全8件 (8件中 1-8件目)
1

実は今回の旅行を計画すたとき以前何回か宿泊したことのあるホテル大沼クロフォードを予約しようと試みた。しかしどうも様子が変なのでよく調べてみると8月から経営がJRから北海道でリゾートホテルを展開中の鶴舞リゾートに変ったことを知った。クロフォードは北海道鉄道開発の顧問を務めたアメリカ人クロフォードに因んだ命名で由緒あるものがなくなるのは残念である。大沼公園駅は駅の前方に大沼が広がり典型的観光地の体をしているが駅舎の裏側はレールを挟んで森が広がる別荘地である。そのレールと隣り合ってホテルクロフォードが建っているが高い森木立に遮られてどちらからも全く目に入らない。もちろん駅の裏出口など無く、実際にはたがいに見えない。すぐ近くにもかかわらずアプローチは線路に沿ってかなり駅から離れた踏切を渡って森の中を駅の裏側に回り込むことになる。コロニアル様式と思われる瀟洒なポーチを持つ木造2階建ての建物はその美しい様式と雰囲気があった。ラウンジやレストランの外にはウッドデッキがあって餌籠の置かれているデッキにはいつも野鳥のさえずりがあった。本館の中に入ってみたがちょうどラウンジ部分の改装中で動物のはく製などは除かれ都会風な雰囲気の改装がなされていた。内部は改装中であるがレストランが先行開設されランチタイムもあるというので勝手を知ったこのホテルで昼食をとることにした。玄関前の小さな駐車場があった部分の高い木立がなくなり、広いアプローチと庭園が現在もまだ建設中である。本館の外観は変わっていないものの木立がなくなって開けた空間となり森の中の洋館といった感じは失われていた。さらに玄関ポーチからは新たにできたレストラン棟への渡り廊下が新設されている。値段が手ごろで静かで食事が美味しいホテルだったので私もたびたび訪れたホテルであったが、今回全く新しいコンセプトで「大沼・鶴舞オーベルジュエプイ(Epuy)」として営業されるものは料金が数倍になっており、もう私の手の届くところではなくなったようだ。因みにエプイはフランス語ではなくアイヌ語で「木の花が一杯咲く森」の意味だそうだ。せっかくの探訪なので新しくオープンしたレストランでランチを食べてゆくことにした。こんな近代的総ガラス張りの構造は特に夏の時期開放感一杯で気持ちがいい。ランチはローカル野菜の種類も豊富なサラダバーに地産(ハスカップなど)飲み物、前菜、スープ、メイン選択ディッシュ、デザート、コーヒーと大満足の味とボリューム。造園中の庭を目の前にしての昼食はおすすめである。食卓は撮影しないのが私の方針であるが窓際のカウンター席のせいもあってつい窓外景色とコラボさせてしまった。造園中の庭を目の前にしての昼食はおすすめである。
2016.09.16
コメント(2)

函館への旅行2日目この日は函館本線で森へ出て帰りは鹿部周りの函館本線支線に乗って帰るという駒ケ岳を一周、360度の汽車の旅を計画していたがあいにくの曇り空で山は見えない。この汽車の旅はツインピーク駒ケ岳の刻々と変わる山容を楽しむものであるが曇り空ではどうしようもない。帰りの鹿部周りの汽車は早朝と夕刻の通勤時間以外は昼間一本しか無くうっかり旅を始めてしまうととんでもないことになりかねない。先日男の子がしつけと称して親に車から降ろされ、親が戻った時に子供の姿はなく、男の子は4日後に自衛隊の演習施設で発見されたという事件があったがあれは鹿部の駅からそう遠くない場所である。あいにくの空模様であるがそれでも大沼公園は素晴らしいので湖の散策をすることにして出かけた。人影のまばらな静かな湖水巡りは素晴らしいが足に問題のある我々にはよく整備されているとは言えきつい足元である。季節はずれの気もするがここではまだハスの花が見事である。赤い木花が美しい、多分マユミの花と実であろう。これはハマナスだろう。水辺に咲くヤナギランに似た植物、葉は柳に似ているが花穂の先端が尖っていないのでヤナギランではないのかもしれない。ヤナギランはアメリカで山火事の後すぐに生えてくるのでfire weedの名もあり乾燥に強い、これは水辺の草なのでやはり違うのだろう。そうなるとミソハギかエゾミソハギだろうがその区別は分からない、北海道なので後者にしておこう。島伝いの太鼓橋がかけられていて美しい沼景色を眺めながら島巡りができる。ここの紅葉は素晴らしいものであるがなかなかベストシーズンに巡り合えたことがない。最近橋が架け替えられてみな白くなっておりちょっと興ざめである。ぜひまた赤い色にしてほしいものである。
