全11件 (11件中 1-11件目)
1

韓国の食事 今回のソウルでの二日間の食事は全食韓国の伝統的料理を準備してくれた。初日の昼食は昌徳宮殿の隣にある竜水山という凝った韓国料理レストラン。水キムチという皿がおいしかった。高級店らしくサーブの仕方が日本の懐石料理みたいに小さな皿に小分けして一品ずつサーブされる。しかしこのやり方は伝統的方式ではなく、フランス料理や懐石料理にヒントを得た新韓国式と見た。 それを示唆するものとして、スープなどは写真のようにして運ばれテーブルで銘々皿に注いでくれた。メッキとは言え金の竜が持ってきたスープは美味であった。韓国では料理の器はすべて白である。模様の入った食器はついぞ見かけなかった。 写真にはないが、 昼間辛いものを食べ過ぎたため胃が少々疲れていたので、夜は古い形式の土俗村という伝統的レストランで胃にやさしい参鶏湯を頂いた。これは内臓を取った鶏肉の中に各種の薬草や木の実もち米、豆、朝鮮人参などを詰め込んだスープのようなもので味美し、香りよし、人参一本かぶりつきは贅沢。 二日目の昼食はNolboo名家というレストランシアターに行った。最初は床に座布団の部屋に通され、オードブルは茹でたとうもろこしが3センチくらいの輪切りになったものがうやうやしく仏壇の供物台のようなものに乗せて運ばれた。最初かぶりつこうとしたが、これは料理が来るまでの時間稼ぎなのでゆっくり指で一粒一粒取って食べるものらしい。そして料理はいっぺんに大きなテーブルに乗せて二人掛りでテーブルごと運ばれてくる。一皿一品で客は好きなものを取り合って食べる。白い取り皿が3つあるのは3人分の料理であることを示す。このように盛り合わせを取り合うというのが韓国式、友情と親愛を示すにはこの様式が良いそうである。これだと辛いものは控えられる。写真にメイン(麺かご飯もの)とデザートがつく。目の前では宮廷舞踊が披露されている。 夜は三元ガーデンという名の焼肉レストラン、ここはすばらしい庭園の中にあり、ガラス張りの各部屋のどこからでも庭園の滝が眺められる。私たちは滝の目の前に陣取り高級肉を頂いた。ここのオーナーはかって全米を制した韓国女子ゴルファー一族の経営だとかロビーにはそんな展示もあった。
2007.10.25
コメント(2)

ソウルの街角と国立中央博物館 成田からわずか2時間前後のフライト、自宅ー成田ー搭乗まで5時間、何か割り切れなくてソウル行きは延ばしてきた。今回知人の招待で訪れてみるとソウルの街は東京に比べてはるかに近代的だ。道路はどこも東京の2-3倍、建物はある程度統一が取れている。宮殿の衛兵交代行進も交通規制などしなくてもスムースにできる。下の写真もたまたま行進に出会い、車の中から撮ったもの。 青瓦台は予約していないのでここまで、塀や堀で囲んでいないのは大統領は王様ではないから当然として、国家元首も兼ねるだけあって北漢山を背に青い瓦、松並木の美しい前景色など日本の皇居+首相官邸とはまったく趣の違う佇まいである。 漢江(川)の南はオリンピックを境に開けた新しい街、広くてまっすぐな道、まったく違った印象を与える。パリで言えばデファンス地区に当たるのか、そういえば下のオリンピック記念公園の「世界平和門」もカラフルな点を除けば何やら新凱旋門にイメージが近い。 そしてソウルのどこからでもよく見える街の座標点は南山公園のテレビ塔。案内してくれた知人も30年ぶりの訪問とて人に尋ねながらの訪問だが、その知人がまた聞かれている。世界中高いところは御登りさんで満ちている。 旧市街から南下し漢江を渡る手前に近年新しく国立中央博物館が移ってきている。こんなスケールの大きな近代建築を見たことがないアーケードからはテレビ等も望見できる。 一階が韓国古代史展示、二階が古美術品展示、三階が主として個人のコレクションを中心にした内外美術品の展示である。