ったのだろう。 同じお金でも違いがある。 ここにもっと分かり易い話がある。 ある時子供が通う幼稚園で チャリテイバサーがあるので一軒につき最低5点の品物を提供して 下さいという機会があった。 アチコチ家の中をゴソゴソ探していると紳士物の傘が出てきた。 それは何年か前にお中元で頂いたものだった。 頂いた時は他の傘を 使用していたので、そのうちにと仕舞いこんで忘れていたものだった。 フランス製の洒落た傘だったがこれを思い切って提供してあげようと 思ったのだ。 勿論、勿体ないし自分が使いたい気持ちはやまやま だったが思い切った。 自分が必要とするものを差し上げる、というこれがお布施の心では あるまいか。 惜しいと思うからこそお布施に値するのだろう。 東日本大震災で私は二回日本赤十字宛郵便局から送らせてもらった。 三ヶ月経って集まった2500億円のうち被災者に渡ったのは確か僅か 2割ほどと報道されがっかりした。 義捐金を送る方も一刻も早く、 被災者の方々も全てを失って困窮しているのに間に入った日赤なる 団体のノーテンキさには呆れ果てた。 私の気持ちを込めて慌てて送ったものが日赤は悠長にどんな理由が あったのか知らぬが放漫に処理していたのにホントに腹が立った。 金輪際、日赤には送るまいと決めたことである。 多分7ヶ月経った 今でも多額の寄付残高をかかえていることだろう。 どうせどこかの 省庁から天下ったノーテンキ役人上がりが関与してるに違いない。
2011年10月21日
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わが身が危なくなるとそれまでと豹変してなりふり構わなくなる。 忘れちゃならない、我が国がバブル崩壊で呻吟していた頃の話。 それまでの日本の会計制度は原価会計であった。 購入した時の 資産コストを原価にしていたのである。 それをアメリカは時価 会計にせよと迫った。 当時の竹中平蔵はハイハイと言うことを 丸呑みしたのである。 バブル崩壊で株や不動産が値下がりして各企業が含み損をたっぷり 抱えて苦しんでいた2000年の頃、グローバルスタンダードだ何だと 言い含められ時価会計を押し付けられた。 このため日本の企業は 一気に損失が増えて窮地に陥った。 その結果アメリカのハゲタカ 外資に買われたり破綻する企業が続出した。 日本長期信用銀行の破綻には政府に一時国有化で不良債権を処理 させてから投資ファンドのリップルウッドが僅か10億円で買収。 そして一昨年リーマンショックに陥るとそれまでの市場原理主義を かなぐり捨て、大手金融機関や自動車ビッグスリーに大量の公的資金 を投入して助けたのは記憶に新しい。 日本が困っていた時は政府に よる救済に反対し、自分が窮地に陥るとなりふり構わず豹変した。 もう、市場原理主義は通用しないのである。 自由競争なる資本主義 の限界ではないのか。 今ヨーロッパで吹き荒れているギリシャ問題 を初めとした諸問題は正にそれを象徴しているように思われるが如何。 小泉時代のブッシュとの蜜月は竹中平蔵を尖兵として郵政改革や 医療改革、規制緩和など強い、日本の構造をアメリカ流に変えさせ るべく混乱させたのもまだアタマの中に残像として残っている。 そして今度のTPP(環太平洋パートナーシップ)である。 これ又 アメリカは自国に有利な様々な取り決めを日本に強いようとしている。 何でも自分の思う通りにはなるまい。 我が日本も言うべきは言い、正面から堂々と話し合いにのるべきは 乗り、そうでないものは断ったらいい。 アメリカに事情があると 同様に我が日本にもお家の事情があるのだから・・・・・ 唯、高齢化で先の見えない農業分野は農協の利権体質が大きな 弊害になっているのでこれは早急な体質変換が必要だろう。 その上で、どうTPPに対処すべきかが問題ではないだろうか。 どうであろう、私の考え方は間違っているだろうか。
2011年10月20日
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♪ねんねんころり~よ~おころ~りよ~ ぼうやはよいこだ~ねんねしな~ ぼうやの~おもりはどこへいった~ あのやまこえてさとへいった~ 里のみやげに~なにも~ろ~た~ でんでん~たいこにしょうのふえ~ ある主婦が一才になる赤子を寝かしつける為に初めて子守唄を 歌ってみた。 ところがその時不測の事態が起きた。 子守唄を 聞いた赤子は眠るどころか嫌がって泣き始めたという。 筆者も知らなかったが子守唄というのは子守の為に里子に出された 貧しい家庭の子供が自分の身の上を恨んで歌う、ある意味で哀しい 唄であり本当は無垢の赤子に聞かせるには余りいい唄とは言えない というのだ。 だから殆んどがマイナーで短調なのである。 確実に言えるのはまだ人生経験がない赤子に音や音楽に対する 感性が既に備わっているということである。 ということは彼らは それ以前に音の感覚を形成する何らかの音楽的環境を受けて いるということになる。 母親の胎内にいる時に胎児が接する音の環境があり胎児は成長 半ばを過ぎると既に母親の子宮皮膜を通じ外部の音を聞いている ことが既に知られている。 胎教とか言うまだ胎児がお腹にいる 時にクラシックを聞かせるのはムダではないということになる。 筆者はそんなことはあるまいと疑っていたけど、どうやらそれは 本当だったようだ。 だから母親がテレビを見ていると胎児はその 音を聞いていて音に馴染んでいるのである。 子守唄は短調が殆んどである。 テレビから聞こえる音は明るい 音調のCMを含めて殆んどが長調である。 従って長調の音に馴れている赤子が短調の唄を聞くと多分違和感が あるから拒絶反応を示したのであろうと。 動物である犬が時間を察知しているくらいだから人間の赤子が胎内で 既に音を識別していることくらい摩訶不思議でも何ともないのかも 知れない。 世の中には知らざることが如何に多きことかを知らされる。(一一;)
