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今日は心待ちにしていた「演奏会」当日でした。「ソロ・リサイタル 練習会」として、人前でひとりで9曲ほど歌いました。7人もの友人が聴きに来てくれて、そして2人の声楽の先生も応援に来てくださり、予想外に沢山の方の前で歌うこととなりました。本当に友人というのはありがたいです。こんな初心者の歌をわざわざ聴きに来てくださるなんて・・・聴きに来てくださった皆様、本当にありがとうございました。そして、ピアノ伴奏までしてくださった先生方にも本当にお世話になりました。自分ひとりだけの演奏会なんてもちろん初めての経験です。で、歌ってみて練習のときに出来ていたことが二割できたかどうかという感じです。まず、めったにあがることがない私が、最初から完璧に緊張してあがってしまって、自分の身体がほとんどコントロール不可能になってしまいました。(笑)そっか、こうなっちゃうのか・・・とても貴重な経験をしました。この経験をもとに、またしっかり練習してゆこうと決意を新たにしたところです。
2006.02.28
今日のカードは 「NEW VISION 新しいビジョン」最近は、自分が「この地上に学びに来ている霊的存在」であるという自覚を失うことはないけど、過去には、その意識が全くなかったし、霊的な目覚めが起きた後もほとんど一日中眠っていて、たまにふと「そうなのかもしれない」と思い出す程度の状態でした。何年もの歳月と様々な体験を通じて、本当にすこしずつ霊的自覚が育ってきました。これは、生まれたての赤ちゃんが殆ど寝ていて、たまに必要性があるときだけ目を覚ますというのととてもよく似ている気がします。もっとも目を覚ます世界は、私たちは霊的世界、赤ちゃんたちは霊界から物質界というまったく逆の方向に意識が開かれてゆくんだろうけど。先日紹介した真実のイエスについての本と同時並行で、下記の本も読んでいます。インペレーターの霊訓―続『霊訓』W.S. モーゼス (著), 近藤 千雄 (翻訳) 出版社: 潮文社読んでゆくと、自分の人生ですべきことや、方向性がどんどん明確になってきて、霊的にとても鼓舞されます。私自身、この霊的な夜明けの時代に地上に降りたのは、霊界からより真実に近い考え方、人生観、エネルギーなどを受け取りそれを地上に広めてゆく仕事をするためなのだということは、はっきりと自覚もあり、思い出してもいます。で、一体何をどうしていったら、天が喜ぶような優秀な霊媒に成長してゆけるのか。。。それが今の私の最大の関心事です。この本には、様々な観点から、高級霊の必要とする霊媒の条件が説明されていて、とても励みになると同時に心が引き締まります。地上にありながら世俗を超えていること。この世的な欲をすべて捨て、霊的な道具として完全に自己(エゴ)を滅却できるか。そういうことなのだろうと思います。改めて振り返ってみると私の人生は今までその訓練のみに明け暮れてきたような気もします。もちろん、自分が意識的に望んだわけではなく、そうせざるを得ない状況ばかりが起きていたということで、その結果、すっかり世間的には変わり者になってしまいました。(笑)でも今は、それら全ては自分で望んだことだったのだと理解できるので、充分納得しているし、ひとつひとつが感謝でもあり、よくぞ諦めずにやってきたと自分で自分を褒めてあげたい気分です。それでも、まだほんの初級のレッスンを終わったばかりなんだろうな。そして、これからも学び続ければ、今までとは違うびっくりするような展開が待っているのを信じられるのでとてもワクワクしています。そう、「NEW VISION 新しいビジョン」との出会いです。新たに自分がすべきことが、はっきり見えてくるはずです。一日も早くそんな時を迎えられたらいいな。
2006.02.26