一階を中心に見学したが、日本の奈良時代の歴史展示と錯覚する。日本の縄文・弥生・奈良時代の支配層の生活様式、美術品と変わらない。改めてあの騎馬民族渡来説の実証を見るようであった。おりしも「吉野ヶ里に見る古代朝鮮展」の企画展がちかく開かれるらしくのぼりが並んでいた。下は貴人のカメ棺、日本にもあるもの。どちらが先かは別にして日本・高句麗の交流の深さを物語っている下の仏像写真は第一級の国宝らしく特別室に納められており入場券の絵柄にもなっている。暗い静かな部屋の像正面の椅子に座し瞑想とまではいかないまでも、この美しくも神々しい像に見とれ穏やかな ”えも言われ時空” を楽しんだ。奈良薬師寺の弥勒菩薩像とのあまりの類似性に驚き、薄暗い部屋と柔らかな照明の下での神々しさにこの形での出会いが現代人にはよりアピールするのではないかと考えたりしながら愉悦の時間を過すことができた。
2007.10.24
コメント(0)

ソウルの世界遺産先週末、かって一寸だけお世話した韓国からの留学生で今は韓国政府に勤めている人がソウルに招待してくれた。今は気軽に週末にソウルに出かける若者も多いと言う距離的には九州か北海道に行く気分、飛行機代はむしろソウル便の方が安いだが私たちはまだ韓国を訪問したことが無い。金曜夜仁川空港着、ずんぶん立派な空港だ。出口まで出迎えてくれ、漢江に架かる橋や照明に見とれてホテルへ翌朝ホテルから世界遺産の昌徳宮へ送ってもらい日本語案内のツアーに参加、ここは公式ツアーでしか見学できない。下の写真は政務の中心、仁政殿1611年再建され1868年まで王宮の政務の中心であった。前庭の石碑は1位、2位---と位階順になっており儀式の際のヤンバン(高級官僚・武官)の陣取りが示してある。そして屋根には魔よけの動物塑像この宮殿のもう一つの見所は広い庭園で宮中とは思えない深い森や池、「宮廷女官チャングム」の舞台だ。下の池は皇帝の憩いの場で魚釣りの楼閣などもあり、ドラマではこの池の周りでチャングムは皇帝に出会い見初められた場と言う説明があった。翌日はもう一つの世帯遺産である歴代皇帝を祭った宗廟へここも日本語の公式ガイドツアーが有ると言うことだったがキャンセルされておりマレーシア、タイ、シンがポールからの学生達3人と我々夫婦の5人で英語のツアーをしてくれた。下の写真はガイドのお嬢さんが「私は毎日案内しているが、この角度からの景色が一番好きです」と言う景色。ここに李王朝歴代皇帝の位牌が祭られている。この宗廟から道路をまたぐ橋を渡るともう一つの宮殿”昌慶宮”がある。ハングルを考案した4代皇帝世宗が立てた宮殿が建物が復元されており庭園には下のような立派な植物園などもあるが比較的新しい建物なので歴史的意義は少なく広い庭園は素晴らしい公園になっている。 そして外へ出てみるとそこは市民広場になってお入り、この日は日曜日、各ベンチでは囲碁が行われていた。市民が碁盤を持って集まり相手を探すみたいだ。下のように盤と石を広げて「誰かやろうよ」 とてぐすねひいて待っている人もいる。こう言う公園ゲーム、西洋ではチェス、我が家の近くの公園では将棋が多いがソウルでは皆囲碁であった。
2007.10.20
コメント(0)

愛車の廃車10月17日長らく続けてきた車の運転生活に別れを告げた。下の写真は最後の愛車となったカローラIIである。9年前の10月久しぶりに公園に行こうと思ってVW Golf のキーを回したが音がしない。以前から兆候はあったので買い換えるしかないと考え公園行きをやめてその足で我が家から一番近いトヨタのディーラー店へVW Golf に一番近い大きさや形の車をくださいと言ったそしたらカローラIIという車高の低い車があります今は車高の高い車全盛ですので店頭にはありませんが取り寄せましょう。2週間後に来たのが下の車である車高が低く、2ドアで当時すでに流行遅れの新車これが気に入り以来9年間使った。