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無理なく痩せて健康を維持する10のポイント。こちらの新聞に出ていた。1 毎日コーヒーを二杯飲む2 繊維食物をとる3 一生懸命働く4 グラス一杯のワインを飲む5 朝食を抜かない6 公共交通機関を使う7 タバスコをガンガンかける8 水を沢山飲む9 ヨーグルトを食べる10 もっと友達を作るもっとコンピューターを使う、とかはなかった。挙げれば100位にはなるのだろうが、どれも面白そう。車通勤を止めることは確かにいいだろうし、オランダ系の連れ合いも前からそう言っていて賛成だろう。タバスコとオリーブオイルは何にでもガンガンとかけているからこれもOK。もっと友達を作る。確かに、人との交流は最高に刺激になる。でも年を取ってくるとなかなか難しくもなる。自分がどんどん頑固にもなるし、面倒くさくもある。一番の問題は、グラス一杯で終えないとならないワイン。最近、最初の3杯目あたりが一番美味しいように思えてきているので尚更だ。年の初めの月、「できない」と思う気持ちをまずは撃退してやっていきたい。ということで、まずはお友達になってください。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年01月31日
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臭うのだ。隣のバリーさんの腋臭とかの話ではない。腋臭と言えば、サラリーマン時代3人のインド人技術者を連れて大阪工場を訪問した際、新大阪駅からタクシーに乗った時のことを思い出す。車に乗って暫くすると、運転手が助手席の私の顔ながら「臭えなあ。」と言った。別に悪気もなく、軽く言ったようだったが、普段は運転手と話す私も、この後は全く話さずじまいだった。因みに、フランスで香水が生まれ、インドではお香が馴染む。臭うのは、趣味に使っているオーストラリア製の毛染めのこと。滞在が長期化している日本で買っている毛染めはニオイがない。こちらで染めた直後なんか、35メートル先くらいかも臭ってきそうな感じがして、私は今、毛染め完了しましたって言って回っているような気にもなる。ということで、今後は、日本からの土産は、最近あまり甘い物を食べなくなったオランダ系の連れ合いに買って来る和菓子とかじゃなく、日本の毛染めにしよう。そして、日本から来られる方にも飲酒運転用のブレスケアーと共に、このニオイのない毛染めにしていただくようにお願いしたいように思っている。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年01月29日
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六本木のディスコ、レキシントンクィーンのあったビルがすっかり様変わりして無くなっていた。その上にあった、バーニーインも当然同じ運命だった。酒臭い青春の想い出が、いびつに詰まっていたクラブだった。バーニーインではサラリーマン時代、スタンドバーでビールを飲んで白人男が日本人女性に声を掛けまくるシーンを見続けていた。何もいいことはなかった。そういう、ある意図を持った女性達は日本人男性がまったく目に入らない。その奥はステーキハウスになっていて、時々食事をしていた。行きつけのクラブマキシムの専属歌手フィリピン人の、見てはいけないようなミルナといいう歌手と一緒にステーキの食事をした。彼女は小柄だが声量があり、狭いマキシムの舞台で歌う「ニューヨーク、ニューヨーク」には圧倒された。華のある人だった。人を惹きつけるものを持っていた。ステーキが出て来た。すると、この憧れのミルナは右手のナイフでステーキを細かく切り刻んだ。そして、左手のフォークを右手に持ち替えた。所謂、アメリカ人のやる食べ方だ。ここまでは何でもなかった。その後、彼女はグッと背中を丸め顔がステーキにつくくらいまで寄せて、ヌッと歯ぐきを出して一心に食べ始めた。フォークと皿のぶつかる音がずっと続く。すてーきな夜、なんて雰囲気ではなくなってしまった。しかし、こういう私も、箸で卵かけご飯を音を立ててかき入れるレベルのマナーしか持っておらず、人のことは全く言えないし、いまだにナイフとフォークは苦手だ。先日、フォーマルな夕食の会があった。背中をスッーと伸ばして決して丸めないように、なんて自分に言い聞かせながら食べ始めた。しかし、酒が入るともうそんなことはどうでもよくなってしまう素直な性格のお陰で、あとは自然体で乗り切った。あまり細かいことを考えると味わうこともままならない。その内、「マイ箸」とかいってどんな所でも箸なんかで食べ始めるかもしれない。ミルナとは、見栄張らないで「吉野家」とかにすれば良かったのかもしれない。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年01月27日
