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先週の雨続きの天気で我が家の庭は草が伸び放題。庭には芝生を敷いているのですが、その隙間からいくつも青々とした草が顔を出しています。今日は、草取りにいそしんだ日でした。 実は、私は草取りが結構好きです。抜いた後の山積みになっている草を見ると、「おお~、がんばった~」という気分になるし、もくもくとただひたすらに、そこにある草を抜いていくという作業自体が結構好きです。機械的な作業でありながら、奥深くまで根が張っている草、浅くも広範囲に根を伸ばしている草、見たこともないような草や、かわいらしい花をつけている草などさまざまなものがあって興味をそそられます。そして何となく子供の頃を思い出すような懐かしさを感じる作業でもあります。 子供の頃は草といっても、折角生えてきて命があるのにかわいそう・・などと感じていました。でも、「草を取るときに“今度生えてくるときは空き地とか河原とか生えてきても抜かれてしまわないところに生えてきてね”と心の中で思いながらすればいいんだよ」と言われ納得したことを覚えています。今でも何となく心の中でその言葉を唱えていたりします。 草取りをした後は、ミニトマト、なす、きゅうりの苗を植えました。本当は週末に子供たちと植えようと思っていたのですが、どうやら今週末も天気はよくないようなので一足先に植えてしまいました。今年もたくさんん実が付くといいなあ。
2006年05月31日
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昨日の続きです。 『人生賛歌』 美輪明宏・斎藤孝 二人の対談・対論をまとめた本。文化や美、教育、しつけなどさまざまな視点から語られていています。違う仕事の世界でおられる二人ですが、リンクするところが多く、またそれぞれが相手の話を受けて自然に深めているというところが読みやすく、気がつけば読み終えていたという感じでした。 日本画のすばらしさについて書かれている箇所を読み、自分が20代の頃にある日本画を観てもの凄く感銘を受けた理由がことばで説明された気がしてとても納得しました。今後、日本画を今までと違った目で見ることができそうです。 『報復ではなく和解を』 秋葉忠利 現広島市長の秋葉忠利さんの講演の記録をまとめたものです。今までの歴代広島市長は被爆者の方でしたが、秋葉さんは広島生まれでもなく、被爆者でもありません。だからこそ自分に今求められていることがあると言います。この本を読むと、原爆がもたらしたものの大きさと同時に被爆した唯一の経験のある日本だからこそ、もっと声高々に二度と同じ苦しみを世界の人々に味わわせないよう主張すべきであって、日本国民の一人ひとりがもっと意識すべきではないかと思います。 あれだけの被害に遭いながらも原爆を落としたアメリカに報復しようと憎しみを燃やすのではなく自分たちのような辛く苦しい思いをする人をもう二度と作り出してはいけないという強い思いで平和を訴え続けている広島や長崎の人々。タイトル通り報復ではなく和解を求めながら歩んできた日本人を誇りに思うと同時に(もちろん日本に報復をしようとするだけの経済力、体力もなかったこともあるでしょうが)、先のテロへの報復でイラク戦争を始めてしまったアメリカと比較をしてしまいます。 今でも、核兵器を持ち、脅威としている国々。あの国が持っているのだから、自分の国も核をもっていないといつ攻め込まれるか分からないと新たに開発をしようとしている国々。その開発にかける労力とお金を貧しい地域に回すことができればどれだけ世界はよくなるだろうと思わずにはいられません。 『宇宙の神秘 誕生の科学』 天外伺朗 ソニーの研究所で先端技術の開発・研究に携わり、アイボの製作責任者として良く知られている土井忠利氏の本。(ペンネームが天外伺朗) 出産時の記憶が子どもにあたえる影響、トラウマなど時代の最先端の技術の開発に携わってきた著者だけあって、論理的に書かれています。スウェーデンの医師が出産時の状況とさまざまな因果関係を調べたところ、陣痛時や分娩時の苦痛をやわらげるために、母親が笑気ガスやモルヒネなどの麻酔薬を処方されていた場合、生まれた子供は薬物中毒になる危険性が増加する、自殺を選ぶ手段として、赤ちゃんを挟みによく似た鉗子を使って引っ張り出すなど機械的手段によって誕生を助けると、時雑するときにも鉄道に飛び込むなど機械的な手段を使う傾向が強い、また、誕生時に自発呼吸ができなかった場合は窒息死による自殺を選ぶ傾向が大きいなどの結果が出たそうです。 出産(胎教)から変えていくことが将来の平和に繋がるということが結論づけられています。自分の出産は終わってしまったので、自分の子どもの代が出産する時にまで思いを馳せました。 『焼きそばうえだ』 さくらももこ なかなか普通の生活の中では考えつかないようなことを実行していくのがさくらももこさんの面白いところ。今回はちょっと不幸(?)な植田さんは"バリへで焼きそば店を開いた方が幸せではないか"という話の流れから本当に店を開いてしまうまでのエッセイ。途中で思わぬ幸運の方に話が流れているところが何とも不思議で面白く感じました。 『レイクサイド』 東野圭吾 4組の親子が中学受験のための合宿をする湖畔で起きた殺人事件。殺人犯は主人公俊介の妻。動機は俊介の不倫がもたらしたものだが、集まった家族は事件を隠蔽することにした。しかし、そこには不自然なことが・・。 中学受験の子をもつ親、そして子ども。その心理が事件を思わぬ方向に変えていくところがうまくできているなあと唸らされます。それほど長いお話ではないので一気に読んでしまいました。今月の読書量はは以前の日記に書いた『王国 その1 アンドロメダ・ハイツ』 よしもとばなな『美人のいろは』 山下景子『21世紀子育て 感性の種をまきながら』 漆原智良と合わせて14冊でした。
