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終末の買い出し。来週のアメリカデフォルトに備え食糧備蓄とかいうわけじゃないが、どうも買い物力が強すぎるような。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月31日
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こちらで安い日本のDVDを買って観ている。オランダ系の連れ合いと観る時は、英語の字幕が必要だ。「DVDの英語字幕を観ていたら『594』というのが出て来たんです。」オージーのご主人と結婚されている友人が入った。「その時の、日本語は『さあ、行くよ』だったんですよ。思わず、笑ってしまいました。」自動翻訳機も結構質が良くなってきているらしいが、安ものに使うものはこの程度なのだろう。まだまだ、追いつかれそうにないようだ。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月29日
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これは、東大の児玉教授の心から叫びだ。これが真実に近いだろう。目をそむけずに、ここから何ができるかスタートだろう。http://www.youtube.com/watch?v=O9sTLQSZfwo&feature=share毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月29日
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「大変だ、ロシアがアフガニスタンに侵攻したよ。」TVを見ていたカールがそう言った。1979年12月末、私はニュージーランドの友人宅に遊びに行っていた。それからアフガニスタンの泥沼戦争が続いている。NZには3度行ったことがある。これが1度目、サラリーマン時代だ。その年の夏にに知り合った人を頼って行ってしまった。2度目は1985年の12月から1月にかけて。既に、サラリーマンを自ら下りて、オーストラリアに移住目指してメルボルンで皿洗いをしていた時だ。ビザの延長には海外に出ないとならない、ということで1カ月回った。3度目は、やはりメルボルンからビザの延長目的で。この時は僅か1週間。「タコ、ラグビーワールドカップが9月10月にNZであるよ。一緒に、日本戦観に行こうか。宿泊はさ、姉の家があるから問題ないよ。」ということで、9月に4度目のNZとなった。日本対フランス戦だ。1984年に日本で観た新日鉄釜石対フランスは65対6だった。7連覇の頃の釜石にしてこれだった。まっ、試合は度外視しても、我日本にニュージーランド人と一緒に応援するのも悪くないかなと思って行くことにする。日本の友人に100円ショップで必勝鉢巻きを五本頼んでいる。Go to NZ in September to see Rugby World Cup.毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月28日
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どういう訳か昔から接待する方がされる方より大好きだ。オランダ系の連れ合いは、この考えに与していないが。先日、焼肉の接待を受けた。まずは、刺身から。こちらの刺身、放射能汚染は今のところ心配ないので安心してたべられるが、日本と違って貝類がない。日本は本当に貝類が豊富。接待されているので苦情はまったくなく、安心して過ごせる一夜となった。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月27日
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Sといっしょじゃなかった、とかいう話ではない。「富士山に登らない?」久しぶりに高校のクラス会で会って意気投合したMと富士山に登ることになった。1983年のことだった。Mは私が高校時代2年間、狂おしいほど片思いした女性だ。その時はバツイチ独身、小学校教諭をしていた。私の方は、社内恋愛に破れ独身貴族ならぬ、独身平民生活を低空飛行していた。富士山は一度登頂に失敗していたので、是非登ってみたかった。実は、この二度目の挑戦も8合目で酸欠で断念、無念の涙となってしまった。その夜は富士宮のホテルに泊まることになっていた。食事の後、カラオケに出かけた。客のいないステージで2人でふざけ騒いだ。酒に強いMの飲み方が尋常じゃなかったのが気になった。私も富士登山失敗でやけ酒が進んだ。ホテルに戻った。