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今年もあと3時間余り。長いようであっという間の一年間でした。年々、時間が過ぎゆくのが早くなっているような気がするのはどうしてでしょう。 今年も悲しいことよりも楽しいことの方が多く、怒ることよりも喜ぶことほ方が多かったよい年だったと思います。そういうふうに穏やかな気持ちで一年を振り返ることが出来るのは幸せなことだと思います。 一方で今年は日本国内でも相次ぐ台風、中越地震などと「災」の多い年でした。世界でも死者が10万人を越す被害を出したスマトラ島沖地震などの自然災害や、所々で起きている紛争、自爆テロなどやりきれない悲しいことがたくさん起きました。 だから、自分の幸せと世界や日本国内で怒っている「災」とのギャップをどうとらえればよいのかを考えた年でもありました。かといってできることと言えば義援金を送るくらい。学級の子どもたちに話をする時も、何か腑に落ちない気がしました。考えても仕方がないことなのかもしれないけれど、何か自分なりの答えを出すことができ、未来ある子どもたちにも何かを話すことができればいいなと思います。
2004年12月31日
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昨日の夕方、息子が主人と遊んでいて柱に頭をぶつけてしまいました。普段は転んでも、少々体のどこかをぶつけても泣かない息子が泣いていたので私も心配して見に行くと、頭はこぶができて膨らんでいます。頭をかき分けて見てみると血が・・。タオルで押さえて氷水で冷やしたけれど結構血は出ているし、頭なので病院へ。でも年末なので近くの病院は休みで車で30分の緊急院へ行きました。何もこんな年末に・・。結局3針縫いました。 年末にちょっと驚きの出来事でした。 病院から帰ると息子は元気元気。今日くらいはじっとしてくれと思い、ご飯を食べてビデオを少し見せた後に早々に寝ることにしました。 ところが(というかやはりというか)今日も一日はじっとしていることができず、闘いを挑んできたりします。「今日は駄目だよ」というと娘を相手に走り回るわ、じゃれ合うわ。いつもなら全然気にしないのだけど、また同じ所をぶつけたらどうしようと私は気が気ではありません。兄弟げんかもいつもなら多少ほおっておきますが、今日は娘のパンチやけりが入ると(娘は結構おてんばで強気なのです)止めに入ってしまいます。精神的になんだか疲れてしまい、息子が本を読み娘が絵を描き出し静かに遊んでいるとほっとしたのか私はこたつで寝てしまいました。 ふっと目が覚めると娘が「お兄ちゃん、お母さんが起きたよ」とにやにやとしています。そして、息子が「お母さん、顔に何かぼつぼつが出来てるよ」というではありませんか。“えっ、もしかして疲れで吹き出物でも出てしまったのかな。それともはしかとか・・?”慌てて鏡で見てみると、私の顔は赤いシールだらけでした。子どもたちが寝ている間に顔に貼って遊んでいたのです。油性のペンでお絵かきされなくて良かった。ショックなのは、貼っている間全然気がつかなかったこと。そんなに深い眠りだったのかなあ。ということは、質のいい眠り?うーん。どうなのだろう・・。
2004年12月30日
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今日から仕事が休みなのでゆっくりと過ごせます。と言いたいところですが、大掃除やお正月に向けての買い出しなどなどやることはいろいろとあるのでまだ2、3日は慌ただしく過ぎそうです。 今日は、来年から使うスケジュール帳を買いに行きました。仕事用と私用と2つ。2年ほど前から仕事用と分けるようにしました。だって、予定は仕事のことばかり書かれているのを見て“まるで仕事の為に生きているみたい”“仕事に追われている~”などと感じたからです。(実際今でも仕事に追われている感覚ですが)だから、スケジュール帳を分け、私用の方には予定の他に読んだ本の記録や観た映画の記録、友達と話して思ったことをメモしたりやりたいこと、子育てについて思ったことなどを書いたりしています。スケジュール帳を分けることによって仕事以外の自分というものを埋もれさせないようにしたいと思っています。仕事、育児、家事どれも大切な物だけどもう一つ何かスパイスが欲しいなと思うので。 来年のスケジュール帳は、簡単な家計簿をつけられるものにしました。もう少しお金のことを意識して、自分や家族の健康のため、楽しみのため、そして家族以外の人のために、もっとしっかりと考えたお金の使い方をしたいなあと思います。そうすればもっとお金の大切さや生きたお金の使い方ができるのではないかな。
2004年12月28日
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ようやく、今日年賀状を投函しました。年賀状に取りかかるまでは面倒くさいな~なんて思います。でも、リストを見ながら“しばらく会ってないけど元気かなあ。相変わらずユーモアたっぷりでみんなを楽しませているかな”“今年も海外旅行を楽しんだのかな”などなどとなかなか会えない遠方の友人のことを思い出したりするのはゆったりとしたよい時間です。 小さい頃は、1枚1枚絵を描いたりして時間をかけて年賀状を作っていたけれど、今はパソコンで家族の写真を入れたり、仕事用にはイラストを選んで印刷するだけという簡単な作業。それでも、やっぱり一言ずつは入れたいから、何を書こうか考えながら進めると意外と時間はかかります。でも、年に一回ちょっと昔を懐かしんだり、年賀状を出す相手の今を想像したりする時間もいいなと思いました。
2004年12月27日