2006年05月30日
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つい最近、ゴールデンウイークが終わったと思っていたのに、気がつけばもう5月も終わり。そろそろ衣替えの季節です。 今月はPTAの仕事も、お手伝いとして行っていた仕事の方も一段落したので少しゆっくりと本を読むことができました。 雨がしとしとと降る日が続いたこともあり、選んだ本はシリアスなものが多かった気がします。 『江原浩之への質問状』 江原浩之スピリチュアルカウンセラーの江原さんに丸山あかね氏がいろいろな質問を投げかけたもの。後半に私が知りたかったことが書かれてあり、気持ちに靄のかかっていた部分がが晴れました。江原さんの本を読むと世界が透明になるような、すがすがしさを感じます。 『戦争と平和のメッセージ』 美輪明宏 戦前と戦後、両方を体験した美輪さんの言葉は重く心に響きます。日本の国としての思想が一夜にして転換した衝撃はどのようなものだったのか、私の想像の域を超えますが、常識や価値観というものを信じられなくなるというのは分かるような気がします。 今一度、歴史という流れを振り返り、現在や未来を考えていかなければと思わされました。 『王国(その2)痛み、失われたものの影、そして魔法』 『王国(その3)ひみつの花園』 よしもとばなな 以前、日記に書いた『王国(その1)』の続きの物語。主人公の雫石と、恋人の真一郎、仕事仲間でもあり家族でもあるような楓と片岡を中心として静かに流れていく物語。人との繋がり、自然の位置づけ、恋愛と愛との違い、ふわっと漂っているけれど確かな愛情、そして哀しみ、失いかけているものなどが小説全体を通して常に感じられます。そして、火事で家がなくなったり、不倫の恋と別離などさまざまなことが起こっているのだけど、何故か船に乗って運命の海を自然に流れていくような静けさや穏やかさを危うさを感じます。それは、ちょっと特異な登場人物達がまるで三角にとがっている物の上に板きれを乗せてその上でバランスを保ちながらやっとのことで前を見ながら進んでいるというような印象を受けるからかもしれません。 “私は、ついこの間まで知らなかった人たちに挨拶をする。その人たちは笑顔を見せる。そうやって、私という波紋を、宇宙の記録の中にどんどん刻みつけていく。 “さらに漕ぎ出していけ、私よ。新しい日常の中に、この小さな光をもって。” 『あと4ヶ月もたてば、僕はもう月の上にいるだろう』 北村勇喜 20歳の若さで交通事故によりあの世へ旅立った北村勇喜さんの絵や詩、彼の母や兄弟によるその死までの回想が断片的に書かれています。彼の死を家族は予感していたような部分と、彼が意識不明の状態でいた9日間とその後の死が周りにもたらした影響を冷静に振り返り、そして静かに受け止めようとしているところに心打たれました。 彼の詩は繊細で揺れやすい感受性をもつ時期にどこか誰もが感じてきたようなことが鋭く表現されています。20歳にして物事の深いところまでよく見つめていることに驚かされると同時に、自分自身も同じような事を考え、苦しくい中でも前進したいという思いで当時を過ごしていたことが思い起こされました。彼の肉体は無くなっても、その時のリアルな思いというのは人に伝わっていくとと思うと何とも言えない気持ちになります。 『弘海(ひろみ) 息子が海に還る朝』 市川拓司いまでも覚えているよ。忘れるわけがない。 きみは舌っ足らずのしわがれ声で、いつもこういってくれていたね。 「パパ、だいすきだよぉ!」って。 何度も何度も、ぼくの姿が見えなくなるまで。 こんな風に表紙をめくって書かれていたので、愛しい息子の死を描いた作品かと思って読み進めていったのだけれど、話は思わぬ展開になって・・・しかし静かな涙を誘う話でした。『いま、会いにゆきます』と同じく、市川さんの作品は親子や家族、その周りを静かに取り巻く脇役の人々の優しさが常に漂いながら流れているのが感じられました。他に読んだ本はまた明日。
2006年05月29日
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『21世紀子育て 感性のたねをまきながら』 漆原智良子どもに対して、叱るのでなく怒っている自分、感情に流されてしまう自分を反省することが増えてきているこの頃。子どもの成長のために自分はどうしていくかをもっと見つめ直さなくてはと思いながら手に取った本。 著者は、中学校教師を経て、教育評論家、児童文化作家でもある人です。 1章は、いじめにあったとき、家庭内暴力等々実際の事例からどう問題を解決していったか、2章は親や先生のひと言が子どもをどう変えていくか、3章は子どもの感性はどうはぐくまれていくかについて書かれています。小さいうちは出てこなかった問題が表面化するのは中学生になってからが多いということ。果たして今の子育てはどう響いてくるか、人ごとではありません。 子どもへの接し方で点数をつけていくとどうなるか、具体的な数字が書かれていました(大雑把ではありますが)1(おとなが)子どもの行為に対し、いらいらした感情をぶつけた時・・マイナス1000点2 子どもの行為を批判し、認めないとき・・マイナス200点3 子どもの行為を褒めたとき・・プラス1点4 子どもの行為に笑顔で優しく接したとき・・プラス50点5 子どもの行為に共感したとき・・プラス100点この点数配分を見ると、いかに大人が感情で子どもに対応するのがよくないことであると著者が考えているかということが分かります。