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広島で二番目の人口規模の市は福山です。広島県の東の端、岡山に近い場所に位置し、城下町で、魚の料理が美味しい土地柄と聞いています。しかし呉からの距離は100kmほどもあり、意外と行きにくい場所だったので訪れたことはほとんどありません。小学校の時、合唱団の研修で一度訪れた記憶だけが残っています。そんな福山に自動車と時計の博物館があることなんてもちろん知りませんでした。まあそれは良しとして、このお面をかぶった人たちは何が目的なのでしょうか。まあ、パレードに理由を求めること自体、あまり意味の無いことではありますが不思議な存在に見えませんか?でもどうやらこの方達は広島県で有名らしく、少なくとも私の両親は知っていました。呉市の出身者は福山に不思議なライバル意識を持っている人が多かったような気がします、私を含めて。広島市は県庁所在地であるので別格なのですが、福山市は広島で二番目の規模、そして呉市は三番目の規模ですから燃やさなくてもいいライバル心を感じていたわけです。今考えれば井の中の蛙で…(笑)でも知名度では呉の方が勝っていませんか(爆)今日も追記で毒餃子の話。いくつか問題を感じています。まず悪いのは中国でしょうか。中国13億人(もっとかな?)のうちの一企業、数百人が悪いだけでは?下手すれば10人以下かも。それなのに中国全体が悪いように聞こえるのは報道に問題があると感じます。大体中国だけが食の安全を狂わしているわけではありません。日本の一流企業である雪印やヤクルトの問題も決して忘れないように。アメリカのへたり牛問題もありますね。次に永遠のホホエミさんと同じ心配です。残留農薬にしては被害が大きすぎます。餃子を100個食べても残留農薬ではここまで被害が出るでしょうか。慢性障害なら分かりますが、急性障害はおかしいような気がします。しかも聞いていると10個くらいで被害が出ています。これは農薬を「仕込んでいる」のではないかという犯罪面での心配です。グリコ事件、青酸カリ事件を思い出しました。もうひとつ、個人的な意見ですが、今回一番問題があるのはJTではないでしょうか。製造者責任を目立たすことで販売者責任を曖昧にしようとしていないでしょうか?だいたいJTが「指示して」製品規格と値段を決めているのであり、それに無理をした製造者が過ちを犯したのです。これはJTに大きな責任があると同時に、「安ければ何でもいい」という日本人の商品に対する「平和(安全)ボケ」が原因のような気がしています。高ければいいというわけではないですよ。商品の検査にお金がかかるなら、それが原因による商品の値上げがあっても私たちは受け入れなければいけないということです。
Jan 31, 2008

境内を進む行列は時代絵巻の雰囲気を感じることができてよかったのですが、そうはいっても背景に屋台と観客の垣根があったのでいまひとつ、そのため紹介の時にはアップの写真を多く使いました。今回は背景が神戸のモダンな港です。この室町以前の時代の雰囲気を伝える行列が現代的な港を通り過ぎていく姿のギャップがタイムスリップしたような異様な雰囲気を作っています。写真を見るとコンテナを吊り上げるためのクレーンがいくつか写りこんでいます。もうこうなればどうにもなれです(笑)神戸の雰囲気を強く感じることが出来て悪くない写真になりましたね(やけくそ?)。そもそも神戸という街が歴史の表舞台に登場するのは明治以降です。西欧列強の圧力に負けて明治政府が鎖国の状態を解き、開港した港のひとつが神戸です。このモダンな街を武者行列が通るような事は少なくとも江戸時代の参勤交代が始まるまでほとんどなかったと予想できます。そういう意味で室町装束の武者行列が神戸にとってありえなかった存在であるのなら、モダンな港を進む歴史絵巻も問題ないのかもしれませんね。汽笛がなる中を馬のひづめの音がカッポ、カッポと響く港の風情は悪くはありませんでした。追記としてハンドボールの話。高校時代にハンドボール部だった私はどのような原因であれ、ハンドボールが注目されていることをとてもうれしく思っています。テレビなどでは「身体接触の激しいスポーツ」とありますが、実はものすごく頭を使うスポーツなのですよ。最近のニュースで空を飛んでいる人にパスをしてシュートに持ち込むいわゆるスカイと呼ばれるシュートを見たことがあるかもしれません。でもパスを予測して空を飛べるわけが無いですよね。あれはコンビネーションプレーで、空を飛ぶ人からその人がブロックにあわないよう、守備をする人を邪魔する人まで攻撃側6人のすべての動きが決まっています。人数が多いのでサインではなく、暗号を大きな声で叫ぶのですが私たちの場合は3桁の番号でした。例えばキャプテンが「105」とか叫ぶと全選手の誰がどこへ行くかはすべて決まります。相手に番号がわかると終わりですから一度しか使えませんし、密室練習は当たり前、公開練習は原則ありえないスポーツです。誰か一人でも暗号を忘れていれば失敗しますし、一人でも退場になるとフォーメーションが組めず、とても痛いのですよ。シュートを打つ周りの人の動きも見ていると面白いスポーツです。全く味方の動きを見ずに投げるパス(そこに人がいることがサインで決まっているから)や全員が空を飛んでいるように見える二段スカイなど芸術的で楽しいです。
Jan 29, 2008

