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にほんブログ村紳士・淑女の皆様。今晩は。最近は、めっきり寒くなりました。鍋の季節ですね。皆で、鍋つついて…ビールを飲みながら…団欒したいものですね。さて、ここからは、多くの人に読んでいただきたいと思い、転載させていただきます。転載/ 「人間を矮小化してはならない」 ねずきちさんのBLOGより 2011-11-04 06:37:33■人間を矮小化してはならないhttp://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-641.html こんにちは、「鷲」です。元自衛官として思い入れのある文章なので転載させていただきます。埼玉県の私立狭山ヶ丘高校の校長先生が、校内紙に掲載された文章ですが、転載については学校事務局に電話で許可をいただいております。10年ほど前になりますが、長男の高校進学を控えて、学校説明会に付き添ったおり、この小川義男校長先生のお話を拝聴する機会を得ました。本当に素晴らしい教育者です!では、以下に掲載します。**************先日、狭山市の柏原地区に自衛隊の訓練用ジェット機が墜落しました。たまたま私は、寺田先生と共に、あの近くを走っていましたので、立ち寄ることにしました。すでに付近は閉鎖されていて、近くまで行くことはできませんでしたが、それほど遠くないあたりに、白煙の立ち上るのが見えました。見上げると、どのような状態であったものか、高圧線がかなり広範囲にわたって切断されています。高圧線は、あの太くて丈夫な電線ですから、切れるときはぷつんと切れそうなものですが、多数の細い線の集まりからできているらしく、ぼさぼさに切れています。何ヶ所にもわたって、長くぼさぼさになった高圧線が鉄塔からぶら下がっている様は、まさに鬼気迫るものがありました。聞くと、操縦していた二人は助からなかったそうです。二佐と三佐と言いますから、相当地位の高いパイロットだと言えます。二人とも脱出を試みたのですが、高度が足りなく、パラシュート半開きの状態で地面に激突し命を失った模様です。以前、現在防衛大学の学生である本校の卒業生が、防大合格後航空コースを選ぶと言うのを聞いて、私がとめたことがあります。「あんな危ないものに乗るな」と。彼の答えはこうでした。「先生、戦闘機は旅客機より安全なのです。万一の場合脱出装置が付いており、座席ごと空中に打ち出されるのですから」と。その安全な戦闘機に乗りながら、この二人の高級将校は、何故死ななくてはならなかったのでしょうか。それは、彼らが十分な高度での脱出を、自ら選ばなかったからです。おそらく、もう百メートル上空で脱出装置を作動させていれば、彼らは確実に自らの命を救うことができたでしょう。47歳と48歳と言いますから、家族に取りかけがえもなく尊い父親であったでしょう。それなのに、何故彼らはあえて死をえらんだのでしょうか。実は、あの墜落現場である入間川の河川敷は、その近くに家屋や学校が密集している場所なのです。柏原の高級住宅地は、手を伸ばせば届くような近距離ですし、柏原小、中学校、西武文理高等学校もすぐそばです。百メートル上空で脱出すれば、彼らは確実に助かったでしょうが、その場合残された機体が民家や学校に激突する危険がありました。彼らは、助からないことを覚悟した上で、高圧線にぶつかるような超低空で河川敷に接近しました。そうして、他人に被害が及ばないことが確実になった段階で、万一の可能性に賭けて脱出装置を作動させたのです。死の瞬間、彼らの脳裏をよぎったものは、家族の顔でしょうか。それとも民家や学校を巻き添えにせずに済んだと言う安堵感でしょうか。他人の命と自分の命の二者択一を迫られたとき、迷わず他人を選ぶ、この犠牲的精神のなんと崇高なことでしょう。皆さんはどうですか。このような英雄的死を選ぶことができますか。私は、おそらく皆さんも同じコースを選ぶと思います。私も必ずそうするでしょう。実は、人間は、神の手によって、そのように作られているのです。人間はすべてエゴイストであるというふうに、人間を矮小化(ワイショウカ)、つまり実存以上に小さく、卑しいものに貶(オトシメ)めようとする文化が今日専ら(モッパラ)です。しかし、そうではありません。人間は本来、気高く偉大なものなのです。火災の際の消防士の動きを見てご覧なさい。逃げ遅れている人があると知れば、彼らは自らの危険を忘れて猛火の中に飛び込んでいくではありませんか。母は我が子の為に、父は家族の為に命を投げ出して戦います。これが人間の本当の姿なのです。その愛の対象を、家族から友人へ、友人から国家へと拡大していった人を我々は英雄と呼ぶのです。あのジェット機は、西武文理高等学校の上を飛んで河川敷に飛び込んでいったと、佐藤校長はパイロットの犠牲的精神に感動しつつ語っておられました。しかし、新聞は、この将校たちの崇高な精神に対して、一言半句(イチゴンハンク)のほめ言葉をも発しておりません。彼らは、ただもう自衛隊が、「また、事故を起こした」と騒ぎ立てるばかりなのです。防衛庁長官の言動も我慢がなりません。彼は、事故を陳謝することのみに終始していました。その言葉には、死者に対するいたわりの心が少しもありません。防衛庁の責任者が陳謝することは、それはもう当然です。国民に対してばかりか、大切な隊員の命をも失ったのですから。しかし、陳謝の折りに、大臣はせめて一言、「以上の通り大変申し訳ないが、隊員が、国民の生命、財産を守るため、自らの命を犠牲にしたことは分かってやって頂きたい。自衛隊に反発を抱かれる方もあるかも知れないが、私に取り彼らは可愛い部下なので、このことを付け加えさせてもらいたい。」くらいのことが言えなかったのでしょうか。隊員は命を捨てて国民を守っているのに、自らの政治生命ばかり大切にする最近の政治家の精神的貧しさがここには集中的に表れています。まことに残念なことであると思います。このような政治家、マスメディアが、人間の矮小化をさらに加速し、英雄なき国家、エゴイストのひしめく国家を作り出しているのです。人は、他人のために尽くすときに最大の生き甲斐を感ずる生き物です。他人のために生きることは、各人にとり、自己実現にほかならないのです。国家や社会に取り、有用な人物になるために皆さんは学んでいます。そのような人材を育てたいと思うからこそ、私も全力を尽くしているのです。受験勉強で、精神的に参ることもあるでしょうが、これは自分のためではなく、公(オオヤケ)のためである、そう思ったとき、また新しいエネルギーが湧いてくるのではないでしょうか。受験勉強に燃える三年生に、連帯の握手を!**************私がもっとも感動したのは、「私は、おそらく皆さんも同じコースを選ぶと思います」の部分です。こんな校長先生が居られるなら、まだまだ日本も希望が持てますね。-----------------------------以上が、鷲さんの投稿です。「人間は本来、気高く偉大なもの」「母は我が子の為に、父は家族の為に命を投げ出して戦います。これが人間の本当の姿なのです。その愛の対象を、家族から友人へ、友人から国家へと拡大していった人を我々は英雄と呼ぶのです。」野生の動物だって、母親は我が子を守るために、自分よりはるかに強大な敵に、牙を剥いて立ち向かいます。犬は、飼い主が襲われそうになると、自分よりはるかに体のおおきな人間や動物に向かって、命がけで戦いを挑みます。飼い主を「友」あるいは「親」とすれば、犬は、その友のために命を賭けて戦います。昆虫の蜂は、巣という彼らにとっての国家を守るために、女王蜂や子を守って、働き蜂が集団で敵に戦いを挑みます。最近の研究では、蜂は、その飛び方のコースが、蜂同士の言語(またはコミュニケーション道具)となっていることがわかってきました。一回でも敵を刺した蜂は死にます。それでも蜂たちは、敵と戦うのです。どこの国に行っても、民族のために戦った先人は、英雄です。国民をあげて、国家をあげて彼らを称え、彼らの勇気を学びます。野生の動物だって、犬だって、昆虫だって、どこの国だって、守るべきもののために、いざというときは戦うのです。そうして戦い、散っていった英霊を、平気で恥ずかしめ、貶め、彼らのおかげでいまの生を受けていながらそれに対する感謝の思いすらない。そのような国は、おそらく人類の歴史始まって以来、あるいは地上の生命が始まって以来、おそらく現代日本くらいなものです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上、転載させて頂きました。尚、楽天ブログは次数が限られているので、すべてを転載することができません。すみませんでした。
2011.11.30
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暴かれる韓国最大のタブー「保導連盟事件」 報道特集http://www.tbs.co.jp/houtoku/onair/20080906_1_1.html 約60年前、韓国で政府が国民を大虐殺した事件をご存知だろうか。「犠牲者は20万人以上だった」とも言われている。それほど大規模な虐殺だったにもかかわらず、韓国内では長い間、タブーとされてきたため、詳しく知っている人はほとんどいない。この「韓国最大のタブーが今、ようやく暴かれようとしている。■ なぜ?山中に謎の遺骨 韓国南部、サンチョン郡。車道から山道を10分ほど登ったところにその現場はあった。土の中から姿を見せたのは、おびただしい数の人骨だ。これまでに発掘されたのは約240体。ほとんどが大人の男性の骨だ。○調査責任者 ノ・ヨンソク博士 全部発掘してみなければわかりませんが、証言によると500人以上の遺体が、ここに埋められたということです。 遺体が埋められたのは今から57年前の1951年2月頃と見られる。彼らの身に何が起きたのか。■ 暴かれる大量虐殺 韓国政府は2005年、朝鮮戦争の前後に国内で起きた虐殺事件の調査を始めた。 政府の「真実和解委員会」は、そうした歴史的な事件の真相究明などを行うための機関だ。2007年からは各地の虐殺現場で遺骨の発掘作業を始めた。 1950年6月に始まった朝鮮戦争で、北朝鮮の侵攻に韓国の首都ソウルはわずか3日で陥落、韓国軍は一時、南へと追い詰められた。 韓国政府が恐れたのは北朝鮮軍の攻撃だけではなかった。韓国内にも北朝鮮を支持し、共産主義活動を行う人たちが存在していた。 国内からの反乱を恐れた韓国政府は共産主義に関わった疑いのある人たちを処刑することにした。「アカ狩り」である。 各地の処刑現場からは、韓国軍が使っていた銃弾や薬きょうが大量に見つかっている。 このサンチョン郡の遺骨も、いわゆる「アカ狩り」の犠牲者のものである可能性が高い。 真実和解委員会の調査によって約60年の間、闇に閉ざされていた数々の虐殺事件に、ようやく光が当てられようとしている。■ 虐殺現場からの生還者 韓国・スンチョン市出身のキリスト教牧師ファン・ジョングォンさん(70)は虐殺現場から生還した数少ない一人だ。○ファン・ジョングォンさん インタビュー ここが私の家でした。あそこに門がありますが、当時はこっちにも出入り口があってそこから連行されたんです。そして、当時はこちらの向かい側にも家があったんですが、その家族は4人が殺されました。 自宅から連行された後の惨劇をファンさんは今もはっきりと覚えている。■ 子どもまで皆殺しに 惨劇が起きたのは、ファン・ジョングォンさんが10歳のときのことだった。 夕食の支度をしていると、銃を構えた軍人がいきなり家にやってきた。一家は理由もわからないまま、近くにある中学校まで連行された。 ファンさんによると、連行された住民は約30人。幼い子どももいた。そして「停まれ!」という軍人の声が聞こえた直後… ○ファン・ジョングォンさん インタ ビュー 「ここにひざまづいた状態で、全員が壁のほうに向かって一列に並ばされました。そして『銃殺!』という号令で殺されたのです。」 ファンさんは足を撃たれたが、命は助かった。しかし、両親を含む家族、親戚の5人を失った。2歳の甥までが射殺された。○ファン・ジョングォンさん 生き残ったのは私だけです。あの時兵隊の視界に入った人、目に映った人はみんな殺されました。■ 「アカ」を転向させる団体 「アカ」のレッテルを貼られ全国各地で虐殺された人たちの中には、ある団体に加入していた人が多かった。 それは「国民保導連盟」という団体だった。朝鮮戦争が始まる前、1949年に韓国政府が作った組織だ。 韓国内にいる共産主義者たちの思想を転向させ、大韓民国への絶対的な支持を誓わせようというのが設立の趣旨だった。○(加入者の反省文より) 「よく考えもせずに左翼系列に加わってしまったことを今では後悔しています。今後は共産軍と闘争し、大韓民国に忠誠をつくすべく献身努力いたします。」 当時の新聞記事には、共産主義活動に関わった人が自首して保導連盟に加入すれば過去は一切問われない、と書かれている。また、加入者には就職の斡旋や食料の配給といった見返りがあった。農地をタダでもらった人もいた。 しかし、北朝鮮軍が38度線を超え朝鮮戦争が始まると、韓国政府は突然態度を変える。 「過去の罪は問わない」と言っていたはずが、保導連盟員を「反乱分子」「スパイ」とみなし、軍や警察を使って各地で一斉に処刑し始めたのだ。■ 廃坑で3,500人を処刑 韓国・キョンサン市。日本の植民地時代に掘られたコバルト鉱山の廃坑だ。中に入ると、急に肌寒くなった。 入り口から150メートルほど進んだ場所で遺骨の発掘が行われている。この鉱山で保導連盟員を含む多くの民間人が虐殺されたという。 真実和解委員会から作業を委託された地元の学生たちだ。小さな遺骨や遺品を見逃さないよう、慎重に掘り続ける。○ヨンナム大学大学院 ソン・ジャンゴンさん(27) 「隠された歴史を明らかにしたい、そんな気持ちをもって発掘作業を行っています。」 坑道の入り口の脇に、発掘された遺骨頭に銃弾の跡がはっきりと残る遺骨。刃物で切りつけられたような傷が残るものもある。犠牲者を縛っていたと見られる電線も見つかったが保管されている。 この山で何が起きたのか。真実和解委員会の調査責任者、ノ・ヨンソク博士の案内で山を登った。 山の中腹に、目撃者の証言によって明らかになった重要な現場があるという。それは、深いタテ穴だった。○調査責任者 ノ・ヨンソク博士 「ここは被害者を8人ずつ縛って銃殺、もしくは突き落として生き埋めにした場所です。」 これはもともと地下の坑道で掘ったコバルトを外に運搬するために掘られた穴だ。 当時の目撃者によると、銃殺された犠牲者たちはこのタテ穴に次々と落とされた。その結果、大量の遺体が坑道の中にたまった。 この鉱山での犠牲者は3,500人に上ると見られている。 学生たちに混じって発掘作業を手伝う男性、イ・テジュンさん(70)はこのコバルト鉱山の事件で、従兄弟の男性を失った。従兄弟は共産主義が何なのかすら、わかっていなかったという。○イ・テジュンさん インタビュー 「従兄弟はイデオロギーとは全く関係のない人でした。毎日、山奥に薪(たき ぎ)を取りに行って暮らしていただけなのです。」■ 虐殺は韓国全土で起きた 保導連盟員の虐殺は韓国全土で起きた。これは民間団体の調査よる犠牲者の数だ。調べによると、殺された人たちの中にはスパイ活動はおろか政治運動と全く関係のない人たちが多かった。 保導連盟事件による犠牲者は、合わせて20万人以上とも言われている。■ 何も言えなかった時代 しかし、これほどの虐殺だったにもかかわらず、事件について知る人は少ない。 保導連盟事件は、1980年代まで続いた軍事政権下でタブーとされた。遺族や生存者たちも、この事件について話すことは許されなかったという。○イ・テジュンさん インタビュー 「コバルト鉱山で人がたくさん殺されても、当時は何も言えませんでした。言えば連行されてしまう。聞いてもいけないし、見てもいけない。何も言えない時代だったのです。」 「何も言えない時代」。それをうかがわせる資料が韓国各地の警察署に保管されていた。 朝鮮戦争が休戦となった後も、保導連盟事件の遺族が「要注意人物」として監視されていたことが記されている。歴代の軍事政権は、事件が表面化しないよう取り締まってきたのだ。○真実和解委員会 キム・ドンチュン常任委員インタビュー 「これまでの軍事政権は、民間人の虐殺が問題になれば自分たちにとって深刻な脅威になると考え、事件が表沙汰にならないよう弾圧してきたのです。」■ 「アカの子ども」と言われて 2008年7月、虐殺事件の遺族と真実和解委員会のメンバーが、ある現場へと向かった。朝鮮半島の南にある、観光地として有名な珍島(チンド)からさらに南へと進む。 地元の人たちが「カモメ島」と呼ぶ無人島が見えてきた。ここに推定で500人の遺体が眠っているという。 オ・ウォンロクさん(68)の父親は1950年7月頃、保導連盟員だという理由で警察署に連行された後、殺されたという。 父親の遺骨は、今もこの島に放置されているものと見られる。○遺族 オ・ウォンロクさん 「遺骨探しも大事じですが、父が無実の罪で、無念の思いで銃殺されたという真実を明らかにして欲しいのです。父がここで亡くなったために、私はアカ(共産主義者)の子どもだと言われ、悔しい思いで生きてきましたから。」 島への上陸を目指したが、波が荒いため接岸するのが難しい。上陸を断念した。■ 私が射殺しました 韓国人が韓国人を虐殺する…。左翼勢力の反乱を恐れたとは言え、同じ国民に銃口を向けた兵士や警官たちはどんな思いだったのか。 我々は加害者の証言を求めて、探し回った。しかし、すでに亡くなった人や取材を拒否する人もいて、なかなか話を聞くことができない。 そうした中、保導連盟員を殺したという男性と8月1日、チョンジュ市でようやく接触することができた。 朝鮮戦争が始まった直後だった1950年6月から7月。憲兵隊の少尉だったキム・ マンシクさん(81)は、韓国北部のウォンジュやフェンソンで、保導連盟員およそ150人の射殺を指揮した。○元憲兵隊少尉 キム・マンシクさんインタビュー 「私たちは、警察から引き渡された保導連盟員を射殺しました。北朝鮮軍が迫って来ていたんですから。私たちも生きなければいけないし。歩兵たちの機関銃を借りてダーッと撃ったのです。」 しかし真実和解委員会の調査で、保導連盟員の多くは共産主義とは無関係だったことがわかっている。 キム・マンシクさんも今は犠牲者の冥福を祈っているという。■ 大虐殺調査に暗雲? 長く封印されてきた虐殺事件の調査を始めたのは、軍事政権と対立してきた民主化勢力の流れをくむノ・ムヒョン前大統領だった。○ノ・ムヒョン大統領(当時)会見 (2008年1月) 「58年前の国民保導連盟事件は、我が国の現代史の大きな悲劇でした。私は大統領として、国家を代表して当時国家権力が犯した不法行為について心からお詫びいたします。」 しかし2008年2月、大統領は保守系のイ・ミョンバク氏に代わった。 真実和解委員会のキム・ドンチュン常任 委員は、今後、調査体制が縮小されるの ではないかと危惧している。 ○真実和解委員会 キム・ドンチュン氏 インタビュー 「今の政権は、私たちのような歴史の調 査活動をよく思っていません。廃止まではしなくても、予算や人員の削減などで委員会の力を弱めようとするでしょう。」 真実和解委員会による遺骨の発掘が始まった現場は、まだ11か所に過ぎない。