2011年10月19日
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「一病息災」 とよく言う。 これはあるお医者さんの造語らしい。 本来は 「無病息災」 が正しい。 人間どこかに病気を持っているとそれを気にかけ、無理な生活を しないから、息災すなわち長生きすると言う意味で言ったのが 知らぬ間に広がって 「一病息災」 と相成ったらしい。 それにもう一つ、”無病” の人は病気の人の痛みが分からない ことがある。 病気で苦しんでいる人のことを理解できないのだ。 そしてそれは身体のことだけではなくて他人の心の悩みや苦しみ が理解できにくいことにも通ずる。 だから 「一病息災」 は他人を思いやる心を備えることにも つながるのである。 筆者は以前にも述べたが腎臓に欠陥があって、もう数十年病院に 通っている。 腎機能が弱いので蛋白質を分解出来ないから解毒 作用に難点があるのだ。 これが高じると人工透析と相なる。 幸いにしてというか生活態度がマジメ?で模範的?であったが故 にこのところはこの年齢にして回復基調にある。 いかにも治りが 遅かったが治らんよりマシだろう。 人間、年齢を取ればどっかこっかガタが来る。 それが寿命という ものだ。 生老病死は世の常なり。 命あるものはいつかは尽きる。 なのに余計な放射能をバラ撒きやがって! 責任者出て来い。 あぁ~、また変な締めくくりになっちゃった。 ゴメン!
2011年10月18日
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大阪に超高級ホテルが出来たの知ってます? 御堂筋本町四丁目 に10月1日オープンしたセントレジスホテルです。 先日テレビで そのホテルの紹介をしてたのです。 ビルの11階~27階にあり全部 で部屋が160室だそうです。 部屋はスタンダードで6~7万円(税・サ込み)、スイートで17、23、34、 94万円の料金案内が出ていました。 料金もさすがに立派ですねぇ。 このホテルの発祥はニューヨークで今現在世界に20ヶ所のホテル・ リゾートを展開しアジアでは北京、上海、シンガポール、インドネシア のバリに続いて大阪が5番目だそうです。 大阪ではこれまでリッツカールトンホテルが最高級だったようです がそれをあっさり抜き去ったと言われています。 名実ともに高級 で最も居心地のいいホテルを目指しているそうです。 ここで何が珍しいかというとバトラー(Butler)サービスというもの で、これはイギリスの小説や映画によく出てくる執事という立場 の仕事人です。 イギリスの上流階級の家庭にマネージャーの 如き立場で主人の意向に沿いあらゆる家のことを差配する上級 使用人のことである。 このホテルにはそのバトラーサービスパントリーが一階おきにあり、 宿泊客の要望は何でも聞いてくれるという。 ”どこかこのホテル近辺に日本料理の美味いところある?” ”このマクラ寝にくいんだけど他にないの~?” ”ハイあります。 マクラは6~7種類ありますが、どんなのがよろしいでしょうか?” ”このソファ、横になって御堂筋を見たいんだけど移動できる?” このホテル11~27階だから上の階の部屋からは御堂筋が一望 出来るのである。 バトラーさんはお客の言うことなら何でも聞いてくれるという。 ”タバコ買ってきてくれる?” ”ハイかしこまりました。銘柄は 何でしょうか?” こんなのはお安い御用だ。 ところで10年ほど前、シンガポールに行った時ホテルのフロントで ”食事に出たいのだけどどこか美味いところあるかい?” と尋ね たら、”あそこのコンシェルジェ(concierge)でどうぞ” と言われた。 コンシェルジェなんて初めてだったが懇切丁寧に教えてくれたのを 覚えている。 コンシェルジェというのはフランス語で本来は集合 住宅(アパルトマン)の管理人のことで、その解釈を拡げてホテル などで宿泊客のあらゆる要望に応える(絶対に断らない)立場の 仕事人という意味である。 今では日本の大きなホテルでは大抵 そのサービス人がいる。 時代がどんどん変わっている。 家電製品だってタブレットだ~、 スマートフォンだ~といって新製品が次々と生まれてくる。 世の中のサイクルが激しくなってとてもじゃないが付いてゆけなく なる。 困ったものだ。 まあ、用事のないものには近寄るつもり はないのだが・・・・・
2011年10月17日