2016.09.15
コメント(0)

今回の北海道旅行は新幹線乗車が主目的だったので新函館北斗駅について言及しないわけにはゆかない。当初2035年札幌まで開通計画であったが経済効果最重視のアベノミクスの一環で2030年開通になったそうだ。新幹線が札幌を目指している以上ターミナル駅である函館に通すわけにはゆかない。以前の無人駅・渡島大野駅が大変身を遂げてこれから北海道新幹線全開まで東京駅と結ぶ新幹線のターミナル駅に生まれ変わったわけだ。新大阪、岡山、博多、仙台、盛岡、八戸、新青森、長野と多くの駅がさらなる延伸まで一時的に新幹線の終着駅を演じてきたが,それらはみな大都市の中にあった。私はこれらすべての駅に複数回降り立った経験を持つが、広大な畑の中にある新幹線駅は初めてである。そしてあと15年経てばまた農地の中の駅に戻るのだろうか、それとも新幹線効果で15年間に新しい市街地が誕生するのであろうか。広大な駅舎は全体に先の分かれた柱で支えられている、これは北海道のポプラ並木をイメージしたデザインだそうだ。毎時とはいかぬ一日14本の列車がここから発車する、したがって人の数は限られており、商業施設も少ない落ち着いた雰囲気の駅である。南口がメインのようで広大な駐車場からまっすぐに伸びた広い道路はすぐ滑走路に転用できそうである。遠くには旧大野町の市街地が見えるので全くの原野ではなかった様で、町はずれの農地に作られた駅である。外に出てみるとガラス壁を通してシンボリックなポプラ柱が屋根を支えている様子がよくわかる。そして駅舎の前は大きな植木鉢に花が満開である。駅舎の中は別として駅舎外では人を見かけることはほとんどない。裏側の北口から外に出てみると下の写真からもわかるように広大な駅舎と人影の無さが印象的である。大型トラックが新幹線に駅に直接停車しているのも珍しい光景ではないだろうか。駅舎に戻って3階のガラス壁から下の駅前広場を眺めると大きな絵模様があり「ずーしほっきー」とある、このナマズのようなものは北斗市の公式キャラクターだそうだ。そして各地ではやっている「田んぼアート」、それにしても新幹線駅の駅前広場がいきなり田んぼアートとは驚きだがそれ以外何もない。田んぼアートはこのように色違いのコメを植えて作るが黄金色になる秋が一番美しい、左の黒米の実はどんな色に変色するのだろうか。広場わきの植栽鉢に這わせた初めて見る蔓性の花が美しい。なんとなく北海道らしさを感じた。遠方に目をやると携帯電話の電波塔らしきもの立っており、数多くの電波源がくっついている。北海道ではこのようにライバル関係の移動通信社が塔を共有しているようだ。都会では各社ばらばらに林立しているがこのように共有すれば景観も美しく保たれるのではないだろうか。駅舎の一角に下の「人形装飾付異型注口土器」が飾られていた。この地に多く発見されたそうで。同類の国宝が上野の国立博物館にもあるそうである。この日我々がホテルを出ようとした時、突然驟雨が襲いホテル前の坂道は激流と化し、マンホールからは水が噴き出した。すぐ前にある護国神社の階段は一面が真っ白く大きなカスケード滝の様相を呈した。タクシーの運転手もドライブは危険なのでしばらくの様子見を提案してきた。もちろん我々に異論のあるはずもなかった。やや小降りになったのを見て駅に行き、新幹線に連絡したシャトル便・函館ライナーに乗り待っていた。ややあって途中駅冠水のため発車予定が立たないので隣の特急北斗号に乗り換えてくれとのアナウンス。先のブログで記したように函館駅はターミナル駅である。前部に乗車していた我々はホームを全迂回してコンコースを渡りまた特急列車の最前部の自由席に移動しなければならなかった。15分間の乗車なので我々はあきらめていたが多くの乗客は残り席を目指して駆けだす人もいた。青函連絡船時代の青森駅や函館駅、また四国連絡船時代の宇野駅や高松桟橋駅ではこうやって船の乗り換えに駆けだすのが普通であった。半世紀以上前の学生時代の旅の記憶がよみがえってきた。