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この一年間、正子公也&森下翠、そして『絵巻水滸伝』を応援してくださり、ありがとうございました。今年も良いこと、残念なこと、思わぬ出来事、いろいろな事がありました。中でも、『絵巻水滸伝』全十巻の完結は、記念すべき、本当に嬉しい出来事であり、また一つの大きな区切りとなりました。来年は、はたしてどんな一年になるのでしょう。これからも末永く見守っていただけることを願っています。 皆さん、どうぞよい年をお迎えください!
2007年12月31日
今年も残すところあと二日。ちょっとこの一年間の出来事を振り返ってみましょう。今年のSUIKO108十大ニュースは……・絵巻水滸伝値上げ(1月25日)(残念なニュースから始まった一年でした……それでも変わらぬご愛読、ありがとうございました)・映画「どろろ」公開(1月27日)(正子公也がヴィジュアルコンセプトデザインを手掛けた映画「どろろ」が公開されました)・正子公也サイン会を開催(3月25日小川町時代屋、11月17日代官山戦国ART祭)(小川町時代屋では正子公也はじめてのサイン会が行われました。たくさんのご来場、ありがとうございました)・京都太秦戦国祭りで戦国絵巻パネル展開催(9月29、30日)(戦国武将グッズの発売など、「戦国絵巻」に注目が集まった一年でもありました)・ブログ10万アクセス達成(10月10日)(ブログ開設1周年を前に、10万アクセスを達成しました。毎日更新も達成です)・中国で水滸伝取材を決行(10月)(絵巻水滸伝続編のため、杭州などで取材を行いました)・上海で記者会見と大学での講演が行われる(10月)(大学での講演では立ち見が出るほどの盛況ぶり。終了後もサインを求める学生たちが正子公也の周りに集まりました。中国での意外な人気に驚きです)・『絵巻水滸伝』全10巻完結!!(10月25日)(ついに108人の好漢が梁山泊に集結しました)・中国合肥で絵巻水滸伝の展示が行われる(11月)(108好漢のポスターおよび徐先生による顧大嫂の木像が展示され、会場の注目を浴びました。今後の中国での展開が期待されます)・林教頭、人気投票第一位を防衛(11月25日)(さすがの林冲、人気は不動です)★振り返ってみると、猪年にふさわしい、ひたすら走り続けたような一年でした。その中でも、日本の読者の皆さんや、中国のファン、絵巻を応援してくださる大勢の人々との出会いが印象に残っています。ブログを訪問してくださる皆さんにも感謝、来年もどうぞ宜しくお願いします!
2007年12月30日
★広東省の紅竜果日本ではドラゴン・フルーツと呼ばれています。名前の通り、赤い竜の鱗のような皮をもつ甘い果物。冬でも暖かい広東省は新鮮な果物が豊富です。おいしくて毎日たくさん食べていました。
2007年12月29日
★江西省の井岡山人民解放軍の前身である紅軍誕生の地として「革命揺籃」(革命の揺りかご)とも呼ばれる山です。毛沢東らが山中にこもり、国民党と激しい戦いを繰り広げました。今は風景区として観光地になっていますが、複雑な地形やたびたび発生する濃霧に守られた天然の要害です。美しい雲海を見下ろす山中には、かつての戦場跡 や塹壕なども残っています。秦明率いる官軍と花栄・燕順らが激戦を展開した清風山も、きっとこんな山だったに違いありません。
2007年12月28日
一週間にわたり中国南方を中心に回り、無事に帰国しました。不在中も、みなさんご訪問ありがとうございます(SUIKO107さんも管理ありがとうございました!)今回は取材ではなく、打ち合わせ中心の出張だったため、まだ皆さんにご報告できる段階ではありません…今後の展開を気長に(?)楽しみにしていてくださいね。さて今回、我々は、中国が誇る“世界華人傑出芸術家”徐曉ヨウ(金に庸)先生の工作室を訪問しました。そうです、正子公也の絵をもとに徐先生が彫った、顧ばばこと「母大虫 顧大嫂」の木像に会うためです。高さおよそ1.5メートル、台座を含めると2メートルを越える大きさです。仏像彫刻に使用される“桧(ひのき)”の彫像ですので、繊細でとても良い香りがします。作品はご覧のとおり、凛々しく神々しい顧大嫂に仕上がっています。正子の絵よりも10歳ほど若返ったようですね。まるで生きているような表情をしています。下段の写真の左が徐先生です。現在、さらにもう一体の制作に入っています。今度は誰が出来上がるのか…お楽しみに!