具体的な事例も詳しくかかれていますが、マイナスが毎日溜まることプラスが毎日溜まる子とでは10年もすれば確かに大きな違いが出てきそうです。 それから、「~しなさい」という言葉を使いすぎることにより、自主性のない子ども、判断力のない子ども、反発と憎しみを覚える子どもになる可能性があるとも言っています。それも分かるような気がします。命令形ではなく事実を客観的に伝えることが大切だそうです。 例えば「夕ご飯食べなさい」→「夕ご飯の準備ができたよ」「宿題やりなさい」→「宿題出ていたね」「遅いから寝なさい」→「10時だよ」 などと言い換え、客観的な事実を述べる。そのことによって、子どもたちは「今すぐ寝ようかな」「今宿題をやろうか、あとでやろうか」などと自分で判断を下して行動できるようになり、迷いつつも、しだいに自主性の芽が育っていくそうです。他にもいろいろと参考になることが書かれています。自分の身を振り返りながら、読み進めた本でした。
2006年05月25日
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『王国 その1 アンドロメダ・ハイツ 』 よしもとばなな 雫石は人里離れた山小屋で薬草茶づくりの名手であるおばあちゃんと暮らす女の子。おばあちゃんが山の植物から作るお茶は人を癒す効果があって訪れる人は絶えない。朝から午前中は薬草を採りに、午後からはお客さんの対応、そんな毎日を自然と共に暮らす二人。しかし、雫石が18歳になったとき山のふもとの開発が原因で、彼女は山を降りることになる。おばあちゃんはマルタ島へ、彼女は都会へ。そこから、運命に惹かれるように目が少し不自由で不思議な力をもつ占い師の楓のもとアシスタントとして働くことになる。どことなく不思議な人たちが静かに繰り広げるお話。 ばななさんの小説を読んだのは10年ぶりくらいですが、初期の作品と同じようにやはり透明感があって穏やかで優しいそして、哀しみを含んだ空気が流れている気がします。それは、。自然・目に見えない流れや感覚・エネルギー・・そのようなものが作品の中に常に散りばめられているからかもしれません。 雫石は匂いを通して物事の本質を見極めることのできる人。楓は物に宿る思いを通して本質を探ることのできる人。(目が不自由であるのはそのためかも。)どちらも目に見える形あるものでなく、形のないところで本質を見極めています。 話の流れの中、押しつけがましくなくさらっと書かれていますが、何となく心に響いたくだりを一つ、二つ。 "少し前は失った物を嘆いてばかりいたが、今となってはなにも失ってなんかいなかったことがなんとなくわかる。 自分の体と心と魂。それを持ってさえいれば、欠けるものはいつでもなにひとつなくて、どこにいようと同じ分量の何かがちゃんと目の前にあるようなしくみになっているのだ。もしそう感じられないのであれば、それは本人の問題に過ぎない。" "身内の愛情に、そして目の前の見えない存在に、それから育った土地のエネルギーに、今まで与えた分の感謝の気持ちに・・・何重にも、虹の輪のように、わたしのまわりには愛情の輪がある。 どこまでもいつまでも大きなものに守られて生きていく、たとえたまにそれを忘れて傲慢な気持ちになることがあっても、ひとりで生きているような気持ちで暴走しても、それさえも包んでいる何かがある。本人は孤独を感じたり哀しみや試練に大騒ぎしてじたばたといろいろな感情を味わっているが、大きな大きな目で見れば、実はいつでも守られている。" 『王国(その2)痛み、失われたものの影、そして魔法』『王国(その3)ひみつの花園』も読んでみようと思います。
2006年05月23日
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主人の仕事が休みだったので、一緒に観てきました。平日にも関わらず、チケット売り場は長蛇の列。人気の大きさを感じさせられました。 原作は読んでいたので、話の展開はわかっているものの、ルーブル美術館や絵画、さまざまな教会などを目で楽しむことができるという点がとてもよかったです。謎解きの部分で説明が多いストーリーにもかかわらず、あまり理屈っぽさを感じさせないのは、歴史や重みを感じさせる建物や背景などがあるからだと思います。2時間半という時間を感じさせることもなく最後まで食い入るように見入りました。人物像も自分の想像と違わず、特にシラスは正にイメージ通り。そういう点も嬉しく感じます。 ただ、やっぱり当然ながら原作ほどの深い内容までは盛り込めず、また最後の方の話の展開も原作通りではなかった(私は原作の方が好きです)という部分はあるので、原作、映画の両面から楽しめるといいと思います。
2006年05月22日
