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いろいろな思いがあったけれど、なかなか書き出せなかったこの話題。自分の経験も少し交えて、書いてみようと思いました。 先日、文科省が全国調査したところ、給食費未納児童・生徒数は約4万人、20億円の滞納が発覚したという深刻な事態が浮き彫りになりました。払える能力があるのに、払わない家庭が6割近く、経済的理由等から払えない親は3割強。 払える状態でありながら、未納している親の言い分は「頼んでもいないのに勝手に出される」「義務教育だから当然」「お金を出してまずい給食を食べるなんておかしい」などなど。 そういう考えをもっている方々なので、徴収にいっても当然すぐに払うわけはないでしょう。教育委員会や校長、市の職員などが徴収に回ったりしている現状。やるべき仕事はいくらでもあるのに。そんなことに時間と労力を割かれてしまうなんて。 では、どうしていけばいいのか・・。 ここまで進んでしまったのだから、私は給食を今後希望制にしたらどうかと思います。年度毎、または学期毎に給食を希望するかを各家庭で考え、希望した人は給食、希望しない人はお弁当持参などにしたらどうかと。 そうすれば、「頼んでもいない」と親は言えなくなります。子どもの中には、アレルギーで学校給食を食べることができなく、毎日お弁当を持参している子もいます。最近は、牛乳は毎日飲むべきではない、牛乳の弊害やパン食の弊害(もともと給食にパンが導入されたのは敗戦後のアメリカが小麦の消費等に都合がよいよう、給食に取り入れるよう提言したようですが。日本にとっても安価などと都合が良く取り入れたそう)も言われるようになりました。そういう理由から、学校給食に反対する人もいます。また、給食を民間委託にしようという動きもあります。 “食育”が見直されるようになった現代、給食を希望制にすることで、給食の役割など各自が責任をもって考えるようになるのではないかと思います。給食を希望制にしたからと言って、おそらく給食をやめるという家庭はそれほど多くはないのではないと思うので、働いている人や材料を納品している農家や業者の方々への影響が大きく出ることもないと思いますし。 私が教員だった時によく親御さんから聞いたのは「家では嫌いな物は絶対に食べないけれど、いんあで一緒に食べる給食だと少しでも食べているようなので、がんばっているなあと思います」と言う言葉。嫌いな物は食べなくても生きていけるけれど、我慢する心も育てたいというのが親の心。 給食はその役割の一端を担っているかもしれません。 「家は、給食で栄養をとっていますから(笑)」などと冗談でおっしゃるお母さんもたくさん見えますし、栄養をしっかり考えて作られている給食はありがたい、というお家の人は多いと思います。そういう良さを見直すきっかけにもなると思います。 私が最初に勤めた学校は、自校給食(学校内で調理をして給食を出している)方式でした。だから、調理してくれる人の顔がよく見えます。子ども達は、給食が終わって食器等を返すときに調理員さんの顔を見て「ごちそうさまでした」と大きな声で言います。 給食を全部食べてしまい、学級の食管が空になったときは調理員さんも嬉しそうです。担任の私もそうい時はにこにこと笑いながら「ごちそさまでした。今日もとてもおいしかったです」と言います。残ってしまった時は「せっかく作ってくださったのに、たくさん残ってしまってすみません」と言います。その姿を給食当番の子ども達は見ていて、いろいろと感じとってくれたこともあったかもしれません。一年の終わりに“学校でお世話になった人に手紙を書こう”と道徳の時間で、書いたときは調理員さんあてに書いた子がとても多かったです。だいたい児童1人につき2人の人に手紙を書いていましたが、そのうちの一人は必ず調理員さんが入っていました。そういう環境であれば、より感謝の気持ちも養われると思います。それが、家に帰って料理をしてくれるお家の人への感謝にも繋がるのではないでしょうか。 経済的理由で給食費を払うのが困難という家庭の場合。生活保護を受けている場合、給食費は上乗せして支給されています。しかし、給食費と言って別に手渡されているわけではないので、普通の生活費に給食費も使ってしまって払えないのが現状。経済的に大変な家庭は、給食費を上乗せして支給するのではなく、給食費は無償とすることにしたらどうかと思います。結局、上乗せしているのと額は同じなのですから。 