とはいっても9年間で走行距離は13300Kmこのうち10000Kmくらいは2週間に一度バッテリーチャージのために転がす”車のお散歩”、車が路を覚えているだろう。駐車場代¥月17000、保険・税金・車検・維持費大変な額であるが年一度どうしても車で行かなければならない所があり今までずっと維持してきた。この間たまの長時間運転は疲れるので旅行も新幹線プラス・レンタカーあるいは国内外の空港・レンタカーの形となった。要するに自家用車は不慮の病院通いとたまに近くの公園に出かけること、レンタカーを運転する技術を維持するためだけに保持して来たのである。古希を越えた頃から事故を起してからでは遅いのでやめようと考えた。まだほとんど傷んでいない、タイヤもバッテリーもエヤコンも変えて今まで一度も一発でエンジンがかからなかったことは無い。それでも売れない、廃車するしかないと言う。もう何十年もお世話になっている業者が処分してくれた。可哀想でならなかった。開高健のように(古い!)指にウイスキーをつけて屋根にたらし最後のお別れをしてから手渡した。私もアメリカ・カナダ・東京と40年以上の運転暦に終止符を打ったのである。もう運転免許を書き換えることも無いのだろうか。そしたら免許証の代わりにパスポートを持ち歩くのだろうか。以前住所が不定のパスポートより運転免許が信頼できると言われて憤慨した覚えがあるが、時代も変わり国内でもパスポートがより有効な証明書になって欲しいものだ。
2007.10.19
コメント(2)

Duomoの屋上散歩 今回マルタ・アオスタ旅行のハブ地としたのはミラノ中間の骨休みと帰国準備の地だが、やはり老骨には大きな休息地中央駅近くのSheratonが土日ウィークエンド料金で平日の約45%で泊まれることを発見、土日はここに滞在しウィークデイはもう少し安いホテルに移動した。帰国前日中央駅から地下鉄でDuomoに出て十数年前と同じバールで夕日に輝くDuomoを眺めることにした。いつ見ても中央駅の外観は素晴らしい、まるで宮殿のようだ内部の混沌と雑踏と不潔さは想像できないDuomo広場はいつもの賑わい、Emanuele galleria も堂々たる存在感を示すが我々には単なる広場の彩、歩を進めることは無い90度目を転じると無数の尖塔を備えたドウモウ修復費を出したのかもしれないが企業の看板が邪魔そこで看板をカット、やはりこの方が良い各尖塔の上には聖人像が立っているこの屋根の天っぺんに上ることにする教会の裏側に回り屋上へのエレベータに乗ったエレベータを降りて何歩か歩を進めると胸を突くゴシックの飾り列柱聖人たらんとすればまづ修行して高度恐怖症を克服しなければならないようだ風で大きく揺れ動く天っぺんに立ち尽くすのは容易な業ではないまるでサーカスを見ているようだマリア様も相当な芸達者らしいそして屋上散歩、大理石で葺かれた屋根、頂上は一人しか歩けない、傾斜した屋根を散歩することになる屋上からはイタリアでもっとも豊かなミラノの町の全景が眺められる上から 広場を眺めるとV Emanuele像を中心として不規則な人の流れ、群れては散る鳩の軍団地上に降りて広場が夕日にかげり、ドウモウだけが夕日に映える広場のカフェに陣取る。十数年前も同じ場所の同じ位置で暮れ行く夕景色を眺めたものだ寸分違っていないただ前回は不粋な看板が無かったこの時間になると下のシルエットに見られるように勤め帰りのサラリーマンが連れ立ってビールとスナックを楽しんでいる日本で言えば古くは赤暖簾、近年は飲み屋チェーンだろうかしかし夕日で明るい広場、荘厳な教会やっぱり一寸違うかな我々もこの夕景色を楽しむためチーズケーキとカプチーノで一服ケーキは一つしか頼まないのにフォークやクリームなどちゃんと二人分持って来てくれた。クロスも掛かっているチップをはずまなくちゃと言う気にさせてくれるそしてカプチーノ、なかなかしゃれた演出である混ぜるのがもったいない気がした確かに他のカフェ(バール)に比べて割高ではあるがこのロケーション、この演出、路上での心地よい夕風コストパフォーマンスは上々である
