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光が丘への散歩先週と今週の日曜日続けて近くの巨大住宅団地 光が丘 に散歩に行った。ここは戦前の成増飛行場、戦後のグラントハイツ(大規模なことからよくグランドハイツと言われるが、Grant将軍の名をとった米軍宿舎)で20年位前から光ヶ丘団地という巨大な住宅地となっている。人工的では有るが森と芝生広場があるの私は時々ここに散歩に行く。先週は紅葉の具合を見に行った次第ここは主として欅とイチョウの黄葉であるが大通りの色づきはいまいち旧東京都庁のイチョウを移植した並木の黄葉は毎年見事であるが今年はまだ色づき初めといったところ、一週間後も余り大きな変化はなかった 人口密集地だけに週末の人出は半端じゃない先週はフリーマーケットが何百軒も出ていた欅の落ち葉に埋もれた商品を前に値段交渉したり一家で数点しかない商品を商ったりしていた。大声で客引きをしている坊やもいた。さすがに1円の商品は無かったが10円のものはかなり充実していた。次の週は同じ場所は農業祭りに化していた。信州のある村総出の市で写真の山車は全て野菜盛りである。裏手の芝生広場に回ってみると、いつもの風景が見られる。学生時代思いっきり遊んだ楽器、アパート暮らしではトランペットや太鼓は無理なのだろう。週末の芝生広場は格好の練習場 重役さんかと思われる人のフルート 若いお父さんのトランペットは ?? 次は若いママさんのクラリネットとトランペット、この直後子供が風船を転がし、突如演奏中止、トランペットを抱えてママさんは追っかけていった。確かに若いままさんが自宅でいきなりトランペットを鳴らしたら近所は驚くかも。でも娘時代のあの開放感は忘れられないのだろうと推測した 週末は変わった楽器もよく見かける。”にこ”を奏でる中国系の人をよく見かけ、この日も一組いた。下の写真はビリンバラと言うブラジルの楽器で棒を曲げて針金を引きひょうたんを共鳴具にしたものを竹篭を付けた棒でこする。結構いい音がするが練習が大変と見た。同好会があるみたいだ。この楽器は有名なブラジルの格闘舞踊カポエラに付き物だそうだ広い芝生広場全体に響き渡る太鼓の音がしている音を頼りに探してゆくと下の二人に出会った。たしか”ンゴマ”と言っていた気がするがアフリカの太鼓だ。一部をつばで湿らせたりして指先、手のひら、手全体で鼓面を打ったり縁に手をかけて打ったりしながら音階を変えた演奏をし広場全体が踊りだしそうなリズムを流していた。私も打たせてもらったがいろいろ音階が楽しめるのには驚いた。ともあれ大都会の秋の公園はいろいろな人の憩いの場である。
2007.11.23
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秋の河口湖河口湖は近場から富士を眺めるには良い地点であるがその喧騒を畏れて外国人を案内する時以外は余り近づかないでいた自由の身となり週日ならと思い立って訪れてみた。新宿からの高速バスを使えば1時間40分の快適な旅だ午前中の河口湖畔からは視界全体が正面に陽を浴びた富士の山だススキも良く似合う 周遊バスパスを使って久保田一竹美術館へ、ここは辻が花染めを復元した一竹の作品展示館だがギリシャ・エジプト風にも見え、ローマ風にも見え、古代中国風にも見え、また現代のガウディー風にも見える奇妙な建造物と庭園を持つ施設であるが、それが極めて日本的な真っ赤に紅葉した楓の森に在る。 能も上演される野外舞台 一竹美術館周辺の紅葉ここから小さいながら真っ赤に色づき俗っぽい「紅葉祭り」の紅葉回廊を過ぎて秋色の湖畔遊歩道を進む。右側は富士を望む河口湖畔、左には散りかけた秋色の山々この遊歩道に沿って富士美術館、オルゴール館、古賀政雄記念館などが連なり魅力的な地域である。 秋色の遊歩道-1 秋色の遊歩道ー2午後の日差しは富士の駿河側を照らし、甲斐の側は陰影を帯びている。 季節は移り公園の芝生広場も斜めにすかしてみると確実に色ずき落葉した樺の木と草紅葉、午後のやわらかい陽の光が季節の訪れを知らせてくれる。この写真を見ると、わが人生もこのあたりかななどとやけに感傷的になる。 芝生を横切り帰路につくためバス停に出る。この路も紅葉街道と名付けられ葉を落とし冬姿になる直前の 華やかさを演出していた。 今日も素晴らしい一日を有難う
2007.11.17
