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子供のとき、トマトが嫌いだった。大人になって、前立腺にいいということもあり、健康志向でトマトを食べるようになった。我が家の、トマト初収穫。日本だったら、まず神棚に上げるところだろうが、ここにはない。プチトマトだから食べるのが可愛そうな気もして、今は眺めている。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月31日
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1985年6月メルボルン入りした。最初に投宿したのは、セントキルダだった。駅前の、古い簡易宿泊所に泊まることにした。毎日、歩いてビーチまで行き、ずっと海を眺めていた。マクドナルドなんかとは違った、一つ一つ丁寧に作るハンバーガーを買って砂浜や公園で食べていた。これからこの国に住むなら、しっかりと生活環境を整えないとならないけど、仕事もなく毎日家計簿をつけながら、出費を抑えてやっていた。根っからの楽天家なのかもしれないが、なんだかこういう生活が楽しく、だらだらとやっていた。私の永住を求めて出発したセントキルダ、今はすっかり変わり、高級レストラン、カフェが立ち並ぶ。住んでいた簡易宿泊所は、高級フラットになっている。変わらないのはあの頃からの自分の気持ちだけ、なんて言ってみたい気もするが、それは、無理というものだろう。マクドナルドは絶対に食べないようにしているが、手作りハンバーガーは今でも食べている。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月30日
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私の話ではない。3つ違いの兄のことだ。仕事をしながら、苦学して大学を出た。毎月、その中から必ず1,000円のお小遣いをくれた。4年間続いた。子供の時はいつも喧嘩ばかりしていたが、あるとき私の方が背が高くなってしまった。それからは喧嘩はなくなった。昨年の11月の帰国で、本当に久しぶりに二人で飲んだ。お互いに、いろいろ病んでいたりしたが、うまい酒だった。今、この兄の息子が、メルボルンの私の会社で働いてくれている。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月28日
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クリスマスの日に、相撲を取って痛めた右の親指がまだ痛い。お陰で、オランダ系の連れ合いと指相撲ができないし、10月からやっていないゴルフの練習も全くできないでいる。「タコさん、すぐにゴルフ初めてくださいね。もうすぐコンペですから。デビューですよ。」サラリーマンのスタートは、海外事業本部運輸部船積み課だった。隣は、紺の制服を超ミニにしてはいている西村さん。私と同じ年だったが、共立女子大にストレートだったから会社では一年先輩。茶系の長い髪を素直に伸ばしたまるでモデルのような人だった。毎日残業もなく、浮いたような気分が漂う職場だった。2年後に配置転換になった海外営業部の半端じゃない忙しさからは、想像もできないような日々だった。この部は、ほぼ二カ月に一度ゴルフのコンペをやっていて、企画はたいがい乙仲さんがやっていた。乙仲さんとは、いわゆる運輸業務代行業の乙種海運仲立業の略称で、日通さんとかが常駐していた。そんな方々がコンペを企画してくれていた。商品も船会社などから出され豪勢だった。秋葉原の安いゴルフ道具屋で3万円弱でハーフセットのゴルフクラブを買って練習を始めた。2ヶ月後に初めてのコンペでデビューした。20人の参加だった。初参加者は、有無を言わさず最初に打つ、というとんでもないルールがあった。練習でも、空振りとかがまだあったときで、全員に見られている緊張感と自信のなさで頭が真っ白になっていた。「よっ、タコさん!」乙仲の川田さんが緊張をほぐすようにそう言ってくれた。しかし、私にとっては逆効果で、余計に肩に力が入ってしまった。続けて拍手も起こったりした。新調の目立つ茶色のセーターが恨めしい。そして、いよいよティーショットとなった。満身の力で思いっきり打った。カ~ン!すると、打ったボールは全く前に飛ばずそのまままっすぐ右に行き、大きな木の幹に当たりコーンとう鈍い音を立てて、今度はまっすぐ後ろに飛んで行ってしまった。見ている先輩方はシーンとしていた。いや、いなかったのかもしれない。全く人々の音が落ちていた。こうして、第2打が、第1打よりとんでもなく後ろから打つという、前代未聞の筆下しとなってしまった。この時のゴルフの経験は、いまもトラウマとなって私にしっかりと寄り添っていてくれていて、未だにゴルフが上達しない言い訳の1つにもなっている。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月28日