2007.10.11
コメント(2)

Punta Helbronner(つづき) そうこうしている内に外が少し明るくなり、見事な草紅葉の始まりがよく見えるようになった。ロープウエイも再開される時間になったので上まで行ってみることにしたゴンドラの下は今朝の新雪で真っ白イタリア側の最高点(3462m)Punta Helbronnetrに着いてみると従業員は重装備で全員雪かきをしている。バーの叔父さんも暖かいお茶を入れると我々をほったらかしにして雪かき外は立っていられない位風が強い。とその時突風にあおられて雲が流れた。白山(Mont Blanc)の手前の岩峰が見えた風よ頑張れ ! 雲を吹き飛ばせ !と次の瞬間、見えた見えた、分かるだろうか 下の2枚の写真で矢印がモンブランの頂上である写真では分かりにくいが、風林火山ではないが「雲は流れる山(モンブラン)は動かない」我々ははっきりとモンブランを捉えた。少し右に目をやると目前に大きな岩があり、そこから吊るしたロープが見えるこのロープがフランスへ伸びたロープウエイ雲の下は大氷河だが勿論この日は運行しているはずも無い。そう言えばさっきロープウエイを降りたとき出口が二つあった従業員はこちらのドアはフランス側へ、こちらはイタリア側展望台へと案内してくれた勿論無人の国境、一応パスポートは持ってきたが誰にも見せようも無いフランス側のドアは強風で開かなかった。国境閉鎖だ。 結局この日往復で6回ロープウエイに乗ったが客は常に我々二人だけ、対向車にも客は見当たらなかった。モンブランへのロープウエイを一日借り切ったようなものだ。観光客が居ないわけではない。ヨーロッパの人々は山も見えないのに高いお金を払うようなことはしないようだ。結局この日の客はは我々が昇る前に下山した数人の日本人団体と植物園を垣間見て降りていっただけ3人の親子連れ、そして11時から4時近くまでロープウエイとモンブランを独占した我々夫婦のみであった。さらにこの日モンブランを見たのは我々だけ、モンブランも休憩中のところ我々の根気に負けて一寸だけ挨拶をしてくれたメルシボーク、グラッチェタント、そして有難う白山
2007.10.10
コメント(0)

Punta Helbronner 今夏のヨーロッパ旅行後半の計画はアオスタ渓谷中でもイタリアからフランスへのロープウエイによる国境越えアオスタから下図左下隅のCourmayeur(1224m)まで1時間のバス旅そこからロープウエイの始発点LaPalud(1370m)まではまたバス。最初のロープウエイでPavillon du Monte Frey(2173m、左の↓)へ、乗り換えてRefuge Torino(3335m、トリノ非難小屋)へ、さらに小さなゴンドラに乗り換えてPunta Helbronner(3462m)、運がよければそこから4人乗りゴンドラに乗り換えてフランス領へ入りAiguille de Midi(3842m)へ、さらに乗り継いでシャモニー(1030m)に行き、そこからバスでアオスタ迄帰ってくる計画を立てた。 Kourmayeur(クールマイヨール)までのバス旅は素晴らしい景観のアオスタ渓谷、そして町はこじんまりとした別荘地、町の中心で下図の中心が観光案内所やバス会社などのある建物、土産物屋も数軒しかない静かな佇まい。山を見上げると、んんー 雲が多い、モンブランは見えない。そうは言ってもこのために高い運賃を払ってはるばる来たのだ第一ステージのロープウエイに乗ることにした。客は我々だけしかいないが出発してくれた、対向車にも客はなし。Pavillon Mt Freyに着いてみると数人の日本人団体客が下山。