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隣にある大統領官邸へドアに三頭の獅子のマークエストニアの国章は金地に青い3頭の正面を向いた獅子を描いたもので金の楢の枝に囲まれたデザインとなっています青い3つライオンの起源は13世紀にまで遡ります元来はタリンの市の紋章であり楢はエストニアの人々にとって聖なる木とされています1925年に正式に議会において国章と定められましたがソビエト連邦期には使用が禁じられマツとコムギが共産主義を表す赤い星の下朝日と鎌と槌を囲む国章が使われていました現在の国章は1993年より再び用いられるようになっています官邸が見えてきました大統領官邸は1930年代に建設されました白とピンクの可愛い建物です門の前には衛兵が・・広い園内を徒歩で移動ベンチもあるのでゆっくりお散歩・・いいですねぇ・・長閑な風景に癒やされながらも歴史を考えると・・辛いものがあります・・バスにて15時・・ホテルに戻り・・ここでフリータイム・・続くFC2・・はこちらから
2018/08/31
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無事迷子さんとも合流でき移動です若い女性の作業員さんがスリ注意のマークを・・この先からバス移動です向かったのは静かで緑豊かなカドリオルグ公園大北方戦争(1700年~1721年)後バルト地域を手に入れたロシアのビョートル大帝が皇后エカテリーナのために離宮と公園を造らせたところです地元の人々はエカテリーナに対応するエストニア女性の名を使いカドリの谷と呼びました白鳥の池皆さんゆったりとした時間を過ごしています池の畔に文学者クロイツヴァルトの像台座には彼が書いた子供向けのお話の一場面が・・とにかく広いです綺麗に整備されていて無料で入れますので皆さんの憩いの場に・・カドリオルグ宮殿が見えてきました宮殿の建設は1718年から5年の歳月を費やして完成イタリアの建築家による後期バロック様式の宮殿です現在はカドリオルグ美術館となっています白壁の一部が窪んでいて下地のレンガが見えている部分はビョートル大帝が自らレンガを組んで手掛けた部分として残されていますが完成時にはビョートル大帝はすでにこの世を去っていたと・・宮殿の周りには警備室やアイスセラーといった宮殿付属の建物がありましたそれらの建物は現在カフェやミュージアムとなっています18世紀当時にあった屋根部分の手すりも復元されたそうです続くFC2・・はこちらから
2018/08/28
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30分のフリータイムが終わり薬局前で集合添乗員の前田さんがみなさぁ~~ん・・お連れ様はいらっしゃいますかかぁ~~~いない方はいませんかぁ~~いらっしゃいますねぇ~~~( ̄ー ̄?).....??アレ??前田さん・・人数をかぞえなかったな・・と・・ふと思った・・移動を初めて10分ほど歩いたところで連れがいないんです・・シニア女性・3人参加のお二人の口からエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?あんなに何度もお連れ様いますかってきいてたやん・・あのときいないって言わなかったよね・・前田さん・・どの方かしっかり確認して私達を英語ガイドさんに託しここを絶対に動かないでくださいと走って戻りましたツアーの初日に前田さんの電話番号を書いたメモを渡されもし迷子になったら電話してください・・そしてその場を動かないで探しにくるのを最低30分まってくださいと口が酸っぱくなるほど何度も言われていました40分後集合場所のあたりを探したけどいなかったと前田さんが戻ってきた仕方がないのでランチのスリーシスターズに向かいます12時05分・・レストラン到着日本や各国の王室貴族が訪れたホテルのレストランです前田さんは飲み物の注文を聞くとすぐにガイドさんに後を任せて探しにでかけました私達は何もできないのでまずはビールを頂いてゆっくり食事をしながら待つことに食事をしている間・・ふと窓の方に目をやるとカメラを向けた人が次々と・・1時間30分後・・息をはずませて前田さんが戻ってきましたホテルにも戻っていないし集合場所のあたりにもいない・・電話もかかってこないと困り果てていますその直後・・本人がレストランに現れたんですみんなの前にくるのが恥ずかしいとガイドさんや前田さんのいる奥の方へ前田さんホッとして食事したいからあと少し待ってくださいと・・待ってる間にトイレをすませてフロントの方を(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪三人姉妹15世紀に建てられた住宅(商家)の集合体で美しく飾られたファサード(建物正面の壁面)が女性的な雰囲気を持つことから三人姉妹と呼ばれています中世タリンの住宅はすべてハンザ都市リューベックの法律に従って建物の正面部分が道路に面するように建てられています上部にはクレーンが設けられ(上にあるのわかりますか?棒のようなものが出てるでしょ)屋根裏の倉庫に物品を引き上げられるようになっています1階はDiele-Dornseと呼ばれる2部屋の造りが一般的で入り口に近い大部屋(Diele)は事務所や作業所に奥の小部屋(Dornse)が住居になっていました現在三人姉妹はホテルとなっています今回の食事の場所はガイドブックにも載るような有名な三姉妹のホテルのレストランだったから迷子になったかた・・必死で探してたどり着いたのだと・・とにかく見つかってよかった・・続く・・FC2・・はこちらから