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「さっぱりしたもの」コテコテの料理が続いた後は、さっぱりとしたものが欲しくなる。日本語で、さっぱりしたものといえば「酢のもの」など日本料理では、メニューが何枚にも渡る。しかし、こちらでは「さっぱりしたもの」がなかなかない。そんななかで、ベトナム料理は「さっぱりしたもの」に近い。これからはこういう感じがいいとは思っているのだが。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月26日
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共に還暦を過ぎた隣の家のクリスさんご夫妻。よく一緒に食べている。二人とも、可なり酒に強い。私たちも、酔っても這って帰れる隣、という環境が嬉しい。ラムの肉とクスクスの料理は、肉がインド風に味付けされていていけた。デザートは誰も必要ない年代だが完食した。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月24日
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全豪オープンテニスが後半戦に入っている。こうみえても私も、二度テニスを真剣にやろうとしたことがあった。一度目は、サラリーマン時代付き合っていた女性に誘われて、毎週土曜日に明治生命の主催していたテニスコースに通った。ウエアーとか、ラケットとか一通り奮発して揃ろったな、と思った一ヶ月後に挫折。先行投資がそのまま沈んだ。二回目は、かれこれ15年くらい前だろうか、当時付き合っていていまもそうしているオランダ系の連れ合いに誘われて始めた。こちらは、やたらにテニスコートのある国、参加したテニスくコースも4,5人でかなりしっかりとやったが、気がついてみたら止めていた。着る物とかにまったくの拘りや見栄、高級志向とかがないこの国、先行投資は最小限でオランダ系の連れ合いも喜んでいた。こんなわけで、テニスからはまったく浸しただけの足を洗い、今は正直まったく興味がない。TVも見ないニュースも見ない。考えるに自分から自発的にやろう、としたことでさえ、厭きっぽい性格で長続きしない。ましてや、誘われてやったことだった。弾みがない。今年は、自らやりたいことをリストアップして挑戦してみたい。まだまったくの白紙であるが。因みに、何かに誘われると絶対に断らない性質、特に女性から、は今も健全のようではあるが。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月24日
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3回目の大腸内視鏡の検査に出向きます。無事、帰還できたらまた日記を綴ることにする。ところで、今晩パーティーに呼ばれているのだが、どうしようかと思案中。それでは、行ってまいります。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月22日
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「イボ痔?」カウンター越しに体格のいい色黒の金城さんがそう言った。「イボ痔じゃないわよ、『異邦人』よ。今、池袋の文芸座でやってるのよ。」早苗は、私との会話を遮って金城さんにそう答えた。大学一年の5月の初め、喫茶店でバイトをしていたジーンズの良く似合う切れ長の目の早苗と付き合っていた。少なくとも、私はそう思っていた。「タコね、もうすぐ沖縄返還されるの。パスポートなしに沖縄に行けるのよ。本当に嬉しくなっちゃう。」金城さんは私が濃いコーヒーを飲んでいる席まで来て笑顔を見せた。1972年5月の事だった。今、練馬に住んでいる兄の家のTVの横にリロケーションの装置を置いて、メルボルンでリアルタイムに日本のTVを見ることができるようになっている。日本の連続ドラマなんかが見られる。しかし、こちらが夏時間のときは2時間早いでの夜更かしをしてしまうことになる。昨年、城山三郎作の「官僚たちの夏」を何回か見た。録画はできないので、見られない日が結構あった。先日、チャイニーズのDVD屋で2枚組を27ドルで売っていたので買って一気に見た。通産省の官僚たちがどれだけ体を張って国のためにやってきたか、という内容だった。それぞれが、国のため、と思っているが考え方は大きく違い衝突が絶えない。そんななか、沖縄返還の話が進む。この返還による沖縄県民の喜びが計り知れないものがあった。大学時代の金城さんの掛け値なしの笑顔が目に焼き付いている。しかし、その交換条件として密約があり日本の繊維産業が壊滅的な打撃を受けた。戦争に負けた代償はとてつもなく大きい。そして、それは今も厳然と続いている。金城さんとのこの会話の翌月の6月に、早苗は突然蒸発してしまって私の世界から消えた。それ以来、あの喫茶店には入ったことがない。その数年後には別の店になっていた。しかし、今でも毎回の帰国の際、必ずその前を通ることが年中行事のようになっている。昨年の11月、その路地を行こうとしたら、そこら一体すべてが取り壊された工事現場と化して大きなコンクリートの墓場となっていた。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月22日
