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にトラックバックでコメントをもらいましたがいまいち利用の仕方がわからないのでここに書きます。や、本当に不思議です。昨日書いたのは水の検針員の話だったんですがデリヘル嬢さんはそこから水の結晶の本の話をされたんです。で、実はその水の結晶の話を始めて聞いたのはその前の日記の4日前の会員制クラブの億万なママからで彼女は自分の歌で水の結晶に真珠が現れたと熱心に語っていたのです。デリヘル嬢さんがおっしゃっていた水の結晶の本を片手に。や、正直そのときはあまりに宗教がかっているように聞こえて放送コードには載せられないなとは思っていましたがトラックバックいただいたのでちょっと調べてみましたら日本で10万部売れてるロングセラーで日本の本なのですがヨーロッパの方ではもっと話題を呼んでるみたいですね。なんでも水に聞かせる音、音楽や言葉で水の結晶が形を変えてその結晶達の写真集みたいですね。レビューの中で水でできてる人間だから当然私達の中の水も音や言葉で形を変えてるわけで・・子供にかける声も考えてしまう。。なんて結構深いですね。すごい偶然でまったく違うところから同じ話題が出てくるってのは何かおもしろいですね。だって取材者の麻布のママと楽天で訪れたデリヘル嬢さんですよ。ま、確かに水というのは感情の波動も確かに受けやすいんですよね。波動計る機械でも顕著に現れるそうですよね。放送コードには「見えないもの」はなかなか厳しいんですが僕本人は「見えないものを信じないのはバカだ」と思っているので個人的にはとても好きな話なんですけどね。ま、なんにせよ自分の出会うものっては必然に思えてならないというか自分が創ったものに思えてならないというかだからこそ僕も変わろうって意識がいつもあるんですけどね
2005.01.28
もっとも多くのプライベートに触れる仕事って何でしょう。僕はその一つが水道の検針員さんだって思ってます。ちょっと前に話に書きましたが僕の母は水道の検針をしてます。彼らの仕事は水の量を調べるだけではないんです。水道水が前月に比べて多すぎたり少なすぎたりするとそれぞれの家にその理由を聞いて明らかにするところまでが仕事なんです。てなわけでなんで水が前月より少ないの多いのって聞くんです。そうすると答えが子供が一人上京してだったり、夫が入院して、とか妻が出て行って、とか子供が生まれて、とかとにかく凄く立ち入ったことを答えてくれるわけです。別にそこまで言わなくていいこともいったりする人もいますし。家族構成は当然情報として持ってますし。時々「そんな事までいわなあかんの?」と言う人もいるそうですが。いわないかんのです。機械の故障だといけないからだそうです。こんな話を聞いているうちに昨日ピーンポンときました。「水が先月より少ないようですがどうかされましたか?」検針員さんは知っている。僕の家の同居人がここ2ヶ月家にほとんど帰ってないことを。水ってそれくらい如実に生活語ってるってこと。人間て水からできてるってこと。へー。
2005.01.27
座っただけで5万という麻布のクラブへ 打ち合わせに参りました。日本から2日半かかってたどり着いたアフリカの難民キャンプよりある意味異国が広がってました。おもしろいママでした。ここは取材決まりですんでこれからちょくちょく登場します。
2005.01.24
催眠術師は言葉だけで脳を操るという人。ま、番組制作することになったはいいが制作者誰一人信じていない。僕は信じてるけどね。まるまるっていうか、そういう言葉の力ね。最近興味深いのがホムンクルス(スピリッツのお勧め)の前か後ろにいうも心理学コラムをのっけている心理学者。彼いわく、日常的に僕らは会話の中で催眠術を掛け合ってるだそう。ふーん。僕はすんなり分かる気がした。だって本当の客観でみればあることないこと証拠なしにしゃべってるともいえるんだから。で、信じてるでしょ。で、言葉によってその人間の形が決まるでしょ?