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この一週間、曇りと雨が繰り返されるはっきりとしない天気が続いていましたが、今日は朝から久しぶりの快晴。風も適度に吹いてきて気持ちの良い日だったので朝から出かけることにしました。 今日は、主人は仕事でいなかったので、お弁当をもって出かけるにはどこがいいか、親子3人でまずは相談。山か川か海か芝生広がる大きな公園か。「どれも行きたい~」と決めかねている子どもたち。そうねえ~。「じゃあ、近いところから順に行けるだけ行こうか」 ということで、まずは山に。山と言っても、頂上まで子どもの足でも30分あれば登れるところ。ふもとには小さな公園もあって楽しめます。半年に一度くらい行く山ですが、この山のよいところは人が少ないところ。私は、山へ行ったら小鳥のさえずりや小川のせせらぎ、風で木々の葉ががさわさわとこすれ合う音などを聞きたいので、人が多く、話し声でざわざわとしているのは楽しみが半減するようで好きではありません。その点、頂上までいろいろなルートがあるこの山は頂上までほとんど人と会うことがなく、自然を満喫できるような気がして気に入っています。 展望台のある頂上まで行くと、さずがにある程度の人はいましたが、開放感がある場所では人のざわめきもちょうどよく感じられます。山から見下ろして広がる町の様子を眺めながら、お弁当を食べました。お弁当を食べている間、様々な種類の蝶が飛び交うのを見かけました。子どもたちも蝶を目で追い、しばらくじっと眺めていました。蝶は花の上をひらひらと舞ういうイメージが大きかったので、木々の小枝の間を素早く通り抜けるアゲハチョウの動きは新鮮で「お母さん、蝶ってあんな細い間を、ものすごいスピードで通りぬけて、よく枝にぶつからないよねえ。」という子どもの言葉に大きく頷いてしまいました。 山を下りた後は、河原へ。川沿いの土手を30分くらい散歩した後、おやつを食べていると、息子が「お母さん、何これ?」と手に持ってきました。何かの紙?と思ってよく見ると、それは・・・・ヘビのぬけがらでした。石と石の間に挟まっていたようで息子が手にしていたのは10センチくらいですが、よく見ると石の間には1メートルくらいあり、うろこの模様が何ともグロテスクで背筋がゾゾッとしました。私は触るのも嫌なくらいでしたが、子どもたちは平気な様子で石の間から抜き取り・・そして、主人のお土産にとビニール袋に入れました・・・・。 近くにもし、ヘビがいたら・・と思うと落ち着かないので、河原はそうそうに引き上げ、公園へ。さすがに公園は親子連れでいっぱいでした。芝生で野球やバトミントンをしたり、かけっこをしたりと子どもたちと共に動き回りました。遊具で子どもたちが遊んでいる間だけしばらく休憩していましたが、一向に休もうとしない子どもの体力には本当に頭が下がります。 さすがに3カ所廻ると夕方になったので帰ることにしました。 最近、運動不足で体がなまってしまった私にはちょうどよい運動の日になりました。体を動かすと気持ちもシャキッとするし、ストレス解消。やっぱり毎日体をしっかり動かさないといけないなあ。 さて、主人の帰宅後。にこにこしながら「お父さん、い~いお土産があるからね」という子どもたち。その手にあるものを見て、「ぎぇっ」と言った後、何と答えるべきか迷っていた主人でした・・。
2006年05月21日
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昨日の日記にディベート形式の授業について少し書きました。いただいたコメントにお返事をしようと思ったのですが、長くなり、また話がそれてしまいそうなので改めて低学年の段階で自分が行ってきたことをまとめてみようと思います。あくまでも私の主観的な思いから実践してきたことなのでご了承を(笑) まず、ディベートについて説明をほんの少ししたいと思います。説明し出すと長くなるのでさわりだけ ディベートと話し合いとの違いは次のようなことだとされています。ディベートは・テーマが決まっている・肯定側・否定側・(判定者を入れる場合もある)に分かれる(肯定・否定・(判定)は機械的に分ける)・意見を言う時間が決まっている・意見に対して質問をすることができる・勝ち負けが決まる そして、ディベートを通して培われる力は次のようなことです。・客観的分析力が身につく・論理的思考力が身につく・発表能力が身につく・よりよい聞き手になる・情報収集力が身につく さまざまな方法での進め方がありますが、論理的に意見を展開させて討論することができるようになるのは高学年くらいからだと思います。低学年の段階では、客観的に物事を判断する力、論理的に考えを組み立て表現していく力、多角的に物事をたらえる力などはあまりできておらず、もっている知識、情報も少ないものです。 なので、低学年のうちは、ディベートのもっとはるか前の段階、まずは自分の頭で考える、それを伝える、そして深めたり広げたりする力をつけるという基礎となるものをさせたいと考えました。 そのために、テーマは子どもたちの生活の中にあるもの、具体的な形あるもの、誰でも感覚ですぐに答えられるものを設定しました。そして、肯定、否定のどちらかに立つのではなく、どちらの立場からも答えてもいい、あるいは両方の立場から考えてもいいというものにしました。それが満たされていれば、だから、それは一見意味のないくだらないようなテーマであってもいいと思います。 「みかんとりんご、どちらが好きか」 大人にとっては、そんなことどちらでもいいじゃない。それを話し合うことに意味があるの?と思ってしまいそうです。でも、子どもにとってはすぐに答えられること。当然、りんごが好き、みかんが好き、と言う子もいれば、両方好き、両方嫌いという子もいます。それで構いません。大切なのは理由なので、理由を考えさせます。「理由なんてない~」と言う子にも「何かあるはずなければこじつけて」と無理矢理考えさせます(笑)みかんが好きな理由 子1「みかんの方がおいしいから」私「どんなところがおいしいの?」考え込んでしまった場合はみかんがおいしいと思う他の子に助けを求めます子2「みかんの方が汁気があるから」子3「そう、そう。