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僕がアシモだったりムラタセイサク君だったりムラタセイコちゃんだったりしたらもう、今そうとう何かバツが悪い思いをしているだろうと、ずっと思ってた。3月12日あたりからずっとそれを思ってる。結局、軍事の為に開発されたものが一番強い。物質そのものの価値は社会や環境やその他が決めるって事だよ。今、このわたくしが決めてるって事だ。
2011.04.21
愛情は水のようなものだと思う。私は幼い頃それなりの愛情を注がれたと思う。意図的な虐待をうけたわけでもないし無関心を感じたとしても大して偏差値の高いものではなかったし育つに難なく健康でご飯も病気にならない程度に作ってもらっただから多くの人がそうだと思うように私も親に対する愛情はそれなりに水平線が見えないほどに今思えば、リアルに琵琶湖くらいかな、あったと思うそして親も注いだ愛情は決してなくならないと自信があったと思う。なにより私に自信があった。ところが、その分の貯水をここへ来て親がいとも簡単にそれを飲み干してしまった気がついたら最後にコップ一杯になっていて目の前でごくごくと飲み干されてしまった。こんなに少なくなっていたのに、気がついたのはごく最近だった。私はその飲み干されいくのをことんと空っぽの音をたてて置かれたそのコップを目で追う。信じられない、と言う表情だったろう。ああ、なくなってしまった。本当になくなってしまうんだと思った。自分をあわれみたかった。けれどコップには注がれた水の後が残っている。土に空いた穴には確かにここまで水があったと言って、濡れて黒い。そして多分、人はこれだけでも生きていける。これだけで十分前に進める。もう、渇望なんかしなくていい。親は知らずにいい気になっていていい。肯定する。強い力で肯定する。かつて注がれた愛情の記憶は決してなくなる事はない。ただそれが今、ないだけの事だ。そもそもが何もない場所だったのだ。苦しまなくていい。苦しいのは想像力のせいだけだ。
2011.04.06
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