2018/08/24
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ここで30分のフリータイム真っ先にむかったのは市庁舎64mの塔に上ることが目的です馬をつないだのでしょうか・ここで料金を支払って勿論エレベーターは無いので自力で上ることになります段差が高くかなりきつい階段を頑張って登るとてっぺんからの眺めは旧市街が一望・・Oさんご夫婦と一緒に登ったのですが大人4人でいっぱいいっぱい・・かなり狭いですあそこに集合場所の薬局が見えます正面の一番低い建物・・左奥に見えるのが市議会薬局です現役の薬局ではヨーロッパで最も古いもののひとつです1422年に記録に現れたときにはすでに3人目の主人が経営していたと・・1580年から10代にわたし主人を努めタブルヒャルトは有名でロシアのビョートル大帝の死の床にも呼ばれたほどとか現在も薬局として営業していて通常の薬のほかにハーブティーや15世紀のレシピで作られたスパイス入りのワインクラレットなども売られているそうです奥には中世の奇怪な薬品類や危惧などを集めた小さな展示室があり彩色された梁や壁画なども残っていると・・塔の上に登ったから時間がなくて中に入る時間がありませんでしたガイドさんとこの薬局のこともガイドさんの説明がほとんどなくフリータイムのほとんどを塔に登るのにつかってしまったこの薬局は午後からのフリータイムに覗いてみることに・・続くFC2・・はこちらから
2018/08/22
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昨日から突然こんなコメントが・・ magazine sp cialisviagra cialis celeritycialis tadalafil side effectscialis pharmacy directbuy cialis canadabrand cialis for salecialis alcohol consumptioncialis 20mg online apothekegeneric prices online cialisis cialis safe for diabetesis cialis different to viagracialis patent search http://cialisvu.com/#tadalafil-20mg Cialis generikaside effects viagra or cialis [url=http://cialisvbuy.com/#tadalafil-20mg]Buy generic cialis[/url]cialis on ine [url=http://cialisda.com/]Discount cialis[/url]cialis viagra alternative [url=http://buycialisonla.com/]Cialis lowest price[/url]cialis erection health man penis viagra [url=http://cialisvbuy.com/]http://cialisvbuy.com/[/url]using viagra after cialiscialis e viagra controindicazionicialis and kamagra togetheris generic cialis as good as the real thingcialis without prescriptionwho use cialis soft (2018.08.20 06:33:48)拒否設定したけど今朝・100通入ってきていますどうしたらいいのでしょう・・困った!
2018/08/20