本当に生活が大変という家庭がある一方、パチンコ等の親の遊びなどに消えて払えない家庭もあります。 私が昔、担任していた子どもの親御さん。やはり生活保護を受けていて、働いてもいるのですが、遊びも激しい。夜はパチンコや飲みに出掛ける日々。(子どもも連れて行くこともしばしば)給食費が3ヶ月滞納していたので、担任の私を教頭とで、夕方や夜(当然勤務時間外です)に家庭に出向くものの、留守ばかり。子どもには「今夜、ちょっと用事があって、伺うから伝えていてね」と言っておいてもです。結局、夜ではお会いすることが出来ないので、朝、7時頃に伺ったりしました。一日だけでもパチンコをするのを止めて子どものためにお金を使ってくださいとお願いしたことがあります。でも、ただで食べさせてくれるという意識があるのですから、その言葉は心には響きませんよね・・。なかなか理由をつけて払ってはくれませんでしたが、結局、祖父母の方が何度も足を運ぶのを見るに見かねて払ってくださいました。 昔のように給食費は集金袋で集めているのではなく、銀行の引き落としというのがほとんどなので、子ども達の間で、誰が給食費を払っていないかなど分かるはずもありません。払っていない家庭の子どもも「まさか、家の親に限って・・」と思っているかもしれません。 でも、親の考え方や価値観というのはいろいろな物事に対して子どもに伝わっていくもの。給食費は払わないけれど、他の面においては人のことを考えて行動しているなんてありえないこと。いろいろな事柄についての一つ一つの行動が子どもの教育にどんな影響を与えているかをよく考え、責任をもって子育てもしていかなくてはと思います。
2007年01月30日
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愛知県美術館で開催されている「ルソーの見た夢・ルソーに見る夢 ~ルソー、素朴派と日本~」と名古屋市美術館で開催されている「大エルミタージュ美術展」を観に行ってきました。 ルソー展の方は人が少なく、子どもと一緒にゆっくりと観ることができました。ルソーの絵は絵本のようなやさしい色使いや、子どもの想像力を膨らませられるような作品が多かったので、子ども達も絵について小声で話しながら楽しんでいました。 ルソーの絵に触発された日本人の絵も展示されていて、その広がりも楽しむことができよかったです。 大エルミタージュ展の方は混雑していて、間近で見ることが出来ない状態。子ども達も2つ目の美術館ということで飽きもあり、遠くから足早に眺めるだけとなってしまいました。ルノワールやモネ、ゴーギャンなど日本人に人気の画家の作品から、15世紀のルネサンス期の荘厳な作品まで幅広く展示されていました。 ゆっくりと見られなかった分、図録を買って歴史背景などの解説と共にじっくりと家で読みながら堪能することにしました。本物の絵画から受ける迫力と圧倒的な感動は味わえませんが・・(泣)。解説を読むと、絵画に隠された意味(特に宗教的な部分)などが分かり作品の深さを知ることができます。自然をどのような対象でとらえていたかによる描かれ方の違い、作品に表される光と影など、実際に絵を見て受けた印象をさらに深めてくれます。 美術館を見た後は、オアシス21へ。ここにはポケモングッズがまとめて販売されているポケモンセンターがあります。中は大混雑。私たちが店を後にした後に、入場制限がされ、入店するのに行列ができるほど。ポケモン人気に驚かされました。 広場では大道芸が行われていたので見ていきました。子ども達が一日の中で一番楽しかったと言ったのはこの大道芸。確かにそうだろうなあ。私も小さい頃、見たときの印象深さ、楽しさを今でも覚えているくらいですから。ユーモアを交えながら簡単にはできないことを次々をテンポよくこなしていく芸に引き込まれます。久しぶりに見て、楽しませてもらいました。
2007年01月28日