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湯船にモノを浮かべお湯を手前に手繰り寄せて取ろうとしたら あっちさ行っちゃう。 好きだ好き好きとしつこく恋した相手を追いかけると逃げられる。 反対にお湯をアッチに押しやるようにするとモノは近づいてくる。 恋の場合はそうはいかんかも知れない。 関心を示さんかったら 近寄っては来まいからね。 余り好き好きと迫ったら相手は負担 に思うだろうしぃ・・・・・よっぽどコッチがイケメンでアタマも良くて 相手の好みだったら話は変わると思うけど。 これは人生すべてにつながる真理だという。 きっと誰しも何らか の形で経験したことがあると思う。 欲をかきすぎると実らない。 相手のためにと無償で役に立つことをすると自分に返ってくる。 つまり、目の前の利益を追っちゃならない。 それよりも相手に 与えること。 ギブ・アンド・テイクではなくギブ・アンド・ギブで やんなさいという。 阪神淡路大震災でもそうだった。 この度の東日本大震災でもそう だったが多くの日本人がボランテイアとして無償で被災地に入って 人々を助けた。 こんな索漠とした世の中でも日本人は惻隠の情を しっかりと持っているのだ。 戦後の学校教育の拙さを成熟した社会がしっかりと補佐し良質の 人間を育てているからそうして沢山のボランテイアが出てくる。 ”情けは人のためならず” の精神はしっかり根付いているから 日本はまだまだ捨てたもんじゃない。
2011年10月16日
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夏には何千坪一面にひまわりが・・・・・秋には東京ドームほどの 広さ一面にコスモスの花が! 観光客が集まり、うわ~キレイ、きれいだわ~♪ 自然っていいな~ ため息も出るし癒される。 日ごろのストレスが飛んでいくようだ。 ところが専門家に言わせるとこうした人工の広大な花園は極めて 遺憾だというのだ。 なぜならば近辺の自然の生態系を破壊する ことになるからという。 コスモスが満開になるとミツバチなどの昆虫がワ~ッと押し寄せ て来るから同じ時期に近辺の森や林で自生している花が受粉しな くなるという。 そうすると自然のサイクルが狂って、鳥、昆虫、動物、植物など 全てが変わってしまう。 人間の目で見ればお花畑は自然がいっぱい、という印象しかない。 でもそのウラで、自生している草花の種を絶滅に追いやっている ことになるのである。 どうでしょうか、正に人間のエゴが生態系を壊していることになる のです。 お花畑に限らず人間が自分達の利益の為に自然を破壊 していることは枚挙に暇がないほどじゃないですか。 九州の有明海もそうだった。 離農者が増えて休耕地がどんどんと 拡がっているのに何で干拓し農地が必要だったのか。 長良川河口 堰も四国吉野川河口堰も皆そうだ。 国交省が土建屋の工事の為 洪水になるとか治水の為とか御用学者を引き込んで屁理屈を作って 工事をやってきたのである。 バカな国である。 台風12号で奈良の十津川、和歌山の熊野などでダムが土砂で埋まり 土石流の危険が未だに恐怖として残っている。 ダムがなければ あのような危険な状態にはならなかった筈なのです。 全部国が 土建屋のために余計な自然破壊をやってきた結果と言えるのです。 こんな話題を取り上げる時いつも思うのはイギリスやフランスの国 のことです。 日本では辛うじて京都・奈良の古都などに歴史自然 を守る意思が行政に働いていると思われるがそれ以外のところでは 好き放題のように見えるのは大変残念なことである。 イギリスやフランスでは先ず自然保護が優先されている。 だから ダテにあのような自然いっぱいの国が出来ているわけではない。 国敗れて山河あり。 日本には自然がいっぱいあるのです。 その 自然と折り合いをつけながら余計な事をしなければいいと思います。 必要なことはするなと言うつもりはありませんけど・・・・・
2011年10月15日
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我ながらよ~く今日までミサオを立ててきたものだ。 感心する。 小学校3~4年の頃近所のトラキチに洗脳されて以来だから、かれ これ半世紀は優に越えている。 まあまあよく飽きもせずトラ一筋で来たもんだ。 その間紆余曲折 苦汁を飲みつづけてきた。 漸く2000年になって亡くなった久万 オーナーの英断で星野監督を迎え2年目にリーグ優勝を遂げた。 あれがトラキチの絶頂期ではなかったか。 そのアト岡田監督が 引継ぎ再度リーグ優勝ができた。 そのアトを引き継いだのが今の 真弓監督である。 これが今年で3年目だけどどうも監督の器では なかったようで来シーズンはどうやら交代らしい。 よかれとして選んだ将がその器でないというのはプロ野球という 勝負の世界では厳しくその立場を追われるのは当然である。 社長に選ばれた人間が利益を出せない経営をしたなら株主も配当は ないし社員も給料ボーナスが減るから、そんな社長はクビになって 当たり前である。 プロ野球は多くのファンで成り立っている訳だからその野球が ファンにソッポを向かれると第一球団経営の採算が取れなくて オーナー会社の持ち出しになる。 勝負に勝ってもファンに嫌われ観客が減れば交代を余儀なくされ るケースもある。 中日の落合監督だ。 圧倒的にいい成績を残し ているのに今シーズンで辞任させられる。 球団経営という観点で 失格のらく印を押されたのだ。 ファンの喜ぶ野球をやって長期に名前を馳せた監督は過去にいた だろうか。 そうか、古くは巨人の水原監督とV9を達成した川上 監督くらいか。 阪急ブレーブスの上田監督もいたけど球団として 採算が取れていたかというと疑問だったろう。 西武・ヤクルトを率いた広岡監督もいたが、どう言えばいいのか。 人気があったとは言えない。 そのアトの森監督もよく似ている。 ヤクルトを引っ張り上げてリーグ優勝・日本一も達成した野村監督 もいたがそのアト阪神・楽天に渡りミソをつけた。 左様に一軍の将たる器になる人材は稀少であるということであろう。 はて来年我がタイガースを率いるのはどこのどの人物であろうか。 多くの熱烈トラキチを憤死の淵から救い上げてくれるのは果たして 誰であろう。