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こうなったら、とことん食材シリーズでいってみようか、なんていう勢いだ。久しぶりのギリシャ料理。メルボルンは、アテネ、テサロニケに次いでギリシャ人が多い街。驚きだ。でもこの順位は代わりようがないようだ。テサロニケを抜くのは、世界中からギリシャ移民を増大させないと無理らしい。そんなご時世でもない。まずは定番、ディップから。うす焼きのナンにつけて食べる。小食の方はこれでお腹がいっぱいになる。小職は、ならない。チーズ焼き、サガナキ。これは外せない。塩味の利いたコレステロール強化型タコ足のグリル。これを食べないと活力がでない共食い型ちょっと野菜も言われた先から名前を忘れた、典型的なギリシャ料理。ラザニアのような。この店スペシャル、お婆さんからの秘伝のラム肉の煮込み。絶品が、二回転するくらいうまい。これを赤ワイン2本で二人で完食、自分の可能性に挑戦するような夜会だった。これでしばらくはギリシャ料理はいらない。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月22日
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「あなたのサイトは食べ物ばっかりね。」オランダ系の連れ合いが言う。日本語の分からない隣のバリーさんも、私たちがどんな食べ物を食べているかを知っているようだ。連れ合いがサイトアドレスを教えたらしい。だんだん年が増してくると、実はこういう日本食がよくなってくる。メインコースなどいらない。ちょこちょこ、とこういうのが出てきたらそれで満足。こんなレストランがメルボルンにもある。年とってきて、若い人と同じ量を食べる必要はどこにもない。どんなに美味しい食べ物でも、最初の三口まで、と言われている。じゃ、三口で食べられるようなものを作ればいいのだろうが。我が家では自分で作るしかない。老後は三口料理を研究してみたい。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月21日
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TAXIの昼食会、絶品の前菜をアップし忘れた。これは、オランダ系の連れ合いの注文で、私もご相伴にあずからせていただいた。サーモンとエビをゼラチンで固めたもので、口の中でサーモンがとろけた。今度、家で誰かに作ってもらいたい。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月19日
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北アイルランドのロビンソン大臣の奥さん60歳が、19歳の男性と不倫したことが話題になっている。映画「卒業」の中で歌われたサイモンとガーファンクルの「ミセスロビンソン」の北アイルランドでのダウンロード販売が1200%伸びたという。それにしても40歳の違い、すごいものがある。世の中が還暦、および還暦に近い方々に何かのメッセージを送っているのだろうか、いなのだろうか。「井村君が言ってたわ、あの二人、ベンジャミンとエレーンは絶対に幸せにならないって。だって、あの最後のバスのシーン、彼の顔が笑ってないって。」大学時代に付き合っていて、後で私をずたずたにして去って行った好江がそう言った。極楽トンボのような私は、少なからず感心したのを覚えている。そこまでしっかりと見ないと映画を見たことにならない、ということだろうか。ところで、私は小学校3年生の頃から年増好き。あの映画、どうみてもミセスロビンソンの方に魅力を感じてしまっていた。どうも、キャサリン・ロスの演じるエレーンがイマイチだったことに拠るのかも知れない。当然、還暦近い私に、今でもこんな趣味があった日にゃ、老人ホームでボランティアでもしないと事が進まないだろうし、世界平和にも貢献できなくなる。世の中、良くしたもので時代と共に落ち着くところに落ち着いていく、ということだろう。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月19日
