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『陰日向に咲く』 劇団ひとり 図書館で予約して待つこと4ヶ月。よくやく手に取ることができた本。短編小説集ですが、登場人物が少しずつリンクしていているので、話がこう繋がっているのかと思いながら読み進められるのも魅力の一つ。それぞれの人物が繰り出す世界に奥行きが感じられます。大きな感動というものではないけれど、しんみりと胸に染みいってくるような物語で楽しめました。 『デモナータ 2 悪魔の盗人』 ダレン・シャン デモナータの2巻目。1巻とは主人公や時代が異なりますが、同じ登場人物もいてその絡み合いが今後どのようになっていくのかも楽しみ。1巻よりも更に恐ろしい場面(想像するとかなりグロテスクな場面)が多く、読みながら「あまり想像力を使っては駄目、駄目」と思わず自分に言い聞かせるほどでした(笑)にも関わらず、内容が面白くて、読み出すと止められない。悪魔と人間の世界を行き来する主人公達に心奪われます。 『てのひらの中の宇宙』 川端裕人 2歳のアスカ、5歳のミライ、父親のぼく、癌で入院している母。“てのひらの中の宇宙”という題名がぴったりの宇宙に興味を持つミライ、宇宙について息子と語るぼく。宇宙についてふわっと子どもと会話をすることを通して、果てしなく広がる宇宙、過去の自分、未来の家族にに思いを馳せる優しいお話です。虫などを捕りに行く場面ではミクロな虫の世界にも、森や水の生態の中にも果てしない宇宙が広がっているという場面や、限りある現実の人間の生活、生と死、無限に広がる宇宙の対比がなんとも言えません。 アスカ、ミライをあえてカタカナにしているのは“明日”“未来”を押しつけがましくなくするための著者の意図かなとちょっと思いました。 『空色の地図』 梨屋アリエ 以前、中学生の課題図書になった本。中学3年生の初音は、ある日、6年前の自分が書いた手紙を受け取ります。送ったのは、当時一夏を過ごした美凪ではないか。あの夏を思い浮かべながら美凪を探し、再会します。彼女との再会やあの特別な夏を思い出す中で、自分の内面やその時に見えなかったものなどいろいろなことに気がついていく物語。思春期ならではの心の葛藤や他人を羨む思いなど複雑な心境が上手く書かれていて、ちょっと思春期の頃を思い出す物語でした。 『ちび象ランディと星になった少年』 坂本小百合 映画『星になった少年』の主人公、坂本哲夢さんを彼のお母様が書いた手記。(映画化される前に書かれたもの) 日本で初の少年ゾウ使いになるという夢を追いかけ、わずか12歳でタイに単身留学。帰国後も象の心や個性を大切にしながら両親が経営する動物プロダクションのスタッフとして奔走する日々。彼の強さが優しさ、それと共に、親としての心の葛藤、愛情なども伝わってきた本でした。 彼がお母様に言った言葉が印象的です。「タイでは仔ゾウが四,五歳になると母親と話して訓練を開始するんだけど、このとき、人間がむりやり親子を引き離すんだ。お母さんゾウを大きな木に鎖でつないで、仔ゾウだけ別の場所に移動させるんだけど、そのとき、母ゾウがものすごく暴れて、悲しげな声を出すんだ。仔ゾウも悲しそうに・・・俺は見ていられなかったよ。日本にいるゾウのほとんどはそういう経験をしてきているんだ。ゾウは母親の愛情もほとんど知らずに、家族の尾多々傘や、鯉も知らないで俺たち人間につくしているのに、コンクリートのゾウ舎で寂しく一生を終えるんだ。俺はね、そんな日本にいるゾウたちを幸せにしたいんだ。」 そんな風に私は動物園の象を見たり、その奥にあるものを想像したりすることは今まで無かったので衝撃でした。 そういう彼の意思を引き継いでいこうと著者であるお母様は老ゾウホーム「勝浦ぞうの楽園」を作られました。彼の体は無くなっても意志は受け継がれていく。彼の体は無くなってもその彼の行動は映画や本を通してたくさんの人に伝わっていく。そういうことの大きさも感じました。今月読んだ本の数は、以前の日記に書いた『風に舞い上がるビニールシート』 森絵都『ちゃんと泣ける子に育てよう』 大河原美以の2冊を合わせて12冊でした。