2011年10月14日
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昨夜は世界体操選手権を見ていた。 日本は団体優勝を目指して ライバルのシナ、米国を前に最後の種目、鉄棒に臨んだ。 結果 残念ながら田中佑が落下そして三人目のエース内村まで鉄棒から 落下してシナの三連覇を許してしまった。 体操は格闘技ではないからいいけど、格闘技で相手を倒して相手 がまだ倒れてるのにその横でガッツポーズしている姿は弱肉強食 のスポーツとは言えいただけない。 ナニを言う格闘技なんだから それでいいじゃないか、と言うご仁には何を言ってもムダである。 最近大相撲でも指導がいいのか、負けて転んだ相手に手を差し延べ ているのは見ていて気持ちがいい。 特に横綱の白鵬はその点模範 的である。 以前の朝青龍はダメだった。 相手を土俵下に転げ落 としてザマァ見ろの態度で負けた力士を睨みつけていたのをいつも 見せられた。 大横綱としての品格という弱いものに対する労わり の姿が見られなかった。 一番いかんと思うのが日本のお家芸である柔道である。 相手が まだ倒れているのにその横で酷いのになるとピョンピョンと跳ねて ガッツポーズする者がいる。 あれは本家本元の柔道国家として いかがなものかと思う。 柔道連盟に反省がないからああした見苦 しい光景が平気で展開されるのだ。 もっと原点に返って本来の 礼節というものを指導し直す必要があるのではあるまいか。 異論があるかも知れないが私は勝者たるもの敗者に対し労わりの 態度で締めくくってこそ初めて勝負が完結すると思うのだがどうだ ろうか。 特に柔道をお家芸とする日本が自らそうした手本を示す べきだと思っている。 講道館の指導者はそうは思わんのだろうか。 日本柔道連盟はそれくらいのことに気がつかんのだろうか。 レスリングも同じことである。 負けて悔しがって起き上がれない でいる敗者を前にガッツポーズをするのはいかん。 勝負が厳しい ものであるのは分かっている。 がその前に敗者の気持ちを労わり 助け起こす行為が必要なのではないかといつも見て思うのである。 ああいうのは見苦しい。 相手を思い遣る気持ちが欠如している。 本来日本の武道はそうではなかった筈である。 礼節の欠如。 勝てばいいってもんじゃない。 負けて倒れている選手に手を差し延べてあげる。 然る後に一礼、 そして試合を終えるべきなのだ。 ガッツポーズしたければリング を下りてからさりげなくやったらいいだろう。 ”稔るほどこうべを垂れる稲穂かな” の精神はどこいった。
2011年10月13日
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日本人は口癖のようにスミマセンとよく使う。 関西ではスンマセン と言います。 英語で言えば I am sorry である。 アメリカ人は滅多に I am sorry は使わないという。 車同士が 接触した場合スミマセンと言った方が自分の過失を認めることになる からである。 当然保険で立場が不利になるのだ。 シナ人も絶対と言うほどスミマセンとは言わない。 なんだかんだと あれがこうだからこうなったとか屁理屈を言って自分の非を認めない。 毒入りギョウザの時もそうだった。 尖閣諸島の故意衝突の時もそう だった。 あの国はまず謝罪をすることはない。 日本人でも税金を迂回させてネコババしスミマセンの一言も言わず 裁判になっているO氏などはひょっとしてあちらの人ではないのか。 胡錦濤のところに300人もの手下を連れて一人ずつ握手してもらい、 ”ナンでもあなたの言うままに・・・” と跪いたのは何よりの証拠で 記憶に新しい。 あれほど卑しく日本人として惨めな姿はなかった! それに比べて日本人はすぐスミマセンを口に出す。 日本人が使う スミマセンには二通りの意味があるのではないか。 ”スミマセン が駅に行く道を教えて下さい” とか、”スミマセンがこれいくら ですか?” などに使うスミマセンは excuse me の意味である。 もう一つは、”約束の時間に遅れましてスミマセン” とか ”ウチ の子がオモチャを壊してスミマセン” とか ”お金を落としてしまい スミマセン” などはホントに謝る時にも使う。 これは I am sorry の意味で両方ともスミマセン、スンマセンで代行する。 サンキュウーとアメリカ人に言われて我々はユア・ウエルカムと返事 する。 だって学校でそう習ったからだ。 ところが最近のアメリカ ではマイ・プレジュアーと答えるそうな。 つまり、”私の喜びです から” もっと意訳すれば、”あたしゃ~好きでやってんだから気に せんでええよ” って言ってるのだ。 もう一つ。 日本人はガンバルという言葉が大好きのようでアッチ でもコッチでもみんなが使う。 会社で昇進祝いの時、ガンバレよ~、 受験に合格して東京に行く時、ガンバレよ~、スポーツで海外遠征に 行く時、ガンバレよ~、新婚旅行に出発の新郎新婦を見送りに行き ガンバレよ~、(ナニをガンバルの?) ガンバルを英訳すると、work hard とか do your best とか make an effort とか、軟らかく come on とか cheer up などと言うが、”take it easy” というのがある。 これは ”気楽にやれよ!” という意味でガンバルの英語では何か救わ れるような気がしませんか?