だからのどが乾いているときにいい」子4「みかんの方が甘いから」私「そっかあ~みかんの方が甘いねえ」子5「え~、みかんの方がすっぱいよ」子6「種類によって違うよ」などなどと続いていきます子7「みかんの色が好き」私「みかんの色って何色?」子7「オレンジ」子8「でも、オレンジだけじゃなくて緑色のもあるよ」私「何で色が違うの?」子9「種類とか時期とかが違うから」などなど 他にもりんごは皮を包丁で剥かないといけないから嫌だけど、みかんは手ですぐに剥けるからいいという意見だ出ます。それに対して反対にりんごの皮を剥くのが好きという子もいます。 どちらも嫌いな子にとっての理由はアレルギーがあるからというもの出ます。そこから、「アレルギーって何」という疑問に繋がっていきます。 りんごとみかんの違いを考えていくと初めは「味」「食感」「見た目」からの意見だったのが次第に「みかんは皮にぼつぼつがある」「種の色が違う」「皮の厚さが違う」などと観察していくような内容になったりします。また、よく知っている子は栄養素や体を温める、冷やすなどの効果から意見を言う子もでてきます。 話していく中で、あまり一つのことを追究するのではなく、途中で区切ったり話が大きくそれてしまいそうなときは教師が整理したりします。出てきた疑問(りんごやみかんの種類や収穫時期、アレルギーのことなど)については、本などで調べてくれる人?と聞くと、何人か手を挙げます。その子達に調べてもらい、後日、掲示したり紹介したりします。 みかんとりんごどちらが好きかというのはそれぞれの好みの問題であって、勝敗はありません。ただ、こういうことを繰り返すことによって、・人にはそれぞれ好みや考え方があるということ・ある人にとっては良いと思うことが他の人にとっては良くない部分だと感じること・いろいろな角度から物事をとらえることができるということ・物事にはそれぞれのよさがあるということ・自分で思いこんでいたり、知らないことがたくさんあるということ などなどさまざまなことに気づき体感していくと思います。それが、高学年などでディベートを行うときなどの礎となるだけでなく、互いを認め合うという人間作りの土台の一つを担うのではないかと思います。
2006年05月18日
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今朝、もう起きないと~と頭の片隅で思いながらうつらうつらと見ていた夢。 それは、私が戦隊ヒーローものの一員となっていて、「敵と戦って倒すことを考えずに、お互いの目指すものを話し合って同じ方向に向いて平和を目指すことを考えた方がいいよ。敵をやっつけても次の敵が現れる。それじゃあキリがないし、大将をやっつけてもその思いはどこかに受け継がれていくんだから」と力説している夢(笑)更には中学生の時に理科で学んだベクトルの図(↑縦向きの力と→横向きの力を合わせると斜めの力になるというあれ)を使って説明していました。 何だったんだろうこの夢は?と思いちょっと自分でも笑ってしまったのだけど、確かにそれは、私が日常生活の中でも抱いている思いかも。 例えば対立しる意見が出てどちらにも言い分はあってどちらも一理あるという場合。自分の意見を主張するばかりでは話は平行線。しかたなく多数決を採って決まったとしても、敗れた方は悶々とした思いを抱えることになります。そんな時に、双方の意見の中でお互い受け入れられる部分を取り入れ、更にそこから発展したよりよい方法を考えることができればいいのに、と思ったりします。 でも、きっとそれは、私が教育に携わっていた時の失敗があったからだと思います。教育の中で自分の思いをそれを表現できる子になってほしいという思いからディベート形式(討論)の授業をよく取り入れた時期がありました。慣れてくるといろいろな意見が出てきて子どもたちもノってきて活性化しているように見えました。でも、子どもたちの声を聞くと「今日のバトルは面白かった」「燃えた」、時には反対意見をたくさん言われた子からは「むかついた」などというのも聞こえ子どもは議論を戦いととらえていたことに気づきました。反面、「○○ちゃんの意見は確かに言えるよね~」「○○ってあんなこと言えるの凄いよね」という声も聞こえたもののそれをしっかり生かすということは私はできていませんでした。国語、道徳、学級会などいろいろな場面でディベート形式の授業を行い、学級会では最後に多数決で決めるということを何回か行っていくことを通して、もっと違うものに変えていかなければいけないと思いました。そして、“議論の目的は自分の意見をもち、それを出し合うことでいろいろな方向を向いていたものを一つのよりよい方向に向けたエネルギーに変えることかな”と思うようになりました。そうすれば戦いのような勝敗はなくなり後味も良いものとなります。とは言えど、なかなか難しく、全てがうまくいったとは思えませんが少しずつ変わっていったと思います。 子どものヒーローものや水戸黄門などは正義と悪というように分かりやすく描かれているけれど、現実はベクトルの向きが全く反対というものはあり得ないと思います。どこか同じ部分、認め合えるべき部分があるはず。 今まで経験してきた人間関係の中でも、対立ばかりしていた人がある時を境に仲良くなった時のパワーは凄まじいものがあると感じてきました。アメリカとイラク。拉致問題を抱える日本と北朝鮮。国家のレベルとなるとさらにいろいろな思惑がありそんなに簡単な話ではないけれど、やはり地球全体が同じ方向に向かって協力し合えるようになってほしいと今日の夢から思いました。そ;そんなことを考えながら図書館へ行き目にした2冊を借りてきました。『報復ではなく和解を』 秋葉忠利(広島市長)『戦争と平和愛のメッセージ』 美輪明宏