2011.11.29
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にほんブログ村紳士・淑女の皆様こんばんは。もう眠いから…おやすみなさいといいたいところだけど…先ほど、ひとすじ君の記事を読んでいたら…むむむ…何じゃこりゃ…という部分を発見!!いや、発見というほどでもないが…どうも腑に落ちない部分がありましたね。大韓帝国の光武改革=日韓併合前の近代化政策 2011-11-25 00:40:43 この記事なんですけどね。まあ、いろいろウリナラマンセイ記事なんだけど… ひとすじ君曰く『日本が韓国を植民地支配するときに、それを正当化するためにいろいろな論理がその当時から使われました。』(ここの部分は、植民地ではなく併合ですね。確かに、日本は、この朝鮮を併合してもいいかどうか、欧米の反発はないだろうかとまわりばかり気にしていたようです。しかし、朝鮮人側から、何としても併合してほしいとの申し出あり、併合したはずです。)ひとすじ君曰く「その当時から今にいたるまで非常によく使われる論理が、朝鮮は悲惨だった、自力では到底、近代化できる能力のない国だった、だから植民地支配していいのだという論理です。」(まあ、これが、欧米の論理ですね。)ひとすじ君曰く「自力近代化ができない国は、植民地支配してもよいという論理は正しくないのは、もちろんです。」(その当時の事を現代の価値観で裁いていますね。)ひとすじ君曰く【 もしも正しいのならば、中華人民共和国のチベット支配や、ウィグル支配も正当化されてしまいます。】(論理が飛躍しています。ぴょんと…)もう面倒くさいので…中途略しちゃう。もっとも変だなと思う部分は…ひとすじ君曰く『それで日韓併合すると日本は、増税に次ぐ増税をおこない、さらにそれでも足りない分は、夫役(ぶやく)や賦役(ふえき)と呼ばれる無賃の強制労働を民衆に負担させることまでするのです。』この部分ですよ。瀕死の朝鮮人に多くの税金をかけたという資料はないと思うよ。どの資料も、この本土の税金よりも少なかったとの記述ばかりだし…そもそもきちんと税金が払えるぐらいの状態だったのだろうか?それに、本土からの持ち出しばかりだったというぐらいだし…また、戦後、朝鮮が日本から離れてくれたお陰で、経済成長したという話もあるぐらいだから…そのくらい、お金が朝鮮へ流れていたということだよ。そのことに気づいたアメリカは、フィリピンを独立させたという話もある。さて、参考までに以下H.P.からコピペしちゃいます。あとで、h君とk君がこそこそ見に来るだろうから字は大きくしてあげたわよ。感謝しなさい!!そう、この感謝という言葉も、和製漢語だからね。日帝の残滓だから…心して使いなさいよ!!「歪められた朝鮮総督府」 黄文雄 1998年 光文社 朝鮮の財政を支えつづけていた日本の補充金と公債 朝鮮総督府時代の朝鮮半島経営については、今日よくいわれているような「日帝36年」の植民地収奪というよりも、日本人の税金を注ぎ込むことによって、朝鮮半島の財政をずっと支えてきたというのが歴史的事実である。朝鮮総督府は、朝鮮人を圧迫したり、搾取したり、収奪したりというよりも、税金を注ぎ込み、近代国家として育てようと奮い立っていたのである。 朝鮮総督府財政を支える財源については、朝鮮国内の税金などの取入だけでは足らず、その一部は公債によって支えられていた。その公債の98%は、日本の金融市場からのものであった。朝鮮の公債は、予算上の歳入不足を補填するいわゆる赤字公債ではなく、原則として事業公債に限定され、殖産興業に投資する公債であり、産業資金ともいえる。この公債によって土地、資源の開発、殖産興業が進展した。朝鮮半島は、海外からの借金によって国民経済を支えるという経済構造が、終戦後、半世紀以上たって、OECDに加盟した今日に至っても、ほとんど変わってない。 明治44年には、借金、公債が国家予算に占める割合は22%であった。昭和5年には、公債の割合が6%まで低下したものの、昭和20には18.4%となった。(中略)日本政府からの財政補充金には、たとえぱ製鉄奨励金、増炭奨励金などもあり、朝鮮半島はおんぶにだっこを続けていた。各種補充金は、昭和19年までに一般経費の補充金として4億3000万円程度に達していた。それは朝鮮半島が貧しく、自力で開発ができず、外債に頼らざるをえなかったからであるが、今日に至っても、その構造はまったく変わりがないのではないだろうか。鴨緑江、豆満江の架橋13ヵ所の予算は、じつは満州国から出たのであった。 今日までの「日帝36年」に対する批判は、ほとんど朝鮮総督府が民度・民力の向上に懸命な努力を続けてきた歴史的事実に触れることなく、ひたすら日本人と朝鮮人との物質的な強弱の格差、支配者と被支配者の関係のみを取り上げることを目的としている。それはきわめて歪んでおり、歴史歪曲ともいえる。朝鮮半島は、統監府時代から「保護国」として日本に保護されながら、総督府時代に入りいっそう過保護にされつづけたのであって、財政面のみならず、政治、経済、文化のあらゆる面にわたってそうであった。「日帝36年」とは、植民地搾取という見方とは逆に、日本国民からの"支援"で支えられてきたのだ。併合以来、年に千数百万円から二千万円の一般経費補充金が、朝鮮総督府特別会計に補填されつづけ、財政運営を支えてきた。それは総督府の財政関係担当者が日夜奔走し、機会のあるたびに帝国議会や大蔵省に働きかけた賜物である。その補充金は、ほとんどが朝鮮半島の産業と国土開発、民生安定と福祉向上に注ぎ込まれており、今日のODA援助以上のものである。
2011.11.28
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昨今、れいの騒動(?)で、ブログの名称が、ちょっとまずいかなと思い、変更させていただきます。そうです。いわゆる創氏改名です。ジョリュジュさんは、跡形もなく消えてしまいましたし…天一国市民さんもブログを削除してしまいました。事の発端を作ってしまったこのブログも無傷ではすまされないだろうと思います。(笑)”やや日刊カルト新聞”に記事が掲載されて…このブログも多くの人たち(?)が訪問してくださりました。それで、ブログ名がちょっとまずいんじゃないかと不安になり…変更する事に決めました。以前のタイトル:『すべての雲は銀の…Silver Lining』でした。これからは、『すべての雲は銀の裏地を持っている。。。』に変更します。皆様もご存知かと思いますが、以前のタイトルは、有名作家の小説のタイトル名そのままです。ちょっとでも変えてれば…良かったのですが…なにぶん、よく考えないものですから…ファンの人たちに内容的にご迷惑をおかけしてしまうことは、本意ではありません。村山先生には、これからも本をいっぱい買っちゃいますので…許してくださるでしょう!!それに、ずいぶん宣伝したから…中には、興味を持って読んでくださった人もいるかもしれません。また、このフレーズは、英語の慣用句ですので…”どんなに不幸でも、必ず、どこかに何か良い面があるはずだ。”という意味で、そう、統一教の人たちが、外見どんなに不幸そうに見えても…何か、どこかにわずかでも良い面もあるはずだということです。これをピックアップしていこうというのが、もともとものブログのコンセプトです。最近は、若干ずれ気味なんだけど…そういうことですので、今後もよろしくお願いします。今日は、文字サイズはそのまま… by雅楽
2011.11.27
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にほんブログ村紳士・淑女の皆様。こんばんは。さてさて、ひとすじ君は、光武改革!光武改革!としつこく云っておりますので…少し、光武改革についてもふれておきましょう。朝鮮は独自で近代化できたんだーーーと…それなのに。それなのに。日帝が(ニッテイガー、ニッテイガー)と云っております。まあ、そもそも、独自で近代化できなかったから…併合されちゃったと見るのが普通の感覚だと思います。独自で近代化できたら…西欧、日本も”おっ。”と一目置かれていたかもしれません。1897-1910大韓帝国の時代の、近代化を目指した改革のことですよね。まあ、やろうとした事だけで…それだけで終わった感じなんですけどね。さて、いつぞやの3.1独立運動も宣言する事が成功だーなんて云ってたもんね。いやあ、宣言するだけで…もうその後はどうでもいいみたいな感じですよね。まあ、勉強しよう。そして知識を蓄えよう!!ここにアジアの近代化についてのH.P.があります。非常に参考になる部分もありますので…読んでみましょう。↓↓↓↓アジアの近代化についてhttp://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/kindaika.html【注】この討論については、朝鮮半島に近代化の前提となる政治的経済的な要素が皆無であったことから、日本の「影響」が無ければ独力での近代化は不可能であったという結論は出ている。ただし、「併合」が必要であったかについては議論の余地がある。当時は日本にとっても併合は負担が大きすぎたために利点が無かったと考えられる。当時の政治状況から言って、保護国化は不可避であったと考えるが、併合は日本に不利な選択であったと思う。また、中産階級が未発達であった場合の近代化については知識階級(intelligentsiya )の活動が重要であり、事実、朝鮮半島においても知識階級の活動はあったが、全くの空理空論を弄ぶ古い考えの知識人以外の知識階級は日本に学ぶことを選択した。現在、これらの近代化を促進しようとした朝鮮半島の「知識階級」は、何故か「親日派」と呼ばれている。ロシア、あるいは清と結託することを選択した者は単に保身と体制の維持を考えるだけで、近代化を考えなかった。上記の点が史料などから明らかとなったことです。参考urlhttp://unsuk.kyunghee.ac.kr/history/02-3.htm(韓国語)しかしながら、併合当時の話題が頻出するので、皆様の討論の助けとなれば良いと思い、この文も定期的に上げることにします。++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++・私は過去に「近代化と中産階級」というタイトルで、以下の内容の文章を投稿した。================================================================いわゆる「近代化」を単なる歴史の段階としてではなく有機的に「文明の衝突」という観点からとらえ直したとき、文明の邂逅(encounter of the civilization)による変革に対応する過程として見ることが出来ると思います。そして、歴史学者によると、この過程において対応出来るかどうかを分けた最も重要な要素は中産階級(the middle class)の存在だということです。 日本においては江戸時代には既に町人文化が見られ幕末になると庶民の教育水準も高まり、識字率も飛躍的に向上しました。19C当時は世界最高水準であったといいます。(日本人へ:識字率のことで韓国と日本を比較するのは止めた方がいい。世界的に見て日本の識字率の高さのほうが特異なのです)かつ、新興中産階級は武士の道徳である武士道(BUSHIDO)を取り入れながらも武士化はせず、町人としてのモラルを持ち、町人の文化を発達させたと考えられています。しかしながら、朝鮮半島においては新興勢力は地位を得ると両班化してしまったとされています。 日本人である私から見ますと、既成の権威の中に取り込まれてしまったように見えます。何故、こういう差異が生じてしまったのでしょうか?本当に疑問に思いますので、韓国の方に答えて戴きたく思います。================================================================・また、『光武改革』について、下記の投稿も行った。================================================================韓国人の多くは『日本の影響が無くても朝鮮は自主近代化が可能であり、日本の侵略は近代化を阻害した』と言う。しかしながら、韓国側が自主近代化の証拠と考えている「光武改革」についても日本では日清戦争に勝利した日本が着手した改革であると考えられており、多くの史料もこの説を支持する。以下、isabella bird KOREA AND HER NEIGHBOURShttp://www.ypbooks.co.kr/ypmall/WebHome/specdm/specdm.jsp?p_isbn=1422100354http://hanbooks.com/korandhernei.htmlより引用。---------------------------------------------------------------朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心を持つ少数の人々をのぞき、新しい体制にとってまったく不都合なもので、改革のひとつひとつが憤りの対象となった。官吏階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、ごまんといる役所の居候や取り巻きとともに、 全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ、改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。 政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でもスケールこそそれより小さいとはいえ、首都と同質の不正がはぴこっており、勤勉実直な階層をしいたげて私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈していた。このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。公正な官吏の規範は存在しない。 日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。 盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。「搾取」 と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた。---------------------------------------------------------------日本が朝鮮半島(および亜細亜全域)に対して及ぼした影響力は決して小さくは無い。なお、「光武改革」を検索した結果、http://ask.c.u-tokyo.ac.jp/hmitani/sub8.htm(日本語)というページが見つかった。討論の参考資料になると思う。テキストの翻訳はhttp://ocn.amikai.com/amitext/indexUTF8.jsp が使えると思う。================================================================これらの投稿から、過去に様々な議論が発展し、・朝鮮で近代化の前提となる条件が整備されなかった理由として、儒教の影響が強かった(強すぎた)のではないか。・また、支配原理であった儒教の統治思想が土地中心経済を前提としていたために、貨幣経済の発展が促されなかったのではないか。・朝鮮でも18cから19cにかけて改革運動があったが、十分なものではなかった。(改革が十分でなく、土地中心経済の破綻は進行していたが貨幣経済が発達せず、生活基盤を喪失した地方の農民が都市に流入し都市がスラム化したと考えた方が、19世紀末の貧困を説明しやすい)等の意見があった。↑↑↑ねえ、どうだった?わかった?もう、議論が尽くされていて…結論が最初にあったけどね。そう、朝鮮半島の近代化の前提となる政治的経済的な要素が皆無だったとしているね。(ここは、ファビョらないでね。もっと、詳しく見ていかないと…)近代化の為には、大多数の中間層(中産階級)が必要なのがわかるでしょう。トップがいくらねえ…こうしよう!ああしようと改革ののろしをあげてもそれを受ける知識層やそれを受けいれる中間層が無ければ機能しないですよね。ちょっと、想像して見てください。あの当時、朝鮮の人たちは、識字率も低く、読み書きできた人たちがごく僅かで…いろいろなお触れを出しても…”なんじゃそりゃ”っていう人たちがいっぱいいたと思うよ。どこまでもおんぶでだっこのような改革でないと…無理ってことかもしれませんね。それに職人さんを尊敬しない土壌は、良いものが創れる環境がないということを示しておりますね。それに比べて、日本の農村を見ると、驚く事ばかりですよ。例えば、神社に奉納してある数学の問題や解き方など…おおお庶民がこんな難解なものを考えていたのか…と。また、朝鮮の知識層の人たちは、自分達の保身と体制の維持を考えているだけですって…もう、これだから、光武改革が頓挫しちゃうんだろうけどね。でもね。安心してくださいね。日本国は、どこまでも親韓なんですね。どいう訳か…世界中の国々が反韓だとしても…この辺は、どこがどうなっているのかわからないんだけどね。(福沢諭吉さんも嘆いているだろう。)それにしても韓国は、どこまでも反日なんだけどね。h君もk君も感謝しなさいよ!!後で、コソコソと来るだろうから字を大きくしといたわよ。(笑)つづく。