2007年12月27日
この後ろ姿は!?正子&森下が、今回の中国訪問で遂に、ご対面!詳細は明日。
2007年12月26日
楽しいクリスマスをお過ごしください。
2007年12月25日
『次男の猫』 江州・掲陽鎮の大地主、穆太公には二人の息子がいる。 その次男は、少し足りないらしい──と、陰で囁かれていた。なにしろ、長男の方は十三の歳には立派に小作人たちを監督し、また車馬を差配して商売に出ることもこなしていたのに、次男は同じ歳で掛け取りの一件にも間に合わない。喧嘩をすれば負けてくるし、商売に出せば損をする。当然、小作人たちにも抑えがきかない。 ところが当の本人は、陰口も、父親の心配などどこふく風に、日がな一日、愛猫の蚤をとっている。 この猫を、玉環という。ある雨の日、船着場の藪のなかで、破れ蓑にくるまってみゃあみゃあと啼いていたのを拾ってきたのだ。 このやせ猫を、次男はどうしたことか溺愛した。やせっぽちの汚い雌猫に楊貴妃の名をつけるとは、とんだ酔狂だとみなが笑った。「ぬかせ、これは猫の姫君ぢゃ」 次男はそんなことを言って、子猫を懐に入れて育てた。手塩にかけたかいあって、やがて黒々とした見事な毛並みの美猫になった。 ところが、この猫がとんでもない贅沢者で、釣ったばかりの新鮮な魚しか口にしない。それもうまいところを何口か喰うと、次をねだってにゃあと泣く。次男がまたそれを叱るどころか、欲しがれば自分の膳からでも分けてやる。「我が家は、次男とこの猫に喰い潰されてしまうだろう」 穆太公は人に会えば、そう言って嘆いた。もっとも、長男のほうは腕っぷしも強く、また負けん気で、そのへんの荒くれ男を数十人たばにしてもかなわないような男だったから、それは杞憂と思われた。 そんなある日、“こと”が起こった。 *** その日、次男は玉環のために新鮮な魚を求めようと、潯陽江のほとりに出掛けた。そこで次男は一匹の猫を見た。潯陽江の大網元、文太公の飼い猫だ。 文太公は丸々と肥えたいけすかない爺だが、その飼い猫はそれに輪をかけたような化け猫だった。毛並みは灰色に白黒が混じったまだら、腹は地面までたれさがり、耳は片方くいちぎられて、目つきときたら人食い虎だ。その薄汚いぶち猫が、漁師たちから“猫王様”などと呼ばれて、ちやほやと持て囃されていたのである。 たとえ魚を盗んでも、漁師どもは愛想笑いをうかべ、「さすが、“猫王様”。すばらしい食欲でございますな」 などと褒めそやす。 ところが、次男の猫がちょっと雑魚の匂いをかぐと、漁師たちはすかさずざるを投げつけた。怒った次男は漁師に殴りかかったが、反対に殴り飛ばされて、魚も買えず、ほうほうのていで家路についた。 そこで次男は考えた。 喧嘩をした漁師どもは、あとで兄貴に殴ってもらおう。しかし、可哀相なのは玉環だ。あんな不細工なでぶ猫に遅れをとって、ざるを投げつけられるとは。 次男は一念発起した。(あの性悪猫が大事にされるのは、飼い主の威勢がいいからぢゃ) さっそく兄に会いに行くと、長男は大人たちにまじって博打をしていた。次男は兄の袖をひっぱった。「兄ちゃん、わしは何かでかい仕事をしたいのぢゃが」「でかいこと」「何がよかろう」「“老鼡幇”の長髯幇主でもやっちゃれ」 長男が言うと、次男はぽんと手を打った。「いい案ぢゃ」“老鼡幇の長髯幇主”には、近隣のみなが迷惑していた。 いつからこの辺りに住み着いたのか、おびただしい手下を連れて、好き放題に暴れまわる。米や魚肉、蔵の荷を盗みとるのはもちろん、家畜や衣服、家具も被害にあっている。揺りかごから赤子をさらわれた者もいた。 その行動は神出鬼没。頭がよく、巧みに人の裏をかく。犬などは恐れないし、毒もきかない。「しかし、奴はそうとう手ごわいぢゃろう。兄貴、わしに勝てるかのう」 珍しく真剣な次男の声に、長男はようやく骰から目をあげた。「本気か」「おう」 ならば、と、長男は立ち上がり、二つ三つ必殺の技を伝授した。「あとは気合ぢゃ。相手を睨み、全力でぶつかるんぢゃ」 次男は神妙な顔で頷くと、棒きれを握りしめ、街はずれにある廃墟に向かった。