呉は歴史が浅い都市です。明治時代に日本が開港し、ヨーロッパの方たちがたくさんこられるようになりました。しかし残念ながらヨーロッパの方たちに日本に対する親睦意識は薄く、どちらかというと占領と植民地化を目的としていました。そんなことは中国や東アジアの状況を見ていれば当時の日本人にでもわかったことです。その侵略の脅威から日本を守るため、日本海軍が作られたわけです。呉は山が海に落ち込む場所で、水深が深く、巨大船舶の建造に絶好の場所でした。海軍と造船所が来るまで呉は塩の精製が主な産業である田舎町だったのです。山が邪魔をするため他の都市との関係も希薄な閑静な場所だったようで、明治まで呉は歴史に登場しません。造船所と海軍が呉に進出すると同時にその発展速度は驚異的に上昇しました。広島から引かれた呉線は日本で9番目の路線だそうです。非常にせまい平野部に70万人を超える人が住み、一気に埋め立てが行われました。その後、戦艦大和を建造するだけの設備を有し、その設備は戦後も日精丸など超巨大タンカー(VLCC)の建造に使われました。オイルショックと同時に呉は衰退していきます。呉市内に就職先が少なくなり、私を含めて町を出て行った若年層が多かったため一気に高齢化してしまいました。人口も20万人まで減少します。でも呉は最近、少し復活したような気がします。造船、自衛隊などは今でも健在ですし、近くにあるマツダも力を取り戻しつつあります。またそのほかの高度な技術も呉市内で育ちつつあります。大和ミュージアムの大ヒットで観光の面でも活気が出てきたような気がします。広島県で映画の撮影場所といえば尾道だったのですが、海猿の撮影現場に呉は選ばれました。とにかく海軍、そして海上自衛隊との関係が切り離せない場所ですから、ブラスバンドも軍隊のような凛々しさがありませんか?さてハワイアン、山陰と思われるパレードのチームなどが参加されていたのですがあまりに紹介が長くなってきたので割愛します。
Jan 28, 2008

飛行機や陸上輸送が発展していなかった時代、海上輸送は日本にとって血流のように重要な存在でした。大阪というマーケットを支えるために巨大な港が育ちました。それは堺ではなく神戸だったのです。理由は色々ありますが、一番はやはり海の水深でしょうか。堺方面は西からの風が強く接岸が難しいことと、それ以上に海が浅いことが問題でした。堺にある私が勤めていた工場でも数年毎に海の航路の砂を掘り上げるために数億というお金を負担していました。それでも大型タンカーなどには入港規制があります。神戸の場合は六甲山が海に落ち込み水深があるため巨大な船が寄港することが出来ます。また大きな川が無いため海底に砂がたまる心配もほとんどありません。まさに天然の良港でした…そう大震災があるまでは。もちろん今でも大きな港であることに変わりはありませんが大震災のタイミングで港としての機能は海外にシフトしてしまいました。その神戸港を代表する建造物が神戸のポートタワーですが、到着とほぼ同時に行列も到着しましたのでまずはもう少し武者姿の皆さんの紹介をしていきます。今までと同じ行列なのであまり魅力が無い紹介になるかもしれませんが、せめて文章だけでも重複しないよう注意していきます。一応5回だけに抑えます…って5回も?(笑)
Jan 27, 2008

韓国、およびタイと広島の関係については既に少し紹介しました。しかし日本は本来、中国を師と仰いだ歴史が多分にあります。距離的に近い韓国より中国を師としたわけですがこれは中国の周りの小国では当たり前の歴史です。大東亜共栄圏と社会主義革命のせいで日本と中国の距離が不必要に離れたことは事実ですが、その関係は改善しつつあるように感じます。もちろん視聴率重視の報道のせいで無用の対立意識を生んでおり、双方の民族が完全に打ち解けあえるには後数十年かかるかもしれません。言語や文字がなぜ発達したか…そんなことを考えられたことはありませんか?人間も動物ですからテリトリー(縄張り)を守るための戦いが自然に発生します。しかし人間は知識でもってその戦いを仲裁しようとしました。それが「契約」であり契約を明記するために文字が発達したという歴史解釈があるようです。日本の場合は温暖な気候で、縄文時代には食物を争って戦争をする必要が無かったといわれています。テリトリー争いが無いため仲裁に必要な契約のための文字が発達しなかったといわれています。一方中国では古くから漢字が発祥し、政治などに積極的に採用されてきました。中国には人口に加え人種も多かったためテリトリー争い(国家主権争い)が激しく「契約」「仲裁」「裁定」「法律」などを必要とする事態が頻繁に発生し、必然として文字が発達しました。そして文字だけではなく複雑な社会関係が文化をも強力に推進してきたのでは無いでしょうか。競争が文化や技術を生むことは確かです。あ、広島と中国の関係についての考察のためのスペースがなくなりました(笑)
Jan 26, 2008

さてJRの駅を通り抜け、パチンコ屋の魅力に打ち勝ちながら海に向かいます。肌が焦げそうなほど日差しが強いので、できるだけ屋内を経由してモザイク・ガーデンを目指しました。神戸はご存知の通り大都市でモダンな町です。明治から昭和にかけてのふるいビルディングもいたるところに存在しますが、その魅力を壊さないように設計されたおしゃれな町並みが続きます。この立体モナリザはコインのような物質を貼り付けて作成してあるのですが、どこから見ても彼女の目線を感じるという高い技術が用いられています。美しいというよりほとんどの方が感じるであろう、怖いようなオーラが漂っています。夜に懐中電灯で遭遇すると卒倒するかもしれません(笑)このモールはおしゃれな店が並んでいたのですが、ファッション系の店が多く、私には魅力がありません。私が好きなお店といえば、本屋さん、電子パーツのお店、そして駄菓子屋さんでしょうか(笑)もうひとつの魅力はアイスクリーム屋さん。それほどアイスクリームをしばしば食べるわけではないのですが、かなり好きです。先日も沖縄のお土産にブルーシールのアイスクリームを買って帰ったほどです。このモールにもあってアイスクリーム屋さんの前を通るたびに、よだれが零れ落ちそうでした(笑)神戸の洋菓子はおいしいですからね。皆さんはモールというとどんなお店が好きですか?さあ、いよいよモザイク・ガーデンに到着です。
Jan 25, 2008

日本三景の一つで有名な宮島、修学旅行などを含め訪れられた方も多いことと思います。鹿に追いかけられた事ばかりが印象に残っているという方もいらっしゃるでしょうが(笑)島全体が神格化されているという意味では確かに珍しい島です。宮島といえば厳島神社と同時に、平家という「海軍の長」を思い出す方もおられるとおもいます。「平家にあらずんば人にあらず」と言われた時代さえあり、源平合戦も瀬戸内が戦場になりました。平家は公家と武家(海軍)の境目という要素を持っていました。その勢力は全国に及び、しかも天皇家にまで食い込んだのです。厳島神社の豪勢さから見ても力を感じますし、宮島に三種の神器が収められていることから天皇家とのつながりを強く感じます。厳島神社では今でも雅楽が奉納されます。海の上に舞台があり、その美しさは格別です。東大寺でも雅楽の舞台が二月堂に向かう手前の池に作られますが、美しさという意味で海と鳥居を背にした厳島神社には勝てないでしょうね。ちなみに私はそんな宮島の雅楽を見たことがありませんから(涙)子供達の踊りをこのパレードで楽しむことができてよかったです。
Jan 24, 2008