2011.11.26
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にほんブログ村紳士・淑女の皆様。こんばんは。今日も、この拙いブログを訪ねてくださりカムサハムニダ。さて、あの統一教のブログ村には、なんでも悪魔が徘徊しているようですね。怖いですね。それにしてもあのジョリュジュ(カタカナ間違ってないよね。間違っていたらごめんなさい。)さんのブログが突如なくなってしまいましたね。チェックリストに乗せていたのに…それにしても紳士的な方だったのにね。何か、Chサイドから圧力でもかけられたのだろうか?残念ですね。少し期待していた部分もあっただけに…さて、今日は、”創氏改名”について、面白い記事があったので掲載する事にする。このことに関しては、いろいろ面白くない事もあるだろうけど…まあ、こういうこともあるよ的な感覚で読んでほしい。↓↓↓「逆説の日本史1 古代黎明編」 井沢元彦 1993年 小学館 なぜ韓国人の姓は『金』や『李』のように全部『中国風』なのだろうか?つまり日本の『山本』や『田中』のように、『山の本』や『田んぼの中』といったような、土着の言語を基調にした姓がないのか? 実はあったのだ。『韓国も昔は今と違って中国式の姓名ではなかったようで、これは中国の記録や日本の記録を見るとわかります』『どんな名ですか』『日本に来た技術者はといえば、画部・因斬羅我(えかきべ・いすらが)とか医博士・奈率王有りょう陀(くすし・なりつおうゆうりょうだ)とかいった名前でしたな。また有名な医師に、允恭(いんぎょう)天皇3年(414年)に、天皇の病を癒すために新羅から招聘された金波鎮漢記武(こんぱちんかんきむ)がいます』『フーム。すると韓国も中国式の朴(パク)さんや金(キム)さんじゃなかったんですか』(「日本人とは何か」 山本七平 PHP 研究所より) 今では、山本氏が実例として挙げているような名はすべて姿を消し、ほとんどが中国風の一字姓になっている。 どうしてなのか? 合理的に考えれば答えは一つしかない。古代のある時期に、韓国人は伝統の姓をすべて捨てて『中国式』に改めたということだろう。ところが、このことは韓国の歴史書に記録されていない。そこで、私は韓国の知識人や学者に会うたびに、それはいつあったことなのかと質問する。ところが、まともに答えてもらったことがない。それどころか、『そんなことは有り得ない』と (中略)日本は白村江の戦で、唐・新羅連合軍に破れるのだが、そのとき日本に亡命した百済人の名を見れば、それがわかる。鬼室集斯(きしつしゅうし)、憶礼福留(おくらいふくる)、木素貴子(もくそきし)、各那晋首(かくなしんす)……金さん、鄭さんは一人もいない。 中国式に創氏改名もしていたようだね。「立ち直れない韓国」 黄文雄 1998年 光文社 李光洙は創氏改名に関しても、「我々在来の姓名は、支那を崇拝していた祖先の遺物」であると指摘している。古代朝鮮人の名は、永郎、述郎、初郎、伊宗、黒歯が多かった。昔の地名も徐羅伐、達久火、斉次巴衣であった。そうした地名や人名を支那風に統一したのはわずか600~700年前のことだと、氏は喝破している。そもそも600年前には、朝鮮人はまだハングルを創っていなかったので、漢字漢文ばかりを借用したことはやむをえないだろう。だから、伝統的な人名と地名をことごとく絶やして、支那風の人名と地名をそっくり借用し、人名でも地名でも、いったい支那なのか、朝鮮なのかわからなくなってしまうのだ。 次には、モンゴル式に創氏改名もしていたようだ。もう、忙しい人たちだね。 「韓国へ、怒りと悲しみ」 豊田有恒 1996年 文藝春秋社 モンゴル人が建てた元朝は、高麗を支配下において、あれこれと干渉してきた。司令官を駐屯させて、王家の世子(世継ぎの王子)を人質として、元に差し出させた。この世子がのちの忠烈王である。忠烈王の帰国にあたって元の世祖フビライは娘と結婚させた。つまり、高麗王は、元の大汗(皇帝)の婿となったわけである。以後、歴代の王は、元の支配のもとに、有名無実となり、その後の王は、蒙古名を名乗ることとなった。忠宣王はイジリブカ、忠肅王はアラトトシリ、忠惠王はプダシリというふうに、改名させられてしまった。また、モンゴル風に、弁髪を強いられ、衣服も蒙古風にさせられたという。こういう強制は、のちの清朝の時にも行なわれている。韓半島の歴代王朝が、臣属している中国そのものが、異民族に蹂躙されてしまう。そうなると、これまで、中国の王朝の意を迎えるため、すぺてに中国式に徹底してやってきたことが、無に帰してしまうのである。韓民族は、パニックに陥ってしまう。胡服弁髪を強制されることになり、中国に義理立てしてきた価値観が、蒙古なり、満州なり、そして日本なりという、これまで、韓民族が蔑視してきた民族のものに、切り換えられてしまう歴史である。創氏改名は、日本人の専売特許ではなかった。歴史上、何度も、そういう目に遭ってきた民族なのである。 自分たちの名前に誇りを持つ韓国人は、創氏改名で名前を無理矢理変えさせられたと怒り非難するが…歴史的に見れば、あるときは、シナのよう名前を名乗り、また、あるときは、モンゴル式に変えてみたり、またまた、日本式の名前にしてみたりと…忙しいですね。まあ、生きる為に仕方がなかったのかもしれません。更に不可解なのは、たかだか100年前の王妃の実名がよく分らないというのである。これは、後日述べる事にする。まあ、ともかく、知識を蓄えよう!!そうそう、皆様も街頭に出てる暇はないですよ。勉強しなければ…騙されちゃいますよ。自分の頭で考え、自分の直観力で決める事が重要だと思いますよ。
2011.11.25
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にほんブログ村この統一教ブログ村もダメですね。いや、統一教がダメなんだろう!!思想がもう極左になっている。韓国の人たちの歴史観を鵜呑みにして…”ウソも百回言えば本当になる”この策略にまんまと乗せられて…反日日本人に成り下がってしまったようだ。”日本人としてのプライドはないのか”と思いたくなりますね。日本人としての尊厳を踏みにじられているのに…それに全く無反応な人たちがいるということは嘆かわしい。教会賛成派。反対派。中間派。分派は関係ない。同じ日本民族として、その根源は同じはず。どこか通じる部分が残っているはず。ぼくは、そう思いたい。まあ、日教組の教育が自虐史観だから…と思っても仕方がない。これは、文部科学省の責任だ。さて、これからは、李氏朝鮮時代について考察していきたいと思う。さぞやすばらしい時代だったのであろう!!日帝によって、悉く収奪されたというわけなのだから…ここで、あるH.P.(キリスト教関係)から引用することにする。先ず、知識を蓄えよう。”韓流歴史観を正すより”http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi03.htm破産状態にあった朝鮮 一九世紀から二〇世紀前半にかけての世界は、弱肉強食の植民地化の時代でした。西欧の列強諸国はアジア各国を次々に植民地化し、アジアの国々から搾取して、自国を富むものとしていました。 大東亜戦争(太平洋戦争)前には、アジアのほとんどの国は、西欧諸国の植民地となっていたほどです。そうした中、ただひとり、西欧諸国の植民地とはならずに、アジアで自主独立を保ち、近代的な国家を築き上げた国がありました。 日本です。日本は必死な思いで明治維新を成し遂げ、西欧諸国と同じような力をつけようと努力し、それに成功していました。これによって日本は西欧の支配をまぬがれ、対等の立場で生き抜こうとしていたのです。 そうした中、お隣の朝鮮は、国造りの面で非常にたち遅れていました。当時の朝鮮は、いわゆる李朝(りちょう)末期の時代で、混乱し、国としての体さえなしていない状態であり、崩壊寸前でした。防衛力もなく、財政は破綻し、国家的破産状態にあったのです。 朝鮮の民衆はつねに、飢餓と、疫病と、重い税金にあえぎ、極貧の中を細々と命をつないでいました。支配者層は支配者層で、その貧しい民衆から搾り取ることしか考えてない独善的な人々でした。 彼ら王族と「両班」(ヤンバン・官吏貴族)は、労働を蔑視する人々で、みずからは決して労働をしませんでした。そして、人口のほとんどを占める一般民衆を、生かさず殺さずの状態におき、そこから搾取していました。 当時朝鮮にいたイギリス人旅行家、イザベラ・バードは書いています。「朝鮮には二つの階級しか存在しない。盗む側(王族・両班)と、盗まれる側(平民・奴隷)だ」 また朝鮮では、学問は排他的な朱子学があるだけで、科学も、医学もありませんでした。学校も病院も治水施設等もほとんどなく、中国の文豪・魯迅からは「世界一貧しい国」とまで呼ばれた国が朝鮮でした。 外国人は、ソウルを「世界有数の不潔な街」と評し、道で糞尿を踏まずに歩くのは不可能だったと述べています。街には鼻をつく悪臭が満ちていました。また当時の朝鮮にいた宣教師は、あまりに水がきたないので、風呂に入れば、入る前よりも汚れてしまうほどだったといいます。 商売はいまだに物物交換が主流で、ろくな産業も道路もありませんでした。また人々は、冬の寒さをしのぐ薪とするために山の木をみな切ってしまうので、山がいたるところハゲ山と化していました。そのために泥水が流れだし、農業も壊滅状態にありました。 しかし一番の問題は、そんな極貧の状態で、内乱が頻発していることでした。政治は混乱し、いまや李朝末期の朝鮮は崩壊寸前だったのです。国際連盟の事務局次長であった新渡戸稲造は、「枯死国朝鮮」と呼び、国家的な死に瀕したのが朝鮮だと述べました。 また当時、朝鮮人の玄永燮は、 「日韓併合前の朝鮮は地獄であったといってもよい」 と述べています。
2011.11.24
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前略。慰安婦様ありがとうございます。そして、ごめんなさい。さて、慰安婦の問題を語る前に、皆様は、靖国神社の遊就館に行ったことがあるだろうか。その中には、英霊達の遺影、手紙とともに、多くの花嫁人形が展示されている。遺族の方々が、幸せな結婚もすることができずに戦地に赴いていった、子どもへの供養の意味合いもあるのだろう。あの世では、幸せな結婚をして、家庭を築いてほしい…との親としての切実な思いなのだろうと思う。英霊たちの残した手紙を読んでも…ぐぐっとくるものがあるが…この花嫁人形を見ると…何だろう…切ないものがある。そして、常に言っていることだが、あの当時のことを現在の価値観で裁いてはいけない。あの当時のことを知るためには、あの当時の世界的な情勢と日本の状態を鑑みて、検討しなければいけない。さて、ここからは、僕の想像でしかないのだが…いや、妄想って言ってもいい。また、僕は、男だから、男目線で書いてしまうことで、多くの女性の人の心情を乱してしまうかもしれない。(ここで、謝っておきます。ごめんなさい。)明日死ぬかもわからない青年たちを少しでも慰安してくれたのが慰安婦のお姉さまたちなのかもしれない。そういう安らぎの時を少しでも過ごしてくれたら…と思わずにはおれないのである。(このようなことを書くと、英霊達を冒涜しているとお叱りを受けるかもしれない。)僕が、その青年の立場で、戦地へ赴いていって…いつ死ぬかわからない、精神的にあまりよろしくない状況に置かれたとき…正常でいられるだろうか。大いなる疑問ですが、ただ、日本の為に、愛する家族の為に、で精神が正常に保たれるだろうか?自分が今、生きていると実感できるのは、いつだろう?それは、女性との交わりのなかで、安らぎを得るのではなかろうか?交わらなくてもいいのだ。ただ、いっしょに時を過ごす事で、自分の思いを語ることもできたかもしれない。戦争を生きるってことは、どれほど過酷なのだろうか?戦地から帰ってきた人たちは、戦争を体験した人たちではない。戦争を生きた人たちなのだ。今日一日を命からがら生き延びたものにって、明日もあさってもずっと続くのが戦争なのだと思う。過酷ですよね。言葉では言い表せないものがあると思う。しかし、すべての兵隊さんたちが、慰安所を利用したのだろうか?全く利用しなかった人たちも数多くいたであろうことは容易に想像できる。慰安所なんてなくてもいいものだけど…なければ、現地でトラブルを起こす人もいたであろうと思う。また、その当時、大日本帝国は、法治国家であるから、法に触れることは、できなかったはずである。何をするにしても、法の縛りの中で、粛々とやってきたのだろう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・性欲問題で、興味深い実例がある。また、ある宗教団体(純潔を叫んでいる!!)の実例を見てみよう。これは、1980年代後半にBKフンジニムが来られた時の話だ。いわゆるコンフェッションだ。純潔を叫んでいる団体なのだが…多くの責任者クラスの人たちが、アダム・エバ問題で壇上にあがったのである。(ある先輩シックからの伝聞より)まあ、これに関しては、何も言う事はありません。”英雄色を好む”でしょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さて、今後の勉強の為にあるH.Pから慰安婦に関する部分を掲載して置きます。↓↓↓慰安婦に関してはもうひとつ、非常に誤解されがちなことがある。 それは慰安婦のいない軍など世界中どこにも無かったということと、 日本における慰安婦とは軍と契約したプロの売春婦であることである。 当時は公娼制度があり、法律で認められた管理売春が合法的に存在した。 【ドイツ軍】 売春宿を軍が管理したが、売春宿のない占領地では、軍直営の慰安所を設け、慰安婦は現地の女性を強制徴用した。強制収容所の囚人用の慰安所まであった。 >女性達への補償は全くされていない。 【アメリカ軍】 占領軍は日本政府に命じ、売春施設を設置させた。 【旧ソ連軍】 ユダヤ人女性やポーランド人女性を拉致し、強制的に慰安婦にして無給で働かせていた。女性達への補償は全くされていない。 【中国軍】 大陸にいた日本女性の中には、敗戦に伴う引き揚げ時の混乱の際、国民党軍や中共軍に拉致され、慰安婦にされるものが続出した。女性達への補償は全くされていない。 【韓国軍】 朝鮮戦争でも従軍慰安婦を設け(この事実は、韓国人慰安婦を支援する高木健一弁護士も承知している)、ベトナム戦争に参加した際には、現地に大量の混血児を残した。また韓国政府は、現在でも駐留米軍に、「洋郎」と呼ばれる慰安婦を提供している。女性達への補償は全くされていない。 【日本軍】 慰安婦の構成は『日本人5・中国人2・朝鮮人2・その他1』で、現地の女衒(娼婦の管理者)と契約したため強制連行など必要なかった。経営は地元業者、監督を軍が担当し、高い給料(陸軍大将の月給が110円の時代に慰安婦の月収は150円~1350円)を支払い、兵士と慰安婦の性病予防のため健康管理を軍医が担当。 破格の賠償も完全に済んでいる。 ご覧のように同じ「慰安婦」と翻訳される職業でも、中身は別物なのである。要するに、韓国が「中国や韓国の慰安婦」と「日本の慰安婦」を 同じ制度だと思い込もうとしているということが問題なのである。上の引用を比較すればわかる通り、全く経営システムが違うし、戦後処理の仕方も違う。これは誤魔化されてはならないポイントだといえるだろう。 「朝日新聞の捏造から始まった慰安婦問題」(H17.6.6) YouTube 動画へ / 植村隆 Wikipediaへ 「『慰安婦問題』おさらい10問10答」2-1(H19.3.14) YouTube 動画へつづく。
2011.11.23
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韓国は、日本に感謝しなければならない…それは、国連軍の兵站基地として機能した日本があったからこそ…韓国は北朝鮮に占領されずにすんだのです。(by嫌韓流2ーーもう韓国にはだまされない)そう、韓国は、北朝鮮に併合されていたということです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なぜ、朝鮮動乱が起こったのか?当時から韓国は、戦前から決まっていたアメリカの統治を一方的に拒否したり、 日本を挑発したりと、ウリナラマンセーを発揮していて、その韓国人の態度に、 GHQ最高司令官マッカーサーが激怒して『半島からアメリカ軍を引き上げて 日本だけを防衛圏とする』と宣言した。(これをアチソン声明という) 要するに韓国が信用できなくなったので捨てた、ということである。(これは、ある人のH.Pからなんだけど…まあ、内的にはあっているよね。)アチソン声明***1950年、韓国の李承晩大統領が、韓国を戦勝国に加えろとか、竹島・対馬を韓国領にしろとか無茶苦茶なことを言い出した。これに手を焼いた米国のアチソン国務長官が、「米国はアリューシャン、日本、台湾、フィリピンより西の地域には興味が無い」、との声明を出した。これがアチソン声明です。この声明を聞いた北朝鮮の金日成は、韓国に侵攻しても米国は何もしないだろうと判断し、朝鮮戦争が始まった。(ネットより拾ってきました。)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ アメリカが防衛ラインに韓国を入れなかったので、北朝鮮は、韓国と一つになろうとしたのでしょう。北朝鮮軍は、ソ連から買った最新戦車で猛攻撃をしてきたので韓国政府はボロボロに やられて追い詰められてしまった。 韓国が絶体絶命のピンチに陥った時、ソ連の勢力拡大を良しとしない アメリカ及び国連軍が助けに来て、韓国政府はギリギリで命拾いしたのだ。 そして、近くに国連軍の兵站基地として機能した日本があったお陰なのだ。工業国日本がなければ…アメリカが助けなければ…北朝鮮が正当政府として 朝鮮半島を統一し、今の韓国などなかったわけである。つづく。にほんブログ村
2011.11.20