2006年11月30日
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今年は例年よりも暖かい日が続いていますが、こたつに足を入れながら読書をしていると何だか幸せな気がします。 『マザー・テレサ 愛の花束』 中井俊已 マザー・テレサの偉業、言葉、思いをまとめたもの。マザー・テレサの謙虚で大きな愛が伝わってきます。“人間にとってもっとも悲しむべき事は、病気でも貧乏でもなく、自分はこの世で役に立たない不要な人間だと思いこむこと”“大切なのは、どれだけたくさんのことや偉大なことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです”“平和はほほえみから始まります。笑顔なんかとても向けられないと思う人に、一日5回ほほえみなさい。平和のためにそうするのです” など日本の中でも起こっているさまざまな問題の根本となる大切なことを改めて教えてくれるような言葉がたくさん出てきます。彼女のようにみんなが愛を与えることを考えることが出来たら、そして身近なところから実践していくことができたら・・。 『「そうじ力」であなたが輝く!』 舛田光洋 以前、著者の『夢をかなえる「そうじ力」』を読んでとても面白かったので、この本も読んでみることにしました。こちらの方がより具体的に分かりやすく書かれています。 そうじをする時のポイントは「何も考えない」こと。「無心」で行うとストレス解消になる上、生活の中で抱えている問題点などが見えてくるそうです。 また、どの部屋(場所)が汚れているかによって、抱えている問題点がハッキリするということも書かれていました。玄関・リビング・寝室・トイレなどそれぞれの部屋の汚れにはそれぞれの意味があるそうで読んでいて、なるほど・・と思いました。 単純な私は、またまた、掃除に対してやる気が湧いてきたのでした(笑) 『掃除道』 鍵山秀三郎 最近、“掃除をすることで運が良くなる”ということが言われるようになりましたが、イエローハット創設者で現取締役の著者は、40年以上前から取り組んでいたそうです。社長就任当時から掃除の大切さに気がつき、続けていき、会社だけでなく、「掃除を学ぶ会」を全国に発足、地域、外国などでも「掃除」を実践、広げています。「掃除」はただきれいにするというだけでなく、人の心も変えていくものであることがさまざまな実践例から伺えます。思いやる心、気づく心、謙虚な心、実行していく心など大切なものに改めて気づかされた本でした。 中でも心に残った言葉は“幸せな人生を送るためには、後味のいい生き方をすることだと思います。大切なことは、必ずしも自分がしなくてもいいことを少し多目にすることです”という部分でした。具体的に例えばどのようなことか、著者の行動が書かれていてやはり実践している人の言葉はすっと心に入ってくるものだと感じました。 『おんぶにだっこ』 さくらももこ さくらももこさんの最新エッセイ。ももこさんの2歳くらいから小学校1年生くらいまでの幼年期のことが書かれています。ももこさんは自分で“私は幼い頃、悩み苦しみが多すぎる事を自覚していた。なんで私はこんなにしんどい日々を送っているんだろう、こんな人生イヤだなあと思っていた”と書いています。その言葉が表すような当時の心の動きが書かれていて、読んでいてきゅっと胸をつかまれ心苦しくなるような、それでいて子どもならではの似たような思いをしていた自分を思い出すような、そんな気持ちになりました。今までの他の楽しいエッセイとは異なった印象を受けると思います。 『「楽勉力」で子どもは活きる!』 親野智可等 ー勉強が好きな子は、放っておいてもどんどん勉強します 勉強を楽しめる子は自然に学力がつきます ですから、子どもに学力をつけたいと思ったときに、まず親がするべきことは子どもを勉強好きにしてやることです。つまり勉強の楽しさを味わわせてやることですー 本当にその通りだと思います。この本には普段の生活の中に勉強の要素を取り入れていく具体的な例が書かれています。どれもほんのちょっと工夫するだけで簡単にできること。私も同じような考えで、似たようなことで取り組んでいたものもいくつかあり、この本を読んで良さを再確認しました。オススメの本です。
