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本題に入る前に。3年前にオーストラリアを訪れた頃はホームページに旅行記を書いていました。オーストラリアではホームページに記述することを前提に情報を集め、ゴールドコースト(リンク)で紹介しています。書ける事はほとんど書いていますから、この旅行記と重複なく日記を書く事は難しい課題となりそうです。ただここまでの情報が残っていればとても書きやすい。ホームページに書いておくと便利だな~と実感しています。Blogの日記だとどこに書いたか判らなくなるので、使い分けが大切ですね。自分のホームページを見ながら何故オーストラリアを選んだか、もう一度考えてみました。家内は妊娠してから息子が3歳になるまで海外旅行をしていませんでした。息子は乗り物で暴れる癖があり、長時間の移動を強いられる海外に行く思い切りがつかなかったのです。ちなみに行ってみれば大きな問題でありませんでした。先日も2歳の娘を連れてグアムに行きましたがノートラブルです。3歳まで待ったことにはあまり意味がなかったようです。とにかく、家内には少しでも遠くに行きたいという願望があり、それが強く伝わってきました。当時の条件を考えてみれば、飛行時間が10時間以内、息子がいつ病気になるかわからないので健康面での問題が少なく、言葉が通じる英語圏であること。加えて料金が重要な要素でした。ホームページでは「南半球に行きたかった」と書いており、それは間違いではないのですが、日本が夏のとき南半球は冬。ハワイなどに比べ冬のオーストラリアはツアー料金が安いという魅力があったのです。しかも冬とはいえゴールドコーストはかなりあたたかそう。ニュージーランドまで行けばさすがに寒そうです。シンガポールにも既に行っていたし、この時点ではオーストラリア以外には選択肢がなかったのかもしれません。オーストラリアは私が訪れた所で今でも最も好きな国です。定年を過ぎたら移住したいと本気で考えています。私たちの選択は間違いありませんでしたよ。
Jan 31, 2005
このブログのカテゴリーを「旅行・海外情報」にしているため、次はどこの場所について書こうかなと悩んでいます。パリは記憶をたどるのに苦戦しましたので、次はもう少し最近の話題を。しかしグアムは最近で記憶がはっきりしすぎて、想い出しても書いていても面白くない。そこで次はオーストラリアの話題で2週間程度ひっぱろうかなと考えています。理由としては以前からやっている「たくたくコラム」というホームページを観てメールをくださるかたがいらっしゃいますが、数少ない投票の中で人気はオーストラリアと広島だからです。それではなぜ、広島ではないのでしょうか。広島は原爆の説明を求められることが多いからです。私は外資系の会社に勤めておりアジアの知り合いもたくさんいます。それだけに戦争の話は神経質になり言葉を選んで話さなければ行けない難しい話題です。私は多くの原爆被験者から直接話を聞きました。それだけに原爆の説明をしなければという責任は感じます。しかしながら「被験者の体験談と、それに基づいた感想だ」と説明しても、極端な嫌悪感を示される方がたくさんおられ、いまだホームページで詳しく書いた事はありません。原爆の話をすることでホームページの趣向(いいかげんなくだらない話)がかなりゆがめられるという心配もあります。またすでに記憶があいまいで、不正確なことを書いてしまうのではないかという危惧があります。ただ以下のことだけは書いておきたい。広島の原爆資料館に行っても私(多分私たち)は何の恐怖も悲しみも感じません。原爆の怖さはこの程度ではないのです。正直陳腐で滑稽にしか過ぎない。それでも県外や海外から原爆資料館に来た人は驚き、恐怖し、涙する。原爆の知識に関してはそれ程のギャップがある、広島県から出て初めて理解したことです。エンジニアですから、本来は原子力エネルギーを擁護すべき立場にあることはわかっています。それでも原子力は怖い。人間の手で制御できるエネルギーなのか、人間が手を出してはいけない力ではないのか。そして何故地球はこんな破滅的な力を人間に与えたのか。だんだんつまらない話になってきたので、この程度にしておきます。やっぱり次からはオーストラリアの紹介でいきます。
Jan 30, 2005
先週から今週にかけてパリの紹介をしてきました。過去に行った旅行を思い出していると、忘れていたシーンがまるでアルバムでも見るかのようにフラッシュバックとなって戻ってきます。しかし現れて来るのはほとんどが通りすがりに見たくだらない場所ばかりです。記憶の中でシーンはずいぶん装飾されておりいくつかが混ざり合っています。そんなシーンをいくつか回顧してみれば・・・トイレおばちゃんが座っているシーン、多分ドイツ?エッフェル塔の下で見た脚ミュンヘンのごみひらいをしているホームレスバスから見えたトロントの小さな運河カナダ、サーニアのドライブインのエントランスマンハッタン島に入るトンネルの入り口説明を間違えて顔が真っ赤になったノイ・シュバンシュタイン城ガイドのおねえさんミラノ郊外の街路樹シンガポール、ジュロンの船着場(今はレストラン)オーランドの空港からディズニーワールドに向かうハイウエイの街灯のオジンヂチューリッヒのケーブルカーを登りきったときに見た道路グアムのつぶれかけたスーパーマーケットニューオリンズからバトンルージュに向かう湿地帯の上を走るハイウエイエジンバラの植物園に向かう途中で2階建てバスから見たカーブイギリス、ドーキングのスーパーマーケットこれらは本当に面白くない場所ばかり。何故覚えているのか考えてみれば、何か驚きや恐怖があったか、家内と大切な話をしていたなど感情に起伏があったのではないでしょうか。そのときの驚き、恐怖、会話は覚えていないのですが、シーンだけが記憶に焼きついたのでしょう。中でもイギリスのドーキング、私が始めて一人で訪れた海外の街のシーンが他に比べて極端に多くなっています。しかし2回目にドーキングを訪れたとき、記憶のシーンと現実に大きなずれがあることがわかりました。しかし現実を再認識した後でも記憶のシーンは消えないんです。これらのシーンは多分一生消えることが無い私の財産です。最近はシーンの定着率が悪くなっています。旅に新鮮味がなくなってきているからではないでしょうか。それでも新しいシーンを求めてまた旅に出ます。
Jan 29, 2005
