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私にとってこの2月は、ほんとに辛い月でしたよ。大切な人が他界し、大事な人との別れがあり、間近にいた人に裏切られ、私の周りは大きく変わり、そして多くのものも無くなりました。別れの月だったのかしら?私は幸せ探しの上手な人でした。それがね、さすがの私も笑顔を忘れてしまいそうでしたよ。笑う門には福来り・・なのにね。それでも、こうやって毎日・・ちょっと抜けた日もあるが、でも毎日のように日記を書き、一日をなんとかおくることが出来たのは、優しい言葉があったからでした。友達が“がんばれ”と言ってくれました。仲間が“大丈夫”と励ましてくれました。知り合いが歌を歌ってくれました。そして、ここでも、逢ったことのない人たちが、掲示板やコメントやメッセージで暖かい言葉をくれました。 だから私はこうして今月を無事終われることができたように思います。苦しくて、切なくて、悲しくて・・・毎日色んな歌を聞いたりしてたけど、何を聞いても涙して。私の体の中の水分は全部涙になって流れているんじゃないかしら?と思ったり。それでも、「言葉」によって私は少し、少しづつ前に進もうと歩いてこれました。 別れの月が終わったから明日からは出逢いの月になるでしょうね。新しい出会いのために、私はこれから言葉に命を吹き込もうと思いました。言葉によって傷つき、言葉によって救われることってあるけど、人は一人では生きていけないし、出逢って言葉を掛け合って寄り添って・・。そんな風に生きていけたら、春の風のようにね、優しい穏やかな毎日がやってくるような気がするから。・・・この場をかりて・・・ここのページに来てくれて、優しい言葉をかけてくれてみなさん本当にありがとう。私はこれからも、ずっとここに書き続けてます。もう、春ですものね。夜の星空ばかり見ていないで、昼間の暖かい風に、新しい芽に目をやりましょう。 Designed by Kinako
2005年02月28日
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久しぶりの親子だけの休日。なんだか、ここのところ、土日の仕事が多くて・・そうなると、下の子は実家!上の子は友達とって家族バラバラな週末を過ごしてきた。が、もっとも家の場合、金曜日は親子デーというか、子供の日として仕事もいれず、子供とじっくり遊ぶので、特に週末に遊ばなくても、子供たちは気にしていないみたい。今日は、幼稚園の作品展示会があったので、朝も早くから子供たちを起こし、喫茶店でモーニングサービスを食べてから幼稚園へと向かった。こんなに天気がいいのに幼稚園で一日を過ごすのももったいない。早々に用事はすませて、公園でも行こうかと・・。 幼稚園では、お父さんお母さん、おばあちゃんまで揃って出かけてきている人や、先生たちも揃っていて、休日出勤ごくろうさまですって感じでした。外をみると、やはりいい天気。「どっか行こうか~」というと「どこへ?」と二人揃って言う。「公園は?」というと、幼稚園のすぐ前にある公園に、もう、ダッシュ!二人して、ブランコだの滑り台だのして楽しんでいるが、そんなときにじっとしている私は非常に寒い!「ねぇ、場所変えようよ~」というと、またまたさっさと車に乗り込む子供たち。 結局、(故)お兄ちゃんのお墓参りして家に帰った。お墓に実家が備えてくれたチューリップがあったので家の花壇のチューリップが気になり、花壇も少しいじろうかと思ったが・・・それも考えてみれば、子供たちがいない平日の昼間にやったほうが良さそうだ。家に帰って掃除をしようと思ったけど、これもまた、子供が次から次へと、おもちゃをだしてくるから、なかなか掃除機すらかけられない。だから、今日はママ業もご飯づくり以外は休業して、子供とゲームやら、おもちゃやらで遊んだ。一日通して思ったけど、私自身は休業だったが、子供って毎日毎日遊ぶのが仕事みたいなもんでしょ、まったく休業なしでもあんなに遊べるものなのね。いったいあのエネルギーは何処から来るのか、はたまた若さなのか?締めくくりに、3人でお風呂に入り、子供たちは横になったかと思ったらすぐ寝てしまいました。この寝つきのよさも、ほんと羨ましいわ。さてと、私は今日、休んだ分、明日からまた忙しい一日がはじまる・・がしかし、少々筋肉痛になりそうな・・・(>_