先日、日記に書いたように近藤 千雄さんの本に紹介されていた、真実のイエス・キリスト像を知る手がかりとなる資料を読みはじめています。とりあえず、下記の3冊を読むつもりです。霊界通信 イエスの少年時代―貧窮の中の小さな王者ジェラルディーン カミンズ (著), Geraldine Cummins (原著), 山本 貞彰 (翻訳) 出版社: 潮文社霊界通信 イエスの成年時代―神と人間のはざまでG. カミンズ (著), 山本 貞彰 (翻訳) 出版社: 潮文社霊界通信 イエスの弟子達―パウロの回心前後G. カミンズ (著), 山本 貞彰 (翻訳) 出版社: 潮文社amazonの本の紹介文は下記です。聖書研究者も折紙をつけた霊界通信。名著“永遠の大道”を受信した稀代の霊能者ジェラルディーン・カミンズ女史の自動書記による霊界通信。イエスの少年時代-純真多感な少年イエスの求道一筋の姿イエスの成年時代―圧政と貧困と既成教団の偏見のただ中で、神の王国を求めて苦闘する人間イエスの波瀾に富んだ成年期の行跡イエスの弟子達―イエスの弟子達のその信仰ゆえの苦難に満ちたドラマチックな行跡を描き、キリスト教草創期の産みの苦しみを伝える小説風な書き方で、実は私としては苦手な部類の本なのですが、読み進むにつれてグイグイと惹きこまれてしまいました。これがチャネリング(自動書記)によって書かれたなんて本当に驚きです。最近、霊界と物質界がどれほど影響を与え合っているのか、今までとは違ったレベルで理解できるようになったようで、様々な霊界の存在、エネルギーを今までより身近に感じて過ごしています。自分の体調管理をしてゆく上で、微妙な変化のサインにいち早く気がついてそれに迅速に対処することは、大事に至らないために何よりも大切だと思うのですが、それは霊的な健康についても全く同じです。霊的なエネルギーやサインに敏感になると、実に多くのサインが送られてきていることがわかります。中にはどうってこともないものだってありますが、一部の情報はとても大切で、それを無視したり気がつかないでいると、とても大きな問題になってしまう場合もあるのです。私たちは皆、霊的な部分では鈍感極まりないので、山ほどの小さなサインを見逃してしまい、無視できないような大きな出来事が起きるまで(現象化するまで)まるで関心を示さなかったりします。あるいはサインそのものには気がついていても、霊的法則に無知のために一体それが何を要求しているのか解読できず、まるで見当違いの対処をしてしまい、事態を悪化させてしまうことも多いのではないでしょうか。一体この事が起きるというのは、こんな感覚を感じるというのは、何故なんだろう?どんな意味があるのだろう?何に気がつかなければならないのだろう?誰かがそういう姿勢で人生に臨んだならば、その人には素晴らしい変化が起き始めるのです。それを理解させてあげようと、霊界ではあらゆる手をつかって導いてくれます。「求めよさらば与えられん」でも求めていない人には、与えようがありません。受け取ってもらえないからです。私自身は今までの自分の「霊的鈍感さ」と「霊的無知」を 神(大霊)と霊界に詫びて、心を新たに、霊界との協力体制をさらに確固としたものにしてゆきたいと思います。
2006.02.23
最近、沢山本を読んでいます。今読んでいるのは霊的人類史は夜明けを迎える―スピリチュアリズム誕生の系譜 霊と深く関わっている人類の歴史―。近藤 千雄 (著) ハート出版 さすが、近藤先生(英語の先生なので・・・)素晴らしい内容の本で、とても刺激を受けます。今読んでいる箇所は、イエス・キリストは本当はどんな生涯を送り、どんな人だったのか。霊界からの通信によって得られた情報から、様々な仮説を紹介してくれています。あまりに興味深いので、もっと詳しく知りたくなって参考になる本を何冊か注文しました。最近、自分が霊媒であることの責任をさらに強く感じています。霊界からの情報を受信するための道具として、自分が霊的に成長することに対して常に全力を尽くさなければならないと感じています。地上の人間に出来ることは、とにかく現時点で思いつく「最善」を尽くすこと以外にないとシルバーバーチも言っていて、その言葉にとても勇気づけられまた安らぎを覚えました。といっても、現実的な活動には相当な余裕があり自由な時間が沢山与えられています。その時間に、必要な本を読んだり、考えたり、感じたりしていて、またダンスや歌の練習も沢山しています。それが今の私のすべきことなのでしょう。カウンセリングをする機会が山ほど来ることもあるし、何故かパタッと来なくなる時期もあり、見えざるものがコントロールして導いてくれているとしか思えないような突然の変化が起きたりします。でもどんなときでも常に必要な物事や状況が与えられている実感があります。最近さらに自分がこの人生で何をすべきかが明確に見えてきて、とても希望的なヴィジョンにワクワクしていますが、同時に今助けを必要としている人たちの苦しみを感じて胸の締め付けられる思いもしています。この地上で生きるというのは、なんという豊かな二面性をもつ体験なのでしょうか。
