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司馬遼太郎も昭和を代表する歴史小説家なので数多くの名作を生み出す一方,駄作や微妙な作品も数多く作っている。たぶん,この『播磨灘物語』は駄作とまでは言えないものの,微妙な作品というべきところかなぁ。新装版 播磨灘物語(1)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ]簡単なあらすじとして,本作は黒田官兵衛を主人公とした長編歴史小説になる。文庫本で全4巻。『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』が全8巻,『翔ぶが如く』が全7巻というのに比べたら短いが,だいたい2~3巻くらいで終わらせる司馬遼太郎としては全4巻というのは長いというべきだ。さて,内容なのだが,黒田官兵衛の祖父の世代から始まる。もちろん,祖父の世代や父の世代は比較的にあっさりと,第1巻の中ほどで終わり,主人公としては官兵衛である。そんな官兵衛の人生についても濃淡があり,秀吉の中国大返しから天王山の戦いまではゆっくりと描きつつも,光秀が死んだ後は唐突にダイジェストになって終わる。苦言を2つばかり呈するが,1つは構成上のことだ。もともと,僕は司馬遼太郎の構成力には疑問を持っていて,新聞連載だったからと言われれば仕方ないが,重複する描写や説明が多かったりする。どうしても司馬遼太郎の長編だとそういうところが出てきてしまい,個人的には短編の方が好きなのである。後書きを見てみると,「ふりかえってみると,最初から別に大それた主題を設定して書いたわけではなく,戦国末期の時代の点景としての黒田官兵衛という人物がかねて好きで,好きなままに書いてきただけに,いま町角で,その人物と別れて家にもどった,という実感である」(4巻,講談社文庫新装版,362頁「あとがき」より)こう見ると,あんまり構成を考えて書いていたわけではないようだ。個人的には,関ヶ原の戦いとき,官兵衛が九州でした活躍なんかも書いてくれて良いと思うのだけれど。もう1点の苦言としては,あまり読んでて熱くなる場面なんかがなかったところ。司馬遼太郎の作品にはどこか魔力があって,たとえば『竜馬がゆく』だとか『燃えよ剣』なんかを読んでいると,名もなき若者でしかない主人公が,「俺は天下のために役立つ男になりたい」と怪気炎を揚げたりする。もう,読んでいるこっちまで「俺もなにかできるのではないか?」と思わせられるのだが,『播磨灘物語』にはそれがない。言ってしまえば,黒田官兵衛という男について,司馬遼太郎が無欲で恬淡な人物として捉えているからそういう描写がなかったのかもしれない。唯一あるとすれば,官兵衛が荒木村重により土牢に幽閉されてしまったところくらいか。なお,このとき竹中半兵衛が命をかけて官兵衛の子どもを助けてくれるシーンがあり,熱い友情を感じさせるのだけれど,伏線めいたものが全くないのでなんか燃えない。もっとこう,創作でいいから桃園で酒飲みながら義兄弟の契りを交わしたとか,逆に半兵衛の失策を官兵衛が助けた話を入れておいて欲しかった。新装版 播磨灘物語(1) (講談社文庫) [ 司馬 遼太郎 ]
2021.04.26
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『あしたのジョー』50周年記念作品,『メガロボクス』を見る機会があったので感想を書いていきたい。ちょっと辛口です。1話は無料なので,リンク先から見てもらうといいです。メガロボクス ROUND2 “THE MAN ONLY DIES ONCE”【動画配信】まず,ざっくりと世界観の説明を。メガロボクスというのは,この世界で流行っている格闘技で,ギアと呼ばれるパワードスーツみたいなものを身につけて行うボクシングのことである。主人公のノマド(のちジョーと改名)は市民IDを持たない,要するに戸籍だとか市民権を持っていないはぐれものであるのだけれど,メガロボクスのチャンピオン,メガロニアを目指して戦うという物語である。色々と思うところはあるのだけれど,個人的に思うのが,「ギアとは何だったのか?」というところである。人間の拳というのは鍛え上げれば立派な兇器となる。『空手バカ一代』で大山倍達は素手でヤクザを撲殺してしまっていたし,現実のプロボクサーだってその気になれば人間を撲殺することくらいできるのだろう。普通に殴り合うだけで生命の危険があるのに,ましてギアと呼ばれるパワードスーツを身につければ,古代ローマの剣闘士の試合のように,死者が続出する血なまぐさいものになるだろう。たぶん,一撃入れたところで殴られた方は戦闘不能になって競技として成立しないだろうし,せいぜい1ラウンド以内に決着がつくんじゃないかな?さらに意味がわからんのが,主人公のジョーはギアをつけず,基本的に生身で戦うのだ。ジョーはギアをつけたボクサーたちと互角に渡り合うどころか,連勝を重ねていくのだから,ギアの有用性が分らない。一応,ギアを身につけないジョーの方が素早さはまさるだとか,ギアの音で次来るパンチが右か左か判別できるだとか,「相手のギアの電磁波だとかを読み取って自動的に反撃する機能」がジョーを相手にする場合使えなくなってしまうだとか,ギアなしで戦う意味もあったが,それでも腑に落ちない。