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歩いて行ったら怒られそうな「TAXI」というレストランに歩いていった。義妹の誕生昼食会。人生は、人の誕生日をお祝するためにあるような日々が週末から続いている。日本食もあるというので、蕎麦とか注文したかったのだが。これでやっと終わった。2月までは誕生会はない。これは私の前菜。豚の角煮を甘くしたようだった。これは、何かのスープ。 ここまでは前菜これは私のメインコースうさぎだという500グラムの肉の塊 義父が完食した。和牛のステーキ毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月19日
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今日からメルボルン、全豪オープンテニス。大変な大雨、最高気温も20度と真夏の一休みか、このまま夏が終わるのか。メルボルンの気候は予断を許さない。タコ社長、やや二日酔いの心地よさ。週の初めに気合をいれて臨みたい。昨夜のパーティー、友人のボブの勢いも良かった毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月18日
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最近、世の中にしかとされているように思えることがある。どうも、ひねくれた性格で、なかなか物事を素直に捉えられない。ということで、ちょっとゴマすり。馬と鹿、ならぬタコと鹿。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月17日
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これからくる、世界大恐慌、その後の食糧危機に備えて初めて芋づくり。菊芋のその後だが、何と3メートル近くになってきている。その内、庭が占領されてしまいそうだ。この後、菊のような花が咲いて、収穫となるという。人手が必要になるかもしれない。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月15日
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明日、明後日とオランダ系の連れ合いの家族の誕生日お祝バトルが続くので、今日のランチは遠慮勝ちなオープンスバラキ。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月15日
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「このレコード聴いたら私だと思って思い出して。」西武池袋線の所沢駅で、好江はバックから一枚のドーナツ盤を取り出して私に渡した。レイモン・ルフェーブル・オーケストラの「シバの女王」だった。これのどこを聴けば彼女を思い出すのは分からなかったがもらっておいた。少なくとも、このジャケットではないことは確かだった。大学3年の春のことだった。http://www.youtube.com/watch?v=MOf1SNgJyG0&feature=relatedその年の1974年6月4日に、アメリカ旅行に出た。そして、このドーナツ盤は、しっかりとスーツケースの中にいれられていた。6月は、東部海岸のロードアイランド州に3週間ほど滞在した。借りた家であてがわれた地下の一室にあった古い蓄音機で、何度も何度もこのレコードを聴きながら、巴里のソルボンヌ大学夏期講座で勉強しているであろう好江を思った。私が一足早く日本に帰り、同じ年の12月に帰ってきた好江を出迎えた。彼女は、全く言葉の通じなくなった別人になって帰国して、私はずたずたにされ置いていかれた。20年以上たってから、どうも巴里で彼氏ができていたことを知らされた。問題は、今でも何かの時にこの曲を聴いたりすると、条件反射的に彼女の事を思い出してしまうことだ。こういうのって、あり?みたいな呪縛から解かれない。彼女も、罪なことをしてくれたもんだ。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月14日
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昨夜は、焼き鳥、焼肉のレストランで、3社合同の「新年会」。若い方が多かったので、長老として、またいろいろ人生訓を垂れてしまったりでやや反省。しかし、楽しい会だった。メルボルンに戻り、パーティーが続く。酒の力で新年も乗り切りたい。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月14日