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これから向かうのはラエコヤ広場下町の中央に位置するラエコヤ広場この辺りではデンマーク王がトームペアに城を築く以前からスカンジナビアの商人たちが市を立てていました それ以来1896年まで市場として機能しこの広場を中心として町が広がっていきましたラエコヤ広場は祭りや結婚式などの行事が行われる場所でもありました今も野外コンサートやクリスマスマーケットカーニバルなどが催されています11月に入るとクリスマスマーケットが・・その時期も綺麗でしょうねぇ・・旧市庁舎の塔が見えてきましたこんなところにトーマスおじいさんが旧市庁舎北ヨーロッパに唯一残るゴシック様式の市庁舎14世紀半ばに最初の建物が建てられ1404年の増築後に現在の姿になりました65mの塔の上からは有名なタリンのシンボルトーマスおじいさんが町の変遷を眺め続けています現在の塔の上にいるのはコピーで1530年に作られた初代おじいさんは旧市庁舎内に・・1695年には広場で公開処刑が行われたという記録もありますオムレツの味をめぐって僧侶とウェイトレスの間で論争になり僧侶がウェイトレスを殺害してしまったとか・・広場の北東にあるL字の敷石は僧侶が処刑された場所だとされていますバルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)の旧市街の中でもタリンの旧市街は見ごたえがありとても気に入りました広場を取り囲むかつての商人たちの館は色とりどりで綺麗です・・今は・・カフェやレストランに・・オープンテラスの席で冷えたビールを頂きながら中世の時代にタイムトリップ・・なんて・・想像してたら中世の姿をした男性が・・思わず∑((*゚д゚*))ドキッここから汽車の形をした電気自動車に乗って旧市街を一回りすることもできますここでちょっとフリータイム・・続く・・FC2・・はこちらから
2018/08/19
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旧市街の下町曲がりくねった石畳の小路と鉄製の街灯ゴシック様式の尖った塔に中世の市場カプチーノとWi-Fiここが一番有名なオールドタウンハンザ同盟都市として中世に繁栄を極めながらその後スウェーデン・ロシアなどの強大国に支配されいま再び自由を取り戻したタリン旧市庁舎の塔がみえていますほとんどが無傷で残っている城壁や見張り塔が多数点在しおとぎ話しの世界に飛び込んだよう・・隣国のカラフルな文化切妻作りの家々隠れた中庭や数々の雄大な教会は最大のみどころ・・1997年にタリンオールドタウンがユネスコ世界遺産に登録されています聖ニコラス教会が見えてきました聖ニコラス(ニグリステ)教会船乗りの守護聖人ニコラスに捧げられ13世紀前半にドイツ商人の居住区の中心に建てられた教会です非常時には要塞としての機能も果たしてきました1944年のソ連の空襲で破壊されたためオリジナルの内装は残っていません現在は博物館とパイプオルガンのコンサートホールとして使われています展示品は点数こそ少ないですが非常に貴重なものが多いです内部見学がなかったフリータイムに期待・・ベルント・ノトケによって描かれた15世紀の「死のダンス」は必見左から法王・皇帝・皇女・枢機卿・国王がいやいやながら死とダンスを繰り広げる様子が描かれています絵の下には死が語る皮肉に満ちた警句が記されています現存するのは絵の最初の部分でもとは社会のあらゆる階層の人々が50あまりも描かれた長い作品だったようですが残りの部分は失われてしまったようです戦乱と疫病の時代だった中世にはこのような「死のダンス」のモチーフが普及しましたが現存するものはほとんどないようです続く・・FC2・・はこちらから
2018/08/16
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バス移動はちょっとだけ少し歩くと見えてきましたヴィル門・・旧市街東側にある1345年~1355年にかけて築かれた城壁の門・・かつては陸路で町に入る場合の正面玄関で現在も新市街との境目に・・ このヴィル門を入ると旧市街ですこの門の両側には城壁が広がっていますかつてのヴィル門は幾重もの防御が施された巨大な城門でしたが19世紀後半の都市整備でほとんどが取り壊されました2つの円柱の塔はその名残りです・・現在この2つの塔はタリンのシンボルとなっています・・セーターの壁ヴィル門を過ぎると左手に城壁が現れますこれがタリン名物「セーターの壁」・・セーターやマフラー・ミトン・帽子など北国ならではのニット製品を売る露店が所狭しと並んでいます絵柄はエストニアの伝統的な模様が入ったものから現代的なデザインまで様々可愛らしい手編みの製品は土産によさそうだけど・・ガイドさんはどんどん進む・・・このトンネルの奥には「タリンで最も中世を感じられる場所」と言われる「聖カタリーナの小径」が・・中世の面影を残すカタリーナの小径は石造りの壁と石畳が続く中世そのままの雰囲気・・通路上のアーチ形の柱はかつて建物の補強のために入れられたものだそうですがいい感じだよねぇ・・左の壁には墓石が展示されていました19世紀の半ばに荒廃した教会の西側が取り壊され保存状態のよい墓石が展示されたそうです・・その後墓石はプライベートコレクションや納屋の舗装用としてまた1882年には墓石の殆どがArthur Girard de Soucantonによって彼の夏の別荘「Rocca al Mare(海辺の石)」に移動されました現在は聖カタリナ教会の南側から移動された墓石や1959年〜1960年に「Rocca al Mar」から戻された墓石が一緒に飾られていると・・工芸職人のギルド「聖カタリーナ・ギルド」があり中世そのままの小部屋でエストニア伝統の工芸品ガラス製品・陶器・キルト・帽子などを作っています覗いてみたいけどガイドさんはどんどん進む・・素敵な絵・・こういうの気になる・・でも・・ガイドさんがぁ・・(;´д`)ノ マッテェェェ続く・・FC2・・はこちらから