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邦画にしてハングル語で繰り広げられる話題の映画。今ひとつ物足りないとか、よく分からないという感想を持つ人も多いと聞いていたが、私は好きだなあ。見始めたのが夜12時を過ぎていたので、1時間くらい見て続きはまた後で・・と思っていたのですが、結局2時間最後まで見てしまいました。 何だろう。映画らしい映画という気がします。モノクロームの世界と独特の音楽。所々に散りばめられるタップダンスのリズム。静かにゆっくりと流れるけれど、確実に動いている時間。登場人物ひとりひとりの思い。ピンと張りつめている空気。それらが重なり緊張感があって見入ってしまいました。 最近、草なぎ剛君の演技が好きです。何気ない演技やさり気なく踏むタップ、表情の動きに魅せられます。ハングル語を勉強したり、タップを踊ったりその他諸々、いろいろな努力をして成長し続けている人だなあと思います。次のドラマや映画が楽しみです。
2004年12月26日
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小冊子に子どもの上手なほめ方、叱り方について書かれていた。上手なほめ方 1.子どもが努力したり工夫したりした場面を見逃さずにほめる。 2.「お友達にやさしくしてくれたわね」「お手伝いをしてくれてうれしいわ」と、具体的にほめる。 3.口先や義理でほめない。ほめても、子どもの心には響かない。 4.ほかの子と比較してほめない。 5.大人の思い通りになったからといって、ほめない。 6.ご褒美でつるのはやめる。上手な叱り方 1.「短く」「厳しく」「簡潔に」。くどくどとお説教するのは逆効果。 2.頭ごなしに叱らない。「うまくいかなかったのね」とまず、理解を示す。 3.ほかの子と比較したりして、自尊心を傷つける叱り方をしない。 4.行為を叱り、人格を傷つけない。 5.その場で叱る。 6.「あとでパパに叱ってもらうわ」など、ほかの人の権威を借りない。 7.その場の気分で叱らない。 どれも、そうそうその通りと思うのだけど、自分の子となると感情や甘えが入ってきてできない事がある。その場の気分で叱ってしまうことも多々ある。どうしても“自分の”子という私物化している部分や子どもに甘えている部分があり、子どもといるとわがままになる自分を発見する。日々反省。 私が難しいなと思うのが、ほめ方の5の“大人の思い通りになったからといって、ほめない”というところ。どこまでが子どもの未来を考えてのことであるのか、どこまでが大人の都合であるのかの境界線が難しい。 大人の思い通りにいくことばかりをほめていると、大人の顔色をうかがう子になる。大人が望むことを考え先回りして行動するので、小さい頃は手のかからないいい子に見える。でも、思春期になって、壁にぶつかったとき自分で壁を乗り越えることができず、それを親の言うとおりにしてきたせいだ、親の望むことばかりしてきたせいだなどと思うようになったりする。そして、極端な例で言えば家庭内暴力に走ったり引きこもりや不登校の原因となったりする。または、いざ自分で進路を考えるときに何を自分がしたいのかとまどって進めなくなったりする。だから、親がレールをひきすぎてもいけないし、親の望むとおりに何でもやって聞き分けがよすぎる子(親の顔色をうかがいすぎる子)にしてもいけないと聞く。 だけど、今の自分の子育てが何がどこまでよいのか分からない。小さい頃の子育ての結果がでるのは後になってからだから。誰しもその時々でよいと思う子育てをしている。悪い子を育てようなんて思っていないはず。でも、後になってみればよいと思っていたことが実はよくなかったということがある。小学校に勤めているとそんなことを垣間見る。不登校になって初めて親御さんが子どもとの関わり方の問題に気付くこともある。もちろん、家庭のせいにするわけではなく、学校の中に問題があれば学年、学校で問題解決に取り組む。でも、以前講演会で、学校カウンセラーの先生は不登校や中学生の非行の原因の90%以上が家庭での問題だとおっしゃっていた。学校での人間関係などの問題もあるがそれだけで不登校になることはほとんどなく、その問題と家庭の問題が複雑に絡まり合って出ることだと言っておられた。 だから、自分の育児についてはいろいろと考える。かといって、親の気持ちや方針がふらふらとしていてはいけないので、自分の子育てに自信をもって、子どもには安心感をもたせることが必要かなと思う。子育ては本当に難しい。
2004年12月25日
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今日は、クリスマスイブ。夕食の後に子どもたちとケーキを作りました。作るといっても、スポンジを買ってきて、フルーツや生クリームなどを間に挟んだり上に飾り付けをしたりするだけの簡単なものです。子どもたちは楽しんで作りましたが、結構恐ろしい物が出来上がりました。どちらかというと食欲をそぐような代物。主人は、見て無言になりしばらくしてから「お、おいしそうだねえ・・」と顔を引きつらせて言っていました。食べてみるとまあまあ美味しくて子どもたちもご満悦でした。でも、来年はもう少し美しく作ってほしいなあ。 今朝、子どもたちは「たくさんの人に配るとサンタさんがプレゼントなんだったか忘れるかもしれないからもう一度お手紙を書いておく」と言ってサンタさんに念押しの手紙を書いていました。よく言えばしっかりしている、悪く言えばがめつい子どもたち。 プレゼントは、以前日記に書いていろいろとアイデアをいただき(どうもありがとうございました)考えましたが、結局隠す場所がいいところが見当たらないのと、内緒で買いに行く時間もなかなかなかったという理由で、今日仕事帰りに買いに行きました。買ったプレゼントは車の中に眠っています。(娘の自転車は予定していましたが息子はなんとトランポリンをお願いすると言い出して大物ばかりとなってしまいました)そのため、今日は一度家へ帰って自転車で保育園にお迎えに行き、なんとかバレずにすみました。 ラジオを聞いていたら、DJの方が「クリスマスは子どもの頃と大人になってからでは楽しみ方が違う」というようなことを言っていました。子どもはクリスマスを“待つ”というワクワクとした楽しみ方、大人はクリスマスを“自分で楽しくする”という楽しみ方。なるほどなと思いました。私の場合は家族を楽しませるという目的があって、家族が楽しむことで自分も楽しむという感じ。夕食を少し豪勢な物にしたり、ケーキを作ったり、ビンゴゲームやクリスマスクイズをしたり。ちょっといつもとは違う夜を演出してみました。“なんとなく楽しい日”と家族が感じてくれたらいいなと思いながら。