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被爆の原因は“劣化ウラン” 米軍のイラクの帰還兵、ジェラルドさんは米軍が破壊した武器や戦車(湾岸戦争時の残骸も含む)の回収作業にあたっていた。任務の間から、めまいや頭痛等の症状にさいなまれていたが、戦地での緊張感や環境の違いなどが原因と思っていた。しかし、帰国後も症状(息切れや下痢・血便など加わり)が収まらず、その後夫婦の間に生まれた子供は奇形をもっていた。ジェラルドさんの抱える症状や障害をもつ子どもの原因となったと思われるのが劣化ウラン。 劣化ウランとは、核爆弾の材料や原子力発電の燃料になるときの「残りかす」。「核のゴミ」だった劣化ウランを兵器に利用したのが劣化ウラン弾。ゴミなので安価、そのうえ、自然界でもっとも重い金属、弾頭が燃えやすい性質であるので非常に有用な兵器。しかし、爆発で微粒子となった劣化ウランは空気中に飛び散り、放射線を発しつづける。そしてそれは半永久的だという。 この放射線は体の外にあれば、皮膚で止まる程度だが、体内にある場合は体の組織のごく狭い範囲に集中して強い放射線があたるので、遺伝子や染色体を損傷し、ガンや先天性障害の発生をもたらすことになる。 実際、米軍帰還兵、欧州の帰還兵だけでなく、イラクの一般市民の小児ガン・白血病などになる子どもは、無脳症、手足の奇形で生まれてくる子供の数は増え続けている。 “劣化ウラン”ー私の認識は湾岸戦争後に問題になって聞いたことはあったというくらいでしたが、この本を読んで衝撃を受けました。この本の初めに登場する米軍帰還兵のじジェラルドさんは、2005年、現状を訴える、平和を考える、日本の人たちにまず知ってもらうことを目的として来日し、小学校で話をしたそうです。 著者は言います。「まず知ることが大切。知ることで最悪の状況は避けられる」そして、「廃絶しなくてはいけないのは、劣化ウラン弾という非人道的な兵器だけではない。自分の家族が死ぬのはいやだ。でも“世界のどこかで誰かが死んでも構わない。自分の生活水準がおちていくのはいやだ。でも、世界のみんなが貧しくて、医療を受けられなかったとしてもかまわない”というように心の中にある「自分には関係ない」という気持ち。あるいは「自分だけが生き残りたい」という気持ちではないのか。そうでないと人々は、また新しい兵器をつくり、同じような過ちを繰り返すだろう」 実際に日本の自衛隊が活動していたサマワ近辺でも劣化ウラン弾が使用されていたようですから、自衛隊にも被害がないとは言い切れません。原子力発電所を幾つも抱えている日本。イラクに対して増兵をする動きを見せているアメリカに対して何も言わない日本。そして、唯一核爆弾を受けた日本。日本人も人ごとだと思わずに、まずいろいろと知ることから始めていかないといけないのではないか、そしてそれを伝えていかなくてはと思わされました。 ー原子力発電や核兵器製造で、貯まりに貯まった核廃棄物を劣化ウラン弾として売れば、それは儲かる商売だ。原料はただなのに、武器になれば高く売れる。商売の世界では敵も味方もなく武器は平等に売買されるから、テロリストたちが劣化ウラン弾を使ったら、もっとやっかいだ。私たちの世界は、どんどん放射能に汚染されてしまう。しかし、戦争がなければこういった産業は儲からない。だから、彼らは、たとえば株の値段だけのために戦争をしましょうなどと言い出すのだ。だから逆に私たちは、命の重さを訴え続ける必要があるー 人ごとではなく日本の未来、地球の未来を考えるためにも一読して欲しい本です。
2007年01月24日
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“運動、勉強ともに今年もがんばりましょう”小学生当てに出す年賀状によく書いた一言。今年は自分自身に対してかけた一言です。 仕事を辞めてから、明らかに低下しているのは、体を動かす時間と勉強する時間。そこで、今年時間を決めて実行しようと思い立ったのが、ジョギング&ウオーキングと勉強。 運動。娘の保育園の送り迎え(約2キロ)を歩いたり自転車で行ったりしているものの、4月からは娘も一年生。当然送り迎えもなくなるわけで、自分で何か決めてないと・・で、毎日少しずつ走ることにしました。 1キロ走って、その後体をクールダウンさせるために1キロ歩く。短い距離ですが、家から近くの公園まで走り、公園を一周して家に帰るコースは、人と会うこともないので気楽、緑や花がある中を走るので、結構気持ちがいいものです。 息子が3学期の始業式を迎えた日から始めたので、何とか2週間続いています。土・日は子ども達も一緒に走っています。 公園の周りを走っていて気がつきましたが、月曜日は公園に落ちているゴミが多い!公園に土日にお菓子を持って遊びに来て、そのまま捨てていく子ども達(中高生も含めて)が多いのでしょう。ゴミ箱が置いていないのも原因の一つかもしれません。息子の学校の周りも月曜日はゴミが多く、教頭先生や校務主任の先生が掃除をしているのをよく見かけます。