パリでの滞在は楽しいものでした。しかし私たちはスイスも楽しみにしていたのでそろそろ移動することにしました。とにかく最終目的地のフランクフルトにはどうにか到着しなければいけません。スイスへの移動はユーレイ・パスを使った列車の旅。このお得なパスはTGV、つまりフランスの新幹線にも乗車することができます。しかし予約ができないという難点も。おかげで全席指定の満員電車の中、ドアの横にある補助席に座らせていただきました。新婚旅行なのに・・・リヨンに着くと車掌さんが、「席が空いたよ」と教えてくれました。ここからは快適な旅。このTGV、広大な田園地帯が続くリヨンまではうわさ通り早かったのですが、リヨンを越えて山岳地帯になると・・・遅い?フランスは農業国です。日本とは違い線路沿いは一面の田園。家さえ数えられるくらい。スイスに入るまでは森さえもほとんど目に付きません。10年前の記憶なので定かではないのですが、それ程に田園が印象的でした。フランスは子供の数が少なく老人の数が多い。税金は極端に高く国力も国際的な影響力も昔ほどはありません。年老いた国という印象です。日本はそのような国に近づいているような気がします。しかしフランスは小麦やワインなど農作物を大切にした1次産業大国の座を維持しています。そのような国の産業を大切にしていますから悲壮感は感じられません。日本の変化は急速で、かつて2次産業大国を捨て去ろうとしています。フランスのような辛いながらも安定的な状況に軟着陸する事はできるのでしょうか。
Jan 28, 2005
タイトルで飛んでこられた方がおられたら申し訳ありません。官能的な話ではありません。イギリスの少々固い演劇に比べますと、フランスは少々「体の線を美しく見せる」ショーが主流です。(この傾向はフランス映画にもあるように思います。)シャンゼリゼ通りの近くには高級で健全なヌード・ショー劇場がいくつかあります。これらはフランス料理を食べながらショーを楽しむ形式ですが、映画館よりも巨大なサイズの劇場で、スーツ着用です。内容もショーの要素が高くなっています(ストーリーはなさそう)。それだけに新婚の夫婦が二人で行っても全く違和感がありません。当日の午前中に予約をしておき、観光を楽しんだ後でリドというシャンゼリゼ通りの一番良い位置にあるショーに行ってみました。高いお金を出してよい席を取り楽しみにしていたのですが・・・全く覚えていない。記憶が亡くなったのではありません。実は夫婦でショーの途中に爆睡!!!昼間の観光疲れの上に時差ぼけが解消していませんでした。その上食前にワインが出てきたおかげで睡魔に襲われ、完全に寝入ってしまったというわけです。金は払うからコーヒーを出してくれ、と頼んだのですが食後まで出せないという冷たい言葉。食事はスタッフに起こされながら無理矢理食べました。特にステーキはおいしかった。食事中ステージを見れば、ジャグリングなどをしていましたが、宙を舞う色んなものが一段と睡魔を誘う。終演の近く、薄目が開いた一瞬、リオのカーニバルのような服装をした女性が大量に歩いている姿を見ましたがそれだけしか覚えていません。最前列に陣取った100人程度の日本のおじさんたちは堪能できたでしょうか。
Jan 27, 2005
最初に。いま少し仕事が忙しく、いただいたコメントに対して返事ができていません。ごめんなさい。日記は電車で書いてコピペしているのでどうにか更新できているのですが。必ず返事を書きますので少し待ってくださいね。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~パリに限らずヨーロッパの古都散策は楽しい。中世の建造物が多く残り、新築の建物も町並みの情景を崩さないように配慮してあります。一方でパリには古い町には共通のマナーの悪さがあります。パリでは駐車違反に悩まされます。どうやって駐車したのかわからないほど車間は狭く、隙間を通ることさえできません。一方で歩行者のマナーも悪い。大通りでも気軽に信号無視。信号を守るほうが悪いというよう雰囲気です。大阪とパリは似ているといわれますが、確かにへんなところが似ています。話を戻します。古い町でありながら、いや古い町だからこそパリは計画的に構築された都市です。中心部を流れるセーヌ川を基点として、ペロペロキャンディーのようにらせん状に通しで番地が振ってあります。その中心に位置するのがノートルダム寺院。パリといえば凱旋門とエッフェル塔があまりにも有名ですが、このノートルダム寺院も奇抜で美しい建造物です。セーヌ川に左右を囲まれたこの足を広げたような構造物はパリという町の面白さを演出してくれています。ベルサイユ宮殿、凱旋門、エッフェル塔もそうですが、中世から近世のパリの建造物には奇抜なアイディアが満載です。一方で最近の建造物には日本やアメリカに奇抜な建物が増えたためか、フランスに活気がうせたためか、あまり派手な建物は見受けられません。
Jan 26, 2005
モンマルトル広場に行くことができず残念です。芸術はパリの形容詞のような特徴といえるでしょう。時間に制約があったとはいえ、若手の画家が集まるモンマルトルには行ってみたかったのです。そんなパリにあってルーブルとオルセーはどちらも世界を代表する美術館です。ルーブルは歴史的な芸術が多く、オルセーは印象派以降の絵画が多く集められています。私は印象派が好きなのでオルセーを中心に回りました。期待を裏切らない高い質と膨大なコレクションで、イギリスのナショナル・ギャラリー同様、好きな美術館の一つです。問題はルーブルです。ガイドブックを観るだけでその巨大さが判ります。しかし残念ながら2時間程度しか余裕がない。目標をモナリザやニケなどに絞って走ることにしました。その他は横目で見る程度です。横目で見るとはいえ巨大で美しい絵画の数々、もっと時間があれば・・・と悔しい想いです。特にニケは展示方法の効果もあってわすれられない美しさでした。一方で探し回り閉館寸前にやっと見つけたモナリザは小さくて薄黒い絵画。横目で見てきた巨大で華麗な絵画から観るとどうしても矮小です。芸術の知識を全て捨てたとすれば、私はこの女性の肖像画を優れた作品として選ぶことができるでしょうか。ただエンジニアですからレオナルド・ダ・ビンチという人は大好きで尊敬しています。しかしこのルーブル、世界に知れ渡るだけの美術館だけあって本当に巨大。美術館を走る事は厳禁で、走るとは言いながら早歩きの意味なのですが、実は最後の数分間、本当に走っていました。ご迷惑をおかけしました。もう一度行く機会があれば、今度は一日かけてルーブルの芸術に浸ってみたいです。
Jan 25, 2005
パリでは裏通りの店に入ると本当に英語が通じないことがあります。ある店では店員が数さえ理解できないので筆談。英語力に関しては日本よりもひどい状況です。それなのに家内は数々の商品(この店ではベルト)を出してもらい、気に入ったら今度はサイズ調整。言葉が全く通じない状態で不思議な光景でした。私は英語が通じない段階で困惑。家内が強いのか、女性が強いのか。言葉なんて通じなくても会話はできるということを目の当たりにしました。かく言う私も、英語が通じない事で異国情緒に接したような気がしてわくわく。フランスとイギリスはこんなに近いのにと不思議に感じるかもしれません。でも私はお隣の韓国の言葉が全くわからないので人の事は言えませんね。フランスの物価は日本と同程度で、あまりお得な感じはしませんでした。しかしパリの次に訪れたスイスは別格の高さ(例えば歯ブラシ700円)ですから、「パリで買っておけばよかった~」という事に成ります。スイスに向かわれる方は十分に買い物をしておいてください。言葉の障壁のおかげで、パリでは無駄遣いをほとんどしませんでした。私は数枚の絵葉書とりんごを買って食べた程度でしょうか。