機械を使うスポーツでいえば,現実世界でもモータースポーツと呼ばれるカーレースだとかバイクレースがある。これだと,マシンと生身の差は絶対的で,たとえばバイクに自転車だとか徒歩で勝てるはずがない。しかし,『頭文字D』のように性能で劣るとか,旧式マシンで高性能の最新式マシンに勝つ,というのも1つの見せ場であり,ジョーも低スペックのギアで戦っても良かったように思うのだ。頭文字D(1)【電子書籍】[ しげの秀一 ]あと,突っ込みどころとしては,メガロボクスには体重性がないらしく,明らかに体格差のある試合が組まれているところだとか,中盤には着脱可能なギアではなくて一体型とかいう,体に手術で埋め込むタイプのギアが登場したりでレギュレーションがなさそうなところだとか。個人的に,この作品でもっとも残念だったところはギアの設定が練り込まれていなかったところ。ギアというのはメガロボクスの根幹ともいえるものだろう。この部分に引っかったせいで,この作品の世界に没頭することができなかった。そういうわけで,僕の中の評価は低い。ここで,逆に機械と格闘技の融合する世界観をうまく描いていたのはかのGガンダムである。機動武闘伝Gガンダム 第2話 唸れ!夢を掴んだ必殺パンチ【動画配信】ガンダムを,巨大ロボを使って格闘技の試合を行うという無茶苦茶な世界観ではあるが,ロボを使うから成立する必殺技があったり,世界観が練り込まれていて「なんでロボットで格闘技を? 素手でやればいいじゃん」という疑問を感じさせない。なお,文句を言いつつも僕はメガロボクスの2期は見る予定である。いまのところ,2期の2話まで見たけれど,2期の方が好きかもしれない。そのうちこっちも感想書く。メガロボクス ROUND FINAL “BORN TO DIE”【動画配信】
2021.04.17
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判例タイムズの2021年4月号(NO.1481)を読んでいたら,発信者情報開示請求の証明度についての論文と,関連する裁判例が2つ掲載されている。いま流行の,というわけでもないが,ちょっと書いておこう。インターネット関係仮処分の実務 [ 関述之 ]まずは,巻頭に掲載されている論文から。東京高裁の部総括,近藤晶昭裁判官の『民事事実認定の基本構造と証明度について』というものだ。色々書かれているけれど,最も言いたいことははプロバイダ責任制限法4条の,発信者情報開示請求の要件にあげられている「権利侵害が明らか」の解釈論だろう。ここで,「権利侵害が明らか」というのは「権利侵害があること」に加え,「違法性阻却事由のないこと」の立証まで必要になる。近藤裁判官によると,発信者情報開示請求の際,従前の運用は原告が提出する陳述書等により,「権利侵害が明らか」という要件は緩やかに認定されていたという。ところが,近年は被告のプロバイダが発信者への照会の結果,発信者作成の陳述書を提出すると,多くの一審は原告側において違法性阻却事由の不存在の立証ができていない,として請求を棄却されてしまうことが多いというのだ。確かに,字義通り解釈するのならば,「権利侵害が明らか」について,多くの一審のように,発信者側から一応陳述書が出てくれば,違法性阻却事由があることが一応程度にはうかがわれる。なので,基本的に被告側が発信者作成の陳述書を出せば,まず原告側の請求が認容されることは難しかろう。近藤裁判官が問題だ,と指摘している点としては,その発信者作成の陳述書の内容が,具体的な日時場所の特定もなく,およそ原告において反論することが難しいと言う点だ。「権利侵害が明らか」,という文言についても,権利を侵害された者が権利回復を図ることがdけいないような解釈運用がされるべきではない,というのである。そこで,近藤裁判官は発信者作成の陳述書が匿名で,日時場所も明らかでなく,反論が難しい場合,実質的証明力を低いとみてよいのではないかと結んでいる。個人的に,ここからが面白い話なのだが,この判例タイムズ4月号,なんと近藤裁判官が担当した発信者情報開示請求にかかわる東京高裁の判決が2つも掲載されている(東京高裁R2.11.11,東京高裁R2.12.19)。ある意味で前記論文の答え合わせというか,あてはめみたいな感じになっているのが面白い。僕は,普通に判例タイムズを読んでいて,「あぁ,巻頭の論文のやり方で判断している裁判例があるなぁ・・・。有力な見解なのかな?」と思って担当裁判官の名前を見て,思わず声に出して笑ってしまった。そりゃ,そういう判断になるわぁ,と。収録されているいずれの裁判例も,一審では原告の請求は棄却されている。主要な理由としては,被告のプロバイダ側から発信者作成の陳述書が提出されているためだ。それを,いずれも近藤裁判官が高裁でひっくり返した形になる。もっとも,,東京高裁R2.12.19については一部の書き込みについて,発信者作成の陳述書以外の資料,たとえば国民生活センターやらの照会結果により,原告についてある程度の苦情相談事例があったことから,開示は認めていない。なので,近藤裁判官といえども,いつでも発信者情報開示請求を認容するとも限らないのであるのだろう。