学校も公園も聞くところによると小学生はほとんど持ち帰っているようで、捨てていくのは中学生のよう。きっとゴミを持ち帰るという行為が恥ずかしく思えたり、誰かが捨てたら、それを真似しないと格好悪いと思ったりするのでしょうね。 昨日は、ジョギングを終えた後、同じコースを歩き、落ちているゴミを拾って歩きました。でも、こういうことをするのも何となく人前では気が引けてしまうのですよ。いいことをしているはずなのにちょっと気恥ずかしいような。駄目、駄目、この気持ちはゴミを落とす中学生と同じじゃない、自分に突っ込みつつ、さり気なさを装いながら拾ったりする私でした。もし中学生などが公園で遊んでいる休日に、目の前でゴミを拾って歩いていたら彼らはどう思うだろうとちょっと考えたりしながら。 もう一つの勉強。昨年に引き続き英語の学習をまずしっかりやっていこうと思っています。昨年は一日にやることを決めて取り組んでいたけれど、今年はそれにプラスして時間を決めて取り組むようにしています。娘を保育園に送ってから、一日の計画をさっと立てて実行するようにしました。もちろん、急に人と会うことになったりすることもあるので、いつも計画通りとはいきませんから、あまりそのことに拘りを持ちすぎず、だいたいこの時間にというスタンスで取り組んでいます。 それから、教育の勉強として、息子の教科書を借りて、とにかく読み込む(特に国語)。そして授業をするならどういう展開が出来るかをいろいろなバージョンを時にシュミレーションしてみることを試みています。やっているうちに、以前の自分の行ってきたことの欠陥がよく見えてきたりします。特に国語は日本語の奥行きの深さを感じさせられ、考えていて楽しく感じます。 時間って無限にあるわけではないのに、時間があると思いこみ無駄に過ごしてしまう。今年はもっとメリハリをつけて過ごしたい、そう思っています。
2007年01月23日
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地球のため、戦争などで命を落とした人のためにアメリカ合衆国、中米、ヨーロッパ、アフリカ、日本など数々の地域を歩いて旅をし、訪れた地で植樹を続ける人ポール・コールマン。歩いた距離はこの本が出版された2005年4月で約4万2490キロ、植えた樹は、102万6234本(協力者の分も含む)に及びます。現在コールマン氏は中国を歩いています。 彼が旅をし続けるようになった訳、そして15年にわたる旅、自然の厳しさと美しさ、出会う人の温かさとさまざまな奇跡は壮大な物語のようです。著者の菊池さんが力を込めて、心を伝えようと書いた本であることもよく伝わりました。 この本を読み進めながら、“はあ~すごい”と少しずつ読むたび感嘆の息を漏らしながら思いに耽る自分がいました。本は一気に読んでしまうことが多いのですが、この本は寝る前に少しずつ読み進め、布団に入ってからもう一度書いてあることを思い出しながら眠りにつくというものでした。 「あなたは、最終的に何を得るために歩いているのですか?お金のためですか?」と聞かれたことに対して、コールマン氏は言っています。「この旅をして、私が最後に何を得るかは重要ではないのです。お金のために歩いているのなら、こんなに長く歩くことはできなかったでしょう。大切なのは、私の魂が何を得るかなのです。それは、この地球にいる間は得られないかもしれませんが、それでもかまいません。私が肉体を離れるときに必ず、この旅の報いがあると信じているからです。」 その言葉の意味がこの本を読むとよく伝わってきます。 本の所々に“ポールコールマンの生きる智慧”として彼の生き方、経験を通して学んだことが書かれています。それはスピリチュアルな内容で心を揺さぶられ、打たれます。 それは例えばこんなこと“地球をあるいていると、たくさんの良いことがあり、それと同じくらい危険なことがある。たとえば、アフリカのような場所では、警察や入国管理局の役人がチップや賄賂を求めて近づいてきて、役人がトラブルの原因になるという場合もある。 しかし、今では、人の感情やその場の状況に敏感になり、トラブルを事前に察知できるようになった。危険を知らせるサインや前兆を感じ、実際にトラブルが起こる前に状況を変えられるようになったのだ。 このような場合、私は周囲をくまなく観察する。天気、人々の様子や顔色、その場の雰囲気や脅威など。特に脅威が近づいてくるときには、肉体の感覚として伝わって来て、それが、威圧的な態度の警察官という形で表れてきたりする。 