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夏バテ攻略には辛いタイ料理。そして、甘いタイのデザート。これで、メルボルンのジェットコースターに乗っているような急激な温度差の夏を乗り切る。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月13日
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「この男は、多くの女を連れ込んでいる。」ツーラックという高級住宅地のフラットに住んでいたときの話だ。かれこれ25年近く前の話になる。勤めていたレストランから帰ってくると、郵便受けにこんな貼り紙がしてあった。やった奴はだれか見当がついた。フラットの私の部屋の上の住人で50歳がらみの独身オージー男に違いなかった。いつも、夜中近くに帰って来て同僚と酒盛りなどしていたので、この住人から睨まれていた。ある朝、窓一面に生卵が帯を成して垂れ下がっていた。掃除が大変だった。生卵もこの貼り紙も、この男だという証拠はない。それにしても、多くの女を連れ込んでいるなど、東村山の両親の手前もあり、事実無根と訴えてやりたいくらいだった。33歳の独身タコ青年だったら、まったくそれらしきことがなかったとは言い切れないが、これには憤慨した。上の住人の迷惑になったことには反省したが、そのやり方には納得がいかなかった。しかし、これは人種差別とかのレベルの問題ではなかった。ずっとこちらにいて、差別的なことを受けたことはない。ここのところ、インド人の学生が続けて暴漢に襲われる事件がおきている。州政府は、人種差別とは別問題と言い切ってはいるが、インド側からの反発も出ている。オーストラリアには150カ国位の人間が移り住んでいるという。差別のしようがないほど、この国は種々雑多な人種の混在している国になっている。ただ、こういう自分を受けいれてくれている寛容な国、という謙虚な捉え方はしっかりと心に据えてやっていきたい。それにしてもあのオージー男、卵とかじゃなくトマトくらいにしてもらって、サラダにでも使えたらよかったものを、と考える度に残念に思っている。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月13日
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シカゴの街に1人で出かけた。1974年の6月のことだった。前の年、日本で親しくなった4つ年上のジュディーに会うためだった。電車で街に出ると、日本の街では嗅いだことのない匂いがしてくる。甘い葉巻やタバコのような匂いとでもいうのだろうか。これがアメリカの匂いかと思った。インドのニューデリーに降り立ったときには、炭などを燃やしているような匂いがしてきた。アンバー色の薄暗い電灯の光に包まれて、あっという間に体全体を覆ってしまう。日本では、中学3年の夏に練馬から友人の加藤と二人で利根川までサイクリングしたとき、川を渡って急に醤油の匂いに襲われたことがあった。野田だった。シンガポールのチャイナタウン、リトルインディア、マレーシアのジョホールバルなどでは、魚、肉、野菜などの単純な匂いが織りなす濃い匂いがして、それはあたかも何かの死臭のような匂いとさえ言えてしまいそうだった。そこには、人の生活の匂いが遠慮なくする。ある意味では動物的であり、ある意味では生命の証しのような。日本は限られた所しかしらないので当たっているかどうかは定かではないが、日本はどんどん無色、無臭の国に向かっているような気がする。人間の中性化、透明化だろうか。今回シンガポールに行く前に、オーストラリ以外の国で最後に行ったのは1986年のニュージーランドだった。これから、機会があればアジアの別の国々など歩きまわって、いろいろな匂いを体感してみたい。シンガポール、チャイナタウンの菜食主義的料理屋さん毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月12日
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1902年以来の熱帯夜だったようだ。メルボルン、毎年45度近くになる日が数日ある。今日も40度だが、これからクールチェンジがあり、明日の最高気温予想は23度とのこと。体全体が、温冷療法を受けているようなものだ。この華麗な落差、たまんない。こういうときは熱い料理、マレーシアを思い出してカレーラクサ。(今年初めてのオヤジギャグ)今日は私にとって仕事初め。明日は早速新年会がまっている。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月12日