破産した富豪の米倉跡だ。“老鼡幇”の悪党どもは、この古蔵を根城にしていると目されていた。 次男はごくりと唾を飲み込むと、覚悟をきめ、朽ちかけた扉に手をかけた。 *** 蔵の中は真っ暗だった。 崩れた壁の隙間から、細い光がいく筋か漏れているだけだ。次男は油断なく辺りに気をくばりつつ、ずっと一歩ふみこんだ。やがて目が慣れ、蔵の中が見えてきた。壊れた農具や傾いた棚が、雑然とちらばっている。“老鼡幇”の気配はない。「で、でてこんかい!」 次男がそう怒鳴ったとたん、奥の闇がざわめいた。暗い蔵のあちこちから、絹を切り裂くような音、悲鳴と怒号、板に刀を叩きつけるような音が雷鳴のごとくに轟いた。さらに無数のぎらぎらと光る目が八方から睨み付けている。次男はきゃっと悲鳴をあげた。さっと生臭い風が吹き、大勢の気配が突進してくる。次男は夢中で棍棒を振り上げた。(玉環よ、待っとれ!!) 次男は思い切り棒を振り下ろした。そのまま勢い余ってつんのめり、倒れた地面で顔をしたたかに打ちすえた。 手応えはあった……ような気がした。 *** おそろしい物音に、長男は米倉の扉をあけた。 扉から差し込む光の中に、次男が目をむいて引っくり返っていた。地面で打った前歯がかけて、顔じゅうが血まみれだった。 昏倒した次男まわりには、おびただしい鼠の死骸が転がっていた。どれも一撃で腹を切り裂かれている。その中に、一匹だけイタチほどもある大鼠がいた。一尺もある銀色のひげをたくわえていた。「おお、やったか」 頭を砕かれ死んでいたのは、間違いなくこの蔵の主“長髯幇主”だ。長男と彼が引き連れて来た小作人たちは、みな次男の手柄に声をあげた。 と、その足元を、どこから現れたのか次男の猫がきどった足取りですりぬけた。ふさふさとした尻尾をぴんとたて、しゃなりしゃなりと外へ出ていく。 すれ違う時、“姫君”は金色の目で長男の顔をちらりと見上げた。そして、真っ赤に染まった牙を剥いて──にっと笑った。 ***「それは、ものすごい奴じゃったぞ」 前歯の欠けた顔で、次男は会う人ごとに自分の武勇伝を語って聞かせた。 近在の誰もが迷惑していた“長髯幇主”が退治され、誰もが次男に礼を言った。もう“足りない”などと笑うものはいなかった。 次男は、おおいに満足した。 思惑どおり、飼い主の株が上がったために、人々の玉環を見る目もがらりと変わった。みなが恩人に対するように慇懃になり、毛艶をほめ、牙や爪をほめ、わざわざ獲れたての魚などを運んでくる者もいた。「やってみるものぢゃのう」 胸を張る次男の傍らでは、次男の猫がそしらぬ顔で黒い前肢を嘗めていた。
2007年12月24日
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「鉄屑め、追ってこれまい」 その時、二縦列をとっていた連環馬軍が左右に割れた。その間から、紅の馬に騎乗した一人の将が進み出た。「“大刀”関勝!!」絵巻水滸伝(第10巻)(第70回 結集百八星) 絵巻水滸伝(第10巻)
2007年12月23日
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「敵か、味方か?」 新手の軍は埃に塗れ、装備も汚れている。魏定国の横で遠目のきく兵が叫んだ。「官軍です!!」 魏定国にも彼らの掲げる北京の旗が見えた。「北京軍?」 魏定国は目を凝らした。先頭に金色の大斧がきらめく。そのような武器を持つ者を、魏定国は官軍中に一人しか知らぬ。「“急先鋒”索超か!!」絵巻水滸伝(第10巻)(第67回 蒼茫より) 絵巻水滸伝(第10巻)
2007年12月22日
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許大丐は、ゆっくりと燕青に振り向いた。「俺の名は許貫忠──覚えておいてほしい」 僅かに足を引きずりながら、許大丐は去っていった。「許貫忠──今度は、俺があんたを助けるよ」 許貫忠は振り向いて、わずかに笑ったようだったが、そのまま何も言 わずに雪原の彼方に消えていった。絵巻水滸伝(第10巻)(第66回 元宵より) 絵巻水滸伝(第10巻)