2005年02月27日
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☆ ☆ がんばって!がんばって!ってずっと自分に言ってきた。子供のころ、親に「がんばってね」ってそんなに言われた覚えないのに。どうしてなんだろう。いつの日からか、がんばろうって自分に言聞かせるように生きてきた。それに疲れたわけではないけれど、この間、しばらく流していなかった涙をながし大泣きしたことを書いたけど、その頃から、泣くことすらしないでがんばってきた自分がちょっとだけ、可哀想になってしまって、ふぅっと肩の力を抜いてみた。そしたら、腑抜けな私になってしまって、つまらない。 子供のしつけで、「がんばって」ってあまり言わないほうがいいってことを聞く。だからってわけじゃないけど、子供には「一緒にがんばろうね~」と声をかけるようにしているが、未熟な私は子供ががんばらないと、「がんばろうねって約束したのに・・・」と押し付けてしまったりする。要は、私自身ががんばりたいだけなのに・・。 結局は、誰もがんばって!と言ってくれないから、自分で言ってるだけなのね。私は、がんばる自分が好きだし、がんばってる自分が楽みたい。そうやって、一生懸命走って走って、何にむかって走ってんだか分からないときもあるけど(笑)それでも、走って走っていると、自分が安定していられる。何か報酬がほしいわけでも、見返りがほしいわけでもなく、いつもがんばっている自分に酔ってる自分が、今度は可哀想なんじゃなく、可愛いと思えた。いいや、このまま、私は私だから。転んでもぶつかっても、がんばって走っていこう! ☆☆Designed by Kinako
2005年02月25日
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てふ 日記YYYYYYYYYYYYYYYYYYYY またまた掲示板話題より・・・ふふっ!なんで「てふ」なの?って良く聞かれます。私は、仕事場でも「てふちゃん」って呼ばれています。久しぶりに、この名前の由来について書こうと思います。 私は以前は太っていなかった。と、いうより、「太る」とは他人事と思っていた。それが、結婚生活の悲惨により、3度目の帝王切開という手術により、卵管を切除、妊娠できない体になり、更に、暴力と働かない旦那でのストレスで、離婚後、醜い体になってしまいました。生活に追われ、幸せになるために離婚したはずの私は、鏡をみると疲れ果てた、ただのおばさんのようになっていました。「いや~!!これではいけない」と思っていた頃、会社の慰安旅行での夜、井戸端会議の中で「生活に追われて髪型も気にせず、服も安いのであれば・・なんて女を忘れてしまっていて、旦那に申し訳ないと思うの」と、30代も後半の人が言い出した。それを聞いたとき、私はその人をなんて可愛い人なんだろうって思い、我を振り返り反省しました。 そして、その時から、「目指せ!可愛いと女の人からも思える女性に!」って。それが、そもそもダイエットの始りでもあったりして。 どうせ私なんか、とか、男なんてコリゴリ、とか思っていた私は可愛くない!どうせ・・・という言葉から改善しました。 で、ダイエットの女神と呼ばれている人のところに尋ねていったときに、私を表現するのに言葉を選んでいました。「大きい」「太ってしまった」そう遠慮しながら話をしてくれる相手に“デブ”と言う言葉がいかに使いやすいか・・・と感じながら、それはあまりにも可愛くないし聞こえが悪い。それは、きっと濁点のせいねって。ほらっ!デブ・ブス・ハゲ!!!どれも濁点ついているでしょう。だから、私は可愛い女を目指しているので濁点をはずしてもらったんです。「てふ」ちょっとだけかわいいでしょ。痩せて綺麗になって春になったら「てふてふ」のようにヒラリと舞うように飛びましょうって願いを込めて、それ以来私のあだ名は「てふ」になったんです。でも、この名前ほんとに気にいってて、「てふちゃん」「てふさん」なかには「タフさ~ん」なんていう人もいて(~o~)みんなで「てふてふ」(蝶々)になるのを応援してくれているみたいで、呼ばれると幸せな気持ちになったりするんですよ。これが私の名前の由来です。はははっ。 Designed by Kinako