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シンガポール最後の昼食は近くの小さなホッカセンターで定番。シンガポールヌードルと、良く食べたきし麺風ダークソース炒めチャーケティアオ。いつも親切に押し売りしてくれたウエートレスとツーショット。メルボルンに無事到着。43度の酷暑の日。シンガポールとは暑さの質が違うが、外に出ると痛いくらいだ。家の左隣のバリーさん、タコ菜園の水やりをやってくれていた。緑だったトマト、いくつか赤いのが待っていてくれていた。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月11日
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間もなく、長逗留したシンガポールを去る。昨年からシンガポール駐在になった30年来の友人夫妻と数日過ごせたのは本当に幸いだった。妹夫婦と二人の小さな子供がいない家に投宿できたのも本当に恵まれていた。ホテルに泊まるのとはえらい違いだ。しかも、メイドのメリーさんが何から何までやってくれる環境は、もしかしたらもう二度とない至福の時だった。23年振りのシンガポール。本当に管理社会だということをいたるところで知らしめてくれる。何かルールを犯すと高額の罰金社会。ゴミが落ちていない。水たまりがなく蚊や蛾がいない。犯罪率が低いように思う。ちょっと気になるのは、こんな管理社会の中、老人の顔が岩のように険しい。これは、日本にも言えることだが。怖い顔をしてじっと下を向いている老人が多い。その一方、老人が大挙してお茶を飲み談笑している姿も多く見た。これらの老人とは男性が圧倒的に多いが。これは、メルボルンのギリシャ人の町オークレイでもよく見かける。これは本当に羨ましいことだ。日本では、出会ったことがない。恐らく、田舎にいけばあるのだろうが、老人だけがかたまって楽しそうに話している姿だ。それから、文化の混在社会。中国、インド、イスラム、フィリピン、などの文化が入り乱れて混在している。インドの町などへ出かけると、8割方は男だ。男、男、男の社会。女性がどこにいるのかと家の中まで捜しに行きたくなるくらいだ。ますます大柄になってきているオランダ系の連れ合いと、元相撲取りのタコ社長、この二人が土俵入りよろしく町をのし歩いていると、どこへ行っても鋭い視線を感じる。日本でもそれはあるのだが、ここほどには感じない。メルボルンではこれは希薄。しかし、このシンガポールに滞在期間中、マレーシアも含め、やや度が過ぎる。私が、禿げで、出っ歯で、目が吊り上げっていて、眼鏡をかけて、カメラを抱え、150センチくらいだったらそうでもないのだろか。私は、禿げておらず、髪は染めて真っ黒、歯は出てないが腹は出ていて、目は垂れ下がり、眼鏡はかけておらず、背は185センチ。カメラだけは抱えている。こんなところが感想か。喰い過ぎ、飲みすぎで間違いなく2キロは増えた。暑くて寝不足、目のクマに元気がいい。ということで、日記のシンガポールからのアップはこれが最後。しばらく、アップができないと思う。それでは、次回は、メルボルンの話題で、お邪魔いたします。最後の昼食は、今回何回となく厄介になった近くの店。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月10日
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シンガポール最後の日は、やはりチャイナタウン。その中にあった、シンガポール歴史記念館に入ってみた。仕立てやに、よく日焼けしてだいぶ疲れている蝋人形が置いてあった。そろそろメルボルンに戻った方がいいようだ。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月09日
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シンガポールの日々が長くなってきている。もうすぐそれも終わる。人種、文化、言語が大きな鍋で真っ赤に煮込まれているようなシンガポール。今日の昼ご飯。リトルインディアの側にできた大きなモダンなショッピングセンターだった。フランスパン、ドラ焼き、そして蕎麦。この街で食べていると何も違和感がない。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月08日
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何とも言えないセンセーション。刺身にするには小さ過ぎるけど、唐揚げにはいいななんて眺めながら逆に喰われていた。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月07日
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「日本での買い物、お土産は100円ショップでいいからね。」オランダ系の連れ合いの常套句。ということで、いつも素直に従っている。近所、友人などへも同じ方法にしている。シンガポールで、なんと日本を代表する100円ショップがある。もうすでに、2軒も訪問させていただいている。シンガポール土産も100円ショップからということで、日本からの土産と大差がなくなってきている。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月06日