2005.01.22
忘れないうちに書いておこう。イランの新聞作りを追ったドキュメンタリー。言論の自由の微妙な国で一所懸命やってる姿に僕の口は何回か痙攣を起こした。その中でイランの庶民への街角インタビューで。「サダムフセインはアメリカが生み育てたのよ。ビンラディンも同じよ。」「サダムフセインに武器を与えたのはアメリカじゃん。なのに今になって犯罪者扱いかよ。」と実に論理的に普通の庶民が批判しているのが興味深かった。伝えたい事がいつも明確にあってそれを伝えるために真摯になれる事は実に楽しいと思う。今僕のやってることはって振り返らずにはいられないよね。。
2005.01.20
僕の会社には西の人間が多い。かくゆう僕も西で。とはいうものの、仕事では一切方言使いません。やっぱり後輩か同輩にしか出ないものですね。基本は。僕の会社の関西人は本当にコッテコテ関西弁です。入ってきた当初からみ社長はじめ、社内の先輩方にいわれてました。「まずは関西弁をやめなさい。」理由は、やっぱり尊大に聞こえるからってこと。あと聞き取れない。西の僕でも時々聞き取れない。彼は東京に来てもう4年も立つのに、4年前からずっとかわらず関西弁。社長にいまだにいわれていた。つい1週間前。「今年こそ、関西弁やめろ」かくゆうコワモテ社長こそ、関西人にして関西弁を抑えている。女の子で関西弁を抑える子はよくみるけれど関東にて関西弁を直さない男は割合多い。で、最近気が付いたこと。僕の同級生(前述済みの路上生活者)はかつてすごい吃音だった。ものすごい勢いでどもっていた。正月の同窓会でその謎が解けた。彼は僕の小学校に転校してくる前関西にすんでいた関西人だった。同窓会では流暢に関西弁で初めて気がついた。吃音はまったくでてなかった。名古屋になじむため関西弁を抑えようとしてたからあんなにひどい吃音になってしまっていたよう。関西弁を直さない関西人を関東人は時々毛嫌いするのをみるけどしゃべり方ひとつとっても僕らは個性を持っていて直せない個性ってことでまあそれでも認めてもらえる人間になればいい。文句ないじゃろって。かくゆう僕は名古屋ってまったくわかんないと言われるくらい標準語になってしまって地元に帰ると語尾の「ガン」の嵐(名古屋はよく言われる「みゃー」なんていいません。18年住んでましたが、一度も聞いたことありません。一番多いのが「ガン」なのです。)にちょっと戸惑うくらいなのだがそれでも名古屋弁をしゃべっとる時は緊張しとらんときだってのは否めんわけで。方言をもってることを誇りにおもう気持ちも否めんわけで。
2005.01.19
バイカーにとってこの時期。手袋なしで走る事はできません。そんな最近に限って。片方落としてしまったと気づいた僕。そのときすでに落としてから8時間経過。見知らぬ土地。歩いた道を一歩一歩探して回る。見つからないままバイクにたどり着く。もう夕張せまる。でももう一回戻ってみる。一度ゆっくり丁寧に見た道をもう一回同じ事をする。だって見つかるって信じちゃってる。なくなったなんてこれっぽちも疑わない。すると、やっぱり見つかる。一回目なんで見落としたんだろうって不思議なくらい、わかりやすいところで。街路樹の植木の上にポコっと乗っている。誰かが乗っけてくれていた。あきらめない僕に。誰かが助けてくれたのね。おーテンキューテンキュー。あきらめないといいこともある。疑わないといいこともある。ムカシえらっそうに「あきらめ」が肝心だなんて「生徒諸君」に演説しくさったバカ教師にパンチを。今ふと思い出したけど。取材拒否する取材者にもおんなしことが言えます。がんこなおんな主人ダメダメ絶対でないよ。うちは。過去にテレビでひどいめにあったんだから!なんてドア開けた瞬間一掃される。それでも3時間後もう一回言ってみる。すると同じ人なのにまったく違う人がいる。おばちゃんは結局快く取材を受けてくれた。大御所二人を連れてったのに。で、だいぶ迷惑かけちゃったのに。ものすごく喜んでくれた。不思議だ。でもやっぱりそんなもんだ。
2005.01.17