2004年12月24日
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今日から少しずつ大掃除に取りかかろう。今日は、全てのカーテンの洗濯と窓ふき、障子の張り替えをしました。私と子どもたちがそれらをやっている間に主人は床のワックスがけ。普段しっかりやらないところをやると気持ちがいいなあ。 2年くらい前までは掃除と言っても子どもたちが昼寝をしている間にちょこちょことやるくらいでイマイチすっきりしなかったけれど、子どもたちも手伝うことができる年になってきたので、楽しくはかどるようになりました。でもその分汚す量も増えたから結局一緒なのかもしれないけれど。 子どもたちが普段の掃除で好きなのはお風呂掃除。結構しっかり出来るようになったので今は任せっきり。私が夕食を作っている間に二人で掃除をしていたりします。最近は寒くなったのでやらないけれど、夏場に水浴びをしながら洗ったのが楽しかったよう。お風呂を洗いながらついでにシャワーで体の汚れを落とすことができたので一石二鳥でした。お手伝いが好きなうちにいろいろやらせておいて、大きくなっても自然にできるといいなと思っています。
2004年12月23日
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今日は小学校の終業式。明日から冬休みです。冬休みと言っても教員は休みではなく勤務は続くのですが、子どもたちがいるのといないのでは仕事が全く違います。ここで一段落。あとは、デスクワークだけなのでとても気持ちが軽くなりました。 と にかく事故も事件もなくみんなが元気に2学期間を過ごし、無事に冬休みを迎えることができたことは有り難いことです。ほっとしました。家族や友達と楽しく冬休みを過ごし、気持ちよく新しい年を子どもたちが迎えることができればいいなと願いながら「さようなら。よいお年を。」と挨拶をしました。「新年、あけましておめでとうございます」という挨拶で始業式の日を迎えるのが楽しみです。 休み中に事故や事件に巻き込まれたりしませんように・・。みんなが元気に笑顔で新しい年を迎えることができますように・・。
2004年12月22日
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昨晩、ちょっと主人と喧嘩をした。喧嘩は久しぶりでしかも子どもの前ですることは滅多にないので子どもたちもびっくりしていた。 言い合った時に間が空くと、すかさず息子が主人に「そうだよね。お母さんがそんなこと言うからだめだよねえ。」と声をかけ、その後私の方に来て「抱っこ」と言ってきた。 なんで今抱っこなんだろうと思いながら抱っこをすると、頭をなでながら「でも、ぼくはお母さんのこと大好きだからね」と言う。 そういえば、息子が主人に怒られて泣いているときはいつも頃合いを見計らって私が息子の側へ行き、頭をなでながら「お母さんは〇〇(息子の名前)が大好きだからね」とだけ言う。落ち着くと息子は主人の方へ行き、「お父さん、ごめんね」と言うのだ。 それと同じ事をしてくれたのだろう。息子が謝るといつも「謝ることができてえらかったね」とほめるのだから、私も謝らないわけにないかないよなあ。ここで謝らないと息子も謝らなくていいと思うかもしれないし。自分は主人に対して悪いと思っていないので、納得がいかないけれどしょうがない・・。謝ることにした。 子どもたちの中ではやっぱり一番偉いのはお父さん。お父さんの言うことは絶対と思っているよう。ちょっとうーんとうなりたい気もするけれど、子どもが大きくなっていざ父親の出番という時に父親の言うことを聞かなくてもいいやとなってしまうのは困る。だからやっぱりお父さんが一番でいいか。
2004年12月21日
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日曜日に子どもが通っている英語教室のクリスマス会がありました。親の付き添いも可なので私も子どもたちについて行きました。 クリスマス会では、進行も全て英語です。うーん。英語の響きってなつかしいと思いながら聞いていました。子どもが分からないところは日本語に通訳しますが、だいたい身振りで分かっていました。いつもこんな感じでレッスンは進んでいるんだろうなあ。 クリスマスソングを歌ったり、いろいろなゲームをしたりと楽しみました。 活動の中でクリスマスカード作りがあったのですが、私は近くに座っていた親子が気になりました。子どもは5~6歳くらいで(教室が違うので知らない子だったのです)娘よりも年上と見られる子でした。カードには予め絵が描かれていて、点線にそって切ることから始まります。線といっても直線の部分だけでなく、細かい曲線などもあり少し難しいものです。その子は一生懸命切っていますが、上手には切れません。すると、その子のお母さんが「もう、貸してみなさい」と言って自分で切り始めました。その子はやることがなくて退屈そうにお絵かきをしていました。切った後、そのお母さんは「ほらね。できたでしょ」と言って手渡しました。その子は何も言わずに受け取っていました。 上手に切ることができないのを見ていられないという気持ちは何となく分かります。でも、そこで手を出したらその子はいつまでもできないままだと思います。それだけでなく、劣等感まで抱いてしまうかもしれません。学校でも低学年は特に私たち教師がやった方が早くできることがはたくさんあります。でも、それでは、学年が上がってもいつまでも出来ない子になってしまう。だから、時間がかかっても大変でもやらせて見守ります。家庭でも同じ事かなと思います。忍耐が必要ですが・・。 娘も切り方が上手ではありませんが、できたカードを自分で作ったということがとても嬉しかったようです。下手でも何かをやり遂げるということは自信に繋がります。そうやって少しずつ自信をしけさせていってあげたいと思います。
