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アメリカの大統領選挙もついに2日後にはスーパーテューズデイを迎え、最終決定ではないにしても両党の候補者選びの大勢がわかる。共和党ではもし当選すれば実際には実行できないが発言でナチ時代を思わせる威勢のいいトランプ氏が今のところ3勝一敗でリードしている。一方民主党ではアメリカでは左翼と言われてる民主社会主義を標榜するサンダース氏が健闘しているが、これまで3勝一敗でクリントン氏がリードしている。そうは言ってもこれは党員選出代議員数の話である。候補者指名には選出代議員の他に特別代議員がおり、特に共和党はその数が多いので予断を許さない。特別代議員は党への貢献度で決まるので当然利権との繋がりが強く庶民感覚とは異なる判断基準で動く。 我が国でも自民党も民主党も党首選びに党員票を参入する事もあるが、その重みは極めて軽い。アメリカに戻って州選出代議員の選出法であるが予備選挙と党員集会と呼ぶ形がある。前者は党員の投票で決めるが党員以外の人も投票できるところも有るとかで理解しにくい。とにかく意見を鮮明にして立候補した地区の代議員候補の名を投票用紙に書いて決める。地区大会で選ばれた代議員は郡の大会に出席して同じことを繰り返し、最後に州の大会で華々しい州予備選となる。もうひとつの代議員選出法として党員集会がある。ここでは投票ではなく話し合いで代議員を選出する。そうは言ってもお互いにプロパガンだを繰り返した後は採決を採る。候補者が二人しかいなければことは簡単であるが、多い場合は最小数の支持者は除外されてどちらかの陣営につく、このようにして代議員数が比例配分される。先日のニューハンプシャイアーのある町の様子が報道されていた。「Aさんの支持者は右に、Bさんの支持者は左に、Cさんの支持者は後ろに移動してください」 「Cさんの支持者は少数ですのでA/Bどちらかについてください」とこんな具合だったそうだ。こんなことが各地で繰り返されるので代議員の選出には時間もお金もかかる。代議員候補者は党員の自選なので隣のお爺さんだったり八百屋のおかみさんだったりするそうだ。代議員の郡大会や州大会への出席費用は自弁であるが党大会を前にパーティーがあったりして自尊心が養えるのだろう(利権の裏交渉もあるかもしれない?)。アメリカ東北部のニューイングランド地方と呼ばれる地方では、未だに植民地時代の制度が残っており、村議会のようなものはなく予算・行政は全て年一度の住民全員参加のタウンミーティング(日本語のタウンミーティングとは異なるが、彼の地のそれは17世紀からのものである)で決する。決議の執行はタウンミーティングで選出した執行委員( Council)が執り行う。こんな自治体では顔見知りの人たちがワイワイ楽しくやっている。随分以前の話であるが私が招待された家で直接聞いた話では、ボストン近郊のこの自治体では別荘族が多く、住民税を払っていて出席権があるのにほとんど出席しない(日本のマンションの管理組合総会みたい)。雪かきもしないので困りものだ、別荘族の税金を高くしろいう動議が提出されたと聞いたことがある。なぜこんな話を持ち出すかというと、アメリカの大統領選挙制度は植民地時代の制度を保持した世界でも1,2を争う古い制度だということを言うためである。たとえ住民が百人単位になっても安易に合併などせず植民地時代の町村制度はそのままである。大まかと思われがちなアメリカの前時代的緻密さ(?)を保った大統領選挙は能率的ではないが興味深い制度である。ジェット機もインターネットもある時代に、広大なアメリカでの大統領の直接選挙を代議員が何日もかけて馬車で駆けつけて投票した時代そのままに、盛大に執り行うのであるからこれはもう一大興業である。そのクライマックス、スーパーチューズデイが明後日に迫った。楽しみである。よろしく頼んまっせ世界の保安官を自認する主任保安官アメリカ合衆国大統領殿 訂正: 一般代議員/特別代議員 民主党 85% / 15% 共和党 93.2% / 6.8% 上で共和党は特別代議員の割合が多いと記したのは間違いで 民主党お比率が多い。 (3月1日訂正)
2016.02.28