2018/08/11
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「タリン」とは「デンマーク人の町」の意・・1219年デンマーク王ヴァルデマール2世がリガの司教アルベルトの要請に従いタリンに上陸 トーンペアの丘に築城したのがこの町の始まりとされますドイツ騎士団の影響の下住民のキリスト教化(後に騎士団の世俗化によりルター派に改宗)が進めら れ1285年のハンザ同盟への加盟を機に商業都市として発展ヨーロッパ風の町作りが進みました・・タリンは中世ハンザ同盟都市の面影を最もよく残している町のひとつであると言われています坂道を登って門?をくぐると・・デンマーク王の庭1219年・・エストニア人との戦いで窮地に陥ったデンマーク王がここで神に祈ると空から赤地に白十字の旗が舞い下りその旗を掲げればデンマークは勝利するという神のお告げに従いデンマークはエストニアに勝利しました その旗が後にデンマーク国旗となったとのことです1219年6月15日・・国旗の起源がはっきり記録された珍しい例です・・ふっと横を見るとマヂ!!! ギク!ξ(*〇o〇*)ゞ顔のない黒い修道士が・・顔がないって気味悪い・・な・・あっ!あっちにも・・オオーw(*゜д゜*)wこっちにも・・ガイドさんの説明ではここに三人の顔のない修道士がいますということだけでどうしてここにいるのか説明はありませんでしたここに説明らしきものがありましたが全く読めず・・ガイドさんはすでにずいぶん先に進んでて聞けず・・人( ̄ω ̄;) スマヌいろいろ検索してもでてこないし気になる・・な・・・・・( ̄  ̄;) うーんこんなの見つけましたこのあたりには修道士の幽霊が出るという噂があると・・だからかなぁ・・夜見ると絶対に怖ッ!!!Σ(ll||д゚ノ)ノまたまたアレクサンドル・ネフスキー聖堂が・・アレクサンドル・ネフスキー聖堂を右に見ながらどんどん進みます城壁沿いに進みます・・ちょっと覗いてみたりトンネルをくぐったりトンネルを抜けて後ろを振り返ると・・またまたアレクサンドル・ネフスキー聖堂どんだけ目立ってんねん・・ロシア・・恐るべし・・キーク・イン・デ・キョク (台所を覗く塔)トームペアの南側にそびえる高さ49mの円錐形の堅牢な塔・・15世紀末に町を防衛するために造られ16世紀初めに補強されて今に残っています外壁をよくみると9つの砲弾が壁に埋め込まれているのがわかりますおかしな名前は低地ドイツ語で「台所を覗 け」という意味で・・かつてこの上からは下町の家々の台所が手に取るように覗き見えたと・・この塔の見張り台からならば台所でも覗けるほどに見晴らしが利くことを意味しています現在は博物館として使われ最上階にも上がれます何が見えるか確かめると楽しそうだけど時間がなくて登れず・・フリータイムにこれるかな・・隣の四角い塔がネイツィトルン (処女の塔・乙女の塔)中世には売春婦の牢として使われたので乙女の塔という皮肉な名がつけられました裏側(内部側)は顔のない3人の修道士がいたところで現在小さな博物館になっていますまたカフェも併設していました・・旧市街から出てきました城壁沿いに移動してバスに乗り込みます続く・・FC2・・はこちらから
2018/08/09
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パットクリ展望台から約100m南東の小道を3分ほど歩いていくと・・コフトウッツァ展望台14~15世紀に建築された赤い切り妻屋根がひしめく下町を一望できますその背景には近代的なビル群が林立する風景が広がり新旧の町並みのコントラストが面白いです・・旧市庁舎の塔が見えますその尖塔の先ににいるのがタリンのシンボル「トーマスおじいさん」・・昔タリンでは貴族のみが参加できるアーチェリーのコンテストが行なわれておりポールの先につけた木製のオウムを撃ち落とす競技だったそうです誰もオウムを撃ち落とせなかったある年群衆の中にいた貧しい家庭のトーマス少年が一発でオウムを撃ち落すことができ彼はその後の戦争でも多くの手柄を残したそうです後年タリンの市民が市庁舎の上にある衛兵の形をした風見を見てトーマスに似ていることから「トーマスおじいさん」と呼ぶようになったそうで現在ではタリン市のマスコットにもなっていますクマさん・・何見てるのかなぁ・・写真を撮ったら移動ですこの道を進むと・・大聖堂(トームキルク)戻ってきたみたいですさらに進むとアレクサンドル・ネフスキー聖堂・・左に沿って移動です「玄関先に猫ちゃん・・☆':.*メチャンコヾ(´∀`ヽ)可愛ぃ*.:'☆センスいいよねぇ・・トンネルをくぐって・・坂道を下りて下りたら登ります・・ここ・・“(・・ *) (*  ̄ ̄)” ドコドコ狭くて入り組んだ路地をぐるぐるまわっています遅れるとまじでヤヴァィ~ヾ(●≧Д≦●)〃続くFC2・・はこちらから