2004年12月20日
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『ダレン・シャン』シリーズの完結巻が昨日発売したので、早速買ってきて読みました。ハリーポッターと同様に児童書でありながら大人も楽しむことのできる人気のシリーズです。 物語は、分かりやすい話でありながらもよく練られています。きっとこうなるだろうなという予想はなんとなくつくのだけど、話の展開はその予想以上に深みがあり面白いです。いろいろな伏線が散りばめられていて「ここでこう繋がるんだ」という箇所がいくつかあるのも楽しさの一つです。 ハラハラドキドキする感覚と、しんみりもの悲しい気持ち、やさしさと勇気、直感を信じる力などさまざまな要素が入ったお話で、私のお気に入りの本の一つとなりました。
2004年12月18日
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今日は、職場の打ち上げでした。少し早い忘年会です。 こういう会は、普段はあまり話を出来ない人たちともゆっくりと話すことができる本当に楽しい時間となります。話をすることで、その人の意外な面や考え方を知ることができたりして、ますますその人に好感をもちます。そして、いつもいい人達に恵まれているなあと思うのです。 子どもをどう育てていくか、どうその子のよさを引き出し伸ばしていくか、どう自分の学級をつくりあげていくなどは人それぞれによって違います。いろいろな方法や考え方を聞くことはとても勉強になります。そして、みんな仕事に対しての信念をもっているのだなあと感心します。大切なことは“その人らしさ”だと思います。いかに自分らしさを出していけるか、自分の理想をもち続けていられるかなどいろいろな事を考えながら帰ってきました。 冬休みまであと少し。そして、今年もあと2週間。そろそろ今年一年が自分にとってどんな年だったか振り返ってみる時期だなと思いました。
2004年12月17日
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先日、ピアノを習わせるためのことについてたくさんの方からコメントをいただきありがとうございました。必ずしもピアノを買う必要はないことを聞き、とてもほっとしました。これで気軽に一歩を踏み出せそうです。 でも、問題は教室。やっぱり個人の先生がいいなと思うのですが、先生によりますよね。いい先生との出会いが子どものやる気にも力をつけることにも繋がりますから。 というのも、実は私が子どもの頃に習っていた先生の事がトラウマになっているからです。私が小学生の時に習っていたピアノの先生は綺麗な方でしたが、無口でとても厳しい方でした。一生懸命練習してきても「だめ。やり直し」か「はい、合格」というくらいでした。「がんばったね」「がんばってね」などという言葉をかけてもらった記憶はありません。先生の前に行くと緊張してすぐに手に汗をかいてしまうので、鍵盤は汗で汚れてしまいます。そうすると先生は無言で立ち上がりタオルをもってきてきれいに拭いていました。それがまた緊張感を煽りますます汗が出てきます。何回も汗をかいて鍵盤を汚すなんて先生に嫌われるかもしれないと思いました。そして、レッスンの途中に先生は、なぜか涙ぐむことがありました。何か私が悪いことをしていたのかな、私が下手だからかな、などといつも不安でした。 ピアノに行くのいやだなと思っていたある日のこと、ショッキングなニュースが入りました。ピアノの先生が亡くなったと言うのです。自殺でした。 今、思えば無口なのも厳しいのも、時々涙ぐむのも何か悩みなどがあったからなのかもしれません。話によると、ノイローゼ気味だったとのことでした。 そのニュースを聞いたとき、心中はとても複雑でした。初めての身近な人の死。しかも、レッスンがあったのは三日くらい前のこと。自分が悪かったのかな。もっと先生を好きになれればよかった。(どちらかというと嫌いだったのです)もう、先生に会えないってどういうことなのだろう。いろいろと考えて怖くなったことを思い出します。 それから、しばらくはピアノ=怖いと思うようになっていました。とても新しい先生を探して習うという気にはなれませんでした。 そんなことがあったので、余計にいい先生との出会いを期待してしまいます。いつも笑顔でお話ししてくれて安心感を与えてくれる先生がいいなと思います。
2004年12月16日
