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テレビの天気予報では12月以降乾燥注意報が出たのは2日だけだそうだ。例年平均だと15日だそうで、今年の冬空はこの時期としては異常に湿っているらしい。湿気があると我が家からの夜景もはっきりしないが、さすがに冬も本番となると夜の窓景色が華やかになってきた。残念ながら都庁は最上部の展望台がある部分しか見えないがオリンピックもあと200日と言うことで5色の電飾をしたとニュースが報じている。残念ながら我が家からは最上部だけしか見えないが、昨年7月ちょうどオリンピック1年前の照明は下のようであった。(産経新聞HPより)年末クリスマス期のスカイツリーは下部が赤い照明であった、これもそれより下は見えないのでどんなクリスマス模様だったかな分からない。年末の西新宿高層ビル街は照明も少なく落ち着いた佇まいである。右端に見える赤く照明された塔は代々木のNTT電波ビル。下の写真で都庁の照明は紫一色になっているが右側の新宿パークハイアットホテルはその美しい姿を誇示している。右隣の真っ黒い通称黒ビルも中野駅前のNTT電波ビル。我が家の夜景の新参者は渋谷のスクランブルスケアー、ここの最上階屋上へリポートで昨年の紅白歌合戦が中継された。ただ従来スクランブルと言えばこのビルの真下にある駅前の五差路・スクランブル交差点を指していたので紛らわしい命名である。
2020.01.16
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Klondike Gold Rushについて調べていて航空写真を見ると奇妙な模様が目に入った。Kondike Riverに沿って毛糸がこんがらがったような模様である。上の二枚の写真でKlondike Riverの流れに沿ってたどると分かるが、この川の景色とBonanza Creek の景色が違うことに気づく。Dawson Cityでは左下から流れ込むユーコン川と右側から流れ込む支流のクロンダイク川が合わさっており、それに挟まれた一帯がKlondike地区である。そしてDawsonの町はずれのクロンダイク川に流れ込む赤丸で囲んだところにBonanza Creek という谷川がある。この谷の元の名はRabbit CreekであったがGold Rush以降"Bonanza Creek"に変えられた。King Solomon Domeと言う山から無数に流れ出る谷の一つのこの谷で1886年に金塊が発見されGold Rush多とが始まったという訳だ。”Klondike" とかBonanza"とかいう単語は古い映画ではよく耳にする言葉だが、「クロンダイク」は原住民(エスキモー、イヌイットを経て今はFirst Nationと言うらしい)の言葉で川に杭を打ち込んで罠を作り鮭を取って平らなところで干すことを表すらしい。「ボナンザ」は元々スペイン語で「豊かな鉱床」を意味するが、いずれも現代では縁起の良い言葉で「一獲千金」「大当たり」「思いもよらない幸運」「掘り出し物」などの意味で用いられることが多い。1960年カナダの国立公園を管理する”Parks Canada" によって金塊が発見されたポイントに昔の採鉱設備が復元され、Dawson の町も劇場などが復元されて観光スポットになっている。Klondike地区をGoogle Earthを調べていた時、下の写真の動物の小腸のような地形を見つけた。拡大してみると斜めに走る白い一本の道(Klondike Highway)の周りに うねうねとチップを積み続けたジグソーパズルのような感じである。道路を挟んで反対側には市街のような工場のような平地の地所も見える。拡大してみても日本でよく見かける人参のトンネル栽培のようなものである。その成り立ちは下の写真を見ればわかる。箱型の浚渫船が左のアームで鉱石をすくい上げ船内で水を流して選鉱し、屑岩を右のアームのベルトコンベアで運んで廃棄してKlondike Riverの河岸に芋虫のような地形を生んでいる。浚渫船が通った後は水路となり水辺には植物が生えて緑の縁取りを作っている。2017年3月7日のカナダの新聞”National Post"の記事に下のような見出しがあった。”worm-like piles of mine tailings", たしかに芋虫の集団にみえる。Yukon 政府はこのまま保存して文化遺産として世界遺産にしようと考えているようだ。日本の佐渡金山や石見銀山が世界遺産なのだからそれもありかと思う。確かにある程度保存政策をとらないと三つ上の写真のようにこの鉱滓を均して水路を埋めるとすぐに平地が誕生する。さらにGoogle Streetで探ってみるとそれは明らかに岩屑の山である。そこで思い出したのはここが金の露天掘り鉱山だということ。