2018/08/06
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タリンの旧市街は入り組んでいて本当に迷子になりそうタリン旧市街の2つの地域 トーンペアの丘と下町を地図で紹介しますタリン旧市街の2つの地域はだいたいこんな感じです トーンペアの丘(上の地図でピンクで囲まれた部分) 下町(上の地図で黄緑で囲まれた部分)トーンペアの丘は小高い丘の上にありその昔貴族や支配階級が住んでいた地域です対して下町は職人や商人など一般の人たちが住んでいた地域・・昔は貴族や支配階級が下町を文字通り「見下ろして」いたのかもしれませんねしかし現在は2つの地域はどちらもエストニアの主要観光スポットとして旅行者に人気の場所となっています2つの地域はピッケヤルグ(長い脚)とルヒケヤルグ(短い脚)と呼ばれるふたつの小路で結ばれ多くの訪問者はどちらか一方の脚を通ってトーンペアへ上がりもう一方の脚を通って下町に戻ってくるとのことですが・・私は何が何だか・・ガイドさんの後をついていくだけっていうのは凄く楽だけど道がわからん・・(´ε`;)ウーン…首相官邸を過ぎてトンネルみたいなのを通り過ぎていくとパットクリ展望台パットクリ展望台は北端にあり旧市街の向こうは港の景色が広がっていますニコンの一眼で撮ってらした私の今回の旅のカメラの師匠になってくださったOさんが撮ってくださった写真トーンペアの丘にはコクトー通り展望台とパットクリ展望台の2つの展望台が・・もう一つのコクトー展望台へ向かいますなんだ??甘そうなお菓子だ・・気になるぞ・・後ろ髪をひかれながらガイドさんの後をついていきますこの子達の表情も素敵・・お店の中に入りたかったけどやはりガイドさんはどんどん進む・・フリータイムで来たい・・展望台が見えてきました・・どんな風景が広がっているのか((o(∇^*o)ワクワク(o*^∇)o))FC2・・はこちらから
2018/08/04
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エストニアの首都タリンは13世紀前半デンマーク人によって築かれた街・・タリンという名もエストニア語で「デンマーク人の街・要塞」を意味しています狭い路地がたくさんあってどこをどう歩いているのかさっぱりわかりませんなんと・・建物から顔が飛び出してる・・このお顔・・どこかで見たような気が・・アラーキーさん(写真家)にそっくり!! 調べてみたところこの人はヴォルデマール・パンソ(Voldemar Panso、1920-1977)というエストニアのプロデューサー・俳優・演劇教師・映画批評家で・・今は博物館となっているかつての彼の演劇学校でした・・クマさんしっかりメモをとってくれています大聖堂(トームキルク)1219年にデンマーク人がトームペアを占領してすぐに建設したエストニア本土では最古の教会です聖母マリアの大聖堂とも呼ばれ創設以来タリンにおける中心的の地位にあります1684年にトームペアを襲った大火災により一度は焼失しましたがその後約100年の歳月を賭けて現在の教会が再建されましたこの教会の特異差は教会であると同時に大規模な”墓所”であることです教会の壁には無数の墓碑銘や紋章墓標や石棺があり教会の床には墓石(最古のものは13世紀から)が横たわっています動物が描かれた肉屋のギルドや靴屋のギルドの墓石など・・大聖堂(トームキリク)の反対側入り口の階段を下りたすぐ先に葬られたのは1696年に死んだ貴族「オットー・ヨハン・トゥーヴェ Otto Johann Thuve」相当の女たらしだったようでここで礼拝に来た人々に踏まれることで生前の罪が許されることを願ったようです・・どんどん進んでいきます方向感覚なし・・エストニアの国旗は1881年にエストニア学生会のシンボルとされた青・白・黒の横三分割旗が現在の国旗の原型となっていますソ連時代に一度廃止されましたが独立運動によってよみがえり独立前の1990年に国旗として制定されたそうです青は・・空と自由を黒は・・抑圧された民族の歴史を白は・・雪と明るい未来などを表していると正面黄色い建物が首相官邸です・・言われなければ通り過ぎちゃうね・・ガイドさんについてどんどん歩きます・・石畳がきつい・・入り組んでてここで放り出されたら迷子になるな・・続く・・FC2・・はこちらから
2018/08/01
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