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先行ブログに記した石神井公園のふるさと文化館で「判じ絵展」を見て帰路池端に出た。この時期桜の花芽の膨らみとともにいろいろな木々小枝にも心なしか緑めいた色の気配が漂く、池面に映る空の景色もだいぶ明るさを増してきた。池の水面の様子にも春を感じさせるものがある、さざ波で光沢を失った部分がじっとして動かない。風の荒い冬はこのさざ波が激しく移動する。柳の小枝も真冬のそれとは明らかに違い春の息吹を纏った色合いである。池の中央部にカイツブリが一匹ゆったり泳いでいる。この池で見かけるカイツブリは普通激しく潜って餌を漁っているがこの日は満腹なのだろうか漁をする気配がない。中之島では茶色のマガモのメスと真っ白な鳥が仲良く並んで休んでいる。白いカモは今まで見かけたことがない。ここには白鷺が何匹か住んでいて毎日のように我が屋の横の石神井川まで飛んでくるがいつも孤独に行動している。姿形も鷺とは違って鴨の姿である。白いカモの類としては”コアイサ”があるがそれでも目の周りや体の一部に黒い部分があるのでこの鳥は謎である、まさかアヒルというわけでもなかろうが。小さな池中・中之島で上のカップルから2,3メートル離れたところに青石みたいなものがあるのでよく見ると寒風の中一匹のアオサギが微動だにせず眠っている(?)。突然小さな女の子がお婆ちゃんと一緒にやってきてパンの耳を撒き始めた。この公園は出来る限る自然の状態を保全しようとしているので餌まきは禁じられているが、お婆ちゃんは「本当はいけないのでしょうがこの子がひどく好きなものでつい」と言い訳をしながらパン屑を撒いた。野生のカモとは言えそこはよく慣れたるカモたちが集まってきた。それにしてもその種類の多さには感心した。マガモのオスマガモのメスいっぱんに鳥類ではオスがお洒落でメスは質素である。それだけメスは悠然と生き優遇されているということだろう。オナガガモのオスオナガガモのメスはマガモのメスと区別がつかない。バン小型のカモであるバンは頭頂の赤い色ですぐ分かるが私にはオスメスは区別出来ない。キンクロハジロ嘴全体は白いが先端部が黒いことからの”クロ”かと思ったが、羽根が黒いので”クロ”、目が金色なので”キン”、主翼の」「風切羽」が白いので”ハジロ”の名があるようだ。後頭部の飾りバネが可愛く成鳥でも幼鳥に見える。目の前の小さな範囲(~10m(2))にこれだけいろいろな野鳥達が住んでいるのも貴重な存在である。この環境を大切に守りたいものである。早春賦春は名のみの 風の寒さや谷の鶯歌は思えど時にあらずと 声も立てず時にあらずと 声も立てず(1979年2月 NHK みんなのうた)
2016.02.13
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この日の散歩の目的地は公園の池端に有る「区立ふるさと文化館」である。区立にしては立派な博物館で企画展もなかなか面白いものが多く、しかも後期高齢者は入場無料である。今ちょうど「判じ絵と地口絵展」が催されている。判じ絵とは絵をヒントとした「なぞなぞ」と考えればよく言葉ではなく、絵でヒントを出し出題する判じ物で放送や雑誌のない時代の娯楽として発展したもの。地口絵はダジャレや諺などを絵で表す「絵言葉遊び」で祭りの明かりに使った「地口絵行灯・提灯」などで親しまれたようだ。上のポスター写真で左上の魚の絵は「嘘から出た誠(臼から出たマグロ)」、左下は「えびす大黒(えびす大根食う)」、右上の子守絵は「ヤモリ(矢・守り)」、右中は「カマキリ(釜切り))、右下は「瓢箪から駒(瓢箪からコン(狐)」、最後はかなり下品だが「蛇(屁と火に濁点(”)」といったような他愛もないものが多いが娯楽のない時代にあってはたいそう人気だったそうだ。今の新聞配達みたいに朝問題の絵が配られ夕方その回答を配達する商売まであったそうだ。判じ絵は特に江戸後期に流行したそうだが、幕末時代特に天保時代(1830-1844)は天保の改革で出版物の統制がきつく、浮世絵から遊女や歌舞伎役者、名の知れた婦人などの題材を描くことが出来なくなり、画題は主として花鳥風月に限られてくる。そこで浮世絵師が判じ物の出版に進出してきたということらしい。判じ絵・地口絵の流れは現代ではテレビのクイズ番組でも多用されていてタレント達の頭の柔軟度が試されている。また西洋版判じ絵としてごく初歩的とは言え見事なものは下のIBMのロゴでオフィシャルロゴではないとしても催し物などでよく使われるそうだ。それにしても”ふるさと文化館”の展示は多様で恐ろしく多くの作品が展示されており、平和で余裕のある江戸時代の暮らしぶりが伺えた。実は参観前に「腹が減っては戦はでできぬ‐‐(判じ絵で表現できればよかったのだが)」と館内にある武蔵野うどんの店に入った。練馬はかって武蔵野の江戸に近い部分で関東ローム層の土質はすぐ水が拔けるので水田にはなりにくく、穀類としては小麦の栽培が盛んだったのでウドンがよく食べられたそうである。ちょっと色のついた「武蔵野うどん」は腰もありなかなかのお味であった。練馬はまた大根の栽培が盛んで現在でも東京23区では希な野菜産地である。店内でその地産野菜が販売されている。ただしこの日の出品は下の写真の大根え「練馬大根」ではなく練馬産「三浦大根」だそうだ。練馬大根は少し時期がずれるようである。練馬大根は腿がもう少し太くスネがスラリとした美脚で主として沢庵漬けに適している。それに対して「三浦大根」はスネが太いいわゆる大根足に似ている(?)。