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休みを頂いて久しぶりにメルボルン郊外の観光。半端じゃない大富豪の別荘地、保養地としてしられるPortsea(ポーツィー)に行ってきた。メルボルンの街中からずっと海沿いに運転して行くと着く。どこも、そのまま飛び込みたくなる素敵なビーチが延々と続く。幸い天気はこの日のためににあったような一日だった。メルボルンの夏のいいところは、日陰に入ると涼しいという、湿気の少ない気候。有名なPortsea Hotel で、これまたポピュラーな「フィッシュアンドチップス」サイズが豪快だ。久しぶりに来て、あらためてメルボルンの良さが再確認された日となった。ということで、運転だったので酒は避け、気持ちだけ割いて帰ってきた。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年01月24日
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土曜日に元スタッフの結婚式が取り行われた。日本からはお二人と友人一人だけで、私は年齢からも親代わりのような感じになった。素敵な教会で、本当に心温まる結婚式となった。お二人をいれて15人の式だったが皆さんからの祝福を目いっぱい受けた心に残る式だった。式の後の披露宴も本当に楽しく、しばらく余韻が続きそうだ。胸がいっぱいであまり赤ワインが飲めなかった。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年01月23日
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昔のスタッフが10年振りにメルボルン入り。有無を言わさずグリークレストラン。今のスタッフで歓迎会。いくら飲んでも外はまだ明るいサマータイム。経た時を忘れ、下手な駄洒落で酒を濁すので自ら閉口。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年01月21日
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「タコ君は体もデカイからカツ丼2つだね。」仕事の途中での晩御飯で、奥さんがそう言って特上のカツ丼を2つを用意してくれていた。高校1年の冬休み、近くのプロパンガス屋さんで10日ほどバイトをしていた。一番重いのは100キロもあり、さすがにこれは1人では持てないから、運転してくれているおにいさんと2人で持つ。可なりの重労働だった。最後の日は大晦日、除夜の鐘が鳴る直前まで仕事だった。大したバイト料ではなかったが、このカツ丼2つがたまらなかった。それをぺろっと食べていた。昨年亡くなった父も私も、カツ丼が大好きだった。もう7,8年前になるんだろうか、毎日昼ごはんはカツ丼と心に決めて生き甲斐にしていたような時期があった。今は、「冬でもナッツ」とかいいながら昼はアーモンドとかしか食べないようなことの多い毎日で、人の生き甲斐は変わるもんだなとつくづく思ったりしている。所謂、大食いの部類に入っていた、というより大食いが社長をやっているようなもんだった。大食いといえば、社内で唯一私を負かした大食いスタッフがいた。焼肉大食いで負けて、私を3カ月菜食主義者に貶めたとんでもないスタッフだった。このスタッフ、間もなくメルボルンに10年振りにやって来る。私と大食いをするため、とかいう訳ではない。今週の土曜日、はれてメルボルンで結婚式を挙げるために、このスタッフが東京からやって来る。最近、私の周りでも暗いニュースが続いているがこんな明るいニュースもある。胸がいっぱいで、大食いどころではない週末になりそうだ。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年01月17日