2007年12月21日
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“浪子”燕青(ろうし えんせい)盧俊義の忠実な従僕。文武両道であり、なおかつ歌舞音曲から各地の方言まで通暁する。もとは孤児で、盧俊義に養われた。浪子とは、伊達者の意。奇しくも、風流皇帝・趙佶の若き日のあだ名も“浪子”である。“大刀”関勝(だいとう かんしょう)“武神”と呼ばれ、生きながら伝説となった男。三国志の英雄・関羽の末裔であり、青竜偃月刀を使い、容貌も酷似する。関羽の容貌とは、すなわち「腹まで届く見事な髯、棗のように赤い顔」のこと。赤は“忠義”の色でもある。 絵巻水滸伝(第9巻)
2007年12月20日
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“托塔天王”晁蓋(たくとうてんのう ちょうがい)梁山泊二代目首領。もとは東渓村の保正であり、数奇な運命に導かれ梁山泊の主となった。義心厚く、みなの信望を一身に集めていたが、曽頭市戦において志なかばに斃れた。中秋の夜のことである。“玉麒麟”盧俊義(ぎょくきりん ろしゅんぎ)北京大名府の大富豪。“河北の三絶”とも謳われ、その財、武勇、人となりは他の追随を許さない。しかし、信頼する番頭、李固の奸計により、絶体絶命の窮地に陥ることになる。“浪子”燕青にとっては養い親。 絵巻水滸伝(第8巻)
2007年12月19日
北宋時代、梁山泊に集まった好漢たちの物語は、はじめから今の「水滸伝」の形をとっていたわけではありません。『宋江三十六人賛』は、『水滸伝』の誕生に先駆けて、南宋時代(1127~1279)に書かれた宋江ら三十六人の仲間を讃える文章です。もともとは画がついた“画賛”でしたが、画は散逸して、今では文章だけが残っています。古文なので訳すのは大変に難しいのですが、一人ずつ紹介していきましょう。南宋時代の梁山泊にはどんなメンバーがいたのか、そして、彼らはどのような人物としてイメージされていたのでしょう。※訳文はあくまで素人の推測・想像です。多少とも合っているのかどうか、まったく分かりません。識者のご教授をお待ちしています!尺八腿劉唐; 将軍下短(将軍下短) 貴称侯王(侯王を貴称す) 汝豈非夫(汝、豈に夫に非ざる) 腿尺八長(腿尺八長)「将軍は下短、侯王を貴称す、汝、豈に夫に非ざる、腿尺八長」水滸伝では第二十一位の“赤髪鬼”劉唐が、“活閻羅”阮小七には負けましたが第六位に急上昇です。今回の賛はかなり難しいです……全く自信がありません。想像力を駆使して、無理やり文章の意味をSUIKO108的にこじつけ(?)てみると……、「劉将軍は少々足りないところがあるが、堂々と王侯を名乗っておられる。彼がどうして一人前の男でないものか、脚の丈が一尺八寸だからといってなんだというのだ」こんな感じでしょうか……?「尺八」を一尺八寸として、宋代の数値に換算してみると、約54センチです。確かにちょっと短いですね。ちなみに「腿」は一般に太股から足首までのことを言います。“短足”劉唐……ちょっとイメージが湧きませんね。やはりこのあだ名は王英に譲りたい気がします。また「下短」には、“金の支払いが滞っている”というような意味もあります。「金も払わずに王侯を名乗る短足の劉将軍」に二つの「下短」をかけてからかっているのだとしたら、それはそれで面白いですね。
2007年12月18日
12月18日より、正子公也&森下翠が再び中国を訪問します。その間、SUIKO108も不在となりますので、ブログの管理はおなじみSUIKO107さん(煩悩が1つ足りないのです)にお任せします。コメントなどへのお返事が滞るかもしれませんが、チャンスがあれば中国からも書き込んでみたいと思います。どうぞ、不在中も「SUIKO108news」を宜しくお願いいたします!