2011年10月12日
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このブログも開設以来1886日(5年ちょっと)になります。 日記記入率は99%ですから内容はともかくそこそこの頑張り でしょう。 ズボラですからキリ番など無視しておりまして ナンですがこれまでのアクセス数は158233で、これは余り 自慢できるものではありません。 ・・・ということで1800も日記を書いておりますと中には類似 といいますか似たような話が出てくるのはどうかお許し下さい。 越中富山の薬売りは北陸の冬場は雪のため仕事がないから男の 人は全国に地元産の薬を行商して歩いた様です。 女の人は家庭 で手編みの編み物をしたりして冬場は過ごしていたのです。 私の小さい頃、年に一遍でしたか柳行李を大風呂敷に包んで行商 の薬屋さんが来ていました。 当時は病院も少なくてこの行商の 薬屋さんの置いていく家庭常備薬は大変重宝していたと思います。 痛み止めのトンプク、頭痛にノーシンもあったかな~、腹痛に赤玉、 今でもある精露丸もあった。 キズ薬はハマグリみたいな貝の中に 入っていたような気がする。 それやこれや一寸した家族の病気は この越中富山の常備薬が全部引き受けてくれたものである。 母親と世間話をしながら、それとなく近辺のウワサなども探って いたのかも知れない。 帰り際には風船など子供の喜びそうなもの をお土産に置いていった。 一説によるとそうした富山の薬売りは幕府の隠密であったという話 もあるのである。 当時の幕府は世間の不純分子を薬売りの手を 借りて探っていたという。 これは松尾芭蕉の奥の細道の紀行にも 幕府に所縁のある曽良が隠密として同行したという見方もあるのと 同じである。 使っても使わなくてもと薬箱に入れて沢山の薬を置いていかれると 一年間だからついつい結構な量を消費してしまう。 信用して置い ていかれると悪い気持ちもしないからつい断り切れないものだろう。 うまい商売を考えたものだ。
2011年10月11日
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激しい年であった2011年もあと2ヶ月ちょっと、早いもんである。 年の暮れが近づくとお歳暮だ年賀状だと慌しくなってくる。 虚礼廃止なんて言葉はずうっと言われ続けているけど実際には 割り切れるものではない。 ただパソコンが隆盛になったり時代感覚が変わったりしてそれらは 若干は減ってきたと言えないこともないだろうが・・・・・ 「オトーさん、今年のお歳暮、何にする?」 「いつものところに テキトーに送っといてくれ!」 「もう! 何だって私に押し付け るんだから・・・偶には自分で決めてよ!」 こんな誠意のないお歳暮は、きっと日用品のセットか調味料の詰め 合わせくらいなもので、貰った方も感激もナニもない。 ギフトカタログでも見て送る相手を考えながらせめて4~5種類 くらいに分けて考えたらどうだべか。 酒好きには美味しそうな 酒の肴とか、甘いもん好きには地方の銘菓とか・・・いくらでも 変化をつけられるのに! 年賀状だってそうだ。 「お~い、カアさん、年賀状プリント 頼んどいてくれ・・・!」 「どんな文章にするのよぉ・・?」 「いつもの通りテキトーでいいってば・・・」 こんな印刷だけの紋切り年賀状など貰っても何の感激もありゃせん。 せめて空白に自筆で個別のコメントくらい書いてもバチは当らんべ。 ”虚” ばっかりで ”実” が感じられないものほど空疎でつまらん ものはない。 アタマをちょっとでも使い、気を入れてくれない関係 など無くなってもどうってことはない。 日本は贈答社会だと言われています。 ものを贈る時には 「でいい」 の考えは捨てて 「がいい」 と考えて贈るべきでしょう。 レストランに二人で入って、”何にする?” と聞かれて ”何でもいい” と言われたら相手は困るだろう。 そんな相手は面白くも何ともない に違いない。 そんなのと結婚したらそれこそ将来が思いやられる。 ウデにヨリをかけてご馳走を作っても旦那はテレビを見ながら或いは 新聞を読みながら、美味いとも不味いとも言わない。 こんな旦那 には何を食わしても一緒だからやがて奥さんはご馳走を作らなくなる。 そして奥さんの料理のウデは進歩がなくなるのだ。 駿馬だって名伯楽がいなければ走らなくなる。 それと一緒だ。 須らく関って、いいとか悪いとか、ウンとかスンとか言わねば ものごとは後退し退化していくのである。
2011年10月10日
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もうふた月もすりゃ~師走だろうから、余り得にはならんかも 知れないけど覚えておいて損はないと思うから書いてみる。 先日テレビを見ていたら京都に撞木(しゅもく)のメーカーさん が紹介されていた。 撞木って、分かるかな~、分からんだろう なあ~! あの除夜の鐘を撞く、突っつき棒のことであります。 ナニを隠そう、このあたしだってあれを撞木と呼ぶなんてこと は知らんかった。 そうして現在では全国にそのお店が一軒しか ないのだって。 そりゃ~そうでしょう、お寺の鐘なんてそうそう 新陳代謝して需要のあるもんではないでしょうしね~ ところがこの店の社長さん、この撞木を作るのに科学的にもの凄い 研究をしているのである。 撞木の重さ、長さ、材質により、全る 音を研究して最もふさわしい響きのある撞木をつくる努力をして居 られるのである。 撞木に使われるのはもっぱら棕櫚(シュロ)の 木がふさわしいという。 近年では全ゆる音が世の中に錯綜し、偶に田舎の温泉などに行くと まあ、音のないこと、特に夜になると川のせせらぎや虫の音しか聞 こえない全く静寂の中にいることを実感するのではないか・・・・・ 昔は音がなかった。 京都はその昔当時の都、長安を模して造られ た時に都に住む人達の耳に響いてくる鐘の音もまた、長安の場合と 同じになるように工夫したと言う。 町の東西南北にお寺を配し、 それぞれに音程を少しずつ変えた鐘を配置して方角によって違う 鐘の音が聞こえるようにしたと言う。 例えば北は重く、南は明る く、という具合に・・・・・京都の人は昔からそんな音の中で毎日 暮らしていたのである。 だから自然の風の音とか虫の音そして鐘の音を暮らしの中に取り 入れ音と仲良く暮らしていたのである。 今はクラクションやサイレンの音に全てが掻き消されメカニック な音の洪水の中で生活を余儀なくされている。 どう思うかは自由だが、未だに鐘楼の撞木の出す音を研究されて いる人が京都にいるという事実は満更無視できるものではないの ではないか。