経済的な理由ということで部屋は一つだった。あんなに思い続けていたMと富士山の裾野の富士宮で、こうして同じ部屋にいる。当り前だが、他に誰もいない2人っきり。「タコ君、飲もうよ!飲もうよ!」と持参した角瓶を持ち上げたところでMは急にトイレに駆け込んだ。ところがMはトイレに入ったまま出て来ない。心配になりドア越しに何度も何度も話かけたが気持ち悪いといいつつ出て来ない。ドアは内側からロックされていた。その内、声もしなくなった。寝付けない不思議な夜となってしまった。こんな手もあるのか、などと思った訳ではないが。1976年6月のアリと猪木の格闘技戦のように、誰も予想だにしなかった戦法の展開となった。不戦勝か不戦敗か分からないが。そして、そのまま朝を迎えた。何とも不完全燃焼の富士登山となった。富士山もMも、私にとっては役不足だったと思うようにしている。I’ve tried to climb Mt Fuji in 1983 but,,,,毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月26日
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1963年11月23日の朝、私はTVの前で日米衛星中継の開始を今か今かと待っていた。そして、やっとスタートした画面からケネディー大統領が暗殺されたニュースが届いた。1969年7月21日昼、アメリカのアポロ11号のアームストロング船長が月面に降り立った。私は、夏休みで近所の高級珍味料理工場で料理用のクラゲを洗っていた。誰でも、あの時自分はどこで何をしていたか、と忘れ得ない日がある。「タコさんね、3月11日の地震の時に私はとんでもない所にいたんです。」こちらの日系企業に勤めている知人がそう言った。もしかして、不倫相手とラブホテルとかじゃなだろうかと生唾を飲んだ。何千万人もの人があの時地震を経験している訳で、そういう所に居た人も少なくない筈だ。「実は、母親の葬式の日で焼場にいて、正に炉に入れようとていたときだったんです。そこにいた、他の家族の方たちも一斉に外にでたんですよ。」想像しただけで、何とも答えようのない状況だった。笑って聞ける話でもなかったが、そういう方々も結構いたのだろうなと思った。私もあの地震の日に日本にいた。とんでもない所にいなくてよかったなと思っている。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月24日
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1983年の政府広報、コアラまで動員して原発へまっしぐら。あの頃、なすがままにされてしまったツケが、計り知れない規模で日本を襲ってきている。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月21日
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「毎朝、鮭の焼いたのと、味噌汁の朝ごはんでした。」そう言いながら、6年生でオーストラリアに留学してきたT君、大粒の涙をポロポロとこぼした。日本で、朝ウオーキングすると匂ってくるのは鮭を焼いている匂いなんてことがある。今朝、こちらでウォーキングしていたら、ベーコンとソーセージの匂いがしてきた。トーストにベーコンエッグ、なんていうのが昔の典型的なこちらの朝ごはん。歩いていると、いろいろな匂いがしてきて楽しい。T君は、その後頑張ってこちらに残り、沢山の問題を乗り越えて3年ほどして留学を終えて日本に帰った。今、どんな朝ごはんを食べているのだろうか。Typical Japanese breakfast, used to be.毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月20日
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「エイズにだけは気をつけろよ。」25年前、オーストラリアに移住を求める旅に出る時、父がそう言った。実に、サッパリとした父だった。実は、もう一つ言われたことがある。「オーストラリアは白豪主義なんだろう。そんな国に行って大丈夫なのか?」だった。そういえば、子どもの頃オーストラリアは白豪主義の白人の国、と教えられていた。オーストラリア連邦成立の1901年に白豪主義が制定された。これは、実に1973年まで続いていた。父が心配したのも無理ないか。この国は今は移民の国として199カ国の人を受け入れている。これは歴史の皮肉と言える。99%白人、しかもイギリス系で出来ていた国が、今は東村山出身の私なんかも含めて受け入れてくれている。エイズにも罹らず、元白豪主義の国にどっぷりと浸かった姿を見て、父も一応は安心してくれていたとおもうのだが。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月17日