2005年02月24日
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てふzou 日記てふzou 日記ッッッッッッッッッッ 掲示板に来てくれている泉さんとの話題に出ている「優しい人」これを今日は書いてみようと思う。私、優しい人が好きです。仕事でも、友達でも、先生も、先輩も・・・厳しさの中に優しさがあったり、包むように優しく話してくれたり、いろんなタイプの人がいるけど、私は、優しい人に惹かれます。それは、私が優しくないからかしら?優しくできないからかしら?誰でも優しい人が好きよね、でも、その誰にでも「優しい人」といわれるようなそんな人に私はなりたい。人の優しさに触れたとき、私は強くなれることが多い。とても弱いから、いじけたり、悩んだりすることがあるけど、それでも、優しさに包まれると強くなれる。人ってやっぱり支えあって生きてるんだよね。それは、見返りを求めるわけでなく、自然に人に与えるもの。そんなフワフワした感覚が、また人を優しくさせるのかも・・・私も、誰に対しても優しくありたい。 Designed by Kinako
2005年02月23日
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日記の更新がおろそかになってしまった・・・ちゃんと毎日書こう!!っと。☆ 今まで子供を育てるために色んな仕事をしてきた。そう、独身の時から私は、子育てしながらはたらくことを考えて職種を選んできた気がする。未婚で子供を生んだ私は、結局ずっと仕事を持つ女でいたいと思ってきたの。○○さんの奥さん!○○ちゃんのママ!と呼ばれることとは別に、「私」というものも、置いておきたかったから。パートでなく、自分の仕事を持つ私を子供たちはどう考えるんだろう・・・って気になった。 4歳の娘が「ママ、今日は仕事あるの?」と聞いた。最近、子供を連れて仕事することが少なくなってきているので、何をしているのか分からないみたい。「あるよ」と答えると、「そっか、家なんだ」と勝手に納得している。今、私が将来をずっと子育てしながら働くという意味で、一番大事な時期を子供のそばにいたいと考え、PCを中心に仕事をするような形をとっている。だから、子供はPCの前にいると家での仕事と思うみたい。「何か用事?」と聞いたら、「ばぁちゃんのとこに行くならもって行くものを用意しようと思ったの」って、手提げかばんを持ってうろちょろしてる。子供も・・・私の仕事によっての居場所を考えてるんだ。お兄ちゃんも私の仕事の仕方によって行動を決めてるらしい。私が出張して大阪だの東京だの行くときは、どこについていくとか、いない間にすること(ゲーム)いるときは怒られないことだけをする(笑)なんて、決めて行動するらしい。子供は、その環境あわせて、ちゃんと自分のやるべきを考えて行動できるんだ。仕事をするママってことを十分に理解しているのは、私より子供みたい。子育てしてるつもりで、私が親として育っていってるのが、仕事なのかも・・。仕事も、もちろん大事。だけど、子供たちとの家族あっての仕事だから、今は何をすべきかを、よく考えて仕事をかたすけるようにしなくては・・。自由業の私だからってだらけないで、私も子供のように、環境に応じてテキパキとしようと反省!!あ~、今の仕事でよかったってつくづく感じた日でした。 Designed by Kinako
2005年02月22日
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★ 私たちは歳が離れてても、仲良し兄妹です♪●●●Designed by Kinako 我が家は金曜日の夜は家族で遊ぶ!っていうのが恒例だ。「遊ぶ」っていうか、金曜日は家族のためにってことかな?だから、お兄ちゃんは、友達と遊んでいても早めに帰ってくるし、私も食事の支度を早めにしたり、または、この日に外食したりする。一時期凝ってたのが、お風呂屋さん。金曜日になると近くの風呂屋でなく、ちょっと車で走って大きなお風呂屋さんに行って、そこにあるタダのコインゲームで遊んではお風呂に入ったりまた遊んだりして夕方から夜中まで時間をつぶしてた。