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「韓国人が身勝手に見える理由」 中村欽哉 1996年 三交社 韓国人の在日韓国人(韓国では在日僑胞と呼ぶ)差別を取りあげてみよう。(中略)次に多いのは、「日本で通名として日本名を名乗り、民族名を隠して暮らすとは、民族の誇りを捨てた奴らだ。韓国人としては認めがたい」との非難である。韓国人は歴史的にみても、「命よりも名前を汚すことを恐れた」民族といわれているように、親や一族から与えられた姓名は大切にしてきた。たとえば、「在日韓国人が日本名を名乗っていることだね。これは誇り高い本国の人たちには許せない行為なんだよ。日本にいるときは日本人になりすましているくせに、韓国にくると韓国人であると、使い分けをしているのがなんともたまらなく嫌なんだ。その点アメリカに行ったチェーミ・キョッポ(在美僑胞、美は米国の略称)は、チャーリー・キムとかベティー・パクとか苗字(姓の名)は保っているからまだ許せる」というレポートや…しかし、と私は思う。明治時代に日本に亡命してきた朝鮮人は、ほとんどが日本式通名をもち、日本名を使っていた。日本を頼ってクーデターを起こし(甲申政変)、近代化を成しとげようとして失敗した金玉均は、亡命中は岩田周策と名乗っていた。金玉均はまた岩田三平、岩田三和という名前でも署名している。三平、三和の三は、朝鮮、中国、日本の三国を意味し、東洋三国の平和を祈念していたからだという。1932年(昭和7年)1月8日、東京の桜田門で昭和天皇の馬車に爆弾を投げつけた独立運動家の李奉昌(韓国では義士とされ尊敬を受けている)は、日本で働いていたときは木下昌蔵と名乗っていた。日本人になりすましていたほうが、待遇がよかったためだという。作家の金達寿だって、金光淳という日本名をもっていた。金達寿によれば、朝鮮語では「キムグワンスン」、日本語では「かねみつじゅん」、どちらにも使えるようにつけたという。金達寿はその他にも大沢達雄、金山忠太郎という通称を使用していた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ふうーーん。日帝時代の創氏改名の前にもうすでに日本式の名前を名乗っていた事になるなあ。
2011.11.19
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にほんブログ村似たようなタイトルで申し訳ありません。さて、先日、書いた内容について、ジョリュジュさんが、いろいろコメントされておりましたが…それを読んでいて、ふと思い出したことがありました…”印鑑販売は、誰もが通る道ではなかったのか?”こんな事を書くと、また手厳しいお叱りを受けるかもしれませんが…少し思い出してほしい。20年前くらいだろうか?印鑑店舗が全国展開されていて、印鑑を購入してくださったお客様が次々と伝道されていく姿を!!そして、高額なSKだ。伝道+献金の実績に関しては、ピカイチのアイテムではなかったのだろうか?(実は、僕も印鑑を購入した事がきっかけで、伝道されちゃった一人だ。)僕に印鑑を売ったあの女の子達は、過激な人たちだったの?そんなふうには見えなかったよ。あの逮捕されちゃった人たちは、特別過激な人たちではなかったはずです。そこら辺にいるシックたちと何ら変わらない人たちだと思う。むしろ、がんばっていたシックではないだろうか。誰もが、そうなりうる遡上があったのではないか?さて、僕が、献身していた頃、統一教会の公式七年路程なるものがあったんだけど…これは、3年半の伝道と3年半の万物復帰をすることが漠然と云われていた。教会へ伝道され、献身すると、先ずはじめに伝道機動隊という、路傍伝道する部署に配属される。(まあ、機動隊と云っても、屈強な男達ではなく、ぼくたち男の子、ぼくたち女の子といったような、ひ弱な男女だ。)その後、マイクロと呼ばれる、キャラバンに乗って、行商するのである。そこを卒業したら、教育店舗へ行き、印鑑販売のイロハを学ぶ。そして、終にあなたもどこかの地域へ人事異動となり、印鑑販売をすることになる。このような路程ではなかったかなと思う。(ちくちくと揚げ足はとらないでね。)つまり、献身者なら、だれでも印鑑販売をしていたんだ。印鑑店舗が閉鎖されたのは、あの1992年のマスコミの報道により、実績が乏しくなったからであろう。また、あの頃、韓国からキムミョンデさんという、ユーガンスのことばかり云う人が来たと思う。全国行脚して、ユーガンス大会を開いていたように思う。(少し、記憶があいまいなのだが…)あの頃、ビデオセンターも閉鎖されていった。そう、教会中心へ方向転換された時期なのだ。この、キムミョンデさんが、ユーガンスの摂理を作った人なのだ。1991年3月1日だっけ、3.1運動が1919年でしたっけ…何となく、数字の並びが似ているでしょう。そこから、ヒントを得て…まあ、これはもういいでしょう。さてさて、印鑑販売の話でしたね。20年前くらいは、教区に印鑑店舗があって、印鑑販売に従事している人が10~20名くらいは、いたでしょう。その当時、70教区くらいあったけ。つまり、70×10~20=700~1400名くらいでしょうか。(これは、あくまでも概算だから…ツッコミは勘弁ね。本部の方がかなり正確な数字があるのではないでしょうか。まあ、あったらまずい話ですよね。)そして、”前線部隊は、前線で苦労する事がその教区の条件になる”ってよく言われていましたね。それによって、高額なSKが出るとか…少し前でも、印鑑販売は、リベートが良くて、一部の人たちがまだやっていて、不法なことを言って逮捕されちゃった…という事ですかね。これでは、ちょっと可哀想だよね。そして、統一教は、多くの訴訟を抱えておられるようですが…その人たちの統一教のきっかけは、やっぱり印鑑なのだろうと思うのだが…ところで、天一国には、年金制度も無ければ、生活保護制度も無い。またまた、ちょんぴょんには、老人ホームがあるんだけど…お金を持たないシックには、高嶺の花かも…うーーん。いろいろ考えちゃうよね。つづく。
2011.11.18
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にほんブログ村「いい加減にしろ韓国」 豊田有恒 平成6年 詳伝社 高麗朝では仏教が国教化され、弊害ばかりが目立つようになった。そのため、次の李氏朝鮮王朝では、儒教が国教になった。都会にあった寺は、すべて破壊された。今日、韓国旅行をする観光客は、いかにも仙人でも住んでいそうな山奥の寺に、風情を見いだしたりするが、それは、かろうじて、お目こぼしにあずかったから残っているだけなのだ。今でこそ、道路が整備され、観光バスがやってくるが、昔は一山こえないと行けない場所だったのだ。逆に、韓国人が、日本へ来ると、都会の真ん中に、神社仏閣がのさばっているのを見て、びっくりするという。(中略)韓国で、有名な暴君の燕山君(在位1494~1506)は、名刹円覚寺を破壊して、その跡地に妓生(キーセン)の養成所を建てた。この場所が、今のパゴダ公園なのだが、韓国人は、このエピソードについては、あまり語りたがらない。パゴダ公園は、日本に対する3・1運動の発生地として有名だから、そっちの由来を紹介しておいたほうが、ジャパン・バッシングの役に立つわけだろう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・”その当時のことを現在の価値観で裁いてはならない”この姿勢で歴史は見ていかないといけないように思う。韓国が”あの日帝36年の時代”を無かったものしようとしても無理な話なのだ。あの36年で文明にふれたわけだし…もう後戻りはできないのである。歴史は、連綿と続いているわけだから、その時を経て今がある。その時に、いろいろ経験して、今の暮らしがあるというものだ。つづく。
2011.11.17
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にほんブログ村反省しない宗教団体である事は確かであると思う。多くの信徒達が、日本の国民に迷惑をかけて逮捕されちゃっている。まあ、多くと言っても、十数人くらいなんだけど…そして、その信徒達の情報は聞こえてこない。もう信仰を止めているのだろうか?それとも、もっと信仰に燃えて、印鑑販売に精を出しているのだろうか。給料もなく、印鑑販売をして、そして、逮捕だ。これほど理不尽なことがあるだろうか。すべてが、上からの命令で印鑑販売をしていたはずなのだが…教会の広報部は、決まって、教会とは関係ないという。彼らが好きでやった事…そういうニュアンスのことを言う。情けない組織だ。反省は全くなし。トカゲの尻尾きりだ。どこまでも犯罪集団になってしまったのだ。このレッテルは、もう脱ぐことはできないだろう。今も被害者が続出だ。これでもかこれでもかと献金を強要するから、今宵も、多くの信徒達が、お金の工面であっちこっちの知り合いにお金の無心をする。毎度のことだから、もう無理な話なのだ。そして、いつの間にか、反日意識に凝り固まった人たちが多く所属している。なぜ、反日団体になってしまったのだろうか。(まあ、教祖が民族教育を受けてきたのだろう。)それにしても、ミセスキムさんのブログの中に、清平の先祖解怨が210代から430代へ向かっていくそうだ。どれだけ遡る気なのだろうか。430×30=12900だけど…いや、これに関しては、笑いしか出てこない。そして、もっと、重要なことが記されていた。統一教の公職者は、定年制だったのだ。それも60歳らしい。そして、退職金はなく、年金もない。(まあ、当たり前か。)さて、ここに、教会員の人たちが日本の国民に迷惑(霊感商法でね。)をかけた例をあげてみる。そう裁判例なんだけどね。(和解が成立してるものは除いちゃった。)ここに記録しておきます。-------------------------------------------------------------------------1 東京地方裁判所平成12年4月24日判決 東京高等裁判所平成12年10月30日判決 最高裁判所平成14年10月25日決定 (いわゆる霊感商法の手口による販売行為の違法性) 在京の未亡人に、多宝塔・人参液・釈迦塔(合計9000万円余)を売りつけた行為が信者による不法行為であるとして、統一協会に使用者責任があるとした。被害実額に約70%の遅延損害金が付加して認められている。-------------------------------------------------------------------------2 広島高等裁判所岡山支部平成12年9月14日判決(判例時報1755号93頁) 最高裁判所平成13年2月9日決定 (伝道の手口と献金勧誘の手口の違法性) 元信者がビデオセンターを通した統一協会の詐欺的入信勧誘と献金の説得について組織的不法行為が認められるとして、献金70万円と修練会参加費相当額の損害及び100万円の慰謝料を命じた。元信者の請求を棄却した岡山地裁判決を、広島高裁岡山支部が破棄した逆転判決。-------------------------------------------------------------------------3 札幌地方裁判所平成13年6月29日判決(判例タイムズ1121号202頁) 札幌高等裁判所平成15年3月14日判決 最高裁判所平成15年10月10日決定 (伝道の手口の違法性) 統一協会元信者20名に対する教団組織の勧誘・教化行為は、組織的・欺瞞的・強迫的であって勧誘される側の信仰の自由を侵害するおそれのある違法なものとした。合計2000万円余を認容した。詳細な事実認定に基づいて判断を下した決定版的な判決。最高裁決定で確定。-------------------------------------------------------------------------4 (1) 新潟地方裁判所平成14年10月28日判決 東京高等裁判所平成16年5月13日判決 最高裁判所平成16年11月12日決定 (統一協会における伝道の手口の違法性) 元信者原告51名中第一グループ7名について、統一協会の伝道方法が違法で信教の自由を 侵害され、献身者として過酷な生活を長期間強いられたという訴えを認め、統一協会に法人としての不法行為責任があるとして合計1538万8000円の支払いを命じた。 (2) 新潟地方裁判所平成16年2月27日判決 東京高等裁判所平成18年1月31日判決 最高裁判所平成18年6月8日決定 この裁判の元信者原告中第二グループの9名について、第一グループ同様の判断で統一協会の法的責任を認め、合計2222万8632円の支払いを命じた。 (3) 新潟地方裁判所平成17年4月25日判決 東京高等裁判所平成18年10月31日判決 最高裁判所平成19年3月23日決定 同じ裁判の元信者原告の残り35名の第三グループ全員について、その主張を認め、統一協会信者による一連の勧誘・教化行為の違法性を認め、統一協会に合計8704万4147円の支払いを命じた。 以上51名の原告に対し、合計1億2466万779円の支払いを命じた判決が最高裁で3度にわたって確認されたことになる。-------------------------------------------------------------------------5 大阪高裁平成15年5月21日判決 最高裁判所平成15年10月10日決定 (統一協会における伝道の手口の違法性) 元信者3名の、統一協会の伝道方法が違法で信仰の自由を侵害されたうえ、統一協会の教義に盲従させ、過酷な労働を強いたという訴えが認められるとして、合計715万円の支払いを命じた。 元信者の請求を棄却した神戸地裁判決を、大阪高裁が破棄した逆転判決。最高裁決定で高裁の判断が確定。-------------------------------------------------------------------------6 東京地方裁判所平成18年10月3日判決(判例タイムズ1259号271頁) 東京高等裁判所平成19年7月12日判決 最高裁判所平成20年2月22日決定 (献金勧誘及び物品販売行為の違法性) 夫が病死した婦人に対して、10年間以上にわたって統一協会信者らが再三献金等をさせてきたことについてその違法性を認め、統一協会に使用者責任があるとして、2億7620万円の支払いを命じた。-------------------------------------------------------------------------7 東京地方裁判所平成20年1月15日判決(判例タイムズ1281号222頁) 東京高等裁判所平成20年9月10日判決 (献金勧誘及び物品販売行為の違法性) かつて信者だった女性が夫を亡くした後に再度被告統一協会に関わり、2003年から2005年の間、五輪塔、天運石、聖本及び高麗人参濃縮茶等の代金や献金名下の被害を受けた。この原告女性は、被告統一協会の信者等によってなされた教義の説明や相談等によって発生し増幅した不安や畏怖が継続している状態にあるから、献金等の勧誘行為の違法性は一連の経緯を踏まえた判断をすべきであり、先祖の因縁とその因縁に苦しんでいる先祖の霊を助けることの必要性を説き、上記各物品を購入することや多額の献金をすることが必要であると信じ込ませ、被害女性の財産全部をむしり取るような形での高額な物品等を購入させたり献金を求めたりすることは、社会的に相当な範囲内の行為であるということはできないとして、金銭交付額が少額であったものを除いて、先祖解怨献金等の献金勧誘行為や五輪塔、天運石、聖本及び高麗人参濃縮茶の物品販売行為等の違法性を認定し、被告統一協会に2190万円の支払義務を認めた。-------------------------------------------------------------------------8 東京地方裁判所平成21年12月24日判決 (献金勧誘及び物品販売行為の違法性) 1989年に正体を隠して統一協会に勧誘された東京都内在住の女性(当時52歳)が原告。 判決は、統一協会信者らが、原告に対し、マンションを売却して売却代金を献金しなければ色情因縁を解消することができないなどと不安をあおってマンションを売却させ、売却代金を献金させた行為などについて、社会的に相当な範囲を逸脱する違法な行為と認め、統一協会の使用者責任を肯定し、合計9567万4100円の支払を命じた。 つづく。
2011.11.16