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「戦争があったら、私は真っ先にやられるね。」ゴールドコーストの友人の庭の芝刈りをした後、本当に体力消耗してしまい、こんなことでは戦うことさえできないで力尽きてしまいそうだ、といういみでそう言った。因みに、こんな大変な芝刈りをしたのは初めてだった。芝が深く、数日前の雨で地面が柔らかい。そして何よりも、起伏がある坂になっている。芝刈り機が喰い込んで動かない。それでも何とかうごかしても、芝が伸び放題でちょっと刈ると喰い込んでエンジンが止まる。これの繰り返しだった。芝刈り機を使ったことのない人にはちょっと分かりにくいかもしれないが、本当に難儀した。「何言ってるのよ、あなたは今年60歳よ、戦争があっても行くわけないでしょう。あったとしても、必ず英語で落とされるだろうしね。」オランダ系の連れ合いの物言いはいつも爽やかに流れる。連れ合いは、私がオーストラリア軍として戦うと思っているらしい。いずれにしても、アメリカべったりの属国のような日本とオーストラリアだから、敵対するようなことはないとはないだろう。戦争などという不謹慎が例を出したのが悪かった。将来、住む家が変わったとしても、今と同じように庭は起伏のない平らな家にしたい。オーストラリアンドリーム、広い庭付きの家を20代で買える。25年前に移住してきたときにはそう言われていた。土地バブルを経て、今は20代では難しくなってきているが、それでも一軒家の平均が300坪くらいになっている訳で必ず庭がある。英語力は別にして、体力を鍛え敵にやられるまで庭仕事をしっかりとやっていけるようにしていきたい。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年01月15日
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「これ聴いたら、、、私を思い出してね。」私が、3カ月のアメリカ旅行に出る少し前に好江がそう言って一枚のドーナツ盤を私にくれた。レイモン・ルフェーブルオーケストラの「シバの女王」だった。私は、この一枚をスーツケースに入れて、1974年6月4日にエアーサイアムに乗って羽田を後にした。飛行場へは両親と好江、そして大学の学友たち当時通っていた教会の方々などが見送りにきてくれた。アメリカで最も小さなロードアイランド州のクランストンという小さな町に滞在した。日本から一緒にきた教会の友人ピーターソンさん一家の知り合いの家に泊まった。ちょうど、家主が旅行中ということで、自由に使わせていただいた。私は、地下一階にある一部屋を使わせてもらった。アメリカの家は地下室がしっかりしていてビックリした。洗濯なんかもそこでやっていた。核戦争に備えてなのだったのだろうか。地下だから、夏でもひんやりする。部屋がもう一つあって、そこに旧式のレコードプレーヤーがあった。22歳になっていたが、初めての海外旅行でもあり毎日英語の生活の中で一人になりたい時が多かった。そんな時好江にもらったこの「シバの女王」を何度も何度も聴いていた。「テッド、大丈夫?元気がないようだけど。」旅行中、タコじゃなんだからと「テッド」というニックネームで呼ばれることになった。慣れるまでちょっと時間がかかった。誰のことを呼んでいるのかと。因みに、旅行の後半からは、両親にもらったタコに戻してもらうことになったが。ピーターソンさんの奥さんが部屋に籠って出て来ないでレコードばかり聴いている私を心配してくれたようだ。フランス語を専攻していた好江はその頃、大西洋を挟んだパリのソルボンヌ大学の夏季講習を受けに留学していた。「藤川君も私も、羽田で貴方の飛行機を追いかけて送迎デッキを走ったわ。」約束の手紙がやっと届いたのは、東海岸から西海岸のシアトルに移った一カ月後だった。その頃の連絡手段は国際郵便だけだった。ロードアイランドを出てからは、この曲を聴く機会は日本に帰るまでなかったが、ドーナツ盤はいつも見える所に置いておいた。旅行の後半は、何人かのアメリカ人の金髪娘と友達になったりして、前半のように部屋に籠るようなことはなくなって割と楽しくすごせた。ただ、彼女たちはみなクリスチャンだったし、私も当時は下心しっかりと封印したクリスチャンだったので良い友達で終わった。そして、8月の終わりに日本に帰国した。「迎えに来なくていいって言ったでしょう!」10月の中旬に帰る予定を12月の10日に延長して帰国した好江が羽田に出迎えた私に放った一言だった。半年間、待ちに待った日のことだった。他にも何人が出迎えの人がいたが、私との会話はこれだけだった。そして、父親とそそくさとタクシーに乗って消えていってしまった。出迎えの何人かは顔見知りだったが、私は一言も口をきかずにそのままモノレールに乗った。着ていたクリーム色のトレンチコートは、その少し前に買ったばかりの物だった。http://www.youtube.com/watch?v=NGZfVto4loM&feature=related毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年01月13日
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私は、酒は赤ワイン、シラーズと決めている。ところが、ブリスベン、ゴールドコースト滞在中は湿気からだろうか、ビールが似合ってしまう日々だった。オーストラリア、浮気がバレたら離婚の国。ということで、浮気は酒くらいで平和な日々が続いている。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年01月11日