2006.02.20
今日は何も予定が入っていなかったので、歌の練習と昨日の日記でもご紹介した「シルバーバーチ」の本を読みました。一日終えて、つくづく感じるのは「幸せだなぁ」ということ。まず神の国と義とを求めよ すべてのものみな添えて与わる これは聖書の言葉ですが、「シルバーバーチ」も言葉は違っても同じことを言っています。毎日、大霊(神)の為に生きることです。どんなときでも周囲の人々や存在にいかに貢献することができるかだけを考え最善を尽くしなさい。そうすれば何も困ることはありません。あなたは求めずとも日々豊かに満たされていきることができるでしょう。というようなことを繰り返し言っています。この豊かさというのはもちろん物質的な豊かさのことではありません。内面的(精神的・霊的)な豊かさのことです。私が今、とても恵まれていてそして幸せなのは何故か、もし理由があるとしたら、「神の為だけに生きたい」そう決めているからだろうと、ふと思いました。「神の道具として、最善を尽くしたい。」自分にとっては当たり前の感覚なのだけど、人によっては偽善にしか感じられない言葉なのかもしれません。でも私は、今回の人生でそう確信しながら生きたいと願っていたはずです。「神の為だけに生きたい」そう思う以外に生きる道はないような、それ以外の思いは全て燃え尽きて消えてしまわざるを得ないような・・・そういう道のりをたどってきたような気がします。だから今までの全ての出会いと出来事に心から感謝しています。特に苦しみを与えてくれた状況や人には心から感謝しています。それらの苦悩と葛藤の日々がなければ、今の幸福な自分は存在してなかったからです。「シルバーバーチ」も言っているように、苦難こそがその人の霊の目を開かせることができるのです。そして霊的に目覚めた故のこの幸せは、何があっても消えることはないでしょう。宇宙の絶対的な法則を知り、その法則にのっとった生き方をすることで得ている幸福です。自分が法則を忘れてしまうことなど在り得ないし、法則からはずれたらすぐに気づくので正しい道に戻ればいいだけです。自分がこの喜びを得て、他に何一つ必要なものはないのだから、あとは神の道具として周囲に少しでもサービスをしてゆきたい。常に絶対的な愛情を持って世話をしていただいているという確信からは何の不安も心配も生まれません。より幸福を感じたければ、自己責任、自己選択で、さらにあらゆる存在を深く愛してゆけばよいだけなのです。そして私が最もやりたいことはスピリチュアリズムという絶対的な宇宙法則を一人でも多くの人に知っていただけるように様々な活動し神(全て)に貢献してゆくことです。
2006.02.16
「シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A―崇高な存在との対話」スタン バラード (編集), ロジャー グリーン (編集), Stan Ballard (原著), Roger Green (原著), 近藤 千雄 (翻訳) ハート出版 今読んでいるのはこの本です。やっぱりシルバーバーチの情報は素晴らしい。私にとっては、とても納得のいく情報ばかりで気持ちがとてもすっきりします。「明るく楽しくワクワク生きる」ことを前面に出す「バシャール」も大好きなのだけど、シルバーバーチは、苦悩や苦難とは、魂を磨く絶好の機会として、逃げないで果敢に立ち向かえと常に励まします。そういう意味では、決して甘やかしてくれない内容です。実際に苦難の中にあってそれをまだ恨んだり逃げたい状態の人にはきっとずいぶん厳しい内容に感じる人もいるでしょう。でも苦難を乗り越える経験をした人には、この内容は深い癒しに繋がっていくはずです。この本の中の第7章霊的治療(スピリチュアル・ヒーリング)-その原理の目的と問題点では、少し前から私自身の考えるテーマだった「精神病」についてもどう関わるか、そしてどう考えるかというヒントをいくつももらいました。もうすこし、自分の中で言葉としてまとめることができたら日記にもUPしてみようと思います。
2006.02.15