聞くと頂上まで行ってきたが、上は吹雪で視界ゼロとのこと2173mのこの地Pavillon Mt Freyも昼前には雨になった。ロープウエイも昼休みで2時まで運休、高山植物園を見てゆっくりレストランで昼食してモンブランは諦めることにした。草紅葉が始まっている無人の植物園は結構楽しかった常連のエーデルワイスや穂槍のような見事な花 レストランでも客はほかに無く、期待も出来ない。女主人手作りのフラワーバスケットの飾られたテーブルで客も店主も2時間半のランチタイムを過ごすことは分かっているメニュウの料理はこちらの希望でいかようにも変更してくれた。トウモロコシとチーズの団子とか各種茸の盛り合わせとかチーズを挟んだカツレツとか、とにかく土地の名物を盛り合わせにした皿を作ってもらいゆっくりゆっくり頂いた。そして締めはこの地の名物でコッパ---とか言う”仲間のカップ”を意味する容器でのコーヒーの回し飲みこの容器はこの地の木を彫った木地物で、これに熱いコーヒーを入れ、口の周りに砂糖を置き、リキュールを浮かべて目の前で火を着ける青白い炎と共に砂糖が融け図のように黒くしたたる図のようにすぐに蓋をして縁に付いた穴を一つだけ残して指で塞ぐ残った穴に口をつけて熱い甘いブランデーコーヒーをすする。寒いこの地方で冷めない厚い木地の器で暖かいコーヒーをすすりあって友情を深めるのだそうだ。
2007.10.10
コメント(0)

アオスタ 今夏の旅行はミラノをハブ地として前半がマルタ島後半をアオスタ渓谷として計画した。酷暑のマルタから帰り、ミラノで一日休養の後汽車でアオスタへアオスタへの汽車は単線のローカル線数分の停車を繰り返しつつゆっくりと山地に侵入してゆくアオスタの町は2000年前の街壁で囲まれたローマ時代の遺跡を中心とする町、下図左は市街への入り口・プレトリア門右は円形劇場の傍らに建つ修復中の初代皇帝アウグスタスの凱旋門山並みとマッチして美しい光景を描いている 見張り塔の建つ分厚い城壁にくっついて古い建物を修復したレストラン この町はイタリアでは最小の州の最大ので州都そしてこの渓谷はローマ時代からナポレオン時代へと常に南北ヨーロッパの境として軍団の通った路筋で最近までフランス領だったりイタリア領だったり言葉も地名や道路標識も両言語が混在している。下図を見ていただきたい、これは市役所であるアオスタはれっきとしたイタリア領であるが破風屋根の下にははっきりと”Hotel de Ville(市役所)”の看板、「フランス統治時代に建てたのだからいいじゃん」てな感じでいい感じこの街からさらに谷を分け入るとセントバーナード犬のふるさとサンベルナール峠を越えてスイスへまたもう一つの峠を超えるとフランスへ通じいまはモンブラントンネルを抜けて一気にシャモニーに通じている(アオスタ街中心からのアルプス) この街から自動車道でモンブラントンネルを通れば1時間でフランス・シャモニーに行ける市街を通る路線バスではトンネル入り口の町Courmayeurまで1時間渓谷に点在する町や急峻な山々の美しい風景を通るこの美しい景色は昔から変わらないはずだローマの兵士やナポレオン軍の兵士にこの景色はどう写ったのだろうか 現在のCourmayeurは高級別荘地、スキーのメッカである。そして町外れのLe Palud からはモンブランの麓と大氷河を越えてシャモニーに通じるInternational Ropeway が通じている。今回、我々もこの4人乗りロープウエイで国境を越え帰路モンブラントンネルを通るバスでの日帰り旅を計画した。
2007.10.08
コメント(0)
