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ぼくはこの本を市民図書館の棚で偶然見つけました。
青木真兵・海青子「彼岸の図書館」
。なんかすごい「題」だと思いませんか。「こっち」じゃなくて、「あっち」の図書館ですよ。
「なんだこれ?」
そう思って借り出しました。
感想といっては変ですが、もう少し温かくなって、ちょっと遠くまでの 「徘徊」
は 「奈良県吉野郡東吉野村にしよう。」
ですね。だって、「彼岸」があるんですよ。まあ、吉野だし、ホントにあるかもしれないですよね。
さて、大雑把で申し訳けありませんが、本の内容は 青木真兵
さんと 海青子
さんというカップルが、奈良県のかなり山奥であるらしい東吉野村というところに、阪神間から引っ越して、私設の 「人文系図書館ルチャ・リブロ」
を開設運営し、 「オムライスラジオ」
というラジオ放送で意見や情報を配信している実況中継といえばいいでしょうか?
彼が私淑するらしい 内田樹
さんをはじめ、内田さんの道場を設計した建築家や村への移住者、若い研究者たちとの対談と、お二人のエッセイが収められていますが、 「人文系図書館ルチャ・リブロ」
の正体がうまくつかめたかというと、そういうわけでもありません。なにしろ「彼岸の図書館」ですからね。だから、まあ、「ちょっと行ってみようか」という感じなんです。
しかし、青木さんが言う「彼岸」という場所というか、言葉は何となくわかります。宗教の言葉ですが、宗教ではありません。さっきからちょっとお茶らけて言っていますが、この「彼岸」にはとても心惹かれたんです。
「大人が多数を占める社会へ」という、ほぼ、巻末のエッセイの中で、彼は、まず、 カール・マルクス
を引用します。今時、 マルクス
ですよ。ぼくなんか、これだけでうれしい。
(真の)人間的解放がはじめて実現するのは、現実の個人一人一人が、抽象的な公民を自己のうちに取り戻すときであり、個人としての人間が、その経験的な生活、個人的な労働、個人的な人間関係のうちで、類的な存在となるときである。 今は、新訳が出ていますが 「ユダヤ人問題によせて」 というパンフレット用に書かれた有名な(?)言葉です。
誰もが安心して暮らすためには、自己の中に、抽象的な公民を持つ人間、つまり「大人」が多数を占める必要がある。そして「抽象的」であるからこそ、具体的なアクションは人それぞれに任されている。その一ケースとして、ぼくらは「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開館し続けていきます。 この宣言の鍵になる言葉は、たぶん 「公」 ですね。 マルクス の 「抽象的な公民」 という言葉の 「公」 の部分です。
儲かればいい、売れればいい。儲けるためには差別を煽り、人の尊厳を傷つける雑誌も作る。このような言論が公の場に存在するということは、公が本来的な意味ではなく、単に「利己的な人間が多数いる場」になってしまうことを意味しています。 で、さっきの宣言になるわけです。なんか、とても爽やかな 「若さ」 、そして 「希望」 を感じましたね。
「ああ、そうか、立ち止まって『あれ、これって?』って、ちょっと、自分の生活の風景を向う側からのんびり眺めてみる対岸を作ろうとしてはるんや。」 「人文系図書館ルチャ・リブロ」は、小さな古い橋を渡って、杉林を抜けたところにあります。川の向こう側の図書館ということで「彼岸の図書館」を名乗っています。この「彼岸」にはもう一つ、「現世の社会や常識から、少し離れた場所」という意味合いも込めています。
ここでやってみてほしいのは、実はただ一つ、「現世での立場、価値観、常識という鎧をいったん脱いで、立ち止まって見る」ことです。
もしかしたら今の私の仕事は、「ルチャ・リブロ司書」より「ルチャ・リブロ奪衣婆(だつえば)」が適切かもしれません。「その鎧は彼岸への橋を渡るには重すぎじゃ、イヒヒヒヒ」みたいな。
大丈夫、此岸では戦をしていても、ここは休戦地帯です。誰も切りかかってこないから、安心して鎧に風を通してくださいね。
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