パレードの最後にかわいい笑顔が見えてきました。稚児という存在は歴史の中で必ずしもうらやましい存在ではないのですが、パレードの中では花形ですね。京都の祇園祭などは相当の名家のご子息でしょうが、ここでもそうなのでしょうね。でもそんなことを感じさせないほど子供の笑顔は素直にかわいいですね。化粧と装飾があでやかです。私も多少お金を使っても子供達にこんな格好をさせてあげたいような気持ちにはなります。実際、値段の高い、一年に一度しか着ないだんじりの服を一そろえ買っているし。皆さんのお子さんだったらどうでしょうか。ねぇ、ゆずちゃさん。天気も良いし最高の行列日和にも見えますが、この日は5月の上旬であるにもかかわらず強すぎる日差しで、最後尾の子供達はスタート時点ですでに1時間ほど待たされており、かなりバテ気味です。オープンスタイルの人力車に乗っているとはいえ、黒塗りの車内の温度はかなり高かったでしょうね。それでもこの時点ではまだ元気に見えますが、更に1時間後に海岸線で再会したときにはかなりの子供達が寝ていました(笑)さて行列はここまでなのですが、もう一度見ようということで先回りすることにしました。ああ写真馬鹿(笑)今度は神戸の海岸沿いにあるモザイクという商業コンプレックス(モール)の前で見学をすることにします。これから数回は、このモザイクまでの道のりを紹介していきます。しかしまあ凄い人数の武者行列でした。もちろん数万人と思われる広島のフラワーフェスティバルの動員人数に勝てるわけがありませんが(笑)
Jan 23, 2008

世羅町は内陸の町ですが先日紹介した三次より少し海側になります。そのため人口こそは2万人以下と少ないものの、寒さの厳しい三次より農業が盛んです。活気という意味では三次よりはあるのでしょうが、街の特徴というと困ってしまいます。何もかもが中庸に見えるのです。自然を活用した施設は多いらしいのですが、それらは世羅から近い三原市や尾道市からの利用者が多いのではないでしょうか。これらの市より更に南の呉や西の広島などからわざわざ行くほどの施設が無いことも現状で、交通機関も少なく、電車でも車でも訪問が極端に難しい場所でもあります。そのため私は世羅町に行った事が無いのです。それどころかこのパレードで、そんな町もあったな…と思い出した程度です。皆さんもなかなか訪れる機会は無い場所と思います。温泉地帯からも少し離れていますし、本当に行く理由が見つかりません。ただ確か中国高速道路が走っていたような(出口はありませんが)。そうであれば世羅町を通過したことがある方は多いかもしれませんね。すみません、努力はしたもののうまく紹介できませんでした(笑)
Jan 22, 2008

かごというと時代劇でみるような典型的なかごを想定してしまいます。しかしここに出てくるかごは、人が乗ったら壊れそうです。棒は細いし、棒とかごをつなぐ連結部分なんて子供が乗っても壊れそうな程貧弱です。まるで巨大な鳥かごのようです。かごというと人が乗ることを連想してしまいますが、江戸時代のように公家や大名が参勤交代で移動するということは少なかった江戸より前の時代を考えれば、このかごは物資輸送用だったのかもしれませんね。そう思ったひとつの理由に、光を取り込む窓が存在しないことです。非常に美しい生地で作られていますが、かなり遮光性が高いように見えます。これでは中は暗闇?もう少し考えて見ますと、実は当時、既に牛車という乗り物が存在していたような記憶があります。馬は以前書いたように小型で物を引くほどの力が無かったはずですが、牛は当時から力持ちだったはずです。だったら人がかごに乗ったでしょうか。まあこんな勝手な考察などしなくても歴史書をちゃんと調べれば事実はわかるのですがいろいろ考えてみることが楽しいし、頭の体操になるのですよね。
Jan 21, 2008

広島県内には大きな気候差があります。海側は瀬戸内海性気候と呼ばれ、温暖かつ雨や雪が少ないという特徴を持っています。大阪の沿岸部もこの気候ですから、私は人生のほとんどをとてもすごしやすい瀬戸内海性気候の中で過ごしてきたことになります。小さな幸運ではありますが、その一方で寒さや雪に極端に弱くなってしまいました。海洋側の穏やかさとは裏腹に中国山地の中腹にある町はなんと日本でも有数の豪雪地帯です。今でこそ温暖化で雪が減りつつありますが、山間部には多くのスキー場があります。雪は日本海を流れる暖流で発生する大量の水蒸気が中国からの冷たい空気に冷やされ生成されます。そのため、東北などより暖流の水温が高い南西側に雪が発生しやすかったりするのですが、気温は高めなので雪がすぐに融け、積雪は少なく、スキー場の質もあまり良くありません。三次という町はそんな広島県の山の中に在ります。山と雪が多い地帯ですし、主要な工業が太平洋ベルト地帯、つまり沿岸部に集中しているわけですから、当然のように過疎に苦しんでいます。広島県で2番目の面積を誇る市でも人口は6万人を切っており、高齢化が進んでいます。日本の人口が減っていく中で、現在と同じ公共サービスを維持するため、政府は人口の都市部シフトを暗黙の上で進めています。既に大阪に脱出している私がこれに対して異論を唱えることは「自分勝手」です。しかし悪いことばかりではないのです。子供達の世代の負担を減らすためには人口は都市部集中をしたほうがいい面があります。また小さな理由に日本の過疎の部分を自然に還すことも温暖化を考えれば重要なのではないかと感じています。都市部の家庭と田舎の家庭ですと同じエネルギー(電気、ガス、石油)を供給するのだけでも移送費に大きな違いがあり(距離と人口密度が原因)田舎はエネルギーを使っていないようで意外と大量消費しているのです。「エネルギーのライフサイクル全体での消費量の低減」という考え方はこれから重要になります。子供達のために、人類のためにある程度の打算や犠牲は我慢する必要があるはずです。まあいつもの極論(ディベート)なので、あまり真剣にコメントをしないでくださいね(笑)こんなことを書いて「省エネルギー師」の国家資格を剥奪されたらどうしよう…ただそれでも「どんちゃん」踊りのような地域文化がいつまでも、例え場所を変えてでも続いてくれることだけは祈っています。
Jan 20, 2008