2006年11月30日
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先週は雨続きだったり、寒い日が続いたりと息子の友達が遊びに来ても家の中で遊んでばかりでした。しかし、今日は久々に暖かい日だったので、息子達は公園へ遊びに出掛けていったところ、娘も一緒に行きたいというので娘と共に私もついて行くことにしました。 公園へ行くと、息子と同じ学年の子や、顔見知りの3・4年生の子も何人かいました。折角なのでその子達に声をかけ、私も娘も入れてもらい、総勢12人でドッジボールをすることになりました。私にとっては久々のドッチボール。さすがに4年生にもなると素早い球を投げてきます。4年生の子は面白がってみんな私を狙うので久々にちょっとスリリングな瞬間を体験しました(笑) 4年生の子どもの動きを見て、小さい子も学ぼうとするし保育園の娘に対してはもちろんみんなやさしく手加減してくれます。異学年の子ども達同士で遊ぶことは自然に思いやりの気持ちや憧れる気持ちをもったりするもの。最近は少なくなってきた異学年での交流。息子も同学年の子と遊んでばかりですが、そういう機会をもっともたせてあげたいなと今日の経験を通して思いました。
2006年11月28日
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娘がお気に入りの本。パステル調の絵がほのぼのとしていて、とてもかわいらしい本で、大人も癒されます。チリとチリリの二人が自転車に乗って森の中をサイクリング。森の中に動物が経営する喫茶店があったり、サンドイッチやさんがあったり。そして最後には素敵な夜が・・。メルヘンの世界に憧れた自分の小さい頃を思い出すようで、娘と見ていて、私も懐かしい気持ちになります。絵の原画も見てみたいと強く思う本でした。特に女の子にオススメ。シリーズのこちらも素敵ですよ。
2006年11月27日
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今朝のニュースで、徳島県の眉山の崖に取り残され衰弱している犬があって、住民が心配そうに見ているという中継を見ました。その後、レスキュー隊17人という体勢で救出活動を行い、午後には無事に救出されたそうです。 衰弱している犬の姿、悲しそうに鳴く犬の姿を見れば、助けてやりたいというのが人情。どうにか無事に保護されたというニュースを聞いて私もほっとしました。 しかし、その後、この犬はどうなってしまうのでしょう。誰か飼ってくれる人がいればいいのですが、いなければきっと保健所へと送られるのでしょう。保健所では、飼い主や引き取ってくれる人がいなければ3日目には処分されることになっているそうです。マスコミも多く駆けつけ、多くのレスキュー隊も行動して助けた命でありながら、処分されることになったら・・。 そのことを考えたのは森絵都さんの「風に舞い上がるビニールシート」を最近読んだからです。 この本は6つの短編からなる本で印象に残る素敵な物語が詰まっているのですが、その中に犬の里親を探す活動をしている女性の物語があります。彼女がどうしてこういう活動をするようになっていったのか、活動は何を彼女にもたらしていくのかなど心の動きなどが描かれている作品なのですが、その中で実際に彼女が保健所へ行き日々処分されていく犬の数、場所の様子などが書かれている場面があります。残酷に描かれているわけではありませんが、静かに取り巻いている重暗い雰囲気がひたひたと伝わってきます。書かれている内容が小説としてある程度架空のことなのかどうか分からなかったので少し調べてみました。(こういう時に本当にインターネットは便利です) 実際に2003年度に殺処分された犬の数は173000匹以上、猫は267000匹以上だそう。以前多かった動物実験の数は動物実験に反対する運動の高まりなどから、年々減っているものの恐ろしい数です。 また、実際に保健所に連れてこられる犬、猫の里親を探すボランティア活動をしている人々もたくさんいます。 みんな目の前に見えることに対しては行動したり、心配をしたり、マスコミも感動劇のように取り上げたりするけれどその奥には計り知れない世界があります。教育基本法改正を急ぐ自民党の動きと憲法9条改正案との関係も然り。いろいろなことをよく見つめなくてはとこの本と今日のニュースを見て感じました。