2007年12月17日
“双鞭”呼延灼(そうべん こえんしゃく)元汝寧軍都統制。建国の英雄・呼延賛の子孫であり、自らも“軍神”と呼ばれる名将。無敵の連環馬軍を率い、二振りの鋼鞭を使う。胸に『赤心殺賊』の刺青をもち、その節義の心は鋼のごとし。一男三女の父。“金鎗手”徐寧(きんそうしゅ じょねい)もとは禁軍金鎗班の武芸師範。家宝である甲冑“賽唐げい”を守るため梁山泊入りした。鈎鎌鎗法の唯一の伝承者である。黄金の甲冑は、古に西方からもたらされたものだという。妻との間に一子あり。絵巻水滸伝(第7巻)
2007年12月16日
引き続き、小説「書剣恩仇録」文庫版第四巻(金庸(きんよう)著、岡崎由美訳、徳間書店)の表紙を飾ったイラストです。「金庸先生とはご縁があり、ご一緒に会食したことがあります。金庸先生は僕の描いた“東邪”をいたく気に入ってくださり、その折直接、絵をご所望され、プリントアウトしたものをお渡しいたしました。金庸作品のキャラクターは「碧血剣」の“金蛇郎君”夏雪宜の他に、“神チョウ(周+鳥)侠”楊過、小龍女、“東邪”黄薬師、“西毒”欧陽鋒など、未発表作品も数点存在するのですが、権利関係が複雑で、なかなか発表する機会がありません」(正子談)書剣恩仇録(4)
2007年12月15日
昨日に引き続き、小説「書剣恩仇録」文庫版第三巻(金庸(きんよう)著、岡崎由美訳、徳間書店)の表紙を飾ったイラストです。この小説は金庸先生の処女作。一躍、人気作家となり、以後次々と長編12作品を発表、その総てが幾度も映像化されています。ちなみにこの作品の登場人物のなかで正子のお気に入りは、“千手如来”趙半山だとか。書剣恩仇録(3)
2007年12月14日
昨日に引き続き、小説「書剣恩仇録」文庫版第二巻(金庸(きんよう)著、岡崎由美訳、徳間書店)の表紙を飾ったイラストです。一巻では、主人公の陳家洛(ちんからく)率いる紅花会を象徴して、紅の夕日に紅い花びらを、第二巻では舞台となった西湖をイメージして、魚をデザインした大斧を描いています。 書剣恩仇録(2)
2007年12月13日
これは金庸(きんよう)著、小説「書剣恩仇録」文庫版(徳間書店)の表紙を飾ったイラストです。人物ではなく、武器を──という編集部からの要望があり、偃月刀の画になりました。清代を舞台にした、いわゆる武侠小説ですが、金庸作品の中でも特に水滸伝との共通点の多い作品です。興味のある方は、これを機会に、お読みになってみてはいかがでしょうか。訳は岡崎由美先生です。 書剣恩仇録(1)
2007年12月12日
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“一丈青”扈三娘(いちじょうせい こさんじょう)扈家荘の令嬢。海棠の花のごとき美貌をもち、無双の武芸を身につけている。祝家荘戦後、梁山泊入りして“矮脚虎”王英と結ばれた。日月双刀の使い手である。“病関索”楊雄(びょうかんさく ようゆう)薊州の首斬り役人をしていた時、妻の潘巧雲を殺し、義弟の石秀とともに梁山泊へ落ち延びた。後に隻腕となり、あだ名は“手負いの関索”。関索とは三国志の英雄の名である。※関索とは伝説上の関羽の息子であり、武芸卓抜な若き英雄。 絵巻水滸伝(第6巻)
2007年12月11日
“黒旋風”李逵(こくせんぷう りき)炭のように黒い肌の持ち主で、人呼んで“黒いつむじ風”。またの名を鉄牛。二振りの板斧を使う暴れ者だが、無邪気な愛すべき一面もある。宋江を慕う心は誰より強い。“混江竜”李俊(こんこうりゅう りしゅん)江州三覇の一、掲陽嶺を預かる顔役。江州に流罪となった宋江を助けたことから、梁山泊入りすることになる。過去の記憶を失っており、その過去は謎に包まれている。絵巻水滸伝(第5巻)
2007年12月10日
去る11月30日~12月1日、三日間にわたって「第一回中国国際アニメ・コミック交易展示会」が中国安徽省合肥にて行われ、「絵巻水滸伝」が大きな反響を呼びました。その中でも、特に来場者を驚かせたのは会場の中央に置かれた女性の巨大な木像です。絵巻ファンなら、一目でお分かりになるでしょう。そう、これ は顧ばばこと「母大虫 顧大嫂」の木像なのです。この木像は正子公也のイラストをもとに、中国が誇る“世界華人傑出芸術家”徐曉ヨウ(金に庸)先生によって一年ちかい年月を費やして制作されました。その高さはおよそ1,5メートル、絵では分からない背面まで見事に彫刻されています。日中の才能のコラボレーションによって、まるでイラストから抜け出したような生き生きとした顧大嫂が誕生しました。早く日本でも見られるといいですね!