そんなときには、まず胸の動悸を鎮めて、深く息を吸う。その場の空気と周囲の状況を作っている人々の感情とを一緒に吸い込むのだ。それから周囲と一体になり、温かさや穏やかさを感じるようにする。そして、ゆっくりと息を吐き、右手の掌を上にして挙げ、時計回りに回し、周囲の雰囲気を平和で満たすようにする。こうすると、自分と周囲の状況を落ち着かせることができ、危険を回避できる。 「恐れ」は「脅威」を引き寄せるので、新鮮な空気を吸って「恐れ」を「安らぎ」と入れ替えてしまえば、攻撃しようとしている者の悪いエネルギーが消える。そこにはもう、攻撃しようとする者が拠り所とする「恐怖」のエネルギーが存在しないからだ” 私自身を振り返ると、数年前の私は、周りにある負のエネルギーを持つ人と同調しすることがあったり、巻き込まれたり、その中でもがいていたりしていました。最近は、そういうエネルギーとは関わらないようにしているし、関わってもすぐに気持ちのを切り替え、バランスをとれるようになってきたように思います。 でも、そこまでが精一杯。いつか彼のように自分の周りを穏やかな波動で満たし、それを広げ、自分の力で相手を変えることができるようになれるでしょうか。 マザーテレサの本を読んだときにも感じたのだけれど、人のことを思い人や環境のために純粋な心で動いていると、困難な状況にあっても不思議な奇跡を引き寄せることができるもというのは本当なのだと感じます。普通ではあり得ない状況が彼らの周りには不思議と舞い込んできます。。自分で出来ることをすべてやったあとは、きっとなるようになる、うまく事が運んでいくことを経験で知っているから、彼らは不安をもたずにいられることが分かります“人事を尽くして天命を待つ”という言葉通り。 目に見えない力は本当にあるということを彼らの体験を本を通して知ることで、まるで本当に自分も体験したようなありがたいような不思議な感覚が湧き上がって、何だか涙が出てきました。 ポール・コールマンの言葉“戦争にお金と時間を費やさなければ、飢餓や病で、年間数百万品の人が命を落とすことはなくなるでしょう” 同じようなことを、私も子どもたちによく言っています。(学校で勤めていたときにもよく言いました)理想的で響きの良い言葉とか、言うは易いと思われる言葉かもしれないけれど、これからの世界を担っていく子ども達に伝えていかなくてはならない言葉だと思います。 菊池木及実さんのブログポール・コールマン氏の近況
2007年01月17日
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「お母さんはぼくの気持ちが分かっていない」これは、先日、息子がカチンとくるような一言を言ったことに対して、私が叱った後に出た言葉。 その前にあった出来事で、息子に溜まった負の感情からそういう言葉に出ているのに、私は真っ正面から言葉通りにとらえてしまっていたことにはっとした。確かに言われていい気持ちのする言葉ではなかったから、いけないことは伝える必要はあるけれど、本当は言葉の裏にある感情に気づかなくてはいけなかったんだ。 子どもは感情をうまく言葉にできないことが多い。私自身も、うまく言葉にする前に感情で対応してしまうこともある。すぐに言葉に出来なくて、ゆっくり頭の中を整理し、相手に伝わるように言葉に置き換えるという作業をしながらようやく話を進めることもある。子どもであれば尚更。 言葉には力があるから、使う言葉には気をつけなくてはいけない。でも、その背景にあることが本当は大切。家族だと距離が近い分、その気遣いが薄れてしまうことがある。子どもと同じ土俵にいたら駄目。子どもを包み込むような空間でいなくては・そう気づかされてた一言だった。
2007年01月16日
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昨日の新聞にイオンが温暖化対策としてレジ袋の有料化をスタートするという記事がありました。まずは、京都市内の一店舗から始め、年内にも仙台・名古屋・横浜などに拡大、その後2010年を目標に全国店舗への展開を目指すそうです。 現状では、10年に同社だけで年間16億7千万枚のレジ袋を使用する見通しで、これを50%削減すれば、同社のCO2排出量の1割弱にあたる8万8千トンが削減可能ということ。 京都議定書が批准されてから9年が経っています。その間、排出されるCO2量はマイナスどころが増えている始末。