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オーストラリアには原発はない。今後も作らないと政府は公言している。これはこれでいい。しかし、世界の埋蔵量の4割を占めるというとんでもない量のウランがある。ウランといいながら、各国に売っている。これで莫大な利益を上げているのが、オーストラリア政府とリオティントという会社。この会社は、アフリカ、カナダ、オーストラリアのウランを握っている。お客は、日本、中国、インドなど原発を今後どんどん作っていく計画にある国々。日本は、東北が壊滅するような原発事故に遭いながら(被害は日本全土)、大量のウラン購入契約があって後戻りできないようだ。ウラン、原発に使わないと核兵器に使うしかない。同姓の都知事のトンデモオヤジが血迷い狂っている。こんな男をどうして都知事に選ぶのか、不思議でならない。この男は確信犯、「日本は核兵器を持つべき。」と公言している。原発は核兵器の隠れ蓑にもなりうる。この男、かつて東京に原発を作ってもいいと言った。東芝、日立、三菱重工、これらが原発を作る。電力会社はそれを使う。政治家、企業はその利権にどっぷりと浸かる。この構造は今後も変わらない。変えられない。もう戻れない所まできてしまっている。フランスは80%を原発の電力でまかなっている。どうやって、もどれというのか。厳しいけどこれが現実。もう一つ、今の世界には原発を完全に廃炉にする技術がないという。これが現実。フランスと日本は原発優等生。世界政府(各国の裏にいる本当の政府)に選ばれてしまった国々。あ~、熱が入って止まらなくなってしまった。TV、新聞、政界は、茶番。それをまともに受けていたら最後にやられてしまう。今、味方はネットだけ。オーストラリアに戻ろう。2004年にアデレードと北のダーウィンを結ぶ鉄道が完成した。ザ・ガンだん。これで、旅行が楽しくなった、などと思ったものだ。この鉄道を作ったのは、ケロッグ・ブラウン&ルート社、略してKBR。元々はアメリカの会社だがアデレードの本社がある。この会社は何をしているのかというと、この鉄道網を使ってウランをダーウィンに運んでいる。この親会社がハリバートン社。このハリバートンは世界中の軍事関連事業を仕切っている。イラクでも大活躍。ここの元のCEOが、ブッシュ政権時の副大統領(実際は陰の大統領)ディック・チェイニー。この男、非常に胡散臭い。9/11に大きく関与していると言われる。このことはここではこれ以上は言わない。こんなアメリカの会社がオーストラリアの鉄道を作り、ウラン事業に関わっている。私もまったく知らなかった。もっと怖い話。今、世界中では使用済み核燃料の廃棄場に苦慮。それをオーストラリアに作る話がずっとある。2015までに作るという政策になっている。その時に、ザ・ガンが大いに役立つ列車になるという。オーストラリアは原発がないから安全。そんなことは言ってられないようになる。廃棄場は勿論、人里離れた砂漠。いや待てよ、人里離れたアボリジニーの住む砂漠というべき。何か事故があれば、被災するのは彼ら。オーストラリア、石炭、鉄鉱石、ウランなどの地下資源で大儲けしている。中国が大きい。原発事故は人ごとではない筈。私たちは、こういう国、オーストラリアに移住している。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月16日
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メルボルン、今が真冬。今朝は5度だった。日本の冬に比べるとまだまだだが、こちらに長くなるとこれでも寒い。3時頃、街を歩く。昼食は控えめ、晩御飯の量が多いこともある。ホウレンソウのロール。温かいがプラスチックのフォークとナイフではなかなか切れない。手で食べた方が早いようだ。東京は猛暑が続いているという。母も夕方に買い物をしている。元気そうで何よりだ。My humble lunch in the City.毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月15日
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大学でタイ語を学んだが、元々まともにやらなかったのでモノにならなかった。今では、タイレストランのウエイトレスを喜ばす程度になっている。Malvern にあるAt Siam Thaiというモダンなレストランに、いつもの割引を使って楽しく安く会食。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月13日