Jan 24, 2005
日本人がパリにきたらベルサイユ宮殿でしょう。だいたい日本人にとって、特に女性にとってかもしれませんがベルサイユという言葉が心地よい。この言葉を声にするだけで赤いバラに抱かれたような気分。まあ単に「ベルサイユの薔薇」から連想したような、くだらない話は置いといて・・・ベルサイユ宮殿はパリの西部にある説明するまでも無い世界有数の贅沢な建造物です。私たち夫婦はバス・ツアーを利用してみましたが、これがずいぶんと良かった。移動手段の心配が無いばかりでなく、ツアー客は入場の長い列を待たずに専用入り口からはいる事ができます。ツアーなので時間制限があるのは残念ですが、それでも少し時間が余ったくらい。お勧めです。ベルサイユ宮殿の紹介は野暮でしょうか。信じられないほど光り輝く豪華な内装、広大な庭園。日本にも姫路城など巨大な建物はありますが、革命があった国で、よくもまあこんなに贅沢な宮殿がオリジナルのまま維持できたものですね。ベルサイユ宮殿のトイレにはヨーロッパらしく料金回収のおばさんがいます。今でもいるでしょうからトイレに行くための小銭の準備を忘れないようにしてくださいね。ところでこの日は、ベルサイユ宮殿の前に膨大な数のクラッシックカーが集まっていました。スーパーカーブーム世代の私でも知らないような真っ赤な跳馬や、ガルウイングのベンツなど始めてみる車が現役として動いている。車ばかりでなく運転手の衣装までが50年代を思わせるような風貌。金持ちなんでしょうな。
Jan 23, 2005
高いところが嫌いです。景色を見るのは好きですが高所が苦手。高所恐怖症とまでは行きませんが、まあ人並み以上に怖い。そんな私がエッフェル塔に登ったのはパリの情景を見たいという願望が恐怖に打ち勝ったからです。エッフェル塔の足元に着くと、エレベータ待ちの長い行列。仕方無いとチケット・ブースに行ったらエレベータより安い料金のチケットがあるじゃないですか。フランス語を無理矢理読むとエスカレータと書いてある。しかもそのエスカレータの入り口に列はできていない。エスカレータなら問題ないとチケットを買い、入口に近づくと・・・階段???普通気が付きますよね。縦に長く歴史のあるエッフェル塔にエスカレータがあるわけない。しかし言葉とは怖いもので、「エスカレータ」と言えば日本のような自動で動き、目的地まで連れて行ってくれるような機械があると、私は全く疑いませんでした。フランス語、一つ覚えましたよ、エスカレータは階段の意味。きっと江ノ島のエスカーが悪い。あんなところにエスカレータがあるからどこにでもあるような気がする。とばっちり?足元から見上げれば、エッフェル塔は結構高い。こんな骨だらけの建造物。恐怖!意を決して登ってみれば手すりのついた整備された階段で、落下する心配が無いため恐怖は感じず、結構楽しい運動でした。エレベータでは味わえない経験と記憶が残ったので良かったのかもしれません。しかし家内は不機嫌だったようで、怖い顔をした写真が残っています。興味がある人は試してみてください。ちなみにこのチケットは往復券で、帰りも階段を使うしかないという非情なる物でした。景色は最高!!
Jan 22, 2005
新婚旅行でパリを訪れてから早10年。ロンドンからフランクフルトまでの2週間の移動で、最も長く滞在した街です。パリは観光客を満足させてくれる魅力がいっぱい。いかにもパリというシャンゼリゼ通り、裏通りのおしゃれな喫茶店や店、巨大テーマパークのようなベルサイユ宮殿、世界有数の美術館。パリのディズニーランドに人気が無いのは仕方が無いことでしょうか。パリの紹介はまず入国から。ロンドンから飛行機で約一時間と、フライト時間は短いものでしたが、入国審査で私たちの前にいた方たちにトラブルがあったようで1時間以上の待ち。まだホテルを予約していませんでしたから早くしてくれーという焦りの気分と、私たちの入国審査は大丈夫?という不安な気持ち。そんな心配に反して、私たち夫婦の入国審査は各5秒程度。パスポートの写真だけみて終わり。「観光かビジネスか」なんて言葉もなし。日本のパスポート強し。でも入国スタンプくらいは押してほしかった。入国したらもう夕方。とにかく急いでホテルを取らなければいけないので空港のホテル予約カウンターに直行。巨大都市の巨大空港なのにホテル予約カウンターは少なかったのですが、待ち時間はほとんど無く自分たちの番。ホテル予算は1泊15,000円程度(新婚旅行なのに)とターゲットを決めていたので、空港のホテル紹介で交渉。海外旅行は2度目で初めてのホテル予約ですから額から汗。太っちょの眼鏡をかけたおばちゃんはぶっきらぼうな話し方でしたがとても親切にホテルを選んでくれました。シャルル・ド・ゴール空港からバスで移動。地図を見ながらどうにかホテルに到着すると、あたりはすっかり夜。凱旋門まわりのオレンジ色の街灯が印象的でした。宿は小さいながらも凱旋門から歩いて5分程度の好立地。内装もかわいい素敵なホテルでした。ここから4日間、パリ珍道中の始まりです。新婚旅行なのに・・・
Jan 21, 2005
久しぶりに風邪を引きました。頭が痛いし、鼻水はでるし、こんな日はゆっくり休むのが一番。ということで、日記はお休みです。そう入っても、21日に記入しているんですけどね。もう治ってます。
Jan 20, 2005
仲の良かったアメリカの同僚から Goodbye のメールが届きました。彼は入社当時に知り合った最初の外国人の一人。私が英語を話せなかったときを知っている今では数少ない同僚でした。彼と知り合ったのはバブルの頃だったでしょうか。会社には活気がありコンピュータ・システムも過渡期でした。ホスト・コンピュータやミニ・コンピュータなど今では過去の遺産が全盛の頃です。WindowsなんてものはまだVer. 1か2で使い物になりませんでした。イギリスに行ったときには一緒に車で移動して、牛に道をふさがれ遅刻した事を今でも覚えています。彼のメールには昔のことがたくさんしたためてありました。どれも懐かしい話ばかり。あの頃一緒に仕事をしていた仲間は、やめてしまったり、病気で亡くなられたり・・・それでも彼が送付したメールのアドレスに、懐かしい仲間がならんでいました。ここに名前が並んでいる人たちは少なくとも世界のどこかで一緒に働いているんですね。年をとったな・・・と実感した一日でした
Jan 19, 2005
写真が好きな私にとって、冬は一番寂しい時期。秋の紅葉が消え、昼は短く暗闇の時間は長く、木枯らしは冷たく、陰鬱な日々。緑が失せた街は茶色・・・灰色、クリスマスが過ぎれば木々にぶら下がる豆電球でさえも誘うのは寂しさだけ。車窓から見える海はどす黒く、綺麗というよりは恐怖。ナニモオモシロイコトガナイ。数少ない楽しみの雪化粧。でも大阪で雪なんて降りません。たまに積もっても交通機関が遮断され、写真どころではありません。ナニモオモシロイコトガナイ。そんな冬の寂しさが旅に出たいという気持ちを強くしてくれます。何かを求めて。この冬の辛さがあるから、春が待ち遠しく、夏が楽しく、秋が名残惜しくなる。まあ春を待ち焦がれながら、温泉にはいり、蟹でも食べて、熱燗でも飲みますか。ケッコウタノシイジャナイ。