この情景は石川さゆりの歌「北へ帰る人の群れはみんな無口で 海鳴りだけが‐‐‐」この人たちが大きな荷物をっ抱えて桟橋を駆けて連絡船に乗り換えたものである。それに比べて新幹線の津軽海峡トンネルは50数キロのトンネル、感慨も景色も何もない、まさしく「津軽海峡 何もない 旅でした」だった。今となっては何年か前汽車で降りることのできない津軽トンネル海底駅(定点)にJR特別列車で降り立つことができたのは思いで深い。30分以上の余裕をもって新幹線に乗り換えようと思っていたが特急といえども途中臨時停車したり徐行運転などで忙しい乗り換えとなった。北海道新幹線「ハヤブサ」号の写真撮ろうと考えていたがそんな余裕はなかった。電光掲示板には10:47とあり、我々の列車は10:49分発である。これを逃がすと次は12:44で2時間近くも待たなくてはならないのだ。かくして北海道新幹線初乗車の旅は終わった。もう4時間の汽車の旅は辛くなってきたのでこれが最初で最後の北海道への汽車旅ではなかろうか。
2016.09.14
コメント(0)

9月5日この日は朝函館を出て特急スーパ―北斗で大沼公園に行き、湖畔散歩を楽しんだ後JR系のクロフォードホテルで食事をして函館本線で森に行き、函館本線の支線である鹿部方面を回って函館に帰る予定であった。この支線周りは連絡が悪く、早朝か夜遅く以外は午後2時46森発が唯一の選択肢である。鹿部は先日行方不明になった小さな男の子が自衛隊の施設で4日間をすごした後救出されたところ。なぜこんな不便な線の乗車にこだわるかと言えば、ツインピークの駒ケ岳を360度めぐって刻々と移り変わる駒ヶ岳の姿を見るためである。函館駅についてみると前回の訪問時だだっ広いだけと思っていた駅前広場は広大な花壇に生まれ変わっていた。なかなか見事で巨大な花壇である。駅舎内もずいぶん凝っているが2年前のブログに詳しく記したので今回は探訪しなかった。前回の訪問時は屋根の円筒部の窓から駒ケ岳を見て楽しんだものである。残念ながらどこの園芸店でもいているような花ばかりで北海道の花が少ないのは残念。これだけ大きな花壇を維持するにはどこででも手に入る苗でないと無理があるのだろう。2,3日前の台風にもかかわらず傷んだ花はよく手入れされていた。新幹線開通に伴う函館の意気込みを感じる上の標石は明治25年に始めた北海道に鉄道が敷かれた地の標識で北海道の鉄道史における重要なモニュメントであり、北海道の鉄道0マイル票でもある。以前本州の鉄道の0マイル標を東京駅で探訪したブログを書いたが今回は北海道の鉄道原点を確認したことになる。ここは私が大好きなターミナル駅でコンコースからはいろんな列車が見渡せる。都市部の私鉄などには線路が1本か2本行きどまりになっているターミナル駅があるが、それでも線路の延長上にコンコースがあり全体像がつかめる駅は多くはない。ヨーロッパの大都市の中央駅がほとんどそうであるように複数の車止を持ったターミナル駅は門司港駅か函館駅くらいではなかろうか。いずれも大きな港に直結していて港への引き込み線が多かったのが特徴である。私の予想では多分かっては線路は港まで続いていたのではないだろうか。出来れば写真で三角形の車止の前の砂利は置いてほしくなかった。今になってみるとただただ広いだけに見えるがかってはVIPを迎えるための貴賓室があったりして格式のある駅であったことだろう。 スーパー特急北斗号 (彼女がなかなかシャッターを切らないので彼氏込み画像) 新函館北斗駅と函館駅を結ぶ「函館ライナー」 函館ライナーのエンブレムJRは例によって新幹線と並行する木古内・五稜郭間を私鉄扱いの第三セクターにしてしまった。並行するといっても在来線が函館湾を縫って走るのに対して新幹線は山のトンネルしか走らないのであるがJRは情けなしである。今まで津軽海峡線の特急が走っていたのにいきなり第三セクターである。住民は不便になったことだろう。結果として五稜郭から函館の1駅間はJRに残った。そして第三セクターのいさりび線はすべてJR函館駅発という変則運行になってしまった。
2016.09.13
コメント(0)