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「お金なら貸してあげるわよ。」大学2年の暮れにアメリカ旅行の話が出た。出発は翌年の6月だけど半年前に支払うとアメリカの西海岸の往復が11万7千円で行けるという。1973年のことで、破格の値段だった。付き合っていた好江が、入用な金を貸してくれるという。巣鴨にある「巣鴨信用金庫」でお金を下ろして貸してくれた。巣鴨は、今帰国の度に必ず行く所だ。この「巣鴨信用金庫」を右斜め前に見ながら年寄りの原宿と言われる巣鴨地蔵通りに行って親の好物を買う為だ。巣鴨は、通っていた大学があった所でもある。昔から縁のある場所だ。芥川龍之介、谷崎潤一郎などの文豪が眠る染井霊園もある。好江は、ここでよく露出狂に出会うとこぼしていたが。1974年の6月4日、無事にアメリカ旅行に出た。初めての海外旅行だった。好江がお金を貸してくれなかったら実現しなかったかも知れない。きっとそうだろう。イリノイ州のピオリアという街で22歳の誕生日も迎えた。体全体でバカでかいアメリカを体験した。8月23日に羽田に戻るまで、手紙が1度しか届かないパリに留学した好江を思っていた。メールとかの時代とは違う。気持ちが焦れ切ってしまう。「絶対にアメリカ旅行行った方がいいよ。私も、フランスのソルボンヌ大学の夏季講習で勉強するわ。10月には帰って来る予定よ。」しかし、好江の帰国は2カ月延びた。自分でも嫌になるほどめめしい日々だった。別れは、もうその時から始まっていたのを後で知った。彼女は、付き合って時間を無駄にした、と言いながら去っていった。今、お互いの誕生日に1年に2度だけ、短いメールでお祝を言い合うことができるようになった。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月12日
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知らない人に路上で言われた、とかいう話ではない。因みに、そういう場に遭遇したらどうするか対応は考えていない。今のところ「想定外」だ。「病人にはそれが一番いいんですよ。ずっとそうしてくださいね。」父が4月に亡くなる前、そう言われて毎日手を握っていた。時々、力をこめて握り返してくる。でも、その力は弱かった。オランダ系の連れ合いの父親の入院が長引いてきている。手足の筋肉が衰えてきている。私は、昔立川のカルチャーセンターで浪越さんから教えていただいた指圧をしている。そして、毎日仕事帰りに行って手を握っている。痛いくらい握り返してくる。まだまだ安心だ。病院で、姪っ子と。 毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月11日
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英語教師のオランダ系の連れ合いは冬休み。2人分買うと、1人分只という馴染みのクーポンで、ワイナリーバスツアー。運転がないから、安心して試飲。久しぶりの、連れ合いとのツアーとなった。それにしても、最近は食が細くなったもんだ。Yarra Valley Winery Tour, of course by two for one price.毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月08日
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「タコさんはパーラメントね。」麻子はそう言いながら、ピンクの小さなバックからパーラメントを取りだし私に差し出した。今はなき、赤坂のホテルニュージャパンの地下にあったニューラテンクォーターで社内接待をしている時だった。タバコは高校時代、2年片思いしたMから教えてもらったが、月に5本程度で吸っているとはいえなかった。サラリーマンになり、海外営業に配属されてからは夜の「クラブ活動」で、タバコを吸わないと場が持たないこともあり、勧められるままにパーラメントを吹かしていた。「タコ君、おいおい、今からタバコ始めることはないぜ。俺みたいにさ、もう何十年も吸っていて止めたくなってもできないなら別だけど。第一、パーラメントはさ、はっかだろう。あっちがダメになるぞ!」海外営業部の先輩前川さんが、私が下手に吹かしているタバコを諌めてそう言った。そんなこともあってだろうか、私はその内タバコを吸わなくなった。それと反比例して酒の量は増えていったが。あっちの方も心配になった。因みに前川さんには、5年前に横浜で本当に久しぶりにお会いした。エリートコースを進み関係会社の社長になった途端、肺癌となり退職して不自由な体となられていた。「来年の2月にオーストラリアに遊びに行くことにしたよ。」海外に出たことのない3つ違いの兄から連絡が入った。嬉しい連絡だった。兄は、気がつけばタバコを吸っているほどのヘビースモーカー。オーストラリアは喫煙者には厳しい国、この機会に禁煙するように伝えた。返事のメールが来た。腰痛のこととかいろいろ書かれていたが、タバコのことは一言も触れてなかった。検討中、と期待したいところだが。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月06日