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日光御用邸と輪王寺の庭前稿で記したように御用邸へと向かった我々はついに絶頂期を迎えた紅葉を捉えた。正確に再現された邸内からの眺めはもう筆舌に表し難いものがある。畳張りの廊下を進めばこれはもう雄大な周り灯篭である。 廊下からの庭の景色―1 廊下からの庭の景色-2 廊下からの庭の景色-3部屋の小窓からの景色も決して遜色ないどころか建物自体が額縁である そして女官たちの部屋からの格子越しの明暗の図柄が素晴らしい中央の太い木は大きなしだれ桜である、春は春の風情をかもすのだろう。 大正天皇はよく知られているように健康恵まれなかったためこの日光で静養する日々が長く、三種の神器も携えてきてこの襖の奥の間に据え置いていたとのことである。 庭に下りてみると小砂利を敷いた小道には紅色の落ち葉が美しい 屋内からは目立たなかったが庭に降りてみるとまだまだ出番待ちの木々が満を侍していた この日は帰京することになっていたので、電車までの時間輪王寺のお庭「逍遥園」を訪れることにした。御用邸のようなスケールは無いが紅葉の華やかさと池をしつらえた日本庭園で、華麗さだけではな我々の心に響くものを有している。ただここは多くの外人客を含め人でごったがえしているしかし私たち年寄りのぶらり旅には時間と言う特典がある。時間をかけて腰をかけているとふしぎに人の流れには波があり騒がしい時間帯と静かな時間帯が繰り返されている。お気に入りの定点に座し、時々シャッターを切ったのが下の写真である。結構空いているように見えるのが不思議である。
2007.11.16
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霧降の滝と日光植物園早朝の露天温泉と朝食を済ませ、好天に気分もよく霧降の滝へ向かった もう終わっているかと心配したがまだまだ十分楽しめた下の1葉は滝の上部である。この美しさとダイナミックな様子を表現する文才がない歯がゆい限りである。。 余りの好天にもしやと思い中禅寺湖までいろは坂を登ってみたがさすがにここの紅葉は過ぎていた下の華厳の滝も枯葉の中にあったが水量は多く迫力満点であった。 湖畔のホテルで昼食を取り、まだ少しは名残りを見せる第2いろは坂をと通って街に下りた。翌日またもや予想外の好天に恵まれ日光植物園に行ってみた。3日程前首都圏のNHKニュースでいろんな種類の楓が見られると報道されていたので期待していたがここも峠は過ぎていたそれでも名札の下がった各種の楓の残り紅葉を確認することができた。 もみじ、けやき、ならのき等の枯葉敷く小道をさくさくと踏み鳴らしたり、苔むした小さな谷地をゆっくり歩くのは秋のぶらり旅の醍醐味である。 ふと気が付くと植物園境界の塀があり(下図)その木の間から真っ赤な楓が目に飛び込んできた。 案内図を見ると塀の向こうは大正天皇が滞在した御用邸である。ここの邸内から見るもみじは今が最盛期と見た。 現在栃木県が巨費を投じて復元し公開している。早速表に回り隣接する御用邸へと向かった。
2007.11.15
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日光市内の紅葉見物旅古来の日本語では紅葉狩と呼ぶがそろそろマスコミもこの言葉を死語にすべきだろう枝を手折って帰るというイメージが強すぎる。さて、関東地方にも紅葉前線は到来日光も”戦場ヶ原”や”いろは坂”から市内へと下ったと判断してもう30年近くも加盟している会員制ホテルの空き室を前日予約した。40年以上の車の運転暦を最近終わらせたので新宿JR/東武日光を乗り換え無しで結ぶ電車を予約した。市街のはずれにある日光のシンボル真っ赤な神橋へと向かった。外国人を含む観光客は多かったが紅葉はいまいちであった。 隣接する明治・大正・昭和と多くの外国人やビップに愛顧された名物ホテル日光金谷で紅葉を望む窓際のテーブルでランチを頂いた。そして多くの歴史上の人物の来訪記録や写真を見た後庭に回ってみると狭いながらもさすがに見事な雰囲気をかもしていた。 金谷ホテル本館と庭園 ホテル庭園次に向かったのは大猷院、ここは3代将軍徳川家光の廟であり墓所もある。実を言うと日光にはもう十数回も来ていると思うがいつも戦場ヶ原から奥日光へと向かい、家康を祀る東照宮には50年以上前の修学旅行を加えてもまだ2回しか行っておらずさらにこの大猷院(だいゆういん)と二荒山神社にはまだお参りしたことが無い。そこで今回は隣接するこの2社に詣でたわけである。 大猷院山門前の紅葉この山門は家康を祀る東照宮の陽明門の華やかさに比べてかなり遠慮したものだそうだが、それでもまだけばけばしさは否めない。 クラブホテルも大分古くなったがよく手入れがしてあり、ここは会員暦によって割引率が変わり、我々はビジネスホテルよりも安い値段でフルコースの夕食が有難い。 ホテルエントランス・楓と青空 隣接するゴルフ場のクラブハウス 夏季のみ使用のコテージ山の朝は遅く、朝風呂の前に部屋から朝焼けを見ることが出来たきょうも天気はよさそうだふと目をやると昨夜は気が付かなかったが窓辺の欅も良い色をしているそして隣の窓辺の楓も良い色だ。厚いガラス窓を通しての紅葉もやわらかい感じがして好感が持てる。この期間ホテルは近場の紅葉名所”霧降の滝”まで無料のシャトルバスを出してくれるので午前中はそこ行くことに決めた。
