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しばらくブログごぶさたしてます。今日こそは・・・後で書きます(笑)
2009.04.27
自分では、だいぶ状況をコントロールしなくなってきたなと思ってきたけど、いやいや、エゴは安全な状況では隠れているけど、緊迫したり、精神的なプレッッシャーが出てくると急に状況をコントロールして、安全な道を選びたくなってくるんだなあと今日分かりました。私は生まれつき、とてもはっきりと自分の意見を言う方です。そのせいで生意気だと思われ(実際生意気だったけど)学生時代はだいぶいじめられたりもしたけど、全くめげずにその性格を保ち続けている・・・でもはっきりと意見や思いを言うのは、天真爛漫さや楽天的なよい面でもあるので、これがなくなったら自分らしさがなくなってしまうと思っています。だけど、自分に不安感があり、人や状況をコントロールしたいためにはっきり意見をいうと、殆どの場合、調和を重んじる日本人は反対意見を飲み込んで言わなくなってしまう。そして、そういう人たちはある我慢の限界を超えると突然切れて爆発してしまったりする。今までにそういう青天霹靂の激しい怒りをぶつけられたことが沢山ありました(苦笑)私は、相手が爆発するまで、その人が、そんなにも意見を言えず、感情も出せずにもんもんと悩み、ストレスを感じていることがなかなか読めないんです。それは、相手の意見は喜んで聞くという姿勢を保っているつもりなので、押し付けているつもりはまるでないということがひとつ、そして、もし、自分が逆の立場なら爆発する前に、腹をわってきちんと話しをしようとしたり、相手の意見を求めたりして調整しようとするアクションを起こすからです。それが意味がなさそうなら、未練も残さず責任転嫁もせず、さっさとそういう状況と縁を切ります。意見をはっきり言うのが当たりまえの文化の中だったら私はもっと社会の中で生きやすかったのかも・・・と過去思うことがありました。でもここは日本で、自分が生まれたのも日本。この文化の中で同胞たちとうまくコミュニケーションをとっていかなければなりません。私はよく家族にはマイペースで傲慢と言われてしまうのですが、多分他の人にもそう見えることがあるのでしょう。人に対する依存性が日本人の平均よりかなり低いとどうしても相手に合わせる気持ちが薄くなり、一方、相手の自由度を許せるようにもなります。私は、私の家族のように、調和をこのみ、気遣いと謙虚さをもつこの文化の人たちが大好きです。リーディングする人なのに、どうして読めないの?と思うかもしれないけど、自分とは無関係の全く知らない人の思いを直感で読むことと自分がその当事者として関わっている状況の中で相手の思いを察するのはまるで違います。リーディングは、利害関係のないニュートラルな立場にいる時だけ可能みたいです。少なくとも私は、そのニュートラルな立場にいる時は、単なる傍観者として上から眺めるという感覚なので、判断や思考のない状態です。でも自分で何かを意思決定して決めてゆくには、意識を「地上」に降ろさなければなりません。自分としては、「地上」にいながら「深い安心感」を保ち、状況をコントロールせずに、自分の内面をコントロールし、静寂を保つこと、気づきの状態を保つことで、現実を変化させてゆく。というのがこれからの私の課題だなあと思います。次の課題は、なかなかチャレンジしがいがあります。
2009.04.10
今日は、岡本太郎美術館に行ってきました。岡本太郎は修行者だね。エネルギーが桁外れに高い。地上で生きるのには、戦わざるを得なかったのだろうと思う。人間の暗闇の部分、無知との対決。気づきが深いから敵を知り、戦える。素晴らしい先輩だなあと思う。時々、刺激を受けにこの場所に戻って来たい。それはそうと、文化が違うとここまで当たり前と思う常識が違うものかと思い知らされています。ここでの文化は「文化=カルチャー」の意味。「若者文化」というような相手を傷つけないようにしたいけど、でもある程度客観的な意見として彼らがどう見られているのか、人とどう違うのか、一緒に何かをするには、知ってもらう必要はある。これは、私にとっては初めての課題。どう切り抜けようか・・・・(笑)面白い状況だわ。
2009.04.08
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