水路に囲まれた瓦礫の山も時間がたてばヤナギラン(firewood)とや荒れ地に自生する樺のような蒲木から針葉樹に移りいつか森になるのだろう。冒頭で指摘したがKlondike River とBonanza Creekでは景色が違う。後者のGoogle Earth を見てみると下の写真のようで芋虫がいない。すなわちクロンダイク川では主として浚渫船が主力であったが、小さな谷のBonanza Creekには船が入れず道路、道路工事のような掘削機で鉱石を掘っているのだろう。驚いたのは下の写真でこの画像の取得日が2019年6月7日となっている。このBonanza谷の少し上流を探すと、そこには小屋や作業車が写っているではないか。現代の一発屋か地道なレやアース鉱石発掘かわ知らないがあのBnanza Creekがまだ生きていることを知ってブログネタ探しが金鉱を掘り当てたような気分になった。人間は今までに全世界で140,000トンの金を掘ってきたという、そのうち9,550トンがカナダ産で全体の6.8%に当たるそうだ。Klondike地区の産出は430トンに過ぎないが伝説的Gold Rushがその名(悪)声の元である。Klondikeでの金採鉱は第一次世界大戦に際して一時盛り返したが、第二次大戦時は他の金属採鉱に追われ衰退し、1966年に大きな採鉱会社が閉鎖されて事実上採鉱企業は無くなったとされている。現在は”Bonanza"の語に値する鉱脈もなくもっぱら観光業でもっている。今では観光企業がBonanza Creekに採掘権を持っており,観光客を自分たちの採掘スポットに案内し砂金探しをさせているようだ。
2020.01.07
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新年早々”Klondike Gold Rush"のブログを書いていた時、英語の”mine"を日本語で「鉱山」というが、川や谷で砂利を掬う所も鉱山と言うのだろうか。恥ずかしながら私はまだ鉱山と言うものを自分の目で見たことがなく、せいぜい石切り場か採石場くらいしか見たことがない。石炭は多くの場合地下坑道を掘って採掘するが鉱物は露天掘りが多い気がする。露天掘りと言うと若い昔よくハイキングした秩父の「武甲山」の採石場を連想する。ここはセメント用の石灰石の採石場で、かっては山自体がなくなりそうであった。ところが昨年久しぶりに芝桜を見に秩父に出かけてみると採石場がすっかり緑化されていた。・・・・シベリアにあるミールヌイ・ダイヤモンド鉱山は下のような町中の巨大なすり鉢、鉱山が先で町が後からできたのかもしれない。天地をひっくり返せばカットされた巨大なダイアモンドみたいである。火山の火口湖のような下の写真は廃棄された鉄鉱石の露天掘り跡である。エメラルド色の水面は鉄鉱石の色は互いに補色関係にあり良い組み合わせである。カナダにあるらしい下の写真の廃坑も世界遺産にしたいくらい美しい造形である。露天掘りと言っても必ずしも円形のすり鉢状とはならないようで、下のものなどはそのままでも立派な競技場で屋根でもつければォリンピックも開けそうである。これはなんと日本の八戸にある石灰石採掘場跡で、この海抜マイナス170mの穴を「八戸キャニオン」と名つけて「日本で空まで一番遠い場所」とうたって観光地化しているようである。下の写真は中国の金の鉱山と言うことだが鉄分の多い赤土と青土からなる鉱山で、階段状と言うよりは青い海の赤い大波を思わせる形が美しい。鉄は酸化度が低いと青く、酸化度が高いと赤くなるのでこんな模様が出来たのかもしれない。最後の写真は今回のブログを思いつっく端緒となったカナダユーコン準州のKlondike mine跡である。これは川や谷を浚渫して金塊を採鉱するもので、その鉱滓がどんどん積み上げられて大地に羊の小腸を横たえたような形状である。ユーコンと言う地は高い山に囲まれ現在でも氷河が流れる高山が多い。氷河はよく知られているように必ず縞模様をしている。氷河の氷が流れる時、周りの岩石を砕いて岩屑ができる。岩が砕ける時混じっていた金が剥がれ落ちる。二つの谷が出会うときこの岩の流れが合体して氷河の真ん中に縞模様ができる。氷河の縞模様の数から支流の数が分かるが、その縞を描いていた岩屑が氷が解けて最後は谷川に流れ下る、その砂礫を掬い取り大きな石を除いて残った砂を水でふるって重い金を集める。砂金集めは小さな篩一つで一獲千金をかなえる。山師でなくとも宝くじよりははるかに地道な人間の行為だろう。実はKlondike mineの跡をGoogle Skyで探していて上の異様な地形を発見した。次回にその詳細を記録したい。
2020.01.06
