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今、オーストラリアではバケツを持ってシャワーに入る人が急増している。それを被って遊んでるとかではなく、大干ばつのオーストラリア、シャワーで無駄な水を出さないためにバケツを持ち込んで、貯まった水を庭にまいたりして二次利用に使っているのだ。沸かせば飲めなくもない。考えてみると、シャワーの水は無駄が多い。途中で止めたりして使えばいいのだろうが、うちのシャワーは一度止めると温度の調節が難しい旧式のシャワーなので、温と冷を交互にかけて、あっちこっち鍛えるとかいう場合以外は厄介なのでついつい垂れ流しにしてしまう。因みに子供のころバケツに「馬ケツ」と当て字をつけて、大きなお尻の学友に「象ケツ」というあだ名をつけてしまったことがある。但し、その学友は男だった。人が嫌がるあだ名をつけるのが得意だった頃の話だ。子供の頃からずいぶんと人に恨まれやすように生きてきている。それにしても、狭苦しいシャワーで身動きが取れそうにない元相撲取りのような体型の私には、バケツ利用はありがた迷惑な話だ。後ろを向いたり前を向いたり、立ったり座ったりしているあいだに時間も経ってしまいそうだし、そんな慣れない姿勢でギックリ腰にでもなったらえらいことだ。なんとか、オランダ系の連れ合いからバケツ利用の提案だけはでないように願っている。
2007年01月30日
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投宿しているサンホセからドナの運転する車でサンタクルーズの海岸に出た。ドナの運転する馬鹿でかいオンボロフォードはいやにやかましかった。そして、運転が本当に荒い。私は22歳になっていた。大学3年の夏休みに約3ヶ月のアメリカ旅行に出かけていた。あと3日で日本に帰国する。感傷的にならざるを得ない日々。顔の三分の一もありそうな大きな目をしたドナは本当に無口だった。白人女性でこれだけ無口な人をいまだに知らない。1分で終わる話を10分くらいにして話す人が多い。もともと無口なほうの私だが、当時はもっと無口、しかも慣れない英語だ。ドナといてほとんど会話はないのに、彼女の上目遣いの妖しい微笑みがその場の雰囲気をしっかりカバーしてくれていた。サンタクルーズの海外の崖っぷちに座って、8月の太陽に映える彼女の金髪のうぶ毛に見とれていた。金髪は実によく光に耐える。こういうときは、情熱的なスペイン娘の黒いうぶ毛では申し訳ないが絵にならない。適材適所というのだろうか。「いよいよお別れね。タコの住所を教えて。手紙書くわ。」とぎれとぎれにドナが熱く聞く。私は、小さなメモ帳を出して書いた。その間、ドナは手持ち無沙汰をいいことに私の安物のスニーカーの紐をほどいたりしていてじゃれているが、それ以上はない。私が、Higashimurayama-Shi と書いていると、ドナが言った。「随分長い名前ね。なんと読むの?」カルフォルニア州、サンタクルーズの海岸で海風に響いた「東村山」の名前は、なんだか一気に格上げされて喜んでいるようにさえ思え、ついでに村祭りの話でもしたくなりそうだった。ドナは17才だった。もしかしたら、運転免許を持っていなかったのかも知れない。危なっかしい運転でやっと家に戻った。初めての海外生活は、熱し易くさめ易い、そして惚れっぽくて捨てられ易い性格のタコ青年には、十分に刺激的なものだった。
2007年01月28日
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個人的にはあまり興味のない話題で恐縮だが、こちらには合法的な売春宿がある。そして、世の中の常として、どんなことでも合法があれば必ず非合法もあることになる。市内の非合法の売春宿の違法性を調査するという名目で、ある私立の調査機関の調査員が雇われて調査に出向き、なんとその宿で非合法のサービスを完全に受けてしまった、というニュースがオーストラリアで話題になっている。アメリカでは「おとり捜査」というのが結構頻繁にやられているというが、このニュースは危険な麻薬取引とかと比べれば、ややおっとりとはしていると思われる。想像されるその夜の調査員宅での妻との会話の再現。「あなた、最近帰りが遅くて本当にご苦労様ね。」「そうなんだよ、今の仕事は調査箇所が毎日多くて本当にしんどくてたまらないよ。」「そう、本当にご苦労様ね、明日も頑張ってね。そろそろ、寝ましょうか。」「先に、寝ていてくれ。ちょっと、調査報告をまとめないとならないし。」どんなことでも仕事となれば、傍から見るほど羨ましがられるようなことではないのだろうが、それにしてもこの宿の従業員もこの調査員も、共に仕事だったというその生真面目さだけが僅かな救いのようなニュースではある。
2007年01月27日