2006年11月22日
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昨日は、息子の小学校の学芸会でした。学年(140人くらい)で1つの劇を発表するということで台詞は一人一つずつ。出番は少ないものですが、どの子も大きな声でしっかり台詞を言ったり、歌を歌ったりしていてなかなかよい発表会でした。 親が見るのは完成した学芸会当日だけ。我が子がしっかり台詞を言って頑張っている姿をみることができれば満足というものだと思います。 しかし、学芸会当日に至るまでの過程が大変でもあり、その間にいろいろなドラマや、子どもの達の成長、良さが感じられるとても貴重な時間であることを、自分が教師だった頃の経験から感じます。 普段はのんびりと構えている子が、役決めに対して譲れない思いで意気込む姿、練習を通して、今まで仲の良くなかった子同士が距離を縮めていく姿、「こうした方がいいよ」と互いに教え合う姿、勉強や運動ではあまり活躍ができないけれど、度胸や声の大きさでみんなを引っ張っていく子の姿、「台詞を変えてもいいよ」と言うと、自分で考えてアドリブをいう子の姿、初めは小さな声しか出なかった子が自信をもって大きな声で言えるようになる姿、等々さまざまな普段では見られない子どもの姿や成長が見られる場です。お家の人たちもそういう子ども達の過程を見ることができると“学芸会”など行事を見つめる目も変わってくていいだろうなあと思います。
2006年11月19日
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「ちゃんと泣ける子に育てよう」というのは「ちゃんと大人の腕の中で泣かせてもらえる子に育てよう」という意味。 「ちゃんと泣ける」というのは、悲しい、悔しい、怒りなどのネガティブな感情から“逃げ”たり“かたまった”りするのではなく、感情を表出することができること。そしてそのためには感情を表出することが保障される場やきちんと受け止めてくれる大人の存在が必要である。「悔しい」「悲しい」という感情も、大人の安心・安全に包み込まれることで、ネガティブな感情を安全な物として抱えることが出来るのだと著者は言っています。 対して悲しみ、怖さ、悔しさなどに対して、「そのくらいで泣くんじゃないの!」などと言われてしまうと、深いな感情は処理されることなく置き去りにされてしまう、または、無かったことにされてしまう。子どもが泣いたり、怒ったり、悲しんだりすることが当然の場面で、その感情の表出が歓迎されなく押さえ込まれる状況を日常的に繰り返されてしまうと、処理しきれないまま思春期を迎え、爆発してしまうことがあるそうです。 子どもは、安定した大人の前でしか自分をさらけ出すことができない。だから「ちゃんと泣ける子に育てよう」というメッセージは、私たち大人が苦しみや痛みから逃げないでというメッセージでもある。 人間が生きていく上で“感情の処理”とはとても大切なこと。幼児期にしっかり周りの人が受け止めることのできる環境というものの必要性を大いに感じました。そのためには安定した大人であること。そして、目に見えないことだけに意識していかないとと思います。
2006年11月15日