以下は私見であるが,実務上,「権利侵害が明らか」となるのはどういうケースなのであろうかと。裁判例の分析をするにせよ,論文中で近藤裁判官が概要,「近年は発信者作成の陳述書があれば,一審はたいてい原告の請求を棄却することが多いように思う」と述べている。統計はないようだが,裁判官の肌感覚であるから間違いはないだろう。実際のところ,発信者作成の陳述書が出れば原告は敗訴する可能性が高いのだろう。そうすると,1人の弁護士としては,あくまでこの論文と収録されている高裁判決2つは例外的なものだと考えつつ,安易に「発信者作成の陳述書が出たけど,恐れる必要はないぞ!」と思っちゃいけないのだろうな。最後に,このこの問題については,あまりに原告側に酷だということで法改正の動きも出ている。その場合はこの論点が消滅することになるのだろう。できたら,そうなって欲しいものである。インターネットにおける誹謗中傷法的対策マニュアル 中澤佑一/著
2021.04.06
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『国盗り物語』は前後編に分かれていて,前編は斎藤道三,後編は織田信長である。これは本書読む前から聞いていたことであったし,前編は確かにその通りだった。ところが,後編は本当に信長編だったのだろうか。国盗り物語(三)(新潮文庫)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ]まず,『国盗り物語』の後編を読んでいると,冒頭は信長が登場するので一方で,前編の主人公だった斎藤道三がちょいちょい存在感をアピールしてくる。ただし,もはや斎藤道三は「主人公力」とでも言うべきか,世界の中心に位置し,どんな逆境をもはねのける主人公補正を失ってしまっている。前編では,土岐頼芸の実子である斎藤義竜をうまく利用していたのだが,後編ではめっきりそれが裏目に出てしまい,自らを滅ぼす形になる。毒をもって美濃を取ったマムシが,自らの毒で滅びるようでもの悲しくはあるなあ。ただ,言うならばこの『国盗り物語』は,光秀がお万阿に道三の死を伝えに行くシーンで終わっても良かったかもしれない。で,後編の主人公とされている信長であるが,意外や,これが影が薄い。Wikipediaを見ると,本作は信長と光秀のダブル主人公ということになっているが,光秀が主役と言って差し支えないのではなかろうか。作中,司馬遼太郎はこう書いている。妙なものだ。筆者はこのところ光秀に夢中になりすぎているようである。人情で,ついつい孤剣の光秀に憐憫がかかりすぎたのでであろう。(『国盗り物語』3巻,「半兵衛」の冒頭より)僕は,司馬遼太郎について,魂を揺さぶるとしかいいようのない描写をする魔力を感じるところではあるが,長編小説の構成力には問題があると思っている。恐らくは,本作は普通に信長を主役に書いていたのに,話がわき道にそれて気がつけば光秀編になってしまったというのが本当のところじゃないかなぁ・・・。光秀については,武芸者として野試合をする「六角斬り」だとか,古今集や新古今集に出てくる松が枯れ果てていたので移植したという「唐崎の松」だの,前述した斎藤道三の亡き妻,お万阿との交流だの情緒的なエピソードが多く,著者の愛情を感じるところなのだ。総評として,『国盗り物語』は斎藤道三編は文句なく名作であるが,信長編になると主役が途中で変わってしまうと言う構成上の問題点がある。斎藤道三編と信長編の途中,光秀がお万阿に道三の死を報告するまででが面白いところで,それ以降はちょっと落ちるのかもしれない。最後に蛇足をば。僕は司馬遼太郎はスカト口趣味があるのではないかと思っており,たまにTwitterでもそんな話をしている。それなのに,竹中半兵衛が斎藤義竜に小便をかけられたことで怒り,稲葉山城を奪ったという逸話は入っていないようだ。本作で,というか司馬史観では,半兵衛の舅である安藤守就が義竜に諫言したところ,扇子で頭を叩かれ,謹慎させられたことを動機にしている。ス力トロ好きの司馬先生としては珍しいことである。こうして小便のせいで反逆したとされる半兵衛に対し,司馬史観では小便で出世した人物がいる。秀吉である。『国盗り物語』の信長編の序盤,「猿の話」は若き日の信長と秀吉との交流を描くのだが,ここで信長は門の上から外を見下ろしているうち,秀吉の猿面を目みて「矢も楯もたまらずなにかしてやりたくなり」,小便を引っかけたというのである。秀吉は激怒し,梯子を駆け上がるのだが,そこにいたのは信長だった。「殿様でも許せませぬぞ」と激怒する秀吉に信長は謝罪の気持ちもあって「明日から俺の草履をとれ」と小者から出世させたという話。これは『祖父物語』に出展があるといういうが,どうも僕の中の秀吉像と違う。秀吉なら内心で激怒しつつも,信長にそれをぶつけるかなぁ,と。逆に,それだからこそ信長もびっくりして出世させたのかもしれないけれども。国盗り物語(四)(新潮文庫)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ]
2021.04.01
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