この行列にはたくさんの子供達が参加していました。みんな勇ましい格好をしており、とても楽しそうでしたよ。かわいいですよね。今風のパレードの素敵な一面で、「子供が戦場に出ることなど無かった」「子供に戦争の格好をさせるなんて(怒)」なんて硬いことは言わないでください(笑)でも本当に子供は戦(いくさ)に出なかったのでしょうか。織田信長の時代でさえ「人生50年」といわれていました。楠木正成の頃は平均寿命が40台ということも考えられます。おお、そうしてみると私もいよいよ長生きの部類に?(笑)現代の医学が無ければ私だって今まで生きてこられたかどうかさえ分かりません。例え大きな病気をしたことが無くても、それは今の医学が致命的な伝染病を根絶してくれているからという背景もあります。歴史を見れば親が亡くなったため幼少の子供が、ひどい場合には生まれたばかりの赤ん坊が大将や君主に任命されることなんて歴史の悲劇として「良く聞く話」です。その子供達が戦場に出なかったとしても、少なくとも当時の軍服である甲冑は持っていたし、着る機会もあったのでしょうね。今の子供達が甲冑を着る姿はかわいいし、幸せな雰囲気をかもしだす一瞬ですが、歴史の中で子供達が甲冑を着る場合、かなり「不幸」な事だったのかもしれません。
Jan 19, 2008

広島という地名はいつから使われているのでしょうか。広島市の旧の藩名は安芸でした。その頃、広島という名称は一部のエリア、今で言えば市か町を表す名前だったと予想します。そういう歴史的背景を考えてみれば、広島にある城が建設当時から広島城と呼ばれていたかどうかは疑問があります。一方で城には姫路城を「白鷺城」というように愛称があります。この愛称は昔から使われていたと予想できます。広島城の愛称は鯉城です。この鯉という愛称は、広島「カープ」というように球団の名前にも使われています。そのほかにも「鯉城」という名前を使った公園、建物、企業は市内に多数存在しています。広島市の中では長い間愛されてきた名称であることが分かります。このやっさ踊りの集団も鯉城という名前を使っていますね。鯉城は毛利の土地であった広島にありますが、あまり毛利との関係は強くありません。広島城はどちらかというと江戸時代になってからであり、私としてはあまり興味がわかないので詳しく知りません。こんなことではいけないのです。人間興味を失わず、悲惨な歴史を教訓として学ばなければいけないのです。しかし興味というものは無理をしても沸いてこないわけです。あ、やっさに関しての説明が何も無いですね(笑)
Jan 18, 2008

日本人ほど「影」の演出に力を入れている民族は少ないような気がします。例えば「御簾(みす)」などは高貴な人の姿を見せず、存在のみを実感させるという演出です。夜這いという制度は20世紀まで続いたわけですが、そこでも障子が大きな効果をみせてきました。日本では存在を主張しながらもその姿を幻想的にする技術が高いような気がします。この飾り傘も単なる飾りではなく、姿を隠すという要素があったことは間違いありません。このような姿を隠す演出は行列の中でもいくつか見かけることが出来ました。海外では「顔が見えるマネージメント」の方が好まれてきましたし、いまは日本でもそうですね。政治の世界でも昭和後期の岸のような「影のドン」は減ってきたような気がします。私など傘というと「雨から濡れないこと」という機能面のみに意識が行って、模様や色などまったく気にしないのですが、本来傘は重要なファッションの一部のようですね。この飾り傘も季節によって雰囲気を代えたのだと思います。ちなみに私の今の傘は北海道の小樽を旅行中に急に雨が降ったので1000円で買った24本フレームのものです。風に極端に強くてとても機能的です。やはりエンジニアなので飾りよりも機能重視です。まあ私がファッションのことを語るなんて「お門違い」にも程があります(笑)
Jan 17, 2008

お久しぶりです。出張に行っていたので(毎日飲んでいたから?)更新できませんでした。今日から復活しますが、近いうちにテスト勉強に入らなければいけないので休みがちになるかもしれません。さて本題に戻ります。バリ島に行ったことがないので紹介が出来ませんから(涙)広島に「原爆以外の特徴」が少ない理由を考えて見ます。例えば今話題の宮崎と比較してみましょうか。広島は原爆があるから観光客が自然に集まります。誤解を招かないようにお願いしたのですが観光という「商業」を見たときに広島は原爆と宮島に甘えているところがあるような気がします。例えば、宮崎県などは最近、産業や観光地の紹介に力を入れています。広島はどうでしょう。原爆と宮島のおかげでPRなどしなくても観光客が来ます。しかし現実に目を向ければ世界遺産の宮島は過疎に悩み、温暖化の影響もあって海が汚れ厳島神社の魅力が低下しつつあります。原爆の悲しい歴史を観光のために使うことは個人的に反対です。広島はこれらの与えられた歴史から脱却し、そろそろ観光に力を入れなければいけないことに気が付くべきです。それならばやはりこのフラワーフェスティバルなどをもっと魅力のあるお祭りに強化する必要があるような気がします。バリ島の皆さんの民族衣装と音楽の演奏を見ていて、行ったことがない私でもすぐに「バリ島」とわかりますし、魅力を強く感じますね。バリ島に行きたいという雰囲気さえもかきたててくれます。広島がもし海外のパレードに招待されると何をテーマに更新するでしょう。「原爆関連は除く」ということが条件です。つまり千羽鶴もだめです。そうするとやはりしゃもじを持ったもみじ饅頭着ぐるみ?(涙)そんなものを見て広島に行きたい気分になりますか?広島が平和の代名詞であることは重要です。ただ原爆の怖さを皆さんにより広く知ってもらうためにも広島はもっと観光に力を入れるべきではないでしょうか。バリや宮崎を見習って。
Jan 16, 2008