2006年05月17日
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今日、とっても笑顔の素敵な人を見かけました。 娘と同じ保育園のお母さんですが、今まで見かけたことがない方(同じくらいの年齢の方)でした。私と自転車ですれ違うときに、背筋を伸ばしながらとてもやさしいほほえみをたたえていました。にやにやとした笑いでなく本当ににっこり。周りに花があるかのようで、知らない方だけど目があったので、同時に「おはようございま~す♪」とあいさつを交わしました。 それだけのことだけど、何だかとても気分のよい朝になりました。少しの笑顔が人を幸せな気持ちにさせるのね~と嬉しく感じた瞬間でした。私もあんな素敵な笑顔を振りまけるといいなあ。でも、私が笑顔で自転車をこいでいたら「あの人、何にやにやしてるの~」と思われたするかしら(笑)。
2006年05月16日
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私が掃除をしていると、子どもたちがリビングの隅で何かヒソヒソと話している様子。「あのね、お母さんには内緒だけど、今日は母の日なんだよ」と息子。「あっ、それ、保育園で聞いたよ!」と娘。 思いっきり聞こえてます・・・。 その後、隣の部屋へ行って「お母さん、ぜったいこの戸を開けちゃあだめだからね。」と言う子どもたち。「もしかして、はた織りでもするの?(つるの恩返し)」と聞くと少し怒った顔で真面目に「そんなんじゃあ、ない!」と返されました。 15分くらいしてから、「お母さん、ちょっと散歩してくるね」と出かけていく二人。何となく想像はついているけれど・・。 20分くらいして帰宅。「お母さんは、こっちに来ちゃ駄目だからね」と言いながら両手を後ろに回してカニ歩きで横切っていく子どもたち。 そして、数分後。二人で「お母さん、母の日おめでとう~!!」“おめでとう”はちょっと違うと思うけれど・・。近くで摘んできたタンポポやナズナなどの草花の小さな花束と、一言メッセージのついた似顔絵の紙をくれました。予想はしていたもののちょっとジーンときました。 メッセージは息子が“おかあさん、母の日おめでとう。おかあさん、ぼくをうんでくれてありがとう” 娘は“おかあさんおめでとう。おかあさんいつもごはんをつくてくれてありがとう”でした。決してきれいな字ではないけれど、気持ちがこもっているようで嬉しく感じます。 > 私にとってはとても嬉しい母の日でしたが、新聞の一面には「「親と死別1500万人」「エイズに奪われた母の日」という文字が躍っていました。世界の各国で迎える「母の日」。しかし、エイズで母親を失った子供は1500万人に達し、うち1200万人がアフリカの子どもたち。 母親がエイズを発症し、病に倒れると、アフリカなど途上国では子どもが家事を引き受け、食料を調達、幼い兄弟の世話をし、教育を受ける機会を失うという悪循環だそうです。そういう記事を読むと、複雑な気持ちになります。
2006年05月14日
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以前から、抜いた方がいいよと言われていたおやしらず。今日、抜歯してきました。 最近はおやしらずがない人もたくさんいるようでちょっと羨ましく思います。そういえば、今は生えてくる歯の数自体が少ない子も増えているようです。食生活の変化が原因と言われていますが、そう思うとこれも一つの進化なのでしょうか。 さて、私はおやしらずが4本生えており、既に3本抜きました。いつもあの「メリメリメリ~」という音を聞くと「おやしらずよ~無理矢理抜いてごめんね~」という気持ちになります。 抜くのはほんの1、2分くらい。麻酔が効いているので何てことはないのですが、麻酔が切れた後がじくじくと痛んできます。前に抜いたときは痛み止めを飲んでも痛くて大変でした。痛いので気を紛らわすために(?)結構うがいなどをしていたのですが、それがいけなかったと今日先生の話を聞いて知りました。血を止めるためにかさぶたができるのですが、うがいをするとそれがはがれて血が出たり痛みが増したりするそうです。「今日は、うがいをしないでください。」と言われました。でも、前の先生(歯医者を変えたのですが)はそんなことは言わなかったので、そんなこととは露知らず、ちょっと大変な思いをしました。本当は2日後にいけばいいのに、あまりに痛くて次の日に診察してもらったくらいでした。 今回はそんなこともなく、じくじくと痛み出したので痛み止めをのんだら快調です。でも、子どもたちは、普段私がまず病院に行くことがないためか、今日はとても気を遣ってくれるのでちょっと嬉しい。「お母さんは休んでて」と言いながら働いてくれたり、「大丈夫?」と声をかけてきて、更には「トイレに一人でいける?」とまで聞いてくるくらい。まるで重病人のようですが、明日の母の日のプレゼントの前祝いと考えて病人になっておいた私でした。
2006年05月13日