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高校時代、「ムーさん」と呼ばれていた学友がいた。東工大に入った優秀な人だったが、名前が近藤だったためのあだ名だ。秋川という警察官の息子が付けたあだ名だったが、我々もそう呼んでいた訳で今考えると、、、、、なかなかいいあだ名だったなと思えてくる。「何だよタコ君よ、君が買ってくれたコンドームさ、破れちゃったよ。」サラリーマン時代、インド出張の際に先輩の技術者に頼まれて購入したインド製、やはり欠陥があったようだった。男芸者とはよくいったもんで、営業はそんな面倒をみなくてはいけなく泣けてきた。因みに、クレーム処理のしようもなかったが。ゴールドコーストの休暇から帰り、風邪気味の体をおしてオランダ系の連れ合いの父親が再入院ということで見舞いに行った。部屋に入る前にカッパとゴム手袋をしないとならない。密封状態で汗だくになる。「なんだタコ、破れたコンドームからデカイ頭出してるようだな。」口の悪い義弟デイルがそう言った。連れ合いの父も笑っていたので良かったかなとは思うが、以前ハエ取り紙のような人、と言われたことはあるがコンドームは初めての経験だった。やや、ムーっとしてしまった。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年01月09日
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ここのところ、困ったもので何を食べてもすぐお腹がいっぱいになってしまう。もしかしたら、食生活に偏りとかがあって、偏り中枢が機能し過ぎているのかもしれない。ということで、最近食した物をまとめてみた。焼酎でも飲みながら、じっくり分析してみたい。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年01月08日
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「オーストラリアに住んでいるんですか?オーストラリアでは、庭にカンガルーなんかがいるんでしょうか?」昔、よくそのように訊かれた。いくらなんでもそれはないだろう、という気持ちを抑えながら、「いやいや、田舎とか動物園なんかに行かないとカンガルーなんか滅多に見ませんよ。」と答えていた。「あれっ!見て!」オランダ系の連れ合いが、庭にやっていたカンガルーのイトコ、ワラビーを指差した。滅多に驚いたりしない連れ合いが驚いていたので私も驚いた。ということで、オーストラリアの家には庭にカンガルーなんかが来るんです。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年01月04日
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「タコ、その日その日を楽しく明るく生きるようにしているよ。5年後とかにはもうこの世にいなだろしね。」RSL(豪州退役軍人会経営の遊興施設)のレストランでランチをしながら76歳になるヘニーがそう言った。彼はオランダ系の連れ合いの義理の叔父でネラングに住んでいる。因みに、ここのシニアミールは一人4ドル50セント。年を取るといいことも多いようだ。ヘニーは前立腺癌を18年も患っているが、昨年新薬投与26人の内の1人になることを希望、この新薬が効いて可なり元気になった。今年を迎えることができないくらいに弱っていたのがウソのようだ。この26人の内、薬が効いたのが僅かに2人というから宝くじに当たったようなものかも知れない。「病気になる前からね、私は楽観的でねどんなことが起きてもそんなに動揺しないようにしていたんだよ。だからこうして18年後も生きていてね、もう本当に満足しているよ。今日だけのことを考えている。こうして二人にも会えてランチもできたしね。」そういって、ヘニーはニコッとした。昔は毛深かったらしいが体中の毛が治療のためになくなったとのこと。頭髪は僅かに残っているが。2012年の元旦に二人の会うことができて本当に良かった。「来年もまたきますからね!」と言って帰ってきた。今日を明るく楽しくやっていくことにする。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年01月02日
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