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先週から、盗撮の話題が毎日こちらのメディアで報道されていた。英語でこれをUpskirting というらしい。やっとこの国も盗撮が問題になってきたのかと、自他共に認める盗撮大国日本から来ていてそう思っていた。ところが、逮捕された内の一人はなんとその大国から来ていた日本人だった。シドニー在住の34歳の学生だというのだ。久しぶりに日本人の話題で何かと期待していたが、ある意味では期待通りのニュースだった。こちらのバックパッカーホテルの男女共同シャワーで女性を盗撮していて見つかり現行犯で逮捕されたとのこと。「不倫は文化」、と堂々と言われる国ニッポンでは、「盗撮は文化」といっても否定する人はそれほどいないような勢いがあるが、こんな国からきた学生が「盗撮」輸出に大いに貢献してしまったようだ。おかげで、私の住んでいるビクトリア州では盗撮に関わる法律がなかったが、その法制化の動きがでてくるという。そういう意味ではこの学生、オーストラリアにしっかりと名を残す働きをしてくれたということにはなる。因みにこの学生、盗撮容疑ではなく強制わいせつ罪等で半年の刑務所入りになる可能性があるという。帰国したらもう二度とオーストラリアの土は踏めないだろうけど、日本では罪はないのだから、どこかの国の大学教授のように懲りない人であった場合、また趣味に徹する可能性は大いにある。ところで、男がもしスカートをはき始めたりしたら、いったい私達は女性から盗撮されるのだろうか。気になるところで良識ある皆さんのご意見を賜りたい。
2007年01月26日
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タコ社長、自慢じゃないが顔がでかい。以前付き合っていた、というより結婚していた元妻オーストラリア人が言った。You have a strong face.ものは言いようだな、といたく感心したのを覚えている。相手の気持ちを実に思い遣る姿勢が強かった。「腹が出ていますね。」より、「恰幅がよろしいようで。」なんていわれれば、思わずご飯ももう一杯、とかお代わりにはずみもつく。オランダ系の連れ合いは、日本に二年滞在したことがあるので日本語がある程度わかる。「でっかい顔!」彼女の私に対する物言いは実にストレートで、しかもこの場合は最初の出だしがすごく強調された日本語表現となる。語感の要領がいい。まったく裏表のない連れ合いの性格は、それだけに尊敬したくなるほど筋が通っていて潔い。それこそ、クレームでもつけた日にゃ、「でっかいものをでっかいと言ってどこが悪い。」と嵩にかかってこられそうで黙ってしまうのが常。西洋人といっても、ものすごい幅があるだろうが私の場合相手は直球が飛び交うオランダ系、たまには変化球とかの世界もなんて望む術もない。しかし、16年も一緒にいると、かえってこれが連れ合い流の思い遣りなんだ、なんて思えてくるから不思議なもんだ。
2007年01月23日
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ウサギの煮込み。言わないと何料理か分からない。骨が多い。風邪を引いたときに梅干が欲しくなるように、人間年をとってくるとさっぱりしたものが食べたくなる。これは日本人だけなのだろうか。「さっぱりしたもの」、英語で何というのか。「あっさりしたもの」、も同じように使っている。日本食では、酢の物に代表されるものがこの部類だろうか。インド、中国、タイ料理などではあまりさっぱりしたものというのが思いつかない。ベトナム料理で出てくる春巻きを浸すあのソースはさっぱりしている。オーストラリアに住んでいて、日本人同士でない限り食卓にこんなものは望みようがない。こちらは、肉にかけるドロっとした胸焼け肉汁ソース(Gravy)の世界だ。ここのところ一週間ほど咳が止まらなく、会社では誰も回りに人が寄ってこない。そんな先日、オランダ系の連れ合いの父親の誕生日があった。弁当忘れても誕生日は忘れられないこの国、週末、平日に関わりなく集まることになっている。そして、だいたい嬉しいことに平日が多い。どんなに会社を急いで出ても、郊外に住んでいる両親宅に着くのは8時近くになる。それから飲み食いだ。高熱でうなされているとかじゃないと欠席はできない。その夜の料理は、朝から母親がじっくりと煮込んだウサギと牛肉入りのコロッケなど。「ウサギ追いし彼の山」なんて思いながら肉汁ソースをたっぷり過ぎるくらいかけて食す。このウサギ料理はおいしいが。それにしても、毎年なんで自分の歳が一つ増えることをそんなにしつこく追求しないとならないのだろうか。中国人の中には自分の両親の誕生日を知らない人が結構いて驚いたことがある。人生が、一本の線のように進んでいるのだろう。こちらは、クルクル回って目も回る西洋社会。私は、だんだんと食べ物も人間関係も「さっぱりしたもの」がいいように思えてきている、なんて思ってもいえない環境のなかで毎日生活している。そんな「さっぱりしたもの」が欲しければ、風呂敷抱えて日本に帰るしかないのかもしれない。しかし、今の日本は人間関係が逆にさっぱりしすぎて、隣に誰が住んでいるのか分からないような「玄米ご飯」のようにポロポロとした人間関係が勢いづいているともきく。親子の関係も危ないというし、夫婦も大変だ。人間関係はともかくとして、食べ物に関しては自分で作ればいいのだろうから、きゅうりとワカメのお浸しとか週末に作り溜めしてちびちびと食べるのがいいのようだ。もうすぐ連れ合いの誕生日だ。