「軍旗」と呼んだほうが良いかもしれませんが、司令塔(司令官)の場所を示すために旗は昔から使われてきました。今でもバスガイドさんが旗を振るとみんな列を成してついていきますよね。もしかするとバスガイドさんは将軍気分が味わえる職業なのかもしれません(笑)武田の「風林火山」など本当に強い武将の場合、旗が威嚇としての効果を持ちました。しかし日本の場合、弱い軍隊でも「御旗」を持つことで強くなるという不思議な常識があります。これについては先日も考察しましたね。天皇家という不思議な存在、軍隊を持たないのに過去のどのような権力者も天皇家には一目を置いており、誰も天皇家を討伐しようという行動など起こさなかったのです。豊臣家を皆殺しにした悪魔…失敬、政治巧者の徳川家でさえも天皇家には手を出しませんでした。それでも天皇家は数度滅亡しており、特に持統から天武の時代が怪しいという考えた今は有力です。現代においても東京に皇居や御所などの広大な土地を占有し、宮内庁という税金組織で運営されている天皇家に対して苦情を言う人をあまり聞きません。私が新宿御苑の悪口を言うと怒る方もいらっしゃるくらい(笑)今風に言えば天皇家は破格の上級公務員なのかもしれませんが、公務員のボーナスアップが話題になっても天皇家に対する予算に苦情を言う人をあまり聞きません。私もあまり気になりません。今でも国民の潜在意識に天皇家崇拝の信仰心が残っているのかもしれません。でもさすがに「君が代」という曲は露骨過ぎて、現代の日本に合わないような気がしますがいかがでしょうか。
Jan 15, 2008

パソコンはどうにか治りました。マザーボード交換…5万円ほどしました。液晶ほど高くはありませんが、宅急便のおじさんにも「パソコンの修理代金って高いねぇ」と言われました。同感…(涙)さて本題。広島と朝鮮半島の関係は歴史的に見ても少なからずあるだろうということを先日紹介しましたね。でもタイとなるとどうでしょうか。広島の様な地方都市となるとタイ料理のレストランなどほとんど見かけませんし、日本とタイとは同じ仏教国とはいえスタイルが違いますし、広島とタイとを結びつける線が浮かびません。しかし日本とタイは強い共通点がいくつかあります。長い個性的な歴史、王制である点、そして微笑みの国である点です。日本人もタイと同じ様に挨拶に微笑を使うことが良くあります。特に京都あたりは「言葉少なに笑顔で会釈」という慎ましやかさが文化ともいえます。しかし一見さんに対してはやはり笑顔が固いのが日本の文化のような気がします。一方でタイも笑顔の文化です。いえ、笑顔で日本はタイには勝てないと感じています。タイでは笑顔が確立された挨拶です。タイではムエタイ、つまりキックボクシングも盛んに行われています。タイには2回行きましたがまだ一度もムエタイを見たことはありません。暴力的なスポーツを反対しているわけではありません。球技だってかなり肉体接触があるし、骨折などは当たり前。ムエタイも安全性を十分に考慮したスポーツですから是非一度見てみたいです。単にニューハーフ・ショーを優先したため見られなかっただけで(笑)次回、タイを訪れる機会があれば見に行って見たいですね。来年はまたタイに出張がありそうな雰囲気ですが、いつもながらどうなることか分かりません。
Jan 14, 2008

歴史の中で見れば女性が騎馬に乗って戦場を駆け回るという西洋で言えばアテナやジャンヌ・ダルクのような存在を日本ではあまり聞きません。日本は役割分担をきっちりしたがる国民性で、士農工商という職業の種類が身分制度になっているという面白い国です。男女の役割分担もきっちりしていました。もちろん差別があったことを否定しませんが、西洋の差別のような絶対的かつ陰湿な差別とは違ったような気がします。武士は格別だったとしてそのほかの職業については今の職業による格差とあまり代わりが無いような気がしています。日本において女性の地位は、特に家庭や地域社会において高かったといいます。井戸端会議などで決まったことに男性が口出しするなんて今でさえも滅相も無いことです(笑)また女性が家計をコントロールし、日本の非常に高い教育レベルに対して子供達の「しつけ」という形で大きく貢献してきていることはいうまでもありません。日本人は今でもこの役割分担を無意識に気にしているような気がします。女性が働き、男性が家事を分担しても何も問題ないのですが、不思議に後ろめたい気分になる人が多いようです。これは日本人に男女間の役割分担の意識が強く残っているからではないでしょうか。もちろん少しずつかわりつつあります。差別と文化の問題はいつも矛盾をはらみます。相撲や祭で「男女平等」をあまり強く主張すれば1000年以上にわたって培ってきた文化が台無しになります。祭りなどの文化において実害の無い程度に不平等を残すことは妥協があってよいのではないでしょうか。この武者行列では女性が男装をされている姿が目立ちました。決して悪いとは言わない(個人的には素敵な被写体なので喜んでいる(笑))のですが、どうしても女性が甲冑をまとうと神事というよりただのパレードにしか見えません。そんな、硬いことを言わなくても…と、みなさん笑っていらっしゃいますか?(笑)
Jan 13, 2008