曇り空で山頂でのディナーをあきらめ、麓を散歩したのち明治12年(1879)創立の老舗レストラン五島軒で夕食をすることにした。予約はしていなかったものの時間が早かったので幸いテーブルに着くことができた。このわが国でももっとも古いレストランの一つは創立者の一人が五島列島の出身であったことからの起名である。古いレストランの例にもれずカレーが有名で、今はレトルト食品としても「五島軒カレー」は有名である。ここのもう一つの名物はロシア料理なのでビーフ・ストロガノフの古風な味を堪能した。外に出てみるとカトリック教会の鐘楼が夜空にくっきりと浮かび上がっている手前の漆喰塀の向こうは浄土真宗大谷派・本願寺の大伽藍である。レストランからホテルに帰るには美しいがこんなに険しい「二十間坂」を上らなければならない。こんなしゃれた民家にはどんな人が住んでいるのだろう。坂の途中からはこんな素敵な函館の夜景が見える。神戸や長崎もそうであるが港と坂道がある所はみな美しい夜景を見せてくれる。ホテルに戻ってみると様子がおかしい、小さなホテルのエレベータから長い列が続き、エントランスから外の道路にまでつながっている。カウンターで聞いてみるとこの日は「BARーGAI」で最上階のラウンジで行われているための混雑ですとのこと。BAR-GAI については何も知識がなかったが、今は全国的広がりを持つ函館発のイベントだそうだ。春と秋に一回多くの市内の飲食店がその店の簡単な出し物と飲み物を出して出して店を開放し、市民や観光客はそこを巡り歩いて交流を図るのだそうだ。今年は72店が参加し、参加者は3500円の前売りチケットを買うと五つの店で軽食と飲み物が付くのだそうだ。多くのご婦人たちが和服姿で参加しており、市民にとって一種のお祭りのようなものであろう。開拓地である北海道では他の地域のように神社仏閣は少なくいわゆる「お祭り」が少ないのでこういう市民交流の場が大切なのだろう。一店一品一飲で単なるはしご酒ではないと強調している。この運動は鹿児島などにも広がり全国になりつつあるようだ。BARはヨーロッパのバール、カフェ、パブのようなもの、GAIは日本語の「街」からの命名だそうだ。今年は徒歩圏内に72店が参加しているとかで蕎麦屋さんから喫茶店、専門飲食店、レストランと多彩を極めている。ちょうどこの期間、食文化に関する料理人たちのプレゼンテーションが行われる「世界料理学会」が函館で開かれており、そこに参加した佐賀や神戸のシェフがこの函館山ホテルのラウンジで出店しているのだという。そしてこの日函館山ホテルではプレスリー音楽祭で入賞したというエルビス・トキさんという歌手のライブがあったのだという。道理でホテルを出る時ロビーに多くにの若い人がいたのが頷けた。会場を覗きに行くと、もうライブコンサートの様子はうかがえず落ち着いたおじさん・おばさんたちが楽しそうに談笑していた。BAR巡りなので荷物を自分で帯同しているのが変わっている。もう今回で26回を数えるイベントだそうだ、函館市民の触れ合いの場として発展していることがわかる。窓には参加者の背中と夜景が重なり合っている。昔のように地域の村祭りも人が集まらず、人々の出会いの場が少なくなっているが、こういった催しは新しいスタイルのお祭りなのかもしれない。若い女性が着物姿やジーンズ姿だったりどう考えてもこれは北海道の秋祭りである。
2016.09.12
コメント(0)

昨年北陸新幹線に乗って金沢まで行ってきたので未乗車の新幹線は北海道新幹線だけとなった。そこで新青森から新函館北斗までの初乗車を主目的として「JR大人の休日切符」を利用して函館に行ってきた。パスは5日間北海道全土乗り放題であるが我々が利用したのは函館までという極めて効率の悪い使い方であるがそれでも正規料金よりはずいぶん安くなるので致し方がない。今回は大宮から新函館北斗まで約4時間の乗車である。山陽新幹線が博多まで通じたとき博多から東京まで当時7時間くらい乗ったことはあるが、こんなに長く一つの電車に乗ったのは何十年ぶりかである。考えてみればかっては東京・大阪間の「ひかり」が3時間10分、私はよく「こだま」で3時間50分かけて行き来したものである。それを考えると4時間で北海道まで行けるのは夢のような話である。今回開通した新青森・函館北斗間はほとんどがトンネルなので目に飛び込む景色からの新体験感は全くない。函館は何回か来ているが我々が旅した9月4日、主なホテルはどこも取れなかった。