2007.11.11
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会津への旅先週、会津箕輪高原ホテルで一泊するバス旅行なるものに始めて参加してみた。トイレが付き、ゆったりシートが 売り物のドア・ツウ・ドアのバス旅行は確かに老人にはラクチンだが、参加者の年齢構成が確実に高く、なんだか自分がえらく年寄りに思えてしまった。裏磐梯高原の五色沼、磐梯山を映すエメラルドグリーンの湖面は精神を安定させるには良いがここも人の多さにあきれるばかり。それでも湖畔には何本かの楓が美しく色づいていた。 続いて訪れた会津武家屋敷戊辰戦争で自害した家老屋敷だがそれなりに復元されていて楽しめた。 ここでは見事な菊の展示が多かったが、私の興味を引いたのは次図の菊の盆栽、枯れ枝の幹に菊の幹を潜らせ節々から花枝を出して松ノ木に擬し、見事な造形であった。 石垣や竹塀の下には紅葉した桜の落ち葉が積まれそれ自体が庭の景観をなしていた。 帰り道バスは”塔のへつり”という水の流れと隆起石灰岩の作った岩肌にへばり付いた紅葉樹の名所を訪ねた。写真の白くへこんだ散歩道は今はもう崩落の危険で閉鎖されてい。人人人ーーわが国の典型的観光地の様相を呈していた
2007.11.11
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旧古河庭園10月半ばのある日、秋バラが咲いているということで東京駒込にある旧古河庭園に出かけてみた。私が購入しているシルバーパスを使えば都バス・都営地下鉄を使って我が家から交通費は只で行けるところ。 古河財閥が使用していたもので、英国人建築家 J.コンドル設計の石の家だ。コンドルは他に日本で鹿鳴館、駿河台のニコライ堂を設計。庭は小川治兵衛の作。傾斜地を利用して邸宅裏に上段はバラ園、下段はかなり大きな日本庭園となっている。みやこさんのブログでイギリスの石の家を良くて見ているので比較の意味もあった。バラは確かに咲いていたが春バラに比べて秋バラはやはり華やかさに欠けブログで取り上げるほどのものでもない。ただ50年前、今の天皇と正田美智子さんとの結婚に捧げられた新種"Princess Michiko"が咲いていたので載せておく。邸はどちらかと言えば質素な石造りである。しかし破風屋根を備えたシックな佇まいである。 下図の石段の上がバラ園となっている。そして石段の下の傾斜地にはかなり広い日本庭園が広がっている。サイドのバラ園に面したところには木梯子にかけ流す水のミニアチュアカスケードそしてそこに入り込んだサンルームさすがに一流の建築デザイナーの作だけあって洗練はされている。しかし何か足りない。そう石材建築の持つ重厚さに欠ける。前にウエールスで泊まった時の安いゲストハウスの窓辺50センチ近くもあったあの壁の厚みが無い。でも考えてみれば東京であんな建て方をすれば地震時大災害だろう。やはりこれは本当のマンションと言っても過言ではなさそうだ。さらに下段の日本庭園に下がると石灯篭を配した池。心落ち着かせる配置である(人がもう少し少なければ --- 都心でシルバー料金70円では仕方が無。自分が来なければその分静かになるのかなと、少し自虐的になる)岩にうたた寝の鴨や亀もこの喧騒をなんとみるか。かすかに色ずいた木の枝が水面を少しだけ赤く染めていた。
2007.11.06
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ハート型毛模様大分前になるが朝日新聞紙上で報道されたハート型毛模様を持ったハート君について書いたことがある。そのときの写真が次のものだ。 驚いたことにまた同じ朝日新聞にトレジャースマイルと言う名の2歳牝馬が今月水沢競馬場でデビューするとの記事があった。そのスマイルちゃんの写真が載っていた。彼女がバレンタインデイにでも勝てばセンセーショナルでしょう。 そして前のブログに書いた北鎌倉の寺への往路電車の中でおじいちゃん・おばあちゃん、両親、お姉ちゃんと一緒に乗り込んで私のまん前に腰掛けたのが下の坊や。見事なハート君。電車ががらがらになったので写真を撮らせてもらった。聞けばパパがバリカンで作ったとのこと、見事見事!! 露出設定が悪くはっきりしないが後ろにもう一つのハート模様 おばあちゃんに抱かれて移り行く車窓を楽しんでいた。それにしても整髪中坊やも動かないでよく辛抱したものだ