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DEED OF LAND (5)開拓精神旺盛と言うよりも一獲千金を目指す山師達は続々と陸路海路でDawsonを目指した。上の地図で赤丸で示したDawson City Klondikeへのルートとしては(1)カナダ・エドモントンからのAll Canada Route、(2)シアトルからSkagwayかDyeaまで海路、次いで赤い枠で囲んだChilkoot峠かWhite峠を越えてゆくSkagway/Dyea Route、(3)シアトルから海路を大回りしてユーコン川の河口から延々と川を遡上してDawsonに至るAll Water Routeというものである。(1)のAll Canada RouteはAllは費用的には安いかもしれないがあまりにも歩行行程が長すぎる。(3)のAll Water Route は一番楽なコースであるが日数がかかり運賃が特高であり、さらにはしばしば氷に閉じ込められてしまうケースも多発した。そこで多くの山師達が選んだのはSkagway/Dyea Route であるが、これらのルートはいずれも険しい峠を越えなければならない。White Pass越えは別名"Dead Horse Trail"ともいわれ、荷駄馬がバタバタ死んでしまったと言う悪路。多くの人は自分で荷物を背負ってChilkoot Passに殺到した。峠の手前でテントを張り体力をためて重い荷物を背負って狭い峠道を鈴つながりで越えて行った。 そのChilkoot峠と言うのはアラスカ州Skagwayとブリティッシュコロンビア州Fraserの国境の間の標高1067mの峠、Dawsonの町にはさらに国境を超えてユーコン準州に入りWhitehorseの町を超えて行かなければならない。そもそもYukon準州はゴールドラッシュ前は存在せずゴールドラッシュの後にNorth West準州から分離成立している。この辺りの国・州境は複雑で、下の地図で赤線で囲ったカナダのユーコン準州やブリティッシュコロンビア州の沿岸域はアメリカのアラスカ州に剥ぎ取られている。個人採金者は砂金を探し、資本投下を受けた人は鉱石採掘をしたり水力発電所を建設してその電力で浚渫船で川をあさった。しかしまれに掘り当てる人もあったが大部分の人は徒手空拳に終わり、悲惨な人生を送る羽目となった。実際に何らかの形で金を手にした人は2、3千人足らず言われている。ところが1898年隣のアメリカ合衆国Alaska準州のNomeで新しい金鉱が発見され人々はそちらに移動してしまった。これらの施設は今でも歴史遺産として保存されている。Klondikeの採鉱はその後も断続的に続けられたが1903年をピークにすたれ今はGold Rushのレガシーを求めて旅行者が観光に訪れている。歴史の跡をたどる旅は洋の東西を問わず観光の目玉で、現在はここにKlondike Highwayという道路が通ってる。それがアメリカの歴史に刻まれた”Yukon Gold Rush”とか"Klondike Gold Rush"とか言われるで歴史的出来事である。話を元に戻すと私の持っている”DEED OF LAND"の証書について、KLONDIKE BIG INCH LAND社が新聞広告で”Get a real land to one sqaure inch of land in the Yukon gold rush country" と宣伝したバックグランドでロマンにあふれた物語である。既述したようにKlondike Gold Rushは1896年に始まったが実はそれに先立つ1848-1855年にCalifornia Gold Rush があり、以降はAlaskaに舞台が移る。1848-1855:”California Gold Rush"1896-1899:”Yukon(Klondike) Gold Rush"1899-1909:”Alaska(Nome)Gold Rush"1903-1911: "Alaska (Fairbanks)Gold Rush"これが北米大陸のゴールドラッシュであるが、もちろん他の大陸でも金は昔の錬金術から始まって常に人間の憧れである。実際何千年の遺物が輝きを放っているところを見たりすると金が限りないロマンを掻き立てることが理解できる。お札が金貨に変えることが出来た金本位制の時代に生きてみたかったと思う。私の頭の片隅にあったクロンダイク(Klondike)と言う言葉を調べてみる段々にと段々に興味あるストーリーが展開され満足している。(おわり)
2020.01.05