2007年01月21日
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「今晩の夕食なににしようかしら?」今日は久しぶりにオランダ系の連れ合いと映画を見に行った。その帰りに買い物になった。因みに見た映画は「The Queen」だった。家から歩いていけそうな所に、田舎の映画館がある。一列に8人くらいしか座れなく、全員でも100には入れないような小さな映画館にアングロサクソン系と思しきオバアサンたちが詰まっていて姦しい。勿論アジア系の男性など私だけだった。Queenには、私の好きな俳優Helen Mirrenが扮していてなかなかよくできた映画だった。映画がはねて、近くのスーパーにでかけた。「ポークにしよう。日本の発明家が言っていたけど、ポークにはビタミン12が多く含まれていて、脳の働きを活性化するんだって。」私は、最近見たこちらのTVからの受け売りを流してポークをすすめた。「じゃ、あなたはたくさん食べないとだめね。」連れ合いのストレートな発言に励まされ、しこたま豚肉を買う羽目になった。ということで、久しぶりに晩御飯は私が豚のしょうが焼きを作った。昨夜は、冷凍秋刀魚をBBQで焼いて作った。脳の活性化週末。常日頃、週末の食事当番を連れ合いから強く要望されているタコ社長だが、この週末は面目が少々躍如といったところだった。
2007年01月14日
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サウスヤラにあった日本食レストランでキッチンハンドをしていた頃。背だけは昔から一番。成金でない金持ちの多く住んでいるツーラックという町がある。ここから毎日30分歩いて職場の日本レストランに通っていた。レストランはサウスヤラという所にあった。1985年10月からのことだった。まだオーストラリア4ヶ月目で見るものがなんでも新鮮で興味がわく。サウスヤラ、ツーラックをメルボルンの青山・六本木なんて言って回っていた。私は、一人でツーラックにあったフラットに住んでいた。一部屋セミ家具付で週79ドルだった。ワーホリなどは一部屋を3-4人でシェアーして金を使わないようにしていた。この頃、私はバカの一つ覚えのように「永住権、永住権」と言っていた。多感で、自慢じゃないがものすごく多情な33歳から34歳をここで過ごす。「タコさん、やっぱりあんた駄目だ。フロアーに出て!」日本ではブルドーザーを売っていた。そんな私がいきなり寿司を握ったり、天ぷら揚げたりはできない、なんて威張ってみても始まらない。しかし、皿洗いは最も得意になった。沸騰したお湯で鍋釜を洗うと油がきれいにとれて洗剤がいらないことも知った。因みにこのときの皿洗いの経験がオランダ系の連れ合いとの生活で大いに役立っている。ということでフロアーマネージャーになって、手の皮がペロペロむける手荒れから開放され、東村山の母から送られてきたニベヤのクリームが使いきれなくなった。このレストランでは、10代から60代のさまざまなウエートレスと一緒に仕事をした。キムは、20代後半だったのだろか韓国系カナダ人でそのうちの一人だった。日本語はまったくできなかった。六本木あたりでも十分通用するような派手な女性だったが、気持ちはいたって純情で仕事がはねてから夜中に二人でよくカフェでお茶を飲んで帰った。「タコさん、私も永住権が欲しいの。でも、日本食のウエートレスじゃ絶対に取れないわね。」そういいながらキムは甲高い声で笑いながらチョコレートムースを突っついた。私はというと、どうしてなのか分からないが絶対に永住権が取れるという信念のようなものがあって、いつもバカのように笑って過ごしていた。キムとは永住権希望同士のような、恋心なんかが入り込む隙のない関係だった。1987年に私は永住権を取得してメルボルンに戻ってきた。日本では半年過ごした。帰ってきてキムの消息を尋ねると誰も知らなかった。オーストラリアに来て22年目、そして永住権取得してから20年になる。食べ物や乗り物などが安くなるシニアカードもあと5年もすれば使えるようになる。倍食ってもそれまでと同じ料金とは嬉しい。しかし、タコ社長気持ちはあの狭いキッチンで笑って夢を追いかけている頃とまったく変わっていない。
2007年01月13日
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どんな醜男でも、どうして俺はこんなにもてるんだろうか、と思うときが一生に一度はあるという。私も、「いったい、いつなんだよ。」なんて怒ってみても仕方がない。どんな統計にもはまらない人間もいる。また、艶聞にはタイミングと出番というものがある。艶聞といえば、高血圧を患った昨年が嘘のように塩分の取り過ぎのタコ社長、くだらない言い回しに惑わされてオランダ系の連れ合いから、それこそ塩でも撒かれて、ナメクジや青菜よろしく萎えてしまわんように心してやっていかないとならない。因みに、どんな人がこういう言い回しを言い始めるのか見極めない限り死んでも死に切れない気もしないでもない。