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最近は、3・1独立運動について、いろいろ読んでいるのだが…あまりにも捏造資料が多く、何を信じていいものか?思案しております。とりあえず、ここに独立宣言書を他のブログから引用する。★『己未独立宣言文』★ -西紀1919年3月1日,朝鮮三・一独立宣言文- = 宣 言 書 = 吾等はここに朝鮮が独立国であるとと,朝鮮人が自主の民であることを宣言する。これを世界万邦に告げて,人類平等の大義を克く明らかにし,これを子孫万代に誥げて,民族自存の正しい権利を永く保有せしめるのである。 半万年の歴史の権威によりてこれを宣言するものであり,二千万民衆の誠忠を合わせてこれを普く明らかにするものであり,民族の永久に変わらない自由発展のために,これを主張するものであり,人類の良心の発露に基づく世界改造の大気運に順応し,共に進むために,これを提起するものであるからこれは天の明らかな意思であり,時代の大勢であり,全人類共存共生権の正当な発動であって,天下の何者であれ,これを阻止抑制することはできないのである。 旧時代の遺物である侵略主義,強権主義の犠牲となって,有史以来幾千年を経て初めて異民族による箝制の痛苦を嘗め,今年で十年になる。我が生存権がどれほど剥奪されただろうか。心霊上の発展がどれほど阻まれたであろうか。民族的尊厳がどれほど毀損されたであろうか。新鋭さと独創性で世界文化の大潮流に寄与貢献する機会がどれほど失われたであろうか。 ああ旧来の抑鬱を宣暢しようとすれば,現下の苦痛から脱け出そうとすれば民族的良心と国家的廉義の圧縮銷残を奮い起こし,伸長しようとすれば,各個人の人格の正当な発達を遂げようとすれば,可憐な子弟に苦しくて恥かしい財産を遺し与えないようにせんとすれば,子々子孫の永久に安全な幸福を導き迎えんとすれば,その最大の急務民族的独立を確実にすることにあるのだから,二千万各個人が方寸の刃を懐にし,人類共通の心と時代良心が正義の軍と人道の干戈で,救護する今日,吾々は進んで取るに,挫くことのできない強者はいず,退いて作すに,展べることのできない志はない。 丙子修好条規〔注:1876年の江華島条約〕以来,いくつもの金石盟約に欺かれたことで,日本の不信義を罪しようとするものではない。学者は講壇で,政治家は実際に,我が祖宗の遺産を植民地視し,我が文化民族を土昧人扱いして,ただ征服者の快を貪るだけであり,我が久遠の社会基礎と卓越した民族心理を無視したと言って,日本の不義を責めるものではない。自己を督励するに急な吾々には,他人を怨み咎める暇はない。現在を苦辛経営するに急な吾々には,宿昔を懲しめさばく暇はない。 今日吾々の任ずる所は,ただ自己の建設あるのみであり,決して他者の破壊にあるのではない。厳粛な良心の命令で,自らの新運命を開拓することであり,決して旧怨と一時の感情で他者を嫉み排斥するのではないのだ。旧思想,旧勢力に驥びされた日本の為政者の功名の犠牲となった不自然,又不合理な錯誤状態を,改善匡正して,自然で合理的な正しい大原に帰らせることにあるのだ。 元々民族的な要求から生まれたものではない両国併合の結果が,畢竟姑息的威圧と差別的不公平と統計数字上の虚飾の下で,利害相い反した両民族に,永遠に和同することのできない怨みの溝を深めた今日の実績を観よ。勇敢果敢さで旧き誤りを廓正し,真正な理解と同情に基づく友好的新局面を打開することが,彼此間に禍を遠ざけ福を招く捷径であることを,明らかに知ることではないか。 また,二千万の含憤蓄怨の民を威圧で拘束することは,ただに東洋の恒久的平和を保障する所以ではないだけではなく,これによって東洋安危の主軸である四億万の中国人の日本に対する危惧と猜疑をますすま濃厚にさせ,その結果東洋全局が共倒同亡の悲運を招致するのは明らかであるから,今日吾らの朝鮮独立は,朝鮮人に正当な栄えある生を遂げさせると同じに,日本人を邪しな路から脱け出させ,東洋支持者である重責を全うさせることであり,中国をして,夢寐にも免れることのできない不安,恐怖から脱出させるものであり,また東洋平和が重要な一部をなす世界平和,人類の幸福に必要な段階となるものである。これがどうして区々たる感情上の問題であろうか。 ああ,新天地が眼前に展開している。威力の時代が去り,道義の時代がきたのだ。過去全世紀に練磨長養された人道的精神によって新文明の曙光を人類の歴史に投射することが始まったのである。新春が全世界に来て,万物の蘇生を促している。凍てつく氷と寒雪に呼吸を閉ざし,冬ごもりしたのが,彼の一時の勢いであるとすれば,和風暖陽に気脈を振るい舒ばすことは此の一時の勢いであるから,天地の復運に際して世界の変潮に乗ずる吾々は,如何なる躊躇もなく,如何なる忌憚もないのである。我が固有の自由権を譲り全うして,旺盛なる楽しみを飽くまで享受するであろうし,我が自足する独創力を発揮して,春満ちたる大界に民族的精華を結実するのである。 吾々はここに奮起する。良心は我と共に存し,真理は我と共に進むのだ。男女老少の別なく,陰鬱の古巣から活発に立ち上って,森羅万象と共に欣快な復活を成し遂げたのである。千百世の祖霊が吾らを陰ながら佑け,全世界の気運が吾らを護っているので,着手が即ち成功である。ただ,前方の光明に向って驀進するばかりである。 公約三章 一, 今日の吾らのこの挙は,正義,人道,生存,尊栄のための民族的要求であるから,ひとえに自由の精神を発揮するもので,決して排他的感情に走ってはならない。 一, 最後の一人まで,最後の一刻まで,民族の正当な意思を快く発表せよ。 一, 一切の行動は最高に秩序を尊重し,吾らの主張と態度をどこまで光明正大にせよ。 朝鮮建国4252年3月1日 朝鮮民族代表 (33名 記名 書きこみ継続・・・) 参照)http://plaza.rakuten.co.jp/maitaisi/diary/200710190000/ 日本が朝鮮を併合した1910年からちょうど10年後の1919年に3・1運動が起きます。韓国人は、3・1運動を平和的な独立運動の先駆だと自慢していますが…どうなんでしょう? ”着手したことが成功である。”ということらしいのです。ということは、何もしないということなんだ。「独立宣言」が「何もしない宣言」になっているんだ。 最初は非暴力デモだったが、その後暴動へと発展したので、朝鮮総督府は武力弾 圧したようだ。あのトンでも上海臨時政府?は、死者7509名。負傷者15961名としているが…これは、水増しだろう。朝鮮総督府発表(6・20)は、死者561名。そのうち、憲兵・警察官は8名。負傷者は1567名。そのうち、憲兵・警察官158名。この発表は、戸籍等からカウントしているだろうから、まあまあ信じられるだろう。それに憲兵・警察官も8名亡くなっている。これが多いか少ないかは、判断が分かれるところだが…平和的にデモ行進しただけではないことがわかる。さらに、「朝鮮民族代表」として、記載してあるが…なぜ、この33名が代表なのかも不明瞭ですね。そして、パコダ公園で宣誓書を発表した後、料理店でも朗読して、それから警察に自ら出頭しているんだ。その後のデモは…誰が主導したのか…暴動になったのではないか?ある人のH.Pには、3・1運動の事が以下のように記載されていました。 「騒動は次第に地方に広がり、三月下旬になると、全道に及んだ。人心険悪で、警備の欠乏に乗じ、棍棒、鎌、鍬、竹槍または稀に拳銃を使って軍隊、警察に抵抗した。さらに官公署や学校を襲い、放火、破壊を行ない、内地人の家産あるいは巡査補、憲兵補助員(朝鮮人が担当)の居宅を犯し、警察官を殺した例さえも起こった」(陸軍省公表として日韓共鳴二千年史p348より) 「同年三月一日、京城のパゴダ公園では独立宣言書が読み上げられた。その運動方針として、非暴力・無抵抗主義を標榜した。しかしながら商人・労働者が参加した独立運動の第二段階では、万歳を連呼しながらデモ行進すると共に、ストライキ・電車打ち壊し・鉱区破壊等の暴力的行為が出現した。この運動では、民衆が万歳を連呼しながら、デモ行進したので、「万歳事件」とも呼ばれる。 同運動が第三段階に入り、主要都市から地方へ広がると共に、農民達は武装して面事務所(日本の村役場に相当)、憲兵事務所、親日派地主などを襲撃する迄に変質して行ったのである。かくして、当初の旗印は忘れ去られ、同運動は迷走して暴力化の道をたどる事になった。*1 警察署や村役場の打ち壊しのみならず、学校への焼き討ちに加え、在鮮日本人に「日本に帰れ」と投石を以て脅迫行為を行なった事実は、テロそのものであり、朝鮮半島全域で反復されたのであるから、これを暴動と形容しても過言ではない」(「植民地朝鮮の研究」杉本幹雄著 展転社刊 p61~62より)*1は著者が引用した文献「李王垠伝記刊行会編『英親王李垠伝』共栄書房二〇〇一年) これを読むと、運動というより暴動ですよね。ではこの暴動における裁判の結果はどうだったのでしょう。首班とされた天道教第三代教祖孫秉煕など八人に僅か懲役三年、その他懲役二年六ヶ月が六人、有罪三七人に過ぎない。これは内乱罪の適用が高等法院で却下され、保安法及び出版法違反という微罪となったためである。まあ、何と、優しい刑でしたね。李氏朝鮮時代では、処刑かもしれません。
2011.11.15
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にほんブログ村最近、このブログ村は、柳寛順の記事のオンパレードですね。さて、北朝鮮の3.1独立運動の記事は、柳寛順ではなく、金日成の父親が主導したことになっている。(まあ、これは、どうなんだろうね。とにかく、先祖を誇りたいのかな。)2002年2月26日に中央日報に「柳寛順への日本の蛮行、誇張多い」というような記事が掲載されています。ここに郷土史家の任(いむ)さんが、戸籍等を調べて研究を行った結果が出ています。ウイキペデアを見れば、引用されているから容易に見ることができるであろう。そして、ちゃぬさんのブログの中に、文教祖が柳寛順に関して語ったとされるマルスムが掲載されている。どうもツジツマがあわないようである。僕は、もうすでにダンシャリをしていて、マルスムは全く持っていないのだが…ちゃぬさんは、どこまでもみ言葉の人なので…非常に説得力がある。そういえば、これまで、様々な教会長を見てきたが…どこまでもみ言葉を語る人は、実績(献金ですね)も出していたように思う。シックの人は、み言葉には、屈服するのである。 さて、先ず、柳寛順の出生年が1904年ではなく1902年であること。殉国月日も事実とは異なるらしい。 柳寛順の最終刑量は、懲役7年でなく3年だったと主張した。「梨花学堂時代、柳寛順の級友だったポガック(99、僧侶)さんの証言によると、死亡して20日余り過ぎた後、柳寛順の死体を受け取ったそうです。その時、死体は腐っていましたが、四肢は切断されてはいなかったという話です」。 任さんは「柳寛順への盲目的な思い込みから、こうしたいい加減な事実が広まり、子供向けの伝記にまで掲載された」とし、「今は、冷静になって史実を確認すべきだ」と話した。 また、2chには、キムワンソプさんが柳寛順を名誉毀損したということで、韓国で裁判になったことが載っている。まあ、興味深い内容なのでここに残して置きます。1 :天の書記φ ★:2011/08/01(月) 14:36:59.52 ID:???柳寛順(ユ・グァンスン)、金九(キム・グ)、金佐鎮(キム・ジャジン)など独立活動家らの名誉を傷つけた疑惑で起訴された作家、金完燮(キム・ワンソプ)氏に対して大法院(※1)は罰金750万ウォン(約55万5000円)を確定した。 柳寛順と金九への名誉毀損は有罪・無罪が混交したが、金佐鎮とその他の独立活動家に対しる名誉毀損は全部無罪となった。 大法院1部(主審イ・インボク最高裁判事)は1日、被告人金氏と検察が各々提起した名誉毀損などの疑惑に対する上告を棄却して原審を確定したと明らかにした。 金氏は2005年、出版物による名誉毀損などの容疑で起訴され、6年目にして判決が確定した。 検察によると、金氏は2003年6月に発刊した「新・親日派のための弁明」で独立活動家である柳寛順を非難する内容を載せた。具体的な内容は以下の通り。 「柳寛順は暴力デモを主導した容疑で3年の刑を宣告され控訴したが、控訴審の裁判中に検事に椅子を投げるなど騒動を起こしたため、法廷侮辱罪が追加され都合7年の実刑を宣告され、西大門(ソデムン)刑務所で服役中に死亡したとされている。 柳寛順の法廷での暴力については、単純に椅子を投げたのではなく検事に大怪我をさせたという話がある。 実際に柳寛順は当時の大多数の男より体格が良く、身長が最低でも172センチ以上あったことが分かっている。 法廷でも幼い年齢に似合わずに暴れ回ったのを見ると、柳寛順はかなり暴力的な女学生であったと理解され、彼女が主導したデモも決して平和的なものではなかったと推測出来る。 柳寛順が逮捕され獄中死するまでの経過は、このように暴力デモ主導者に対する平凡で正常な法執行であり、柳寛順は裁判を受け服役してから何らかの理由で死亡した女チンピラである。」 金氏はまた、同年11月に国会で開かれた「過去史真相究明に関する特別委員会」公聴会に供述者として招請され、金九を非難する「親日は反民族行為だったのか」という印刷物を配布した。 「金九が義兵隊長として1896年10月頃に『土田』という日本人を殺した後そのまま帰宅して家に滞在していたが官憲に逮捕され、仁川(インチョン)裁判所で公判中『明成(ミョンソン)皇后殺害への抵抗の意味で土田を殺した』と堂々と明らかにした。 上述の裁判で死刑判決を受けたが、高宗(コジョン)皇帝の命によりその執行が先送りされている間に、日帝からの続いた処刑圧力に対抗して脱した。 国内で宗教・教育活動に尽力し、それから20年以上が経過した1919年3月29日、初めての独立運動のために中国の上海に亡命した。 金九は『閔妃の復讐だ』と言いながら罪のない日本人を殺害した後に中国へ逃避した朝鮮王朝の忠犬であり、被害者である土田を殺した後に処罰を逃れるために中国へ亡命している。」 これに地方法院(※1)は2007年11月、柳寛順の部分に対して「暴力デモを主導した」という部分は虚偽事実として有罪だが、「かなり暴力的な女学生で女チンピラだ」という部分は意見表明に過ぎないとし無罪と判断した。 金九の部分に関しては全般的に虚偽事実とし有罪を認めたが、「古い王朝に忠誠を尽くし変化に猛烈に抵抗した保守反動勢力の代表人物」という部分は論評に過ぎないとして無罪を宣告した。 以後、高等法院(※1)も2008年3月に一部の法的争点を除き同趣旨で罰金750万ウォンを宣告した。 裁判所は当時「金氏の主張は根拠が無く論理的に関連のない事実なので、常識を持った一般人の持つ独立活動家への評価が阻害される危険性は少ない」と明らかにした。 この外に金佐鎮に対しては「朝鮮時代で言えば、まさに山賊の親分」との表現も名誉毀損でなく侮辱に過ぎないため無罪、独立活動家一般に対する侮辱容疑も被害者が特定されず無罪と一審二審共に判決を下した。 そして大法院は上告を棄却し、二審を確定した。 京郷新聞/韓国語(2011/08/01 11:50:42) http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201108011150411&code=940301 ※1:大法院、高等法院、地方法院 それぞれ日本の「最高裁判所」「高等裁判所」「地方裁判所」に相当・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何だろうね。これに関しては、コメントは差し控えますが… いや、法廷で暴れたのかも…(推測です。)
2011.11.14
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先ほど、朝鮮動乱の部分をいろいろ読んでいたら…”韓国軍慰安婦”の部分に目が留まった。これを読むと…やっぱり!!という思いだ。そこで、今後、いろいろと調べてみる事にする。興味のある人は、どうぞーーー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・韓国軍慰安婦(ウイキペデイア)韓国軍は慰安婦を制度化して、軍隊が慰安所を直接経営することもあった。また、慰安婦で構成される「特殊慰安隊」と呼称された部隊は固定式慰安所や移動式慰安所に配属されており、女性達の中には拉致と強 姦により慰安婦となることを強制されることもあった。韓国軍やアメリカ軍の前線にはドラム缶に押し込められた女性達がトラックで補給され夜間に利用された。朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度 韓国の研究者発表 2002/02/24 朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度があったことが23日、立命館大学(京都市北区)で開かれている「東アジアの平和と人権」国際シンポジウム日本大会(朝日新聞社後援)で明らかにされた。韓国軍慰安婦について日本で公になったのは初めて。発表した韓国・ 慶南大客員教授の金貴玉(キム・ギオク)さん(40)=社会学=は「日本軍の慰安婦制度をまねたものではないか」とみている。 金さんは96年、離散家族のインタビューの中で、「50年10月、韓国軍の捕虜に なり、軍慰安隊の女性と出会った」という男性の証言を得た。以後5年間インタビューを重ね、「直接慰安所を利用した」「軍に拉致されて慰安婦にされかかった」という男女8人の証言を聞いた。 さらに金さんは、韓国の陸軍本部が56年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』に「固定式慰安所-特殊慰安隊」の記述を見つけた。設置目的として「異性に対するあこがれから引き起こされる生理作用による性格の変化等により、抑うつ症及びその他支障を来す事を予防するため」とあり、4カ所、89人の慰安婦が52年だけで20万4560回の慰安を行った、と記す特殊慰安隊実績統計表が付されている。証言と併せ、軍隊が直接経営していた慰安所があった、と金さんは結論づけた。 軍関係者の証言の中には、軍の補給品は第1から第4までしかないのに、「第5種補給品」の受領指令があり、一個中隊に「昼間8時間の制限で6人の慰安婦があてがわれた」とする内容のものもある。 どんな人が慰安婦になったかは明らかではないが、朝鮮戦争時に娼婦(しょうふ)が急増し、30万人にも及んだことから、金さんは「戦時の強 姦(ごうかん)や夫の戦死がきっかけで慰安婦になった民間人も少なくない」と見ている。 金さんは「設置主体だった陸軍の幹部の多くは日本軍の経験者だった。韓国軍の慰安婦が名乗り出るためには、日本軍慰安婦問題の解決が欠かせない。韓国政府と、当時軍統帥権を握っていた米国の責任も追及したい」と話している。 ◇ 大阪外国語大学の藤目ゆき助教授(歴史学)の話 非常に重要な報告だ。軍慰安婦については、韓国でもほとんど知られておらず、発見といっていい。韓国にいて韓国軍の暗部を問うのは難しい。同胞の女性を性奴隷化した自国社会を直接問うことになるからだ。 アジア女性史研究の上でも、軍慰安婦と現在の軍事基地周辺での性暴力がどのようにつながっているのかを知る助けになる。 (朝日新聞) 韓国軍の従軍慰安婦 (これは、ある人のブログから引用しました。) 韓国軍には従軍慰安婦が存在していた。 先ず、韓国語で書かれた「韓国軍の特殊慰安婦は事実上の公娼 」(仮訳)と題する記事は、論旨が混沌としているが、韓国独自の従軍慰安婦が存在していたことを記している。朝鮮戦争当時(1951~54年)、云く、『韓国軍が 1951年頃から 1954年まで 「特殊慰安婦」という名前で、固定式あるいは移動式の慰安婦制度を取り入れて運用したのは、否認することができない歴史的事実である』と。 また云く、『特殊慰安婦実績統計表は、 1952年度に 4ヶ所で編成された慰安婦 89人が年間 20万4560人の兵士を 慰安したと記録している。 慰安婦 1人が一日平均 6~7人の将兵を慰安した。 またチェ名臣・チァギュホン・ギムフィオなど予備役将軍たちも朝鮮戦争期間に経験した慰安婦制度に対して 「言いたくない軍部の恥部だが事実だと証言している』とある。 何故、事細かに記録が残っているかといえば、韓国が「公娼」と認めていたからである。この点が、「日本軍を真似た」と記述しているが、実質的に、日本軍兵士が相手にした、高給を貰う「私娼」とは異なる。つまり、韓国の「特殊慰安婦」こそが真の「従軍慰安婦」であった。同記事の写真をご覧いただきたい。 写真のキャプチャには、「朝鮮戦争期間に韓国軍と米軍が逮捕した人民軍看護婦 2人。当時逮捕した北朝鮮の婦女子がレイプされるなど、強制で 慰安婦になった」と。なるほど、「強制性」「性奴隷」の淵源は韓国にこそあったのである。 ---------- 自国の「恥」を日本に転嫁する韓国! 同記事には、さらに、『1950年当時医科大学生だった李何某(73) さん(2002年の記事当時の年齢)は、拉致、または強要によって軍隊慰安婦になる所だった。また、他の事で、6月25日当時、ソウルに残り、(北朝鮮の)人民軍に協力したかどで、(韓)国軍に逮捕されたこの李さんは他の女医大生 3人と一緒に引き渡され、部隊の将校 4人の「割当」になった。 この李さんは幸い、自分を可愛想に思ってくれた一将校の助けで釈放されたが、他の 3人はあの時以後二度と(姿が)見られなかった』と。 北朝鮮(人民軍)の中から捕らえた婦女子のみならず、自国民の中からも女性を強制的に拉致、逮捕して娼婦にしていたのである。確かに「言いたくない軍部の恥部」であろう。言いたくない代わりに、自国の「行為」と「恥」を日本に転嫁し、「罪」の言い逃れを図っているのである。 恥知らずといえば、韓国は実に恥知らずである。学者の端くれであるから、「真実」か「虚構」かで筆者は物事を判別する。そして、自らの声で小稿を報告している。かの中国共産党と侮日策動のクラスタを形成し、編み出したかの「虚構」の数々は、たとえ一時的には隆盛を見せても、ここで、「真実」をもとにした日本の良識の反撃に遭えば崩壊する運命にある。先人英霊に汚名を着せたまま、子々孫々にこの日本国を渡すわけにはいかない。 つづく。