2011年10月09日
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日野原先生を見ていたら安心するというか何か錯覚するようだ。 ところで、ある96才の長老が小唄を披露したとさ・・・・・ 50、60は花ならつぼみ 70、80は働き盛り 90になったと迎えにきたら いまは留守だと言えばよい 100になったとまたきたら 耳が遠くて聞こえない どうです、この楽天家ぶりは・・・高齢化社会はそのうち、冗談で なくなるかも知れませんぞ。 この長老に、長生きのコツは何ですか、と聞いたら、”それは生きる ことにクヨクヨしないで運命を享受すること” と仰ったそうな。 それと、よく笑うこと、だと言った。 「人生は冥途までの暇つぶし」 とのたもうたのは他でもない、 あの今東光和尚である。 だから素敵な暇つぶしをすることです、 とこの長老は述べたという。 この長老はよく食べるし酒もほどほど飲むという。 96才ですぞ~ アッチの方はどうですか、と聞くと、”男は結局のところ、産んで くれた母を訪ねて三千里の旅をしている。 だから母の面影を求め て、女との出会いを待っているんです。 人生には運命的出会いが あるものです。 運命の女に出会えばその時こそ残りの全力をふり しぼって・・・アハハハ・・・それまではウォーミングアップじゃよ” あたしの思うウォーミングアップとはどうも違うらしい。
2011年10月08日
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法治国家だからといって証拠が薄弱だったら罪を逃れられるの だろうか。 昨日の小沢裁判でその疑問と不満が充満した。 裁判の論点をすりかえて、あろうことか傲慢にも検察側を批難 するとは言語道断ではないのか。 弘中なる敏腕らしいが正義感 に乏しい弁護士を頼んで陳述の一切を書いてもらい原稿読みに 終始したあの態度はなっとらん。 本(日本改造計画)を書くほど (どうせゴーストライターが書いたに違いない)のお人なら堂々と 自分の言葉でしゃべったらいいのだ。 一点の曇りがないならば自らの言葉で滔々と述べたらいい。 国会喚問だってコソコソ逃げ隠れせずに堂々と国民の前に出て しゃべるべきだろう。 4億円の出所などは推測でものを言うのはいけないが政治献金 の一部か政党助成金のごまかしかの何れなのかは国民の殆んど が知っていることである。 カネに色はついてないと言われるけどダークグレーの包み紙の 4億円を銀行に預け、それを担保にして白い包み紙の4億円に 換えようとした根拠は何だ? そのカネを借りるのに自らの手で サインしておきながら石川秘書に4億円渡した時点で、あとは 全部秘書の裁量なんだと・・・・・ カネの出入りには一番細かいと評判のある小沢事務所に於いて そんなことは誰が信じますかいな。 小沢も石川も盗人猛々しい人間共の典型と言ってよい。 昨今 のこの二人の開き直った主張・弁明は見るに耐えないほどだ。 こんな者達が国会議員であること自体が日本の恥である。 ゼネコン側がいついつどこそこでどういう包みにしておカネを 渡したと言って罪に問われたのに受け取った側が知らぬ存ぜぬなど 一般常識として看過できるものかどうか、もしこんなことが罷り 通るとしたら日本の国はおかしい。 小沢は、国民の負託を受けていない検察が国民の負託を受けた 我々政治家を罪に落とすとは怪しからん、裁判を直ぐ中止せよ、 と8分間検察批判に終始した。 政治家の言うことを聞けと言わん ばかりの傲慢さであった。 こんな者が国会議員として国民の税金をネコババしフトコロを 肥やしつづけてきた日本の政治の土壌は腐っている。 それこそ ドジョウも棲めまい。 こういう政治家が二度と出て来ない様に 来年の結審時には然るべき判決を望みたいものである。
2011年10月07日
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先日テレビを見ていたらスリランカで宝石の仕事をしている 日本人がカレーライスを手で食べていた。 スリランカでは それが習慣なのだろう。 勿論インドもパキスタンもバングラ ディシュも同じだろう。 どういう風に手で食べるかというと、勿論右手である(左手は ナニの時に使うから不浄の手でキレイとはいえないから・・・) 親指と人差し指と中指と薬指の4本を使ってつまみあげる様に 食べるのである。 ライスとカレー(ホントは curry だからカリー)を指先でコネコネ とコネ合わせ、程好く混じりあったところで口に持ってゆきヒョイ と入れるのである。 あたしはやったことはないけどモノの本に そう書いてある。 考えてみれば何でもつかむ手でそうして口に入れるものをつまむ というのは清潔だとは言えない。 まあ、インド人などは何でも 上流から流れてくるガンジス河で有り難く沐浴するくらいだから 少々のことでは体内に免疫が出来てるだろうけど、それにしても サニタリーとは言えん習慣だ。 (別にインド人を中傷している わけではないからそこは誤解のないように) あたしの大好きな東海林さだお氏などは是非とも手で食べたいと 言って本の中ではしゃいでいる。 カレーを4本指で食べる時に 少しポタッとたれるところが楽しいらしい。 子供に返った様で 嬉しいんだと。 変わってるねえ~あの人。 序でにカツ丼など も手で食べたいらしい。 勝手にしなさい! ナンだカンダ言ってもカレーライス、もとい、カリーライスなるもの は大きめのスプーンで食するのが一番ではないか、どうだろか そこんところ・・・・・