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先日の就学時健康診断で1本の虫歯が発覚した娘。今まで歯医者へ行くのはフッ素塗布だけだったので、虫歯治療には緊張していた様子。横で見ている私も緊張気味。 娘の口の中を見た歯医者さんがまず一言。「娘さん、飴は好きですか」「この部分に虫歯ができるのは飴など甘い物を長く口に入れて置くためにできることが多いんです」と。うっ。確かに、最近アメを食べることが極端に多くなっていた・・。実は義父が最近禁煙をするようになり、口が寂しいということで、飴をたくさん買い込んでいます。そして、それをたくさんお裾分けしてくださるのです。だいたい一週間に3袋くらい。私がそこでしっかりと管理しなくてはならなかったのですが、(さすがに3袋食べさせることはありませんが)いい加減なもので・・。反省しました。 さて、いよいよ治療開始。歯医者さんの「ちょっとだけ削るから、痛かったらこっちの手を挙げてね」という言葉に大きく頷く娘。しかし、結局手を挙げることもなく、声を出すことも嫌そうな顔をすることもなくあっという間に治療は終了しました。 衛生士さんに「すっごく、上手にできたね。なかなかこんなにきちんと治療させてくれる子はいないよ~」と言われ、娘はにこにこ顔。 へえ~、あまり痛くもないんだなあ。とにかく終わってよかった、とほっとしている私の横で、娘は小声で「ホントはちょっと痛かったんだけどね。でも、恥ずかしくて手が挙げられなくて我慢してたんだよ」 確かに、「手を挙げてください」と言われても、私でもどの辺りで手を挙げればよいのか迷ってしまうし、挙げるのも何だか悪いかなあと思ってしまうものなあ。以前に一度、痛くて手を挙げたら「あっ、痛いんだね。もう少しだから頑張ってね」と言われただけで、そのまま続けられたし。何々?ただ励ますためだけに手を挙げさせたわけ~とその時は呆然としてしまいました。そんなこともあり、手を挙げるってなかなかできないことだよなあと思うのは私だけでしょうか。 そういえば、息子も一度虫歯になって治療をしたときに、「“痛かったら左手を挙げて”と言われたけど、左手がどっちだか緊張して分からなくなっちゃって挙げれなかったよ~」と言ってたっけ。それはまた、別の意味で情けない話だけれど。
2006年11月11日
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今、離婚に向けて動いている友人がいます。半年ほど前から、具体的に話が出始め、その頃から時々話は聞いていました。3人の子どもがいて、一番下の子はまだ4歳。なので彼女としては離婚をするにしてもせめてその子が小学生に上がるくらいまでは・・という思いもあったのですが、ご主人としては引き延ばしても仕方がないという考えのようで、早いうちにきっちりとしたいようです。 彼女のご主人はとにかく仕事人間。今までも海外の研修や出張などで家を空けることも多く、休みは月に2日くらいだったそう。夜は子ども達が寝た後に帰ってきて、朝はごはんも食べずに出掛けていく。子どもとの接点は朝の10分くらいで、学校行事に参加したこともないというくらいだそうです。そんな状態だったので、今は別居していますが、結局は彼女と子ども達にとって今までと生活自体は変わらず、却って気を遣わなくてもいいし、余計な期待をしたりイライラしたりすることもなくなって精神的には楽になったと彼女は言います。 離婚をした後は、ご主人は養育費は出す。(今、家庭に入れているお金の半分くらい)月に2回子どもと会いたい、というのが大きな条件のよう。(細かいことはいろいろとあるでしょうが。)でも、結局、子どもと会う回数は今までと同じ、自分で使うことの出来るお金は増える、しかも彼は実家で寝泊まりしているので(今後もそうするらしく)洗濯やお風呂の用意などは彼の母親にお任せなので楽。(食事はいつも外食や社員食堂で取っているようです) それに対して、彼女は専業主婦だったので、今から職を探さなくてはならない。3人の男の子を一人で育てていくのは精神的にも肉体的にも大変。そして、30代半ばから正社員として職を見つけるのは楽ではない。ここら辺の地域はそれほど街でもないので、求人の人数や職種自体も限られてくる。小さい子どもがいる以上、残業もできないし、土・日の出勤も難しい。私の目には現実問題として、ご主人は生活が楽になり、彼女は大変になる、そんなように目に映ります。 