でも、私の仕事が不規則になったり、週末に大阪まで行くことが多くなったりして、どこかに出かけることは最近ではない。でも、゛どこかに出かける日”ではないから、家族で一緒に過ごすために空けましょうって感じな曜日なだけ。これはずっとそうしてきたから、なんとなくのクセになってるの。子供もTV見たかったりしても、ビデオに入れてとか頼んできたり、私が何か言い出すまで、じっと私の近くで待ってる。私も仕事が入っても、友達から電話が来ても、なんとなく、空けるクセになってる。今日は雨で外で遊ばなかったおにいちゃんが学校から帰ってから家で待機してて、下の子もいないし・・(母と親戚のところ)なんとなく二人で夕飯を食べて、なんとなく二人で横に並んでTV見て、そしたら私の友達が子供とゲームをやりにちょっと家に来たので、友達と子供と私とで交代でゲームして・・・友達が帰るときになって「サンデー発売日だから、まん喫行きたい」というから、3人でまん喫に来てる。 一週間の流れの中で、子供は子供なりに学校や幼稚園という世界でがんばってる。私も仕事がある。週に一回くらい、こんな風に家族で寄り添って、家族の愛を確かめ合って気持ちを休めるのは、いいことだろう。こうやって、また、忙しい毎日と戦えるのだから。下の子のいない、今週の金曜日は、私もお兄ちゃんにもちょっと物足りない日となりました。・・・
2005年02月18日
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しっかりしているようで、甘えたがり。真面目なようで、抜けている。分かっているようで、分かってない。・・・まったく私ってそんな奴(*^_^*)それでも私は世帯主で、また仕事も自分で自己管理をしている自由業。これは、私自身のことで全てが変わってしまうんです。でも、そろそろ自分自身の性格も特徴もだいたい掴んできたので(認めたのかな?)自分で自分を調節していかなくちゃね。それが、これからの未来をつくる大きな事になりそうです。よく、自己啓発みたいなところがあるけれど、どれを聞いても納得しそうな私の場合は、だいたい、どのTRを受けたらいいのかも分からない(ーー;)なら、いっそうのこと、自分なりに自分の弱点を解決していくことに徹してみよう!なんて思いました。 でも・・・・(>_
2005年02月17日
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/☆ /☆ /☆ /☆ /☆ /☆ /☆ /☆ 以前から悩んでいた夜の仕事を今夜からスタートした。“夜の仕事”を母子家庭の、しかも子供が小さい私がするということは、世間から見ると無謀でとんでもないことなのかもしれない。そんな事で、少し躊躇する部分と、子供との話し合いや、自分の状態、やりたいことを十分に考え、でも、やはり、はじめてみました。とりあえず、週に3回!時間は9時から12時の4時間で、家から5分のところ。ずっと母子家庭で子供を育ててきたママさんのお店なので、子供が私がいないときには、そういう形でいるのかを聞いてきてくれたことが、この店で働こうと思った決定打だった。私は、夜の仕事はきらいじゃあない。むしろ、私は飲みにいったり、人と騒いだりすることが大好きなので苦にならないというか、楽しめる仕事です。 初出勤のため、子供の協力を得るので、子供たちそれぞれに何が食べたいかをきいて、それぞれの好きなものを夕飯に食べた。「大ご馳走だね」という息子に、「よろしく!」とお願いし、食べ物でつったわけではないけれど、こんな形で子供とスタートをきることが、私流なんだろう。 お店はとっても忙しく、ずっとバタバタしていたから、難しいことを考えなくても良かったし、下の子とお風呂に入って、寝るばっかにして出てきたので、特には何も問題なく、お兄ちゃんも一緒にそのまま寝たようで、家からの電話もなく、帰ったら家を出てきたのと同じ状態になっていた。 まずまずの一日。何をするにも私個人だけでなく、子供たちがいての私だから。新しいことをはじめると、全て家族が新しい関係が生まれる。それを、また、大事にしていきたいなって思った日になりました。Designed by Kinako
2005年02月16日