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今回の旅行で、実は長年行きたいと思っていた所に是非行ってみようと思っていた。シンガポールからバスで1時間くらいの所に、マレーシアのジョホールバルという町がある。ここより更にバスで3時間北西に向かった所にあるバトパハという田舎町に行ってみたかった。20代の頃、詩人金子光晴の本に可なり影響を受けた。昭和の初めにアジアとヨーロッパを妻と一緒に7年間放浪した人だ。妻が恋焦がれる男から引き離すといった意味もあった旅でもあったようだ。バトパハは、そんな金子光晴が滞在した所だった。しかし、残念ながら今回は断念。ジョホールバル止まりとなってしまった。バトパハには、1人で時間を気にせず居たいだけ居る、といった環境でない限り行く意味はないと思った。そんな状態に自分を置いてみて、そこから何が見えるのか見てみたいと思った。そんな機会が、これからの人生で訪れてくれるかは分からない。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月05日
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毎日、汗をかいていて減量かと思っていたら、顔がむくんできた。原因がわからない。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月05日
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ジーンズの上から刺してくる。アメリカの蚊は業務に徹底していて驚かされた。1974年、ワシントン州のスポキャーンの近くにあったキャンプ場で、2週間のボランティアをしたことがあった。私は、日本でも蚊には好かれるタイプの人間で、同じ所にいても喰われる回数が多かった。血が甘い、などと言って自慢さえしていたが、このアメリカでの攻勢には参ってしまった。子どものとき、どこの家のも蚊帳があった。夏に蚊帳を吊るすのはいつも父の仕事だった。家は開け放たれ、外から中も見えてしまう。新しい蚊帳は特にまだ生地が硬くて匂いもする。パタパタとウチワで扇がずに入り怒られたりもする。蚊帳に囲まれて、家族がみな一緒だという気持ちで暑苦しいのに更に暖まる。「タコさん、シンガポールには蚊がいないんですよ。すごいでしょう。この国は、ボウフラが浮くような水たまりなんかを徹底的になくしてるんです。更には個人でそんなことしたら罰金です。」この国の国家統制力のすごさはいろいろと感じていたが、蚊まで統制されていたのだ。農業、酪農がないに等しい国であることも大きな理由だろう。「お客さん、シンガポールには言論の自由はありません。」タクシーが安いのでちょくちょく使うのだが、あるとき運転手がそう言った。そして、シンガポールはFineの国だと、言葉をかけて笑っていた。即ち、「罰金の国」ということだ。電車に乗っての、道を訊いても本当に親切な人が多いのには驚かされる。落書きもなく、ゴミも落ちていない。気持ちがいい。でもそれは、統制の力の表れでもあるのかもしれないと思うと、ちょっとだけ背筋が寒くなる。だが、この国の人は実際にはその統制を逆手にとってお上に従っているようでそうではないようなしたたかさもしっかりと見せてくれる。中国文化、インド文化、マレー文化などを統制していくにはどうしても力が必要なのだろうが、それらの文化が動じないで混在しているのも確か。毎日、圧倒されて街を歩きまわっている。蚊がいないことは本当に嬉しいことではあるが、キンチョウの夏ではないのが不思議と少しだけ寂しくもある。勝手なもんだ。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月04日
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元旦は、インド人の街「リトルインディア」に行ってきた。インド人も初詣があるとのことで、大変な賑わいだった。まるでインドに旅をしたような一日になった。本年もよろしくお願いいたします。サリーの店が何十軒も続いていたいろいろなマーケット新年の花飾り暑いときに辛い料理、ここでは他にチョイスがない寺院で初詣靴を脱いで入る。ちゃんと探せるのだろうか毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年01月02日
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