それでも、半年前の彼女は状況を話しては泣き・・というのを繰り返していたけれど、今では割り切ってすっかりと強くなっている。彼女は人に話ながらしっかりと自分を見つめ、自分の至らなかったところや相手の心を受け入れ、前に進もうとしているところは本当に凄いなと思う。夫婦の間のことなので、それほど詳しくは分からないけれど、いろいろと努力を重ねながらもそれでも埋まらなかった溝というのは大きかったことは伝わってくる。だからこそ、そこから、いろいろな大変なことを覚悟の上で一歩踏み出して、一つ一つ問題をクリアしようとしている姿には感服します。本当に、今までもこれからも辛いことも大変なこともあるだろうけれど、彼女ならきっと大丈夫。横で見ていて何もできないけれど、彼女の幸せを心から祈っています。
2006年11月07日
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今年は暖かいためか、庭に植えてある、ミニトマト、ピーマン、茄子はまだまだ花盛り。次に次に実もなっています。毎年、9月の終わり頃には花も付かなくなっていて抜いてしまうのに、これだけ楽しめるとは嬉しいことです。 3連休の締めくくりに、招待券をいただいたこともあり、南知多ビーチランドへ行ってきました。ここは、水族館と遊園地が合体したような所。リニューアルして、新たに“おもちゃ王国”というゾーンができていて、イベントや“シルバニアファミリー館”“トミカ・プラレールランド”などいくつかのパビリオンがあります。パビリオンの中にはそれぞれのおもちゃがずらりと並び、好きなように遊ぶことができました。 娘は“リカちゃん、ジェニーハウス”でリカちゃん人形を、息子は“ブロックワールド”でさまざまなのブロックでしばらく遊んでいました。 “アクションゲームワールド”ではオセロやモグラたたき、黒ひげ危機一髪のような親子で楽しめるようなゲームがたくさんありました。こういうゲームをしながら思ったのは、相手の様子を見ながら、人が楽しむ様子を見て自分も楽しさを感じ取ることが出来るということ。人とのコミニュケーションの取り方を以前はゲームなども通して学んでいたのだよなあということ。一人で遊ぶテレビゲーム類のようなものは、相手と向き合ってするものではありません。楽しさを共有することも少ないはず。“人とコミニュケー書の取り方が上手でない最近の子ども達”の原因の一つ、そしてゲームの弊害というもの一つはここにもあるのだと感じました。 たくさんの子どもや、お父さん、お母さん達が一緒にゲームをしながらとてもいい顔をしていていたのがとても印象的でした。 水族館の方では2種類のイルカショー(セイウチショーもありました)を見てきましたが、一つはイルカのジャンプなどの芸を見せてくれるもの。我が家はそういうショーが大好きなのでよく水族館のような所に足を運びますが、 ダイナミックなジャンプやイルカの賢さ、可愛らしさにはどんな場所で何回見ても目を奪われます。 もう一つはイルカの生態などを解説してくれるショー。その中で“イルカは元々4つの足で陸を歩行する動物だった。その後ろ足は今は退化してしまっているが、中に実はあるのです”とイルカの尾びれ近くの部分を指さしてお姉さんが教えてくれた場面があり、「へえ~」と驚いていたのですが、今朝の新聞を見てびっくり。なんと和歌山県沖で、世界初の後ろ足(足ヒレ)のあるバンドウイルカが発見されたという記事が。余りのタイムリーな話題に、我が家でも朝から大騒ぎでした。陸上でも生活していた昔のイルカの姿、見てみたいものです。
2006年11月05日