その理由は現地に行って分かったがそれについては稿を改める。一か月前に奇跡的に予約できたのは函館山ロープウエイ麓駅の横にある古い函館山ホテルであった。ホテルの一休みしてロープウエイで函館山に上り夜景を眺めながら夕食の計画であったが、山頂は雲に覆われて見えない、切符売り場にある山頂のモニターカメラでも雲の流れしか見えない。山麓の元町地区は明るい曇りなので山頂でのディナーをあきらめ散歩することにした。この元町界隈は函館山の山腹で眺めも良く、素晴らしい遊歩道が整備されている。函館にはもう3,4回来ているが来るたびに整備されている気がする。新幹線開通に伴ってずいぶん頑張ったのだろう。日本全国そうだがここも外国人観光客(外国人観光客を最近はインバウンドと言うらしいが、それなら外国旅行者をなぜアウトバウンドと言わないのだろうか)であふれている。まずロープウエイの下には広大な元町配水所が広がっている。百年以上も前から使われ続けている水道施設で眺めも抜群で春は桜の名所でもあるそうだ。芝生に覆われた敷地は散歩道もあり一般に公開されている。市街を挟んで16キロも離れているダムから落差を利用してここまで水を押し上げているとのこと。日本で二番目に古い水道らしい。配水所に沿った遊歩道からはハリストス正教会の美しいとんがり屋根が見える。屋根の玉ねぎ頭からロシア源流がすぐわかる。ハリストス正教会は江戸時代ロシアがここに公館を開いたときに同じ場所に開いた教会で、昔の外国公館には礼拝の場所が必要であったための教会である。したがってここはロシア正教から派生した日本ハリスト正教会の教会である。クライスト、キリスト、ハリストとJesusChristも忙しいがギリシャ正教、ロシア正教、日本正教はみな同じで国名は教区名だそうだ。その手前にあるのが聖公会・聖ヨハネ教会。聖公会はイングランド国教系でプロテスタントとカソリックの中間派として知られる。教会建築としては珍しい形で大寺院の礼拝堂内部のドーム構造ををそっくり建物にしたようである。遊歩道の反対側には美しい尖塔の鐘楼を持った元町カトリック教会がある。これも日本最古の教会の一つで、江戸時代和親条約で開港した時設けられた外国人居留地にフランス人宣教師によって建てられたものが最初。
2016.09.11
コメント(0)

新しいブログエディターを使いこなせないで困っている。途中で新旧エディターを切り替えたせいかもしれない。ホームページをよ見ればどこかに説明があるのかもしれないが、今回は行間、フォントサイズなど制御できずおまけに先回投稿した原稿は後半がすっぽり消えていた。うっかり保存せずにプレビューすると元のページが消えるみたいである。そんなわけで以下は前ブログの後半も含まれる。ヤマボウシは初夏の山地に野生するもので木の上面が白い花(実は花ではなくガクである)をつけるので、白い帽子を冠った様子に例えての命名だと聞いたことがある。そのままやジャムにして食用になると記載されていたので持ち帰った身を食べてみたところ、ビワと柿を合わせたような味と食感でなかなかいける気がした。30年位前から東京の街路樹はハナミズキが多かったが、葉っぱに白い粉がついて縮んでしまう多分「うどん粉病」と思われる病気になり、みじめな姿が多く気になっていた。同じミズキ科の植物で実際樹形や葉っぱからは区別しにくいがヤマボウシはこの病気に強いので最近はハナミズキにとって代えることが多いそうである。葉っぱがきれいで美味しい実もなり秋には紅葉もすると言うことで全てにおいてこちらが上である。東京からワシントンへの桜の贈り物への返礼として日本に入ってきたといわれるハナミズキは最初アメリカヤマボウシとよばれたそうである。戦前の日本には銀座の柳並木が歌に唄われるくらい珍しく、戦後になってまず植えられたのはプラタナスとユリノキである。この両者も樹形や葉から区別は難しいが幹の表皮が前者は滑らかで後者はごつごつしている。葉っぱは前者はモミジを大きくしたもの、後者は切れ込みのやや少ないカエデを拡大したような形である。決定的に違うのはその実で前者はまん丸い見事さで、木からぶら下がったさまは鈴に似ており、別名スズカケノ木という素敵な名前がついている。今でもヨーロッパにはこの並木が多くみられる。 