広島には韓国の方がお住まいです。これには悲しい歴史があることは残念ながら事実です。大東亜共栄圏の号令の元、無理に朝鮮半島から軍隊として徴兵された方も多かったのではないでしょうか。差別については今でも楽観できる状況にありませんが、グローバル化に伴い若年層を中心に民族を超えた関係の改善が進んでいることを期待します。さて広島と朝鮮半島、あまり関係ないような気もしますね。韓国は北九州から見えるほど近いのですが、歴史的に見て「任那」や「新羅」という背景があるためか日本と朝鮮半島の歴史はあまり良好な時期がありません。分かりやすくいえば中国と台湾の関係に似ています。遣唐使などがあったように中国との関係のほうが良好なのですが、その船も朝鮮半島の沿岸を通ることが出来なかったため海難事故が絶えませんでしたね。「任那」という名前を出しましたが、歴史的に見れば日本と朝鮮半島にあった任那は同一国に近かったようです。日本が任那の属国だったのか、任那が日本の一部だったのかどうかは分かりませんが、今の天皇家もしくはその重要な官僚が朝鮮半島から渡来人であることはかなり確立が高そうです。正確には「弥生人」といったほうがいいかもしれません。後頭部が平たく顔の面積が広い、目が細めなどの特徴を持ち、関西の奈良や滋賀辺りまでに多い人種です。後頭部が丸く目が大きい縄文人が日本原住民といえるようで、関東に多いようです。広島は弥生系の顔の割合が高いように感じています。私もそうで、よく韓国の人と間違えられることがあります。それだけにもっと朝鮮半島の方たちと仲良くしなければ…不思議に機会に恵まれません。
Jan 12, 2008

パソコンが故障中です。コメントがお返しできなくて申し訳ありません。軍隊にあって鳴り物は合図のために重要な役割を果たします。しかし楠木の時代の戦闘は柔道の個人戦のようなもので、あまり団体で組織だった戦争はしませんでした。それだけに団体行動を重視した義経や楠木が小集団であっても極端なほどの戦功を収めることができたのです。そういう意味で、鳴り物は楠木の軍隊を象徴するものなのかもしれません。しかしここで出てくる鳴り物は、軍隊用というより雅楽、舞楽に用いられた楽器のような気がします。笙(しょう)など和楽器も登場しました。これらが戦争の場で使われたと想像するのは難しく、多分あまり楠木正成とのつながりは無く、当時の時代考証のために行列に加わっているのではないでしょうか。もしくは天皇家と楠木を結びつける象徴の意味があったのかもしれません。楽器の装飾を見る限り中国の香りがします。中国の文化から日本独自の文化が派生しつつある時代だったのではないでしょうか。それだけに中国の香りが強く残っているのではないでしょうか。そもそも楽器という存在はほとんどが中国、インド、東南アジアなどが発祥で、西洋の楽器でさえも中国楽器からの派生といってよいと聞いた覚えがあります。しかしいくら時代考証のためとはいえ板だけもって歩いている人などがいましたが、一日中板を持ち歩くだけなんて、ちょっと寂しい気分にならなかったでしょうか。
Jan 11, 2008

最近は地方の球団やサッカーチームが増えましたね。しかしかつて広島にある「広島カープ」という存在は関東圏と関西圏のみ(中日を除く)にあつまった野球チームの中で地方の中堅都市にある特殊な存在でした。最近は常に最下位辺りをうろついている球団になりましたが一時期は強かったのですよ、赤ヘル旋風なんていわれました。赤いヘルメットにしたとたんに強くなりましたからね。その頃は古葉監督を筆頭に山本浩二や衣笠などスター選手がたくさんいました。私と同年代の方には懐かしい名前でしょ。マツダというバックアップがついていましたが、一時期の不況でマツダは離れ、広島カープは市民球団となりました。今でもそうです。企業の大きなバックアップが無いという意味ではいまでもかなり特殊な存在ですね。市民球団というだけに市民との結びつきは強いです。予算が無い中、広島近辺を中心に選手を集め、機動力を中心にがんばってきたチームでした。いまでは良い選手が育ってもすぐにお金持ち球団に移っていきますね。まあ我ら阪神にも金本が移ってしまいました。そういう意味では、いい選手を育てるチームともいえます。巨人などとは正反対(笑)最近ではカープカツなどというものも売っており、お土産としてお勧めですよ。なおフラワーフェスティバルの前進はどうやら広島の優勝パレードのようです。初めて優勝したときのパレードで30万人集まったので、「毎年やろう」と考えた広島市。それがフラワーフェスティバルの起源だそうです。うーん…。
Jan 10, 2008

楠木正成が登場したところで、足利尊氏に敗れたこの武将の評価について考えてみましょう。石田三成と重複したイメージを持っています。中国の韓臣や義経などにも共通点が見られるかもしれません。またタイプを変えていえば、西郷隆盛など。これらの人物は武力的には「主(あるじ)/君主」になる能力を十分に備えながら主人に献身的に尽くした武人のエキスパートです。楠木正成にしても当時弱体化していた天皇家ではなく、歴史的にみれば筒井や小早川のように足利側に寝返れば大きな土地を任される大守護になっていたと予想できる人物です。それどころか将来は将軍になれたかもしれません。しかし最後まで天皇家を守るために戦った、忠誠を貫いたという不思議な人物なのです。歴史にはそういう人物が時々存在します。有名どころでは上杉謙信などです。実はこれは現代の会社においても、エンジニアの中にも存在し、ある意味楠木正成スタイルを理想としている人は多いのです。会社のために尽くす会社員…昔では当たり前のように聞いたフレーズです。ただ私も最近は良く分かるのですが、上に立つより最前線にいるほうが楽しいことはたくさんあるのです。必ずしも忠誠ではなく持って生まれた性、もしくは自分の好みを貫いただけなのかもしれません。
Jan 9, 2008
あさってから修理工場入り、投稿するかもしれませんがコメントは返せません。修理には一週間ちょっとかかりそうです。しばらくお暇いたしますが、このページのことを忘れないでくださいね(笑)
Jan 8, 2008