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ベストセラー『美人の日本語』に続いて美しい日本語の数々を紹介した本です。素敵な言葉の数々に日本語の美しさ、奥ゆかしさ、気品、情緒、自然に対する感覚などが感じ取られ、日本人でよかった~としみじみ思います。「いろは歌」の初めの3文字の「いろは」。上代では実母のことを「いろは」と言ったそうです。この世に誕生してはじめて出会う母とさした言葉だとしると暖かみややさしさを感じます。どれも素敵な言葉でしたが、私が気に入ったものをほんの少し紹介します。「花の父母」って何だと思います・・? 実は雨や露のことだそうです。昔の人は、雨や露が花を潤わせ、育てることでこう呼んでいたそう。「花」いえば昔は“桜”をさした言葉。「花の兄」とは先駆けて咲く“梅”、「花の弟」とは花に遅れて咲く“菊”をさしたのだそうです。なぜか、姉や妹はなかったのだとか。 色音って何・・・? 色音とは、花の色と鳥の声をさすそうです。自然を愛し、花鳥風月を感じた日本人らしい言葉だと思います。 美しい言葉を聞くと、素敵な情景を想像し、心穏やかになり、言葉は言霊であるということも頷けます。言葉を多く知ることは自分の内面も豊かにするということ。どうせなら美しい言葉を自分の中にストックして美しい言葉を発していきたいもの。この日記の中でも素敵な日本語を散りばめていけたらなあと思います。それには、本を眺めているだけでなく、自分のものにしていかないと・・ねえ。 こちらもおすすめです。
2006年05月11日
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連休は、箱根方面に行ってきました。1日目は御殿場アウトレットモール、2日目は箱根、3日目は伊豆を廻りました。 一日目は絶好調だった娘が2日目の途中からに熱を出し、ぐったり。主人と息子がいろいろと巡る中、私と娘は車の中で待っていました。行きたいけれど身体が思うようにいかない娘は可哀想でした。ホテルで熱を測ると39度3分。念のため持っていった薬を飲ませて寝かせたところ、次の日の朝にはすっかり回復していました。子どもってすごい・・。 箱根で良かったのはポーラ美術館。ピカソ展が開催されていて絵から受けるインパクとはやはり大きなもので立ち止まって観ずにはいられませんでした。私にもとってピカソの絵は今まで全体を見渡すイメージでとらえるもので「何か分からないけれど凄かった」という感覚でしたが、子どもたちと一緒に、細部を見て「これは何だろうね。魚かな~」などとひそひそと話しながら観ることで想像力の膨らむものとなりました。子どもの発想の面白さにも楽しまされました。 フランスなどでは教育の中に芸術鑑賞が積極的に取り入れられていると聞きます。それは芸術が国の文化として常に位置されているものであるということでしょうが、日本でももう少し鑑賞教育が入ってきてもいいのではないかと思います。美しさ、神秘さ、人が生み出せるもの、生き様、繊細さや情熱などさまざまな要素が入っておりそれに触れることによって感性や想像力などを高めることができると思うからです。 実は、小学校教育の中でも「鑑賞」というものは音楽、図工の中で取り入れられています。でも、図工においては友達の作品を鑑賞するというのが主でそれもとってつけたようなもの(というのは言い過ぎかな)。その分野に力を入れているか、しっかり先生方が研究しているかと言えば・・・・。(もちろん専門で勉強されている方もいると思いますが)美術作品について調べたり、感じたことを話し合ったりする時間があってもいいのではないかと思ったりもします。 富士山を眺め、山々や湖、海を観ながら温泉に入る旅。遊覧船にのったり美術館に入ったりとあまり子ども向けの旅行ではありませんでしたが、混雑もなくゆったりと過ごせました。
2006年05月08日
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今日から5連休の始まり。空は青々とし、新緑の季節。とても気持ちの良い一日でした。 先日、知り合いの方からドラえもんの映画鑑賞券を大人一枚、子ども二枚分いただきました。私と息子は春休みに観たので、今日は主人と子どもたちと行きました。(息子は2回目です) 私が息子と行ったときは春休みであるにもかかわらず観客は15人くらい。今日は、さすがにGWだけあって3分の1くらいは席が埋まっていたとのこと。私が最近映画を観るのは平日だからかもしれませんが、本当にお客さんが少なくてびっくりします。地域性なのでしょうか。それとも、他の地域でも同じなのでしょうか(都心は違うと思いますが)。替わりにビデオレンタル屋さんはいつでも結構人がいます。 3人が映画を観ている間に私は隣のショッピングセンターでウインドーショッピング。夕方はバべキューをする予定だったので、食材もいろいろと買っておきました。 予定通り、夕方からはバーベキュー。近くの河原で・・とも思ったのですが、そこでバーベキューをしている人を見たことがなかったので、やっていいものかちょっと不安になり、結局家の庭でやることにしました。 今までは、ひたすら食べる専門だった息子も2年生になり、いろいろと準備などを手伝えるようになりました。外でビール片手にいろいろなことを話し、みんなで働きながら食べるのは美味しいだなあとしみじみ感じます。 明日からは伊豆、箱根の方に小旅行に出かけます。最近伊豆の方では地震が続いているようでちょっと心配ですが、ゆったりのんびりと楽しんでこようと思います。
2006年05月03日