2016.02.12
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我が家から見て年末の冬至の頃の日没は富士山の南麓をはるかに超えて南下していたが今はもうすっかり北上して北麓を通り越して日差しが強くなった。子供の頃は節分が過ぎると寒くなったので翌日が春の始まりとは考えず、寒い季節の始まりと理解していた。そして年賀状に躍る「新春」の文字が不思議でならなかった。今は寒空につき刺さるように伸びている桜の小枝に付いた蕾の花芽が日毎に膨らんでゆく光景から2月を「光の春)と呼ぶ意味がよくわかってきた。節分も過ぎて1週間日差しが明るい一昨日、春を探しに公園まで散歩に出かけた。途中で大きな太鼓の音とともに何やら掛け声が聞こえてきた。こんな時期に神楽太鼓は珍しいと思い、音のする方に行ってみると保育園の庭で園児たちが先生の叩く太鼓に合わせて遊戯をしていた。ギャラリー席には低学年の子供たちが並び、演技をしているのは卒園間近の上級生のようだ。背中に赤い大きな袋のようなものを背負っている。動きが激しく何に扮しているのか見当がつかない。行進が始まると中には幕を背中に背負わずに上の写真の先頭の園児のように幕を水平に垂らし手には動物の頭を持っているので騎馬隊かラクダのキャラバンとわかった。園児たちが退場するとギャラリー席の先生が「アンコールしよう」と呼びかけるとギャラリー席は「アンコール」の合唱、上級生の先生が園児たちに「どうする? やるしかないよね」と言うと園児の答えも聞かずに再入場の先頭に立つ。こうしてまた太鼓の音とともに団体演舞が繰り返されていた。川渕の散歩道に戻ると一対の紅白の梅が満開である。この梅の木はずいぶん前に開花したことは知っていたが、今年は年初の暖かさで開花し月末からの寒波で花期間が長いと報じられている。
2016.02.11
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ホテルニューオータニの背後にはかって「赤プリ」と称されあ赤坂プリンスホテルが再建され今夏にも営業開始と聞いている新しいビルが見える。ちょうど東北大震災が起きた時「赤プリ」は建て替えのため営業を停止していた、そこで解体までの期間ここを一時避難所として利用したことがあり、被災者は思わぬホテル生活を送ることとなった。虎ノ門ヒルズと新宿プリンスホテルはその特異な形形状から容易に識別できる。ホテル背後の六本木のビルは屋上に4本のクレーンが見られ、現在この方面に工事中の建物はこれしか無いので間違いないと思われる。ホテルと虎ノ門ヒルズや住友ビルは実際には4kmほど離れているがこの絵ではほとんど同じに見える。新宿プリンスホテルのすぐ右隣には西新宿副都心の高層ビル群が重なっている。これだけ超高層ビルが並ぶ場所は日本では唯一の存在だ。我が家から一駅隣の駅前にマンションが建ち西新宿のビル郡が半分隠れてしまったが60階近い建物が林立している景観は圧巻である。この界隈でも最も高い建物は東京都庁舎である。残念ながら先のマンションが建ってほとんど隠れてしまったがツインタワー展望室の二つの頭部だけが見えている。今ではよこはまグランドタワーや阿倍野ハルカスなどが高いがこの都庁は昭和時代の置き土産として長いあいだ日本最高(243.4m)のビルであった。さ らに右に目を移すと新宿南口と初台駅の中間にある新宿パークタワーのゴツゴツした形が目に付く。この上層部はパークハイアットホテルである。このビル丹下健三設計事務所作品で当初隣の都庁よりも高い設計であったが都庁に敬意を表して235mに抑えたとの評判が当時まことしやかに流れていたことを思い出す。それにしてもその上部は美しい形である。概して我が国のビルは屋上が単調で美しくない、そこへゆくとシンガポールや上海の高層ビルの屋上の多様性には感心する。日本建築の屋根の美しさを表現してそれぞれの建物に個性を持たせることができないものだろうか。この右にある真っ黒な高層ガスタンク のようなものは中野駅前にあるNTTの電波ビル、この建物には窓がなく真っ黒な建物なので昔から不気味な存在だが、一体どんな電波を送受信しているのだろうか、まさか黒 い電波でもなかろうが。