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オランダ系の父親がボックスヒルに入院しているので、ほぼ毎日見舞っている。なんせ、一族郎党140人という大家族、いついっても誰かしらいる。ボックスヒルは、自分がアジア人じゃないと申し訳なく思えてしまうほどの町。マーケット、レストランなどの店々も、本当にアジア系が占めている。見舞った後に夕食、ということもある。店は選ばなくてもウジャウジャある。否、あり過ぎて選ぶのに困る、というべきか。そんな一つの店で連れ合いと夕食。連れ合いの方が肩身が狭い感じ。因みに、実際の肩身は広くなってきている。メルボルン、アジア人に優しい居場所が増えてきている。Dinner in Box Hill with my Dutch partner. Feel at home with so many black hair people.毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月05日
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今までに心に大きく触れた映画を3つ、といわれたら。1.ガープの世界2.ゴッドファーザー3.ドクトルジバゴだろうか。次点には「ディアハンター」を入れたい。因みに、日本映画では。1.生きる2.七人の侍3.復讐するは我にあり次点は「楢山節考」、さらにはちょっと変わって「Shall we dance ?」あたりか。「Shall we dance ?」はメルボルンでも上映され友人たち8人で観に行ってみんな絶賛していた。いずれにしても、非常に個人的趣味の選択にはなっている。「ディアハンター」は、ベトナム人の人種差別的描き方に大いに不満があったが、戦争の悲惨さは十分伝わってきた。この映画の最後の方で、現地に残った兵士がロシアンルーレットの賭博に嵌り込む話がある。数多いるナタリー・ウッドのボーイフレンドでもあったクリストファー・ウォーケンが悲しく演じている。ロシアンルーレット、やったこともないしやりたくもない。親にもらったこの体、賭けごとで失くすのはやってはいけない。今、日本は福島県民を初め、多くの国民が日本国政府からロシアンルーレットを強制的にさせられているような国になった。発病する人もいる、しない人もいる。まるで前の大戦に強制的に赤紙をもらった戦士のようだ。無事に帰って来られる人もいるし、そうでない人もいる。東京にとてつもない被曝があったのは3月15日、そして3月21日だという。私は、その時東京にいて口をあけて早朝ウォーキング、ママチャリ買い物、庭の掃除などガンガンやっていた。例の「いますぐ健康に影響はない。」というエダマメの発表に茹でガエルになるスタートを切ったころのこと。亡くなる前、父にipadでよく軍歌を聴かせてあげていた。「ラバウル小唄」、一緒に歌って父は必ず泣いた。思わず、手拍子をしてしまいたくなるこの歌の明るさが、悲しい。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月03日
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「あれ、その歌、さっき歌わなかったか?」友人とカラオケに行ったとき、ちょっと前に歌った歌をまた歌ってしまったようだ。しばらく歌ってしまっていた。友人は、気を利かせてくれたのだろう、自分で気づくのを待っていてくれたらしい。優しい友人だ。「あっ、いけない、いけない。初めて歌った曲だったんで。しかも、英語だったし。」慣れないビートルズの歌ん何か歌うもんじゃない。そろそろ始まったのだろうか。始まっても全然可笑しくない還暦直前男。怖い気もする。次回のカラオケからは、歌った歌はそれとなく手のひらにでもメモしておこうかな。あ~嫌だ。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学
2011年07月02日
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