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『読むだけで「書く力」が劇的に伸びる本』 芦永奈雄 著者の『「本当の学力」は作文で劇的に伸びる』は子どもの力を伸ばすことを目的とした本でしたが、今回は大人を対象とした本です。ストーリー作文を書くこと、気持ちを書くのではなく事実を書いていくことが大切。具体的な例が書かれているので分かりやすいとは思います。 後半は文章を書くために必要なことについて書かれています。「文章を書く」ことは「自分を表現する」こと、「自分自身をみつけていく」ということであることはこうやって日記を書きながらも感じ文章を書くことの意義を再確認した思いです。 『お手伝いで子どもの心を鍛えなさい』 町沢静夫 ~「不登校」や「引きこもり」は精神科の診断名ではありませんから、それぞれ悩みのタイプや度合いによって、診断や対処法は異なってきます。しかし、実は、あらゆるタイプの人に共通していることもあるのです。それは、子どもの頃、おおよそ3歳から小学校3年生くらいまでの間に、仲間と遊んだり、家の手伝いをして働くなど、自分の手足や身体を使う経験が不足しているということです。ー「はじめに」により~ 著者は精神科医ということで本の内容はさまざまな事例を紹介しながらお手伝いなどの大切さを訴えるもの。お手伝いや仲間との関わりによって育つのは心や経験、人間関係。勉強に関する知識や伝達は子どもが成長してからでもできなますが人間性の土台となるような目に見えない能力、心などは小学校3年生くらいまでの時期を逃すと、あとからカバーするのは極めて難しいと言っています。子どもが小さいうちにしか身につけられないこと、生きていく上で大切な力などもう一度よく考えてみようと思わされました。 『おしゃれ大図鑑』 美輪明宏 “「おしゃれ」とは、単にうわべだけを取り繕うことではなく、美しく装うことで、よろよい自分と出会うこと。美しいモノに接することで、自分の内面を育てることです。どういう女性でありたいのか、どんな人間として行きたいのか、自分の進むべき方向を見定め、あなたの美意識を磨き上げていく、それが「おしゃれ」なのです。”と美輪さんは言っています。 アールデコから日本の文化、映画、作家の使う言語、スポーツ選手、音楽等広範囲での美しいモノが写真などを織り交ぜ紹介されています。美しさとは、気品が漂う奥深いものであることに改めて気づかされる思いです。美しいものを見ると心があらわれる、ゆったりとした気分になります。それならば、それを周りに感じさせるような内面から出る美しさを自分も持ち合わせたいなと思います。まずは、姿勢と言葉遣いからかな。 『日々の考え』 よしもとばなな よしもとばななさんのエッセイとインタビューをまとめた本です。この本を読むまで、ばななさんが結婚されていたことを知りませんでした。エッセイで語られるのはよしもとさんの生活のほんの一部だと思いますが、何だかいつもどこか現実味がないような不思議な感覚で読み進めてしまいます。インタビューを読むとばななさんが作品をどうやって生み出してきたのかが少し分かります。ばななさんの小説は5年くらい読んでいませんが、また読みたくなりました。
2006年05月02日
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新しい年度の始まりの4月。この4月は親戚の自営業の手伝い、PTAの集まりなど慣れないことでバタバタとした月でした。そんな中で読んだ本のまず5冊。 『告白』 チャールズ・R・ジェンキンス 拉致被害者、曽我ひとみさんの夫ジェンキンスさんが書いた本。北朝鮮に行った理由、そこでの暮らし、結婚、そして日本に行くまでんことが記されています。北朝鮮の実情、自分で住む場所も何もかも決められない暮らし、困窮ぶりなど40年の生活をこの本一冊で語るのは難しいと思いますがそれでも切々と伝わってくるものがあります。北朝鮮という国に対して、10年以上前に読んだ金賢姫の『いま、女として』を読んだときの思いが頭をよぎりました。 この本を読み終えた日に横田めぐみさんの夫の可能性が高い方が韓国での拉致被害者とのニュースを聞きました。これを契機になかなか進まない拉致問題が少しでも早く前へ進展をてほしいと願うばかりです。 『ももこの21世紀日記 N0.5 』 さくらももこ 携帯サイト「ももこの近況」に掲載されたものをまとめたエッセイ集。さらっとした文章で気分が軽くなる本です。きっと一年間楽しいことばかりでなくいろいろな事柄があるのだろうなと思うけれど、さくらさんの本は楽しい話題ばかりなので安心して読めます。40歳になったというさくらさんですが文章からはそれを感じさせないような若々しさが感じられました。 『超・殺人事件』 東野圭吾 推理作家をモチーフとした短編集。ユーモアの効いた話が多くさらっと楽しめました。長編のような重みのある作品と違って気分転換などに気軽に読める本でした。 『手紙』 東野圭吾 母を亡くし貧しく2人で生きている兄弟。兄は、弟を大学に入れてやりたい一心で、ある日盗みに入るが、思いもかけず殺人を犯してしまう。懲役15年の刑を受け刑務所に入る兄。兄は弟に月に1度、獄中から手紙を送る。しかし、弟は「強盗殺人犯の弟」というレッテルによって、さまざまな幸福をとりにがしてしまう。兄に対する思い、周りの反応、自分の生き方いろいろなことに苦しみながら生きていく弟。そして出した決断とは・・。 『超・殺人事件』とは一転して考えさせられる作品。人の内面や差別とは何かある環境に置かれたとき、どう生きるべきなのか、また周りはどうとらえればよいのかさまざまな面から考えさせられました。 『生きがいの創造 2』 飯田史彦 今までの飯田氏「生きがい」シリーズとはちょっと異なり、筆者自身の不思議な体験を書いた本です。信じる人も信じない人もいるでしょうが、スピリチュアルなことに興味がある方にはなかなかおすすめの一冊だと思います。
2006年05月01日
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