Jan 18, 2005
まずはあの時、亡くなられた方のご冥福をお祈りします。今朝、あの地震の被害が再び映像で流れ、思い出すことが多く涙が出そうでした。言葉を返せば、あのときの恐怖を忘れそうになっている。一つでも二つでもあの時の教訓を忘れないよう、あの朝を少し思い出します。長文ですからここで読むのをやめられる方が多いと思いますが皆さんも、是非、あの日のことを思い出してみてください。当日の朝、巨大な地震に揺り起こされました。その時私は何をしたでしょうか。動けない・・・恐怖で叫んでいる家内に「大丈夫、大丈夫」という根拠の無い言葉。あとはベッドに座って、地震がおさまるのを待つだけでした。地震は突然来ます。どんなに地震の恐怖を教育されていても、恐怖で動けるものではありません。当時は大阪府の南、堺市の近くに住んでいました。電車で行くと遠いのですが、神戸や震源である淡路島は大阪湾をはさんで見える距離です。直線では近かったこと、また振動が東西に広がったこともあり、かなり揺れました。後で知りましたが家屋の破損などはかなりの規模です。私の場合、振動でテレビが落下し、テレビでの状況が確認できませんでした。そこでラジオをつけると「京都で震度4の地震」と放送、ならば大阪は震度3程度だろう、地震とは恐ろしいものだと驚きました。当時住んでいた社宅の窓から会社のほうを見ても火等は出ていない模様。震度3程度なら被害は少ないだろうし会社に急いで行くことも無いだろうと、のんきにもう一度寝てしまいました。被害の大きさを知ったのは通勤しようと家を出たとき。全ての道路は駐車場状態で、電車も全て停止。会社に連絡しようにも電話がかかりません。車で15分の道のりを裏道を使い3時間程度かかって会社に到着してみれば、駐車場は一面の液状化、事務所には20cm程度の段差ができていました。しかしまだ神戸の惨状は知りませんでした。震源は京都ではなく淡路島で、神戸から淡路島にかけて甚大な被害が出ていると会社の食堂で初めて知りました。本当に大きな地震災害があった場合、例え日本でも情報網が寸断され想定以上に情報伝達に時間がかかるという一例です。もし津波が来ていたら、私は助かっていないでしょう。帰宅後、修復したテレビをつけ、初めて神戸の惨状を映像で理解した次第です。いくつかの問題が思い当たります。まず地震国である日本でさえ、地震情報伝達は時間がかかるということです。巨大な地震が、例えば東京の中心部で発生し全ての報道が機能を停止したとき、私たちは正確な情報をどのように知ることができるのでしょうか。「日本の地震情報は完璧だ」という迷信は、少なくとも10年前には達成できていませんでした。しかし一番大切な事は何でしょうか。情報があれば避難の方向やタイミング、二次災害である津波の可能性や規模が把握できます。しかし一番大切なこと、それは地震発生と同時に死なないこと、怪我をしないことです。そうすれば助かる可能性は十分にあります。その後は状況に応じて自分の判断で対応すればよいのです。ではどうすれば、一次災害で死なないようにできるでしょうか。教訓として地震のときは動けません。どんなに運動神経があっても難しいでしょう。神戸の地震では火災の印象が鮮明に残っていますが、多くの一次被害事故は家財道具による圧迫死や怪我です。生きている間に発生するかどうかわからない巨大地震に対して非常食などの準備を維持する事は困難です。避難生活は長いものですし、どんな準備も十分ではないでしょう。それよりも一次被害への対策が重要です。では何をすればよいのでしょうか。たんすや冷蔵庫が倒れたとき、子供がつぶされて死亡や怪我をしない対策はできているでしょうか。箪笥の上に重いものは乗せていないでしょうか。箪笥は倒れる方向が予測できますから、子供が寝ている方向を代えたり、布団の位置を少しずらしたりするだけで被害を軽減することができます。また箪笥が子供の避難路をふさぐことは無いでしょうか。親が死んだときでも、子供が自分の力と判断で逃げられる道筋はできるでしょうか。地震は人間の対策をあざ笑うかのような天災です。予知や完全な防災は人類にとって無理です。それでも簡単な予防策で助かる命は多いはず。今回のような節目に自分の周りをもう一度見回し、危険な場所を一箇所でも減らしましょう。たとえ巨大地震が今日であるとしても、100年後であるとしても日本に住んでいる以上、また必ず発生します。残念ながら平野部が広い大阪の津波対策は困難です。マンションが流されないことを信じ、車はあきらめ、後は運を天に任すしかないでしょうね。ちなみに私は阪神の震災後マンションを購入するとき、火災が起きても逃げやすい、地震が起きてもゆれが少ない、津波が来ても助かる可能性が高いという判断から5階から6階に限定して部屋を探しました。今でも良い選択基準だったと自負しています。幸いこの地震で死亡、大怪我をした知人や同僚はいませんでしたが、被害は甚大でした。家屋の倒壊で引越しを余儀なくされ、連絡が取れなくなった友人は何人もいます。それでもどこかで楽しく暮らしている事でしょうから良かったと感じています。その後、北海道、新潟や世界各国の地震、東南アジアの津波と地震災害は後を絶ちません。東南海沖地震も近い将来必ず発生するでしょう。また関東は歴史から見ても特に地震被害を起こしやすい地域です。地震の発生を防ぐことはできません。地震対策を十分すると同時に、子供たちへの防災に対する教育を進めていきましょう。
Jan 17, 2005
私の生まれ故郷です。好きなところ: 海と山が近い嫌いなところ: 坂が多いコメント: だから足が太い人が多いですよ。好きなところ: 野良猫が多い嫌いなところ: 野良猫が多すぎコメント: 実家の床下にも何匹かが勝手に住んでいるのですが、時に死んでしまうので困る。えさをやると両親が怒るし。好きなところ: 人が少ないので歩きやすい嫌いなところ: 人が少なくて寂しいコメント: とにかく過疎の町ですから。私が通っていた小学校も廃校になりました。好きなところ: 道が狭い嫌いなところ: 駐車違反が少ないコメント: 呉で駐車違反は極悪人です(笑)好きなところ: 気候が良い嫌いなところ: 観光地が無いコメント: 呉に来た観光客は「行くところが無い」と怒ってしまいます。過ごしやすいところなのですが・・・好きなところ:お好み焼きがおいしい嫌いなところ: 牡蠣にあたるコメント: お好み焼きは絶対に広島風。牡蠣にあたるのはどうやら私にアレルギーがありそう。カキフライを一口でも食べると動けなくなり会社を4日は休みます。牡蠣のおいしいところなのに。好きなところ: 自衛隊の施設嫌いなところ: 自衛隊の体験入隊コメント:子供は自衛隊に体験入学させられることがありますが、これが辛い。自衛隊って大変な仕事ですよ。好きなところ: マツダの車が安い嫌いなところ: 車の運転が荒いコメント: 大阪も車の運転が荒いといわれることがありますが、広島に比べるとかわいいものです。広島の運転は本当にひどい。好きなところ: 方言嫌いなところ: 方言コメント: 広島弁、特に呉弁は乱暴に聞こえます。仁義なき戦いなど映画になったせいでしょうか。おかげで方言を広島以外では使いにくく、呉から離れて22年、広島県から離れて17年たった今、すっかり広島弁が話せなくなってしまいました。そんなもんじゃろ。好きなところ: 地震が少ない嫌いなところ: 洪水が多いコメント: 地震が少ないのは、たまたま私が住んでいたときには発生しなかっただけ。一方で家の横に小さな川が流れていたのですが、大雨が降ると山から流れてくる土砂で土石流状態。台風のときはよく小学校に避難しました。