2月14日はバレンタインらしいが、今年は義理チョコを配る相手も必要性もないので、チョコ売り場で真剣なまなざしで物色している女性たちとは全く違うテンションでものの3分覗いただけで退散。2月28日にソロリサイタル公開練習会?なるものがあって、3月13日はベリーダンスの初発表会。いろいろ行事が控えてて、どうも気もそぞろ・・・というか練習第一状態で気持ちがそれ以外のことにいかない状態になっているということかな。そういう時に限って、妙に日記をUPしなきゃと気になったりする。(笑)最近内面的にいろんな変化があったからそれを書きたいという思いもある。でも、仕方ないなこればかりは。自分の流れに任せてまたUPしてゆきますね。
2006.02.14
今日のカードは 『 TRUST 信頼 』昨日にひきつづき精神病について考えています。今日は新しい本を読み始めました。『精神病が消えていく-続・精神病は病気ではない』長江寺住職 萩原玄明 ハート出版この方は八王子で独自の方法で精神病を治癒させている方だそうです。その方法とは、萩原さんが精神病になってしまった方の憑依霊を霊視してお話をしてその霊が求めている供養をして差し上げる。そうすることで精神病は回復に向かうのだそうです。その供養という言葉がちょっと気になりましたが、よく読んでみると、とにかくお墓を大きくするか戒名をグレードアップするとかそういうことではなく、完璧に心の姿勢の問題のようです。供養とは「死者(霊人)と共に寄り添い、助け合いながら生きる心をもつ」というようなことを指しているのだろうと感じました。成仏せずに、自分が死んだことさえわからずに、生きている人間に憑依している霊。彼らに対してどういう心構えをして、どのような対応をしてゆくのか。本を読んでみて、憑依霊に対してはあくまでも愛と思いやりと感謝、そして憐れみの心をもってということを萩原さんは説いているように感じます。私が共感する部分は、その憑依霊について決して悪意をもたずに真摯に霊の立場と思いをくみとり、死者の霊と生者の霊が共に成長してゆく道を示してゆこうとされているところです。「悪い」ことなど起きるはずがない。起きることは常に中立であり、必然で、因果の法則にのっとって現実となってゆくが、全ての物事はみずからを成長させる機会とすることができる。という私の信念とも一致していて、読んでいてとても感銘を受けています。多分、大きく彼と異なるのは「供養」という言葉の意味です。一体何が本当の死者に対する「供養」となるのか。私は萩原さんの考えをもう少し拡大解釈したいと思っていますが、これからさらに考えてゆきたいと思っています。ところで今日のカードは「信頼」でした。私は「人や本からどのような情報を得たとしても、自分の心の深い部分に響いたものしか受け入れない。」という非常に頑固なところがあります。その「頑固さ」は、ある面自分でも呆れるほどですが、最も自分の性格で愛する部分でもあります。自分の内面的な感覚に対しては、とても信頼をしていて、世界中の人がある観念について信じていても、自分の感覚で受け入れられなければ世界を敵にしてでも決してそれに対しては同意しません。思想の自由が禁じられている社会ならまっさきに危険分子として処分されているくちです。でもそれは「自己信頼」の感覚を強くもっているのだろうと思っています。自分を信頼している人間は時の権力にとっては常に疎ましいものです。常に自分にとっての真実を、妥協せずに鵜呑みにせずに徹底的に熟考して体験して納得した上で見つけてゆく。そして、その真実にもしがみつかずに、いつでもよりよい真実をみつけたら自分の観念を書き換えてゆく。そういう人間にとっては、人の評価などどうでもよいことです。自分自身に対して、恥じないか、正直か、納得しているか、好きでいられるかそういうことが何よりも大切だと思っています。自分自身といっても、エゴの部分ではなく、自分の真実、自分の魂、自分の神性、自分の直感、神の一部である自分自身のことです。自分を「信頼」する、自分を超えた大いなる存在を「信頼」する。そのことは、この精神病を治癒させてゆくというプロセスにも深く関わってゆくのではないかと思います。
2006.02.08