CO2排出量を減らそうとする一人一人の認識も大切ですが、大きな企業がそれを率先して行い、個々に呼びかけていくというのは素晴らしいことだと思います。個人で考えると袋の有料化というのは大歓迎とは言えない部分もありますが、そんなことは言っていられません。 イオンは環境や福祉など積極的に取り組んでいる企業でさまざまな活動をしています。今回のことでますます企業としてもよいイメージをもちました。 同じく昨日の新聞で、デンソーが自転車通勤やゴミ拾いなど環境にやさしい行動をした社員にポイントを発行し、エコ商品などと交換できるエコポイント制度を導入したという記事もありました。 企業各社のホームページを見ると、さまざまな活動を積極的に行っているところが多く、そのような行動は、製品の信頼にも繋がるような気がします。今後ますます自社だけでなく、社会全体のことを考える企業が増えてくるといいなと思います。
2007年01月12日
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もう1月も3分1を過ぎてしまいましたが、昨年の12月分の読書記録を記していなかったので今頃ですが書きたいと思います。感じたことの忘備録として書き始めましたがそれも3年目になりました。今年も少しずつ書いていこうと思います。 『夜のピクニック』 恩田陸映画化されたことをきっかけに読んでみました。(映画はまだ見ていませんが) 高校3年生の最後のイベントである歩行際。80キロの道のりをただひたすら歩き続けるという行事に対して、それにいろいろな思いで臨み、歩いているうちに自分と向き合ったりその時、その仲間でしか得られないことを体感していく高校生達。80キロの道のりは長いけれど、人間が生きていく時間の中では2日間の短い時間。でも、その2日で彼らは何かが変わっていく。変化の大小は個々で異なるのだろうけれど、主人公の二人、貴子と融にとっては未来を変えていく体験となる。 登場人物にとっての、歩行際は質の良い読書と似ています。始める前と、終わった後、確かに何かが変わっている。学ぶこと、価値観が変わること、思いを馳せること。この作品を通して私も感じるところが多くそう感じました。。 『キッズコーチング』 佐藤英郎 コーチングに興味があったので手にした本ですが、コーチングと言うよりは、しつけや習慣、子育てを通して大切なことについて書かれた本だと感じました。よく言われていることで、“そうそう、その通り”と思う事ばかりですが、分かりやすくまとめてあるので今一度、自分自身を振り返るのにはよい本でした。著者は、中でも特に次の5つの事が大切だと言っています。1. 「ありがとう」を言える子にすること 2. 挨拶の出来る子にすること 3. 靴を揃えられる子にすること 4. 親に感謝できる子にすること 1. 自分の良いところをたくさん知って自分のことが好きな子になること どれも噛みしめていきたいことです。 『子どもって、どこまで甘えさせればいいの?』 山崎雅保 著者は心理カウンセラーで、長年、数々の親子のカウンセリングを請け負ってきた方。「甘やかし」と「甘えさせ」の違い。子育ての中で、どちらだろう?と考えてしまうことがあります。この本は具体的な事例を幾つも示し、その違いを分かりやすく説明しています。読み始めは、本当に?と疑問をもつ部分もありましたが、最後まで読み進めると納得。 小さいうちは特に「甘えさせる」ことが大切。しっかり甘えることができる環境で育った子は、「平気で我慢できる子」になるそうです。我慢強い子に育って欲しいと願い、厳しく我慢を強いて育てられた子は我慢して我慢してキレてしまう。すぐにキレてしまう子は、「我慢させられすぎた子」だそうです。 「甘やかし」と「甘やかせ」と違いをしっかりと認識していくことの大切さを感じました。 『町長選挙』 奥田英朗 直木賞を取った「空中ブランコ」でもお馴染みの精神科医伊良部のシリーズ。医者らしくない医者、ハチャメチャだけど、彼と関わっていくうちに患者はいろいろなことに気づいていく。伊良部先生の脳天気ぶりと不思議な看護婦マユミ、そして関わる人の心の推移が何とも面白く感じます。 実在の人物(ナベツネ、ホリエモン)などをモチーフに書かれているのも、顔を思い浮かべたり、その時のマスコミの反応などを思い出しながら読めるのも楽しい作品です。 『犬のしっぽを撫でながら』 小川洋子 『博士の愛した数式』の著者小川洋子さんのエッセイ。