僕は今、なんだかんだで番組を3つかけ持ってますが。ひとつアシスタントとして催眠術番組作る事になりました。本日の打ち合わせ。とりあえず僕に催眠術をかけてもらいました。ディレクターもかけてもらいました。・・・。これは判断が難しいところ。催眠術とは言葉によるものです。かけられたときをこんな感じ~と説明すれば、それがかかったってことよ!と言われます。う~ん。意識ははっきりしてるのに。ひとつ経験したのは「ピースした二本の指がくっつきます」といきなり言われてマジで僕の指がくっついていった。そのくっついている自分の指がおかしくてそれをみながら爆笑してました。笑いは集中力を切るそうで軽くおこられました。ふはは。
2005.01.16
同級生ホームレスが風邪ひいた。入院する金がないっていうんで送金した。10万送金した。・・・・・。僕金持ちじゃないよ。・・・・。早く元気に働けるようになりますように。それと本当に入院してますように。僕も金ないから。うう。
2005.01.12
正確には最近帰ってこない僕の同居人の水槽。寒くて死んじゃったよ。全滅しちゃった。ずっと面倒見てたのに。僕のいない間にチラっと帰ってきた持ち主の同居人が水を替えようとしてヒーターを間違って切っちゃったんだと。恥ずかしながら僕正月早々浮いた魚みて一人で大号泣。なんて寂しい画なんだ。「彼が大事にできないものは持ってくるなっていうから。ふふ。置いてくね。」と同居人。のやろー!!冗談にならねーよそんなセリフ。僕も女の子には強く言えない性格がたたって面倒見とくわっていっちゃったのが馬鹿だけど。(魚かわいいし)ていうかおまいらカップルそろって小学校の先生じゃねえか!泣 バカっ。小学生でももうちょっと賢いぞ。ていうか魚しんじゃったってしってんだから早く埋葬してやってくれ。もう4日もたつんだぜ。屍カビ生えてるんですけど。生き物には責任あるんだぜ。そんな気持ちで動物かっちゃいけないんだぜ。かわいいだけで飼うんじゃねっ。最後までなんとかする責任とか。幸せにする覚悟とか。自分の生活ささげる意思とか。それを見て僕の別の友人は主張していた。本当に動物飼いたいとかかわいいとかいうやつは頼むから保健所へ行けっ僕の実家の犬も捨ててあったやつで猫ももらってきたやつだった。だいたいにおいて世の中は普通でない事は知ってるけど僕も友人の言葉へ一票。
2005.01.10
僕の母はぶっとんでいる。ものすごい勢いでぶっとんでいる。そんな母にこの正月25年ぶりのうれしハプニング。母の父、じいちゃんはハーフらしきイケメンだったが金を持ってこず。(僕はイマだその人にあったことがない。)すぐに別々に。だから母はいわゆる、みなしご。ばあちゃんの腕一本(お店経営)とその同居人(前科もち)とともに母いわくいじめられながら育つ。短く言ってその後東京へ逃亡。売れないがお色気系タレントで当時にしては稼ぐ。金持ち狙って何股もかけてあげくストーカーに追われる。(たぶんこの頃、僕には言えない事をいろいろやらかしてると思う。)ばあちゃんの仕向けた使い(ばあちゃんの店の仕入れ人)とともにドラマのようにホームを走って実家へ逃げてその純朴な田舎ものと結婚。出産。ところが純朴な田舎ものはバブルに乗って大金持ち。夢にまでみた大豪邸(近所の人は病院と見紛う)にすむ。絶頂はここまで。後は転落の一途。家族関係のいがみと経営悪化(まだがんばってるけどね)ものすんごい借金と人間関係ヘドロドロドロの中子供2匹は東京へ旅たつ。さびしいよね。夫婦仲さめっきり。つないでいるのは利害関係の最適化のみ。金を稼ぐためにそれまでやったことのない肉体労働。水道検針の仕事で汗すること約10年。夫は冷たい。ぶっとんだ性格のため友人もほとんどいない。武器の化粧も薄くなる。寂しがりやなのに、本当に一人ぼっち。そんな母へ。2005年正月。一本の電話。ムカシ何股もかけたうちの一人。ロシア人のハーフ。金持ちダンディからの電話。「ねえキャロライン(*仮 母の芸名)今度仕事でイタリアに行くんだけど、一緒に来ないかい?」僕の母は本当に友達になりたくないタイプだ人生で一番嫌いなのが親なんてそんな悲しい事はなけいけれど僕は母を好きになるためにものすごく時間がかかってしまった。でもこの人は多分僕がこれまで見た人のなかでいちばん素直な人だと思う。子供が大人の姿を持ったような人。まるでRPGのような人生で長い時間かけて悪や欲とに流され戦って大迷路を歩いきてひたむきに寂しさと戦った人にトンでもないとこから王子様がやってくる事のを目の前で見て僕はニヤニヤせずにはいられなかった。母よ。これからも思うぞんぶんわがままに。いろんな事を教えてください。