マルタのホテル今回のマルタ島旅行では初めて現地ツアーと言うのを採ってみた。これはマルタ空港への出迎え、ホテル手配、空港への送りからなり、勿論現地のツアー会社のオプショナルツアーが取れる仕組みである。東京の会社が全て手配してくれる。航空券は別の会社で手配した。 夕刻ミラノからのアリタリア便は予想どうり1.5時間の遅れ、でも空港には現地旅行社とベンツが待っていてくれて満足満足。 ホテルは前もってsea view twin を希望のメイルを送っておいた。返事はレセプションに伝えておくので当日聞いてくれとの好意的内容。予約時にはdouble/twinとなっており別々には予約できない仕組み。 レセプションでもそのことを伝えるとtwinを用意しましたという。ところが入室してみると、部屋は眺望の全く無いダブル。とって返して、老人にはダブルは不用、とって返して、老人にはダブルは不用、必要なのはbig sleepだと主張。100%部屋は埋まっており今晩は我慢して明朝きてくれの一点張り。なおごねていると女子職員はマネージャーを呼んだ。マネージャ曰く、Mr Carter今日は駄目だ明日朝来てくれ、と言う。そこで私のキイカードを見ると別のツアーのカーターさんの名前が記されている。単なる誤記だと言い訳をしたが相手の失点を捕らえた私は100%ブッキングでも現在100%入室では無いだろうと粘った。マネージャーは弱点を衝かれいろいろ電話し始めた。そして隣接するスイートタイプの滞在用ユニットを、ここはtwinだからと用意してくれた。ところが入室してみるとがたぴしのダブルベッド。またレセプションへ、文句マネージャ曰く、あとはただ一つ、リビングのソファをダブルベッドにしたてられるが、メイドが帰っているので時間が掛かるそれでも良いかとのこと。仕方が無いと答えるとまた携帯電話でいろいろしゃべった後、まだ帰宅していないメイドを発見した、彼女をその部屋に送るの急いで部屋に帰ってくれとのこと。部屋にとって返すと私服のおばさんがドアの前で待っていてすぐにベッドメイキングをしてくれた。以後数日間ベッドルームのダブル、リビングのダブルと広いベッドを持て余しながら、我々は震動も騒音もない一人一部屋で過ごすことが出来た。これはドイツの老人で満員のマルタ島の4つ星ホテルKNでのこと。 レセプションの「明日の朝来てくれ」は繁忙期の慰め言葉でしかない。今回の旅行ではマルタ島以外は自分でホテルを予約したので問題なし。ホテルの予約も旅行社任せでは思惑が外れることが分かった。7時を過ぎてのチェックインも避けるべきだろう。疲れ果てた70台老夫婦のマルタ初日であった。
2007.10.05
コメント(1)

マルタへの旅(3)-ゴゾ島 マルタ島でのホテルをSliema地区にしたのはValletta の街並みを眺められることと、ゴゾ島への高速フェリーがここから出ると聞いていたからである。ところが今はこのフェリーが廃止になりここから本当最北部のCirkewwaまでバスで行きそこで普通のフェリーに乗り換えることになる。おんぼろバスはガタガタと飛ばし、それでも美しい海岸線に点在するビーチに人を下ろしたりの乗せたりしながら1時間の旅、紺碧の海の反対側はサボテンのほかは緑を発見できない。灼熱の陽光、しかし時期は9月でバカンス最盛期とは言い難い。若者の去ったビーチの観光客のほとんどは日焼けしたドイツからの老人。毎年決まってここに来る人が多いらしくホテルのプールサイトでは ”また来年ね”の声。フェリーは団体旅行の時間帯で、バッジをつけた人ばかり個人客も車と同じブリッジを歩いて乗船帰路は切符売り場も何も無い。このフェリーで来たのだから勝手に乗って帰りなさいという訳だ。ーーーーーーーーゴゾ島は小さなマルタ島と小さな海峡を挟んだ小島島が近づくと団体客は船べりで声を大きくするマルタやゴゾの海岸線は石灰岩の崖が多く海水に浸食されてあちらこちらに洞窟がある。 ーーーーーー島の中心Victoria の丘に建つ大聖堂なんでこんな小さな島にこんな立派な聖堂やはり騎士団の出身名家からの寄進の賜物かあるいは騎士団のもう一つの仕事である海賊の揚がりか。