Jan 16, 2005
先日の大阪編に引き続き東京(関東)編。すんでいた期間は短いので一つの旅行先として書きました。、好きなところ: 日が昇るのが早い嫌いなところ: 日が沈むのも早いコメント: 広島育ちの私にとっては本当に驚きでした。実感として1時間くらい違う。朝の通勤には喜ばしいことです。好きなところ: 親しみやすい嫌いなところ: 近所づきあいまでビジネスライクコメント: 引越しが多い人にとっては助かります。ビジネスライクに感じるのはみんな互いの方言が出ないよう標準語を使うせいでしょうか。好きなところ: ディズニーランドが近い嫌いなところ: ディズニーランド年間パスの料金が高いコメント: ディズニーランドが近いというだけで関東に引越しをしたい人がどれほど多いことか。好きなところ: 店が多い嫌いなところ: 店の中が狭いコメント: 店が多くて便利なのですが、地価が高いためスペースが狭い。特にレストランの通路の狭さや席の間の狭さは着膨れする冬場につらい。好きなところ: 乗車マナーが良い嫌いなところ: 電車が混雑しすぎコメント: 乳幼児を抱いているとき、東京圏では必ず席を譲ってくれる人がいましたが、大阪では一度も譲ってもらったことがありません。これは本当に驚くほどの文化の差。ただ東京の通勤電車に子供が乗ると窒息死してしまうのではないかと思うほど。好きなところ: 緑が多い嫌いなところ: 皇居が邪魔コメント: 東京でかつての江戸城、今の皇居は緑に覆われ、東京の環境維持に見えない効力を発揮しています。天皇制がどうなろうと気にしませんが、皇居の緑は未来永劫維持してほしい。しかし巨大な皇居は観光にはすこし邪魔。好きなところ: コンサート、ミュージカル公演回数が多い嫌いなところ: チケットが取れないコメント: いくら回数が多くてもチケットが取れなきゃ一緒ですね。好きなところ: 町に活気がある嫌いなところ: 風俗店が多いコメント: 別に東京に限ったわけではないですが、呼び込みが多い。出張のときホテルを見つけることができず重い荷物を持って歩き回っていると、前に立ちふさがられるので迷惑。好きなところ: パチンコの換金率が良い嫌いなところ: 回らないコメント: 個人的な戯言(ざれごと)で・・・好きなところ: パチンコ屋が多い嫌いなところ: 回らないコメント: ごめんなさい。回らないけど結構勝ってるかも。好きなところ: 地下鉄を含めた鉄道網が発達嫌いなところ: どこまで潜るのか判らないほど深い地下鉄の駅コメント: 電車に乗っている時間より地上と地下を上下している時間の方が本当に長い駅があります。六本木とか。このくらいで
Jan 15, 2005
イギリスの若い女性から電話。早口で名前が聞き取れず、まずは “Happy New Year” と。それから約10分、仕事の打ち合わせ。結局最後まで名前がわからず、電話を置きました。いったい誰だったんだろう?しばらくしていつもメールでやり取りしているエンジニアから電子メール。いとものように開いてみれば今、電話で会話した内容の確認。自分、女じゃったんかい!! ずーっと男性だと思ってた。名前から判らなかったもので・・・今までのやり取りに失礼があったのではと悩んでいるところ・・・海外で女性のシステム・エンジニアは当たり前。これからは気をつけますです。ちなみにBlogでも時々性別を秘密にされている方がおられますが、コメントを書くときには注意します。
Jan 14, 2005
今年の目標は「面白い文章を書く」にします。なぜかといえば・・・Blogを歩き回っていると思わず立ち止まる文章にでくわします。おもしろかったり、おどろいたり。その一方で私のつぶやき日記の面白くないこと。これでは誰も読まないですね。いったい何が悪いのか。身の回りにはエンジニアが書いた難解で学術的な文献やレポートばかり。そんな文章に染まってしまったのでしょう。ちなみに私が日記リンクをしている人は楽しい、思わず読み込んでしまう文章を書く人ばかり(プレッシャー?)。今年は多くの人のBlogをみてテクニックを盗みますよ~。今年の年末には毎日100人のアクセスをコンスタントに稼ぐ面白い文章を・・・あ、また定量的な数値目標・・・このあたりが職業病。そのうち、経済効果まで計算してしまいそう・・・(落胆)。とにかくがんばります。
Jan 13, 2005
広島育ちの私が大阪の好きなところと嫌いなところを箇条書きにしてみました。個人の嗜好ですから、大阪の説明というよりは自己紹介のようなものです。好きなところ:野良犬がいない嫌いなところ:野良猫がいないコメント:冬の公園のベンチではひざの上が寒いです。好きなところ:史跡が多く、歴史を感じられる嫌いなところ:慣習が強く残り、息苦しいコメント:歴史が長いですからね好きなところ:道路が整備されている嫌いなところ:駐車違反が多いコメント:「駐車違反をしない」という意思を持っている方。あなたが正しいので自信を持ちましょう。駐車場にとめて「もったいない」と怒られても気にしないように。好きなところ:とっつきやすい嫌いなところ:親しみにくいコメント:東京と比べれば引っ越して来たときに地元の輪にはいる事が難しく、なかなか親しくなれません。ただ一度輪に入れば東京よりは深い。好きなところ:行楽施設が多い嫌いなところ:入場料金が高いコメント:USJの登場で、神戸、京都を含めた大阪エリアは一大観光スポット。ただしどこも料金が高い。好きなところ:東京ほど電車が混んでいない嫌いなところ:乗車マナーがなっていないコメント:大阪の共通性で、知らない人にはやさしくない。知らない人が苦しんでいてもあまり気にしないようです。駐車違反、親しみにくいこと、全て共通ですね。好きなところ:晴れの日が多い嫌いなところ:風が強いコメント:暮らしやすい気候です好きなところ:空が広い嫌いなところ:空気がまずいコメント:大阪平野は山が少なく、東京に比べると一軒家が多いためか空が広く感じます。その一方で地形の影響もあるのか、大阪に近づくほど空気がまずくなるのを実感できます。好きなところ:声が大きい嫌いなところ:うるさいコメント:会話をしているとき相手の声が大きいとわかりやすいし楽しいので良いのですが、他人の声が大きいのは少々迷惑。ちなみに私も声が大きいです。好きなところ:笑いにあふれていること嫌いなところ:笑いにうるさいことコメント:私が普通にしゃべっていても、「面白くない」といわれることがあります。