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/ / / / / / / / / /★今日で私は36歳になりました。★ バレンタインデー、でも、私の誕生日です!13日の夜遅くから、韓国のダンスホールに友達が連れて行ってくれて、0時になって14日に日付がなったときに、お祝いをしてくれました。♪タララタ~ラ タララタ~ラ♪♪と、この店で流れる誕生日の歌が流れて、お店の人が誕生日恒例のシャンパンツリーをしてくれて、お店からって花束もらって、いつも隣の席に座るお客さんが、ケーキを用意してくれてて、ろうそくまで36本も立ててくれて・・・友達は、そんな素敵な誕生日のセッティングをしてくれただけでなく、かわいいボレロまでプレゼントしてくれて・・こんなにみんなに祝ってもらって、私はすごく幸せだった。歳がいくつになろうとも、「おめでとう」って祝ってもらうことは嬉しい。でも、祝ってあげようって思ってくれた友達の気持ちが何よりも嬉しかった。本当に私は幸せです。愛の告白のバレンタインデー、チョコが飛び交う中で、私が一番素敵な「愛」をみんなにもらいました。 いつも行ってた韓国ダンスホールを出て、友達はまた、高速を飛ばし、違う店に連れて行ってくれた。そこには、私のメル友さんがいて、一度行ってみたいなと思っていたお店。そこにも韓国人のミュージシャンがいて、やっぱりかかった音楽は♪タララタ~ラ タララタ~ラ♪と同じ音楽。これって、韓国の誕生日の歌なのかしら?そして、メル友さんはハートのチョコレートケーキを用意してくれていました。ダイエット中の私ですが・・一晩でケーキを2個も食べちゃいました。やっぱりシャンパンツリーで・・・。これはまさしく韓国流なんでしょうね。でも、こんな風に祝ってもらって、お酒もたらふく飲んで酔っ払い、正体不明になってしまった私も、韓国式かも(笑)36歳を感謝の気持ちでいっぱいのスタートが切れました。みんな、みんなありがとう。そして、大事な友達に感謝です♪ Designed by Kinako
2005年02月14日
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仕事仲間のお父さんが亡くなった。命日が・・うちの子と同じになる。先日、大事な友達が亡くなり・・・なんだか人の「死」にものすごく直面している。ふと、感じたこと。私にとって、友達の「死」はもの凄く悲しい出来事だったが、葬式の時にお棺の中の友達に、こんな不幸なことにならないよう、私はあなたの分まで、精一杯生きてがんばると誓ってきた。ひとつの区切りになった。子供を亡くした時もそうだった。それから、命日になると、その時のことを思い出し、私は私の人生を最後まで私らしく精一杯生きようと思う。仕事仲間は、今、どんな気持ちでいるのだろう?と。体を悪くしているお父さんの看病を一生懸命見てきた人だから、悔いはないだろう。私のように、お棺の中にいるお父さんに、(生きる)ことを誓ってくれるといいな。(生きる)というのは、ただ時間が過ぎるのを待つのではなく、息をして、行動して、考えて、感情がはたらいて・・それを(生きる)という。この世から去って人、それはこの世への終わりだろうけど、終わりをもって、亡くなった人は、生きることの大切さをスタートさせてくれるのではないだろうか。「死」は悲しくて辛いこと。私も子供の時にしばらくその現実を受け止められず、立ち直るのに時間がかかったのでよくわかる。でも、今、自分は生きているのだから・・ということに、「死」にたずさわった人たちに早く気がついてほしいと思う。生きてる時間を無駄にしないように。 Designed by Kinako
2005年02月12日
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TTTTTTTTT TT T TT T T T T T■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■9年前の今日、私は3歳になったばかりの子供を亡くしました。土曜日の夜中でね、とっても寒い日でした。祭日が日曜日だったから振り合え休日になって月曜まで会社が休みだったから、友達と子供にとっての初スキーに連れて行く予定を立てていました。だから、あんな時間まで起きていた・・偶然。そうじゃなかったら、寝たまま死んでいったあの子に朝、気づくことになったでしょう。