2007年12月09日
去る11月30日~12月1日、三日間にわたって「第一回中国国際アニメ・コミック交易展示会」が中国安徽省合肥にて行われました。その会場に,200平米に及ぶ「絵巻水滸伝」の巨大ブースが設けられ、108人の好漢たちのポスターが展示されました。『群英絵』(群英之会とかけている?)と題された、豪快にして華麗なイラストの数々は、来場者の大きな反響を受け、現地のメディアでも大きく取り上げられました。中国でも絵巻ファンが確実に増加中の模様です。そして、注目を集めた展示会場の中でも、特に来場者を驚かせたのは…会場の中央にある木像にご注目ください!
2007年12月08日
去る11月30日~12月1日、三日間にわたって「第一回中国国際アニメ・コミック交易展示会」が中国安徽省合肥にて行われました。その会場に「絵巻水滸伝」の巨大ブースが登場。来場者の注目を集めました。詳細は追ってご報告しますので、どうぞお楽しみに!
2007年12月07日
「こんな所に穴を掘った野郎は誰だ!!」絵巻水滸伝(第10巻)(第六十八回 帰還、“急先鋒”索超~正子公也撰)
2007年12月06日
三、教育について(1)日本におけるイラストや美術教育の現状について少し紹介していただけませんか 美術教育に関しては有名な大学が昔から幾つかありますが、イラスト(アニメや漫画)を教える学校は以前は数えるほどしかありませんでした。しかし、アニメやマンガがブームになるに及んで、一般の大学でも10年ほど前から、マンガやアニメ、イラストの学科が新設されるようになりました。当時、僕にも某有名大学から講師の要請がありましたが、スケジュールの都合でお断りしました。 ただ、それらの学校を卒業したからといって、イラストの仕事に着けるのは、ほんの一握りの人だけです。(2)学生時代に学んだものとその後の職業人生との関係について、先生のお考えをお伺いしたいです。 高校生のとき、物理学者になろうと決心し、大学では物理学科に進学しました。将来を決める時期、もっとも影響を受けた人物は、物理学者のアインシュタイン博士と、漫画家の手塚治虫先生でした。手塚先生は漫画家でありながら、医学博士の博士号も持っていました。そこで僕は理学博士で漫画家になってやろうと決心したのですが、残念ながら漫画家にも理学博士にもなれませんでした。 博士と漫画家、一見関係ないようですが、僕にしてみれば物理学も漫画も、孤独のなかで真理を追求するという点において、同じなのです。(3)イラストの勉強をし始めている学生に、先生は何か話されたいことがありますか。 まずは努めて学ぶということです。‘学ぶ’とは、本を読んだり、よい友人と付き合ったり、豊富な人生経験をつみ、感受性を磨くことです。 常に意識して何かを探し、挑戦し続けることが大切です。 「感性は磨くもの。才能は伸ばすもの」です。四、プライベートについて(1)休みのとき、どんな余暇の過ごし方をされていますか。 基本的に休みはとりません。常に絵筆を握っていないと、どうも落ち着かないし不安でならないのです。一見、仕事から離れているように見えても、仕事に生かされるようなことを常にするように心がけています。たとえば今回の中国旅行も、単なる休暇ではなく、作品のための取材が目的でした。 自分から休みをとることはありませんが、友人が訪ねてきたりしたときは、なるべく仕事を忘れて、少しでも休みをとるようにしています。(2)締め切りの催促などされたことがありますか。先生はどのように対処していますか。 締め切りの間に合わなかったことは、今まで一度もないと思います。以前は、そのために、かなり無理をしたこともあります。最近は、締め切りまでに出来そうにない依頼は、お断りするようにしています。(3)先生はどんな類の作品が好きですか。(文学系、映画、ドラマ、音楽、その他) 文学はいろいろなジャンルのものを読みます。中国の古典や日本の歴史物はもちろんですが、三島由紀夫などの純文学や、パール・バック『大地』などの海外文学、推理小説ではアガサ・クリスティ、SFではアシモフやハインライン、ブラッドベリが好きです。好きな映画は黒沢明監督「七人の侍」「赤ひげ」、小津安二郎監督「晩春」、テリー・ギリアム監督「ブラジル」、フェリーニの「カサノバ」、ビクトル・エリセ監督「ミツバチのささやき」などです。音楽は70年代のイタリアの音楽が好きで、レコードをコレクションしていました。(4)先生の一番の願いは何でしょうか。僕たちの『絵巻水滸伝』が中国の皆さんをはじめ、世界中の人々に愛されることです。