2011年10月06日
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考えてみれば、考えてみなくても氏も育ちも違う二人が一緒に 生活するには辛抱と忍耐と理解がないと長続きしないべさ・・・ 危なっかしい侭でお互い年齢を取って子供も大きくなって行くと ”子は鎹(かすがい)” の様になり諦めの境地になっていく。 ナニナニ結婚というものじゃ。 若い頃は ”あばたもえくぼ” で 惚れてしまえば何でもよく見える。 中味なんかは二の次だ。 こんなに惚れ合ってるんだからと未来はバラ色にしか見えない。 ところがところが、結婚生活は厳しい現実だ。 奥さんたる者、 料理、洗濯、掃除はもちろん文化的素養も大事に違いない。 一方旦那も仕事は勿論、家庭のことに対する理解、協力などの 生活態度などしっかりした考え、行いが必要だろう。 どうだろか、惚れたハレたで結婚するとそんなことの確認など なしに一緒になるのだろう。 そして昨今では、そんな筈では なかったと言って忍耐も我慢も、勿論理解もなく簡単に離婚と 相なるのである。 結婚式で祝ってくれた沢山の人達を裏切る ことになるのだ。 恥ずかしくて顔も向けられまい。 欧米人がその典型である。 日本も生活スタイル、ものの考え方が 戦後の高度経済成長の時期を経て、よく似てきた結果が同じ様な 轍を踏むようになったと言ってよい。 ひと目見て、或いは出会って直ぐ灼熱の恋に落ち・・・なんてのは 映画やフイクションの世界である。 ロマンと現実を見誤っては いけないのである。 また女性雑誌やテレビがそうした本来一過性 なるべきものを現実に見せるからややこしくなる。 * * * * * * * * * さて、偶々同年代の男4人でゴルフすることになり、スタート前に 食堂で朝飯を食ってる時、誰かが言い出した。 「オレ達みたい に、バツイチの連中が集まってる会を何と呼ぶか、知ってるか?」 「・・・・・」 「おまえもかい・・・<お前も会> って言うんだってさ」 「じゃ~、バツ二のやつらの会は何て言うが当てられるか?」 「・・・・・?」 「それは、またかい・・・<又会> って言うんだそうだ」
2011年10月05日
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そういえば最近長距離列車に乗ってないから分からんのだけど、 食堂車というのは未だあるのだろうか、どうだろかそのへんは。 新幹線も初めの頃はあったのですがやがてそれがビュッフェに 代わり暫らくしてそのビュッフェもなくなったと思うんだけど、 いつも新幹線を利用している人ならお分かりでしょうけどね~ 今は車内のワゴンセールだけじゃありませんか? 何故かって 思いつくのは各駅で売られている弁当が充実したからでしょう。 兎に角駅弁は百花繚乱よりどりみどり・・・・・ホント選ぶのに 目移りしてね~~多分こんなのは日本だけでしょうね。 日本はホントに豊かな国だと思いますよ、そうゆうところはね~ だから皆さん乗車前に好きな弁当やペットボトルの飲み物を買い、 乗り込みますから列車食堂など不必要になったのでしょう。 新幹線の食堂も当初は駅弁も大して充実してなかったし珍しさも あって売り手市場だったからよく繁昌したのだと思います。 ”ピンポンパ~ン・・・”食堂は〇時から開店致しますので皆様 のお越しをお待ちいたしております” ピンポンパ~ン! 慌てて食堂車へ行くともう座席数ほどの人数が並んでたりする。 だから列車に乗り込んで荷物を座席に置いて直ぐ食堂車に直行だ。 白いテーブルクロスに大きく開かれた窓。 一輪挿しの赤い花。 心地よい揺れ。 取り敢えずビールを頼んでグビッ、外をチラッ、 グビチラッ、ウエイトレスをチラッ、ビールをビンに少し残した ところでカレーライスを待つ・・・・・”お待ちどうさま、カレーライス になります”・・・・・(”なります”とはなんだ、”ございます” と言え な~んて意地悪くは言わなかったけど・・・) 福神漬をポリポリ齧って残りのビールを空ける。 そしてやおら カレーライスだ。 入り口では2~3人待ちくたびれているから なんか急き立てられてる感じで・・・でも出来るだけ品よく音も 立てずに食べ、グチャグチャ掻き混ぜないでカレーとご飯の接点 から向こう側に掬って食べるのであった。 そんな食堂車もなくなって、なんか一抹の寂しさはあるのでは ありませんか。 東京大阪間も2時間半になって早よ、早よと 急き立てられるようになったからウカウカのんびりと食堂車など でメシなど食ってられないのかも知れない。 ”狭いニッポンそんなに急いでどこへ行く” な~んて標語も あったけど、やっぱ立場が変わったからかな~、まあ、いいや、 あたしはの~んびり行くんだから・・・
2011年10月04日