別に笑いを取ろうとしている訳ではないのですが、常に意識しないといけないのでしょうか。好きなところ:田畑が多いこと嫌いなところ:緑が少ないことコメント:平野部が多いせいか、バブル時代の地上げの名残か、大都市なのに田畑が目立ちます。一方で山が遠いせいもあり、緑が少ないですね。好きなところ:バイクが少ない嫌いなところ:バイクの肩身が狭いコメント:道が発展しているためでしょうか、バイクよりは車のようです。二輪専用停止線は見たことがありませんし、路肩が狭い。特に30km制限の原付には非常に厳しい環境です。好きなところ:やさしい運転嫌いなところ:信号が変わる前ののろのろ発信コメント:広島に比べると大阪は暴走している人の割合が少なく、運転マナーは言われているほど悪くありません。ただ運転の仕方がだらだらしています。好きなところ:服装がカラフル嫌いなところ:服装が派手コメント:これも「歴史と文化」なのでしょうねこのくらいで***************************************エリート校で将来がある生徒を育てているだけに名指しで苦言を呈したい。智弁和歌山、勉強を教える前にマナーを教えなさい。社会に出てマナー教育は必ず役に立ちます。電車の中は学校の教室ではありません。毎日のように駅員がアナウンスしても全く無視。先生も乗っているのに指摘しない。箕島の生徒のマナーと比較すると劣悪にも程があります。日本の大学制度も悪い。学力と財力だけで生徒を選択するからこんなことになる。
Jan 12, 2005
この3連休、ゆっくり休んでいました。パソコンに一度も触れず、テレビを見たり、子供と遊んだり。あまりの寒さにほとんど出かけることなく家にこもっていました。そんななか、息子の学習机を買いにだけは行きました。近所の家具屋は時候に合わせた抜群の品揃え。値段は2万円くらいから10万円を軽く超えるものまで。しかし見た目に値段ほどの差は見受けられず、まるで家庭の経済力を図っているよう。まあ私は中流意識世代ですから中流の机で。しかし私が子供の頃、学習机は金属が主流でしたが今は全てといってよいほど木材。木の温かみと言いますが、引き出しの仕切り板はわれそうだし、木なのでカビが生えそうだし、もう少し素材にオプションがあっても良いような気がします。またカビが生えそうなところはプラスティックや金属でも良いのでは?今の子供たちは木の温もりが必要なほど、家庭や社会の冷たさにさらされているのでしょうか。そんな風には見えませんが・・・
Jan 11, 2005
全くつまらないことを書いてすいません。昨日の続きです。地球の気温変化における人間の影響力は、まだまだ小さいものです。地球はそんなにちっぽけな存在ではありません。一度の大規模な火山活動で地球の気温は大幅に変化します。隕石の衝突などは更に深刻です。つまり現段階であればまだ十分に人間の手でコントロールが可能な範囲なのです。地球の人口は増え続けています。特に中国やインドは人が増え、その上発展に伴いエネルギー消費が増えています。個人にはよりよい生活を求めるという人生の目標がありますから、一部の地球環境を真剣に考える方々を除けばあまりエネルギー消費を抑えようとはしないでしょう。大規模なプロパガンダを行っても個人努力によりエネルギー消費量を抑える事は一時的な効果(ブーム)に過ぎません。やはり努力が必要なのは政府と企業です。車の燃費が下がれば移動距離が同じでも二酸化炭素の量は減ります。二酸化炭素を発生しない水素を多く含むガスを多く使うことも効果的です。もちろん原子力発電は重要なエネルギーですが日本の政策が悪すぎます。うそや隠していることが多すぎます。重要なエネルギーなのですから適切な運用を期待したいものです。しかし燃料であるウランはどこにでもある資源ではなく、多分石油より先になくなってしまいます。温暖化が進んできた今、風力発電や太陽光発電(もしくは有効利用)にも期待が集まります。太陽光発電は現時点では素材の値段が高すぎます。電力に大幅な税金でもかけない限り、期待薄です。一方で風力発電は期待が持てますが、今後今以上に台風の風力が強くなると予測できますから十分な強度が必要ですね。しかしいくら日本ががんばっても日本の11倍以上の人口を持つ中国や、6倍以上?をもつインドでの対策が不可欠です。また一人当たりのエネルギー消費が極端に多いアメリカも対策が必要ですね。京都議定書にサインをしないことが必ずしも悪いことではありません。しっかりとした目標を持ってエネルギーを抑制するのであればかまわないと思いますし、アメリカの方策は必ずしも間違っていません。しかしアメリカにはエネルギー削減のリーダーとして今以上の努力を期待したいですね。ただし、いずれにしてももっと根本的な思考の展開が必要ですね。全く面白みの無い日記でした。
Jan 10, 2005
あ、書くことがなくなったなと思いませんでした(笑)。事実その通りで、週明けの朝は思考回路がショート中。もう、ほとんどの方が温暖化の恐ろしさはご承知でしょうね。それなのにこんなテーマを選んだのは、今朝が驚くほど寒いからです。温暖化は単に気温を上げるだけでなく、大気や海流にエネルギーを与えます。大気のエネルギーが増加すれば大気の動きが激しくなり、台風、急激な気温変化、海流の変化による地球規模の気候の変化などが発生します。地球全体としては温暖化であっても、極端に気温が下がることもあり、今朝が寒いのもそのためでしょう。温暖化による影響として考えられる最悪の結果はヨーロッパが氷河期に入る、伝染病が蔓延する、海抜の低い地域が水没するなどが予想されています。すいません、ここからは少し宗教的な表現になりますが、もし地球が生物であるとすれば、その体温を保つべく自浄作用があるようにも感じます。かつて氷河期や大陸移動などにより、地球は何度か体温を変えています。それでもしばらくすると気温は安定な状態に戻っています。ただこの気温変動期に生物はよく大絶滅を迎えます。NHK的になってきました。地球に自浄作用があるとすれば、温暖化により人類が大幅に減少、活動が停滞、その後海洋に二酸化炭素などが吸収されれば何千年後かには地球の気温が元に戻るのでしょう。地球が生物であるとすれば、ですが、地球にとってみれば人類なんてコケかウイルスのようなものですから、人類が減少する温暖化の状態の方が「地球にとっては良い環境」なのかもしれません。(過激ですね。)そんな中で、人類が地球にもう少し生き延びる猶予をもらうには温暖化対策が必要です。もし宇宙に神がいるとすれば(ますます宗教的)、数億の星や銀河が次々に消え行く宇宙の中で、一つの惑星の温度が3℃くらい変化しようが、猿の一亜種である人類が絶滅しようが知ったことではないでしょう。人類は神に頼らず自分たちが生き延びるために温暖化対策をしなければいけないのです。
Jan 9, 2005