2007年12月05日
中国のメディアに掲載されている正子公也のインタビューを数回に渡って紹介しましょう。二、中国について(1)この間に中国に来られたと聞いていますが、どうでしたか。 中国のファンの皆さんと交流できて、非常に楽しい時間を過ごすことができました。大学での講義では、多くの若い人達が熱心に耳を傾けてくれて、本当に感動しました。また無錫や杭州では『絵巻水滸伝』のための有意義な取材もでき、今後の制作活動の大きな助けになるでしょう。中国には、今後も何度も訪れることになると思います。まだ行ったことのない素晴らしい場所がたくさんありますので、色々な所へ行きたいです。(2)先生にとって中国の一番魅力的なところは何でしょうか。 ひとことで言い表わすとすれば、「ロマン」でしょうか。少年の頃、初めて水滸伝や三国志に触れたときの“ときめき”は、僕の一生を支配することでしょう。本に書かれた中国の歴史や大地、そこで活躍するたくさんの英雄たちは、日本という小さな島国に生まれた僕にとって、衝撃でした。中国文化との出会いは、多感な少年の人格形成に大きな影響を与えたと思います。男はこう生きねばならぬ、友とするならこういう男を、と殆ど信仰にも似た哲学として、今も僕の体内に存在し続けています。(3)「絵巻水滸伝」は近々中国において出版されると聞いていますが、この作品について、お話されたいことがありましたら、ぜひお願いします。それと、原作の「水滸伝」の登場人物について、先生はどのように考えておられますか。先生が一番好きな登場人物は誰でしょうか。 『絵巻水滸伝』は、挿絵点数が既に2000点を越えています。このようなものは日本はもちろん、世界のどこにもないと自負しています。 また、小説家の森下翠先生による、原典のイメージを壊すことなく現代的にアレンジされた文章も素晴らしく、日本の水滸伝ファンに熱烈に支持されました。ぜひ中国の方々にも読んでいただきたいと思っています。 一番好きな登場人物…これはたいへん難しい質問です。水滸伝の登場人物は全員に愛着がありますが、その中でも敢えて挙げるとすれば、李俊と石秀でしょうか。李俊は最後まで真の自由を求め続けた男として、石秀は友のために命を捨てることを厭わない、もっとも「侠」を体現している人物だと思うからです。(4)「絵巻水滸伝」の登場人物はそれぞれ個性があると思いますが、先生がどのようにそれぞれの人物像をイメージし、どのように創作に取り組んでいるかについて、一つ例を挙げて話していただけませんか。 彼らのイメージは、とにかく原作から得られるひらめきを大切にし、それを広げていく形で誕生しました。人物像は作ったのではなく、自分の中でいつの間にか成長し出来上がったのです。それは自然に生まれたものであり、僕にとっては、唯一のものであるのです。 魯智深は‘魯智深’らしく、武松は‘武松’らしく。(5)「絵巻水滸伝」を通して、先生は中国のファンにどんなメッセージを伝えたいとお考えでしょうか。『絵巻水滸伝』は、本来、日本人に水滸伝の面白さを知ってもらいたいと願って描いたものです。伝えたいメッセージは、すべて作中の人物に託しています。物語からどんなメッセージを受け取るかは、読者のみなさんにお任せしましょう。
2007年12月04日
中国のメディアに掲載されている正子公也のインタビューを数回に渡って紹介しましょう。一、創作について(1)日本では、イラストレーターというのはどういった職業であるかについて、紹介していただけませんか。 はじめに言っておきたいことですが、僕は絵巻作家であって、イラストレーターではありません。 僕の肩書は“絵巻作家”であり、この絵巻作家というのは、僕が勝手につけた肩書です。ですから“絵巻作家”は、世界に僕ひとりではないでしょうか。 一般にイラストレーターは日本でも中国でも同じだと思いますが、クライアントに頼まれた仕事をして生計を立てています。 僕の場合は自分で作品を企画し、形にして、それを出版社等に見ていただくのです。そうして運の良い作品は世に出ますが、陽の目を見ない不幸な作品も数多く存在します。