2011.11.13
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にほんブログ村朝鮮戦争(朝鮮動乱)前後で、様々な自国民虐殺事件が頻発しているんだ。これには、驚きなんだけど…今まで、なぜ、このことを知らなかったのか不思議なくらいだ。済州島4・3事件は、比較的知っている人もいると思うけど…歩導連盟事件、国民防衛軍事件、居昌事件など…おぞましい限りなんだ。1948年8月13日に李ショウバン大統領が、大韓民国の建国を宣言してから、韓国という国がこの世に誕生したわけですが…これから、韓国の人たちのものすごい壮絶な人生が幕を開けたんですね。先ずは、済州島4・3事件についてですね。1948年4月3日に済州島で起こった島民の蜂起にともない、 南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、などが1954年9月21日までの 期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す。韓国政府側は 事件に南朝鮮労働党※が関与しているとして、政府軍・警察による 粛清をおこない、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された。 また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた ※南朝鮮労働党は朝鮮の共産主義政党。南労党とも呼称される。 朝鮮本土からの迫害や差別を受けていた島民は、新天地を求めて 日本本土へ移住あるいは出稼ぎに行き、併合初期に来た最初の20万人 ほどの朝鮮出身者の大半は、済州島出身であった。この済州島四・三事件で 済州島民は再び日本などへ避難あるいは密入国し、そのまま在日コリアンと なった者も数多い。事件前に28万人いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減した。島民の5人に1人ってすごくないですか?そりゃーー逃げますよ。比較的近隣の日本へ何とかして密入国しますよね。次は、保導連盟事件だ。これは、もう、政府による自国民の大虐殺(60万人~120万人規模)の何ものでもない。ウイキペデイアによれば、以下の通りだ。保導連盟事件(ほどうれんめいじけん)とは、1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受けて、李承晩大統領の命令によって韓国軍や韓国警察が共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人など、少なくとも20万人あまりを大量虐殺した事件。「朝鮮戦争前後民間人虐殺真相糾明と名誉回復のための汎国民委員会」の研究では60万人から120万人が虐殺されたとしている。李承晩大統領が失脚した1960年の四月革命直後に、全国血虐殺者遺族会が、遺族たちの申告をもとに報告書を作成したが、その報告書は虐殺された人数を114万人としている。韓国政府の「真実・和解のための過去史整理委員会(ko)」は朝鮮戦争の初期に韓国政府によって子供を含む少なくとも10万人以上の人々を殺害し、排水溝や炭鉱や海に遺棄したことを確認している。公開されたアメリカ軍の機密書類にはアメリカ軍将校の立会いと虐殺の承認などの詳細が記録されている。イギリス人やオーストラリア人の目撃もあり、アメリカ軍少佐はワシントンに虐殺の写真を報告しているが半世紀の間隠蔽され続けてきた。また、アメリカ軍司令官のダグラス・マッカーサーにも報告されていたが止めようとした形跡は見つかっていない。韓国では近年まで事件に触れることもタブー視されており、「虐殺は共産主義者によっておこなわれた」としていた。(ほおうーそうですか)つづく。
2011.11.13
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僕のスタンスは、あくまでも歴史を正しく知ることなんです。過去の歴史を裁く事ではありません。(念のため)誰もがおおむね納得できる内容をお願いしたいと思います。あまりにも韓国マンセイ記事(ほとんどが捏造、プロパガンダ)が多く…心を痛めております。あっ。それと妄想記事も多いですね。(まあ、妄想は、仕方がないかな。)”謝罪と賠償を要求するニダ(笑)”さてさて、日帝36年というものは、あくまでも日本(日本の朝鮮地方)の歴史です。日韓併合されたわけですから…この時期、朝鮮民族という民族意識は消滅し朝鮮民族は一度滅んでいます。当時の多くの朝鮮人たちは、勝手に日本風の名前を付けたりして、日本人になって満足していたようですが…。(このように書くと、ファビョル人も出てきますが…事実ですから仕方がない。)今さら…その忌まわしい過去と記憶をなかったことにしようという愚かしい努力をしてますね。それが今日の反日教育です。今の韓国には、”親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法”というものがあります。れいの”のむひょん”大統領の置きみあげです。この法で規定される親日派というのは、日本統治下の朝鮮で教育を受けてある程度の地位に就いていた人たちですね。そして、彼らがいなければ…韓国の国家建設は不可能だったかもしれません。海外で、独立運動と称してテロ活動や内部抗争をしていた連中に国家運営のノウハウなんてないだろう。韓国という国は、どこから独立したのだろうか?それは、1948年にアメリカから独立したのだ。1945年の終戦を迎えたとき、朝鮮総督府は、権限を朝鮮人に渡し、独立を促したのだが…そのとたんに争い始めて…結局、アメリカが入ってきて、臨時的に朝鮮総督府が治めることになったようである。すぐに主導権争いしちゃう性格は、今も昔も変わっていませんね。(笑)それにしても…親日派といわれる人たちは、民族を裏切ったわけでもなく、日本から多くの事を学び、それを朝鮮半島の発展の為に働いていたにすぎない。それを、今の価値観で裁いちゃうんだから…もう乱暴としかいいようがない。このような国を法治国家とか、近代国家とは云いません。野蛮な国です。のむひょんさんは、在日の人についても厳しいこと仰っておられましたね。この部分だけは、激しく同意します。盧武鉉(ノムヒョン)前大統領の言葉「異国で国籍を死守することがいいとは思わない、同胞にはその社会で貢献して欲しい」「韓国戦争から逃げた連中が、祖国統一を口にするのはおかしな話だ。日本には弾は飛んでこないだろう。僑胞にそんなことを言う資格などない。」「私は僑胞の連中を信用などしていない。徴兵の義務を負わないくせに韓国人を名乗り、 日本の選挙権を求める。馬鹿げていないか。つまりは、いいとこどりではないか。 私たちが苦しい思いをしていた頃、僑胞の連中は私たちよりいい暮らしを日本でしていたのだ。 僑胞は僑胞だ。韓国人ではない。」 (03年6月の訪日時TBSのテレビ番組より) にほんブログ村つづく。
2011.11.12
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にほんブログ村【韓国】 日帝残滓の「カムサハムニダ」を捨て、ウリマルの「コマプスムニダ」を使えば美しい世の中に★2[01/02]1 名前:蚯蚓φ ★[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 00:03:24 ID:???新年に入って私たちはお互いにあいさつを交わして「カムサハムニダ(ありがとうございます)」と言う。 しかし、このあいさつの言葉にはまだ清算されない日本語残滓が治らない風邪のように付着して使っていることを知らなければならない。 「カムサハムニダ」という言葉は純韓国語(ウリマル)ではなく、日本語として誕生した言葉だ。「感謝の心」という意味を持った「謝意(しゃい)」は日本で使われる漢字だ。「カムサハムニダ」を日本語に直訳すれば次のようだ。「かん-しゃ[感謝]。合成語~さい[~祭]感謝祭」正しい日本式発音は「カンシャ」と言わなければならない。 日帝強制占領期間にこっそりと入って来てウリマルのように自然に使われている言葉がまさに「感謝」 という言葉だ。文法をよく見れば「感謝」は名詞で「感謝する」は動詞だ。しかしカムサやカムサハムニダという言葉は私たちのまわりで長い間使われてきたから、この言葉を捨てるのは容易ではないだろう。 ウリマルに入って来た日本の用語は次の五つのパターンに分類できる。 1純日本語(いじめ、あんこなど)、2日本式漢字語(高水敷地(訳注:河川敷のこと)、忘年会など)、3日本式発音の西欧外来語(スリッパ、サラダなど)、4日本式造語の英語(オールドミス、フォアボールなど)、5これらの混合型(マンタン、ヨビリン)などがそれだ。 「カムサハムニダ」というあいさつの言葉をウリマルに変える美しい言葉がある。すなわち「コマプスムニダ」だ。この言葉は「他人の恩恵や親切を受けて心が楽しくてほほえましい」という意味を持った形容詞だ。「コマプタ」の語源は本来「コマ」で、これは「神、尊敬」という意味だ。「コマプタ」は「尊い、尊ぶ」という意味を持った言葉だ。「神さまと同じく神々しく尊い、神に対するように尊ぶ」という意味を持った言葉が「コマプスムニダ」だ。恩恵を受けた相手に神さまと同じくらい神々しく尊く思う、という意味になる。このような言葉を私たちが常に使ったら、お互いに尊重し尊重される社会、お互いを神々しい神さまのように礼遇する美しい世の中になるかもしれない。これは考えただけでも胸がときめく。 1960年代、公炳禹(コン・ビョンウ)タイプライター(訳注:初のハングル・タイプライター)を発明した公炳禹先生は次の様におっしゃった。「ハングルは金であり、ローマ字は銀であり、日本カナは銅であり、漢字は鉄だ。」また、フランスの作家アルフォンス・ドーデ(Alphonse Daudet:1840~1897)は「最後の授業」で、プロシア軍の侵略で学校で自国語であるフランス語を教えられなくなると、村人と学生が集まった教室で最後の授業を終わらせて次の様に言う。「たとえ国民が奴隷になるとしても、自分たちの国語だけ保存していれば監獄の鍵を握っているようなものだ!」 今日、ある詩人と対談中にこんな言葉を聞いた。「今年2009年、国内外の景気もよくないというし、私たちのハングルを世界に輸出して世界的な公用語にして国際競争力を持ってばどうでしょう?」 「ウリマル作家らしく夢も器用です!ホホホ---」「夢は必ずかなうから、たくさん見るほうがよい!」 [キム・ウヨン = デイリアン大田忠南編集委員] ソース:デイリアン(韓国語) コマプスムニダ-韓国語⇒カムサハムニダ-日本語?を抄訳 http://www.dailian.co.kr/area/news/n_view.html?t_name=dc_news&id=12396 前スレ:http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1230862290/ ★1の立った時間:2009/01/02(金) 11:11:30・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なぜか、納得するよね。韓国の人には、似合わない言葉ですよね。感謝ハムニダ→カムサハムニダですか?それにしても、和製漢語はたくさんあるね。これらを、日本の明治時代に留学していた多くのシナと朝鮮のエリート達が学んで、本国へ持ち帰ったようですね。
2011.11.11
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李氏朝鮮時代、朝鮮では信じられないような残酷な拷問が繰り広げられていた。 そして、朝鮮が日本の保護国となり、日本が統監統治を始めると間もなくこのような階級制度・拷問を廃止し、刑務所も広く清潔に造り替えた。 拷問の禁止は島村忠次郎(1907年、水原の京畿道地方裁判所の「法務補佐官」)が在職中に伊藤博文統監に申し入れて法令となった。 1908年の法令改正によって、拷問した取調官は3年以下の懲役と定められた。 「死刑の執行を見た。 身動きのできぬ囚人の足の内側に棒を挟んで、執行人たちは自分の体重の全てを棒の片端にかけた。 囚人が続けざまに吐き出す叫び声は聞いていて実に凄絶なものだった。 脚の骨が砕けつぶれる音が聞こえると同時に、その痛さを表現する声さえももはやないか のように、囚人の凄絶な悲鳴も止まった。 執行人らは囚人の腕の骨と肋骨を次々と折ってから最後に絹紐を使って首を絞めて殺した。 ―― 理由が何であれ、こんな状況がまだこの地球上の片隅に残されてあることは、人間存在そのものへの挑戦である。 とりわけ私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば、真っ先にこのような拷問を廃するだろうという点だ」 「悲劇の朝鮮」スウェーデン人 アーソン・グレブスト日本が強力に指導した大改革は広範囲に及ぶもので、両班や白丁(被差別民)などの身分制度の廃止、人身売買の禁止と奴婢(奴隷)法の廃止、宮廷にはびこっていた宦官(かんがん)の廃止、科挙の廃止と近代的官制の採用、物納から金納へと代わる税制の近代化、悪貨が良貨を駆逐して混乱を極めていた貨幣制度の改革と財政改革、巫女 (シャーマン) が行なっていた呪詛による病気治療の禁止と近代医療衛生制度の導入など、中世的世界から決別する革命的な改革で、開国以後も朝鮮人自らの手では行なえなかったことばかりだった。李朝末期の韓国は、政治が乱れに乱れていた。宮廷は国民の大多数が生活苦に喘いでいるのをよそに、政争に明け暮れていた。役人や、両班(貴族)はみな私欲にかられて、自らの栄達と蓄財のみを求めて、弱い民衆を摂取することだけしか考えなかった。 そのために社会道徳が乱れて、精神も文化も経済も疲弊した。売官売職は普通のことだった。どこでも賄賂がまかりとおった。黄金の力と暴力が支配していた。 政治は不正行為の別名でしかなかった。民衆への収奪が極限に達していた。 いつも、ハルサリ(その日暮らし)を強いられていた庶民は、こき使われるだけこき使われ、乱暴されるだけ乱暴されて、まったく希望を抱くことができない日々を送っていた。 社会が停滞しきっていた。火賊や山賊と呼ばれる盗賊が横行していた。火賊は村を襲うときは放火して、その混乱の中で略奪したためにそう呼ばれた。日本人は徳川幕府末期の日本について大いに誇ることができようが、情けないことだが、韓国人としては李朝末期については何一つ誇ることができない。 「醜い韓国人」光文社 朴泰赫朝鮮の両班は、まるで支配者か、暴君のごとくふるまっている。 両班は、金がなくなると、使者を送って商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行され投獄され、食物も与えられず、両班が要求する額を支払うまでムチ打たれる。 両班の中で最も正直な者たちも、多かれ少なかれ、自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかってないからである。彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合支払いなしで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止する守令は一人もいない。 マリ・ニコル・アントン主教両班はキセルですら、自分で持つことをせず、徹底して何もしないのが習わしであった。 両班はいつも借金で首が回らず、何かちょっとした官職の一つでも回ってこないかと首を長くしており、それを得るためにあらゆる卑劣な手段な行為をつくし、それでもなお、望みがかなえられない場合には飢えて死んでしまう。 イザペラ・ルーシー私は、十分に耕せそうな土地をほったらかしていなからも、飢えに苦しむ農民のさまが理解できなかった。 「どうしてそれらの土地を耕さないのか」と聞いたところ、「耕せば、耕すほど税を取られるだけのことだ。」という返事があった。 マッケンジー(朝鮮の悲劇)
2011.11.11