2007年01月08日
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「1時間幸せになりたかったら酒を飲め。3日幸せになりたかったら結婚しろ。1週間幸せになりたかったら豚を一匹潰せ。一生幸せになりたかったらゴルフを覚えろ。」「オーストラリアを楽しみたいなら、まず車を買うこと。そして、彼女を作ること。どうなんだい。まだどっちもか、じゃ駄目だな。」日本の会社を無謀にも辞めて昨年末からタコ社長の会社で働いている甥っ子の丸侍に、メルボルンの街中で老舗の巻き寿司屋を営むSさんが話しかけている。独身の丸侍、目を更に丸くしていた。豚だとか、ゴルフだとか訳のわからないことを言っているSさん、タコ社長の母親の故郷秋田の出身だ。秋田の人は雪で埋もれる冬の半年間、他に何もすることがないので、あることないこと作り話も交えて冗談で暇つぶしする人が多いのだろうか、荒唐無稽なことを臆面もなくいえる人が多い。その秋田の血を二分の一も引いている私だが、どうしてこうクソ面白くもない人間になってしまっているのかと多くの人から言われているが、もうこの年になってしまったら、体格は変えられても性格は変えようがない。「うちのオヤジは大酒のみでな、飲んでないときも酒が抜けなくて骨までアルコール漬けで、死んでも標本のアルコールがいらなかった。」飲まずに日が高いうちからこんなことを言っているSさん、そのまま標本にして飾っておきたくなるような方だ。秋田の血を四分の一ほど継いでいる28歳になる私と瓜二つの丸侍、まだ一度も秋田に行ったことがないというが、地球の南の果てメルボルンでSさんみたいな大先輩に会うなどとは夢にも思わなかったことだろう。ひとつ、このSさんから、日本の冗談の通じる金髪娘でも紹介してもらったらいいとさえ思っている。私にではなく丸侍にだが。
2007年01月06日
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楽天アクセス不可の原因が分かった。台湾の海底テーブルが地震のために切断されたためだったという。私が使っているOptusという会社のケーブルに影響がでて、運悪くそれに楽天が入っていたようだ。今夜、接続ができるようになった。昔、振られた彼女からメールがきたような爽やかな喜びを感じている。新年のスターとしては、まったく想定外であった。まさか地震とは思いもよらなかった。しかし世の中、なんでも判で押したように回答が出たら、これまた面白くないのだろう。今年も、いろいろと予想を超えてとてつもなくたまげることがどんどん起こって、高年に差し掛かり始めた私を大いに刺激して欲しいものだ。
2007年01月05日
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元旦からずっとこのサイトにアクセスできないで困ってたが、ケーブルでなくてダイヤル回線でアクセスするとできた。一体、どういうことなのだろう。PCに詳しい方、教えてください。楽天のサイトへのアクセス以外がほとんどできていたので、楽天の問題かとおもってました。新年早々、PCトラブルに巻き込まれています。どなたか問題解決案を教えてください。よろしくお願いします。
2007年01月02日
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謹賀新年2007年を迎えた。友人のホリデーハウスで年越しをした。家から2時間くらい西南に下ったところにあるビーチハウスだ。大人と子供をあわせ11人だった。しばらくぶりに訪れたビーナスベイだったが、ここは飽きるほど野生の間カンガルーが見られる所だ。オーストラリアといっても、カンガルーが庭に飛び込んで来たり、犬がコアラを追いかけたりしているわけでもない。都会に住んでいれば滅多に見られない。いつもはカンガルーがたくさんみられるビーナスベイだが、大晦日のバーベキューでカンガルー肉を焦がしてしまったせいでもないだろうが、今年はあまり見られなかった。こちらは、日本の大晦日のように家族で年越しソバを食べたりするのと違って、友達とワイワイガヤガヤやりながら12時を迎えることが多い。私はどちらかというといまだに日本式がよく、大晦日は紅白を見ながら今年振られた女性の名前なんか思い出して日記を書いていた頃が懐かしい。こちらの休みは元旦だけで、明日からは書初めなんかしている暇もなく平常営業に戻る。タコ社長、今年は昔でいえば定年退職を迎える55歳になる。いい年といわれる。また今年も減量に失敗したら、回りの人にもっと太ってもらうように祈ることができるような分別をわきまえて楽しくやっていきたい。今年の目標とすることば。「自分が幸せでなかったら、周りの人を絶対に幸せにできない。」
2007年01月02日
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