ここは中野駅前で江戸時代将軍綱吉の「生類憐れみの令」により、野犬を収容していた広大な犬屋敷があったところである。そして戦前はあ の有名な陸軍中野学校があった所でスパイ養成学校跡である。さらに戦後は最近まで警察学校が有った所で、現在でも警察病院がここにある。その警察学校が 引っ越した跡地には「中野セントラルパーク」という施設になり、公園を囲んでキリンビールの本社が入っている大きなオフィスビルが建っている。隣にはかってロック音楽の聖地みたいな「中野サ ンプラザ」(近く取り壊される?)とか「中野ブロードウエイ」などと言うマニアックな商店街もある。さらに最近は明治大学、帝京平成大学、早稲田大学国際学生寮などができてイメージアップに努めているようである。ブロードウエイとかセントラルパークとかxxプラザとかニューヨークに行ったみたいであるが、ここは新宿に至近の地帯で若者文化の醸成地であり続けようとしているみたいである。
2016.02.08
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今年は暖冬と思われたが1,2月の月変わり時期えらく寒い日が続いた。小さな美術館や講演会に出かけたがあまり写真を撮る機会もなく、ブログも長い休筆(?)であった。家に篭っている間、東京練馬の北部にある我が家のマンションの窓から見える都心の高層ビルの同定を思いついた。いつも見慣れた風景であり、全体としてみるとそれぞれの風景が小さく見え、重なりあった遠景としてしか認識していなかったものである。8階の我が家からは屋上バルコニーに出れば300度くらいの展望が開けるが、ここで記すのは東南に面したパソコンのある私の部屋の窓からの展望だけに限った。小道具としては用いたのはバードウオッチングに使う単眼鏡、4.3-86mmのレンズをつけた小さなポケットデジカメ、都(区?)から配布された23区避難マップである。それらを窓際の机に広げ、あとはGoogle Earthを立ち上げておく、昔のGoogle Skyでは影の長さでビルの高さを推測していたが、最近のGoogle Earthはバードアイビューで表示されるのでビルの高さや外観が分かり同定には極めて有効である。さらにビル名など分かればWebで詳しく調査できる。遠くの風景は方向によってよく見える時間帯が違う、したがって全体をいっぺんに見渡して結論づけることはできない。西方面は午前中に、東方向は午後陽に照らされている間に観察しなければならず、南方向は午前午後にわたって観察しなければ全体像を掴めない。次によく晴れた日は遠近感がなく5キロも離れるとべったり平面的であるが雨の日や霞んだ日などはその程度によってまったく違ってくる。霞のかかった日など霞み具合によって見える距離が異なり、風景の明暗から距離を読み取ることができる。上の写真で左側の煙突、サンシャインシティー、豊島区役所などは我が家から約 8km離れた池袋界隈の建造物、右側の練馬駅周辺の高層マンションや練馬区役所は我が家から約3kmの距離である。豊島区役所の上に小さく見えるスカイツリーは約18kmも離れている。もちろん単眼レンズのカメラと違い、人間の目を通せば近所は立体的に見えているが、それでも10kmも離ればもうほとんど一枚の平面画である。さらにもう少し右に振ると地下鉄東新宿駅周辺のマンション群、歌舞伎町東宝ビル(旧コマ劇場)、新宿プリンスホテルなどが見え、我が家から約10kmの距離。ホテルニューオータニ、虎ノ門ヒルズや今建築中で1月のブログで紹介した六本木の住友ビルは12-14kmも離れている。写真左部に有る白い三つ葉型建物の屋上にドーナツを載せたような建物は40階建てのホテルニューオータニである。この下にも17階建ての旧館があり、その屋上にもドーナツ型の回転レストランがある。1960年代に建ったこの回転レストランは当時東京で1,2を争う高さで、その建築技術には戦艦ヤマトの回転砲台の技術が応用されたとかで大きな話題であった。以前から一度ここで食事したいと思い続けて50年未だにその思いは果たせていない。そのニューオータニの背後にはかって「赤プリ」と称され、一時東北大震災の避難所にもなった赤坂プリンスホテルが見える。今は再建されて今夏にも営業開始と聞いている。旧館の解体法が特異的で評判になった、下から一階毎に壊し、だんだん階数が減ってゆく解体法で、日毎にホテルの高さが低くなってゆく姿は不思議な感じがしたものである。
2016.02.07
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