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”箸にも棒にも掛からん” というのが民主党の過去二人の首相 ではなかったか。 特に 「日本国は日本人だけのものではない」 とのたもうたトップバッターは売国奴そのものだった。 二人目も 似たような者だった。 三人目は低姿勢の船出だから暫し待とう。 今朝は箸の話。 箸を使うところは日本と朝鮮民族とシナだけで あろうか。 あとアジアでシナ人が移住している国はその習慣を 持っているかも知れない。 箸をマトモに持てるかというと我が親愛なる読者に於かれても或は そうでない方もおられるかも知れないから予め中傷する気持ちでは ないことをお断りしておく。 皿に大豆を入れてお箸で掴めるか、湯豆腐をお箸でナベから取り出 せれるか・・・これらがスイスイと出来る人は正しく箸を持てる人と 言えるであろう。 湯豆腐でも絹漉し豆腐は特につかみにくい。 考えてみれば二本の棒を一本の手のひらの中に収めそれを別々に あやつる技術はなまなかのものではない。 新幹線の列車の洗面所には冷水を飲める装置があって、平たい紙 コップが設置されてある。 あれに水を注ぎ、口のところに持って いくにはかなりの技術が要るのではないだろうか。 あの操作だけ は進歩したロボットでも不可能だそうだ。 また湯豆腐ナベの中の 軟らかい豆腐を取り出すのもロボットでは出来ないという。 つまり、人間が片手でお箸を操りナベの中の軟らかい湯豆腐を取り 出す感覚は相当繊細な神経が要るということである。 いわば箸は 血の通った手の指先の先端になった様なものだろう。 今、箸立てというものがある家庭は存在するのだろうか。 家庭 でもマイお箸なるものがあり共用の箸で食べる家庭は少なくなって いるのではあるまいか。 日本人は公共の観念が薄いから大小の宴会などでもひと悶着ある。 ナベものをして初めはナベ縁に立てかけてある小さなお玉を使うが やがて ”堅苦しいから勝手につまみましょう” と言い出す人が 現れジカ箸でつつき出す。 そういうご仁に限ってお箸をマトモに 持てないからつまんだものをナベに取り落とす、そしてまた箸を ナベに突っ込むのである。 そうなるとお玉派との間でぎこちなくなる。 最後に残った出し汁 で雑炊をするとなると尚更気持ちのいいものではない。 最近は大宴会で一人ナベが流行ってきたのにはそうした気遣いも あるのだろう。 清潔感ともう一つは公平感の為に違いない。 日本には割り箸という他国にないものがありどこの食堂に行っても 安心して食事ができる。 資源のムダではあるが大変良い習慣だと 思う。 そのうち再生資源の割り箸も出来てゆくことだろう。
2011年10月03日
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マッチといっても、”たのきんトリオ” の近藤真彦君のことでは ではありません。 火をつけるマッチ(燐寸)のことである。 どうです、このところすっかり影を潜めているのじゃありませんか。 戦前戦後ずうっと点火の主役を勤めてきたのに最近火が消えた ように音沙汰がありません。 それはですね~、ライターにその立場を奪われたからでしょう。 100円ライターという安価で便利なものに! マッチとライターの蜜月時代もあったと思うけど、それは短い間で やがてマッチは居場所がなくなりました。 思えば私の青春時代はマッチの全盛期で喫茶店に行っても飲み屋へ 行ってもマッチをタダで呉れたから、それを自分の部屋のカモイに ずら~っと並べたりして悦に入っていたもんです。 それを見ればその人間の行動範囲とか生活レベル、もっと言えば、 知性、教養、嗜好までが分かるほどでした。 その持ち主を計る 一つのバロメーターのようなものじゃなかったでしょうか。 中に気に入ったマッチがあると中味がなくなっても家にある徳用 マッチから軸を補充して持って歩いたりしたこともある。 マッチがないとガスコンロに火がつけられない。 煮炊きが出来 ない。 ということはメシが食えない。 ということは生きて ゆけないのである。 そんな時代があったのです。 マッチは 人間の生殺与奪のチカラがあったといって過言ではなかったのです。 (ちょっとオーバーか) 家庭では徳用の大箱があり、つばめ印とかパイプ印、大黒印なんて 懐かしい名前のものがありました。 覚えていますか~ 時代とは言え、一世風靡したものが消えてゆくのは淋しいことで あります。 擂り面に擂って着火した瞬間、硫黄のニオイがプ~ン として、それは独特の持ち味がありました。 我が家の仏壇の経机の抽斗にはまだいくつかのマッチが入って おります。 これらは大事にそのままにして置こうと思っています。
2011年10月02日
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「オトーさん、いい加減にこのマクラ捨てたら~?」 と家人。 ダニやら何やらいっぱいいるよ、って言われ、別に大事にそれに しがみついてる訳じゃないし、ついつい馴れ合いになってるだけ だったから、それじゃ~買い替えよう・・・・・と! 考えてみればもうかれこれ40年は使い続けている。 結婚以来だ。 ”ソバ殻のマクラ” は熱を遮断するからいいんだよ、アタマが すっきりするからね~、それに何よりもアタマが安定するから眠り 易いでしょ、って! ずうっといわれてそれを使い続けてきた。 そうなんです。 マクラが変わると眠られないとよくいうじゃない。 特に国内でも海外でも旅行すると、あのスポンジのようなフワフワ したマクラ! あれはダメだね~、寝床だって柔らかすぎて腰・尻 が落ち込むヤツ、あんなのでよう外国人は寝れるもんだっていつも 思ってた。 寝床(布団の下)は日本のタタミが最高じゃないの? 安定感が あるし~ 硬いマットでもいいけど・・・ だから旅行先でフワフワのマクラだったら、その上にバスタオルを 畳んでクルクル適当な大きさに巻いてそれを使う様にしている程だ。 さてところで使い慣れたマイマクラを捨てる為に替わりのヤツをと 楽〇ショッピングを検索した。 ”ソバ殻マクラ” で・・・・・ ある、ある、いくらでもある。 近くに寝具屋はないし、こんな時は 通販がホンニ便利だ。 そこで注文して届いたのがこれ: 35cm x 50cm、 ソバ殻と中袋、カバーが別々に入って、注文の 翌日にクロネコで着荷。 ポイントもあったし代引きで2000円弱、 昨夜からこれにバスタオルを巻いて使用しました。 これでダニの枕とはサヨウナラです。 すっきりしてそのうちに いい夢でも見られることでしょう。 今日はこれから孫の運動会に一時間ほどかけて西宮門戸厄神まで。
2011年10月01日
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