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DEED OF LAND(4)前ブログ1-3で私がカナダ・ユーコン準州に1インチ平方の土地を取得したいきさつや”Quaker OATS"と言う食品会社がシリアルのおまけとして証書を箱詰めしたことを記した。今回のブログで記すのはその地の歴史的背景である。まず私の目を惹いたのは下の証書の写真で赤枠を付けた二つの言葉"Dawson"とKlondike"だ。前ブログで述べたがDawsonは町の名前であり(Dawsonの地名は北米にいくつかあるので通称Dawon Cityと呼ばれているらしい)Klondike はその郊外の地名である。町名のDawson はともかく”Klondike"は私の脳裏のどこかにあった。それは以前テレビのドラマかドキュメンタリー番組で見たゴールドラッシュだったように思う。前ブログで私がカナダ・ユーコン準州に1インチ平方の土地を取得したいきさつや”Quaker OATS"と言う食品会社がシリアルのおまけとして証書を詰めに配布したことを記した。今ブログで記すのはその地KLONDIKEの歴史的背景である。”KlLONDIKE”という語は現在一獲千金を競うカードゲームやボードゲームの名前で知られている。当然Klondikeを名乗るコンピュータゲームが沢山出てくる。またアメリカやカナダではバーやホテル、カジノなどの名前としても多用される。要するに一獲千金を象徴するキーワードとして通用している。真偽のほどは分からないがある暴露本ではトランプ米大統領の祖父はドイツからの移民で、商才にたけた人物でかなりきわどいビジネスをしており、アラスカでKlondikeに向かう山師相手のいかがわしい商売をしていたこともあると伝えられる。このKLONDIKEレジェンドの背景は1896年8月15日、Klondikeの地元の3人の鉱夫、George Carmack, Shookum Mason(原住民名 Keish), Dawson Charlie(原住民名 Kaa Goox)がKlondikeの谷川で金塊を発見したことに始まる。町名はこの3番目の人物名に由来するものだろう。その谷は当時Rabbit CreekdでのちにBonanza Creekと変った矢印の場所で金塊発見のスポットも下に示されている。King Solomon's Dome 山の麓のGold Bottom Creekでは後にHendersonと言う鉱夫が金鉱山の穴場を見つけている。翌年このニュースがシアトルやサンフランシスコに伝わり、短い期間に10万人もの採金者がKlondikeを目指した。酷寒の原山野に阻まれ多くは途中で挫折したり命を落としたりしたが、それでも1886には人口500人だったこの地に1898年にはユーコン川とクロンダイク川の合流点に人口3万人もの町が出来て酒場や賭場がはやりDawson Cityが生まれた。 北の厳寒地は厚い雪に囲まれて人が住むのは不可能と思うかもしれないが大陸性気候では温度がマイナス何十度かになっても雪はあまり積もらない。雪を降らすにも大陸内部では水分がない。海洋からくみ上げた大量の雲も沿岸部の山地で大判振る舞いをして内陸に吹きすさぶ風は乾燥して寒いだけである。私がアラスを旅した時に聞いた話では、太平洋に面したValdezeでは10メートル近い積雪となるが、内陸高地のデナリ国立公園では数十センチの積雪しかないらしい。寒ささえ克服すれば冬でも仕事はできるので街が成立するのであろう。州都Whitohorseの年間平均降雪量は141.8㎝というから実際の積雪は1mくらいのものだろう。積雪は人の生活を阻むまでにはならないようだ。(続く)
2020.01.04
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DEED OFLAND 3カナダユーコン準州にある1インチ平方の土地権利証について前2部のブログで述べた。私はこの権利証を手にしてから50年余りの間、その土地はカナダの万年雪に埋もれた人類未踏の土地で、探検家でもない限り近寄ることのできない掌に載るほどの永久凍土の土地を貰ったのだと思っていた。ところが今回ブログを書くにあたってネット検索してみるととんでもないストーリーが続々と明らかになった。KLONDIKE BIG INCH LAND社の本社があったユーコン準州の州都Whitehorse (下図下の赤囲み)の2016年の人口は25,085人、Dawson (上の赤囲み)が2番目に大きく人口1,375人で、この二つの町で準州人口の74%を占めている。ユーコン川とその支流のクロンダイク川の合流点にDawson の街並みが広がっている。KLONDIKE BIG INCH LAND社の分譲地はこのDawson(上の赤丸)と言う町の郊外Klondike地区(下の赤丸)にある。Dawsonの町にはカジノや空港の存在が記されている。要するに現在はGold Rushを懐かしむ観光客の楽しみなのだろう。砂金探し、スノーモービルツアーなども組まれているようで、ホテルも何軒かある。