プラタナスの実とユリノキの花ユリ(百合)ノキとは変な名であるが学名がギリシャ語で「百合花の木」を意味するのだそうだ。日本語の別名の「半纏木」(葉が上着の半纏に似ている)とか「軍配の木)がピッとくる。プラタナシスやユリノキがすぐすたれてしまったのは大木になったり、大葉のために台風の被害に会いやすいためだと思われる。事実台風被害を防ぐため例年8月になると枝を切ってしまい何のための街路樹かと思ったものだ。次いでポピュラーになったのはニセアカシア、トウカエデである。前者はひらひらと風になびく小さな葉が美しかったがなぜか最近見かけなくなった。後者は大木にならず管理しやすいが葉の密度が少なくあまり木陰を提供しないので街路樹の役をなさない。 ニセアカシアとユリノキの花と葉正式にはエンジュ豆の木であるが日本に移入された当時アカシアと称したので常に本当のアカシアと混同される。小説「アカシアの大連」とか西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」に歌われたアカシアはどうもニセアカシアのようである。本当のアカシアは黄花で合歓木のような葉である。アカシア蜂蜜として市販されるものはみなニセアカシア蜂蜜だそうだ。「ニセアカシア・蜂蜜」と読むか「ニセ・アカシア蜂蜜」と読むかでずいぶんニュアンスが違う。なお信州白樺湖湖畔にはゴールデンアカシアと称する黄金色の葉のニセアカシアがあり美しい街路樹となっている。北海道に有ったものを移植したとか、事実昨年帯広周辺のフラワー街道を旅した時、真鍋庭園や十勝ヒルズ庭園で何度か見かけたことがある。次の世代の街路樹が冒頭で記したハナミズキであるがこれがヤマボウシに変わりつつあることは上で述べたとおりである。ヤマボウシとともに最近よく見かける街路樹がべ二ハナマンサクである。 マンサクの花とべ二ハナマンサクの樹(新しい画像管理では縦型画面が自動的に横型になってしまう)マンサクの木は昔から公園などで見かける春に先がけて咲く黄花であるが、べ二ハナマンサクは数年前まで見かけたことはなかった。マンサクは葉影が薄くとても街路樹にはならないがべ二ハナマンサクは写真のように葉がぎっしりで花は赤いがマンサクそっくりでらる。以上グダグダと街路樹について考えてきたが道路の種類、地方、病害、環境適応、管理などなどの事情から街路樹も多様性を帯びてきたようだ。
2016.09.10
コメント(0)

思い出してみるとこのブログを開始したのは2006年8月26にである。古希を迎えたのを機に始めたものであるが10年も続くとは考えていなかった。ブログ名が示すようにあまり義務感からではなく気まぐれにと名思っていたが、それでもあまり長く途絶えると気になったりしていた。結局10年間につづったブログは1466編になり、ページ数にすれば膨大である。当初はデジカメ画像が多くなり、どう整理しようかと考え、写真に説明を加えたり関連事項をWebで調査して加筆したものを残しておこうと考えた。結果として写真を中心にして私をめぐるいろんな事柄が画像で残っているのは有り難い。デジカメ画像は無数でとても分類整理など出来る数ではないが、ブログは時間系列になっており大まかな分類もされているので回顧には便利である。 今回はまさしく気まぐれ日記である。先日高齢ン散歩道をいつもの石神井川沿道からずれて数年前にできた環状八号線に出てみた.ふと路上を見てみると変わった木の実が落ちている。なんだか10年位前までのサッカーボールである。 上を見上げると同じものがまだ木になっている。この通りはまだ新しく植栽も若いので今まで気にすること見なかった並木であるが初めて見る樹である 実はこの周りの並木はみなこの樹と葉っぱが類似しているハナミズキである。 ハナミズキの葉と実横の通りに行ってみるとハナミズキの並木かがあるが明らかにその実の形が違っている。 もう一度前の通りに出てみると熟した実とともに遅咲きの花がまだちらほら見える。 花びらー実は花弁ではなくガクーはハナミズキそっくりで区別がつかない。帰宅後webで調べるとこれはヤマボウシであることが分かった。白いガクの上にある牡丹餅のようなものが花の集合体で、集合花ということが分かった。
2016.09.09
コメント(0)
全8件 (8件中 1-8件目)
1
![]()