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学力低下について最近よく取り上げられている。今日の新聞にも一面に「小中の理数学力ダウン」という見出しが踊っていた。 大学教授や進学塾の方々は、「ゆとり教育といいながら授業時間を減らしたことの弊害」「学習内容を少なく簡単にしてきた文部行政が招いた当然の結果」「前提となる知識がないのに、深く考える力など育つわけがない。多くの子どもから学習機械や意欲を奪い、学力の高い一握りの子とそうでない多数の子に分ける施策」などの見解を示している。 確かに、そういう面もあるかもしれない。だからといって、前までの知識の詰め込みといわれる教育に戻せばいいという単純なものでもない。そこにはたくさんの弊害があって変わってきたのだから、よりよい方向をみつけなくてはいけないと思う。 私が、10年近く教職に就いて(育休などで休み実際に働いた年数はもっと少ないけれど)、最近感じていることは、指導内容が削減されただのどうのという前に、元々の子どもたちの記憶力や考える力、想像力が全体的に低下しているように思われるということ。 新任の頃に2年生の担任をし、昨年また2年生をもったのだが、同じ内容のことでも10年前の子の方が、想像力が豊かだったし、覚えも早かったような気がした。九九一つにしても、明らかに覚えるペースが遅かった。これは、私の指導の仕方が悪かったのだろう、しっかり力をつけることができなかったと反省し、他の先生にも話したのところ、主任のベテランの先生も「私も同じように感じているよ。年々、もっている力が低下していると思う。」と頷いていた。ああ、よかった、私の教え方の問題だけではなかったんだと少しほっとしたけれど、これは、私が勤めている学校、地域だけの問題なのだろうか。 一年生を担任しているベテランの先生も「一年生に入学してきたときから、考える力、想像力、論理的思考などは少しづつ変わってきている」と言っていた。ひらがなが読める、書けるという学習能力の問題ではなくて、もっと違う問題だと。 私が思うに、小さい頃からの生活が変わってきているのが原因なのではないだろうか。兄弟が少なくなってきて、食べものなどを工夫して分けることがなくなってきた。駄菓子屋さんなどに行って自分でお菓子などを買うことが少なくなってきた。(子どもはスーパーなどで買い物かごに入れるだけで良かったりするし、外税で消費税が取られた頃には、5%を足すという計算が小さい子にはできなかったことも大きいだろう。)昨年、二年生の子を教えていて驚いたのは、昔ならば1000の数をとらえるのに、「百円玉が十個でいくらでしょう?」とお金に換えて聞けばすぐに分かったのに、今はお金を例にだしてもきょとんとしていること。これだけ、お金を使っての生活が身近なことではなくなっているような気がする。 テレビやゲームなど視覚でものをとらえる場面が増えてきたことも要因の一つかもしれない。本であれば、場面を想像するしかなく想像力も鍛えられるかもしれないが、映像はあまり想像力を要しない。既成のおもちゃも遊び方が決まっているものが多く、すぐに飽きてしまうということも一つかも。 とにかく、小さい頃の生活からすでに考える力などを低下させて言っているのかもしれないと思う。そして、その生活が大きくなってもあまり変わらなかったら(例えば、本を読まずにテレビやゲームばかりで過ごしてしまったら)力の伸びは少なくなるのではないか。今はいろいろな工夫を凝らさなくても生活していける時代なのかも。工夫を凝らす場面を大人が作ってやらないといけない時代になりつつあるかも。 遊び場がなくなったり、家の中で過ごすことが多くなったことなどが原因で、体力や運動能力が低下していっているように、学力低下も生活に根付いているものなのかもしれないと思う。そうだとすれば、授業時間や指導内容のことを考えると共に、私たちの生活を見直すことも必要。
2004年12月15日
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私は、自分がピアノをあまり弾けないから、ピアノを弾ける人に憧れる。仕事上、簡易伴奏くらいは練習するけれど、そこ止まりでなかなか次の段階までいけない。時間がないことと、気合いが足りないこと(その方が大きい)が原因だろう。でも、もし習い事でやったらもっとやる気になるかなと思っている。でも逆に“やらばければならないこと”が増えて嫌になるかも・・。 そんなことを思っていた矢先、娘と息子がキーボードを弾くことに興味を覚えて、いろいろと教えてと言うようになった。休みの日に自分の伴奏の練習も兼ねて、「大きな栗の木の下で」「さんぽ」など童謡などを弾きながら子どもたちと歌っている。その弾き方を教えて欲しいというので、先日、「かえるのうた」を一緒に弾いてみた。息子は5本の指を使ってできるようになったが、娘はまだまだ。 でも、楽しそうな様子を見て、ピアノを習わせてみるのもいいいなと思った。そして、ついでに子どもと一緒に自分も習いたい。個人でやっている先生ならできるかな。でも、問題はピアノ。家にはピアノはない。私の練習はいつもキーボード。教室にあるのはオルガンなので、キーボードでも練習は困らないので。 でも、ピアノを習わせるとしたら、やっぱりピアノが必要になるんだろうなあ。だけど、場所もとるし、お金もかかる。もし、ピアノがすぐに嫌になったらもったいないよなあ。ある程度やってみて、続けられそうだったらピアノを買えばいいのかな。
2004年12月14日
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『デイ・アフター・トュモロー』をビデオで借りてきて観ました。登場人物がイマイチ描き切れていないと感じたしストーリーの展開が納得のいかないところがあったけれど、映画に描かれている地球温暖化現象がもたらす驚異の世界は、荒唐無稽なことではなく今後充分にあり得る話だと思いました。 こういう想像力のある映画を作り、環境運動にもさまざまな団体が取り組んでいるアメリカが、自国の利益ばかり考え、京都議定書から抜けたことは本当に残念です。アメリカ国民はこの映画を観てどう思ったのでしょうか。今もブエノスアイレスで地球温暖化防止のための気候変動枠組み条約の第10回締約会議が開かれていますが、アメリカの姿勢に変化は見られないそうです。二酸化炭素の排出量が世界最大でありながら、(同じく議定書に参加していないオーストラリアと合わせると世界3分の1の排出量にのぼるよう)それでは、本当に温暖化が防げるのか不安になります。もちろん、だからといって意味がないわけではありませんが・・。やはり、少しずつでも自分たちができることをやっていく事が大切だと思います。 日本政府は今後どのような具体的な対策を取っていくのでしょうか。気になります。