そして聖堂の周りは堅固な砦によって囲まれている砦の中もこのような路地で家そのものが砦の一部だーーーーーー ついで訪れたのがカリプソの洞窟ホメロスの抒情詩でオデッセウスが打ち上げられた浜で妖精カリプソに救われ、その美貌と愛情に7年間も洞窟に閉じ込められていたと言う伝説の場所ミニ鍾乳洞みたいなものでチップを払ってロウソクを借り愛の巣を覗いてみたがただの洞穴と言ってしまっては実も蓋も無いでも洞窟の入り口から見えるSandyBeechは実に美しいやはり目を閉じてメルヘンの世界に浸るべきだろうーーーーーー 空調の無いベンツのタクシーはさら悪路をぶっ飛ばして紀元前40世紀の建立というジュガンディーヤ神殿へ。穴だらけの珊瑚石を積み上げて建てられているが祭壇だけは滑らかな上質の石が使われている。この神殿の丘に建つと島の周囲が良く見渡せる各所に丘がありそこには決まって集落があり、教会の屋根が見える。このような地での攻防戦では敵も見方も隠れることができないいわば運動会の騎馬合戦みたいなものだろう堂々と戦い粛々と勝敗を決すスポーツに似ているただそこには戦士の命と家族の運命が掛かっている生き残っても奴隷になるか奴隷使いになるかである。夏季数ヶ月雨は降らないと言う所行無常
2007.10.03
コメント(0)

マルタ島への旅(2) マルタの中心Vallettaの街のシティゲイトは下画左のように分厚い防御壁と下図右の深い堀からなる保塁で守られておりトルコ軍の大砲攻撃にも耐えられるようになっている。この保塁の上には大砲が据えられているのが良く見える。この築城法は塩見七生著ロードス島攻防記に記されているのと同じものでありベネチアから招いてロードス島要塞を築いた築城士がここでもこの要塞を設計した筈だ。 石灰岩の岩盤を切り崩して堀を作り、その石を積み上げれば防御壁が出来るのであろう。そう言えばこの街の建築物はほとんど全て石灰岩から出来ている。岩盤を掘って地下室を作り、そこから出る石で家を建てたのかもしれない。ーーーーーーーーーーーその石灰岩から出来た町を見てみよう。下図正面に見えるのが湾を挟んだSengleaの町並みであり右方鐘楼の見えるのがVallettaのLowerBarraccaGarden。この見晴らし台に立ってみると半島最先端が聖エルモ砦中央部に見えるのがヨハネ騎士団の本来の使命である病院この病院では傷ついた騎士や巡礼たちが治療を受けていた。 さらに歩を進めてUpperBarraccaGardenに立つと先ほど湾に入ったクルーズ船が下図左端(白い)に見える。たまたまここのベンチに座り合わせた老夫婦はこの船でサザンプトンから2週間の地中海クルーズに出ているとのこと。ーーーーーーーーーーーー 一日を過ごしVallettaとは湾を挟んだSliemaの宿泊地へ15分間のフェリーによるミニクルーズと相成ったがトルコ軍の攻撃に持ち堪えたエルモ要塞とVallettaのスカイラインが美しかった。 路上の八百屋で玉ねぎを見かけたが「玉」ではなくベル型の「ベルねぎ」であった。乾季のこの時期、島にはサボテンの実が多かったが八百屋で見かけたので一個100円くらいで買ってみたがとても旨いとは言えない代物でありさすがサボテン、実についた小さな棘が手に刺さり天眼鏡を使っての刺抜きには苦労した。タクシーの運転手に聞くと、かってはこの地方でもよく食したが今では誰も食べずただ朽ち落ちるだけだとのことである。ーーーーーーーーーー最後の写真はホテル屋上プールサイドバーからの眺めを最近手に入れたパノラマ作成ソフトを使って視野90度4枚の写真から作成したものである。左端下の手すりと右端下の手すりは実際は直線でありこの合成写真は雄大な光景がビン詰めになった感じで迫力に欠けることこの上も無い。
2007.10.01
コメント(2)
全11件 (11件中 1-11件目)
1