広島の魅力を紹介することをサブ・テーマにした広島のフラワーフェスティバル紹介。あまりパレードについて詳しく説明するつもりは無いのですが、あまりにこのジャズ倶楽部の人数が多いので紹介しておくことにしました。このJazzercizeというダンス教室、実に二つのグループに分かれているのですが、1集団が500人くらいいるようでした。しかも激しい踊りのためだんじりのように途中で踊り手が交代するのです。2割くらいが控えているとすれば合計で1200人!大部分が女性で、平均年齢は20歳くらいでしょうか。巨大な教室に驚くと同時に広島にまだこれほど若い人が残っていたのかと驚きです(笑)それとも県外からも来ている?広島は比較的自己表現を苦手とする県民性だということは以前考察してみました。女性芸能人が少ないことも以前紹介しましたね。しかし今のように自由に住居を移動できる世の中で、かつて藩というものに縛られた(藩を出れば「脱藩」といわれていた)時代のような強い県民性はなくなっているようにも感じます。このダンスを見る限り広島の女性の県民性は「活発で前向き」と表現しなおしたほうがよさそうです。まあただ、このジャズダンスの大集団を見て私が感じたのは「これは私が知っている広島ではない」という印象です(笑)
Jan 8, 2008

まず楠木正成は神戸市長さんが担当されていました。やはり市長さんがお祭りを引率する、主役を勤めることは地方の祭りの「お決まり」なのかもしれませんね。ただし、私にはどれが市長さんか分からないので写真は載せていません(笑)他にもドラマの関係から何人か芸能人のゲストの方がおられました。ただし、芸能界に疎い私はほとんど誰が誰だか分からなかったのですけどね(笑)分かったら教えてください。ただ一人わかったのは難波のロッキー(って呼び方が古いかどうかさえ分からないのですが:一枚目の写真)赤井さんです。赤井さんの無骨で少し不器用そうな笑顔には武士の甲冑が似合います。本来、武士という職業は戦闘集団ですから私たちが時代劇などで見る以上に荒々しい存在だったように想像しています。女性の芸能人の方も甲冑を羽織っておられました。宝塚の方でしょうか、驚くほどの美形で男装をされているなんて、かなり芸術的な姿でした。ただし馬がかなり荒れており、その扱いにはかなり苦慮されていました。無事最後まで乗り切れたのか少し心配です。甲冑を着けて落馬するとかなり痛そうですよね。さてここからはまた特徴の無い行列が続きます(笑)
Jan 7, 2008

広島のFFといえばこの花車といっていいほどの存在なのですが、パレードの中で存在感は薄いです。張りぼてという感覚たっぷりの山車なのですが、私の両親などには好印象のようです。ああ、私は都会の派手さに慣れすぎただけかもしれません。花車にはいろんなミス○○が乗り、アルカイック・スマイルで手を振っています。広島と花はあまり結びつきが無いように感じています。花の名所というものを広島市の周りであまり聞いたことがありません。淡路島のような花の産地ともいえません。それではなぜ広島で「フラワー」フェスティバルなのか、なぜ花車なのか…この自問に対して実は今、迷宮に入りつつあります。つまり自分の中で納得がいく解答が見つからないのです。原爆というと花より「千羽鶴」の印象が強いですね。またフラワーフェスティバルの隠れた趣旨は「原爆以外で広島をアピール」ということがあるように感じていること、以前書きました。それでは「フラワー」は主催者の単なる思い付きでしょうか。広島の特産物である牡蠣や名物であるお好み焼きではフェスティバルとして少々においがしそうです(笑)オイスター・フェスティバルでしたら冬の方がいいですしね。宮島のもみじも有名ですが、これも秋冬の方がいいです。迷宮に入っているのですが、かなりの確立で「主催者の思いつき」説が有力と感じています。
Jan 6, 2008

日本の甲冑はこの行列で見て分かるように実利的な防御に加えてかなり豪華な「装飾」が施されていました。もちろん、これは軍の隊長クラスが施したものですが人殺しの戦争にこんな装飾や「名乗り」という儀式は西洋、いえ中国から見ても不思議でしょうね。皆さんも不思議に思いませんか?当然戦闘において「威嚇」は重要な要素です。色による威嚇ということもあったでしょうね。浦和レッズなど明らかに色による威嚇を効果的に使っていて相手のチームがかわいそうにさえ思います。もうひとつ重要なことは「識別」ですね。間違えて見方を切る訳にはいきません。また見方の首脳陣がどこにいるのかを把握できることは重要です。そのために甲冑がユニフォームの役目として派手な色を帯びた、これは納得が出来る理由ですね。戦争の道具という意味では賞賛されるべきではないものの、戦争という事を忘れれば甲冑には和服にも似た芸術性があります。個人的には肩の飾りが好きで美しいと感じています。また兜も特徴的ですね。顔の横の反り返った部分は加工の際に余った金属で出来たのだろうと予想は出来ますが、それを切り取らず顔の守備と芸術性を達成しているところに無駄が無いように感じます。さてそれでは時代考証から少し外れて武者行列のゲストを紹介します。
Jan 5, 2008

「広島といえばマツダ」という表現は行き過ぎなのでタイトルではひっくり返しました(笑)マツダは広島の中で多分最も小さな町、府中町にあります。広島市だと思われている方が多いでしょうね。実際、工場は広島市にあります。そんなマツダは大企業になった今でも独自の道を行く、生真面目な広島県民の特徴を持った会社です。マツダといえばロータリーエンジンです。今の車は縦方向のピストン運動を回転運動に変えるエンジン、いわゆるレシプロエンジンが主流です。しかし力学的にいえば非効率で振動が発生します。この問題を解消するためにドイツで考えられたのがロータリーエンジンです。最初から回転運動という特徴があります。本来は効率的と思われる回転運動エンジンですが、技術的に難しくドイツの会社も実用をあきらめ、実質マツダだけが開発を進めているため「燃費の悪い」エンジンと思われがちです。しかしマツダという小さな会社一社で開発し世界中の企業が技術を出し合っているレシプロエンジンに対抗できる性能を引き出しているロータリーエンジンは「エンジニアの美学」です。私もRX-7に乗っていましたが、その回転音は特殊で、まるでモーターかジェット機のタービンのような音がします。ロータリーエンジンは構造上小さくて軽量です。そのためフロント・ミッドシップというほかのエンジンでは困難なエンジン配置を実現できます。そのためマツダは優れたライトウエイト・スポーツカーを作り続けています。しかし営業主導のトヨタやGT-Rという世界最高品質の車を持ちながら方針に波がある日産とは別に「エンジニアの夢」を追い求めるマツダには大きなジレンマがありました。一言で言えばRX-8の存在です。親企業はマツダの金食い虫で利益を生まないロータリーエンジンを辞めたくて仕方がないのです。しかしマツダのエンジニアとして抵抗があります。そこでRX-7ではなく、ファミリー用に妥協したRX-8でロータリーの技術を冷凍保存しているのです。しかしマツダからロータリーエンジンがなくなるときはマツダという企業が存在価値を失うときです。がんばれマツダ、そしてRX-7の復活を強く期待します。ちなみにロータリーエンジン談義はだいぶ先ながら続きがあります(笑)
Jan 4, 2008