2004年12月12日
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昨日、子どもたちが寝た後に、快適空間さんのHPに紹介されていた“自分の特技や強みを棚卸しして100個あげてみよう”という試みをしてみました。 大げさなことではなく、こんなことはできて当たり前と思うことを挙げればよい、ということなので、自分の性格的なこと、特技や趣味、日常の生活を思い出していろいろと書き出してみました。 いろいろと書き出していくことで一番よかったと思ったことは、自分自身のことだけでなく、周りの人達の存在について改めて見つめ直すことができたことでした。強みと言えば、私の場合周りの人のことが多かったのです。 例えば、「いつも笑顔で支えてくれる家族がいる」とか「やさしい夫がいる」「たくさんの子どもたちとの出会いを通して学んだことが数多くある」「尊敬できる人がいる」「いろいろなことを相談できる上司がいる」などなど。 いかに自分が多くの人に支えられて生きているか、人からどれだけたくさんの事を学んでいるかなど改めて感じることができ、感謝の気持ちが湧いてきました。 この楽天広場を通しての出会いもそうです。いろいろなことに気付かせてくれたり、励ましてくれたたり、心配してくれたりする人達と出会うことができました。本当にありがとうございます。 でも、ささいなことを入れても100個をあげることはできませんでした。100個を目標として、書けなかった分はこれからの課題です。強みになることを少しでも増やし、よりよい自分になりたいと思います。
2004年12月11日
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昨晩、娘が夕食をあまり食べないので変だなあと思っていたところ、夜中に3回も吐いてしまいました。寝たいのだけど、気持ち悪くて寝られないという様子の娘はとてもかわいそうでした。 朝食も2口くらいしか食べることができず、熱を計ると37度1分という微熱があります。保育園を休ませてあげたかったのですが、今日はどうしても外せない授業(ゲストティチャーを呼ぶ授業)があります。主人は出張が入っていまて休めません。仕方がないので保育園の先生に娘の状態を説明して、「11時半以降ならいつでも迎えに行けますので、申し訳ありませんがそれまではよろしくお願いします」とお願いしていきました。 すると、思っていた通り昼過ぎに保育園から、給食もほとんど食べられず吐き気があり熱も少し出てきたとのこと。朝から覚悟して学年主任にも話していたので、休みをもらって迎えに行くことにしました。 家に帰ると娘が「お母さんも一緒に寝て」と言います。その弱々しい声が何だか愛おしくなりました。娘の横で添い寝をしていたところ、前日に2時間しか寝ていなかった私はすっかりと眠りの世界に落ちてしまいました。娘よりも早く寝てしまっていたかもしれません。2人で爆睡をし、気付いたら4時近くになっていました。時計を見て「おおっ!」と声を出すと、娘も起き「よく寝たねえ」と顔を見合わせて笑ってしまいました。何だかぼーっとしながら笑う瞬間は幸せを感じる瞬間でした。前もこんなことがあったような懐かしいような瞬間。何でだろう・・。 娘はゆっくり寝ることができてすっきりしたのか、元気元気。息子を保育園に迎えに行くときに担任の先生を見つけて走っていきました。それでも一応、病院に連れて行きました。先生が「こういう気持ちが悪くなる風邪がはやっています。でもだいたい1日で治るので多分明日は大丈夫でしょう。熱もこれ以上は上がらないと思います。」とおっしゃられたので一安心。吐き気止めだけいただいて帰りました。 帰ったらいつも通りよくしゃべるわ、踊るわで少し前の娘の姿はどこへやら。いつもの倍くらい夕食も食べました。よかった。私も午後からゆっくり寝ることができてよかった。 さあ、明日は布団を干すぞ~と思っていたけれど天気は良くないようです。う~ん。娘が吐いてしまったあとの布団、困ったなあ。
2004年12月10日
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1週間くらい前のニュースだけど、群馬県の太田市は来年の1月1日から男性職員に対して、子どもが満1歳になるまでの間、連続1週間の有給育児休暇を計6回取るように義務づけるそうだ。男性の育児休暇を義務づけるのは全国でも恐らく初の試みだろうとのこと。 今までは、生後3ヶ月までは育児休業制度はあったのだけど、無休の上、昇進にも影響するため申請はなかったそうだ。 女性(母親)としては、嬉しい素晴らしい試みだと思う。育児休暇として休むからには積極的に育児に関わってほしい。妻のフォローというのではなく共に子どもを育てるという意識を持つことができたらいいなと思う。休みをもらったはいいが、釣りやパチンコなどに行くようなことにはならないよねえ・・。 この試みは今後全国的に広がっていくのだろうか。育児の大変さや楽しさが男の人にもよく分かれば、その後も妻の気持ちに共感することができ、労り支え合うことがしやすいかもしれない。子どもに関する相談も妻任せでなく、共に考えていくことがより自然になるかもしれない。子育ては妻の仕事と思っている数多くの男の人たちの意識を少しずつ替えていけるかもしれない。そういうきっかけの一つになればいいなと思う。
2004年12月09日