東南アジアで発生した津波について何度も日記を書こうとしましたが、書きかけては消してきました。日記で触れるには重過ぎる、またどのように表現しても偽善というか、被害者に対してできることが少なすぎるという事から逃避していました。今回もどこまで思い切って書くことができるかはわかりませんが・・・災害時の援助には緊急時の援助、例えば生き埋めになっている人を救うことと長期的な援助、例えば募金やボランティアに参加し食料や安全な物資の供給をすることです。私たちができる援助は距離がある国ですから、そのほとんどが後者、特に募金にかたよります。また後者の援助が前者以上に重要である、多くの人を助けられる事は明白です。できるかぎりの募金はすべきだという考えに疑いはありません。ただ今回は募金という方法がどこまで有効なのでしょうか。被害者は神戸のときの20倍にもふくらみ、家屋の損傷が大きく、最大の問題はエリアが広すぎます。ここは募金では効果が薄く、政府の助けを借りるしか方法は無いと考えます。イラクにも困っている人がたくさんいる事は知っています。しかし政治的な意味合いが強く、自衛隊員にも危険が伴います。また国内でもイラク派遣に反対している人がおり、報われない仕事です。この自衛隊員を全員被害地に移動させることはできないのでしょうか。一時的でもかまわないと思いますし、津波の状況を知っているイラクの人も判ってくれるはずです。地震や津波の知識を持つ日本の自衛隊は、戦争のプロフェッショナルであるアメリカなどの軍隊より大活躍できるはずです。このような話題が何故日本で盛り上がらないのか不思議です。いくつか気になるニュースもありました。津波の写真を販売している地元の人に「不謹慎である」との意見を述べたニュースを見ました。もちろん不謹慎ですが、生きていくための精一杯の努力をしている人たちに、何もしていない、高々わずかな募金活動をしただけの私たちがそんな意見を述べていいのでしょうか。私は反対とも賛成とも言いたくないし、そんなことを発言する権利も無いでしょう。もう一つ、科学的な見地から。今回の地震で地球の自転速度が計測できないほどではありますが早くなったそうです。スケートのスピンを例に上げ説明していたニュースはわかりやすいもので、今回の地震の大きさを実感させてくれるニュースです。最後に、忘れてはいけないこととして、地震はどこにでも起こるということです。私も地震は環太平洋でしか発生しないと思っていました。地震のない国は建築物の構造が自由で、防波堤の無い海岸線が美しく羨ましいと思ったものです。しかし今回の津波はそんな場所から多くの人の命を奪っていきました。もちろん確立は低いのでしょうが、海外に出かけたときに少なくとも危険を知らせるアナウンスは理解したいものです。津波の場合は情報さえ手に入れば、かなりの確立で逃げることができるのですから。長くなったついでに、今回初めてTidal Wave と Tsunamiの違いを理解しました。
Jan 8, 2005

乗ってないんですよ。ベニスまで行ったのにゴンドラには。何故?と思う方は多いでしょう。値段が高いから、家内がすぐに乗り物酔いするからなどいくつか理由がありますが、よくぼったくられるからというのが一番の理由でしょうか。ぼったくられても乗っておけばよかった。まあね、当時は今よりはお金が無かったし、英語にも自身がなかったし。しかしイタリアは思った以上に英語が通じました。スイスやドイツほどではないですが。よく考えればベニスに行くまでにいくらの金を使っているのか。その金額を考えばゴンドラの料金6,000円くらい(当時)のところ、例え20,000円くらいぼられたって問題じゃなかった。簡単には行けない、もしかするともう一生行けない場所なのにね。ベニスは車の乗りいれが禁止されており、船が最も有効な移動手段です。ゴンドラに乗らなくても滞在中に船には必ず乗りますし、観光用ではないものの乗り合いのゴンドラなら交通手段として乗ります。移動のときに路地を歩くことが多いので、わざわざゴンドラに乗らなくてもベニスを十分に観光できます。しかし今になればどれほど後悔しているか。ベニスにいった話をすると、「ゴンドラは楽しかった?」と聞かれます。「乗ってない」なんていうと驚愕の表情。驚くほどの事なんですよね。ベニスでゴンドラに乗った皆さん、楽しかったですか?ぼったくられませんでした?歌声がうるさくありませんでしたか?****************************************今までベニスの話を何回かに分けて書いてきましたが、ここで一旦終わりにしたいと思います。本当はまだ書きたい事がたくさんあります。サンマルコ広場、教会や尖塔、沖合に浮かぶ島々の美しさ、リアルト橋、嘆きの橋、そして名前も知らない小さな橋、一生忘れることができない屋台のジェラートの味、路地の店先に並ぶ多種多様なパスタやチーズ。路地で迷い込み魔法の世界に到着したようなお店のディスプレイ。ベネチアングラスの透き通った美しさ。沈み行く町、工業用水の問題、地球温暖化の問題。たった数日の旅行でしたが1年間ベニスの話題で引っ張る事だってできそうです。でもそろそろくどいと思われるでしょうし、次の町の話もしたい。このあたりが潮時ですね。また書きたくなったら書こうと思います。もしベニスについて何か聞きたいことがありましたらコメントかメールをくださいね。最後に今はベネチアと呼ばれる町を何故ベニスと呼び続けてきたかですが、単に音感が好きだからです。
Jan 7, 2005

私は列車での旅が好きです。毎日3時間以上乗車する通勤電車と、既に飽きた新幹線での移動は別にして、訪ねた事が無い路線では何時間乗車していても飽きません。鉄道が発展している国に育った日本人には珍しくない感情ですよね。しかし家内は基本的に列車が苦手で(車はもっとだめですが)私に無理矢理つき合わされている状態です。そんな私ですから、スイスのチューリッヒからアルプスを越えミラノを経由して、ベニスまで列車で移動しました。正直なところ世界地図を見ながら「どこからどこまで行こう」「どの路線にしよう」と選んでいるときが一番楽しいかもしれません。 残念なことに期待していたアルプスは雨で十分に景色を楽しむことはできませんでした。スイスからアルプスを越え、イタリアに入ると町並みが変わります。ただイタリアは近代的で少々小汚い感じで残念でした。イタリア=ローマ帝国のあった歴史のある街というイメージ、そしてテレビでローマやフィレンツェなど美しい街並みばかりを放映するため、誤ったイメージがついていたのだと思います。小汚いというのは失礼で「生活臭」ですかね。しかしそんな面白みの無い風景もベネチアに到着するまでの序曲でした。列車が海沿いを進み、ベネチアが左手前方に見え始めたときの美しいこと。青い空の下、海に浮かぶオレンジ色の街並みが近づいてきたときの美しさは涙が浮かぶほどの感動でした。ヨーロッパのすごいところは一つの街全てを中世のまま維持していることです。日本では京都でさえも見事なほどの近代建築が並んでいます。そうは言っても最近ロンドンやパリに行けば多少近代建設が目立ちますが、ベニスは街中が中世のままで時間が止まっています。 長かった電車での旅の最終目的地にベニスを選んだことは間違いではありませんでした。ベニスを訪れるときは是非列車での移動を検討してみてください。