日本の馬はかつて「ろば」程度のサイズだった…という事は誰もが知っている事実で、それは明治維新以降も続いています。時代劇やこの行列で見かけるような巨大なサラブレッドの騎馬は実在しませんでした。しかし一方で、騎馬を使った奇兵戦は義経の時代からありました。モンゴルは元の騎馬隊と同時期になります。特に奇襲において騎馬を用いた攻撃は有効でした。義経、信長、そしてこの楠木正成は騎馬を用いた奇襲の成功者です。当時の日本人は今よりかなり小さかったと予想はしますが、大きな甲冑を着た武士がロバのような馬に乗る、なんだか滑稽で、かつかわいそうな印象は無いでしょうか。ちなみにナポレオンの騎馬の図も馬のサイズが実物よりかなり巨大に描かれていることで有名です。当時の戦争において忘れられがちなのが寺院を守っていた山伏の存在で、彼らは寺院を守護する軍隊に近かったようです。その攻撃力/守備力は比叡山が有名ですが、それ以外の寺院が持つ軍隊も強靭でした。しかも山伏は精神的に強いうえ、宗教団体のため織田信長を除けば基本的に山伏を攻撃することはできなかったようです。つまり山伏を味方につけることが攻守の両面で戦争に勝利する第一歩とさえ考えられたほどです。なぜこの行列に多くの馬が使われ山伏がいるのか、その解釈に対する一考察でした。
Jan 3, 2008

この日はバトントワリングとかブラスバンドが多かったので、パレードの紹介としてはあまり書くことがありません。そういうことで、広島の紹介を始めましょう。広島には昔から呉の海軍、広島の陸軍があって、軍隊のマーチを支えるという意味でブラスバンドが流行しました。私は広島で路上音楽が盛んになった背景には軍隊の影響があるのではないかとさえ考えています。いまや路上での演奏は日本各地で行われていますから、福岡や広島だけの特徴ではなくなりました。歴史から見れば広島は中国や韓国から奈良につながる「海のシルクロード」の一部とも考えられます。しかしその発展は宿場町程度で、どちらかといえば海を制する、海外の不適切な表現を使えば「倭寇」(パイレーツ、和寇が「和」の名前を使った朝鮮半島や中国の船だったということはほぼ史実として確定しつつあるようです、ただ日本人も乗っていた?)、日本風に言えば「海軍」(マリン)の本拠地でした。波が静かで海が深く、海の戦場としては源平の戦いでも中心になった場所です。特に海を制していた平家の影響が強く、宮島や音戸の瀬戸に代表される「平家文化」が今でも残る場所です。広島市の紹介は別の機会にまわし、今日は広島県に紹介の焦点を当てます。安芸、備後、備中などの藩が統合されて作られた県ですが、戦国の雄、三本の矢で有名な毛利家が城を築いたところが広島県です。その後、関が原に破れ山口の日本海側に退いた毛利家ですが明治維新で再び表舞台に出てきます。つまり「広島県で大人物は育たない」という迷信は根も葉もありません。総理大臣だっているのですから。毛利が力を入れたことに工業文化、今風に言えば第二次産業がありました。太平洋ベルト地帯の一部として今でも工業が盛んな広島ではありますが、伝統的な手工業もたくさん残っています。熊野の筆や宮島のしゃもじなどは有名です。特にしゃもじはカープや高校野球の応援にも使われる広島県民に愛されている文化です。さて次に広島県民に愛されるもうひとつの近代産業を紹介します。
Jan 2, 2008

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。蝶 明さんには昨年分の投稿に既にコメントをいただいたようで(笑)、ありがとうございます。まだ帰省から戻ったばかりでコメントが返せるのは今日の夜になりそうです。巫女さんだけでも200名を超えそうなこの大行列、思わず若いお姉さんである巫女さんにレンズが向きそうになるのをじっと耐え(笑)行列を追いかけていきます。この武者行列の写真を見て皆さんは「あれ?」っと少し疑問を感じませんでしょうか。神輿に続く一団の装束は武家というより公家です。足利という室町幕府前後の時代に影響されているような気がします。室町幕府は天皇家から主権を奪ったような形で始まっています。その後、天皇家は明治維新まで質素な生活を余儀なくされるわけです。足利家の公家化は3台将軍義満の時代に顕著で、正式な天皇家の世継ぎである「一休」を大徳寺に追放し、天皇家にさえなろうとした形跡があります。つまり室町幕府は武士の政権ですが、京都に首都を置いたため公家の影響を排除することが出来なかったようです。楠木は天皇家、つまり公家を守った武将ですから、彼の時代絵巻の中で公家の存在は重要な位置を占めます。そういいながら私はこの室町というあまり面白くない時代の歴史に詳しくないので細かいことは説明できません。戦争は嫌いなのですが、この平安な時代の歴史ほど面白くないものは無いですよね。だから歴史の授業が苦手だったのですが(笑)なお提燈や御旗などが当時から使われていたのかどうかさえ私には良く分かりません。単なる行列の装飾かもしれません。とにかくこの辺りの歴史は苦手です。御旗といいますと明治維新で象徴的に利用されました。「四面楚歌」で有名な項羽が実際に四面を楚の軍隊に覆われていたかどうかわからないのだそうです。それどころか少数派だった形跡さえあるそうです。しかし「歌」という力の無いものが予想以上の強い効果を及ぼし、楚が勝ったのです。御旗にも同じような精神的効力があることは日本人の心に残る天皇崇拝がなせる技ですね。さて次は騎馬を見て行きます。
Jan 1, 2008
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