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学期末の大仕事はなんと言っても通知表を書くこと。 絶対評価になってからいろいろと大変だ。まず、単元ごとに評価の基準を学年で決めなくてならない。何ができたらA(◎や3など)とするかなど。それが7教科もあるから話し合うには膨大な時間がかかる。そうやってある程度決めておいて、教師側の目標をたてておいてから授業をするわけだが、最初に考えていたことと現実の結果では少しズレが出てくることがある。それをこの時期、評価を出す前に学年で話し合って修正などをするわけだ。だけど、教え方の違いなどもあるから最終的には担任の裁量に任されるものだけど話し合いは大切。学年で統一しておかないと保護者も混乱する恐れがあるから。 絶対評価でもメリットもあるからそれが悪いというわけではないけれど、仕事量は明らかに増えた。しかも、学年で話し合わなくてはいけないから自分が持ち帰れる仕事ではない。主人も会議などで遅いときは、子どもたちを保育園に迎えに行ってご飯を食べさせてからまた職場へ戻ることもある。どうしても平日時間がとれないときは、土・日に学校へ行くこともある。自分の子どもたちにも悪いと思うし、他の先生方にも迷惑を掛けている。 年々仕事が増えていっているのは何故だろう。総合学習では子どもたちはいろいろな力をつけることができるが、準備などの仕事は大変。やっぱり休みの日にいろいろ準備をする。 算数科などの習熟度別学習。これもメリットは大きいからやってよかったと思うけれど、教師間で打ち合わせをとる時間が必要。時間をどうやりくりするか。どう自分に余裕をもたせるか。 どれもこれもやればやっただけ自分の勉強にもなり、子どもにとってよい結果をもたらすことになると思うのだけど、私としてはこれ以上忙しくしないでほしい・・。
2004年12月08日
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今日、学校へ行ってトイレに行った後、鏡を見て気がついた。眉を描き忘れてる~。そういえば朝、眉を描こうとした時に息子が「お母さんハンカチがないよー」と言ったんだったっけ。ハンカチはアイロンをかけるものの中にたくさん埋もれていた。最近アイロンを掛けていなかったよ。そう思い慌ててアイロンを掛けてバタバタしながら出かけたのだった。 普段、お化粧道具は持ち歩いていないので、困った。このままではちょっと・・。仕方がないので机の引き出しから取り出したのは色鉛筆。色鉛筆で描きました・・。 人は自分の事を見ているようで見ていない・・と思うのだけど、学級の子どもたちはよく見ている。チェックはなかなか厳しいのだ。特に高学年になっていくにつれて・・。 服装の事も女の子はよく気付く。子ども「先生、最近黒っぽい服が多いね」私「運動会が終わったばかりでなんとなくみんな浮き足だっているからね。落ち着いてほしいと思って」子ども「最近、薄い色の服ばかりだね」私「雨が多いから明るくしようと思って」 そんな会話をある子としているうちに、服を見て色々と分析してくれるようになった。ほぼ当たっているのもあるし、意図した答えとは違うこともある。意図したこととは違うけど、なるほどなあと思わされることもよくある。子ども「今日、赤の服を着ているのは、明日がドッチボール大会だからでしょ。」私「当たり!」子ども「今日、きれいな色の服(薄い水色)を着ているのは、昨日先生がいろいろ怒ったから気分を明るくするためでしょ」私「・・・・そうだね」着ていくものに悩んだときは白っぽいものを着ていく。「今日から国語の勉強は新しいところに入るから」「目覚めが良くて一日のスタートをすがすがしく切りたかったから」「今日一日、怒ったりすることなくきれいな心で過ごしたいから」などといろいろと理由がつけられるので・・。
2004年12月07日
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昨日、私宛に訳の分からないハガキが届きました。法務省認可法人 全日本管財事務局というもっともらしい所から『電子消費料金未納分請求最終通告書』というもの。 少し抜粋すると 法務省認可通達所となっておりますので「民法特例法」に基づき連絡無きお客様につきましては裁判所からの挙類通達後、指定裁判所へ出廷となります。また判決後の据え置きとしまして給与及び、動産、不動産物の差し押さえ等を強制執行させて頂きますゆえ承諾頂くようお願い申し上げます。 尚、書面での通達となりますのでプライバシー保護の為、請求金額・お支払い方法等は当局職員にご確認ください。 以上を持ちまして最終通告とさせて頂きます。というような文面。最終通告って言ったって、今まで何にも通告なんてないのにアホらしい。主人に「これって、絶対詐欺だよね。法務局許可法人なんて住所も霞ヶ関でいかにもという感じだし。もし連絡したら、家の電話番号が通知されていて危険だよねえ~。」と言うと、主人が早速インターネットで、全日本管財事務局なるものを調べてくれました。そうしてら、出ました。架空請求業者などを扱ったのホームページの中に・・。それを見ると、少しずつ文面を変えていろいろな人に出しているようです。二人で「やっぱり~」なんて笑いました。 だけど、どこから住所が分かるのでしょう。いろいろなセールスなどの電話もそうだが、どこから情報が流れているか分からないのが恐ろしい。今は、架空請求書やおれおれ詐欺など新聞紙上でよく目にするので笑って済みましたが、もしそういう情報がなかったら不安になっていたと思います。 今の世の中、気をつけなくてはいけないこと(余計な気を回さなければならないこと)が多すぎるような気がします。
2004年12月05日