WebページによるとKlondike Big Inch Land社の土地の一部は今ゴルフコースになっているというのでGoogle Earthで探すと写真の赤丸のところにゴルフ場らしきものが見える。拡大してみると確かにゴルフ場である。そこでDawson City Golf Courseのホームページを見ると、2020年6月の夏至の頃"Midnight Sun Golf Tournament(白夜のゴルフトーナメント)"が広告されている。この広告を見て知ったのはユーコン準州でのアドレスは今でも街路名・番号、市名ではなくLot番号、Quad番号、 Plan番号(いずれも四角形の区分、市名、郵便番号の順に記されるということだ。Streetなど無い原野ではStreet nubmerなど無意味なことだろう。北欧などでは白夜のお祭りが広く催されるが、ユーコンでも一年で一番日が長い夏至の前夜は一年で一番夜が短い白夜で特別な日なのだろう。大会の開始が6月20日午後9時、終わりが21日午前1時30分と2日に亘る大会だ。Dawsonの町に1955年KLONDIKE BIG INCH Land社と言う不動産会社が”Quaker OATS”と言う会社の子会社として設立された。Quaker Oats社はシリアルやオートミール、ポットライスなどを製造販売する食品会社で、系統樹的には現在ペプシコーラのPepsiCo社に繋がっている。1950年代アメリカでは菓子箱に日本のグリコのように他愛もないオマケをつけていたがそれも行き詰まっていた。そこでQuaker Oats社はカナダのユーコン準州に1,911エーカーの土地をUS$1,000で購入し、それを1インチ平方に分割してシリアルのおまけにすることを考えた。そのためにユーコン準州の州都WhitehorseにKLONDILE BIG INCH LAND社を設立してその運営を託した。1955年1月全米93紙の新聞に公告をうち、”Get a real land to one square inch of land in the Yukon gold rush country" とか"You will actually own one square inch of Yukon land" などの文句を並べ、ラジオでもQuaker Oats がスポンサーの"Sergent Preston of Yukon(ユーコンのプレストン軍曹)"という 長寿番組”で宣伝した。このようにして2千万枚の権利書が刷られてシリアルの箱に詰められて配布された。私にはよく理解できないが、この権利証はそのままでは有効ではなく、ユーコン準州のオフィスで登記手続きをしなければならなかったようである。多分登記手数料が高かったのであろうか、実際には登記手続きをした人がいなかった。10年後の1965年カナダ政府は$37.20の不動産税滞納を理由にこの土地の所有権をKLONDIKE BIG INCH LAND 社から回復して国有化した。その際同社は滞納金を納めず解散している。したがって私が所有する”土地権利証、”DEED OF LAND”、も現在は不良債権となったことを知った次第である。残念至極 !!!(続く)
2020.01.03
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DEED OF LAND(2)DEED OF LAND (土地権利証)Klondike Big Inch Land 社の所有するKlondike AreaDEED OF LANDThis indenture made this 4th day of Jamnuary, in the year of Our Lord One Thousand Nine Hundred and Fifty-five,between KLONDIKE BIG INCH LAND CO. INC., a body corporate duly registered for the purpose of carrying business in the Yukon Territory, having its head office for the said Territory in the City of Whitehorse,hereinafter called the " Grantor," OF THE FIRST PARTAND ___(Fill in your name)___ hereinafter called the Grantee," OF THE SECOND PART. WITNESSETH THAT the Grantor for good and valuable consideration now paid by the