今日のカードは『 CONTROL コントロール 』そう、最近私は、本人がコントロール不能に陥った精神状態 つまり 精神病と言われる人々について考えています。スピリチュアルな観点からすると、この精神病とはいったいどんなことが起きているのか。一体何が原因なのか?治療する方法はあるのか??そしてこの現象をどのように解釈するのか???などなど。。。いろいろ本も読み、実際に役に立ちそうな情報を得られそうだと思えばお金も時間もエネルギーも注ぎ込んで探求しています。何故このようなことに関心を持ち始めたかと言うと、身近な人にそういう状態の人が増えてきたからかもしれません。あるいはそういう事についてもう一度確認する必要を感じたからかもしれません。精神病と健常状態の境界線ともいえますが、私の中では極度の引きこもりやアディクションと呼ばれる中毒症状(アルコールやギャンブルや薬物など)も精神病の中に含めています。霊的なものを扱う業界では、どうやら精神病は低級霊の憑依現象だという解釈が一般的のようです。でも「何故それが起きたのか?その現象の意味をどう考えるのか」については人それぞれに答えが違います。どんなテーマに対しても言えることですが、これが絶対的に正しい答えなのだというものなど存在しないのです。今現在の自分にとって一番しっくりくる答えがあるというだけで、それは本人の霊的な成長段階によって当然変化してゆきます。そして自分が一体どの考えを受け入れるか、どう解釈したいかはたとえ人の意見の鵜呑みという受動的選択であっても、自分で選んでいるのです。私は今まで、低級霊の憑依については全く関わらない、低級霊自体と関わらない。それよりもご相談者本人の霊的成長をサポートすることで、低級霊と関わらずにすむ状態を一緒につくっていくという考えでカウンセリングを行ってきました。でもここしばらく、低級霊の存在やそれらとの直接、間接的な関わり、影響についてあれこれ考えています。善悪の二元性の価値観の中で生きている段階の人たち、つまりほとんどの人にとっては、精神病というのは、あくまでも悪であり、その病気になった人たちは悪魔(低級霊の憑依現象)の餌食となった人で運の悪い被害者だから救済しなければならない。この場合直接的には低級霊や悪魔や怨念をもっている人は加害者という図式になります。その価値観の中に生き、その敵と戦うことに必然性を感じる人々は、除霊や浄霊、悪魔祓いの儀式や方法についていろいろ編み出し、それを人類に広めることが使命だと思っています。その悪なるものからの解放(救済)や、病気の回復や運勢向上という現世的なご利益を得たいと思う人々も、それを目的として掲げる宗教やグループあるいは個人に集まります。私はここしばらく、そういう観念の中で生きている人たちと直接関わったり、またそういう本を読んだりして学んでいます。それは、現在の私にとってはちょっと異文化なのです。私が今まで理解し身につけてきた観念の世界はそれとは全く違う解釈をします。スピリチュアリズムは、人間的な善悪の二元性を超えたワンネス(統合された世界)への霊的理解へ誘ってくれます。肉体をもつ霊人(人間)と肉体をもたない霊人、「生きる」とはその二つの世界の存在の共同的創造作業だと思うのです。どちらが加害者でもなければ被害者でもありません。私の・・・というかスピリチュアリズムの基本的な信念は「本人の魂の許可がなければどんな存在も何ひとつ関わることができない。つまり起きることは本人の魂が許可したこと」です。これはどの魂も100%の自己責任において進化するということです。もちろん地上界にも霊界にもルールはあるでしょうが、魂はそのルールは了承済みでしょう。確かに低級霊の憑依というのはあるとは思いますが、彼らも無作為に無分別に憑依するのではありません。波長が合わなければ、あるいは縁がなければ関わることはできないはずです。共に学ぶということを、意識の深いところで合意をしているのだと思っています。だからそういうものと波長が合わないように自分の霊格をあげてゆくということが根本的な解決方法です。ところが自己責任で意識的に霊格をあげてゆくのは、医療でいえば「予防医療」のようなもので、ある程度健康な人には充分役にたつのですが、実際にもう憑依されていて身心共に苦しんでいる人たち、もう重い病気にかかってしまった人たちにはあまり役に立ちません。それは自分の意識や意思の力が極端に衰弱してしまっているからです。重病人に予防医療が役に立たないのと同じです。その人たちとどういう形で関わってゆきたいのか?自分には一体何ができるのか?それともすべきではないのか?まだいろんな疑問があってとても言葉にまとめることができませんが、とにかくそういうことを考え、探求し、体験しながら、自分を探る日々です。
2006.02.07
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