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睡眠時間が3時間で済んだら自分の時間を増やすことが出来るだろうな。1日の時間は決まっているのだから、削るのは睡眠時間しかない・・睡眠は量より質だと言うし・・と思い読み始めた本。 著者は、“3時間睡眠だと脳も体も強くなる”ことを主張している。 脳が鈍くなっている理由は、睡眠の取りすぎにあるらしい。睡眠は脳の休息行為であるが、睡眠を多く取りすぎると、脳が休息状態に慣れてしまう。浅い睡眠続くために、睡眠と覚醒の狭間が不明確になり、いつでも脳が休息状態であるような感覚になってしまう。いつも倦怠感が抜け切らなく、やる気まで失う。 睡眠で休息を取ることも必要だが、それ以上に覚醒時にバリバリ脳を働かせることが必要。そうしないと頭はどんどん鈍くなってしまう。さらに、睡眠時間を最低限に抑えれば、脳に緊張感が生まれてますます頭の回転が早くなるらしい。惰眠は様々な悪循環を生み出し、人生の無駄遣いになるそうだ。 睡眠のメカニズムについても分かりやすく書かれている。 少し寒くなってきて、布団から出にくくなってきた。時々二度寝までしてしまう。まずは、明日起きたらすぐに朝陽を浴びて気持ちの良い目覚めを迎えよう。そして、徐々に快適な目覚めがありながら睡眠時間を減らしていくようにしようかな。一時間くらいなら減らしていけそう。三時間睡眠まではする必要はないと私自身は思ったけれど。
2004年12月03日
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今日、クリスマスツリーを出しました。娘が最近「早くツリーを出して」と言っていたのですが、夜になって出すのも嫌だと思い色理由をつけては先延ばしにしていました。 ところが、今日は、娘が作戦を考えたのかそれともふっと思っただけなのか、ただ出したいというのではなく理由を言い出し始めました。その理由は「早くにクリスマスツリーを出さないと、サンタさんが“この家はクリスマスをやってないからプレゼントはいらないな”って思ってプレゼント持ってきてくれなくなっちゃう。サンタさんが今日見に来るかもしれないから、ツリーを出して。」ということでした。その理由に笑ってしまい、今日出すことにしたのでした。 子どもたちの楽しみは飾り付け。小物をツリーに掛けたり、折り紙で星や長靴の形に切ってつけたりして楽しみました。(何故か鶴までおって飾ってあります。ちょっと違うぞ。) 娘がサンタさんにお願いしているプレゼントは、自転車。三輪車には飽きてお兄ちゃんの乗っているような自転車が欲しいのだそうです。いつもなら仕事帰りにこっそり買っておくのですが、自転車は買ったら隠して置く場所に困ります。どうしようかなあ。やっぱり24日ギリギリに買うべきか。でも広告を見ていたら、安い自転車があったからそれを買ってどこか場所を見つけて置いておくべきか。考えてしまいます。
2004年12月02日
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小学校で勤めているといろいろな事を経験させていただく。夏休みなどには、遊具のペンキ塗りや木の剪定、花や野菜を植えたり、蜂の巣をとることもある。卒業式や入学式などで飾るためにフラワーアレンジメントをしたり学芸会には職員で楽器演奏をしたり合唱をしたりミニコントをしたり。いろいろと経験していくうちに、もっと上手になりたい、できるようになりたいと思う。 小学校では基本的に全教科を指導するのでそこでもやっぱりいろいろなことをする。ピアノや楽器を演奏したり、マットや跳び箱をやったり絵を描いたり、書道をしたり。ピアノが弾けなくても、跳び箱が跳べなくても、絵が上手に描けなくても授業は工夫すればできる。でもでも、できないよりはできるようになりたい。 私ができないのは、ピアノ。簡易伴奏くらいしか弾けない。(両手で弾くごく簡単な伴奏)簡易伴奏程度でも授業はできる。だけど、楽譜を見ただけで、いとも簡単に難しい曲を弾ける同僚(そういう人がたくさんいる)を見ると“私もできるようになりたい”と切に思う。 そう思いながらも日々の生活では、“やらなくてはならないこと”と“やりたいこと”をやるだけで精一杯で“やれるといいな”と思うことはどうしても後回しになっている。時間の使い方でいろいろできるのだろうか。それともやる気の問題? 私にとって“やらなくてはならないこと”と“やりたいこと”には何があるかいろいろと考えてみた。 “やらなくてはならないこと”は家事と仕事“やりたいこと”は仕事と育児とちょっとした趣味(今は読書とビデオ鑑賞、家庭菜園、インターネット、お菓子作りかな) 基本的に家事はあまり好きではないのだなあと思う。料理や掃除は嫌いではないけれど、誰かやってくれる人がいればやってもらいたい。育児は時に溜息をつくようなこともあるけれど、好きなことだなあ。子どもたちと過ごす時間が少ないからかもしれないが楽しく感じる。 問題は仕事。子どもと接する仕事は楽しくてやりがいがある。だけど、学校の仕事って子どもと直接に関わらない仕事が多い。会議で提案する書類を作ったり、学習指導案やレポートを書いたりその多諸々。間接的には子どもにも関わることであるし、自分の勉強にもなり結果的にはやってよかったと思うのだけど。 でも、授業が終わり学級の子どもたちを帰して、部活動をやると今は4時半頃。(夏場は5時半になる)そこから、それらの仕事をしたり、学級の仕事(テストやノートを見たり、プリントを作ったり、授業の準備をしたり)をする。私は5時半には学校を出るので、残りの仕事は全て宿題で、子どもが寝た後にやる。そうすると、学級の仕事はまだ楽しくできるけれど、その他の仕事は・・。その仕事って“やりたいこと”というより“やらなくてはならないこと”になるなあと思う。もっといろいろなことを楽しむことができればいいのだけれど。その仕事の合間に気分転換としてちょっとした趣味が登場する。 そうしているうちに午前になってしまい、慌てて寝る。そうするといつ“やれるといいな”と思うことをやれる日がくるのだろう。ピアノが(ピアノ意外にも色々とあるが)“やりたいこと”になれるようにすればいいのかな。でもどうやって??
2004年12月01日
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