友達が、家に来てくれた時、温まってから出かけようとコーヒーをたてたその時に、寝たまま大きな溜め息をして、その後あの子は息をしなかった。普段なら、私一人。うろたえていたかもしれない。たまたま、友達がいた。・・・これも偶然。苦しむ事なく、寝たままであの子は逝きました。あの子の障害は余命は分からないと言われていたけど、こんな風に突然やってくるとは思わなかった。でも、それが彼が持って生まれた運命だったのでしょう。最後の最後まで、時を選んだかのように、産まれてきたこと、運命ということを私に教えてくれた、「愛」そのものの子でした。あの子が逝った後、空からは雪が降ってきて、葬式の参列を雪の中、私は歩きました。とっても綺麗な雪景色で、私の心も真っ白になっていましたけどね。毎年、今日という日は、あの雪景色を思い出します。お墓には、雪が降ってもあの子の場所が分かるように、ピンクのスイートピーと黄色のチューリップを置いてきました。チューリップは、あの子が最初に覚えた歌で、私の大好きな花です。庭の花壇も、去年植えたチューリップが今年も芽をだしています。チューリップって家の中でぬくぬくと育てるのではなく、冷たい雪にかぶさって、それから芽を出し花を咲かせると、綺麗な色で丈夫なものができるんですって。私も、つらいことが続いたけど、暖かくなって芽を出す頃には、丈夫な心でいられるでしょう。3年間の命を精一杯生きた、あの子のママだから。■ □ ■ □ ■END■ □ ■ □ ■CCCCC
2005年02月11日
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◆ 私の幸せ ◆バタバタしている今年です。ん・・・去年の後半からかな?大阪のたこ焼き屋さんの看板の横にかかっていた掛け軸?のようなもの、あまりにいい言葉が書かれていたので写真で取ってきました。▲五信反省▲・つらいことが多いのは感謝をしないから・苦しいことが多いのは自分に甘えがあるから・悲しいことが多いのは自分のことしか分からないから・心配することが多いのは今を懸命にいきていないから・行きづまりが多いのは自分が裸になれないから妙に納得する私。今、子供たちが健康で、毎日話しをしながら顔を合わせて食事が出来る、こんな風に生活できていることに感謝しよう。贅沢を言ったらキリがない。欲は必要だと思う。でも、まずは、こうして今いることに感謝しようと思いました。(今日、実家と大喧嘩したけど・・)人間だれもが不安です。それは一人で悩んでいるからで、そうそう、一人ぼっちではないはず。今夜、韓国人のお友達から電話が来て、「もしもし」と言っても返答なし。あれ?向こうの電波わるいのかしら?と思ったらいきなり、ズンズンと音楽の響き。そして、電話の向こうから歌が聞こえてきた。そうやら、ミュージシャンの彼がステージに電話を置いて聞かせてくれたみたい。一度だけ、バンドマンの韓国の男の子と一緒に食事して逢っただけで、それからは、チャットで少しお話したことのある人。どんな歌を歌ってて、そんなステージするのかな~と思ったら(笑)こんな形で聞かせてくれました。こんな夜もいいかも。不意なプレゼントに幸せな気持ちになりました。今夜を感謝しよう。
2005年02月10日
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本を読む習慣ってありますか? 私は本は好きなんですけど・・ 忙しさと時間の使い方がヘタクソ なので、本を読む時間が取れません でした。 しかし、子供は、驚くくらい本を読みます。 多分、一日に一冊は読んでいるのだと 思います。 図書館で借りてきた本、学校で借りた本、 家にある本。 気に入ったものは何度でも読んでいます。 本の世界に入り込み、夢中になってしまう ようです。 現実は・・・・・随分違うのに(>_
2005年02月09日
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最近、日に日に事件が起きて、めまぐるしく私の中で変化が起きている。子供の問題、仕事の問題、金銭問題、そして・・・友人の死!去年から私は、色んな人に「来年あなたはとてもいい年になる」と言われ、あげくの果てには、人が見えるという人に突然、「人生に2回しかないチャンスの年」とまで言われた。“変わりたい”と思っていた私は「わくわく!どきどき!」と楽しみに年を明けたのに、次々と起きる騒動に疲れ果て、(なんなの~!!どういうこと~!!)って(>_