Grantee to the Grantor (the receipt whereof is hereby it acknowledged) doth grant, bargain, sell, alien, enfeoff, release, remise, convey and confirm unto the Grantee, his heirs, and assigns foreveran estate in fee simple; ALL AND SIGULAR that certain parcel or tract of land and premises situate, lying and being in the Yukon Territory more particularly known and described as follows:TRACT NUMBERED C C 695511comprising by asmeasurement one square inch or less as more particularly described in that certain subdivisin plan, prepared and acknowleged the Grantor under date the 15th day of December, AD 1954 and deposited at the registered office of the Grantor in the Yukon Territory, of the whole of Lot Two hundred forty-three (243) in Group Two (2) in Yukon Territory as said lot is shows on a plan of survey of record in the Legal Survey and Aeroautical Charts Division of the Departmant of Mines and Tachnical Surveys at Ottawa under number 6718, containing by admeasurement Nineteen and eleven hundreds (1911) acres more or less ; together with all and singular the easements, hereditamments and appurtenances to the same belonging or in any way appertaining with reversion and reversions, remainder and remainders, rents, issues and profits thereof and all the estate, right title, interest, claim, property and demand both at law and in equity of the said Grantor of, in, to or out of the same or any part thereof; この権利書の文章は表裏2面に渡り詳細なものだが、いくら虫メガネで調べても冒頭の"This indenture"から始まり9行目の"THE SECOND PART"で終わる文章と、”WITNESSETH"から始まる第二の文章だけからなる証書である。最初の文章は日本の権利証にもよくあるように日付と契約者・甲乙の名前、住所などが記されているが、1955年の書類であるから古文書と言うわけでもないのに年号が"the year of Our Lord(AD)"と仰々しい。二番目の文章は"hereinafter", ”WITNESS THAT”, "doth(es)", "asmeadurement"など私にはほとんど馴染みのない単語が頻出する。箇条書きにすれば分かりやすいものを各項目をすべてセミコロン”;”で繋いで記して超長文の文章からなっている。一番目の文書だけ私の乏しい言語力で訳してみると次のようになる。「この証書は1955年1月4日に作成され、Yukon準州のWhitehorseに本社を置く商業目的のため正当な手続きを経て設立された会社のKlondike Big Inch社ーこれ以後「譲与者」と呼び「甲」とするーと記名されたこれ以降「乙」と呼ぶ被譲与者との間で作成されたものである」。証書のほぼ全体を占める二番目の文章はくどい上にもくどい法律的記述で、どこから攻められても難攻不落の鉄壁な文章が続く。