Jan 6, 2005
南ヨーロッパを旅する人にとって悲しい慣習がシエスタです。齷齪(あくせく)働く日本人にとっては羨ましい「2時から4時位までの休憩」ですが、この時間帯はレストランや店が閉まります。少し予定の観光や買い物が長引くと2時を過ぎてしまって食事を逃すし、3時頃に冷たいもの(5月のイタリアは既に少し暑い)かティラミスでもとカフェを探しても、どこもシエスタ中。そんな中でOpenしているレストランは外人旅行客で満員御礼。レストラン探しに疲れきって食べたピザのおいしかったこと。ただシエスタの時間帯だからか、店員が鼻歌ではなく、明らかに熱唱していたのには少し感動、かつ、かなりうるさかったです。特に横で歌われると、私までも仲間と思われるのではないかと恥ずかしいです。ところでティラミス。この当時既に日本でも流行を過ぎていましたが、私はイタリアで初めて食べました。その味は甘すぎてまずい、その上でかい・・・殺す気か?健康には古来からの日本食が一番ですよ・・・少なくとも日本人には。
Jan 5, 2005
イタリアといえば、スパゲティ、ピザ、そしてティラミス。旅行前の知識はこの程度。この3つを踏破しなければと意気込んでベネチアに乗り込みました。まずはスパゲティ。到着当日にはサンマルコ広場の近くの海が見えるレストラン。ベニスの中でも海が見渡せる絶好のロケーション。値段が高いことは覚悟の上だ。スパゲティはコースの中の一部。前菜、スパゲティ、メインの魚、デザート。そう、海に囲まれたベニスは肉より魚がメインになのです。(もちろん肉もありますが。)まずは魚を選べというので陳列棚へ。家内との会話は「値段が書いてないね。」つまりが時価。少々ビビリながらも日本ほどは高くないだろうと選んだのはひらめ。スパゲティはおいしかったですよ。日本人の口にもあっているし値段も手ごろ。前菜とスパゲティが終わった時点でかなり満足。しかし、メインはといえば・・・。ただゆでただけのような大きなひらめ。味付けは薄く、日本のかれいの煮付けの方が明らかにおいしい。感想は・・・もったいない刺身にすればおいしいのに。デザートが終わり、さあお会計。ひらめ10,000円(死亡)。よく考えれば一人7,000円程度で日本では当たり前程度の金額なのですが、当時のイタリア・リラではすごい桁数の請求金額なので驚きました。またひらめがまずかったし、イタリアは全体的に物価が安かったので、他と比較するとどうしても高く感じたのかもしれません。当時より金銭的に余裕がありユーロで請求される現在であれば、ひらめ10,000円(安!)となるかもしれません。(笑)******************************************************年始ほど朝の通勤がつらいときはありません。長い休みで夜更かしとだらけた生活に慣れてしまっています。しかも正月明けは寒く、朝5:30分の外は暗闇、一年で最も鬱に近い状態の起床です。事実夢見が悪かったです。いつもより15分遅く起き、動かない体を無理に動かして出発しました。そんな初出勤でも少しはいいことがあります。雨が降っていましたから少し暖かかったですし、電車が空いている。学生さんはさすがにまだ休みのようで誰一人乗ってきません。7時を過ぎると少しずつ窓の外が明るくなり、会社に着く8時頃には気分も晴れているでしょう。今週は4日しかありませんし、今日の昼にもなれば忙しさでいつもの調子が戻ってくるはずです。この日記を書き込むのは夜ですが、朝の通勤電車の中で書いていますので「今日も一日がんばろう」と書いておきます。
Jan 4, 2005
いよいよ第9区。今年も駒沢がトップを取ってもう面白いところは終わったかな?と思うと東海大学、日大・・・ん?中央大学?がんばっている学生さんにとっては不謹慎でしょうが、やはりデットヒートがおもしろい。藤沢に住んでいたとき寒い中、見に行きました。そのときはまだ15校しかなくて、往路の3区である藤沢では、数分の間に全てのチームが通り過ぎて行きました。人が多いし、チームが良くわからない。解説のあるテレビの方がおもしろいなあ。そもそも関東学生駅伝というある意味地方大会なのに、何故ここまで盛り上がるのでしょうね。やはり正月は連帯責任である駅伝に盛り上がり、日本のビジネスマンとして明日からがんばろうという気持ちの表れかもしれません。(笑)一年間、いやそれ以上の長い期間がんばってきた学生の皆さん、お疲れ様。学生さんの一所懸命な姿はすがすがしいですね。シード権争いも面白い。鶴見かぁ。ここで働いていたんだよなと思い出します。今年も最後まで盛り上がりそうです。****************************************************結局最後は駒沢でしたね。強いですね。シード権争いの方ははらはらで面白かったです。
Jan 3, 2005
そもそも私はアインシュタインに感化されて(笑)大学の頃から無宗教を貫いています。(アインシュタインに感化される前にカソリックの洗礼は受けているのですが・・・)若い頃は原始宗教である占いまで自分の中から排除する始末。堅気ですね。しかし、年齢が進み丸くなったこともあって、朝の占いカウントダウンを楽しんだり、伝統的な日本の慣わしには従ったりできるようになりました。例えば七五三や安産祈願など、家族が喜んでくれるか安心してくれるのであれば宗教的な行事にも参加するようにしています。当然、結婚式やお葬式も。厄払いもその一つ。宗教を信じないということは神を頼らないという事の裏返しですから、「統計的にこのくらいの年齢で体が痛んで来るのだろう」という程度しか思っていません。ただ病は気からという言葉があります。安心するということは大切なことですから、喜んで厄を払って貰うことにしました。喜んでと書きましたが、本当は神社の前に来て初穂料7000円(きっと安いほうなのでしょうが)を見て躊躇。安心料は安くないですね。思い切ってお金を払って・・・そもそも、無宗教ということは宗教に対して無知ですから、頭の上で紙は振られるは、鈴は振られるはと、何をやっているかわからないままにイベントが進行。木の枝を祭壇に捧げ終了です。約5分、え?これだけ?という気分でした。
Jan 2, 2005
厄年の幕開けを告げるような年始1月1日から宿直。朝のうちに厄払いを済ませ、娘が寝た隙を見て会社に出発。正月なので駐輪場は閉まっているし、電車の本数も(一段と)まばらですから車で行くことにしました。泉佐野までは順調でしたが、そこからラッシュ(驚)。みんな元旦からお買い物?次に和歌山から海南がラッシュ(泣)31日降雪のため帰省ラッシュ?高速を降りてもラッシュ(汗)。その上、雪まで降り始める始末。まだ厄は取れていないのか。厄払いのお金がもったいなくて少し躊躇した事が原因か?しかし会社には5分前に到着(ホッ)。どうやら厄は取れていたのでしょうか。あけましておめでとうございます。今年もがんばりましょう。
Jan 1, 2005
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