ここでいう「絵巻」というのは、漫画に映画的手法を取り入れた、漫画と絵本と小説を足したようものです。 ご説明するのは難しいので、見ていただくのが一番だと思います。現在、9年間描き続けてきた『絵巻水滸伝』第一部全10巻が、日本で出版されています。これが僕の本来の仕事なのです。(2)イラストレーターという職を選んだきっかけは何ですか。 もともとは手塚治虫先生に憧れて漫画家を志したのがきっかけです。その後、10年ほど、国際的漫画家・漫画家の寺沢武一先生のもとで修行しました。僕はそこでアシスタントをしながら、250ページ位のフルカラー・コミック作品を描きました。それが、僕の処女作「ルオーの道化師」です。僕の作品の作風が決まったのは、その頃だと思います。(3)イラストレーターとしてどのように一日を過ごしているか教えていただけませんか。 全身全霊、一日じゅう仕事ばかりしています。一日の仕事時間は平均16時間くらいでしょうか。徹夜になることもありますが、歳のせいでしょうか、最近では徹夜は少々きついです。 作品作りに専念するため、一区切り着くまでは、なるべく人とも会わないようにしています。一ヵ月間、まったく人と会わなかった、ということも過去に何度もあります。(4)創作のひらめきというのは、どこから来ていますか。 どこから、いつ湧いてくるのか、僕にも良く分かりません。初めから有るときもありますし、突然、湧いてくることもあります。ただ、いつも想像しています。会いたい人、行ってみたい所、見たい風景…。こうして想像しているときが、一番楽しいのかも知れません。(5)伝統的手書きの絵画技法とCGとは、どういう関係にあるかについて、教えていただけませんか。 僕にとって、CGは表現方法の一つにしかすぎません。コンピューターは単なる道具です。将来、もっと便利な道具が見つかれば、そちらに乗り換えるでしょう。CGの前は筆とエアブラシを使って描いていました。今でも、下描きは水彩鉛筆で、下塗りは筆を使って描いています。CGの良いところは、印刷に適していること、修正がしやすいこと、データですから持ち運びも楽ですし、何年経ても色あせず、キズがついたり破れたりしないことです。しかし、その質感、一点ものとしての存在感は、伝統絵画には遠く及びません。いかにCGが発達しようとも、水墨画の、あの味わいを表現することはできないでしょう。(6)創作に当たって、ひらめきと技法的な部分は、それぞれどんな比重を占めたほうがいいかと、お考えですか。 人の心に訴える作品に仕上げるには、描きたいものをより正確に形にする技術を学ばねばなりません。また、どんなに技術的に優れていても、作者の気持ちが籠っていない作品は、人を感動させることはできません。ひらめきと技法は、比重ではなく、互いに補い、高め合っていくものでなければならないと考えています。(7)ご自分の今までの作品の中で、一番のお気に入りは何でしょうか。 すべての作品に思い入れがありますが、あえて選ぶとするなら、今は『絵巻水滸伝』に夢中です。これは既に10年近い歳月を費やした、僕のライフワークともいえる作品であり、今後も完成まで惜しみなく心血を注ぐ覚悟です。(8)イラスト以外、どんな創作活動を行っていましたか。 現在は殆どの時間を『絵巻水滸伝』に費やしています。その合間にイラストの仕事や、映画などの依頼があればその仕事をします。また、僕の作品を立体化したフィギュアの監修や、パズルなど二次的な制作の仕事も行っています。 (続く)
2007年12月03日
「──いいや、我々は、ともに生きるのだ」絵巻水滸伝(第10巻)(第六十九回 天命、“井木カン”カク思文~森下翠撰)
2007年12月02日
先月の正子公也訪中時のインタビュー記事が、新聞やネットニュースなどに多く掲載されています。今日は、その中から上海で発行されている有力紙、「時代報」に掲載された記事をご紹介しましょう。他にも同様の記事が、「新報」「新聞晩報」「東方早報」各紙に掲載されました。タイトルの「もし水滸伝と出会わなかったら、人生はどうなっていただろう」とは、正子公也がインタビュー中に語った言葉です。
2007年12月01日
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