数学にまつわる話や飼い犬について、祖母や祖父の思い出や過去に印象に残った出来事についてなど、時にはユーモアを交えながらで口元が緩まされたり、、時にはしんみりとさせられたり。さまざまな題材で、さらっと流れるように書かれていながらも深いことが書かれたりしていて、ああ、やっぱり小川洋子さんのエッセイだなあと感じられました。 中でも、アンネ・フランクにまつわるエッセイは『アンネの日記」と同様に心に重たくものしかかりながらも、人の温かさや関わり、生きること、前を向くことなどが伝わってきてとても印象深いものでした。『アンネの日記』を読んだのは高校生くらいの頃だったので、再び今読みたくなりました。 印象的だった言葉。~言葉が自分を表現するための道具となってくれること、なにものにも犯されない自由を与えてくれることを、私に教えてくれたのが『アンネの日記』だった~ 『魔法の言葉耳をすませば』 安齋作子 著者は元公立小学校教諭。教諭をしていた頃の子どもとの出来事、関わり合いが書かれていて、教育の原点、理想としているものを改めて自分自身が見つめ直し、考えさせられました。子どもから教わることは本当に大きい。だけ、それは自分がそういうアンテナを向けていないと駄目。たくさんの子どもと出会うけれど、誰一人として同じ子はいない、そしてその子達と関わる時間はお互いの人生の中で限られた一瞬であるからこそ本当に大切にしなければならない、そう強く思わされた本でした。 すぐにキレてしまう子、何も話すことが出来ない子、ふらふらと教室を出て行ってしまう子、母親が出て行ってしまった子、いろいろな子との出会い、そしてそれぞれの子達をよく理解し、その子が自分で問題を解決しようと努力しようとするまでの経緯や関わり合いのあり方、学級の雰囲気のあり方など先生も子どもも変わっていくところ経験から書かれているので心を打たれます。本全体に愛情が流れてい、て共に成長していくという心がよく伝わってきました。また、いつか教育現場に立つときに読み返したいと思う本です。12月に読んだ方は、以前日記に書いた『はんくるない』よしもとばなな と合わせて7冊でした。2006年に読んだ本の合計は118冊でした。
2007年01月11日
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今日から新学期が始まり、息子も保育園の娘も張り切って出掛けました。この学級の仲間と過ごすのもあと2ヶ月余り。健康で楽しく学校生活(園生活)を過ごして欲しいと思います。 昨晩は、地区の子供会役員を決める集まりがありました。集まったのは半数くらい。まず、“来ていない人はやらなくてもいいというのはおかしい”ということから始まり、“新5・6年生の子どもを持つ親で経験していない人がやってほしい”という要望があるものの、経験していない方は健康上の都合や介護があったり乳児がいたりなど家庭の事情等でできないという理由をそれぞれ言っていく・・・そんなこんなで1時間半経っても話は進まず。 埒が開かないことを言っていても・・と思い「それなら、私がやりますよ」と自分から言ってみたものの「低学年のお子さんはまだこれから、いくらでもやっていただく機会があるので、やはり高学年のお子さんをもつ家庭から決めたいと思います」と一蹴。それなら、高学年のお子さんをもつ親御さんだけ集めればいいのに・・とも思いましたが、こういう決め方を代々やっているから見ておいて欲しいという意図があるのかなとも感じました。 確かに子供会の行事は各球技大会など高学年だけで行う行事が多いので、高学年の親御さんが役員になった方が子ども達のこともよく分かるだろうし、高学年のキャンプなどに混じって低学年の我が子を連れて行くのもお邪魔になるだろうからそれは道理だなと思います。 でも、やはり役員さんの負担が大きすぎてやり手もいないだろうなあというのはよく分かります。仕事をもっている人は、平日の夕方球技大会の練習と言われたって、仕事をそんなに休むわけにもいかないし。大会がある月になると土・日は全て丸々つぶれてしまう。会議も7時から始まり遅いときは11時くらいになることもあると言います。年々、少しずつ行事も減らしていっているようですが、まだまだ気軽に引き受けられる役ではないというのが現状。無理して引き受けて他の方に迷惑をかけてもいけないという気持ちもよく分かります。 一度、経験した人の中で、こういう活動が好きで楽しいからまたやりたいと言う人がいれば一番いいのだけれど、なかなかねえ。(10年くらい前までは結構いたそうなのですが) 結局、高学年のお母さんが対象で後日、くじを引いて決めるということになりました。その役を引き受ける町内会の区長さんはご苦労なことです。