2005.01.07
人生の中で本当の先生なんてなかなか会えませんね。何か偉大な事を教えてくれるだけでなく生徒への愛情がまた大事。僕の人生にはこれまで二人います。一人は小学校1、2年の先生。二人目は大学の時の非常勤講師。そのうちの一人の先生に今年、1月2日、約20年ぶりに会いました。担任当時先生は当時50歳くらい。なんと成人式にもいらっしゃって同級生もわからないくらい変わっていた僕の顔をみてすぐに「○○ですね?」と言ってくれて思わず涙。ほかの同級生も涙していた。ずっと気になってたので僕の独断で会いに行く日にちを決めてみたら当日同窓会にこない連中までもやってきました。20年も前の先生にみんな会いたがっていた。それはその先生だから。車で集合した待ち合わせ場所に先生が現れる。退職されているにもかかわらず、当時とまったく変わらない格好。ワイシャツにネクタイ。ベストにグレーのズボン。先生だ。先生の自宅。20年前にもかかわらずたくさんのビデオを撮ってくれていた。その日だけでは見きれなかった。給食。授業参観。図工。何気ない風景。そして最後のさようならの日まで。教室の前の入り口を三脚で固定されたカメラが見つめる。もちろん先生がセットした。一人一人名前を呼んでは、顔をのぞきこむ。両肩をとって「さようなら」先生も僕らを担任してその小学校を離れていた。その時で先生がいなくなるなんて、8歳の僕らは気づいていたんだろうか。子供らしく恥ずかしげに逃げるようなさようなら。僕らはものすごく幼かった。固定カメラはカメラの枠外で教室を施錠する先生も伝えていた。どんな映像作家だって、これ以上の映像は作れないね。思い出は話せしだせばいくらでもあった。九九は100問正解するまで帰れなかった。できなければ居残り。できれば、氷砂糖をくれた。もちろん、学校ではダメなこと。会いに行ってはじめて知ったこともあった。先生として上部の人にはかなり不評だったと。「こういうタイプは校長にはなれないけど担任を最後まで持った方が楽しいもんな」校長にならなくて生徒に愛されていた先生は僕らが想像するよりきっと困難が多かっただろうか。それでも僕らがお会いした先生は幸せそうで本当の幸せはこういう事だろうって僕らは学ぶ。先生はいつまでも僕らの先生であの日もらったやさしい氷砂糖は僕らの中でいつまでたってもとけることはなさそうです。先生に会いに行ってよかった。時計の巻き戻しはできなくとも僕らのイマは確かにムカシの上に立っている。
2005.01.06
あたらしい年になりました。この年末年始とにかくさまざまな事が心身に影響しました。よく考えてみれば仕事以外では珍しい事です。ひとつは小学生のころの同窓会があったこと。ひとつは小学校1年生の時の先生とお会いしたこと。ひとつはうちの母におもしろ事件がおきたこと。同窓会。僕はこれまで全く無縁でした。行方不明になってたも同然、実家の人はほとんど連絡がとれない。それとは裏腹、地元の同級生達は密に連絡を取り合ってたようで、なんと小学校一学年分の同窓会が実現。す、すごい。同級生の衝撃。既婚者。子持ち。めでたい。漁師とか車上生活者とか死者とか犯罪者とか。「俺~調理師してたんだけど目の前で師匠が指4本おとしてさ~それから包丁にぎれんくなっちゃってさ~今、車上生活。」商社マンやら医者やら新聞社カメラマンやら、地元の放送局の音声やカメラマンやら。ぬぉーっ!おもしろいなぁ。
2005.01.05
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