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韓国国定中学校国史教科書によれば…○日帝は李完用を中心にした親日内閣に対して日帝に合併するよう条約を強要しついにわが民族の国権を強奪した。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・先ず、併合は韓国側の請願によって合法的に進められた。また、原因は朝鮮王朝に国家を運営する能力が無く、日本との信頼関係を裏切り、国際的な信用を無くしたあげくの併合であった事実を忘れてはならない。国を治める力が無く、陰謀と裏切りと変節の果てに国を失った朝鮮王朝の自業自得である。----------------------------------------日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度 こそ、韓国を 中国からの呪縛から解放しようとしているようだ。韓国国民に平和と 繁栄と文明開 化をもたらすことによって、力の弱い隣国韓国を安定し た独立国にしようと考えている。こうし た日本の動機は韓国知識層である官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異存はないと思われる。 1904年10月4日 ロンドンタイムズ紙「十二月八日-日本が米英に宣戦布告した1941年、昭和十六年十二月八日 大東亜戦争勃発の日(後世、太平洋戦争と呼称されている)1910年、日本が韓国を併合したのは(韓国の)新皇帝が 「請願」したからであった。パールハーバー以前は、日韓関係について語る歴史家は、日本が欧米列強から 教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、といってほめるのだ。トリート教 授によれば、日本は「一つ一つの手続きを外交的に正しく積み上げていた。そして、・・・宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成したのである。」 事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」手段を踏んでいなかった。 アメリカの鏡・日本ーヘレ ン・ミアーズ 朝鮮の王室と政府は腐敗堕落しきっており、、頑迷な朋党は、人民の財を略奪している.その上、人民はあまりにも愚昧である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力 を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地になるだろう。 伊藤博文総監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。 アメリカ人の朝鮮外交顧問 ドーハム・スティーブンソン
2011.11.11
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にほんブログ村>>>『THIS IS 読売』(1992年8月号)「コリアンはなぜ嫌われたのか ロス暴動と核疑惑の狭間」 高浜 賛(読売新聞調査研究本部主任研究員)黒人新聞「マネー・トークス・ニューズ」は記者は生まれてこのかた、韓国人ほど冷酷で愚劣で無分別で、しかも侮辱的で傲慢な人間に会ったことはないとまで書き、同じく黒人新聞の「ザ・ロサンゼルス・センチネル」は韓国人の貪欲さ、働き過ぎ、社会的貢献ゼロ、黒人蔑視を手厳しく批判。また黒人学生を対象に行ったある世論調査では、「韓国人は最も距離を置いた人種」との結果が出ている。一見したところ日本人だか、韓国人だか見分けがつくと思えないのに、黒人社会でははっきりと日本人と韓国人を区別し、対応を変えていたという黒人側の証言もある。 かつてカーター政権下で厚生教育長官の特別補佐官を努め、また米国進出の韓国企業を顧客に法律事務を担当した経験もあるM・カルフーン博士(現在日本で日本社会について研究中)は、日本人と韓国人はまったく似て非なる人種。韓国人は妥協するとか、相手の意見を聞こうとかしない点で日本人とは大違いだった」と指摘している。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なかなか、するどい指摘だと思います。皆様も世界に目を向けて…世界が韓国をどのように思っているか?調べてみると良いと思う。そして、あのロス暴動の背後に韓国人が深く関わっていたということなのだ。あのロス騒動は、ロス市警の白人警官がスピード違反を犯した黒人のロドニーキングに暴行を加えた。その後、裁判で、白人警官が無罪になったことから、黒人が怒って暴動が起きたことになってるんだけど…ロドニーキング事件の13日後の1991年3月16日ラターシャ・ハーリンズという15歳の黒人の少女が韓国人経営のお店でジュースを万引きしようとしたんだ。そしたら、韓国系のアメリカ人の店主は、その背後から射殺したんだ。この事件は、同年11月15日判決が出て、その内容は、五年間の保護観察処分と及び社会奉仕と罰金というものだった。まあ、万引きは良くないけど…背後から射殺って…ちょっとやりすぎな感じがするよね。結果、韓国系のお店が標的になったらしいのです。つづく。
2011.11.09
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台湾は何故韓国を嫌うか? http://ameblo.jp/maokapostamt/entry-10016781024.html 1972年、日本は中国との国交正常化を図るため台湾との断交を行いました。 この時、「旧友への裏切り行為だ」と当時の韓国メディアは一斉に日本批判を行いました。 しかし、日本は台湾との断交に際しても政府間レベルでの協議を続け、台湾側と断交後の政治的交流が途絶されても民間交流は続けるとの約束を行い、実際にその約束を両国は履行してきました。 ところが、その韓国自身も1992年に中韓国交樹立を図る事になりますが、驚いた台湾政府はこの中韓国交樹立の直前に韓国が台湾と断絶するのではないかと察し、韓国政府と幾度となく交渉を行ってきたが韓国側の答えは「断交などあり得ない」というものでした。 その上、韓国は断交を阻止したいと願う台湾の弱みにつけこんで、国際市場で人気がなく売れなかった韓国車を五万台も台湾国民党政府に脅迫まがいに無理やり買わせるという、ゆすりたかりを働きました。 にも関わらず、韓国は全くの「不意打ち」「だまし討ち」で突如、台湾との断交に踏み切ったのです。 韓国は1963年、はじめて経済開発五ヵ年計画を開始したときも、まっさきに資金援助したのは台湾だったのに。 このときの韓国メディアの論調は恥知らずにも「我が国(韓国)の見事な作戦により台湾にその意図を察知されずに断交が行われた」などという記事を誇らしげに掲載していたのです。 さすがにこういった韓国のやり方にハラワタの煮えくり返った台湾議員達が韓国のやり方を暴露し、世界に韓国と言う国の人の弱みにつけ込む「ゆすり・たかり」の体質を明らかにしたのです。 韓国の台湾に対する「いじめ」はこの後もエスカレートしていきます。 アジアスポーツ大会の主催国争いにおいて、台湾が韓国に権利を譲らなければ大会から台湾を追放すると恫喝したり、国際会議では「台湾は国家ではないので参加させない」と台湾の大学生を閉め出すなどの行為をおこないました。 また中国政府の支持を受けて、国連やIMFなど台湾の国際機関への加盟に反対します。 さらに、経済失政の元で韓国がIMF管理下にはいると、なんと台湾に対し「両国間の国家改善のため」というあまりにも自分勝手恥知らずな理屈を理由に100億ドルもの資金援助を求めているのです。 もともと、韓国と台湾の関係はそれほど悪くはありませんでした。 かつて、韓国人の台湾留学生は1000人を超え、台湾外国人留学生の半数以上を占めていたこともあったのです。 しかし、韓国の台湾いじめがあまりにも非情だったため、韓国人ジャーナリストが台湾のタクシーで韓国語を話しただけで降ろされたりする事もありました。 台湾人は、この韓国人ののぼせ上がった弱者いじめに対して、逆襲に出ます。 台湾南部の高雄市議会は与野党が全員一致で、姉妹都市の釜山市と絶縁を決めました。 それが台湾市議会にも波及し、同措置を取ることになりました。 与野党の対立が激しい台湾で、このような全員一致の決議は、非常に珍しいことです。 食道楽の台湾ですが、韓国の台湾いじめの最中には、韓国焼き肉店はつぶれてしまう店も続出しました。 韓国人は、台湾人がもっとも苦悩を抱えているときに、その弱みに乗じて恫喝してくるのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この話は、嫌韓流2『もう韓国には騙されない』にも収録されている。かの国は、自分さえよければよい、独りよがりな国家である。その他、数多くのエピソードが取り上げられているが…これもそのうち、アップすることになるだろう。世界の国々の中で、親韓的な国は、恐らく皆無であろう。ただ、一部の反日日本人の人がリスペクトしてるみたいだけど…統一教で指導されてきた内容とこの韓国の民度は大きな乖離がある。韓国人すら、母国を捨て、移民している人が多いというのに…つづく。
2011.11.09
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私は、アメリカの大学院で指導教授達に言われた、次の言葉を、忘れる事が出来ません。 「日本の植民地は、その後、全て経済発展した。結論の出ている問題を、今更、何故に 研究するのか」 米国の名門ラトガース大学のダン・ローデン教授は、私が博士論文の主題について、日本が朝鮮半島を植民地支配した時代の、教育と女性問題について研究したい計画 を説明すると、このように反問しました。 「文明のシステムを、日本の植民地主義は朝鮮半島に導入したのではないか。 スペイン やアメリカ、イギリスは日本のように、本国と同じような教育システムを植民地に導入しなかった。当時の朝鮮半島の人々は、文明のシステムを独自の力で導入するのに失敗した。日本の植民地主義を経ずに、あれほど早く文明の世界システムに入れただろうか」 私は、この発言に怒りが込み上げ、懸命に反論しようとしたが、頭の中が真っ白になり、 感情だけが高ぶったのを覚えています。 そんな論文を書いたら、韓国に戻れなくなると、不安が一瞬、心をよぎりました。 論文の相談をした別の経済学専攻の教授は、 「植民地化された国家の中で韓国と台湾ほどに発展した国家は、他に無い。 アメリカや イギリスの植民地で、台湾や韓国ほど発展した国があるか?」 とまで言うのでした。 私の不満そうな表情を見たローデン教授は、次のようにも問いかけました。 「日本の植民地支配を非難する韓国人の留学生の一人が、自分の父親が東京帝国大学 出身であると自慢げに話した。 これは、暗黙のうちに日本が導入した文明のシステムを、評価している事になる。 本来なら、東京帝大を卒業した父親を、非難すべきではないか」 このように言われてみると、確かに東京大学はもとより京都大学、早稲田大学、慶応大学を卒業した事を誇りにする韓国人は多いのです。当然韓国の側に立ってくれると思った第三者のアメリカ人学者の発言は、ショックでした。 アメリカ・ポートランド州立大学教授・クリスティン・リー女史1960年生まれ。梨花女子大卒業。米国に留学、ラトガ-ス大学で博士号取得。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これは、ある人のブログから引用させていただきました。これからもわかるように、あの当時、早稲田へ留学できたのは、日帝のすばらしい教育システムのおかげです。日帝を非難するなら…その早稲田に留学して卒業した人を非難しなければならない。これが、本当に世界一醜い植民地支配なのか?甚だ疑問ですね。本当に、日本が憎かったら…抗日運動をしているのだったら…日本へは行かないと思います。これほど、屈辱なことはないでしょう。さて、余談ですが、僕が高校生の頃、進学指導の先生が言うには、”昔の早稲田は入りやすかったけど…だんだん難しくなってきた”と。にほんブログ村
2011.11.07
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最近、ある人のブログで、関東大震災に関する記事がありました。さすがにこの時期において…こういうものを書くのもどうかと思います。東北関東大震災で亡くなられて方々に哀悼の意を表します。ここに、今から、90年余前にも多くの人が命を落としています。その中には、多くの人が、地震ではなく、火事等で亡くなっております。さて、ここからは、ある人のブログから記事を引用する。↓↓↓関東大震災というのは、大正12(1923)年9月1日午前11時58分に関東地方で発生したマグニチュード7.9の巨大地震による災害です。震災は、千葉県・茨城県から静岡県東部までの広い範囲に甚大な被害をもたらし、日本災害史上最大の被害が発生しました。被害の概況は次の通りです。死者・行方不明者 14万2800人負傷者 10万3733人避難人数 190万人以上住家全壊 12万8266戸住家半壊 12万6233戸住家焼失 44万7128戸(全半壊後の焼失を含む)その他 868戸地震の発生時刻は、ちょうどお昼どきでした。炊事の時間帯であったことから、合計136件に及ぶ複数の火災が同時発生し、これに折から能登半島付近にいた台風の余波による大風が重なったのです。火は、火災旋風を引き起こしながら広まり、鎮火したのは2日後の午前10時頃です。被災した市内の気温は、この間、ずっと40度を超えるものとなった。東京市内の建造物の被害としては、凌雲閣(浅草十二階)が大破。建設中だった丸の内の内外ビルディングが崩壊。ここでは作業員300余名が一瞬で圧死しています。また、大蔵省、文部省、内務省、外務省、警視庁など官公庁の建物や、帝国劇場、三越日本橋本店など、文化・商業施設の多くも焼失しました。古本街で知られる神田神保町界隈や、東京帝国大学図書館なども類焼で壊滅。多くの貴重な書籍も失われています。震源に近かった横浜では、官公庁やグランドホテル・オリエンタルホテルなどが、石造・煉瓦作りの洋館であった事から一瞬にして倒壊しています。内部にいたものは逃げる間もなく圧死した。さらに火災によって外国領事館の全てが焼失しています。工場・会社事務所も90%近くが焼失した。千葉県房総地域では、北条町で銀行の建物が2棟、辛うじて残った以外は、郡役所・停車場等を含む全ての建物が全壊した。測候所や旅館などが、地割れした亀裂の中に呑みこまれた。地震以後も気象観測を続けた東京の中央気象台では、1日21時頃から異常な高温となり、翌2日未明には最高気温46.4度を観測しています。その気象台にも大規模な火災は迫り、ついに気象台自体も、燃えてなくなった。この結果、関東大震災では、190万人が被災、14万人余が死亡あるいは行方不明になったのです。建物被害は、全壊が10万9千余棟、全焼が21万2千余棟です。さらに太平洋沿岸の相模湾沿岸部と房総半島沿岸部は、高さ10m以上の津波が発生しました。神奈川県根府川村(現、小田原市の一部)の根府川駅では、その時ちょうど通りかかっていた列車が、駅舎・ホームもろとも土石流で海中に転落した。100人以上が一瞬にして亡くなり、さらに村も山崩れによって壊滅しています。震災発生の8日前に、加藤友三郎内閣総理大臣が急逝しています。つまりこのとき、内閣は総理不在の状況だった。しかも時は大正時代です。テレビはおろか、まだラジオすらなかった。報道集団は、新聞だけです。ところが肝心の新聞社は、東京に一局集中し、地震発生によって活字ケースが倒れて活字が散乱し、印刷機能が停止してしまう。さらに大火によって東京日日新聞・報知新聞・都新聞を除く13社がすべて焼失しています。最も早く復旧した東京日日新聞が9月5日付夕刊を発行するまで、報道機能も完全に麻痺したままとなった。それまでは、かろうじて印刷機が残った新聞社の支所が、必死で号外を打ち続けています。通信・交通も途絶。首都圏は、完全に孤立した状態です。↑↑↑先ず、昔の新聞報道を見てみましょう。小樽新聞 大正12年9月3日号外第一 「朝鮮人、隊をなして石油・爆弾使い放火」 小樽新聞 大正12年9月3日号外第三 「朝鮮人、各所暴動検束数千名」 大阪朝日新聞 大正12年9月3日号外 「朝鮮人、横浜~王子放火」 荘内新報 大正12年9月3日号外第十八報 「朝鮮人、爆弾・放火・王子横浜で軍隊と衝突」 新愛知 大正12年9月4日号外 「朝鮮人、屋根から屋根へ放火 婦人りょう辱 略奪」 名古屋新聞 大正12年9月4日号外第二 「朝鮮人浦和高崎に放火検挙 爆弾所持し唯氷峠列車爆破自白」 福岡日日新聞 大正12年9月4日号外 「朝鮮人、殺人ぎゃく殺きょう悪ぶり 進行中の列車に爆弾投げつける」 小樽新聞 大正12年9月4日号外第一 「朝鮮人、爆弾・りゃく奪・鮮人・銃殺」 九州日報 大正12年9月4日号外第三 「朝鮮人捕縛 爆弾其の他押収。軍隊が治安維持に出動したため、不逞鮮人は爆弾を携帯しながら各地方へ退散、鎮圧鎮静化へ」大阪毎日新聞 大正12年9月4日号外第二 「朝鮮人暴挙は完全取締を遂行」最後の大阪毎日新聞では「警視庁、ふてい鮮人暴動を沈静化」するだけでなく、「ふていではない朝鮮人」保護のため、警視庁が「取締りは完全に遂行せよ」と急告通達をした事実が報道されています。「ふてい朝鮮人ではない朝鮮人」も爆弾、毒薬を疑われたからです。警察には、繰り返し、多数の事件通報がはいった。政府は「ふてい鮮人では無い鮮人」の保護を閣議決定し、彼らを習志野に収容します。そして政府は、「ふていな朝鮮人については、三々五々群を為して放火を遂行、また未遂の事実があるけれど、既に軍隊の警備が完成に近づきつつあるので、国民のみなさんは、恐れないでください」とも通達している。要するに、朝鮮人たちは、関東大震災による大災害の混乱に乗じて、日本人に対して暴動・放火・強盗、強かん、殺人など、日本人相手に好き放題の暴ぎゃくを尽くした。
2011.11.07