2007年01月09日
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人混みを避け、遅ればせながら、今日初詣に行ってきました。人混みと言うほどではありませんが、たくさんの人が参拝に来ていました。 お参りを済ませておみくじを引くと・・ そこには「凶」の文字が・・。 今まで毎年お正月にはおみくじを引き、記憶している20年くらいの中で「凶」が出たのは初めての経験。ショックと言うよりも驚きや“やっぱりお正月でも「凶」てあるんだ~”という気持ちの方が大きかったかも。(“お正月は「凶」「大凶」は出ないようにくじが抜いてある”という噂をを小さい頃に聞いたことがあったので) 家族におみくじを見せるとみんなで爆笑してしまいました。いや~笑い事では無いんだけど・・ってやっぱり笑い事かなあ。ちなみに子ども2人はなんと「大吉」、主人は「中吉」でした。 おみくじに書いてあったとおり今年は“慎ましく”過ごさせていただきます(笑)
2007年01月07日
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気がつけば今年ももう一週間近く経っているのですね。2日から5日まで私の実家に行っていました。現実とは離れた空間でのひとときは、まるで浦島太郎のように、気がつけば時が過ぎていたた・・そして、今年ももう6日が終わろうとしている・・と今頃我に返った気分です。 今日は、娘のお友達の誕生会ということでママ友達の家へ遊びに行ってきました。誕生会とは名目で、みんなで少しずつお菓子などを持ち寄り、子どもは子どもだけでひたすら遊び、大人は大人でお茶を飲みながら話に花を咲かせるというもの。保育園のママ達なので平日はみんな仕事。なので、土曜日の午後に時折そんな会(?)が開かれたりします。 みんなの仕事のこと、義父母とのつきあい方、子どものこと、おいしいお店など話題が尽きることはありません。その中でも今回の話題の中心はランドセルや机の購入の情報、そして学童のこと。 近くにご主人の実家がある人が多いので、学童に入れるべきかどうかは悩みどころ。平日はおじいちゃん、おばあちゃんの負担は少ないかもしれないけれど、夏休みなどの長期休暇になると負担が大きくなるので考えてしまう。特にご主人の実家だと・・。そうだよねえ。・・。 学童は長期休みなど規則正しく生活をすることができるし、毎日体を動かして友達と遊ぶことも出来る、学童の先生との関わりもあるなどの良い面があるし、また、実家にお願いすれば、子どもの友達が遊びに来たりする時などに、子どもの様子、人との関わり方をおばあちゃんなどが実際に見ることができて、自分の見ることの出来ない様子を間接的にではあるけれど、知ることができるなどの良い面もあるし。 娘が通う学校の学童は定員の2倍くらいの児童が現在はいて、学童の先生の目が行き届いていなく、時折問題も起こるのが現状、という噂も聞くので余計に慎重になってしまうよう。 もう一年は家でいようと思うので、今の私が抱く悩みではないけれど、義母がまだ生きていたら、そして私がまだ仕事を続けていたら、間違いなく直面する問題。自分だったらどうするだろうと考えさせられました。 学童の児童の人数もこれ以上は増やしたくないらしく、来年度の審査は厳しいとも聞きました。実家が近くにいて子どもの面倒を見ることが可能な環境であれば、入れない可能性もあるし、申し込みの期限は近く迫っています。結局はそれぞれの家庭の事情や考え方で決めるのだけど、子どもも親もご主人の実家も、みんなが一番いいと思う方向で話が進んでいければ・・と願っています。
2007年01月06日
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新年 あけまして おめでとうございます 今年もどうぞよろしくお願い致します 今日は、午前中に福袋を買いに、そして午後からは主人の実家へ挨拶に。家に戻ってからは正月らしく、福笑いやカルタ取り。“笑う門には福来たる”正月から笑いが絶えないというのは本当に幸せなことだと感じます。みなさんにとって、いろいろな笑いと感動がある素敵な年になりますように。
2007年01月01日
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