冒頭の”WITNESSETH THAT"は多分「公証人(立会人)はTHAT 以下の条項を証明する」くらいだろうと想像する。条項のこの超長文の最重要点は(1)区画番号CC695511に1インチ平方の土地区分を甲から乙あるいはその相続人に譲渡する。(2)譲与者・甲は1954年12月15日にOttawa政府鉱山技術開発部航空測量調査に基づき”Yukon準州の地「243番地区第2グループ」に1911エーカーの土地を担保,分割案を作成し譲与者のユーコンにある事務所に保管している。複雑怪奇な一つの文章が2ページにわたり続くが、要は上のに点に絞られると思われる。裏面に続く”;”で繋がれた文章はとても読む気が起こらないので省略するが、この証書の持ち主はKLONDIKE 社が所有する1911エーカーのユーコン準州にある土地から1インチ平方の土地を貰えるという訳だ。証書の裏面最終部にまた変な表現がある。Wherever the singular or masculine are used throughout this Indenture same shall be constrused as meaning the plural or the feminine or body corporate or politic where the context or the parties hereto so require この証書において用いられている「個人」とか「男性」の語は「複数人」とか「女性」、「法人」、「政党や然るべき背景にある政治家(?)」と読み変えることが出来る。Klondike社の所有する土地は1,911 acre (773平方Km)=9,249,240平方ヤード=1,331,890,560平方インチである。この1911エーカー(773平方Km)という面積は東京23区(619平方Km)と川崎市(143平方Km)の面積762平方Kmよりも少し広い土地だが、1インチ平方の権利書を一人一人に分けるとして13億人以上に分けることが出来るというわけだ。今証書をA A 000001-ZZ 999999にナンバリングしたとすると26X26X999999=ca.676,000,000(6億7600万)枚発行できるが、区画数にはまだ余裕がある。東京23区と川崎市の面積(773平方Km)よりも大きいと言うと広いようにも思えるがユーコン準州の面積が482,443平方Kmで773/482,443=0.0016X100=0.16%にしか過ぎない。(続く)
2020.01.02
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今回も年末ジャンボ宝くじは夢のまた夢で終わった。そこでお正月の話題としては相応しいのではないかと思われる夢、悲哀、一獲千金、挫折などの要素を含むお話をシリーズで記してみよう。DEED OF LAND(1)1966年私は研究員 としてボストンからカナダのオタワに移動した。その時アルバータ州からやってきた若い学生が同じ研究室に配属されて来たので、私は手を取り足を取り実験の仕方や計画の立て方を教えていた。ある日の午後、お茶の時間に彼がこれはカナダの土地権利証だと言って小さな紙きれを取り出し世話になったお礼にこれをあげるといって1枚の紙片を差し出した。カナダの土地権利証だという、私はそれなら日本円で買うよと言って10円玉を差し出した記憶がよみがえった。先日年末の整理をしていた時、引き出しの隅から懐かしいこの紙片が出てきた。そこでカナダのユーコン準州に1インチ平方の土地を所有していることを思い出した。下の写真がその証書で、KLONDIKE BIG INCH LANDと言う不動産会社が発行したもので証券の所有者名が3人あるが最初の二人はSwigle兄弟で3人目が私という訳だ。証書には相続、譲渡が認める条項があるので法的に言ってもこの"DEED OF LAND"証書は私のものだ。その土地権利証が下の写真である。 (表面)(裏面)ユーコン準州(Territory)と言えばカナダでは13の州・準州のうち9番目の広さと言うから、大きくはないといっても日本全土の約1.28倍の広さで、現在住民は約3万4千人というから日本的感覚ではすべて勘が狂ってしまう。ユーコン準州の州都は下の地図で赤囲いの ”Whitehorse", 今回のKLONNDIKE社は上部に赤囲いした"Dawson"という町(村、在?)にあり、証書上では矢印で示されている。 話が長くなりそうなのでここで第一部を終わりにする。
2020.01.01
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2020.01.01
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