2007.11.04
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式典ーその110月の第2・第3日曜日、私が関係した二つの法人の式典に出席した。最初のは次のような人が挨拶をした。但し上の二人は式典前にビデオによるメッセージであるが、思い出を語っていた。本式典中で三人目の方は世界の現況と我々の果たすべき責務を説いていた、そして「自分は大器ではないが晩成ではあるようだ」と述べ場内に笑いを誘っていた。次の二人は将来の世界分析とその対策を説いていた。そして最後の人は次の100年余りのビジョンと決意を表明していた。 下の2枚の写真は式典登壇者の装いが現代の日本とはかなり世離れしたものだからである。 登壇者の入場行進(1) 登壇者の入場行進(2) この式典を取り上げたのは世離れした儀礼衣装ゆえである。昔から人は威厳を表すために大き目の衣装であるガウンを着てそれを飾り立てたり、帽子や鬘をかぶったりする。登壇者のガウンを飾るケープの色は称号の種類をあらわしている。威厳を必要とする職業は聖職者・裁判官・学者・医者が挙げられる。江戸時代の僧侶と医者(学者)は黒い法衣のような着物で坊主頭が定まりである。私が出席した二つの式典もそれらの領域に関係するものだ。式典前には大抵音楽が奏されるのもかなり共通している。上の式典でもこの日のために作曲された交響楽の大きな作品がフル構成のオーケストラによって演奏された。ばかばかしいとは思うものの本来式典とはそういうものであり、式が進行するにしたがって気分も高揚するのを自覚した。 式典ーその2私の故郷は四国である。そしてもう黄泉の世界へ旅立つのもそんなに先の話ではない。いや明日かもしれない。そろそろ来世の住所を決めておかねばと思い立った。いろいろ検討したが妻の希望で墓石からの見晴らしが良くて富士山が眺められる場所で住職さんと気が合う場所を探し、北鎌倉の寺に墓所を求めた。ここは駅前にあり南面の傾斜地で富士山がよく眺められる好位置だ。今回の式典は我々の塔頭(たっちゅう)の開祖である東明慧日と言う僧侶の中国からの渡日700年記念法要である。 国の重要文化財東明慧日の木彫像新米の檀家としては自分と菩提寺との縁を深める意味でも出席した。前日の台風一過、鎌倉へのJR車中からも雪の富士がはっきりと見えた。下の写真は寺の門前からのものであるが久しぶりの麗姿である。式はやはり式典序曲から始まった。とはいってもこちらは御詠歌の合唱である。 御詠歌合唱団そして下の二人は塔頭住職と跡継ぎの住職候補 この寺の大僧正と、ここに所属する10人の各塔頭住職による読経が奉納され、大僧正の説話で幕を閉じたが、この式典全体の進行に当たるのが朗々と響く美声の若手僧で経読みの節回しで行われた。(ある人はこれをリードボーカルと呼んでいた)したがって全体を見ると例えは適当でないかもしれないが、言葉が聞き取れない点も含めてオペラのようであった。僧たちの法衣や様式がその起源を全く異にしながら極めて類似していることに驚いた次第である。 式後塔頭裏の自分の墓石を拝みに行ったそこで自分の墓石の高さから撮った写真が下のものだ。 ちなみに、ここには示さないが我々の墓は台石に石の球を載せそれに知人の僧親子が重ね書きした「和」の字を彫ったものである。球には角が無く何人とも何者とも和せる、平和の和・調和の和・和気あいあいの和を願ってのことである。帰路坂道を下る妻の後姿は自分の将来の住処に満足げであった。 我が家に帰ってみると残照にまだ富士の姿がくっきりこの姿は我が家のある8回の廊下を4軒ばかり行った所からのもの。左側のマンションが無ければ我が家の居間やルーフバルコニーからこの姿を望むことが出来た。それが数年前に生えたマンションですっぽりと隠れてしまった。ちなみに我が家から数十メートルの隣地は富士見台と言う町名である。式典とは関係ない記載が多いが、式典に出席したお陰で遭遇した美しい景色に触れてみたくなった。
2007.11.03
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