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にほんブログ村さて、僕が、統一教にいた時…アベルという人に、こんなことを言われた事があったなあ。アボジ曰く”北朝鮮以下の生活をせよ”と。しかし、僕の本音は、”北朝鮮以下の生活ってどんな生活???”最近でこそ、TVで、北朝鮮内部の映像が流されたりして…なんとなくわかったような感じになってますが…実のところ、実感はわきません。北朝鮮以下の生活は…止めておきましょう。想像してください。”地上の楽園以下の生活を”いや、ピョンヤンでの生活なのか?それ以外の地での生活なのか?これによっても大きく異なるだろう。まあ、今は、もう言わないのだろうか?しかし、もし、あなたがアベルから、このようなことを言われたら…すかさず、”見本を見せてください。私には、実感がわきません。想像する事ができません。”と言って見るとといいかも。。。さてさて、ショウトウ本部には、週刊誌、TVのワイドーショー、新聞等をチェックする責任分担があったように思うが…そこから、想像すると、今は、ネットを監視している責任分担があると思う。もう中国みたいな感じになって、常に監視しているんだろうか?そういえば、先日、2chを眺めていたら…シックの人で、心情を吐露した人がいたね。以下2chから引用する事にするけど…『日本統一教「圓母平愛 40日摂理」が始まった。目標は300億円。1世帯の目標は120万円(120K)である。 こういう摂理が延長になっても10月31日が最終日だ良い結果は出てない本日は見込み含んで献金数字だけ報告しなければならない明日まで送金しろという。 この摂理は延長かなぁ? お父様によれば 宋榮渉総会長は本来は大きな組織の上に立つ人ではない、会長をやる人でもない。 しかし、神様を絶対に信仰している、霊界を絶対的に信じている。 絶対信仰の基準を日本に連結するために宋榮渉を総会長として送ったとのことでした。』 その人は、すでにブログからこの記事を削除したらしいのだが…しかし、今、何かが起きているのかもしれないね。さてさてさて、アボジの息子達は、アメリカで成長して、アメリカの教育を受けてきた。このことは、日本の統一教にとっては、良い事だと思う。反日教育を受けてきていない分…よりベターかもしれませんね。「追記」先ほど、ひとすじさんのブログを見ていたら…朝は、”トンでも原理”がアップされていたのだが…今はもう削除されていたのだ。いや、僕の勘違いかもしれないけど…だれも反論していなかったら…反論しようと思っていたのだが…簡単に、ちょっと、僕がおや?と思ったのは、原理では、もう亡くなったら…罪を償う事はできなかったと思ったのだが…いや、まあ、”再臨復活がある!!”という突っ込みは止めてね。孝進さんに関して…トンでも原理だったのだ。僕が、夢を見ていたのかもしれないが…誰かのコメントもあったようだし…うーーん。狐につまれたようだ。そういえば、あの創氏改名問題もひとすじさんブログで見たのだが…いつの間にか削除されていて無かったようになっている。
2011.11.06
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335 :マンセー名無しさん:2011/05/26(木) 19:09:40.25 ID:27gTvWY4日本は内鮮一体、つまり韓国(朝鮮)人も日本人と同じ扱いにする政策をとり、 国内並みに鉄道、港湾などのインフラを整備し、政府、軍にも人材を登 用した。朝日新聞が強制連行だと騒ぐ徴用が行われたのは昭和19年。同 じ時期に徴用の何倍もの韓国(朝鮮)人が日本に流れ込んでいる。内も鮮も同 じ、引越しの自由のおかげと言える。 しかし彼らは日本以外の例えば中国に行けばハングオレンのまま。それ で日本名を勝手に名乗る者が出て来た。そうすればもう中国人から見下 されないからだ。 これがブームになる。日本政府は勝手な改名を禁じて日本名にしたいな ら役所に届け出ることを義務付けた。昭和15年に半年を限りに行われた 「創氏改名」である。 韓国(朝鮮)人は新羅の昔に金さんとか朴さんとかの中国名に改めていた。だか ら二度目の創氏改名になるが、その理由を著名な作家、香山光郎こと李 光洙は「我々の姓名は支那を崇拝した祖先の遺物。支那人と混同される 姓名を持つよりも日本人と混同される氏名をもつのがもっとも自然だと 信ずる」(『創氏とわたし』より)と書いている。 ちなみにもう一つの日本統治領、台湾での創氏改名は韓国(朝鮮)の届出制とは 違って許可制が取られ「滅多に許可されなかった」と『台湾人と日本精 神』にある。 許可制にしたのは、中国人は今でこそ「原住民」扱いだけど、日本人も 尊敬する栄光の文化がある。明日のためにも中国古来の名を守るべきだ という配慮からだった。 しかし、その日本は米国に負けて最下位ランクの国にされた。 途端に韓国(朝鮮)は手のひら返し。今は強くなった中国風の名に戻って、 創氏改名は日本に強制されたの何の。分かりやすい国ではある。 週刊新潮2003年3月27日号 『変見自在』 高山正之 336 :マンセー名無しさん:2011/05/27(金) 08:51:43.28 ID:+uwCUw3u連綿と続く韓国(朝鮮)人の事大主義と邪悪で劣等な遺伝子 昔から日本人には語学が無い。地理・世情に不案内で朝鮮語がわからないから、 どうしても韓国(朝鮮)人の警官や憲兵補助員に頼ることになる。ところがこれらの連中 には不良が多く、住民を脅して私腹を肥やすやら、女に手を出すやらの悪辣ぶり で、日本側はその取締りに忙しかったという。官憲の権威を嵩にすれば不可能な ことはないのだ。韓国(朝鮮)の事大主義はこの民族の特性である。日中戦争中でも中国語が堪 能な日本軍人はいないから、中隊単位で韓国人(朝鮮人)の通訳を雇うことになるのだが、 この通訳は中国人を生かすも殺すも自由自在に裁量できるから蓄財に励む悪者が 多く、日本軍が中国民衆に怨まれる大きな原因となった。通訳の中には、日本人 の名前の標札を持ち歩いて中国人の門に打ちつけて豪邸を占拠する者がいたし、 スパイだといって逮捕し、釈放するといって身代金を取ったりして聯隊高額所得 者は韓国人(朝鮮人)通訳だった例は多い。中には雇いもしないのに軍隊の後方をのこのこ ついて歩く偽通訳もいた。便利だからと使用してみると、いつのまにか日本軍の 制服を貰って住みついてしまうのだった。 古野直也著 朝鮮軍司令部 1904/1945 国書刊行会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・とりあえず、勉強の為、ここに記録しておく。それにしても、朝鮮は、国も人も”事大主義”なんですね。あっと、それから、日帝時代の朝鮮半島の知事、郡長、村長、警察官等は、どのような構成だったのだろうか?例えば知事ポストの約4割を朝鮮人が占め郡長、村長に至っては、ほぼ全てのを朝鮮人が務めていたようです。(by嫌韓流 だから僕たちは韓国が嫌いだ)なんと、警察官の6割が朝鮮人だった。警察官数:5693人(1910年末) 日本人:2265人、朝鮮人:3428人。尚、警務官が全3人中1人。警視が44人中14人。警部が268人中101人。(by嫌韓流 だから僕たちは韓国が嫌いだ)朝鮮半島を支配する為に警察力による武断統治を実施したと…韓国人は叫ぶけど…警察幹部の3割、警察官全体の6割が朝鮮人によって占められていた。これは、何を意味するのだろうか?にほんブログ村
2011.11.05
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朝鮮独自で、近代化への道はかなり険しい感じがするけど…森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道施設権など…外国に売れるものはすべて売った後の状態なんだよね。こういう国を併合したって…何のうまみもないことぐらいわかりますよね。何故、伊藤博文公が、併合に二の足を踏むかというと…莫大な財政が必要になるからなのだ。そう、朝鮮が外国に売ったものをすべて買い戻さなきゃならんからだと思うよ。しかし、この朝鮮にロシアが南下してきたら…それこそ元寇の悪夢が…日本の防衛上にも朝鮮にしっかりしてもらわないとあかんかったけど…どこまでも事大主義なので…清の次は、ロシアに媚を売るような状況だったらしい。つづく。以下2chから拾ってきました。358 :! 【27m】 【東電 63.7 %】 :2011/09/23(金) 17:02:45.89 ID:1n76Dkrp当時の朝鮮は財政が破綻し破産状態、その上 森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道敷設権など あらゆる利権を諸外国に売り渡していて 自力での近代化の道は完全に閉ざされていました。 ==================================== 朝鮮時代、全権公使としてアメリカを訪問した李成玉がアメリカ国内の各民族に 接してみると、朝鮮人は、アメリカ人に軽蔑されているインディアンよりも劣っ ていたことに衝撃を受け次のように述べている。 「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を保つこ とは出来ない。亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。。そして併合 相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本はち がう。日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気に入らない が、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き 世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外にわが朝鮮民 族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。 日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は、欧米人の朝鮮民族観を 基に考察したのだ。 李成玉 「李完用の心事と日韓和合」より 359 :! 【15.5m】 【東電 63.7 %】 :2011/09/23(金) 17:14:00.07 ID:1n76Dkrp◆1896年 ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権 鐘城の石炭採掘権 豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権 アメリカには京仁鉄道敷設権 雲山金鉱(平北)採掘権 イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権 フランスには京義鉄道敷設権 ◆1897年 ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権 軍隊の教育訓練権 ドイツに江原・金城、金鉱採掘権 ◆1898年 アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権 日本へ京釜鉄道敷設権 イギリスに平南・殷山金鉱採掘権 ◆1899年 ロシアへ東海岸における捕鯨権 ◆1900年 ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権 日本に京畿道沿海の漁業権 ◆1901年 フランスに平北・昌城金鉱採掘権
2011.11.05
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>李王家が自ら創氏改名して、日本名を名乗っていたら…”強制があった”と結論付ける事ができるのだが…<という事だが、それはすでに『創氏改名の真実』http://kurokango.blog50.fc2.com/blog-entry-65.html で次のように説明している。--------------------------------------------------------------------------------1937年日中戦争が始まると、日本軍の朝鮮人兵士つくりのために「内鮮一体」のスローガンが掲げられた。こうした皇民化政策のために総督府が企図したのが「創氏改名」である。1940年2月11日から施行されたこの法令は、全ての朝鮮人に強制され、全員が戸籍の上で「氏」を持つようになった。しかし、その「氏」をどのような名前にするかは六ヶ月間に自分で申告する仕組みであった。つまりそこだけが自由選択だったのである。では、申告しないとどうなるのか?「姓」がそのまま「氏」になり、登録されたのです。だから、それ以後も李〇〇と言う人はいるが、それはすでに「李」という姓ではなく「李」という氏なのです。--------------------------------------------------------------------------------本当に、もう少し本を読んだ方がいいですね。おすすめは『世界の名著』シリーズです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ふと、疑問に思ったのだが…そもそも李王家って。日本の皇室に相応するような待遇だと言う事なので…我々庶民と同じように戸籍なんてあるのかな。日本の皇室には、いわゆる、我々庶民と同じような戸籍なんてないと思うのだが…それとも皇室にも強要された法律なのかな。皇室典範を調べて見るしかないのだが…僕は、読解力がないので…また教えてください。まあ、こういう話をすると…だんだん面倒くさくなるので…もういいかなとも思うんだけど…きちんと整理しておきたいと思い、ここに記録しておく。それと、この人が言っているように、読書はどんどんしなければいけない。シックの皆様、活動ばかりしていると…だんだん思考力も低下していきます。まあ、自分が良い例だと思いますので…反面教師にしていただいて…僕もね、キャラバン生活が長かったので…その時、み言葉というものは、ほとんど忘れてしまった。そう、原理の内容もその時は、忘れていた。如何に物を売るか!そればかりだったものね!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ウイキペデイアによると…李王家に関して以下に記されている。1910年の韓国併合ニ関スル条約は、その第3条で「日本国皇帝陛下は韓国皇帝陛下太皇帝陛下皇太子殿下並其の后妃及後裔をして各其の地位に応し相当なる尊称威厳及名誉を享有せしめ且之を保持するに十分なる歳費を供給すへきことを約す」(片仮名を平仮名に改める)として、韓国皇帝以下韓国皇族に対し、相応の待遇や称号付与をすることを定めていた。また第4条ではそれ以外の韓国皇族についての類似の規定をしていた。この条約に基づき、王公族として李王家が立てられ、日本の皇族に準じる待遇を受けた。「王」「王世子」「公」等の身位と、殿下の敬称が与えられた。1947年(昭和22年)5月3日の日本国憲法施行に伴い、その身分を失った(身位喪失)。また「日鮮融合」のため、李王垠は日本の皇族・方子女王と、他に李鍵公や李徳恵も日本人(華族)と、それぞれ国際結婚が行われた。しかし戦後、李垠・方子夫妻以外はそれぞれの理由で離婚している。
2011.11.04
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皆様、こんにちは。皆様の中には、この雅楽が、へこんでいるのではないか…と心配されている御仁もおられるようですが…心配はいりません。いたって元気でおります。一連のやりとりを鑑みて…”統一教の人たち”って、すでに左傾化していたんだと思った次第です。左よりが悪いわけではありません。(念のため)僕の中には、反日左翼はNGですが、愛国左翼はOKですから。イデオロギーの違いは認めつつ…如何にこの国が立ち行くか。この国を中心として議論する事はいいことだと思っております。ここで、統一教の友好団体である、勝共連合があります。現実的に僕も思想的には納得する面もありますが…今の教会の内部には、変な思想が蔓延しているとしか思えなくて…まあ、これも仕方がないことなんだろう。あるとき、反日教育を受けてた6500双を中心とする牧会者たちが、日本のあっち、こっちの教会へ赴任してきました。また、民団や朝鮮総連の渉外等をしながら…だんだんそちらの考え方に染まっていったのだろうと思います。まあ、これが、統一教の教えと言う事なら…何も言うことはありません。しかし、僕の中には、やはり、「こんな”左より”の団体にお金を献金してしまったこと」を悔やんでいます。全国の勝共カンパに協力していただいた皆様もこんなはずじゃなかったと思っていると思います。(いや、もう忘れているかな)今後の為に、いつ、いくらの献金をしたかを整理しておこうと思います。(しかし、細かい額は、忘れちゃってるよね)皆様も献金手帳なるものを作って、証拠を残しておいたほうがいいかもしれません。にほんブログ村
2011.11.04
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もう…、日帝の言う事を全く無視して、朝鮮名のままの人が数多くいるのに…いまだに、”創氏改名が強制だ”という人がいるみたいですね。いやはや…李王家が自ら創氏改名して、日本名を名乗っていたら…”強制があった”と結論付ける事ができるのだが…あれ、朴春琴さんは、日本の衆院議員を2期務めていますね。この人は、日本名にしなかったんですね。1932年、1937年と2回当選しているよ。あれあれ、帝国陸軍の中にも、朝鮮名で通している人がいるよ。洪思ヨク中将がいるね。確かに、朝鮮人官吏が点数稼ぎのため…同胞に日本名を勧めた。日本名を名乗らないものは、朝鮮人の間で非難された。改名を拒否して自殺した。こういう例もあるようですが…あくまでも朝鮮人社会内部の問題だよね。大局に見て、”創氏改名は強制ではなかった”といえるのではいなかと思う。つづく。それにしても自分には、読解力がなかったので、ころっと騙されちゃったんだよね。”原理”というものに…それで、1000万円以上のお金を献金という名のどぶに捨てちゃったんだけどね。いやはや、もっと、読解力を身につけなければ…騙されちゃいますね。もっと、読書をしよう!!
2011.11.02
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