2005年02月08日
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☆ 父は66歳になりました。☆ 父の還暦の祝い以来、毎年恒例になってきましたが、父の誕生日と私の誕生日が一緒なので、2月の第一土曜日に誕生日の食事会をします。場所も、なんとなく定着してきたみたい・・。ピアノの演奏のある店で、バースディの人のリクエスト曲を弾いてくれます。今日はフルートの人までいて、私は冬ソナの中で出てきた「最初から今まで」をリクエストしました。父は「聞いたことある曲・・」とだけ。母は聞き入ってました(^。^)さては・・・見てたな!!4歳の娘がはりきって父に「じぃちゃん、ヨン様の歌よ♪」と言うと、父が「お前までヨン様が好きか~」って。すると娘は「違うよ、私はヨンちゃんが好き。ふえ(フルートのこと)はヨンジュが吹くのよ」と答えた。父がチンプンカンプンの顔をしているので、慌てて説明した。娘が言っているのは、大阪にある韓国ダンスホールにいた、バンドマンの事。一度しか連れて行ってないのに良く覚えてること!!父は私の顔をチラッと見ながら娘に「じぃちゃんが好きと言ってくれ~」と言っていました。 仕事、仕事の父は、こんな会話が出来る人ではありませんでした。私は娘の歳くらいから“午前さま”という言葉を知っていて、父は朝ごはんの時にしか顔を見ず、また、朝寝坊すると父の顔などみることがなかった。それに、海外勤務も多く、日本に帰ってきたと思ったら、大阪に18年も単身赴任だった父。 どうやって会話をすればいいか、いつからか分からなくなってしまった。でも、今は子供がいるから、なんとなく、ワンクッションあって、父も少し私と話すようになった。父はまだ、現役で仕事している。いつまで仕事するのだろう・・・私には、隠居の想像がつかない父です。でも、この平和な時間が続いてほしい。大阪で倒れて血を吐いたことのある父です。今、近くにいるのだから、健康管理はしっかり私がみたいと思いました。ほんとに、誰一人居なくなるのは淋しいからね。娘は、「ばあちゃんとこにお泊り!ばいばい」と私に手をふり、私と息子は二人でビデオ屋さんに行き、帰ってきました。 幸せな時間・・・ずっとずっと毎年こうして食事会BDが続きますように。Designed by Kinako
2005年02月05日
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節分には、み~んな鬼を追い払って明けたら新しい一年がはじめるのよって、落ち込み気味の私に励ましの言葉をくれた人がいました。そっか~。そうね。くよくよしてても一日。がんばっても一日。って気合いを入れて家を出ました。・・・・・・・・・家を出てから、2時間後、突然の別れが来ました。偶然にも、私が目にしたのは、通夜の看板。もうすぐ亡き子の10回忌。毎年お花を贈ってくれる人で、法事のお知らせと共に、今日、いい言葉をもらったからお互いがんばろうねって言いに行ったのに。 その人は、言葉をかけられない人になっていました。がんばるって言葉、辛い人もいます。そんなにがんばる、がんばるって言わなくていいよって言う人もいます。私は、それでもがんばりたい!と思うから。「それが大事」って歌があるでしょう。“高価な墓石を建てるより 安くても生きてる方が素晴らしい”って歌詞があります。(その通り!!)って私は声を大にして言いたい。生きていたくっても、生きられなかった命を持って生まれてきた子がいたから。でも、「死」という形で、子供は私に生きることの大事さ、生きることの素晴らしさ、尊さを教えてもらったから。だから、自分の一生を、大事に楽しく、少しでも多く笑顔でいられるように過ごそうってそう思ってきたから。自分で命を絶った彼に、私はお線香をあげることはできなかった。でも、きっと私の子供が、「生きること」のエールを私にまた、空から虫の知らせを呼び、教えてくれたのだろう。 今年は、花が届かないわね。私が今年から、花を贈ることになるのね。毎年、子供の命日にお花を贈ってくれる優しい人が、命の大事さをよく分かっている人が、命を自ら建ってしまったことが私は悲しい。日記に書こうか悩んだけど、でも、書かずにいられなかったから。悔しくて、切なくて、悲しくて・・・そんな想いをどこで消化したらいいか、分からなかったから。私は負けない。自分に負けない。私の知っている人全て、誰一人、こんな悲しいことはもう、起きないで欲しい。負けないで!って。蓮4044