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美術館。子ども達にとっては少し退屈かなとも思いましたが、絵画よりはきらびやかな装飾のあるものの方が楽しいかなと思い、名古屋で開催してるペルシャ文明展を見に行くことにしました。 子供用に作品を見て答えるクイズラリーのようなものが用意してあったので、子ども達はクイズに答えようと楽しんで見ていました。こういう企画はありがたいです。 およそ7000年前にさかのぼるペルシャ文明。遙かなる時を超えている、その時に作られた物が今も残っているというだけで不思議な思いと感慨を覚えます。 まず、初めに見たのは土器の数々。日本の縄文式土器や弥生式土器のように機能性を追求し、文様も真面目にコツコツと創り上げていたのとは異なり、ペルシャ文明のものは動物の形を取っ手につけたり、熊や魚の形、こぶ牛のこぶの部分を強調した形、動物の鼻や口の穴の部分から水が注げるようになっていたりとユーモラスを感じるようなものが多々ありました。古代人が「こんなのが出来たぞ~」なんて楽しみながら作ったのではないかな、使いながら生活を楽しんでいたのではないかななどと思えるようでした。 次に見たのはコインや印章。コインの形は時が経って削れたりしたためか、完璧な丸形ではありませんでしたが、中に描かれている絵の細かさは、きっと一枚、一枚裏表と職人さんが描いていたのだと思うと感動も湧き上がってきます。印章に至っては更に細かく線が精巧で溜息が出てきます。息子はこのコインが一番気に入ったようでまじまじと見入っていました。 最後に黄金のリュトン(角杯)や剣、杯。細やかで美しい模様で装飾された金色に煌めく金製品には目を奪われます。娘はその美しさにうっとりとしていました。 その他にもガラス製品(この時代からガラスが作られたとは知りませんでした)、青銅器、ラピスラズリなどで作られた首飾りなどさまざまなものが展示されていて久々の美術館を楽しみました。 この展覧会を見ていたら、久しぶりに漫画『王家の紋章』が読みたくなりました。学生時代に友人から借りて読みましたが、もう10年以上読んでいないなあ。まだ連載していると思いますが話はどう進んだのだろう。また読んでみるかなあ。
2006年11月04日
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連日のように教育の関わることがニュースに上がっています。尊い命を自ら絶たなくてはならなかった子ども達。その奥に、そしてこの社会にどのような原因が潜んでいるのか、どこをどうしていけばよいのか、考えれば考えるほど複雑な出口のない闇のように思えてきます。 今、マザー・テレサの本を読んでいるところですが、読みながら本当に思います。みんなが彼女のように愛を与えることを喜びと変えていくことができれば、そんな複雑で暗い社会ではなくなるのに。いじめのように人を攻撃するような社会ではなくなるのに。 主人と、ニュースなどを見ながら話していて「それは理想論だ」「それはきれいごとであって実際はそうではない」と言われたことがあります。それはそう。主人の言う通り。きれい事だというのは分かっているし、現実はそうではない。でも、理想がなくては進歩もないし、批判や文句、愚痴ばかりを言っていても始まらない。主人に言う言葉は自分はどう考えていきたいのか、自分は物事に対してそう考えていきたいのかなど自分自身に投げかけている言葉。 理想の世界は見えていても現実を理想に変えていくまでの過程は困難。だけど少しでも自分ができることを考えていく、そして実行していくのが大切なのではないかと思います。 一昨日の新聞の一面に政府が教育ホットライン(首相官邸ホームページ)を設けたという広告があったのを見つけ、早速、制度として望むことを考え、意見を送ってみました。 マスコミなどはとにかくいろいろなことを批判していますが、批判するだけして、その後月日が経てば忘れてしまう、同じ事の繰り返しでは何も変わりません。いろいろな立場の人(いじめであればいじめられた子、いじめる子、それぞれの保護者、教師、学校)それぞれのもつ辛さに共感しようと努め、その上でを自分はこれから何をしていけばよいか、何が出来るかを考えていきたいと私は思います。まずは、家庭から。安らげる家庭。家族を見るとほっとできる、そして例え、辛いことがあってもまた頑張ろうと思える家庭。人を貶めることでを楽しむのでなく、人に与えることを喜びと出来るような家庭。そんな家庭を常に理想としていきたいと思います。
2006年11月02日
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