2005年02月04日
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ママ記念日12年前の今日、私は初めてママになりました。骨盤の加減で普通分娩で産むことが出来なくて帝王切開だったけど、念願の男の子を産むことができました。23歳だった私は(歳がバレちゃう)まだまだ、自分が子供で、妊娠している間に、何度も“おむつかえれるかな~”“夜鳴きとかでノイローゼになったらどうしよう”なんてことよく考えたものです。 産まれてきた子は、障害を持っていました。アペルト症候群という、聞いたことない名前。でも、私の赤ちゃんは、スヤスヤ寝ていて、でも微笑んでいてとても可愛い赤ちゃんでした。あの子を産んだ瞬間に、不思議なことに、メソメソしていた自分もちゃんと親になってたんです。障害の事をきちんと聞くことができ、どうやって生活するかだけを考えていました。保育園は・・・どこにすればいいんだろう。カテーテルは外れたら病院にいちいち連れて行くのかな~とか。障害児の病院つき施設の話が退院の時にでましたが、そんなこと、まったく考えていなかったので、ちゃんと家で育て、保育園にもいれましたよ!!それは、12年前の今日、麻酔から覚めた時から「私の赤ちゃんいつ逢える?」と言ったその時から、私はママだったから。生活も考えも、全て変わりました。一気に・・・(笑)わがままいっぱい、自分のことだけを考えて生きてきましたからね~。でも、ママって少しまわりを見るようになるんですね。明日のことを考え、一年先を考え、10年先を考え、ワクワクしながら、日々を暮らすようになりました。あの子を産んでから、一回だけ看護婦さんに泣きついた事があります。未婚で産んで、帝王切開だったから、ベッドから起き上がるのに4日もかかって、保育器に入っている子供にやっと逢えたのに、子供のほうが、チューブいっぱいつけてて、抱き上げることは出来なくて、それが悲しくて、切なくて「どうして自分の子を抱けないの?」って泣きました。「あなたの赤ちゃん、今、がんばってるから、ママさんだから、あなたは強くなりなさい!」そう看護婦さんに言われ、「強く強くなって、どこまで強くなればいいの!これ以上強くなったらマジンガーZにでもなれっていうの?」ってそんなバカな事を言って、ナースステーションで大泣きしました。看護婦さん、牛乳の温かいのをだしてくれて、私、牛乳嫌いだったけど、その時、飲まなきゃいけない気がして、まずい・・って思いながら、でも、看護婦さんの思いを飲まなきゃ子供もちゃんと見てくれないんじゃないか?なんて、これまたバカなこと思って牛乳飲みました。ちょっとバカげてるかもしれないけど、そんな風に少し我慢することも覚えました。でも、その看護婦さん、次の日に先生に頼んでくれてて、ちょっと、一瞬だけだったけど赤ちゃんを抱かせてくれました。写真まで撮ってくれて・・。チューブだらけの赤ちゃんを、完全防備でマスクまでして抱いてる私の写真、今でも大事にアルバムの一ページに貼ってあります。その子は3歳の誕生日の写真を最後に天使になってしまったけど、天使の子を産んだ今日はママ記念日です。ママにしてくれて、ありがとう。
2005年02月03日
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子供って似て欲しくないところばかり、似てる気がする。都合の悪いことは「お父さんに似たんだね」と世間ではごまかせるかもしれないが・・うちはそうはいかない!まさしく、その悪い癖は・・私似(>_
2005年02月02日
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2005・2
2005年02月01日
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